MU「神様はいない」味の濃い不気味さ
すこし前になりますが、先日のMUの公演、「神様はいない」の感想です。
もう一本の「片思い撲滅倶楽部」とは全く異なった、ハードテイストな作品でありました。
(ここからネタばれがあります。十分にご留意くださいませ)
とあるお蕎麦屋さんのお話。
どうやらあまりはやっていないらしい。そこには実直に蕎麦屋を営む長男とちょっとチンピラっぽい次男、さらにバイトがいて、次男が・・・。それと小説家の長女がいる。
長女が自らの想いをぶちまけた小説は難航している様子。しかし幼馴染の編集者が書かせた万人受けをするような作品は屈辱的に思えて・・・。彼女が書きたいと思う何か、それは編集者ですらコントロールできないような衝動を伴っていて・・・。
そのうちに、長男と次男は新興宗教にはまっていきます。流行らないお蕎麦屋さんの兄弟が現世利益にはまっていく姿と、神を内心に宿らせた妹との似て非なる心の移ろいが丁寧に描かれていきます。
兄弟が宗教に取り込まれていく姿には粟立つような不気味さがあって・・・。自由を標榜し、蜜の味でたらしこんで信者を蟻地獄に惹きこんでいく姿からは、独善のなす恐ろしさがたっぷりと溢れだして、微笑みとともに宗教の振りかざす正義に底知れぬ恐ろしさを感じて。
その一方で、長女の内心に潜む神とのさらなる葛藤とそれゆえの破壊への衝動も浮き彫りにされていく。次男が日本に連れてきたという留学生の存在が、したたかに長女の想いを照らしていきます。
新興宗教が他の宗教の排他を正として暴走を始めるとき、小さなカタストロフが起こって・・・。
内心に広がる世界と現実の切り分けというか、現実の教条が内心の色に介入することへの不気味さや恐ろしさが、ラストシーンの雨の音とともにじわっと伝わって。
作・演出:ハセガワアユムの慧眼に改めて息を呑んだ事でした。
役者のこと。長谷川恵一郎は、宗教の持つ表面を着実に表現していました。柔和のなかに内に秘めた企みのようなものがしっかりと滲みでていたと思います。商店会の会長役を演じた杉本隆幸には、宗教に盲信する人間のぞっとするような素直さがあって。その宗教の色をうまく作り上げていました。
お蕎麦屋さんの長男役を演じた小林至の葛藤には力がありました。きちんと醒めた感じを残しながら、店の存続のために宗教に足を踏み入れる姿に、新興宗教のもつ相手の弱さを突くずるさを感じさせて。次男の芦原健介のスムーズさが醸し出す軽いノリが小林のお芝居とよい対象を見せて。蕎麦屋さんの家族という枠をうまく感じさせるお芝居で舞台の枠を構築していました。バイト役の寺部智英もニュートラルの危うさをそこはかとなくにじませる好演でした。外国人留学生役のカトウシンスケは、表層的な雰囲気のなかに、思索的な色をしなやかに織り交ぜていました。長女の小説へのシンパシーの表現で長女が内心に抱くものを代弁するような役回りをしっかりと演じきって。
編集者役の橋本恵一郎は、無味になりかねない編集者の役柄をしっかりと作り上げて物語のトーンを維持してみせました。この人が舞台に立っていると、物語に立体感が生まれ実感として感じられます。よしんばパンツをかぶった演技であってもも、人間的な息づかいが舞台に与えられるのです。彼の存在で舞台全体に安定感が生まれていたと思います。
長女を演じた足利彩のお芝居には強いインパクトがありました。抱える物の重さとどこか空洞のような心の隙間がうまく表現されていたと思います。ちょっとさばさばした感じが彼女が抱えた苦悩を一層引き立たせて。なにか底知れない闇を突発的に吹き抜ける風の音が彼女のお芝居から聞こえてくるような感じ・・・。小説を描く者の内心と受け入れられる表現との折り合いの部分もナチュラルな感じで表層に対する中庸さやその揺らぎも伝わってくるだけに、その内側にある色から目が離せない。それは神の不在に入り込んでくるだけでなく、神が存在する者の内心への干渉を図る新興宗教の狂気を一層浮き立たせていくのです。
終わって、ふっと息をついて、それでもどこかまとわりつくような感覚が消えることはありませんでした。
なんというか、今を描いた作品ですから、やってくる感覚の強さもひとしおなのですよ。ちょっと的外れなのかもしれませんが、癌細胞のように入り込んでくる新興宗教の恐怖と「キャバレー」などが描いたファシズムの台頭が結びついたりもして・・・。
舞台が「今」を違和感なくスケッチしているだけに、ほんと、やわらかく締め付けられるようにいろいろと考えてしまいました。
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