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コマツ企画「新釈ヴェニスの呆人」自画像を称するリアリズム

少し遅くなりましたが、2009年8月28日ソワレと30日マチネにてコマツ企画「ヴェニスの呆人」を観ました。場所はこまばアゴラ劇場。

ベンチシートの会場は両日とも満席です。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出 こまつみちる

劇場に入ると舞台はすでに淡いピンクのライトに照らされていて。少しずつ傾いだ舞台や前方のネット。

客電が落ちると、「動乱」を思いだすような始まり。舞台の闇のなかにごそごそと混乱が。そのシーンが実に秀逸なものであることに気付くのはずっと後なのですが、とりあえずは作り手のペースに乗せられてしまいます。

刑事がやってくる冒頭のシーンから、物語をコントロールする主人公の高慢さというか傍若無人さがしたたかに表現されていきます。現実を無理やり自らの世界に引き込んでいこうとするなかでの混乱。乱れる想いが落ちつき心が整理される中で、物語がきしみながら少しずつ動き始めます。

その舞台の進行はちょっとシュールリアリズムを彷彿とさせるやり方で・・・。作り手の脳裏に次々と浮かんでいくイメージに、現実と乖離した主人公の感覚がそのままの形状で観客にやってくる。

平凡な存在があるだけの父、代理型ミュンヒハウゼンシンドロームの典型でもある母、その被害を背負う愚鈍な兄と醒めた目を持ったその時間の自分。物語は台本をもった今の主人公によって監修・演出されながら進んでいきます。

家族の姿には露骨と思えるほどの示唆が含まれて。

繰り返し語られる物語のなかで・・・。記憶は容易に改竄されていく・・・。正気になった兄、恋人の想いを重ねた男は自らが愛情を得るために命を奪ったという4歳年下の弟・・・。

医師や看護婦の存在、彼女をいやす存在にも思えるふたり。なんでも言うことをきく看護士は言われるままに兄や父と交わり、その夫でもある医師は休む間もなく疲弊し、クラシックミュージックに身をゆだねるように現実からの逃避を重ねます。看護婦はそんな夫の前で食事を続ける。そのパンを食べる仕草に、与えるだけの母性ようなもののたくましい生々しさが印象的に伝わってきて、どきどきしてしまう。

一夫で医師は、発作的な逃避意志の代替でもあるかのことく、母に対して病院を燃やしてしまうように教唆します。母も、そして娘も病院に油をまき始める・・・。

自らも火傷を負った娘に、母は自らの血が枯れるまで輸血をしたというのです。看護婦は自らの臓器をすべて移植してくれたという・・・。外部の人の視線が入り込んで、刑事が真実に目を向け始めて。物語の「実」が、歪められてその場を支配する虚を追い詰めるとき、明確な記憶すら仮面をつけられて不特定になり具体的な顔を失っていく。

大部分の時間、舞台前面にネットが張られていることで、観客の視座は舞台上の世界からひとつ外側におかれます。安全地帯にある観客の視線に客観性が生まれ、舞台に満ちる演劇性ヒロイン症候群を包括して眺めることができるようになる・・。

冒頭の舞台裏の混乱が、外面と内面の切り分けとしてボディーブローのように作品全体の地色の役を果たして。

そして、唐突にネットが外れます。その時は「ヴェニスの商人」のシャイロックが、「血を流さずして切ることができない肉」に行き場を失ったした瞬間にも思えます。でも、同時に主人公の業が自らの居場所を与えてくれる新しい聴き手を求めて観客に向かって再び想いを開く刹那にも思えて、思わず息を呑むのです。

作・演出に加えて出演のこまつみちるは、物語を紡ぐだけでなく、自らが舞台の上で物語をあたかも自らのものであるがごとく背負い体を張りました。演じる中で物語に虚を色付けていく姿までを晒して、虚実をすり替えて実の匂いを物語に差し込んでいく。それが舞台にコマツ企画ならではのテイストを与えていきます。

役者たちにはこまつみちるの色に染まりながら埋もれないだけの力があって・・・。

こまつの分身を演じた中川鳶のお芝からは醒めた大人の部分と何かを求める年相応の脆さがうまく醸し出されて。凛とした「脆さ」というような形容矛盾が彼女のお芝居にはきちんと同居しているのです。こまつみちるの描く世界を、足腰のふらつきなく受け止めていたと思います。母を演じた異儀田夏葉は観客までも引きずる程の自我を舞台に現出させていました。この強さがあるから、彼女はMCRやあひるなんちゃらの舞台にも映えるのだと納得したり。兄役の森田祐吏は抑制を効かせながら色を失わないお芝居。ごつっとした存在感がありながらきちんと中間色を出せるしたたかさが彼のお芝居にはあって。彼氏役の寺島功穀はさらに色を減じたお芝居でしたが、中川のお芝居をしっかりと際立たせる抑制が舞台を支えていました。単に弱い演技では支えられない役柄を実直に演じていたと思います。

父を演じた本井博之は包み込むような負を伝えていました。難しい役柄だと思うのですよ。押し出すのではなく引き入れるように演じてもらわないと、観客側にはわからないであろうニュアンスがキャラクターにはあって。彼だから演じえたように思います。

医師を演じた川島潤哉はキャラクターの内面を露出させる才をしっかりと発揮。まっすぐに伝わるというのではなく、次第に滲み出てくるようなものが強く観る側に積もっていく感じ。外部の人を演じた米田弥央は舞台の傾ぎを伝える基準線のような役廻りを冷静に演じてみせました。周りの強烈なキャラクターにも埋もれない普通さが彼女にはあって。その強さも印象に残りました。

看護婦を演じた近藤美月のお芝居にはひたすら瞠目。立ち居振る舞いの美しさのなかに、底知れないカオスの色が織り込まれていて。まわりの色にやすやすと染まるようでいて、気がつけば彼女の色が勝っている不思議さ・・・。夫の前でパンを食べるときのしなやかな空気の作り方には息を呑みました。すっと流れるようなシーンなのですが、私の中で刹那に広がったものが抜けていかないのです。

刑事役の浦井大輔は、観客を巻き込むような軽さで舞台に導いてみせました。口当たりの良いお芝居なのですが、切っ先の鋭さがその中に隠れている・・・。多層的なキャラクターを演じ上げ、こまつみちるの醸し出す世界を受け止めていく柔軟性に彼の非凡な才能を感じた事でした。

劇団主宰として、こまつみちるの役者を見極める眼力の非凡さをあらためて痛感するキャスティング、この才能がこまつみちるが具現化する世界のパワーをさらに大きく広げていたような・・・。

終演時には呆然とする時間があって、重たいものが残るのも事実。でも、それがどろどろせずにクリアな感覚で残るのも、役者の力が大きいかもしれません。

なにか、こまつワールドって常習性があるのですよ。今から次回公演が楽しみだったりして。総合力に惹かれている気もするのですが、それだけじゃないアイテムごとの魅力がけっこうてんこ盛りで・・。

次回もきっと観に行くと思います。

そうそう、余談ですが、ちなみに28日のアフタートークは本編のちょっとしたスピンアウトにも思えて。その前フリてきな終演後の浦井MCもすごく面白かったです。

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コメント

会場ってなに?

投稿: BlogPetのr-rabi(ららびー) | 2009/09/05 14:13

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