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Dull-Colored Pop 「プルーフ/証明」才能が裏打ちする演劇表現

2009年10月7日ソワレにてDull-colored Pop「プルーフ/証明」を観ました。会場はサンモールスタジオ。

(ここからネタばれがあります)

翻訳・演出:谷賢一。

戯曲については谷氏の同翻訳でのコロブチカ版(黒澤世莉演出)を観ています。その時には、一つの貫くような質感で舞台が満たされ、個々の個性が同じ空気から深く滲みだしてくるような印象がありました。一方今回谷氏自身の演出では個々の人物間に異なるトーンや質感があって。3人が同時に舞台にあれば、3つのトーンがそこにあるのです。それらの輝度が物語の進行に伴って、次第に高まっていく感じ。ひとつに混じり合うのではなく、互いを照らすようにして舞台の密度を高めていきます。

客入り時からすでに、板についているというか、自分の家で落ち着かなく過ごす主人公キャサリンの空気に取り込まれます。机と椅子だけのシンプルな舞台に彼女の時間が鮮やかに浮かび上がってくる。

ぞくっとするような切れで物語に入り、明かされていくキャサリンの父親への愛憎。シーンが進み行き交う時間の中で見えてくる数学者のハルとの距離や歩み寄る中での互いの葛藤。姉のクレアとの確執。その重なりの中でキャサリンを中心に登場人物ひとりずつが実存感をもって伝わってきます。それらは繊細かつ丁寧なだけではなく、時には鮮やかに、あるいは恣意的なベクトルをもって、沈むように、突き刺さるように、弾けるように、包み込むように描かれていくのです。

役者が良いのですよ。たとえば、キャサリンや父親が持っている才能に対する自身の感覚と外側からの見え方の差異など、とてもしなやかに観る側へ伝わってきます。かつて女性が発見したという素数の定理に関する説明をさらっと行なうときのキャサリンのさりげなさに目を奪われて。そこから自らの才能をもてあます彼女の姿や才能をもたない者のとまどいがよりヴィヴィドに観る側にやってきます。役者が顕す刹那の感情たちの明確さが、物語を膨らませる確かな力になっていくのです。

二日酔いのクレアから溢れる人間臭さが彼女のまっとうな価値観やキャサリンの想いの重ならない部分を顕わにしたり、ハルが初めてキャサリンと出会うシーンでの緊張感が再び出会う彼らの距離を作り出したり・・・。

さらに観るものを取り込んでいく震えがくるほどの創意に溢れた表現手法達に目を瞠ります。

インナーイヤーのヘッドフォンを外す姿と音のリンク、

役者達の舞台への入り方やはけ方、(観客は母屋から外におかれたテーブルを観ているような設定になっている)

キャサリンとハルのキスシーンでの音楽とライティングの美しさ、

紅茶を注ぐ音が醸し出す時間、

ラストシーンで言葉を内包した闇が照らし出すその先の広がり・・・、

&More。

シーンの一瞬に込められたものから、骨格のように作り上げられたものまで。役者達の芝居の秀逸さが、それらの表現に切れ味のあるニュアンスと力を与えていきます。個々の役者が積み上げた感情には、手練を生かすだけの奥行きがあるのです。

べたな言い方ですが、見応えのたっぷりあるお芝居でした。

あと、うまく言えないのですが、黒澤演出と谷演出、両方観たことから同じ戯曲という土俵の上での優劣を感じるのではなく、それぞれの演出の良さがやってきたことで、とても豊かな気持ちになれて。

何かが生かされれば何かが隠れる。優れた戯曲と演出の関係にはそんな部分があるような気もして。同じ素材からやってくる異なるテイストのすばらしさに、べたな表現ですが、演劇っておもしろいとわくわく思ったことでした。

役者のこと、キャサリンを演じた清水那保には透明感をもったナチュラルさがありました。ちょっと不器用ではあるけれどその世代の普通の女性としての感覚がベースに織り込まれていて、それゆえ彼女の自らの才能への戸惑いが自然なトーンで浮かび上がってくる。キャラクターに設定されたいくつかのアスペクトが彼女の中でうまく重なり合って乖離せずに観る者に伝わってくるのです。通常のしなやかさや深さに加えて、包括された主人公のキャラクターを観客の無意識領域にまで伝えきるような浸透力、それは彼女ならではのもの・・・。清水でなければ顕わすことがかなわない秀逸なキャサリンがあることを実感しました。

父を演じた中田顕史郎には数学者としての姿がしっかりと織り込まれていました。その雰囲気が、彼の病のリアリティを見事に浮き彫りにしていきます。まるで内側を虫に食い荒らされたリンゴのような存在が、キャサリンからやってくる愛憎のしっかりとした裏付けになっていきます。キャサリンが再びの狂気を見つけるときの中田の演技には、キャラクターをして観客を凌駕させるだけの完成度がありました。物語の幹としての根をしっかりと作り上げるお芝居だったと思います。

姉のクレアを演じた木下祐子は、キャサリンのトーンをしっかりと生かしながら、キャラクターが内包するキャリアを持つ女性としての感性を実直に表現して見せました。彼女の価値観には常識的な裏付けがあって、それゆえキャサリンをニューヨークへ連れて行こうとする姿も、その場所に執着するキャサリンとの確執も、なんというかとてもナチュラルなのです。彼女のお芝居が、キャサリンの心に澱むいくつもの本音にくっきりとした力を与えていたように思います。

ハルを演じた小栗剛は、キャラクターの若さというか彼自身の揺らぐ部分を巧みに表現していました。普通に女性が定理を生みだすことへの偏見を持っていたり、プライドと自らの才能の狭間での苦悩する姿が、物語のエンジンとしてがっつりと機能していく。一方でコアの部分にある純粋さを観る側にしっかりと伝えていて、それがラストシーンの切れをしっかり支えていました。

知っている物語なのに、惹き込まれて、目を見開き、浸潤されボリューム感を持った面白さに満たされて。コマの関係でもう一度この作品を観るのが難しいことが凄く残念。

心地よい高揚感を持って、劇場を後にしたことでした。

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