世界名作小劇場「ー初恋」、コメディだけではないなにか
2009年7月15日、シアター711にて世界名作小劇場「初恋」を観てきました。
ちらっと噂には聞いていたのですが、それでもこの劇場の後部席のシートにはびっくり。元映画館ということで、通常の劇場ではありえないふかふかさ・・。これ、長時間観劇には絶対良いかも。ただ、眠らないだけのクオリティが舞台にあることが条件ではありますが・・・。
で、今回のお芝居、眠らないどころか、充分に観客を覚醒させる力に溢れていました。
(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください。公演中のお芝居ですので、これからご覧になる方は格別のご配慮をお願いいたします)
作:土田英生 演出:黒澤世莉
舞台はとあるアパート。4人の男性が暮らしています。4人ともゲイ、けれどそれぞれに求めるものが違っていて。男性しか愛せないことは共通しているようなのですが、女性化への憧れの度合いが異なっていて・・・。自らの願望を開放してアパートを出て行った男性も時々やってきます。どうもその地域からはあまり良く思われていないらしい。
4人の男性が一目置いている女性がひとり。父親からそのアパートを譲り受けてそのまま管理人になっています。牛乳や水などを届けにくるヤクルトのお姉さんのような女性が出入りしていて・・・。
そして、男性の一人が女性に恋をしてしまうのです。
男性が女性を好きになったことをカムアウトするくだりから、その相手がわかるくだり。相手のヤクルトお姉さんがそのアパートに入り浸る理由が顕わになって、さらには男性と女性の不思議な恋の行方が描かれて・・・。
さらには、近隣からの迫害が激しくなり、カムアウトした男性だけでなく全員がアパートを出て行く中、もうひとつの恋が明らかにされて・・・。
黒澤演出は、ゲイというひとくくりに認識されがちな男性たちの個性や内心を、実に丁寧にさばき分けていきます。
男優達のお芝居に十分な深さがあって、一人ずつが授かったものやそれぞれの関係が、台詞や言葉の言い回しやコンテンツだけでなくもっと深い部分の共鳴や拒絶としてきちんと伝わってくる。
表層的な滑稽さだけではなく(たとえば男性がおねえ言葉を使ったり女装をすることにたいする違和感から発するような笑い)、もっと深いところにある感覚の温度差や人の気持ちの不器用さからくる滲み出るようなおかしさが醸しだされていくのです。
そこに食い込むような二人の女優の出来も抜群で・・・。
男性たちの個性に埋もれることなく、女性としてのしなやかな色でキャラクターの核に仕舞われていたピュアな思いを瑞々しく表現されて。
女性を愛した男性と、男性に初めて(?)愛された女性が二人だけで夕暮れから夜までを過ごすシーンがすごく良いのですよ。ほとんど会話もなく、時間が経過していくなかで、ぎこちなくはぐくまれていくものの表現がすごく秀逸。また、終幕近くの愛の告白シーンからがっつりとやってくるものがあって。その清廉で生々しい想いと、それを受け入れない高潔ながんこさのすれ違いには、観客が息を呑むような力がありました。
役者のこと、窪田道聡はキャラクターのストイックさを見事に表現していました。男性達が自ら内包する女性的要素の処し方について、基準点となる役回りなのですが、そのぶれなさとぶれない故の孤独のようなものがしっかりと伝わってきて。頑ななだけでない想いが垣間見えることで、物語全体が柔軟性を持ったような感じもしました。女性的な要素の処し方という意味で、窪田と対極にあるキャラクターを演じた酒巻誉洋のお芝居にも迫力がありました。まあ、バナナ学園純情乙女組でも彼の化粧姿は観ているのですが、男性が客観的に観ても綺麗で、しかもその美をキャラクターに取り込むことにあざとさを感じさせないしなやかさがあって。吹っ切れる表現が見事で、なによりも芝居のメリハリがキャラクターのふっきったような安定をがっつりと伝えてくれるのです。舞台の最前面を窓際のように見立てて観客に挑むように演じるところには観客を押し込むような迫力があり、それが、吹っ切れずに揺れる他のキャラクターの苦悶を鮮やかに浮かび上がらせていきます。その一方で強いお芝居になればなるほど女性的な部分を損なわない繊細さが裏打ちされていて・・・。
信國輝彦は男女の間で揺れる男性を実直に描いてみせました。どこかでプライドが瓦解することへの不安と、自らに正直にあることへのとまどいが舞台にフィットした地味めのトーンでつたわってきます。弱くて隠すのではなく強さを捨てられないから隠すようなニュアンスがすごく丁寧に表現されていて、舞台の色に重さと厚みを与えていました。小野篤史が男性から女性に雪崩れていくような想いからやってくる戸惑いと光にはリアリティがありました。彼の不器用さや幻想と現実の違和感を修正することへのためらいの表現には無理がないのです。男性が女性へと変わることが0/100の概念ではなく幻想をゆっくりと蓄えていくような作業であろうということが、彼のお芝居からやわらかく伝わってきました。
武田力は逆に女性の部分を切り捨てていく役回りなのですが、そちら側のためらいにも説得力がありました。女性を恋してしまったことへの戸惑いが確信に変わっていくお芝居が、概念でなく積み重ねられる細かい心情の表現から伝わってきて、それゆえ言葉使いやしぐさと裏腹の同性への愛情に対する拒絶感にも唐突な感じがしないのです。こいけけいこと二人で過ごす時間のどうすることもできない感じもすごくよかった。
そのこいけけいこ、「、「怪演」の称号を差し上げたくなるような勢いのある突き抜けた演技で舞台の雰囲気を常ならぬものへと引き上げていました。男性たちそれぞれの醸し出すナイーブさで沈みがちな舞台に、彼女の土足で踏み込むようなデリカシーのないストレートさがみごとにヒットしていく。その間がすごくよいのですよ。舞台を一瞬に染め変えるような台詞が、びしっとヒットして舞台を開放していく感じで、その落差こそ上質なコメディの醍醐味。しかも、彼女の悪意のなさが一瞬ずつの演技にしっかりと表現されているからそれがあざとくならないのです。派手にかぶくような演技に目を奪われているうちに、水面下ではしっかりと彼女のもつシャイな部分が演じられているのです。後半の女性的な部分の表現にも違和感がなく瑞々さすら漂わせていて、そちらがわの落差でもこいけは観客を惹きつけていました。
津留崎夏子は前半の演技での男性たちとの会話がすごく自然体で、観客にとっての無意識の領域に彼女の存在を積もらせていくような部分もあって。出演者の方のブログで演出の黒澤氏がこの作品を「ゲイ版メゾン一刻」だとおっしゃっていたという話を読みましたが、私が前半彼女に重ねていたのも音無響子さんのイメージ。ニュートラルなポジションと善意でで個性の強い周りを実直に束ねていく姿が、彼女のお芝居だとすっと受け入れられるのです。その一方でelePHANTmoonの公演で衝撃的とも思えるラストを演じた彼女の力量が今回、ラストに近いシーンでもいかんなく発揮されます。淡々とした言葉からすっと垣間見せる内心の想いの強さ・・・、息を呑みました。
舞台装置もすごくコンパクトで効率的。二階への階段の部分については、一番最初のシーンですこしだけ戸惑いましたが、慣れると、その家全体の広さを感じながら動きを一覧できてすごく見やすい。
終演後、劇場前でしばし夜風を楽しみながら、劇場の良質な作品に触れたときに感じる観終わった後の心の膨らみをたっぷりと感じた事でした。
R-Club
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント