東京デスロック「ROMEO&JULIET」シェークスピアへのIn&Out
2009年10月26日マチソワの半日がかりで、キラリング☆カンパニー 東京デスロックの「ROMEO&JULIET」を観てきました。
場所はきらり☆ふじみ。
KOREA VersionとJAPAN Versionの2作。同じ戯曲から生まれる全く異なるテイストをたっぷりと楽しんでまいりました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
両作とも、
原作:ウィリアム・シェークスピア(松岡和子訳を基にしているとのこと)
構成・演出:多田淳之介
・Korea Version
さまざまな手法が駆使されながら、戯曲の流れを押し広げるように物語が膨らんでいきます。
音、光、そして何度か観たことのある多田手法で人と人との関係性が生まれる冒頭から、観る側が物語の世界に包まれて。
表現の豊かさ、与えられたメソッドを武器に変えていく役者たちのパワーは、それなりに大きさや高さのある空間をもはちきれんばかりに満たしていく。舞台後方に張られたスクリーンに映し出される文字や影が、さらに舞台を膨らませていきます。
役者たちの韓国語は当然に理解できず、頭のなかにある戯曲の流れと、スクリーンに映し出される日本語訳を頼りに物語を追っていくのですが、スクリーン上の訳の提示も単純なプロンプターからの情報というよりはひとつの表現になっていて、マンガにたとえると人物についた吹き出しというより、背景に描かれるさまざまな効果のような感じで観る側に入ってくる・・・。このことが、観る側を一層強く物語にのめりこませていきます。
それにつけても輪郭の太さに目を見張る舞台。一つずつのシーンがメソッドを武器に深く強く心を揺らしてくれる。そのメソッドがパワーでがっつりと回されていくのです。
ジュリエットの想いを女優達でガールストークのように編みあげていく部分のヴィヴィドさや、両家の争いのシーンの洗練。初夜が開けた朝の二人の想いの質感や、ジュリエットの死を何倍にも重く背負うロミオの心情、さらには自ら死を選ぶジュリエットの愛に殉じる高揚・・・。良く知った物語でありながら、さらに一歩引き入れられて、自分が頭のなかに持っていたロミオとジュリエットの物語がとても陳腐なもののようにすら思えてきて。
観終わってしばらく舞台の世界から抜け出せませんでした。
終演時の2度のカーテンコールですら足りないような気がしたことでした。
出演:キム・ユリ カン・チョンイム イ・ユンジュ クォン・テッキ キム・ソンイル オ・ミンジョン イ・クノ パク・キョンチャン 佐山和泉 チェ・ソヨン
・Japan Version
スクリーンに「Text」と表示されたとおりに、戯曲の紹介から始まります。役者はまだ現れない。ショーアップされた形でちょっとクロニクルっぽくスクリーンに戯曲の一部を提示して観客に読ませる・・・。
坪内逍遥訳の提示が効果的で、戯曲そのものが観客に表わすもの、台本に書かれた言葉が見る側に発するニュアンスや色が抽出され伝わってきます。ライティングや音楽から生まれるコンサートの直前のような高揚感がなにげにしたたかで。
次に「Human」と表示され、素のライトの下、役者が舞台上に並んで順番に自分の恋愛体験を語り始めます。すごくナチュラルな語り口で、虚実はよくわからないのですが、観る側が心をすっと開くような雰囲気が醸し出されて。そのトーンというか流れのままにでキュピレット家のジュリエットさんの話を・・・、聞いてしまう。戯曲のお仕着せを脱いで私服で楽屋口から出てきたような、素顔で等身大のジュリエットの心情に、笑いながらもなぜかうなずいてしまって・・・。
そして「Text&Human」、前の二つの要素が重なる中、作り手による、目隠しをしての表現の模索が始まります。
何から目をふさいでいるのか・・・。役者たちの動きをみていると周りというだけでなくかつてのロミオ&ジュリエットの作品のイメージまでリセットされるような感じがして。
舞台の上ので探りのなかで語られる台詞は、やがて見えない者どおしで絡まりあい膨らみ始める。そこから少しずつ動作が生まれ、スクリーンの文字が遊び、音がやってきて戯曲から溢れ出てくる感覚がどんどんと具象化されていく・・・・。
観る側からすると、戯曲が作り手たちの創意にふれて線描として次々に描かれていく感じ。そして、手で周囲を探り足で舞台のエッジを確かめながら、台詞を頼りに模索し徘徊する役者たちの姿に、作り手たちの創作の苦悩を感じて・・・。でも、芽生え、揺らぎながら膨らみ、舞台上に形となり、そこから舞台を超えて施設全体にまで広がる表現に、雛鳥が貪欲に餌を啄ばみ、羽根を広げ、やがて羽ばたき始めるような、ぞくっとするような創意の飛翔への過程を感じるのです。
ブリッジで語られる台詞に文字がクルっとひっくり返るような、シンプルな遊び心から現れるとんでもない質量を持った何か。朝を告げるひばりの声はずるいと思いながらも個人的にツボで、こういうウィットが作り上げる舞台のニュアンスがどんどんと世界を豊かにいくようにも思えて。コインを危なっかしく投入して「毒薬」を手に入れる姿に薬入手の不思議な軽さやリアリティを感じたり・・・。カメラを使ったライブ感(館内の道程をしめすグラフィックもよい)や、スクリーンに映像として具現化される現場目線の霊廟のシーンにも瞠目・・・。
そして、いったん目隠しを取った役者が、再び目隠しをつけて手探りを始める姿に、限りのない演劇の深淵を思ったことでした。
出演:夏目慎也 石橋亜希子 坂本 絇 橋本久雄 堀井秀子 中林舞 浦壁詔一
戯曲にひたすら惹きこまれていくKorea Version,戯曲から次々となにかが現れていくJapan Version。戯曲に対してのものすごいIn&Outを半日で体験したような。で、観終わって、なにか抱えきれないほどに満腹なのですが、その感覚には演劇という筋がしっかりと通っているから、すっと心に吸い込まれていく感じがする。
そして、劇場を出るとき、満足感だけではなく両Version(特にJapan Version)のさらなる広がりの予感とそれを観たいと渇望する気持ちがやってきて・・・、自分の貪欲さに驚愕したことでした。
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コメント
きょうr-rabi(ららびー)は模索するはずだった。
投稿: BlogPetのr-rabi(ららびー) | 2009/10/31 14:19