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「ハルメリ」 顕わになっていく概念に惹かれて

2009年6月25日、西村和宏+ウォーリー木下企画「ハルメリ」を観てきました。作は黒川陽子。場所は小竹向原のアトリエ春風舎。実をいうとこの場所、初めてなのですが、池袋から意外と近いのですね・・・。駅からもそれほど距離はないし。ただ、劇場に下りていく階段が急なことにはちょっとびっくりしましたが・・・。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

冒頭のハイテンションや創意溢れる舞台装置に目を奪われますが、実は鳥肌が立つほど深い含蓄を持った話。「ハルメリ」という言葉が指し示す概念が顕わになっていく姿には観客を強く引き入れる力がありました。

必要悪であったり慰安であったりセーフティバルブであったり、連帯感のツールですらある「ハルメリ」の概念がしだいに現れてくる中で、ぬめっとやってくる居心地の悪さと麻薬のような危い感覚にぞくっとして、でも目を離すことができなくて。

しかも後半になると「ハルメリ」は単にその概念を明らかにするだけではなく、まるで鏡面のように「ハルメリ」とかかわる家庭や友人、職場、さらにはメディアやネットの世界に至るまで、時代の姿をクリアに映し出していきます。

「ハルメリ」発信源となったClub内の高揚感や、TV内部のちょっとウィットの効いた表現も目を惹いて。冒頭でハルメリとかかわった夫や妻が次第に変容してく姿にどんどん取り込まれていく。

遊び心が冗長に思えたり、物語のふくらみに継続したメリハリがな、く散漫さや密度のむらのようなものを感じる部分もあるのですが、最後の女性が堕胎を決めるシーンにはぞくっとするような説得力があって、終わってみれば物語のコアにある「ハルメリ」の質感のようなものにがっつりと浸されていたことでした。

役者は以下のとおり:

三原玄也・芳川痺・境宏子・片倉裕介・年清由香・山岡太郎・サカモトワカコ・荒木香奈・長島美穂・仲村祐樹・斎藤萌子・菊池美里・長野海・由かほる・大友久志・熊澤さえか・若旦那家康

若干役者間の力量の差はあったのは事実ですが、それぞれに切れを持った演技で個を見せる部分にも多くの鮮やかさを作り、一方で観ているものに挑むような群衆としても力を見せつける演出にも十分に応えていたように思います。

ウォーリー木下氏の演出も創意溢れる部分が多く、舞台美術も秀逸。ただ、この戯曲にしたたかに織り込まれている普遍的な部分、いろんな演出家の表現で観たいなとも感じました。アフタートークで劇団鹿殺しの菜月チョビ氏が、何度も戯曲にかかれている部分と演出の区切りについて質問をしていましたが、それは作品からやってきたパワーを原作と演出の力に切り分ける作業をしてくれているようにも思えたり。

よしんば一観客から見ても、演出家によって様々に異なる色を発する力がこの作品には内包されているような気がするのです。

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モモンガとキリン わたし好み

先週観てきたおもしろいものを二つ

(所詮私の表現力なので、詳細はよくわからないとは思うのですが、一応いろんなネタばれ的なことがありますので、ご留意ください)

モモンガ・コンプレックス 「研Q」

ゴールデンウィークに白神さんの「すごく、ない」を観て、是非に見たいと思った彼女のパフォーマンスがあるとのことで、2009年6月20日キラリ☆富士見でモモンガ・コンプレックスの「研Q」を観てきました。駅から遠いとのことで時間を早めにしたら、目的の有料パフォーマンスよりかなり早めに着いてしまって・・・。

でも、早く行ってよかったです。パフォーマンスだけではなく彼女たちのいろんな表現をゆっくりみることができましたから・・・。

ダンボール箱を組み合わせて作られた大きなオブジェにはいろんな発見があって、私がいる時間にもコンテンツがさらに少しずつ加えられたりして・・・。

で、いろんなもの発見するたびに心がなにかの色に染まる・・・。生まれてすぐからずっと使っていたプラスチックのコップにすごい値段がついていたりして・・・。なんか、そういうウィットの裏側にある思い出の大切さの表現がすごくいい。まあ、いい年したじじいがあちらこちらを覗きこんで思わず微笑んでしまうというのははたから見てあまり見栄えのよいものではないのですが、でも、観ているだけでこちらの感性も若返り広がっていくような気がして。

アイデアは下世話なものやベタなものもあったのですが、それを瑞々しく具現化していく力がすごくて・・・。

すごく大きな絵を見つめていると、あきない。一度飽きても、しばらくするとまた見たくなってしまう。画鋲の床にトゥシューズが飾られ上に魚が浮いているという作品からはダンサーの感覚のようなものが伝わってくる気がする。

のぞきこんだ箱のなかに潜んでいるものも封筒の中の世界も床に書かれたいろんな仕掛けも遊び心がいっぱいで・・・。不思議に心をやわらかく揺らして観る者が縛られていたなにかの鎖をはずしてくれます。

有料のパフォーマンスも、時間を忘れて見入ってしまいました。

お辞儀からはじまる表現の、その質感の鮮やかさというか力が圧倒的なのですよ。まず、ダンサーたちの力量が半端ではありません。さまざまな発想に裏打ちされた豊かな遊び心が技量に支えられていて見事に昇華していく。

冒頭のパフォーマンスでは、食べ物を作る指の動きが姿がこんなに美しいと思ったことはなかったし

主宰の白神ももこ氏が夢をかなえるというタイトルで子供の頃にやった紙XXXをしたり、昔のドリフのコントを思い出させるような大きな人間を出してきたり・・。

さかなという振付からお風呂に至る部分にもぞくっときた。めくりにお題があってそれに合わせて白神さんが内容の説明をしていくのですが、そのしゃべりもすごく楽しくて・・・。コンサバティブなバレエの安定感がしなやかにあるのもすごい。

最後のいろんなパフォーマンスでの「お辞儀」のまね、個人的にすごく好きかも・・・。

多分、古典といわれているいろんな表現も、最初はこんな感じの遊びこころから生まれたのかとも思ったり・・・。

帰りがけに絵葉書を4枚買ってわくわくしながら帰ってきた事でした。

ちなみに今回の「研Q。」、クレジットは以下のとおり。

白神ももこ、白井梨絵、眞嶋木綿、北川結、夕田智恵

スペシャルパフォーマー: たにがわまいこ 召田実子


モモンガコンプレックスの本公演は2010年2月とのこと。今からめちゃくちゃ楽しみです

キリンバズウカ 「スメル」WIP

6月22日に観てきました。場所は都内某所。

もちろんWIPですから、内容を書くことはできませんが、本番がすごく楽しみになる内容でした。観ているときにすごく惹きつけられて、終わってから少し役者の方とお話しているうちにさらに深く感じた部分があったりして。

そうそう、このお芝居、作・演出の登米氏に加えて役者が抜群に良いです。もう初日・2日目のチケットとかは完売しているようですが、さもありなんと思います。

個人的には、多分2度観(除くWIP)かな・・・、なんて思ったり。

こちらは来週末に初日。今からもう、わくわく楽しみです。

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「飛ぶ鳥の高さ」に足りないなにか

2009年6月21日マチネにて青年団国際演劇交流プロジェクト2009 日仏交流企画「飛ぶ鳥の高さ」を見ました。場所は三軒茶屋シアタートラム。

当日はたまたまアフタートークの豪華版みたいなイベントが予定されていたことも手伝ってでしょうか、場内の年齢層はそれなりに高め。さすがに両壁面までの立ち見はありませんでしたが、場内は満席。微かな熱気の中で舞台が始まります。

(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください)

主題にあるのは便器会社の凋落と再生の物語です

シンプルな舞台装置、舞台中央に積みあがったスクエアな3段の装置が会社組織のピラミッドの役目を果たし、社長・経営陣・社員、さらにはその外側の社外と分けられて前半部分の物語が進んでいきます。会社の雰囲気などの表現もすごくわかりやすくて、観ていて物語がどんどんと客席に広がっていく感じ。

社内の確執や経営者のあせり、老舗の便器会社が環境の変化に耐えられずに凋落していく姿がしたたかに浮き彫りになっていきます。

会社の政権交代の姿も結構生々しく、血族の争いにも生臭いリアリティがあって。

さらには段がひとつ取り外されてフラットになった舞台で演じられる後半、海外のマーケティング手法を取り入れ、会社を変革し再生させていくカリスマ経営者と会社の姿も、ダイナミックに伝わってくる。

日本書紀と会社の関係、さらにはルワンダの虐殺なども物語の骨格をささえていて、観ていて飽きることはありませんでした。

ミュージカル仕立てにした部分もとてもしっかりと機能していたし、
作者の分身であるという狂言廻し役の社員の存在も旨いと思った。

舞台上のプロンプターの表示もしなやかに機能していたと思います。

でも、観終わって、満足したかというと、実はかなり微妙だったりするのです。戯曲にも演出にも盛りだくさんの手練が感じられるにも関わらず、なんというか、観る側の深いところにまで、舞台上のキャラクターたちの思いが染みとおってこない。なにか精緻なモックアップを鑑賞している感じ・・・。

元々この戯曲は7時間くらいの長さが合って、そこから上演時間に合わせて4つのバージョンができたとのこと。今回の上演はそのなかの一番短いバージョンだったそうで、原本を削ぎ落としていく際に舌足らずになった部分があったのかもしれません。

一番気になったのは、企業が活性化する仕組についてダイナミックに描かれていたのに、人についての描き方が足りないこと・・・。

親子(社長も営業担当者も含めて)の距離や兄弟間の確執、社内の人間関係・・・、それが事象にとしては非常にしたたかにに描かれてはいるのですが、それらのバックボーンにある人間の想いが、なにか書割のように感じられるのです。不思議なことに役者の芝居がしっかりとしていればいるほど、そのキャラクターから伝わってくるものの希薄さが浮き立ってきて・・・。また、希薄であるが故に、ダイナミックに動く会社の根本が人であるという終盤の新社長のスピーチなども凄く作り物っぽく感じられたり・・・。

決して悪いお芝居ではないと思うのですが、たとえば昨今の秀逸なお芝居たちに比べると、なにか血がめぐりきっていないような感じがするのです。そういうジャンルの芝居だといえばそのとおりだし、優れた部分がたくさんある作品であることも認めるのですが、観ていてどうしても大味な部分を感じてしまうことは否めないのです。

クレジットは以下のとおり

作:Michel Vinaver

演出:Arnaud Meunier

翻訳:藤井慎太郎

出演:山内健司、ひらたよーこ、松田弘子、志賀廣太郎、永井秀樹、天明留理子、太田 宏、大塚 洋、
田原礼子、石橋亜希子、大竹 直、畑中友仁、高橋広司(文学座)

Philippe Durand,Elsa Imbert,Nathalie Matter,Moanda Daddy Kamono

さすがに役者達の演技には見ごたえがあって・・・。惚れ惚れするほど。劇中歌もなんか楽しいのですけれどね・・・。

たとえば、最近観たあちらこちらの小劇場の秀逸な作品たちって、この作品を凌駕してしまっているように思えてならないのです。

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乞局「芍鸝(しゃっくり)」塗りつぶされていないカオス

2009年6月20日ソワレにて乞局「芍鸝(しゃっくり)」を観ました。場所は下北沢駅前劇場。そうそう、劇場のある建物の近くで久しぶりに路上ライブをやっている「HIBI」を観た。彼ら、力があるのですよ・・・。ちょっと聴きほれて・・・。

けっこう早い整理番号での入場。駅前劇場はいつも座る場所に迷います。舞台の間口がなにげに広い・・・。今回は出演人数の多さから全体の視野を考えてやや後ろの席に座りました。折込パンフレットがしっかりしていて・・・。出演者などを眺めているうちにゆっくりと暗転。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

各シーンは聖書や経典のように区切られスクリーンや舞台上の壁の部分にタイトルが提示されます。その中で、登場人物が体験するさまざまなシーンが表現され、物語が広がっていきます。

自らを神と名乗っているホームレスで構成されたその国の第一次建国者たち、そして彼らに迎え入れられる失業者やネット難民たち・・。身分を捨てることが求められ、微妙な同床異夢の中でなにかの神としてその共同体で生きていくことが許されて。

一方で、その神たちから全能神を押し付けられる一人の共稼ぎ主婦・・・。旦那に日常を押し付けられ、会社でもうまくいかず・・・。で、まるで何かに憑かれたように自らが神であることを宣言してしまうのです。トイレでカレーを料理をして食べるところにものすごく生々しい彼女の生活のコンテンツを感じる。でも、神を束ねるようになったとたん、少なくともその国では彼女の人生の中で抑圧されていた思いや個性が解放されていきます。そこには神々しさすら生まれ、彼女の高揚感のようなものががっつりと伝わってくる。

でも、彼らが神になったとしても、世間とのかかわりやそれぞれの抱えるものを払拭できるわけではなく・・・。この「国」自体が彼らのいた場所と重なって存在している以上、たどりついた経緯や要因をちゃらにできるわけではないのです。

神になったことで解放されたものは、結局それぞれの持つ物に応じて再び閉塞されてしまう・・・。それこそしゃっくりのように、何かに耐えきれずに大きく体が震えて、でもそこから突き抜けることはなく・・・・。

作・演出・出演の下西啓正は、個人それぞれの姿に絶妙なデフォルメを加えて、抜けきれなさの様態を描いていきます。作為的な物語の中に素の色や形が、時には細密に描写され、時には戯画的とさえおもえるような表現で、はっとするような生々しさを与えられていく。役者たちも手練の演技で舞台に埋もれることなくそれぞれの色を発していきます。

第一次建国メンバーを演じた池田ヒロユキ、石田潤一郎、三橋良平、笹野鈴々音は、ある種の諦観ともたつきをしっかりと表現してみせました。笹野の演技の色やテンポの揺れには物語の容積をなにげに大きくするような深さがあって、池田、三橋から漂うある種の無力さをしっかりと舞台になじませていく。石田が表現するキャラクターが内包する脆さが、そのまま彼らの国の危うさを想起させて・・・。

失業者やネット難民からなる第二次建国メンバーを演じた佐野陽一、伊藤俊輔、墨井鯨子、西尾佳織、佐藤みゆきは個々の個性を際立たせた演技で観客を取り込みました。佐野陽一の捨てきれないプライドが秀逸で、後半にやってくるその世界との乖離にナチュラルな説得力を与えて・・・。また水に流されたあとの佐藤の演技からやってくるキャラクターの依存と高揚の表現も鮮やか、幾重にも広がっていくキャラクターの鮮明さとその奥行きの深さに目を奪われて・・・。墨井や西尾、伊藤にしても舞台を群衆に染めることなく密度と厚みを作り出していきます

島田桃依、岩本えり、中島佳子、立倉葉子はひとりの女性の内心に浮かぶプライドとうっ屈を演じきって舞台を支えました。島田は怪演ともいえるお芝居なのですが、単にずぶとさを表すのでなく、根にある彼女なりの繊細さと誠実さを地道に織り込んでいて、その小心さや追い詰められた切実さが観客に細やかに伝わってくる。それが岩本、中島、立倉の切れのあるお芝居をさらに際立たせていきます。

で、女の旦那を演じる下西啓正が絶妙なのですよ・・・。ある意味中間色の演技なのですが、その身勝手さと妙に常識人的な部分が、その国が幻想のように醸成していた価値観をつるんと剥きとってしまう。

私的には、正直なところ、この舞台をちゃんと理解できたとは思えない部分が多々あって。ラストシーンまでカオスを感じ、終幕時にもそれが晴れることはありませんでした。それでも、「女」のその後が語られた時、すっと見晴しが生まれたような感じがあって、私なりに観た物語全体の造詣からにじみ出してくる、冷徹でシニカルでどこかコミカルですらあるその色合いにもう一度息を呑みました。

続けてやってきた空恐ろしさに押しつぶされないように、ゆっくりと劇場をでたのですが・・・、下西の才能に凌駕されてしまった感覚がずっとあとをひいていたことでした。

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クロムモリブデン「空耳アワー」心地よいほどシンプルで深い

6月17日ソワレにてクロムモリブデン「空耳タワー」を観ました。クロムモリブデンはここのところ一作ごとに惹かれて続けている劇団。今回も非常に秀逸な舞台になりました。

(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください)

作・演出 青木秀樹

会場に入ると一見シンプルな舞台。特に緊張感もなく客入れが進んでいきます。ほぼ満席の場内の音楽が変わるとすっと客電が落ちて舞台が始まります。

物語に出てくるキャラクターたちは、何かがデフォルメされていて・・・。

そもそも女性のストーカーをしていて相手の背中を指してしまう男も異常なのですが、その息子の犯罪を、「物を買って出したお金よりも多いおつりがくるような方法」でかばう母親の粛々と事を運ぼうとするところも空恐ろしいというか・・・。いきなり気持ち良く突き抜けていくというか・・・。その傷害事件の濡れ衣を着せられた男の妙に淡々とした部分、戯画化された刑事たち、さらには捕まった男のありばいを証明するはずの劇団の主宰が新人に振り込め詐欺を演じさせるなど、なにかが掛け違った感覚がすごくナチュラルにやってきます。その世界を縫うように「嘘と本当を見分けることができるようになる」という丸くて四角くて三角なものを町じゅうに売りさばいていく女性。

キャラクターはそれぞれに、
何かを具象化したような強いイメージを発しているのですが、
一方でバックグラウンドが
心地よいほど潔くそぎ落とされていて・・・。

それらが個々に唯我独尊という感じで、
色をそのまま保ちながら物語を進めていくのです。
饒舌に語られる言葉に対して、
短いイメージのような言葉がまるでダンスのように返されて
(短い言葉がリズムを刻むように繰り返される)、
個々のキャラクターの色が一層強調されていく。。

さらには誘拐・・・。刑事にも独特の趣があって・・・。

オブジェが配布されていくその中で、
不揃いのドミノがそれぞれの形状を保ったまま倒れていくような感覚で
つながっていく物語。
思いっきり惹き込まれているうちに、虚実の色分けが独り歩きをしていく中で現出した終盤の世界に
取り込まれてしまうのです。冒頭からの突き抜け感がそのまま昇華して違和感もなく不可思議な世界に迷い込んでしまう。祈りが舞台の色を一気に変えていくところでのさらに物語の天井が開いた感じにぞくっときました。

役者達の演技の緻密なこと・・・。
奥田ワレタの母親役からやってくるある種の「ピュア」にはものすごい実存感がありました。なにかにころっとだまされるような素直さ、冷静で理知的な部分と、さらには自分中心な感じのトーン・・・。本来相容れないものが同じにおいを繊細に漂わせて収まりよく同居している感じ。もう見惚れてしまいました。その息子を演じた久保貫太郎は逆にたよりない表層とがんこなコアの落差をしたたかに演じきって見せました。おとなこども的な気持ち悪さを確信犯的に醸し出しながら、一方で親子の関係にナチュラルな説得力が生まれていて、こちらも好演だったと思います。

ケイっぽく劇団の主宰を演じる板倉チヒロは、観目だけで十分にキャッチーなのですが、そこから伝わってくる「したたかさ」の質感には常ならぬきめ細かさがあって・・・。仕草やせりふの一つずつがすごく切れていることでその解像度が重さにならないところもすごい。その弟子を演じた渡邉とかげは存在感の出し入れが細かくしっかりとできていました。板倉が作り出す色になじんだかと思うと、むしろ板倉や他の役者たちがが映えるような演技もしっかりと織り込んでいく。舞台の深さが彼女からさりげなく生まれていく感じ。

背中を刺された女性を演じた幸田尚子は、ストーカーされるだけの端正な美しさを保ちながら、その中に息づくやわらかい何かに言葉にならないような違和感を表現していました。金属的な硬質を演技の中に作り出せる一方で、すごくナチュラルなお芝居のなかにずれをつくる器用さがあって。その演技の広さがとても魅力的。

濡れ衣を着せられた男を演じた森下亮が演じるなすがままのようなキャラクターには観ているものを取り込む不思議なふくらみがありました。彼の演じるキャラクターの脱力感のようなものがちゃんとドラマの推進力として機能していく。パワーを持った脱力感とでもいうのでしょうか・・・、そこに彼の技量を強く感じました。。

男の刑事を演じた金田淳のきっちりした演技は嘘っぽいハードボイルドさを物語になじませていて。木村美月が演じた女刑事もどこかに嘘っぽさはあるのですが、それを凌駕するほどなかっちょよさがあるのですよ。二人の刑事の舞台への刺さり方は物語に香りを与えるスパイスのような役目を果たしていて・・・。

金沢涼恵が演じた訪問販売員、物語の狂言回し的な存在でもあるのですが、なんというのだろう、彼女の演技にはいろんな意味での厚みを感じるのです。商品を売りきるだけの技量のようなものがしっかりと伝わってくる一方で、やり手の販売員としてのあくの強さがそこはかとなく残っていたり、ちょっと自分本位な感じを醸しつつ、どこかに可憐さを漂わせたり・・・。いくつもの色が彼女のなかで絶妙に操られて物語の土台になっている。しかも力みが感じられないお芝居で、終盤舞台を満たしたカオスの明暗を一気に変えて見せるのです。

最後のシーンたちからあざとさを感じることなく、
絡まった紐がすっとほどけるような心地よさがやってくる・・・。

この作品、人によって好みは分かれるかもしれませんが、
少なくとも私にとってはツボを連打されたような部分があって
むさぼるように観てしまいました。
笑いのセンスも個人的には大好き・・・。
あと、衣装に舞台の色を維持する洗練があって旨いと思ったり。

用事ができてしまい終演後あわただしく劇場を出たのですが、もう少し劇場で余韻に浸っていたかったと思わせるような魅力がこの舞台にはありました。

クロムモリブデン、こりゃ次回公演もとても楽しみです。

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桂文三 襲名披露興行@国立演芸場

桂つく枝さんが桂文三師匠となられたその襲名披露興行を観てまいりました。場所は国立演芸場。大阪に引き続いての襲名披露とのことです。

桂三若   : カルシウム不足夫婦

柳亭市馬  : かぼちゃ屋

笑福亭鶴瓶: 青木先生

桂三枝  : ぼやき酒屋

(中入り)

襲名披露口上 (柳亭市馬・笑福亭鶴瓶・桂文珍・桂三枝/司会 桂きん枝)

桂文珍  : 茶屋迎ひ

桂文三  : 崇徳院

そりゃ、なんといっても今日の主役は文三師匠ですから、若手から脂の乗り切った師匠連まで、手練の芸でそのための花道をしっかりつくります。

まずは三若さんが上方落語のどろくさいところを上品さを失わずに語りきって場内を暖めて見せました。目鼻立ちがはっきりした語り口で客をあきさせない力があって、しかもしばらく前に見たときよりも一層噺のテンポの取り方などの安定感が増したような・・。

市馬師匠が江戸前の与太郎噺で高座の幅を広げます。登場人物がみんな心根の暖かさを感じさせる噺で、なおかつ「上を見て商売をしろ」と諭すところに、襲名してももっと上を目指せという市馬師匠のエールが含まれているようにも思えて。

鶴瓶師匠はマイペースという風情を崩さず、自分の主演映画などを枕にもってきて。襲名披露の高座であることなどほとんど関係ないように噺をすすめます。でもね、古い名前からの巣立ちとかやんちゃをすることへの慈愛が場内を包むような噺なのですよ。こう表立って言葉にしないなかで、そこはかとなく師匠一流の気遣いを感じさせるような高座でありました。

三枝師匠にとっては率いる一門の慶事、文三師匠は文枝師匠が亡くなられてから一門で初めての襲名なのだそうです。そこでいたずらにはしゃがず、渋くじっくりと客を沸かせる噺で中入前を支えるところに上方落語協会の会長としての度量を感じました。本当にしっかり客を捉えてくれるというか、ああいう空気の作り方、さすがだなと思います。

襲名披露口上もいろんな意味で見ごたえがありました。いきなり「文枝襲名」とおもいきり外して見せた市馬師匠、相撲甚句の見事さで会場を魅了し尽くします。鶴瓶師匠、社団法人と財団法人がごっちゃになったところは素かもしれませんが、けっこうしどろもどろな風を装って文珍師匠につなぐところに、一門に華を持たせる照れ隠しにも似た繊細な心遣いを感じて。文珍師匠が綺麗に足慣らしをしてきゅっとっ空気をを引き締めて・・・。最後に三枝師匠が文枝師匠の遺言ネタで手のひらに会場丸ごと載せておいて見事にごろんと転がしたり。そんな中でも一門がみな賛成しての襲名だったことや、文三師匠が芸人としての資質をしっかりと持ってはることが不思議なくらい実直に伝わってきます。司会のきん枝師匠もええ味をだしてはるのですよ。 まあ、米團治師匠の時のような凛とした緊張感やきらびやかさはなかったですけれど、どこか洒落と温かみがあり、なにより文三師匠の伸びしろがたっぷりと伝わってくる襲名披露口上でした。

口上後の文珍師匠は、廓がでてくるはめもの入りの噺で高座に華を作り出して・・・。登場人物に愛嬌があるのがすごくよい。こう、場内を暖色系の古典の色に作り変えて。

で、文三師匠が演じたのは「崇徳院」、そりゃ見事なものでした。襲名披露の高座ですから、多少なりとも緊張はされていたとおもうのです。でも、そこでつぶれるのではなく、うまいことハリのようなものに変えていくのが師匠の力。安定したテンションで進んでいく噺は花嫁捜索の5日間の重さをしたたかに客に伝えてくれる。それがじつにスムーズに相手に巡り合った時の溢れるような高揚感につながっていくのです。スピードや勢いに頼らずに、表現の質感を積み上げて、最後には言葉で表現できないような感情で観客を満たしていく。鏡が割れるのはおちへの段取りなのですが、そういう感じがまったくしない。きちんとそのようになるだけの流れが構築されていて・・・。出色の出来だったと思います。

まあ、襲名というのも、文三師匠にとっては通過点のひとつに過ぎないのかもしれませんが、一方で文三落語の土台がしっかり固まった感があるのも事実なわけで・・・。その上にさらなる建物がどのように現れてくるのか、聞く側にとって5年、10年、それ以上の楽しみができたような気がするのです。

なにはともあれ襲名披露興行は特別な何か・・・。ほんまにええもんを見せていただいた気がします。

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孤天 第一回公演「例えば 皮膚」のものすごさ

2009年6月14日、マチネにて孤天第一回公演 「例えば 皮膚」を観ました。場所は大久保通り沿いにある「RAFT」というスペース。写真スタジオを改装したような場内は30人で満席。

作・出演 川島潤哉

一人で演劇とサブタイトルがついたこの公演、パンフレットによると「一人芝居ではなくひとつの表現としてみていただきたい」とのこと・・・。で、私なりにですが、おっしゃっていることが理解できたような気がします。

作り手側の注文どおり、演技の積み重ねから浮かぶ物語ではなく、溢れ出すような言葉から湧き上がるイメージの重なり合いに見事に凌駕されてしまいました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

控室がないそうで、勝手口のようなドアから役者が入ってきて舞台が始まります。すっと彼の世界に引きいれられる・・・。

最初はシーンが丁寧に展開されます。某国営放送でのトークショー、4人の会議体(最初、タモリがすごく昔にやっていた4人マージャンを思い出したが、そんなものではなかった・・・)、愛を告白する男、さらには同窓会の恩師の言葉など・・・。

個々のパーツの完成度がとにかく高いのです。

トークショーに出演した牛乳パックを材料にはがきを作る男から滲み出る色も秀逸ならば、その内心として裸電球の下で話し合う4人の男たちの法則で抑制された表現もじわじわと染み入って来る。同窓会の恩師がもつシュールな無関心さや愛を語る姿が新興宗教への高揚に変わっていくグルーブ感、さらにはしなやかに穿き違えられた芸術の排他性には鳥肌が立つほどのシニカルさが込められていて・・・。

それらのシーンがランダムにまわっていくのですが、シーンのニュアンスが深まっていくのと絶妙に対比して舞台のスピードが上がっていき、気がつけば観客はある種のグルーブ感に乗せられていています。

また、表現のデフォルメなどから生まれる笑いにも、豊かなバリエーションと切れがあって。ピストルのごとく至近距離から来る言葉遊びのようなものもあれば核弾頭ミサイルのようにイメージのフレーム全体で揺すぶってくれるものまであって、それらが使い捨てのようにして織り込まれ、時には観るものを突き抜け、時には内側をくすぐりつづける。

しかも繰り返され有機的に連携するシーンが、緻密な構成のなかで回って回ってのバターのようにならず、多彩な色の広がりとして演者が表現する人物の包括したイメージを支えていくのです。どーんと一撃でくるのではなく、さまざまな力にじわっと強く締めあげられていくような感じ。

こういうのって、観ていて、理屈抜きに引き込まれてしまいます。そして、常習性をもったわくわく感として観るものに残るのです。

「孤天」第一回と銘打っているということは、次回以降もきっとあるのですよね・・・。これは楽しみです。ただ、今回の評判からすると次回はプラチナチケット化するかも・・・。公演回数を増やすとか何か工夫が必要になるかもしれません。

それにしても、最近コマツ企画員の活躍が目につきます。本公演を観ると主宰の超非凡な才能に目を奪われてしまいますが、企画員の才能もかくのごとくすごいわけで・。まさに、コマツ企画恐るべしです。

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年年有魚「SURROUNDED ALWAYS」繊細な距離感、そして秀逸な紙アート

2009年6月5日、新宿眼科画廊にて年年有魚の「surrounded always」を観ました。このお芝居、評判を聴いて、たまたまスケジュールがとれたので小雨降る中行ってまいりました。

(ここからはネタばれがあります。十分にご留意の上お読みください。)

作・演出:森下雄貴

会場のギャラリーは白を基調とした空間、作りつけのカウンターを利用して向こう側がキッチンでこちらがダイニング。で、なんだか居心地が良いのですよ。壁に飾られたオブジェが雰囲気を浄化しているような感じがして・・。画廊の洗練が良い意味で感じられる空間でもある・・・。

靴を脱いで場内に入り中が住宅の一部屋というのは先日観た二騎の会とおんなじなのですが、こちらはもう少し舞台と客席が明確で、客観的に物語を見られる感じ。場内に入るとウェルカムドリンクのサービスがあって・・・。紅茶、本当に美味しゅうございました。で、喫茶店のマスターよろしく飲み物を作っていた男性がそのまま、その家の主人としてお芝居に入っていく。たおやかな気持ちをそのままにお芝居に入ることができて・・・。

でも、すぐにちょっと変わったテイストが観る側にやってきます。飲み物を作っていたのはこの家の旦那さんで、奥さんがデッサンのヌードモデルをしていて、終わるのを待っているらしい。奥さんの友人があからさまな好奇心を持ってどんな心情かとつついてくるのを気にならないふりで受け流すのですが・・・。

やがてデッサンが終わって、先生と生徒が出てくる。その個性が強烈で・・・。女性たちは前述の奥さんの友人も含めて思ったことが思慮より先に口に出るタイプ。ちょっとデフォルメされた会話のなかに、強烈な個性が浮かび上がる・・・。それに比して夫婦の会話がすごく淡泊というか、あたりさわりがないのです。登場人物たちが回りを巻き込むように会話を作っていくのに対して、主人公夫婦の会話は地味にかみ合わない・・・。

最初は倦怠期の夫婦をスケッチしているのかとおもったのですが、そうではなくて、倦怠の域にまで至ることができない夫婦の実像が垣間見えてくるのです。まわりが個性を表せばあらわすほど、主人公夫婦の内側に横たわるデリケートな距離が露わになっていきます。

やがて、男性の生徒を駅まで送りにいった妻の帰りが遅いことから、夫の心の揺れが表面に浮かんで・・・。妻のヌードモデルへの自発的な願望であることが示されたり、壁にかかっている紙アートを取り替えにきた弟に夫がしかけた盗撮カメラが発見したり・・・。二人の心に巣食う修羅の姿が浮かび上がります。昨今はやりの言葉でいえば「婚活」を経ての結婚、システムに流されるようにして結婚したふたりの重ならない何かがやわらかくみえてくるのです。

役者のこと、夫を演じた上出勇一は夫のキャラクターをがっつりと作り上げていました。やさしさが醸し出す微笑みと揺れる心を隠すために演じる微笑の端境を絶妙に演じきっていたと思います。妻を演じた平田暁子は清楚な感情表現に内心をしたたかに織り込んで見せました。感情の細密な揺れがとてもしなやかに重なっていく・・・。どういえばよいのだろう・・・・、口当たりと異なる彼女の内側の色も、点描画を見ているように観客にきちんと残る・・・。

妻の友人を演じた前有佳の好奇心の露出の仕方には微笑えましい強さがあって・・・。露骨な好奇心の表現が鼻につかない程度に下世話なテイストを残しつつ、すごく自然なキャラクターを現出させていました。トツカユミコは絵画教室の先生を怪演。どこか人の話を聴かない部分があるキャラクターなのですが、それを押し切って自らの感覚を正とするようなパワーがベースにあって・・・。観客をしっかりとひきつけていたと思います。声と間の取り方がすごくよいのです。松下チヨコのお芝居にも底力がありました。演技に質量を作れる役者さんだとおもうのですが、同時に、瞬発力のあるお芝居も随所にあって。ダルメシアンのオブジェをつけたときの切れには目を惹かれました。

川本浩介のお芝居にはしなやかさがありました。相手ののお芝居を受けるときの力加減が観ていて気持ちよい。完全にうけるのではなく、一瞬の間で相手の演技に広がりをつくるような感じがあって。南場四呂右は実直な演技だったと思います。どこか朴訥な感じのなかに意思をしっかり持ったキャラクターの実存感が物語全体をしっかりと引き締めていました。

ラストの夫婦二人のシーン、そして夫の行動。部屋に飾られたなかむらきりん氏制作のオブジェたちからあふれだすイメージと夫婦のどこかぎこちない会話に不思議な調和がうまれて・・・。その空気が観ているものの心をそっとゆらすのです。

間違いなく、心に残るものがある・・・。魅力のある劇団にまたひとつ出会うことができました。

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終演後、なかむらきりん氏のオブジェを近くで拝見することができました。やや大きめな馬と鹿、そしてダルメシアンの首像、少し小ぶりで創意豊かな動物をモチーフにしたオブジェたち。

手作り感の強い質感に惹きこまれてながめていると、彼らからやってくるイメージがすっと広がって心の内側に豊かにニュアンスが満たされます。キリンの首から咲いた花から草原の光を夢を感じ、カバの大きく開けた口に咲く花(写真)からは明るい想いがやってくるような・・・。鼻の先に樹を生やしたゾウには希望を感じるし、お芝居に使われたダルメシアンに見つめられると、ちょっと切なくなったり・・・。

見続けているうちに最初と違った感じでもう一度心惹かれる。うまくいえないのですが、忘れていた色がもどってくるような感じ。

特別に許可をいただいて作品のひとつを撮影をさせていただいたのですが、素人写真の悲しさ、作品のすばらしさがうまく伝わらないのが残念。(作品の写真集を拝見させていただいたのですが、その中のオブジェたちからは、実物とはまた異なるニュアンスがあって、作品の広がりを感じた)。

なかむら氏のHPがありましたので、リンクを貼り付けておきます。

SPANK POSSIBILITY STUDIO (http://www1.neweb.ne.jp/wb/spankposs/

本リンクに問題があるようでしたら削除いたしますのでご連絡ください


なかむら氏の作品、普通に展示されていても充分に魅力的なのですが、今回のように演劇のなかでもある種のニュアンスを確実に物語ってくれる・・。いろんな表現とのコラボレーションの可能性を秘めていると思います。
さらにいえば、高い芸術性と平易な洒脱さが両立しているというか・・・。たとえば汎用の空間に飾ってあれば、それだけで場所の空気に透き通った潤いをあたえてくれそうだし。下世話な話になりますが、こんな作品のそばでコーヒーを楽しめる喫茶店があれば結構素敵かも・・・。

心に残る物語と良い美術・・・。良いものを見せていただきました。
細かい雨は相変わらず降り続いていましたが、豊かな気持ちで帰り道をたどったことでした。

R-Club

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津田記念日プロデュース「炭酸の空」深くやわらかく消耗する

2009年6月3日、津田記念日プロデュース「炭酸の空」を観ました。

場所は王子小劇場。お芝居は初日。ほぼ満員の客席・・・。

作:富士原直也 演出:津田拓哉

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

場内、中央に柵で楕円形に仕切られた舞台空間。舞台の中央にはテーブルと5つのイス。周りを取り囲むように2列の座席があって・・・。たまたま早く劇場についたので前列をゲットできましたが、かなり高い段差があるので2列目でも十分に鑑賞できそう。楕円のどの位置に座るかということで舞台の見え方も若干変わってくるかもしれませんが、よく工夫された座席配置だと思います。ニューエイジっぽい音楽。明暗が交互する照明・・。なにか海に沈むような感覚に包まれて・・・。開演5分前位になると車椅子に乗った繭が現れ、中央のテーブルでうたた寝を始めます。

そして舞台が始まる。

そこはシェルター。5人の住人たち。十分な食料が確保され、それぞれがルーズなルールに従って分業をしながら生活をしているらしい。先住だった大石がリーダーで、繭も残りの3人よりは前からここにいたよう。地上の監視を命じられている数野、料理担当の副島、風呂の水入れをすることになっている押切・・・。大石からは時間になると錠剤が配られて・・・。

日々の暮らしのニュアンスがそのままこの世の終わりを感じさせるものではないのですが、日々の生活は完全に規則正しくというわけでもないらしい。

静寂さの中で、平穏さに浸蝕されるように、登場人物の理性が崩れ個々が抱いているものがあからさまになっていきます。薬の配布が遅れ出し、施設内の鍵の管理なども乱れていく。その中で終末観があちらこちらから漏れ出してくる。

繭の中には兄のイメージが浮かんで・・・。その場所で起こった何かが少しずつ提示されて。

世界の終わりというストレスの中での静かな平和に侵されていくのは登場人物ばかりではなくて・・・。観客までが緊張感に浸され、気が付けば、まるで燃料ゲージが緩やかにEに近づくがごとく、じわりじわりと消耗していきます。

行き場なさ、孤独、疑心・・・。

次第に高まってくる舞台の密度、でも、密度が重さを作るわけではないのです。むしろその質感は登場人物たちですら自らを縛りきれないほどに軽い・・・。キャラクター達は重圧に耐えられなくてつぶれていくのではなく軽すぎる世界の終りに瓦解していくように見える。そのすがたがまらなく尖った怖さを運んでくるのです。

役者のこと、大石を演じた成田浬の思慮深い雰囲気が物語のベースを築いていました。彼の弱さが一気に露呈していく終盤の演技も舞台の色をしっかりと作っていたと思います。

数野を演じた宇賀神広明から現れる理性と劣情の乖離の表現もすごく存在感がありました。にじみ出して滴っていくような想いの出し方がうまいと思う。

山本亜希もキャラクターの内側のカオスのようなものを巧みに表現していたと思います。揺れる内心がすごく自然に感じられる演技でした。やや硬質な部分と内包された脆さの落差に滑らかさがあって好演でした。

押切を演じた高橋祐太は切れを持った演技で物語をしっかりと支えました。コーラに依存していくキャラクターに不思議な説得力があって・・・。

繭の兄を演じた内山清人は、抑えた演技で、観客に暗示を与え続けました。

繭を演じた牛水里美はずっと車いすに座ってシェルターの色を微細にコントロールしていました。清廉と達観がすっとそこにある感じ。彼女は舞台上での中庸を保つ役回りでもあって、その存在から、他のキャラクターの変化がしっかりと浮き立っていく。どちらかというと寡黙な演技に底力のようなものを感じて、この人、やっぱりすごい・・。最後に5択を問う時の素のような色合いのお芝居にもぞくっときました。

ヨハネの黙示録やサン・テクジュベリの「夜間飛行」からの引用がすごく効果的に使われていました。凄惨な部分もあるのですが、同時に普遍性に裏づけられた物語でもあって・・・。

なにか、磨耗したような感覚を覚えたけれど、見ごたえを充分に感じて劇場を後にしたことでした。

R-Club

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時間堂「花のゆりかご・星の雨」手作りの深く温かいテンション

6月4日ソワレにて時間堂「花のゆりかご、星の雨」を観ました。場所は渋谷ギャラリー・ルデコ4F。

すこし早目について、中央の通路そばの席に座ることができました。つくづく思うのですが、良いお芝居ってスタッフの動きもすごくよい。今回も受付から座席の案内等、観ていて本当に気持ちよかったです。特に今回のような場所では、こういう対応が開演前から場内の良質なテンションを作り上げているように思う。飲食自由ということで、ワインやビール、主宰がつけたという泡盛黒糖梅酒なども販売されておりました。私は仕事帰りで眠くなってしまうのが怖くていただかなかったのですが、適度なアルコールもお芝居を観るときの素敵なアクセントになるように思います。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意の上お読みください)

この作品はWIPを拝見させていただきました。で、その時も、音や役者から伝わってくるものの瑞々しさに瞠目したのですが、今回は個々からやってくるものに浸潤されるだけではなく、全体が醸し出すふくらみのようなものに圧倒されました。

冒頭の骨董屋さんでの顛末、視線、音、扇子の動き、それぞれがしっかりと観客を捉えていきます。椅子を修理している主人のしぐさにいきなり目を奪われます。小道具が極めて少ないのですが、緻密な動作は観客を迷わせることがありません。

淡く確かな光景のなかで役者、そして舞台の意図がしなやかにくっきりと観客に伝わってくる。しかもイメージの明確さが余韻を殺さないのです。

たとえば、古道具屋の手違いで他の人に渡ってしまったソムリエナイフが戻るのを待つミキと対応する店員との空気が紅茶の香りのなかでゆっくりと変わっていくシーン。バイト店員を演じた星野菜穂子の滑らかなテンションに花合咲が演じるミキの心が少しずつほどけていくところがすごく良くて・・・。

そのトーンが菅野貴夫雨森スウが演じる古道具屋夫婦の空気と違和感なくマージしていきます。するとひとくせありそうな近くのレストランのシェフを演じる鈴木浩司が馴染む居場所がそこに生まれて・・・。5人の役者達の色がぼけることなくその空間でひとつの色をかもし出すから、後半、ミキが観る旅に導かれる成り行きにも不思議と無理がないのです。

ソムリエナイフの記憶。星野が演じるミキの祖母と雨森が演じる母親の確執。祖母が母親を思う心と母親がミキを守ろうとする気持ち、それぞれの想いがミキの視点を凌駕して生々しいほどに観客を包み込む。鈴木が演じる朴訥としたミキの父の想いも本当に秀逸。ミキの名前の由来が浮かぶシーンでは観ているほうもホロっと来たり・・・。

さらに戦後混乱期の菅野演じるミキの祖父の祖母との再開へと物語が導びかれて。凛とプライドに心を隠す祖母の姿。そんな祖母への祖父のまっすぐな愛。ソムリエナイフに刻まれたウサギの由来が語られて・・・。

まるで仕付けられるようにつながれた3つの時代、祖母ー母ー幹それぞれがもつ、どこか言葉足らずで片意地で、でも真摯に相手を思う気持ちのあたたかさが時代の重なりのなかで浮かんできます。

母と重なる「臭覚」の才能だけでなく、その生き様や想いにミキと祖母や母の血のつながりを醸し出すところ、旨いなと思う。

トランペットやトイピアノ、ギター、打楽器・・・、いろんな音が刻む時間。それがふっと意識から消えた時、俯瞰するようにミキにつながる時間と想いが観る者に広がっていて。

最後の歌の響きが、やわらかく観る者の心にしみ込んで。いくつもの旋律の美しい重なりに、なにかに満たされた不思議な気持ちが降りてきました。

役者のこと、星野菜穂子はしなやかで広がりのあるテンションでバイトの店員とミキの祖母を演じきりました。バイト店員のミキの想いの内側に入っていくような姿も好演でしたが、ミキの祖母を演じる彼女からこぼれる凜とした態度にも息を呑みました。娼婦をしながらも自らに毅然とした部分をしっかり保ち続け、しかも自分の感性や愛情に妥協をしない。意固地だけれど慈愛に富んだ彼女の人柄がヴィヴィドに観客にやってくるのです。

骨董屋の妻とミキの母の二役を演じた雨森スウには物語を貫くような自然な強さがありました。骨董屋の妻として度量というかポジティブさ、さらには大らかさのようなものが役の色をしっかりと染めていきます。一方で、強さのなかにかすかに垣間見える新しい命を育むことへの不安と希望の混濁が、演じるキャラクターに広がりを与えていて・・。その感覚は共通のものとしてにミキの母親を演じるときにもつながっていきます。観客がゆだねるに十分な演技の安定感があって、それがほんとに微細な心の動きを観客に伝えていく底力にもなっているような・・・。

ミキを演じた花合咲が表現する心の揺れはそのまま観客の心を共鳴させる力がありました。ただ繊細なだけではなく、キャラクターの心情がやや硬質な肌ざわりとして感じられる。うまく言えないのですが、その感覚がミキという女性の想いに瑞々しい実存感を与えてくれるのです。やがてキャラクターが内包する感性がそのまま観客を揺らしていく。後半彼女が感じるものががそのまま観客が観るものと重なり合っていく。

骨董屋の主人とミキの祖父を演じた菅野貴夫からは根元にある実直さのようなものが伝わってきました。共通して職人の気質がベースに感じられてその上にキャラクターが浮かび上がってくるのです。ミキの祖父からやってくるウィットもすごくよい。焼け野原の中での一種の解放感と二人の知性がすごく豊かに感じられて、しかも真摯な部分がきちんと内包されている。秀逸なお芝居だと思います。

レストランのシェフとミキの父を演じた鈴木浩司はキャラクターが持つ奥行をしっかり観客に伝えました。ちょっと癖のある風貌に真摯さがにじんでくる。ワインのテイスティング勝負を仕掛けるときの菅野に対するたくらむような表情や、ミキの名前を考える雨森の想いを受けるときの包容力のようなものががそのまま舞台の世界を深くしていく力になっていて。

終演後、拍手をしながら、べたな言い方ですが、すごく優しい気持ちに満たされていました。

公演は6月14日まで(8日休み)。このお芝居、公演の終盤にもう一度観にいこうと思います。

観るたびにさらなる色が感じられるような気がするのです。

R-Club

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二騎の会「一月三日、木村家の人々」・時間堂WIP

2009年5月31日、こまばアゴラ劇場にて、二騎の会「一月三日、木村家の人々」を観ました。作:宮森さつき、演出は東京デスロックの多田淳之助

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

梅雨のどんよりとした雲の下、アゴラ劇場には細かい細工がいろいろと・・・。お正月の雰囲気だったり普通の民家のたたずまいだったり・・・。

土足厳禁とのことで劇場の入口で靴を脱いで・・・。そこにも細工があって・・・、で、場内に足を踏み入れてびっくり。中は絨毯が4枚敷かれたどこにでもありそうな一戸建ての居間。靴を脱いでいるので、本当に誰かの家にお邪魔しているような錯覚を覚えて・・・。会場時ふすまが半開きになっていて、なんとなく奥の部屋があることで、家の広さが感じられて・・・。

開演時間が近くなるとそこに長女が現れて、客席に会釈をして(これがさらに観客を「どこかの家にお邪魔した感覚」にかえていく)七輪を二つ机の上に並べてダンシング・オールナイトを歌い始めます。で、なんと部屋の窓に目張りをして七輪に火を入れるのです。そして七輪のひとつを認知症の父が眠る部屋に持って行って。無理心中の準備を始めます。そこに、いとこが偶然訪ねてきて。

追い返そうとする長女、いとこは叔父が認知症であることすら知らないらしい。さらに長男夫婦と次女が帰ってきて無理心中は止められて・・・。

一つの家族や親戚というくくりのなかでも介護に対する温度差が露骨に表れていきます。仕事も捨てて介護をせざるを得なかった長女とあくまでも自分の生活を守りながら協力しようとする長男や二女。その場に観客を惹きこむような手法に、シリアスな状態に追い込まれた兄妹やいとこ、それぞれの想いの軽重やすれ違いがあからさまに伝わっていきます

しかし、この舞台がいたずらに重たいだけの物語に陥らないのは、一見関係がないような家族のリアリティをそぎ落としていないからかと思うのです。この兄弟には素の時間がちゃんとある・・・。次女の演劇の話などにコメディの要素を編みこんだことで、カオスのようになった兄弟たちの想いに風が通り、家族の想いがほぐされて浮かび上がってきます。

長女が家を飛び出すときにトイレットペーパーで扉の音が出ないようにすることにもどきっとするような具体性があるし、長男夫婦がちょっとぬるめの改善策を話して姉の胸の中にあるものと乖離する姿からも、揺れながら父親との距離を調節していくような姿が見事に表現されて。長女が使い捨てのカイロをもらってくるエピソードも心にしみた。1月3日という設定もしっかりと効いていたような。

さらには父と離婚した彼らの母の設定になんともいえないペーソスがあるし(手紙の内容を誰かが朗読したりしないところもすごくよい)、それを伝えにきたいかにもという雰囲気のホストが実は元介護職員で、煮詰まった家族に冷静なアドバイスをするところからも、介護者を抱えた家族の視野が端的に現われて・・・。

長女を演じた木崎友紀子の演技から抱えてしまったものの重さが痛いほど伝わってきます。長男を演じた小河原康二の自分の妻や子供を守る立場と長男としての立場の混在もすごくナチュラルで・・・。その妻を演じた森内美由紀も義理の娘としての長女との距離を実存感をもって表現していたと思います。次女の村井まどかが表現する父親や介護との距離もなにかすごくよくわかる。ドライな部分と生真面目なところがしっかりと重なり合って伝わってきました。・・・。いとこを演じた佐藤誠は家族の想いのすれ違いをうまくコントロールしていて・・・。長女への想いの表現もとても秀逸。ホストを演じた島田曜蔵の突き抜けて演じる勇気はみごとな限り。キャラクターの放埓なだけではなくどこか生真面目な価値観を流されずに演じきって見せました。

最後に餅を焼いているときにふすまの向こうで父親が観ているのではという・・・。そこになんだか家族それぞれの父親に対する一番根っこの心情があふれているようで、笑いながらほろっとしてしまいました。それはつらくていとしいひととき。心にやわらかくたくさんの気持ちが去来したことでした。

多田演出のしなやかさ、やっぱり心に残ります。

PS:

5月29日、時間堂「花のゆりかご、星の雨」のWIPを観てきました。もちろん内容は書きませんが、とても優しくしなやかさをもった時間に浸ることができる作品。

息をのむほどに繊細な時間があって、物語の展開に鋼のような強さがあって・・・。

公演の終盤に見に行くことにはしていたのですが、合わせて、前半にも予約をしてしまいました。観れば見るだけなにかがやってくるような予感がします。

R-Club

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「楽屋~流れ去るものはやがてなつかしき~」女優の風格にまで至る

2009年5月30日、ソワレにてシス・カンパニー公演「楽屋」を観ました。

場所はシアタートラム。場内は立ち見が出るほどの大盛況。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作:清水邦夫  演出:生瀬勝久

まず舞台美術がとてもよくて・・・。左右に投影される文字が前方からは見にくかったものの、ちょっとなにかが出そうな感じの古び方が舞台から感じられて。壁や床もよく工夫されているなと感心。照明もシックで美しくて。

そんな中で冒頭の渡辺えり小泉今日子の会話が抜群によいのですよ。

ふたりの掛け合いには落ち着きと広がりがあって、良い意味での厚さと質量を感じる。渡辺の自虐的な部分やプライド、小泉の所作が醸し出す女優の美。ふたりが時折はさむ伝法な言葉遣いがすごくチャーミング。排気量の大きいエンジンがゆとりを持ってその場の空気を満たしていく感じ。下世話な部分を楽しむように演じる一方、劇中劇の凛とした表現は客席をまるごと彼女たちが描く架空の舞台に導く力があって。渡辺のちょっと古風な風情も、小泉の内側にあるいたずら心や自らの喉をつくような激しさもそのお芝居からじわっと観客に伝わってくる。

この時点であとからやってくるシーンのハードルが凄く上がっているように感じて、正直大丈夫かと思ったほど。でもその心配は全くの杞憂でした。

村岡希美が大好演なのですよ。デフォルメされたお芝居のコントロールが絶妙なのです。舞台で演じられる時、きちんと観客席を魅了するだけの力が演技から感じられて、なおかつ渡辺・小泉がちょっと肩をすくめるようなダメさを含んだ「かもめ」がしっかりと現出していることに驚嘆しました。それと生きている女優の「華」を村岡はしっかりと作り上げていて・・・。これが物語に深さを創出していくのです。

セリフを忘れて、プロンプターの仕事がしみついた渡辺や小泉にさらっとフォローされるところも、薄っぺらいボケではなく彼女の人間臭さとして広がっていく。頭のてっぺんから足先まで女優を背負っている姿に生きているものと亡霊の落差が見事に作り上げられて行きます.

そして、最後に登場する蒼井優の「かもめ」のすごさ。素直でまっすぐな表現は演じる役者の若さを伝え、台詞が積み重なる中であふれ出てくる包み込むような力が村岡の「華」を凌駕していく・・・。安定感も他の3人と遜色なし。舞台が進む中で豊かで筆舌に尽くしがたいようななにかが蒼井の「演技」からやってくるのです。また村井との絡みでの間の取り方のうまさ、コメディエンヌとしてのセンスも抜群。噂には聞いていましたが、この人ただものではありません。彼女の死の受け入れ方からは観客の心を浸潤するに十分な瑞々しさと深淵を思わせる時間の闇がやってきます。
生瀬演出が、4人の女優をしっかりとコントロールして、3人の亡霊と一人の女優を見事に解き放ったということなのでしょうね。こういう贅沢な舞台を前から2列目で観ることができるのは幸せな限り・・・。

カーテンコールの時、4人の女優の立ち姿の美しさに目を奪われました。単純に容姿だけでも眼福ではあるのですが、それだけではない何かが舞台からやってきて・・。これだけの密度をもった舞台を作り上げた自信みたいなものなのでしょうかねぇ。自信が気品を醸成し気品が風格を作り上げる。そう、静かに頭を下げる彼女たちには風格がありました。

よしんば立ち見であったとしても、この舞台、観る価値は十分にあるかと・・・。

14日までの公演ですが・・・、お勧めです。

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