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青☆組 「花とアスファルト」流れる時間と留まる空気の描写力

2009年8月3日、青年団リンク 青☆組 vol.10 「花とアスファルト」を観ました。場所はアトリエ春風舎。

青☆組は前々回の15MINUTES MADEで作品を拝見してすごく惹かれた劇団のひとつで、今回の公演を楽しみにしておりました。

(ここからネタバレがあります。公演期間中でもあり十分にご留意ください)

冒頭のシーン、雨の夜、年嵩の女性に一通の手紙が届くところから物語が始まります。

そして、団地の集会場。自治会活動の場面から、その女性が住んでいる場所の雰囲気が観客に伝わり始めます。古くからの住人たちに混じって新しく越してきたという冒頭の年嵩の女性も加わっていて。そこにクマさんがやってくる。団地の住民が減り続けている中、住民の審査基準が緩和され、クマさんもそこに住めるようになったという。「クマ」のイメージとは裏腹に礼儀正しくその場になじもうとするクマさん。クマさんに対して、住人たちにもいろんな距離感が生まれて。すっと受け入れる人もいるなか、受け入れへの抵抗の強い人もいて。クマさんという異文化を取り込んでいく団地の雰囲気と、変わらずに過ぎていく団地の時間や人々の姿がやわらかく織り上げられていきます。住民どうしの関係。団地全体の環境、そこにある生活。

作・演出の吉田小夏はしたたかなデフォルメで団地の空気を作り上げていきます。ステレオタイプな団地のイメージではなく、ユニークな視点からのしなやかな風景描写のなかで舞台に団地の雰囲気を醸成してくのです。その中にクマさんまでが織り込まれていく感じ。

母子の関係を表すシーンがすごく秀逸。3人の母がそれぞれに子供に対して語りかけるのですが、雰囲気はそれぞれに違い、食べるものや言葉遣いに親の個性がしっかりとある一方で、トーンは違っても共通する行動に団地の暮らしのなかで暮すという空気がしっかりと満ちていきます。きゅうりやトマト、とうもろこしを食べる姿から生活の実存感が溢れだし、一方でどこかに行こうと誘いかける母親の発想が同じことから、団地という場所に醸成された住人たち共通の価値観がすっと舞台を満たすのです。母親たちそれぞれが発想するちょっと箍をはずしたようなおもいつきが、じつは団地のなかではありふれたものだったりする。その内側にある日々の暮らしの地下を貫く凡庸な閉塞感がじわっと伝わってくる。

団地の「あいさつ」の歌のエピソードもうまいと思いました。敬老会や子供のクリスマス会と同じ歌でやりすごすマンネリ感、でもそのコーラスは会を重ねるごとに進化していて、技法が次々にかさねられていく。歌の終りの部分についていけない人がでるという欠点もそのままだったりするところもこっけいで、洗練されていく部分がまだらなところにも団地に流おおらかな変化の速度が感じられて。台所の窓からの月の見え方のエピソードにも、ほとんど変わらない日々の積み重ねのボリューム感が浮かんでくるのです。

プライバシーがどこか崩れた住民同士の関係。暗黙の関係が存在したり、妻に逃げられた男に娘が突然帰ってきて、それでもバランス感が生まれていく姿に、団地という世界が持つ別の側面もすっと浮かびあがってきたり。

住人がクマさんに教えたはっか飴の効用が、ふたたびその住人に戻ってくる仕掛けに、ちょっとにんまりするような文化の広がりの姿を感じたり。

その中で、団地の新参者の年嵩女性とクマさんの交流がすごくヴィヴィドに感じられます。礼儀正しく缶切りを借りにきたクマさんの心根をすっと受け入れる女性の姿に彼女がコアに持つ感性の柔らかさというか団地の色とは異なる透明感が感じられて。次第に団地の自治会に溶け込んでいく年嵩の女性が一方で抱えているいきどころのなさ。それがすっと解き放たれたような感触が舞台に生まれる。

でも、クマさんの登場で団地に起こった揺らぎのようなものが、次第に団地の日常に取り込まれていくなかで、クマさんは自らの国に帰ることを選択するのです。ドラスティックに変わることのない空気と「潮時」という言葉に込められた感覚、そしてクマさんのように帰る場所のない年嵩の女性のとどまる想いがすっと伝わってきて・・・。

役者のこと、年嵩の女性を演じた羽場睦子の演技は圧倒的で、静かなお芝居の中にすっと観客を浸潤するような力がありました。部屋の中でスケッチブックに向かう彼女の心情に観る者も心が塞ぐような思いになり、靴を脱いで触れた草の感覚の表現に、忘れていた感覚を取り戻したような気持になるのです。荒井志郎は舞台の空気をうまくかき混ぜながらクマを演じていました。凜とした演技のどこかにしたたかに当惑の感情を忍び込ませて舞台の質感を巧みにコントロールしていたように思います。団地の主婦たちを演じた、中谷真由美、小松留美、小林亮子にはそれぞれに没個性にならない演技のうまさがありました。なんというのだろう、同質の香りを失わない中でひとりずつの性格に実存感がしっかりあるのです。実存感があるといえば藤川修二のお芝居も、デフォルメを感じさせずにしっかりと団地の空気に色をつけていました。また、福寿奈央が演じるキャラクターのどこかあいまいな立場にも微妙な説得力があって・・・。長野海が演じた子供も秀逸。もうひと役の美月にも共通するのですが、いろんな空気に染まらないような大らかさがすごくうまく表現できていて・・・。林竜三はキャラクターの神経の繊細さを巧みに演じきっていたと思います。クマさんとのかかわりの中に彼の個性がうまく生きて舞台を広げていました。

冒頭のシーンに時間は戻って、団地の人々にしてもクマさんにしても、日々の暮らしのなかに記憶が風化していくさまがほろりと悲しくて。

吉田小夏が仕掛けたデフォルメの魔術が醸し出す世界のリアリティに、どっぷりと浸り込んでしまいました。

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コメント

きのうr-rabi(ららびー)が、共通した。

投稿: BlogPetのr-rabi(ららびー) | 2009/08/08 14:02

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