津田記念日プロデュース「炭酸の空」深くやわらかく消耗する
2009年6月3日、津田記念日プロデュース「炭酸の空」を観ました。
場所は王子小劇場。お芝居は初日。ほぼ満員の客席・・・。
作:富士原直也 演出:津田拓哉
(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)
場内、中央に柵で楕円形に仕切られた舞台空間。舞台の中央にはテーブルと5つのイス。周りを取り囲むように2列の座席があって・・・。たまたま早く劇場についたので前列をゲットできましたが、かなり高い段差があるので2列目でも十分に鑑賞できそう。楕円のどの位置に座るかということで舞台の見え方も若干変わってくるかもしれませんが、よく工夫された座席配置だと思います。ニューエイジっぽい音楽。明暗が交互する照明・・。なにか海に沈むような感覚に包まれて・・・。開演5分前位になると車椅子に乗った繭が現れ、中央のテーブルでうたた寝を始めます。
そして舞台が始まる。
そこはシェルター。5人の住人たち。十分な食料が確保され、それぞれがルーズなルールに従って分業をしながら生活をしているらしい。先住だった大石がリーダーで、繭も残りの3人よりは前からここにいたよう。地上の監視を命じられている数野、料理担当の副島、風呂の水入れをすることになっている押切・・・。大石からは時間になると錠剤が配られて・・・。
日々の暮らしのニュアンスがそのままこの世の終わりを感じさせるものではないのですが、日々の生活は完全に規則正しくというわけでもないらしい。
静寂さの中で、平穏さに浸蝕されるように、登場人物の理性が崩れ個々が抱いているものがあからさまになっていきます。薬の配布が遅れ出し、施設内の鍵の管理なども乱れていく。その中で終末観があちらこちらから漏れ出してくる。
繭の中には兄のイメージが浮かんで・・・。その場所で起こった何かが少しずつ提示されて。
世界の終わりというストレスの中での静かな平和に侵されていくのは登場人物ばかりではなくて・・・。観客までが緊張感に浸され、気が付けば、まるで燃料ゲージが緩やかにEに近づくがごとく、じわりじわりと消耗していきます。
行き場なさ、孤独、疑心・・・。
次第に高まってくる舞台の密度、でも、密度が重さを作るわけではないのです。むしろその質感は登場人物たちですら自らを縛りきれないほどに軽い・・・。キャラクター達は重圧に耐えられなくてつぶれていくのではなく軽すぎる世界の終りに瓦解していくように見える。そのすがたがまらなく尖った怖さを運んでくるのです。
役者のこと、大石を演じた成田浬の思慮深い雰囲気が物語のベースを築いていました。彼の弱さが一気に露呈していく終盤の演技も舞台の色をしっかりと作っていたと思います。
数野を演じた宇賀神広明から現れる理性と劣情の乖離の表現もすごく存在感がありました。にじみ出して滴っていくような想いの出し方がうまいと思う。
山本亜希もキャラクターの内側のカオスのようなものを巧みに表現していたと思います。揺れる内心がすごく自然に感じられる演技でした。やや硬質な部分と内包された脆さの落差に滑らかさがあって好演でした。
押切を演じた高橋祐太は切れを持った演技で物語をしっかりと支えました。コーラに依存していくキャラクターに不思議な説得力があって・・・。
繭の兄を演じた内山清人は、抑えた演技で、観客に暗示を与え続けました。
繭を演じた牛水里美はずっと車いすに座ってシェルターの色を微細にコントロールしていました。清廉と達観がすっとそこにある感じ。彼女は舞台上での中庸を保つ役回りでもあって、その存在から、他のキャラクターの変化がしっかりと浮き立っていく。どちらかというと寡黙な演技に底力のようなものを感じて、この人、やっぱりすごい・・。最後に5択を問う時の素のような色合いのお芝居にもぞくっときました。
ヨハネの黙示録やサン・テクジュベリの「夜間飛行」からの引用がすごく効果的に使われていました。凄惨な部分もあるのですが、同時に普遍性に裏づけられた物語でもあって・・・。
なにか、磨耗したような感覚を覚えたけれど、見ごたえを充分に感じて劇場を後にしたことでした。
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コメント
炭酸の空、ご観劇いただき有難うございました!!
また、素敵なコメントも載せていただきまして・・・
今後もご縁がございましたらよろしくお願いいたします
副島こと山本亜希
投稿: あき | 2009/06/26 01:14
山本亜希様
コメントありがとうございます。
すごく印象に残るお芝居を拝見させていただきまして・・・。
今後、また貴舞台を拝見できること、すごく楽しみにいたしております。
投稿: りいちろ | 2009/06/26 23:29