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北京蝶々「呪われたバブルの塔」個々に作る色、通して見せる力

2009年10月1日と5日、それぞれソワレにて北京蝶々「呪われたバブルの塔」を観ました。場所は下北沢OFFOFFシアター。

それぞれの完成度に加えて、両方をみる面白さもある作品となっていました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意くださいませ。)

*ビフォーサイド

舞台装置を含めて古い雑居ビルの雰囲気が細かく演じられていたのがまず勝因かと・・・

時代というか、不動産バブルの残滓や不況の時代の色までもが役者たちによって細かく舞台空間に織りあげられていて。

オーナー夫婦の醸し出す雰囲気が淡々とした中で深く観る者を浸潤していきます。不動産屋や入居者たちが織りなす舞台の質感が絶妙。

対面式の客席は舞台と客席の仕切りを取り払って同一の空気の中でビルにしがみつき追い込まれていく夫婦の心情をホラー仕立てで観る側に擦り込んでいきます。

時代のきしむ音や夫婦それぞれの想いや、常ならぬものの言葉のそれぞれにしっかりとした理があって真綿をしめるがごとく場の空気を追い詰めていく。

実態と乖離して生まれていくかりそめの価値と呪縛の力に息を呑みました。

終盤の切れがすごい。役者たちが描き出す、一歩踏み込んだ人間模様にはホラーのテイストを感じるに十分な、たっぷりのダシが効いていて・・・。

北京蝶々ならではの時代への俯瞰と一気に曝されるビルや人の過去、重なっていく物語の骨格のしたたかさに深く浸潤されたことでした。

*アフターサイド

ビフォーサイドとほぼ同じ舞台のつくり。ただ、その空気はかなりちがっていていました。

ビフォーで溢れていたビルに対する深い情念や怨念のようなものに変わって、もっとグローバルな視点とドライなテンションが舞台上に醸しだされていたように思います。

とはいうものの、人が虚飾の価値を膨らませていくというベースの部分はがっつりと貫かれていて。質感は違っても、ビフォー同様にビルに関わる(った)個々のキャラクターからはそれぞれが持つ視野の範囲や、範囲によって変わる思いの色がくっきりと伝わってきてきました。

風水師やビルの元オーナーなど、時間軸やグローバルな動きを見定めるキャラクターが観客の視点を見晴らしの利くところになにげに導くあたりも作劇のしたたかなところ。

バブルのころに建てられたビルのクロニクルと重なるように、この国の近過去から、静かに強く揺らぎつづける今までがぞくっとするような肌合いで浮かび上がってきます。

それらを具現化する役者達には、物語の肌触りを繊細に編み上げきるに十分な力があって。ビルを巡っての後ろ暗さたっぷりな組織同士の擦れ合う切迫感だけではなく、組織ですら抗うことのかなわぬ大きな時代の揺らぎや振幅が重低音のように伝わってきて。そのなかを泳ぎ、溺れ、浮き沈む人々の姿に息を呑む。

また、アフターサイドだけでも伝わってくるものはたくさんあるのですが、通しでみることによっての更なる膨らみも間違いなく存在していました(先にアフターサイドを観ていると感じ方は少し違ったかもしれないけれど)。なんというか1+1=3になるような仕掛けがいくつも折り込まれ、きっちりと機能していたように思います。

昔々、私が某大学の経済学部の学生だったころ、ミクロ経済学とマクロ経済学という考え方を教えてもらったのですが、今回2作品を通して見ると、ビフォーがミクロ、アフターがマクロという感じもして。ビルという媒体を通じて、個人の心情から時代をとらえたビフォー、グローバルな構造から時代を見据えたアフターみたいな・・・。こういうマルチな視点を持ち具現化していく作・演出:大塩哲史の慧眼、今更ながらに凄いと思うのです。

役者のこと、ビフォーサイドの鈴木麻美には「女性」を演じきるような力がありました。ナチュラルな表層を保ちながら繊細に心情の揺れや高まりを伝える力量があって。加えて何かをすっと踏み越えるような刹那の心情も力みのないお芝居からしっかりと伝わってきます。その演技の秀逸さがアフターの短いお芝居にも強烈な印象を作り出していました。前回公演と比較しても、また一段と腕を上げたと思わせるものが確実にあって。単に観客に想いを伝えるだけではなく、観客をキャラクターの想いに同化させるような力がついてきたように思います。岩淵敏司のどこか甘えた部分を持ったビルオーナーにもたっぷりとした実存感かありました。抱えるものが物語の軸になっていくのですが、その露出の仕方がやわらかく深くしたたかで・・。その質感が観る側にすごく残るのです。アフターサイドの凜とした突き抜け方には、物語を最後まで押し切る説得力が生まれるパワーがあって、ビフォーの芝居からの艱難辛苦の時間をしっかり表現していました。

ホステスを演じた帯金ゆかりは丁寧な演技でキャラクターに地に足がついた実存感を与えていました。また場の雰囲気にある種の閉塞感を与えたり、どこか投げやりな感じを作り出したりという舞台全体の染め方が相変わらずうまい。それどころかその場の色を作る力に一層の磨きがかかった感じ。しかもそこに表層の色付けだけではなく、根をつくるような強さがあるのです。ビフォーの雰囲気に時間の経過が絶妙に加わったアフターのお芝居に、この人の天性の力を感じました。

森田祐吏の不動産屋は両バージョンでしたたかに物語を回していました。仲介という商売の特質からくる、時代を超えた普遍性のようなものをぶれずにしっかりと演じきって。流れるような滑らかな演技は一つのキャラクターにとどまらず舞台としての切れを作っていました。弁護士役の石井由多加には後ろ暗さのなかに繊細さがそこはかとなく織り込まれていました。単純に露骨な悪を演じるのではなく表皮から透けて見えるような悔いの色の度合いがすごくよいのです。きちんとキャラクターの背景が見える演技でありました。

ビフォーサイドのみの出演だった蕎麦屋役の志村剛からは実直なテンションが醸し出されていました。生活が圧迫されている様子が実感を持って伝わってくる。物語の周辺をきちんと固めるお芝居に好感が持てました。周辺を固めるという意味では警備員を演じた猿田モンキーも同様、おふだを持ってくるときのいつわりの脅えが伏線として強く効いてくる。ホラーのまがまがしさを作るには、こういう自然さへのデフォルメを持ったお芝居ができる役者が大事なのだろうなと思ったり。

オーナーの父を演じた鈴木歩己の亡霊役は、存在に説得力があって物語の結末をがっつりと支えていました。舞台のペースを微妙にずらして現と亡者の世界の時間差のようなものを作り出していく。亡霊の不気味さがビルをめぐるババ抜きの不毛さにすり替わるところがすごくしたたか。

フジタのくっきりとしたお芝居には観客にダイレクトにやってくるようなキャラクターの色がありました。不思議な存在感があってしなやかにキャラクターが夢見るもののあいまいさが伝わってくる。しかもどこか根なし草のような部分を伝えつつ、観る側にあざとさを感じさせないまっすぐな輝きを作れるのです。自然に観せておいて、あとから振りかえると力強い魅力が観る者に刷り込まれているような。けっこうユーティリティが広い役者さんになりそうな予感がしたことでした。

アフターのみ出演の役者たちも猛者ぞろい。小林タクシーが作る雰囲気がとにかく絶妙。飛び道具的な側面もあるキャラクターなのですが、物語にがっつりとかみ合っていて浮かないのです。それどころか観客に物語を俯瞰させるまでの演技のふくらみがあって、飛ばされたものが投げっぱなしにならず、ちゃんと残ってとて舞台の奥行きを大きくしていくのです。お芝居の色を自らだけに染めないような抑制がきちんと効いていて、内側に刺さるというよりは包み込むような質感を持った演技は、他の役者たちの強いお芝居を支えるしっかりとした柱にもなっていました。

細野今日子のお芝居には鋼の糸のような強さがありました。観た回にはちょっと気負いがあるようにも思えて台詞が一瞬乱れたりもしましたが、キャラクターが背負うものの重さに加えて、細かく編み込まれた彼女の内心の揺れが弾力を持って伝わってきました。赤を使った衣装をまとって不動産関係のキャリアウーマンを演じられるというのは(しかもすごく似合っていた)実は結構難しいと思うのですよ。それがケバくならずに知的な強さと美しさになってキャラクターの持つ能力をしっかりと後押しするのは、彼女が演じ上げる人物への細緻な表現の賜物だとおもうのです。

細野の部下を演じた白井妙美は普通の感覚を舞台上にしっかりと提示していました。ある意味基準線となるキャラクターなのですが、単純に普通を貫くのではなく、状況に応じて正攻法で舞台に密度を築いていくのです。表層のお芝居は他のキャラクターの色を支えるような感じ、でも観る側の深層にある価値観と共鳴するようなものがその裏側にしっかりと走っていて、観客の眼前にある世界から違和感をすっとそぎ落としていく。彼女の演技がスムースなだけでなくきちっと印象に残るのは、演じる者の普通さを足腰を使ってぐっと支えるような芝居力があるからだと思うのです。

岡安慶子はぱっとみたところ怪演なのですが、ビフォーと合わせてみるとすごくしたたかにフジタが作り上げた役を受け止めていることがわかります。ふたりで二つの作品のジャンクションをしっかりと努めてみせました。4年の時差で削ぎ取られたものと残る物が彼女たちからしっかりと見えるのです。何かを手放したような不思議な自由さを醸しながらその一方で芯に残る燃え尽きない想いのくすぶりが痛いほどに伝わってくる。それほど長い出番ではないのですが、何層もの想いをシームレスに演じ込んでいく、そのインパクトに目を見開きました。

金融業者を演じた田渕彰展の慇懃さの層の薄さは場の雰囲気にビシっとニュアンスを与えて。単純なヒールではなく中国資本と同じ匂いを作り出して物語の枠を固めてみせました。暴力団構成員を演じた図師光博はその業界の人間が内側に持つロジックを切れのある動きから滲ませて見せました。ふたりのお芝居には中国資本のやり方の対極の姿だけでなく共通する匂いを醸し出していて好演だったと思います。

それほど長い上演時間ではないのですが(それぞれ70分)、いろんなものが観終わってから鋭さをもって膨らんでくるのです。前回の「愛のルーシー」の時やそれ以前の公演を観た時にもそうだったのですが、自分の立っている場所の足もとの危うさにすっと心を縛られる。

進化した劇団役者に加えて充実の客演陣、やっぱりすごい。そのパワーが作り出した観る側の満腹感に加えて、ちょっと他の劇団にはない類の吸引力も再確認させられた今回の公演でありました。

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