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ハイバイ「て」濃密な家族の匂い

遅くなりましたが、2009年10月2日と10日に、ハイバイ「て」を観てきました。場所は池袋、東京芸術劇場(小ホール1)。

ハイバイは前回アゴラ劇場でみた「KOBITO」がすごくよくて・・・。今回再演になるというこの作品も楽しみにしていました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

チケットにお洒落に書かれた入場整理番号は2日が145、10日が61.十分に希望の席に座れました。ここって小ホールとは名ばかりですごく広い空間であることを再認識・・・。

作・演出 岩井秀人

東京芸術劇場の小ホールに対面形式の舞台が設えられて、とある家族の祖母の死の直前から葬儀に至る風景が描かれていきます。

彼女の最期の時間と葬儀の風景が、息子と母の2つの視点で繰り返して演じられるのですが、それがとんでもなく効果的で・・・。アクリル板に描かれた二つの絵が繊細に重なって平板だったものがたちまち立体感をもってやってくるような。

鉄拳制裁の父や、どこかあっけんからんとした母の個性の豊かさや、その育て方に確実に影響を受けた子供たちが祖母の前でのあけすけな想いを話し始めます。父との確執や兄弟それぞれの祖母への想い。泥を落としていない野菜の瑞々しさのようなものが、観客が身構える暇もなくどんどんと入ってきます。

意地を張りあったり、ためらったり押し付けたり・・・。地層のように積もった思いが露出していく中で、ひとりずつのナチュラルで不器用で、でもそれぞれに真摯さをもった個性に、見る側の心が共振していく。

その行き場のなさのようなものが、なんというか愛しむような実感とともに観る側に満ちてくるのです。

家族の喧騒のなかでの祖母の死の静寂なさりげなさにも心を打たれました。彼女の静かに消えていく生の透明感が、生きてのこる家族たちの姿を一層鮮やかに浮かび上がらせて・・。祖母の不自由な手を棺の内に収める葬儀屋さんのとまどいのおかしさが素の色を与えるように生々しい死の現実を呼び起こします。

教会に棺桶を家族で運ぶ場面。泣きつづける長男の想いに観る側もたまらないほど心を染められて・・・。生前の祖母とのちょっとした縁で入り込んできたキリスト教会の価値観に家族丸ごとはめられる時の滑稽さ・・・。朗々とした牧師の讃美歌と家族の戸惑いが積もってどうしようもなくはじける姿に抱えきれないほどのおかしさがこみあげてきて。でも、そのあとに深く逃げ場のないペーソスが不思議な突き抜け感とともにやってくるのです。

終演後しばらく呆然としておりました。気がついてみると、家族それぞれの想いが息が詰まる位にそばにあるような気がする。家族の匂いが息を呑むほどに生々しい。

二度見て、やってくるものが色褪せるどころか、さらに強く鮮やかになっていって。舞台の持つ力に凌駕されて、二回目など、終演後、気しばらく腫らした目で舞台を見つめたままでした。

役者のこと、父親を演じた猪俣俊明は恐いというより、過去にすごく恐かったという感じをうまく表現していました。通子を演じた菅原永二は、岩井が描く母の包容力を、岩井自らが演じるがごとくしたたかに演じきりました。役とのジェンダーの違いをうまく利用しての年齢の作り方から、その歳廻りの中年女性の雰囲気が生まれ、繊細な心情表現がその中に細かく内包されていくのです。その想いの表現が丸まったり固まったりせず、とてもデリケートに滲みだしてきて。母であることを守ろうとする心情が沸き立つように醸し出されて・・・。

長男役を演じた吉田亮には一徹な部分があって・・。その強い意志にまで至った達観二裏打ちされる意地の張り方が、棺桶を運ぶシーンでの涙としっかりとした表裏を作り上げていました。長女役の青山麻紀子のキャラクターの押し方も絶妙。自分の事情を「長女」の重さに置き換えながら独善の薫りにまで広げていくところに不自然さがまったくない。次男を演じた金子岳憲は前半部分の舞台の視点をしっかりと背負い切りました。彼の価値観を見えない仕付け糸のようにして、うまく物語が進んでいきます。長男との確執を端々に織り込んで、観る側の無意識領域に家族の雰囲気をインプットしていくような力があって。二女役の上田遥にも瑞々しい実存感がありました。姉との関係や、家のちょっとした居心地の悪さが、台詞やしぐさを超えて伝わってくるのです。小さな仕草に切れがあって、伝わってくるものに透明感が生まれて。母との絡みなどのシーンでその色が舞台の奥行きを作るのにしっかり貢献していたと思います。祖母役の永井若葉は本当に献身的かつ緻密な演技で舞台の礎の役回りを全うしました。家族を見続ける視線が途切れることのないトーンを舞台に醸し出して・・・。舞台からあふれだしそうになるような家族の想いを仕草や表情から醸し出される色でしっかりとキャラクターの内側に収めていたようにおもいます。娘婿役の平原テツの超然としたところには、家族との時間や血の濃さの違いがありました。彼の義父へのおおらかさのようなものが、逆に家族の歴史をしっかりと浮き彫りにしていきます。葬儀のシーンで最後まで父親のそばで立っていた彼のポジションも家族の雰囲気を観る者に伝えていく。次男の友人役の町田水城も娘婿と同じ様な役割を実直に果たしていました。外側に立って家族を浮き立たせるような存在感をしっかりと舞台においていたと思います。

牧師役の大塚秀記は、家族の外側にあって、なおかつ飛び道具的な要素すらある役回りなのですが、牧師としてのすごくナチュラルな描写で家族としっかりと対峙してみせました。家族の違和感がすごく自然に導き出されていく。ラストシーンなど、賛美歌が持つ独特の高揚感になじみ切れない家族をがっつりと引き出していました。葬儀屋の二人が舞台に作り出す葬儀が持つちょっとコメディぽい雰囲気も家族のテイストと抜群の相性があって。用松亮のちょっと摺れたような慇懃さには思わずうなずいてほど。坂口辰平が細かく演じる新人社員の仕事へのキャリアの浅さもうまいなぁと思う。そのお芝居がひっぱってくるものがとてもしっかりしているのです。プロ意識でカバーできないなにかが、死者を弔うということ生々しさをしっかりと観客に伝えていたように思います。

圧倒的なお芝居というのは、こういうのを言うのかも・・・。役者たちの演技ひとつずつにお芝居を呼吸させるだけの十分なクオリティがあって、うまく形容する言葉が見つからないのですが、ひたすら本当によいお芝居でありました。

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投稿: BlogPetのr-rabi(ららびー) | 2009/10/17 14:35

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