乞局「芍鸝(しゃっくり)」塗りつぶされていないカオス
2009年6月20日ソワレにて乞局「芍鸝(しゃっくり)」を観ました。場所は下北沢駅前劇場。そうそう、劇場のある建物の近くで久しぶりに路上ライブをやっている「HIBI」を観た。彼ら、力があるのですよ・・・。ちょっと聴きほれて・・・。
けっこう早い整理番号での入場。駅前劇場はいつも座る場所に迷います。舞台の間口がなにげに広い・・・。今回は出演人数の多さから全体の視野を考えてやや後ろの席に座りました。折込パンフレットがしっかりしていて・・・。出演者などを眺めているうちにゆっくりと暗転。
(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)
各シーンは聖書や経典のように区切られスクリーンや舞台上の壁の部分にタイトルが提示されます。その中で、登場人物が体験するさまざまなシーンが表現され、物語が広がっていきます。
自らを神と名乗っているホームレスで構成されたその国の第一次建国者たち、そして彼らに迎え入れられる失業者やネット難民たち・・。身分を捨てることが求められ、微妙な同床異夢の中でなにかの神としてその共同体で生きていくことが許されて。
一方で、その神たちから全能神を押し付けられる一人の共稼ぎ主婦・・・。旦那に日常を押し付けられ、会社でもうまくいかず・・・。で、まるで何かに憑かれたように自らが神であることを宣言してしまうのです。トイレでカレーを料理をして食べるところにものすごく生々しい彼女の生活のコンテンツを感じる。でも、神を束ねるようになったとたん、少なくともその国では彼女の人生の中で抑圧されていた思いや個性が解放されていきます。そこには神々しさすら生まれ、彼女の高揚感のようなものががっつりと伝わってくる。
でも、彼らが神になったとしても、世間とのかかわりやそれぞれの抱えるものを払拭できるわけではなく・・・。この「国」自体が彼らのいた場所と重なって存在している以上、たどりついた経緯や要因をちゃらにできるわけではないのです。
神になったことで解放されたものは、結局それぞれの持つ物に応じて再び閉塞されてしまう・・・。それこそしゃっくりのように、何かに耐えきれずに大きく体が震えて、でもそこから突き抜けることはなく・・・・。
作・演出・出演の下西啓正は、個人それぞれの姿に絶妙なデフォルメを加えて、抜けきれなさの様態を描いていきます。作為的な物語の中に素の色や形が、時には細密に描写され、時には戯画的とさえおもえるような表現で、はっとするような生々しさを与えられていく。役者たちも手練の演技で舞台に埋もれることなくそれぞれの色を発していきます。
第一次建国メンバーを演じた池田ヒロユキ、石田潤一郎、三橋良平、笹野鈴々音は、ある種の諦観ともたつきをしっかりと表現してみせました。笹野の演技の色やテンポの揺れには物語の容積をなにげに大きくするような深さがあって、池田、三橋から漂うある種の無力さをしっかりと舞台になじませていく。石田が表現するキャラクターが内包する脆さが、そのまま彼らの国の危うさを想起させて・・・。
失業者やネット難民からなる第二次建国メンバーを演じた佐野陽一、伊藤俊輔、墨井鯨子、西尾佳織、佐藤みゆきは個々の個性を際立たせた演技で観客を取り込みました。佐野陽一の捨てきれないプライドが秀逸で、後半にやってくるその世界との乖離にナチュラルな説得力を与えて・・・。また水に流されたあとの佐藤の演技からやってくるキャラクターの依存と高揚の表現も鮮やか、幾重にも広がっていくキャラクターの鮮明さとその奥行きの深さに目を奪われて・・・。墨井や西尾、伊藤にしても舞台を群衆に染めることなく密度と厚みを作り出していきます
島田桃依、岩本えり、中島佳子、立倉葉子はひとりの女性の内心に浮かぶプライドとうっ屈を演じきって舞台を支えました。島田は怪演ともいえるお芝居なのですが、単にずぶとさを表すのでなく、根にある彼女なりの繊細さと誠実さを地道に織り込んでいて、その小心さや追い詰められた切実さが観客に細やかに伝わってくる。それが岩本、中島、立倉の切れのあるお芝居をさらに際立たせていきます。
で、女の旦那を演じる下西啓正が絶妙なのですよ・・・。ある意味中間色の演技なのですが、その身勝手さと妙に常識人的な部分が、その国が幻想のように醸成していた価値観をつるんと剥きとってしまう。
私的には、正直なところ、この舞台をちゃんと理解できたとは思えない部分が多々あって。ラストシーンまでカオスを感じ、終幕時にもそれが晴れることはありませんでした。それでも、「女」のその後が語られた時、すっと見晴しが生まれたような感じがあって、私なりに観た物語全体の造詣からにじみ出してくる、冷徹でシニカルでどこかコミカルですらあるその色合いにもう一度息を呑みました。
続けてやってきた空恐ろしさに押しつぶされないように、ゆっくりと劇場をでたのですが・・・、下西の才能に凌駕されてしまった感覚がずっとあとをひいていたことでした。
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