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「3人いる!」の不思議な実存感

少し前になりますが、2009年8月7日ソワレにて、千駄ヶ谷リトルモア地下で上演された「3人いる!」を観てきました。

7月31日から8月12日までの連続公演(8月6日だけがお休みだったようです)。しかし、多田淳之介の同じ戯曲にもかかわらず、飴屋法水の演出も出演者も毎日違うという・・・・。

当日は時たま強い雨がやってくる日和見の落ち着かないお天気で、開場を待つ間も時々雨に見舞われて・・・。その中を傘を飛び出てまで観客の荷物を預かったり整列を誘導するスタッフのがんばりに頭が下がったり。

そして入場すると、けっこうぎゅうぎゅう詰めの場内。でも、芝居が始まると、ちょっと憂鬱な気分など、舞台からやってくる色や雰囲気にあっという間に消え去ってしまいました。

(ここからネタばれがあります。ご留意くださいませ)

不思議な物語です。

部屋の中に寛ぐ一人の女性、間に合わない締切に落ち着かない中で、ちょっとした現実逃避・・・。その時突然、同じ部屋の住人がやってくる・・・。共通した記憶と独立した存在。そこに彼女の友人や元彼が現れて、それぞれが同じように複数の人格として表現されていく・・・。

3人の役者たちがめまぐるしく人格を移動させていく中、そのあいまいさと現実の中に浮かび上がってくる自らの多面性の感覚に、観ているものまでが受動的に巻き込まれていく感じ。

その部屋に映る大きすぎる美しい月がしっかりと効いていて・・・。一見理不尽に思える舞台が次第に心にフィットしていくのです。

自らと面識がないものが自分に共存している感覚。登場人物の内なる葛藤が、次第に普遍的な色に落ち着いていく一方で、内に秘めた心の揺らぎが実存感をもって感じられて・・・。舞台から導かれる、誰にでもあるかもしれない自らへの違和感が凄く生々しい。

バンバイアじゃないけれど月の光はひとの内なる姿を暴き出してしまうものなのかも・・・。

脚本のもつ普遍性を舞台美術や演出ががっつりと具現化して。個人的には、自らのうちなるあやふやさへの苛立ちがひとひらの孤独に収束していくような感覚に捉われて。

終演の拍手をし終わった後しばらく呆然としてしまいました。自分の内に満ちた感覚がなかなか抜けていかないのです。見えるはずのない、自分のまうしろにできた影が、すっと姿を現したような・・・。

役者が日替わりに変わっていく意図もわかるような気がしました。戯曲に織り込まれた普遍性は演じる者やシチュエーションで色を変えていくフレキシビリティを内包していて、この出演者の変化や伝え聞いた他の日の演出のバリエーションは、演出家の誠実な戯曲の具現化であったかと・・・。

私が観た日の出演者:國武綾・佐野友香・柴田貴輝

他の日を観ることができなかったのが凄く残念に思えました。まあ、1バージョンを観ただけでも、十分に圧倒された作品ではありましたが・・・。

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