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MU「JUMON(反転)/便所の落書き屋さん」太さが醸しだす繊細

2009年5月27日、渋谷LE DECO(4F)にてMU「JUMON(反転)/便所の落書き屋さん」を観ました。客席は超満員。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意の上お読みくださいませ)

脚本・演出はハセガワアユム。LE DECOの空間にL字型の客席を作って・・・。入場したとたんに緩やかな密度を感じるのは、舞台の椅子やスチールの家具が前回公演と同じような感じだからかも。前回の公演も本当によかったですから・・・。

その開演前の期待感、裏切られることはありませんでした。

「JUMON(反転)」

以前に上演された時と男女の設定を反転し一部改変したとのこと。一人の女性と共同生活をおくる男性たちの家があり、新入りの男性がその家にやってくるところから物語が始まります。仲間に入れてほしいと彼は言う。最初は無関心を装っていたその家の住人たちも、彼を受け入れる気持ちになって・・・。住人たちの性格や抱えるもの、さらには欠落しているなにかが明確に伝わってくることで、彼が受け入れられていく過程に説得力が生まれて・・。

そこに女性たちが被害者の会として抗議に押しかけてきて、家宅侵入で男たちにつかまります。3人の女性がそれぞれに異なる事情を持っていて。同床異夢というか、個々の裏側に見えるエゴが表現されていきます。

エピソードの積み上げ方が明確で、なおかつ役者たちのキャラクターの表わし方がしっかりできているので、ハーレム屋敷と括られてしまうその家の内側に満ちたひとりの女性を核とした共同体への想いが無理なく伝わってきます。一方被害者の会側の女性たちの行動と裏腹にシンプルな想いも伝わってきて・・・。

愛の形の新旧が交差する中で、子供を孕んだ共同体リーダーの女性の想いがすっと浮かびあがって・・・。

印宮伸二が薄っぺらさな部分を維持しつつ心の空白をうまく表現していて・・・。そこからドミノのように住人たちの個性が浮かんできます。成川知也のすこし母性を含んだような度量の表現が絶妙。坂本健一のナイーブさは単なるリスカ以上のインパクトを観客与えます。小野哲史の怪しさには妖しさといかがわしさがほどよく入り混じっていて。浜野隆之の内側に入り込むような感情表現も生々しく客席に伝わってきて好演だったと思います。

被害者の会会長を女装で演じた小林タクシー、不思議な存在感があって。最初こそ笑ってしまいますが、彼から伝わってくる彼女の想いには男性が演じることでの歪みがない。すごくナチュラルな感じがするのです。宍戸香那恵は戸惑いのなかの一途さが力みなく表現できていて。長岡初奈から伝わってくるパワーには被害者の会のアクティブな面がうまく表されていたと思います。

佐々木なふみは男性たちの愛情を背負うだけの裏付けを作り上げてみせました。アンニュイと達観と伝法な部分が渾然と伝わってくるのです。しかもそれぞれの仕草を貫く愛情がきちんと横たわっていて、観客に染み透ってくる。この人はやっぱり凄い・・。

終わり方にも余韻があって・・・。なにか複雑に心に残る作品でもありました。

「便所の落書き屋さん」

こちらは新作だそうです。どこか少年コミックのようなテイストを持った作品。そのなかに「今」がうまく織り込まれていました。有料トイレに寝泊りをする少年、そこにトイレの落書きについての伝説を信じて書き込みにやってきたカップルは元同級生。

物語の意外な広がりにそのまま引き込まれてしまいます。元同級生や美人美術教師の存在、さらに兄弟の確執などどこか定番の匂いがする設定なのですが、それだけではない魅力がこの物語には内包されていて・・・。

見せ方がうまいと思うのですよ。演出が本当に観る側をそらさない。それぞれのシーン、表層的には異なる雰囲気に満たされているのですが、全体に漂う香りのようなものがあって観ているものがその中にうまく誘い込まれていく。観客の持つイメージを借景にする部分と芝居の中で積み重ねて作り上げていくもののバランスが良くて、舞台からやってくるものを観客は咀嚼することなくがっつりと取り込めるのです。

浜野隆之が演じる少年の貫くようなストイックさがまず目を引きます。佐々木なふみの酔っ払いの美術教師や成川知也の20歳離れた兄の個性にもしなやかなふくらみがあって客を物語からそらさない。少年が命を救った女子高生、清水那保の観客を揺らすような「無垢な善良」さが瑞々しくて、その色が物語にしなやかな厚みを作り出していく。彼女には何かを凌駕するような透明感を舞台に与える力があって・・・。その女子高生の彼氏を演じた小野哲史も独自の雰囲気を醸し出して好演。その他の高校生たち、印宮伸二、坂本健一、宍戸香那恵、長岡初奈も単なるにぎやかしとしてではなく一人ずつのキャラクターがみえる形でシーンを構築して舞台の密度を上げていく。

小林タクシーはこちらでもどこか胡散臭げなキャラクターを演じるのですが、その雰囲気を背負いながらヒールにならず誠実なイメージを観客に残していくところが・・・・すごい。

物語に終わり方にも、重さはないのにあとを引くような質量があって・・・。

*** ***

2作を観終わって。

それぞれに短編とは思えない充実感がありました。コンテンツがすごくしっかりとしていて。でも観疲れしたわけではない・・。もしさらにもう一本見せてくれると言われたら是非に観たいという食欲がしっかり残っていて・・・。不思議。

ハセガワアユム的な見せかたのうまさって絶対あると思うのですよ。客が物語を深く観るために必要な部分を見極めるセンス、そして本当に見せるべき部分をためらいなくしっかり見せ切る潔さ。前回のMUでも感じたのですが、間違いなく常ならぬものを彼は持ち合わせているとおもうのです。

次回のMUは9月、シアターモリエールでとのこと。こちらも是非に観たいと思います。

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北京蝶々「愛のルーシー」、知的好奇心のフレーバー再び

2009年5月23日ソワレにて北京蝶々第12回公演「愛のルーシー」を観ました。場所は下北沢OFF・OFFシアター。

昨今の劇団の評価と比べて若干キャパが小さめの劇場ということで、客席は超満員でした。客入れがきびきびしていて本当に気持ち良い。すっきり場内が収まってお芝居が始まります。

(ここからはネタバレがあります。十分ご留意ください)

舞台は「バイオスフィア」と言われる実験施設。閉鎖生態系を構築してその中で8人の男女による実生活の実験が行われています。試行錯誤のなかで被験者は飢えながらの生活が続いています。

キャラクター達は役名に加えてシーンの間に挿入される映像などで、それぞれの出所や能力などが示されます。職業などにまつわる観客のイメージをうまく利用して、ミニチュア化した実社会の構造や感覚が浮かび上がってくる。戯画化された表現のひとつずつに無理がなく、気が付けば観客はなにげにバイオスフィアの住人たちに感情移入をしていたりします。

しかし、飢えや閉塞感によるストレスが高まってくると、次第に人間関係が変化してくるのです。タイトな世界の中で、お互いの価値観や想いがあらわになっていく。そして、まるでフラスコの化学反応をみるようにモニターでそれをずっと観察している施設の研究員たち・・・。被験者の保護を名目に介入が行われて・・・。

作・演出の大塩哲史は今の地球に起きている様々なことをしたたかに織り込みながら,少々下世話で人間臭い施設内での物語を構成していきます。研究員が語る近未来の有り様や、植物の知識を持ったキャラクターが語る知識に十分な裏付けがあって、それが物語の骨組をがっつりと固めてつないでいく。役者たちが本当に大塩の意図するキャラクターを巧みに表現していて。

帯金ゆかり の元酪農家、家畜を扱う実直さがしっかりとベースにあって、私がこれまでに見た彼女のお芝居とは一味違った境地を観ることができました。彼女の表わす素朴さからは、単純さではなく欲望と諦観のアラベスクのような感じが伝わってきて・・・。元アイドルを演じた白井妙美はキャラクターが持つ未熟な部分や不安定さを安定感を持って表現していました。キャラクターが気がつかないものを、観客にしっかりと気がつかせていく。光の部分をしっかり見せながら影の部分を焼き付けていくお芝居にあざとさを感じさせないところがとてもよいのです。

岡安慶子はステレオタイプな元主婦にしなやかな奥行をつくってみせました。ちょっと真夏の夜の夢のヘレナ(だっけ・・)を想起させる役回り・・・。凡庸な雰囲気を作り上げ、内側に潜む意思を穏やかなカオスとともに絶妙な力加減で見え隠れさせる手練に引き込まれました。地味なキャラクターなのですが、物語を広げるだけの存在感がきちんと伝わってくるのです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      元ライターを演じた鈴木麻美は持ち前の切れを生かして物語を進めます。前半の中庸中立の姿はの凛としていること。実は自らの内心を見せない姿に違和感がなく、でも包容力のに観客までもが彼女の物語運びに気持ちよく仕切られていくように思える・・・。その冷静さを見せられているから、終盤、彼女の理性が渇望に近い好奇心に凌駕されていく姿には息を呑みました。

元ニートを演じた本井博之はまさにはまり役、容貌等の作り方もさることながら、キャラクターの内にあるプライドの表現がとにかく秀逸なのです。彼の行動と言動それぞれに圧倒的な実存感があって、素で演じているような錯覚を観客に与えるほど。すごく繊細な演技の積み重ねがなされているのだとおもいます。怠惰さの表現にもメリハリが効いていて、その心情がぼやけずにしっかりと伝わってきて・・・。東谷英人が演じる公務員には他のキャラクターよりも強いデフォルメを感じました。キャラクターを貫き通すなかで、外側の硬質さに加えて内側の脆さというか密度の薄さのようなものが鮮やかに浮かび上がっていきます。

植物マニアの元大学生を演じた森田祐吏は、シニカルな雰囲気で舞台の色を染め替えて見せました。コンプレックスを内在したような抑制が効いた演技に、後半にぞくっとするような熱が加わる。知識に裏打ちされたその熱の表現には迫力があって・・・。その演技が物語の仕掛けを必然に変えていたようにも思います。田淵彰展が演じる元建築士は他の登場人物たちが内包する狂気にたいする基準点のような部分があって・・・。自然体で力まない演技で物語の枠をしっかりと築いていました。

研究員役の二人も好演でした。先輩役の高木エルムのどこか超然とした雰囲気は舞台にある種の客観性を与えていたように思います判断に含まれるキャラクター自身の恣意的な部分の匂いが絶妙。後輩役の石井由多加からつたわってくる生真面目さも物語の要所をさりげなく引き締めていました。

バイオスフィアの内部を観察していた研究員が自らも内側で暮らす選択をする終盤。

バイオスフィアの中の閉塞した現実ですら外側の環境の悪化の中ではシェルターの役割を果たすことになるという近未来の設定に、真綿でなにかを締め付けられるような感触を感じてしまいました。

でも、その閉塞した空間だって、そんなに悪いばかりではないのかもしれません。少なくとも観終わって絶望はなかったし・・・。作品のさまざまなことをランダムに思いながらカーテンコールの拍手をして・・・。北京蝶々を見た時にやってくる独特の感覚を今回もたっぷり味わうことができました。

R-Club

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劇団競泳水着「NOT BAD HOLIDAY」機微の秀逸な表現

2009年5月19日、劇団競泳水着第十一回公演、「NOT BAD HOLODAY」を観ました。場所は池袋シアターグリーンBASEシアター。

この作品は5月10日にワークインプログレスを拝見しています。その時点でも心惹かれるシーンが多く、すごく本番を楽しみにしておりました。

で、まずは初日に拝見。(日曜日にもう一度観劇予定)

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

舞台上手前方には待合室風長椅子、その奥には一段上がってうどん屋さんのテーブル。その隣には食卓テーブル。下手にやや広い空間。モノトーンの床と壁。

真崎家の3姉弟、社会人野球の選手だった弟が腕をいため解雇されて故郷にもどってきます。故郷には母と長女がいるのですが、母が病気で倒れて入院をしてしまいう・・。

姉が努めているうどん屋や母親が入院した病院、さらには弟が所属していた会社など・・・・。、時間と場所が舞台上で繋がり合って、物語がしなやかに観客を巻き込みはじめます。キャラクターたちの職業や生活がすっとわかりやすく描かれる一方で、個性や想いはシーンの積み重ねで色を帯びてくる。

それぞれの色の交わりはさらに深い色を作り物語にふくよかさをあたえていきます。コミカルだったり、深く浸潤するようであったり・・・。キャラクター同士のふれ合う姿はその場に留まらず、キャラクターが内包した時間とやわらかく共鳴してして観客を揺らしていく。家族の空気、恋人同士の距離感、医師や看護士が交わす言葉、あるいは医師と患者家族の想い・・・。ひとつずつの出来事に閉ざされたり解き放たれたりするキャラクターたちの心の機微が、そのまま観客の心に流れ込んでくる。観客には物語を追うのではなく、物語に身をゆだねるような感覚がやってくるのです。

作・演出の上野友之が編み上げるシーンには澱みがなく透明感があって、シーンのつなぎ方が本当に秀逸。ひとつの舞台に載せられたいくつもの空間を見事にコントロールして物語をつなげていきます。たとえばフェイドアウトするようなシーンのかぶせ方が絶妙。前のシーンの余韻を残したまま立ち上がる次のシーンにはより大きな広がりが生まれたり・・・。或いは空間の使い方もそう、想いを交わすふたりが電話ではなすシーンの距離とそれぞれの向きが空間の色をさらに深くしたり・・・。そのような外連が物語を濁らせず、より高い透明感と広がりを舞台に与えていくのです。

演じる役者達にも本当に力があって・・。

細野今日子から伝わってくる想いは観客を理屈抜きに染め上げていました。演じているのはあまり外側に感情を出さないキャラクターなのですが、その内側の心の揺れや憂いが、しなやかで緻密な演技から確実に観客へと伝わってくるのです。なんていうのだろう・・・、よしんばその想いがビターなものであっても、観客がさえぎることができないような質感があって。

細野と色は違うのですが、観るものを浸潤していくような想いは佐伯佳奈杷からも伝わってきました。彼女は、言葉のはざまというか一瞬空白になった時間で想いを観客に伝えることができる・・・。無表情に憂いを込めたり、その憂いをすっと笑顔に隠したり・・・、キャラクターの繊細さとしなやかな強さを彼女のリズムでしたたかに表現して見せました。

川村紗也の実直な演技も光りました。「リビング(カスガイ)」の時と同様に、今回も中庸な感情表現やまわりとのバランスが要求される難しい役柄だとおもうのですよ・・・。キャラクターが持つ強さの中に、すかし絵のように垣間見せる素直さというかやわらかさ、うまいなぁとおもうのです。梅舟惟永の演技の大きさも目をひきました。彼女の芝居には表現力に加えて安定感があって、与えられたキャラクターを演じるだけでなく他の役者が表現する揺らぎをしっかりと支えていました。ナースとしての表情にもリアリティがあって。百花亜希の演技からあふれ出る包容力にも瞠目。彼女のお芝居にはきめの細かさを感じます。終盤、彼女が醸し出すぬくもりにはあざとさがなく観ているものまでが癒される感じ。でも、演技にぼけやぶれがないのです。

大川翔子は空間を自分の色でそめることに長けていました。彼女のキャラクターは、ある意味舞台全体を束ねるフレームのような役割なのですが、彼女から醸し出される艶やかさと滑らかさが、それを超える明るさを舞台に与えていました。OLの実存感も作り上げていて好演だったと思います。

玉置玲央の演技は解像度がとびぬけている感じ。それと、私が知らなかっただけなのでしょうけれど、この人は相手役をしっかりと生かすお芝居をするのです。細野や佐伯、さらには高見との会話のなかで、玉置は自らが演じるのキャラクターに加えて相手の想いをしたたかに浮かび上がらせていく。その鮮やかさに舌を巻きました。

高見靖二の演技には力みがなく包容力がありました。細野の演技を受け止めるだけの大きさが実直に表現されていて・・・。また、想いの出し入れがスムーズで彼が抱えるものが彼のあるべきところにおさまっているように思える演技でした。

さいとう篤史の演技には切れを感じました。芝居がくっきりしていてすごくわかりやすい。シーンにリズムを生むような力もあって・・・。高橋克己は演じ方によっては単なるヒール役になりかねないキャラクターにうまく広がりを作っていました。場内から笑いをもらうようなデフィルメを行いながら、その中に野球に関する真摯さをしっかりと作り上げていて・・・。

堀越涼橋本恵一郎のドクターは本当に見ごたえがありました。堀越の演じるキャラクターにはコミカルな部分とシリアスな部分が共存しているのですが、そのバランスが絶妙にコントロールされているのです。観客を笑いに導きながら、彼のコアにある生真面目さがまったく損なわれることなく伝えられていく・・。それが終盤の百花とのシーンで見事に生きる。橋本の演技が気持ちよく堀越の心情を浮かび上がらせていきます。彼の演じる医師のプロ意識には実存感があって、堀越演じる医師が背負うものをうまく引き出していいたとおもいます。

それにしても、この作品、物語の見せ方が本当にうまい。

弟が想い合う人と電話で話すシーン。単純に電話がつながるのではなく、一旦留守メッセージを入れるシーンが差し込まれる。直後にお風呂上りの彼女がそのメッセージを聴いて電話を返すのですが、そのワンクッションで役者からこぼれる想いが何倍も強く観客につたわってくるのです。こういう風に作られたシーンって、なにかずっと観客の記憶に残るような気がします。

長女と八百屋をやっている腐れ縁の男友達が見晴らしの良い場所から街を眺めるシーンや、医師の謝罪に対しての患者の娘の言葉にもやられた。登場人物がずっと抱えてきたなにかが解き放たれるとき、自然と目頭が熱くなりました。

そもそも、ワークインプログレス時にも各シーンのクオリティには瞠目していたのですが、本番ではひとつずつが一層よくなっていて・・。シーン構成が一新されただけではなく、姉妹が東京で暮らしているときのシーンが挿入されて家族を流れる時間がしっかりと固められていたり、地元のFM放送の番組が差し込まれていたり・・・。それらの積み重ねがトータルな作品のクオリティをがっつり昇華させていたように思います。

その他にも心に残るシーンがいくつもあって・・・。クロスワードパズルを使ったエンディングもすごく洒脱。

観終わって、素直にもう一度観たいと思いました。
ほんと、上野友之の作劇の才と役者たちの力を改めて実感したことでした。

私にとっては、多分今年のベスト5になりうる作品かと・・・。もし、お時間があれば是非におすすめの一作です。

***** ***** *****

その日はたまたま私の誕生日ということで、お芝居が終わってから残業帰りの旧友と待ち合わせてシャンペンを一杯おごってもらいました。

よいお芝居を観て、よいお酒をいただけるのは幸せの極み。久しぶりに満たされた時間のなかで誕生日を過ごすことができました。

で、観てきた芝居の話をしながら、おり込みのパンフレットを見せていて、私が劇場で読んでいてまったく気付かなかったあることを彼が発見して・・・。ありがたいことだとはおもうのですが、ちょっとびっくりしてしまいました。

R-Club

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Prifix2 色とりどりのたのしさよ!

5月11日、王子小劇場にてPrifix2を観ました。さまざまなタイプの芝居が集まって、観ていてあきませんでした。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

・柿喰う客 「邪道・プロポーズ」

いきなりベタな関西風漫才から始まります。コンビ名はアントンとチェーホフ。そのやりとりは、多分チェーホフの戯曲の一部になっている・・・。速いテンポと小気味よいリズムで漫才の稽古が進んでいきます。その漫才っぽい部分自体におもしろさというか物語の展開を期待させるところがあって・・・。また、グルーブ感をもって表現できているので、ネタが世間で受けている(新人賞をそのネタで取った)ということが違和感なく観客に伝わってきます。

でも、漫才の稽古は何度も中断されるのです。先輩の芸人っぽいキャラクターがおためごかしに二人の間に入り込もうとしたり、あつかましいファンが時間を止めたり、新しいネタへの意欲があってもプロデューサーのような人物が練習しているネタを続けるように推奨したり・・・。

で、劇中漫才のネタが走っているシーンでは明るく照らされている舞台が、バックステージ的な部分になると照明が落ちる・・。そこに世間からの評価を集めて走っているランナーたちの揺らぎのようなものを感じて・・・。

コロ、深谷由梨香の漫才、つくられたような関西弁が機能するのは、彼女たちの旨さに加えてネタに演劇的スピリットが編み込まれているからかと・・・。古典のテイストに対してこういう自在な色の作り方ができるのってすごいとおもうのです。七味まゆ味の3役がそれぞれに醸し出す世界の力加減も絶妙で・・・。切れがあってキャラクターの色や粘度のようなものがしっかりと表現されていることが、物語にさらなる奥行きを与えていきます。

アントン・チェーホフの生涯をモチーフにした作品って他にも観たことがあって、たとえば井上ひさしの「ロマンス」あたりでは、作家としての彼の苦悩が人間臭く描かれていましたが、同じものを中屋敷は漫才というフォーマットに押し込めた感じ。

表現を縛る者への苛立ちのようなもの・・・・。スタイルを揶揄する周囲や、贔屓を引き倒すようなファン、新作をやりたい二人に対して、冒険をせず安全に今のままでもう少し引っ張ろうというプロデューサー。それに対するアントンとチェーホフのとまどいが、物語からしたたかに浮かび上がってくる。

世間からの評価がもたらす高揚感と称賛の光が影をつくり、表現者のルーズで破綻のない苦悩にやわらかい実在感を与えていく・・・。ぞのしたたかな陰影のつけ方に、中屋敷が持つ作劇センスの卓越を感じるのです。

1時間の割り当てに30分の戯曲。でも、作品自体に舌足らず感があるわけでもなく、そのボリューム感は充分に感じられたので、上演時間が短かったことには全く不満はありませんでした。むしろ残りの30分を中屋敷みずからがコントで埋めようとしたのにちょっと驚いた。(しかも適度におもしろくてもう一度驚いた)、そこは、彼流のけじめなのかもしれませんけれど、私個人的には本編ですでに大満足で、なにかおまけまで貰った気分になったことでした。

・Plat-formance 「irregular」

劇団初見。総理大臣と秘書の情景が描かれていくのですが・・・、発想がすごい。総理大臣も秘書も実は10代で歳をごまかして総理になってしまったという・・・。一国の政治を預かる人間たちのいい加減さと子供っぽさに笑いながら、ふと気が付くとそれらが見事に今の日本の政治の雰囲気とダブる部分があって。

政治風刺的なコントは、たとえばニュースペーパーなどが有名ですが、Plat-formanceには彼らのようないかにもという毒や揶揄が薄い分、その戯れに不思議なリアリティを感じてしまうのです。口当たりのよさがそのまましたたかさにも思えて・・・。

この劇団、ちょっとやばい・・・。こういう感覚というか見せ方が身上であるとすれば、もしかしたら、さりげなく大化けするかもしれません。

・仏団観音びらき「KWANNON CHABARET in OJI」

個人的には大好きな関西系の劇団です。今回は短時間ということもあって比較的少人数で定番ネタをいくつか・・・。すでに何回か首都圏でも公演しているのですが、正直なところ、この劇団を良く知っている人はあまりいないみたいで、そういう意味ではご本人たちもおっしゃていたようにAwayかも・・・。

しかし、やっぱり濃いですよ。ここは・・・。幕間の時間からキャンディを配ったり、お客さんをいじったり・・・。ただ、関西弁でやられるとその場に角が立たない。お客様もしょうがないという空気になる・・・。で、無意識のうちにかれらのテイストに馴染まされていく・・・。本番前の空気の作り方、これも芸のうちかと思ったり。

本編にも場を押し切る力を感じました。ダメンズネタにしても、犬ネタにしても、ましてPerfumeのパロディにしても、確かな芸があってのことなので崩れない。崩れなくて突っ切る力があるから観客が引くことなく押し切られてしまうのです。

会場にいた全員をファンにすることは出来なくても、何人かの新規ファン獲得には間違いなく成功しているかと・・・。今回と同じように15minutes Madeなどの複数劇団による短編集に顔を出すと、東京でももっとファンの層が厚くなるような気がします。

私的にはポリバケツねたを再見できて大満足でございました。

・負味「負味と申します」

負味初見。

オムニバス形式のコントを10本以上・・・。映像などを使ったネタもいくつかあって・・・。

結構すなおに面白かったです。オーソドックスではあるのですが、ちゃんと一定の笑いを導くすべを知っている感じがする。「世界の車窓から」のパロディ、個人的にはつぼかも・・・。アテネオリンピック、砲丸投げの表彰式あたりになるとちょっとモンティパイソン風な不条理の色彩が強くなって好き嫌いが観客にも出てくるとは思うのですが、私的にはこういう毒もきらいではありません。

コントの質としては、ホームランバッターというよりアベレージヒッターかなとも思います。、シチュエーションというか空気をすっと舞台に引き入れるような力があって、結果として笑いのバリエーションが広く取れているような。CCBネタできちんとあの時代のクールさを作れるあたりに、この劇団の表現者としての基礎体力を感じました。

定番なのかどうかわかりませんが、最後に土下座してあやまってみせることで、コント全体というか劇団としての統一感をだすあたりにも、良い意味でのしたたかさが見え隠れしたり・・・。

・カミナリフラッシュバックス「OLストッキング祭り」

タイトルをみて、予想通りの展開ではあったのですが、ここまでパワーが伝わってくるとは思いませんでした。

OL風の4人が頭にかぶったストッキングをバトルロワイアル風に脱がしあい最後に残った人が優勝という設定。そのストッキング、自分がはいていたものを脱いでかぶるというところがそもそも艶かしくて・・・。男女によって感じ方はちがうのかもしれませんが、少なくとも私には目のやり場にこまる感のむこうに、演じている人間のリアリティのようなものが伝わってきて・・・。そこからのファイトには、極めて戯画的でありながら、それだけにおさまらない役者の意思のようなものが感じられるようになる。

役者たちの肉弾戦は、充分に突き抜けていて、理性を超えた笑いがやってきます。武器としてカニが出てきたり、宙吊りにトライしたりといったネタも舞台に勢いをつけて・・。

こういうネタって中途半端にやられると見ている側までが己のさもしさものを感じる結果になりかねないのですが、ここまでの力量をもってやっていただけると、スカートの内側までがみえてしまうような猥雑さもほどよく吹き飛んでいくのです。下卑さに沈み込まずカラっと素直に笑える・・。タフさの先にあるものを見据えて舞台に立っている役者達が何か良いのです。

べたに楽しんで、終演時にとても気持ちよく拍手ができました。

******

いってよかったと思います。

フライヤーを観たときには、演劇ではあまりない予約不可・途中入退出不可というシステムにちょっとびびったりもしたのですが、粛々と細やかに運営されていて、とても気持ちよく個々の演目を楽しめました。

各劇団を一通り見終わると、けっこう満腹。うふふと会場を後にしたことでした。

R-Club

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o劇団競泳水着WIP(おすすめ公演!!!)/バナナ学園純情乙女組/FUKAIPRODUCE羽衣/・・・

最近週末だけではおさまらない私の予定・・・。困ったものです

この週末から月・火で拝見したものをつらつらと・・・。

・劇団競泳水着 「Not Bad Holiday」WIP(ワークインプログレス)←おすすめ!!!

 (*本番開始前の公演についての記事です、内容や貼り付けたリンクに問題がある場合には ご連絡ください。早急に対応いたします。)

都内某所にて拝見しました。内容は書けないですけれど、19日からの公演がものすごく楽しみになりました。

ほんと・・・、見入ってしまった。作・演出の上野友之氏が組み上げるいくつものシーンに心を浸潤されて。それと、役者がすごくよいのですよ。その醸し出す色に浸潤されてしまう場面がいくつもありました。あざとさを感じずにキャラクターにすっと感情移入できてしまう。うまく言えないのですが、観客がその場に身をおいて時の行く末を深く共有したくなるような魅力があるのです。

で、本番までにさらにブラッシュアップされるという・・・。

もともと上演期間の後半に見に行く予定をしていたのですが、加えて初日にも予約をいれてしまいました。そのくらいに魅力を感じたお芝居で・・・。自分の感想を整理しながらふと思ったのですが、この公演、リピーターになる人がけっこういるかも・・・。

今日時点で初日はすでに完売していて、もうすぐ売り切れる回もあるようです。それほど大きな小屋ではないので、公演が始まれば評判などとあいまって他の日もあっという間に埋まっていくかもしれません。

劇団のHPを貼り付けておきますね。(ここから予約ページに入れました

http://k-mizugi.com/

作り手側に媚びがなく、一方で多くの方に受け入れられる間口を持ったお芝居であり、芝居好きにもあまり劇場に行かれることのない方にもお勧めかと思います。

作・演出:上野友之

出演:川村紗也・大川翔子・細野今日子・玉置零央・堀越涼・高見靖二・梅舟惟永・佐伯佳奈杷・橋本恵一郎・百花亜希・さいとう篤史・高橋克己

本番の公演期間は5月19日(火)~26日(火)

会場は池袋シアターグリーンBASEシアター

おすすめです。

(この先、バナナ学園純情乙女組とFUKAIPRODUCE羽衣の記事にはたくさんのネタばれがあります。ご承知おきの上お読みくださいませ)

・バナナ学園純情乙女組 「通信簿ちょーだい女」

5月11日王子小劇場にて拝見しました。前回も中屋敷台本が遅れて大変だったというこの公演、今回も遅れたみたい・・・、というか結局前半30分分しか台本が来なかったということで、舞台上で中屋敷氏が弔われてしまうことになりました。前説が弔辞の形式で行われたり、黒リボンの「遺影」が使われたり・・・・。で、お芝居も本当に途中までで終わってしまうのです。潔いというか気が抜けるというか・・・・。なんか微妙におかしい。

中屋敷氏と電話が通じなくなっているとか以前も下北沢で彼が逃げ回っていたとか・・・・、虚実ぎりぎりっぽいネタがお約束的にうまく機能してはいました。物語を最後まで観たいという飢えを観客に植え付けることには何とか成功していたし・・・。でも、わかっていてもあれっという感覚があるのは事実。

で、その分を充実させたというのが、「おはぎLive」。前回公演時はミニ版をみたのですが、その時同様まさに圧倒的。

そりゃね、マイクのミキシングなどに若干の問題はあったりするのですが、そういうのを超越して観客を巻き込む力があって・・。キャンディーズやピンクレディ、ウィンクなどのナツメロ・・・、さらにはモー娘系・・。良い歳した中年男がどきどきわくわくしてしまう。

ゲストのelephantmoonの酒巻誉洋(前回はがっつりご出演でした)、時間堂の星野菜穂子もしっかりと歌いきります。出演者は以下のとおり・・・。

二階堂瞳子・加藤真砂美・菊池佳南・野田裕貴・前園あかり

浅川千絵・浅利ねこ・荒川ユリエル・石下由加・石原麻美・大川大輔・倉橋佐季・紺野タイキ・柴田ヂュン・高村枝里・田中正伸・野上真友美・春野恵・ばんない美貴子・古野明歩・目崎剛・山口航太

あ、そうそう、作は中屋敷法仁です。

浅川千絵の不思議な存在感・・・、前回に引き続いて印象に残りました。カムヰヤッセンですごく良い演技を見せた野上真友美は今回も魅力的で、なおかつ冒頭から物語をしっかり制御くする力量があって・・・。ばんない貴美子も目を惹く。まあ、二階堂瞳子の落ち着きというか貫録もただものではなくて・・・。

2か月ごとの公演、まだ続くようです・・・。その貫き方が魅力でがあるのですが、この先どのような展開になっていくのか・・・。てなことが観る者に去来する時点でバナナ学園マジックの虜になっているのかもしれませんけれど。

・FUKAIPRODUCE羽衣第10回公演「朝霧と夕霧と夜のおやすみ」

この劇団、初見です。5月12日ソワレ。場所はこまばアゴラ劇場。

会場に入ると舞台の鮮やかさに目を奪われます。背面の書き割りと床が一体になっている。客入れ中に照明が何度か変化したのですが、それによって変わる舞台上の雰囲気におおっ!と思ったりして。やがて鳥のさえずりの中で、もごもごしたものが下手から上がってきて舞台が始まります

朝の情景がすごい。舞台全体を覆うようなシーツから一人ずつ目覚めて、となりのパートナーに語りかけていく。底から浮かんでくる夜の明けきらないような時間の人々の営み・・・。個々のキャラクターがもつ猥雑さが不思議と朝の空気に溶け込んで、それらを包み込む朝の街が浮かびあがってくるような・・・。

山登りのシーンにしても夕暮れや夜の時間にしても、絶妙な下世話さが熱とともに舞台から伝わってくるのです。その熱も人を焼くようなものではなく、ぬるく長い熱・・・、サウナのような感じ。表現のコアには、まちがいなくリアリティがあって、それをまとう事象表現に恣意的な偏りが施されていて・・・。

妙ージカルというのだそうです。洗練というのとは少し違うのだけれど、表現に幾重にもデフォルメが課されていて、なんともいえない魅力が伝わってきます。どう言えばよいのだろう・・・。輪郭線が太く盛り上がっているというか・・・。くどい程の台詞の繰り返しがあったり、身体表現にちょっとあからさまな部分を感じたり、舞台からはみ出るような振付の仕方や、押し通すような歌にはこれでもかというような感じがするのですが、でもね、それがないと見えない人間の本質に潜んだなにかが間違いなく伝わってくるのですよ。それもびっくりするほど繊細に・・・。

クレジットは以下のとおり

プロデュース・出演:深井順子

作・演出・出演:糸井幸之介

出演:藤一平・寺門敦子・熊谷知彦・西田夏奈子・高橋義和・キムユス・鯉和鮎美・日高啓介・伊藤昌子・澤田慎司

すごく達観しているようでもあり、どきっとするほど瑞々しくもあり・・・。不思議なテイストに最後は翻弄されていたような・・・。

正直言って私自身の中で評価が揺れていたりするのです。下町の小さな洋食屋で極上のお肉をミンチにして作ったハンバークを通常の何倍もの大きさで味わったような心持ち。すごくおいしいし、決して大味でもないのですが、食べる側も体力を要求されるというか・・・。

終演時、汗だくの役者たちほどではないにせよ、なにか体を動かしたような錯覚にとらわれて・・・。ゆっくりと深呼吸をして席を立った事でした。

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電動夏子安置システム 「PerformenⅣ」律する快楽をみたような

2009年5月9日ソワレにて電動夏子安置システム第21回公演 [PerformenⅣ]を観ました。電動夏子安置システム初見。場所は池袋シアターグリーン Box in boxシアター。

この作品、2バージョンに分かれているとのこと。私がみたのはリネア編。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

脚本・構成:竹田哲士 演出:高松亮

冒頭のシーンから、人の動きにやられます。椅子に向かいあう二人とその周りをまわる三人の動き、規則性をもってその規則性を超える広がりを感じる。さらには群舞・・・、人の営みをあらわすようなダンスがすごい。ダンスが本職ではない役者さんが演じるのですが、それがかえって味になって、鳥瞰したような現世の人間の姿が場内にしっかりと伝わって・・・・。

神の模倣である人間を点と線であらわすこととそれに縛られない姿への表現に関する議論。さらには神の意志に逆らった人々が落とされるという地獄の概念が暗示されていきます。

主人公は神の逆鱗に触れ地獄の一番深層に幽閉されているという師を探しての旅にでる・・・。その道程で体験する地獄の有り様というか概念がコントによって示されるのです。鉄骨のように組まれた物語の枠と、サンプルのように示されるコントの柔軟さに相乗効果があって・・・・。このやり方だとコントの理不尽な設定が許されてしまったりするし、一方コントから具体的に見えてくる地獄のニュアンスがメインの物語の肉付け的な役割にもなったり。で、そのコントが絶品なのですよ。

神というか人間世界を支配するものが、ぐたぐたにシチュエーションの始まりと結果を結び付けようとしたり・・・。

携帯のメールを何人もの伝言で伝えようとしてカオスが生まれたり・・・。

電車の中でのできごとに、無理やり入り込もうとして悪戦苦闘する男とか・・・。

共通して人間の行動を根幹からしたたかにつかみ取るようなセンスがすごい。ぞくっとするようなシュールさで仕組まれた笑いがやってきます。それでなくても手練の役者が演じるコントって奥行があり笑いが深い。結果として貫く力と表現する柔らかさを兼ね備えた笑いが現出する・・・。こういう笑い、私にはにめちゃくちゃにつぼなのです。

神の模倣である人間を点と線であらわすこととそれに縛られない姿への表現に関する議論。さらには神の意志に逆らった人々が落とされるという地獄の概念が暗示されていきます。

役者は以下のとおり。

渡辺美弥子・小原雄平・じょん・道井良樹・澤村一博・なしお成・岩田裕耳・小林裕明・高松亮・大鹿順司・小笠原佳秀・児玉久仁子・西畑聡・蒻崎今日子・片桐はずき・加藤なぎさ・菊地未来・小泉めぐみ・添野豪・武田真由美

役者の力には若干のばらつきを感じたのですが、それは物語を成立させる力が担保された上での優劣。

地獄の旅物語もラストまで尻つぼみにならず、さらなる広がりを維持して終幕。コントの必然性も最後まで揺らぐことがないのです。

やっぱりこういう良質なお芝居は、劇場を満席にしますね。良いものを観たと素直に思える作品でありました。

2バージョン両方を観ることができないのがかなり残念。あと、全然関係ないのですが、劇団名の由来も知りたく思ったり・・・。

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中屋敷「学芸会レーベル」の底深さ&「切れなかった14才❤りたーんず」プチ感想

2009年5月1日「切れなかった14才❤りたーず」の「学芸会レーベル」を観ました。作・演出は中屋敷法仁。場所はこまばアゴラ劇場。

当日中屋敷法仁氏は名古屋で公演中ということで、制作の方が前説を実施。

(ここからネタばれがあります。十分ご留意ください)

舞台は幼稚園。昨年幼稚園を追放されたというみゆき先生があらわれて・・・。

前半からリズムに乗った舞台の展開にぐいぐい惹き込まれていきます。先生>園児>父兄という人数構成が物語の風通しを良くしている感じ。生徒を少なくして「学芸会」を演じる側より運営する側にスポットを当てて物語が構成されていく。先生間の戦いがお遊戯によってなされるところがわかりやすくてすごい。お遊戯の表現力にはシンプルで抵抗できないような魅力があって、観ていてすなおに舞台の色に染められてしまうのです。「グー・チョキ・パーで♪」と言われた瞬間に舞台と観客が一つに同化させるような不思議な空気に支配されてしまう・・・。

「お口チャック」で相手の攻撃を封じ込めるのには笑った。こういうの理屈抜きに好きかも。

お遊戯にそこまでの力が秘められているから、「学芸会」を演じるのではなく「学芸会」に取り込まれてしまうという物語の前提にも説得力があって・・・。で、学芸会が始まってからの展開、まるで落語の言いたて(たとえば黄金餅での葬列の行程)のようなグルーブ感に酔いしれました。全部を把握しているわけではないかもしれませんが、赤ずきんに始まった物語が

うさぎとかめ・浦島太郎(玉手箱をからめて)⇒シンデレラ・鶴の恩返し・花咲か爺・水戸黄門・笠地蔵・こぶとり爺さん・一寸法師・かぐや姫・ジャックと豆の木・一休さん・・・・

などの間を疾走していく。しかも、物語が単純につながれていくわけではない。登場人物たちの、感情や愛情がしたたかに物語のつなぎに織り込まれていくのです。その繋がりの終焉からはカオスまでが浮かんでくる。。

そりゃね、なぜハッピーターンがおやつとしてスポットライトをあびるのかはよくわからかったりもする。物語の運びがちょっと強引かなと思う部分もあります。でも、そういう遊びや無茶を楽しいと思えるのは物語に芯がしっかりと埋め込まれているからだとも思うのです。中屋敷作劇のしたたかさの一端を見たたようにも感じて・・・。

役者のこと、伊東沙保のお芝居にまずやられた。これまでも彼女の舞台は何度か観たことがあるのですが、これほどの躍動感を持った彼女の演技は初めてでした。川田希もカニクラとは異なる演技で魅了されました。演技にふくよかさがあって、舞台の空気を豊潤にする力を感じた。大道寺梨乃の演技が醸し出す保母の雰囲気には実存感があって、なおかつ演技の切れにも惹かれて。萩野友里からやってくるある種の硬質な感じが舞台全体を締めていたような。

三澤さきの演技は舞台上の幼稚園にナチュラルな実存感を与えていたと思います。その実存感が奇想天外な物語に根を持たせるための枠組みになっていたような…。同じような役目を田中佑弥も担ってい、支え切っていたように思います。

永島敬三の軽妙な演技は舞台にスピードをつけていました。川口聡の粘度のある演技も子供のいたいけではない部分がよく表現されていて。子供の心の陰影もうまく具象化されていたと思います。武谷公雄のお芝居にも子供の実存感みたいなものがうまく現われていました。

今村圭佑の存在感もすごかったです。切れを見せるお芝居ではないのですが、なんというか、舞台上での不思議な支配力があって・・・。お芝居に十分な質量を与えていたと思います。

それにしても、終演時の満たされ感、なんなのでしょうね・・・。軽い疲労感と駆け抜けた爽快感のようなものが残っていて。充実感を超える何か・・・。この何かがあるから、中屋敷作品、やめられないのです。

***** ***** *****

終演後、名古屋と東京をインターネットで結んでのアフタートークショー。作者の想いは箱根の山を越えてきちんと観客に伝わっていたとおもいます。ただ、スクリーンの中屋敷氏の反応が少々遅いのが難点といえば難点で、そのずれ感がトークショーの熱をやや下げているような気がしました。よい試みだとはおもうのですけれどね、もう少し流暢に通信ができるとがあると、大向こうをうならせるようなやり取りができたのではと思います。

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帰り際、6人の演出家すべてを観たご褒美に福袋のようなものをいただきました。

杉原さんの招待券は京都でのお芝居で、その時点で京都にいることはまずないので断念。中屋敷さんのミニ戯曲はちょっとたのしい。柴さんからはちょっと昔のコミックが入っておりました。篠田さんのビールはなにかお人柄がでているように思えて(おいしく頂戴いたしました)。神里さんのDVDは観ていてお芝居がよみがえってきた。白神さんの小さなブラシはマジで役に立っております。こういうの、なんかすごくうれしい。

「切れなかった14才❤りたーんず」、ほんとによい企画だったと思います。6作品(篠田さんと白神さんの分は2回観たので8公演)それぞれから優劣の比較をしようがない独自の色が感じることができたし、客入れの雰囲気や前説を演出家がやること、さらには共通の雑誌を発行したりと演出家間でのトークショーや一定の統一感を持って演じられることでのふくらみも間違いなくあって。

スタッフワークもすごくしっかりしていたし、スタンプラリーや幕間の企画も楽しくて。よしんば劇場の座席が多少つらくても、すごく気持ちよくお芝居を見ることができた。また、シンプルな汎用性というか様々な広がりへのゲートウェイ的な場を作った舞台美術の佐々木文美さんの功績も大きかったように思います。

この企画、いろんな相乗を生んだと思うのです。作り手側のことはトークショーで語られていることくらいしかわからないのですが、たとえば私にしても、それぞれの演出者の個性や力をがっつり味わうことができたし、白神さんや杉原さんという初見の演出家の才能を知ることもできた。

あとから語り草になるくらい、いろんなことが繋がりひろがった企画だったと思うのです。

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切れなかった14才❤りたーんず「14歳の国」あの頃の空気が醸成されて

遅くなってしまいましたが、2009年4月29日ソワレにて切れなかった14才❤りたーんず「14歳の国」を観ました。作:宮沢章夫、演出:杉原邦生。初見です。このシリーズ、気がつけばもう5本目。ごほうびにシールをもらいました。まあ、これだけの作品がよく並んだものだと感嘆。はずれが1本もないものなぁ・・・。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意の上お読みください)

劇場に入ると、そこは教室。舞台一杯に並べられた机には迫力を感じます。そんななか、杉原氏の前説はどこかフレンドリー。ちょっとずつ舞台に観客を引きいれるような感じ・・・。それの雰囲気は登場した役者たちも同じこと・・・。舞台の内側と外側の中間に立ったように簡潔に時代背景などを観客を説明して・・・。そこから大音響の音楽と照明等で構成されたタイトル場面で一気に物語に観客を導いていきます。

教室に先生がやってきて持ち物検査を始める。どうもきびきびとはいかない。そのようなやり方に反対している先生もいるようで・・・。

コミカルなやりとり。時間に追われながらもどこか切迫感のないぼんやりとした空気。先生間での溝のようなものもじんわり浮かび上がってきます。その中で、生徒たちに醸成されていくなにかが見落とされていく。何を恐れているかもわからないまま、方向性というか行き場の十分定まらない義務感で作業を続けていく教師たちのフラストのようなものがどよんとその場にたまっていく。観ている側までがだんだんとその空気に侵食されていくような感じさえして・・・。

でも、噛み合わない先生たちが掘り出した生徒たちのかけらから、生徒たちの気配がすこしずつに観客に明らかになっていきます。「自分史」、共通の言葉。揮発性のガスがあちらこちらから漏れ出して充満していくよう。それを明確に感じることができず、よしんば感じたとしても自らの感覚にふたをしてしまう先生たち・・・。机やカバンの中にしまわれた生徒たちの世界が一気に熱を帯びて露出していく終盤が実に圧巻・・・。それは先生たちの空気に腐食していった生徒たちの箍が一気に外れたようにも思えて・・・。

爆発に近いその表現に愕然とし、その表現に至るまで舞台を着実に満ちさせた杉原の鮮やかな手腕に瞠目した事でした。

役者は以下のとおり。

真田真・菅原直樹・山崎皓司・鈴木克正・小畑克昌

派手さはないのですが、それぞれがキャラクターを貫く演技に徹していて・・・。キャラクターどおしがこすれたりぶつかったりするときの音で醸成されていく空気はとてもわかりやすいのです。役者たちの実直な演技にモニターに映る映像や、カメラ、終盤の舞台の作り方など、杉原のセンスがしなやかに重ねあわされて・・・。なにか抜けられないというか、その場に立ち会うかのごとく時代の空気に浸されたような・・・。

杉原演出、したたかだと思います。あの事件があったころの学校の雰囲気を、肌の感触のように感じたまま、劇場の階段を下りたことでした。

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「ソラオの世界」研ぎ澄まされた鉈

2009年5月5日、西田シャトナー作・演出の「ソラオの世界」を観ました。会場は大塚萬劇場。

結構雨が強くて、傘をさすのが下手な私は若干濡れながら到着。

でも、こういう芝居ってお天気関係なし。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

開演前に西田シャトナーさん自らが前節。ギターを抱えて登場すると、すてきにしょうもない替え歌のサービス。

開場が適度に暖まったところで、少しだけ間をおいて舞台が始まります。

舞台は中央に台状のスペース。4本の細い金属パイプで作られた可動式の柱上のものが4セット。比較的素舞台に近いシンプルな装置。

主人公がバンドのコンサートを大成功させているシーンから物語が始まります。それは夢。目覚めた彼はけっこういい加減で自分のライブとバイトの脳波治験をダブルブッキングしたり・・・。で、治験を優先して脳内のイメージを具現化する装置をかぶったとき、落雷で彼は夢の世界に閉じ込められてしまいます。

夢の世界でのできごと。記憶とイメージが激しく交錯して彼の彷徨が始まります。バンドの成功、勉強部屋でコントロールされる巨大なトロッコと父母の干渉。自らへの裁き、そして愛する人との時間。

表現の豊潤さにぐいぐいと引き込まれていきます。イメージの広がりが観客をさらっていく。パワーマイムと言われる表現手法。ハラハラするほどに強く勢いを持った演技が矢継ぎ早に舞台を駆け抜けていく。一方ですっと足を止める静の瞬間にも強い引力があって取り込まれたり・・・。物語が成り立つぎりぎりのところで、役者たちが互いのエキスを絞り合っているようなシーンが随所にあって、物語にさらなるふくらみを与えます。舞台上でのあたりが強いというか、役者のパワーが観客を凌駕するようにやってくる。

一つ間違えれば物語のフレームすら壊しかねないような力の入れようも、手練の役者たちがやると舞台に繊細さを与えるのです。大味にならず緻密に舞台が締まっていく。パワーが舞台をルーズにしないボーダーぎりぎりでのせめぎ合い、観ていてわくわくしました。

出演者は以下のとおり

早田剛・保村大和・岩永洋昭・上野亮・渡部将之・深寅芥・中津五貴・平山佳延・所里沙子・ミヤタツ・原田麻由・荻野崇・伊藤えん魔・平野勲人

芸達者が多いこと・・。伊藤えん魔のカニ、あれはずるい(褒め言葉です)。一方早田剛や上野亮、所里沙子、中津五貴といった若い役者たちもベテラン達の演技に引っ張られるように伸びやかに舞台を作っていきます。平山佳延のイヤガリネズミの存在感がとても印象にのこったり・・・。小嶋じゅんの勢いに流れることない演技も芝居の奥行きを広げていたと思います

物語はループを経て、光が見えてくる。その閉塞感と希望のバランスもとてもよくて・・・。

それは、不思議な感覚でもありました。こういう排気量の大きい芝居ってなにかとても久しぶりに観たような気がして・・・。まあ、PiperやMCRなどの芝居にも骨の太さはあるのですが、こういう荒ぶるような強さを持った芝居って最近あまり観なかったような気がします。でも、加速度がつくような場面でも雑な部分がなく瞠目するほどにしなやかで、なにかしっとり感があったりする。

西田シャトナー氏の底力なのでしょうかねぇ・・・。

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Dull Colored Pop 「ショート7 Bプロ」

2009年5月3日、昨日に続いてDull Colored Pop ショート7を観てきました。今回はBプロです。

昨日同様に狭い階段を下りて舞台をみると、高さをもった畳張りの空間が乗っかっていてびっくり。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。)

上演順に感想を・・・。

1.息をひそめて

同棲している彼女の浮気を疑っている男、彼女の様々な行動に疑心が募ります。思い当たる節が、運命をノックする音と重なり合い、男の心を追い込んでいく。出張が予定より早く終わった日、彼は床下に潜り込んで、彼女の浮気の証拠を押さえようとするのです。

で、彼女が連れてきたのは女友達・・・。お酒を飲むうちに、彼女が友達に話す様々なことが床下の彼につたわって・・・。

堀奈津美の表現が本当にまっすぐで、すごく良い。観客に普段着のようなトーンでキャラクターの想いを伝えてくれるのです。「ありのまま」がすごく精緻に演じられていて。田中のり子の話の引き出し方もすごくナチュラルで、堀奈津美のカムアウトに違和感を与えない・・・。二人の作る時間に気負いがないので、佐野功が演じる男の「運命」のノック音の行き場のなさがすごく際立つのです。

次第に相手を思う心が定まっていくような女性と、すこしずつ疑心が膨らんでいく男の対比の鮮やかさ。その擦れ違いの香りがシチューのなべから浮かび上がってくるようで。

最後、堀と佐野の間に漂うに空気に、不思議な瑞々しさを感じた事でした。

余談ですが、終演後あれよあれよという間に4畳半の部屋が消失していくのも観客には一見の価値あり。ちょっとした魔法をみるような感覚があります。舞台に携わっている方たちには当たり前の光景なのかもしれませんが・・・。

出演 : 堀奈津美、佐野功、田中のり子

2.エリクシールの味わい

ビックリするほど本物のミュージカルです。出演者たち、単に歌が上手いだけではなくキャラクターとして物語を歌えるのが強い。

今回のようにキーボードとパーカッションだけのシンプルな伴奏だと、役者が背負うものがすごく大きいと思うのです。ましてや、飲尿ミュージカルです。観客の想像力では埋めきれない感覚を舞台側でしっかりと作らなければ成り立たない。でも、そんなことはこの作品に関しては一切心配する必要がありませんでした。

小林タクシーが歌い始めた瞬間にぞくっときました。歌のなかにブレのないキャラクターを作り上げていく。設定の違和感をコミカルさのオブラートにつつみ、歌だから表現しうるキャラクターで観客を見事に取り込んでいく・・・。男の変態への確たるプライドも笑いを誘います。

尿を売る側を演じる女優たちもがっつりとキャラクターを作り上げていきます。女子高生の無邪気な部分、バイトガールの生真面目さ、それぞれにコントロールされた存在感があって・・・、「羞恥」が観客の琴線に触れ場内に笑いが広がっていく。

人妻を演じた佐々木なふみの色香には生活感がすっと差し込まれて・・・、うまいなあと思う。したたかなお芝居からやってくるナチュラルな艶が舞台を膨らませます。

SM嬢の突き抜けかたも物語の密度をぐっと引きあげて・・・。

ここまでに舞台が作られているから、岡田あがさが作り上げるキャラクターが舞台から浮かないのです。すこしロックティストな歌い方には観客をたちまちに浸潤する力があって、彼女の存在に舞台のトーンがしなやかに塗り替えられていく。

ヒール役の演技が世界をひきたてます。男の想いがコミカルさを凌駕して観客に伝わるとき、男と少女の尿を介した純愛がまぎれもなくそこにあって。

作曲・演奏・出演・音楽監修:伊藤靖浩 

出演:岡田あがさ、小林タクシー、清水那保、千葉淳、桑島亜希、佐々木なふみ、田中のり子、ハマカワフミエ

こういう物語の作り方、ミュージカルの王道だと思うのですよ。音楽もなじみやすく高揚感があって、bowのあとに音楽で締めるやり方も正統派かと。ほんと、オフオフブロードウェイのミュージカルを観ているみたい。

Janis」を観た時にもオフオフミュージカルのテイストを感じたし、音楽的な妥協のなさに感服したのですが、音楽の物語へのからみ方という点では今回のほうがさらに深いレベルでの作り方がされていたようにも思います。

谷ミュージカル、今後どのようなものを見せていただけるのか、すごく楽しみになりました。

3.藪の中

客席側から現れた紋付・袴の堀越涼が、歌舞伎役者よろしく舞台で礼。凛と空気が張りつめて・・・。暗転して演じるシチュエーションがアナウンスされて舞台が始まります。

検非違使などが活躍している時代、藪の中の死体について、発見者や犯人、犯人を捕らえたもの、被害者の妻など7人の話が演じ重ねられていきます。

「演劇のリアリティは、台詞でも演出でもなく、俳優の身体からしか立ち上り得ない」とパンフレットの作品解説にありましたが、堀越の演技から湧き上がるリアリティは演じる人物にとどまらずその背景にまで広がっていて、物語が進むうちに藪の風景が次第に浮かび上がってくるのです。まるでジグゾーパズルのピースが埋められていくように現れる真実。生々しく描かれた人物を透過して観客を包み込むような時間がそこにあって。

最後に「いたこ」の口を通して被害者が語る時間がそれまでに重ねられた時間と同化するとき、男に訪れる死の色が深々と舞台を染めていきます。

陰惨な物語なのですよ。でも、陰惨さを晒すわけでも隠すわけでもなく、登場人物たちが醸し出す生々しさを、死の色の深淵に置き換えていく演出のうまさ。そして世界を背負いきる堀越涼の演技力に舌を巻いた事でした。

原作は芥川龍之介。

出演 : 堀越涼

*** *** *** ***

Aプログラムと合わせて7本を観終わって・・・。、谷賢一氏が持つ表現の間口の広さにひたすら瞠目。多彩な作品群なのですが、それぞれに個々の作品としての深い奥行きが存在する。「谷賢一」風というくくりでは縛ることができないフレキシビリティを持ってこれだけの作品を作り上げていく才能は、やはりすごいとおもうのです。

終演後、腰や足はしっかりと痛かったけれど、上演中はそれをまったく感じさせないほどのクオリティが個々の作品にあって・・。よしんばそれが薬物がらみであっても尿の味わいであっても、素材や表現に不純さやあざとさを感じさせない点にも常ならぬ彼の力を感じたり・・・。

今後の彼の作品やDull Colored Popの公演を心待ちにする気持ちが沸々と湧いてまいりました。

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Dull Colored Pop ショート7 Aプロ 

5月2日、ソワレにてDull Colored Pop「ショート7」のうちAプログラムを観ました。場所はPit 北/区域。

主宰の谷賢一氏が自らの短編を2回に分けて再演するという企画です。この公演、楽しみにしていたのですよ。Bプログラムは3日マチネで観る予定。加えて5月6日のマチネでもう一度Aプログラムを観る予定・・・。

狭い階段を下りていく。この劇場、舞台が近い・・・。まあ、しいて言えば座席がきついのが若干難なのですが、何とか耐えきり、迫力のある舞台を満喫することができました。

ここからネタばれがあります。十分にご留意くださいませ

上演順に作品の感想を・・・。

1.ソヴァージュばあさん

黒澤世莉演出バージョンを4×1h Projectで観た作品。その時にも強い印象を受けた作品です。冒頭のシーンの質感がかなり違っていて、一瞬戸惑う。しかし、兵士たちが家事の手伝いを始めるころにはすっかりその世界に取り込まれていました。

黒澤演出と谷演出では生き残った兵士の立ち位置が違うというか、その物語が語られる視座が異なるように感じました。黒澤演出がその惨劇をすべて受け入れた上での割り切れなさをベースとして語られる物語だったのに対して、谷演出ではもっと近い時間と距離でその惨劇が語られていくような印象があって。結果として黒澤演出ではやわらかく浸潤するようにやってきたソヴァージュばあさんや兵士の想いが、谷演出では切っ先鋭くやってくる。谷演出の方が兵士たちからやってくる感覚も今様で、ソヴァージュばあさんの行為に至るまでのカオスのような感情も生々しく伝わってきます。その分、観客が物語全体を俯瞰できるところまで来たときの、兵士たちに訪れた理不尽さやソヴァージュばあさんの自らの行為に対する諦観のようなニュアンスは弱くなっているようにも思えたり・・・。

ただ、描き方が異なっても役者の演じ方が違っても、ソヴァージュばあさんが自らの感情をどうしようもできなくなる姿が観客を巻き込んでいく時の色は同じで、そこに作品の持つ普遍性を感じるのです。

出演:堀川炎、和知龍知、佐野功、堀越涼

(黒澤演出時の出演は菊地美里、上野友之、坂巻誉洋、坂口辰平)

黒澤・谷両氏とも贅沢なほどに良い役者を揃えて。逆に役者を揃えないと描けない世界なのかもしれませんが。

2.Bloody Sauce Sandwich

舞台のカラフルさにまず目を惹かれます。フロアや机の上のゲーム。
主人公の女性によってメルヘンチックに語られる朝の風景。そして股間からふき取られる血の生々しさ。

そこに姉の声が響いて、目ざめ。世慣れした姉の言葉。供されるサラダ。悩み事を聞き出そうとするする姉からは、むしろ姉のキャラクターや生活が伝わってきたり・・・。でも、そんな朝がルーティンとなり、主人公の事情が示されるなか、幻影が現れて・・・。

姉役の佐々木なふみの演技には強い実存感と安定感があって、現実の朝の光景と客観的な主人公の姿を素の色で浮かび上がらせる・・・。その色がしっかりと与えれるから、観客は主人公が姉を遮断していく姿にも滴るようなリアリティを感じるのです。ハマカワフミエのテンションをしなやかに保った演技が、主人公が抱えるものの密度をしっかりと支えていきます。千葉淳が演じる幻影のまとわりつくような感触と姉を主人公の内から葬り消し去っていく電動ノコギリの回転音、主人公の内心に浮かぶ色は観客にまで重く覆いかぶさっていくよう。

出演:ハマカワフミエ、佐々木なふみ、千葉淳

それでも主人公に繰り返し訪れる朝。彼女が語る風景の変化、淡々した表現から浮かび上がる彼女の心の滅失にぞくっと鳥肌が立ちました。
最初は生臭いほどに鮮やかに見えたトマトジュースの赤が、最後には妙に色褪せて感じられた・・・。そこまでに観客を浸潤する力量を持った作品でありました。

休憩

3.15分しかないの

初演を前回の15minutes madeで観ています。その時の強いインパクトが、再見でも遜色なくやってきました。

初演時には1列に並んでの分身たちのやりとりだったのですが、今回は位置がスクエアになったり自由な動きまでが加わって。その分彼女からあふれるような心の移ろいや揺れがより瑞々しくなったような・・・。

デジタルっぽく三つのシグナル間の多数決のようにして決まっていく彼女の内心、ロジックは変わらないものの今回はそれぞれのシグナルが表現しうるバリエーションが増えて、その分心の面積というか揺れる振幅が広がったようにも感じました。

とにかく3人の女優たちの演技の切れが抜群で、その切れで彼氏のウェットな部分に揺れるナイーブさを現出させるところがまたすごい・・・。個々のシグナルを点から線、さらには揺らぎの幅として機能させる役者たちの表現力に改めて感嘆してしまいました。

このメソッドで違うシチュエーションも観てみたいような・・。

出演 : 堀奈津美、桑島亜希、境宏子、千葉淳

4.アムカと長い鳥

冒頭、アムカへの語りかけ。長い鳥の尾っぽ。最初に空気が作られて、なにかに幽閉されているようなイメージが会場全体を包んで・・・。観客はその中に漂うような主人公を息をひそめて見つめてしまいます。

危ういバランス感が肌から染みいってくるような感じ。清水那保はしなやかな密度のコントロールで観客を主観と客観のボーダーにとどめながら、時間を進めていきます。

お風呂の時間。テレビかラジオをザッピングするタイミングに満たされない苛立ちが浮かんで・・・。

携帯電話での会話から、浮かび上がっていく素の世界。電話の向こうからやってくる友人の今と、狂ったチューニング音のように認知されるこちらがわの子供の泣き声。苛まれながら友人の電話を切る・・・。内側に生まれた脆さが会話から膨らみ、表皮を残したままの理性を依存が凌駕していく。

歯止めのないオーバードース。逃げるために依存し、依存しきれないなかでさらに依存していく・・・。手を放してしまったような中途半端な慰安とさらなる崩壊。

観客として不思議な感覚がありました。彼女の内側にどんどん染められ惹き入れられるのですが、それでも、片足が客観の域に残ったような感じで、主人公を外から見ていたりする。で、あいまいさのなか、役者が作り上げるキャラクターが言葉にできないような感触を置いていったり・・・。

なんだろう、逃げ場がない落下感・・・。ちょっと違う・・・。

うまく言えないのですが、揮発しない感覚が残る作品でありました。
もちろん褒め言葉です。

出演:清水那保

*** *** *** ***

終演後、谷賢一氏とアロッタファジャイナの松枝佳紀氏、さらにはアロッタファジャイナの女優安川結花さんも加わってのトークショーがありました。

このトークショー、趣向があってキャバクラで行っているという設定にしてあるのです。出演女優の方のドレス姿が実に美しくあでやかで。で彼女たちがトークショにちゃちゃを入れていく。それも正面切ってではなく、ときにはしらっと、時にはささやきで場を作るのがおかしくて・・・。

で、彼女たちのプレッシャーをかいくぐっての主宰者どおしのトーク内容からは、松枝氏と谷氏の演劇に対する熱さがきちんと伝わってきて興味深かったです。二人の想いが完全にマージしていないようなところに、それぞれの才能や劇団の個性を感じたりもして・・・。

それよりもなによりも、安川さんが真中にいて二人が似ているとけれんなく言い放ったところが、めちゃくちゃおかしかった。ビールの飲みっぷりも観ていて本当に気持ちがよくて・・・。やっぱりこの人ただものではない。

まあ、観客にとって気を抜くことのできない作品の連続でしたから少し疲労を感じたものの、とてもふくよかな気持ちで帰途につくことができました。

Bプログラムも実に楽しみ・・。王子と駒場東大前を往復するゴールデンウィーク。けっこういいかも・・・。

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「グァラニー~時間がいっぱい」影はできても光を浴びて

4月29日マチネにて「切れなかった14才❤りたーんず」のうち「グァラニー~時間がいっぱい」を観ました。作、演出は岡崎藝術座の神里雄大氏。広小路亭での「三月の5日間」で度肝を抜かれ、「リズム三兄弟」でもとても惹かれた演出家&作家です。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

開演前、上手袖の部分で出演者の女性たちが小刻みに体を動かして気合いをいれている。やがて時間がくると、女性がひとり舞台中央に歩みだして、精一杯の笑顔で観客を見渡します。そして、白いドレスを着た6人の女性のダンスが始まる・・・。West Coast風の音楽と華やかで優雅さを持った衣装、さらにはヨサコイのようなその掛け声のとばらばらに組み立てられたそのダンスは、不思議と明るくパワーにあふれていて見る者の目を奪います。そのダンサーたちがとある男性の花になる。日々の生活にふっと疲れ会社をさぼって喫茶店に入った彼は、自らに去来する記憶を語り始めます。彼がパラグアイに移住した子供の時のこと、曖昧な記憶の中で、印象に残ったことが次々と言葉にかわっていく。「過去をつみとることは今を受け入れること」。

初めて彼が現地の日本人学校に行った時のことなどが語られていきます。彼を取り込んでいた女性たちは花の髪飾りをひとつずつ彼に握らせて彼の元を離れていく。そのスカートがスクリーンに変貌していく演出も秀逸で・・・。学校でのこと、次第に友達ができていく姿や感じた世界が肌触りとともに伝わってくる。苦労話でも美談でもない感覚・・・。彼のイメージの中に登場する若いお母さんや、サザンオールスターズの話などからペーソスと生々しさが積みあがって、その肌合いが実感として伝わってくる。「チャコ」の海岸物語のちょっとした誤解。冒頭の女性たちのスカートが美しいスクリーンになっていて、そこに映るバスの車窓の風景に彼の漠然と広がる孤独感がすこしくすんだ高揚感とともにやってくる。スカートのフリルが作る映像のギザギザ感が男の想いの肌ざわりにも思えて・・・。

後半は、パラグアイで生まれた女の子が日本の学校に転入してくる話が展開されます。クラスメイトたちの興味、でも実際に付き合ってみると話が合わない・・・。興味の対象が違うというか感覚にずれがあって・・・。それでも付き合ってくれた子と喫茶店ですごす時間のの気まずさのようなものが、細かく具象化されていきます。

で、彼女の母親が、めげる娘を叱咤激励するところがとにかく圧巻。感覚の違いを凌駕し自らがパラグアイで乗り越えてきた日々を、娘にも乗り越えさせるためのパワーに変える言葉があふれるようにやってくる。そのがむしゃらさが、直球で客席を席捲するのです。最初はえっと思うようなたぐいのパワーだったのが、気がつけば含まれる強引さのようなものがなにかに昇華していて完璧に取り込まれてしまいました。そして、その熱をしっかりと受け止めていく娘の姿に光明を感じて・・・。

終盤、ステージの中央に立つパラグアイを生きた人々が立つ姿にじわっと来て、さらにマテ茶を口にするうちに「美味しいかも・・・」と言い始めた女の子の友人の姿にうるっとした。友人のなにげな表現に、これからやってくる彼女の日々がすっと照らされたような気がして・・・。

役者は以下のとおり

杉山圭一・菊島かずは・高須賀千江子、宇田川千珠子、上田遥、板倉奈津子、寺田千晶

母親役を演じた菊島にしても上田にしても、芯ががっつり太いお芝居で、なにかを突き抜けるようなグルーブ感があるのです。菊島が演じるクールな部分も上田か発する高揚感も、その太さにがっつり支えられていて・・・。一方彼女たちの子供に当たる役を演じた杉山や宇田川の演技では繊細さがうまい具合に想いを内側に織り込んでいて観客を惹き込んでいきます。宇田川の所作にはしっかりとした表現力があって。杉山がニヒリズムをスパイスに見せる実直な思いにもたっぷりと見ごたえがありました。

また、彼らに接する側を演じたふたりも舞台をしっかりと支えました。高須賀の所作や演技には洗練があってはるおの想いに実存感を与えていました。板倉もそのナチュラルさで、したたかに宇田川の演じるキャラクターの色を浮かび上がらせて好演だったと思います。

狂言回し的な役回りを演じる寺田千晶の感情表現にも目を引かれました。言葉という小さな出口からとても輩出しきれないような気持ちの振幅がすごくうまく表現されていて・・・。

観終わって、舞台からやってくるものに、素直にまっすぐ心を浸潤されたような気がします。たとえば訥々と想いを話す友人にゆっくりと心が同化していくような感触。それと、うまく言えないのだけれど、日差しの明るさに影がきちんとあるようなお芝居だなと感じました。

そうそう、スカートを広げて重ねたスクリーンもすごく心に引っ掛かっていたり、そのスクリーンに映し出された風景が訳もなく心を揺らしていたり・・・。

どこか抱えきれないけれど、でもナチュラルな満たされ感を持って、ゆっくりと劇場の階段を降りた事でした。

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