マシンガンデニーロ 逆転をささえきる中盤の力
ちょっと書込みが遅くなりましたが、4月10日、中野ポケットにてマシンガンデニーロ、第6回公演、キラーパスを観ました。
昔、中野に住んでいたことがあるのですよ・・・。
ちょっと早く駅についたので昔通っていたラーメン屋で簡単に食事をして・・。若い頃口に馴染んだものってどうしてこう美味しく感じるのでしょうかねぇ。
マシンガンデニーロは第3回公演から観ている劇団。今回で一旦活動を休止するとのことで少しさびしい気もして。
(ここからネタバレがあります。十分ご留意の上お読みください)
劇場に入るとそこにはパイプで組上げた汎用性のありそうな舞台装置。上手側には、なにか滑り台のようなものも見える。ちょっとわくわくしているうちに場内もほぼ埋まり、舞台の幕があきます。
導入部に要領よく物語の前提をつみ上げてサクサクと物語を進める・・・。現実にも多発している無差別殺人と、物語の前提となる近未来の終身刑(流刑)の概念が浮かんできます。死刑廃止後の極刑にあたるという流刑・・・。その中で被害者の姉の復讐劇が始まる・・・。被害者の親族が加害者に対して抱く復讐心に配慮した新しい制度のテストケースが実施されるというのです。作・演出の間拓哉は、受刑者の記憶を消し地雷撤去や核施設の清掃などの仕事をボランティアとして実施させるという設定の中で復讐者と加害者の心情の変化を丁寧に描いていきます。
中盤の物語の作り方がすごくしっかりとしていて、その分観客は物語にぐいぐいと引き込まれていく。地雷撤去作業での緊張感の作り方のうまさ、逃亡の中での被害者と加害者それぞれの想いの表現には観客を無意識のうちに感情移入力されるだけの力があって、気がつけば主人公の葛藤がどんどん観る側に積み重なっていく・・・。
そのなか、国家として復讐が承認され、一定の条件を満たせば公的に復讐が許されるという制度が正式に採択されます。一方で記憶を消された受刑者には彼らの犯した罪が再び示されて・・・。
以前のマシンガンデニーロ本公演品に見られたような外側の世界への視点の拡散がこの芝居では少なくて、そのぶん登場人物たちの感覚や熱がそのまま観客に伝わってきます。いったん伝わった感覚には物語の展開のなかでさらに深い視点を観客に与えていく粘り強さがあって、問題の本質や個々の当事者の感覚がねじ込まれるように客席にやってくる。それは、これまでにもあった裁判員制度や人が人を裁くことをテーマにした芝居や映画と、異なった実感を与えてくれて・・・。
罪を悔いることや償うことの重さに関して、終盤のどんでん返し後の登場人物の心情を、美しき理想の姿と感じさせないシビアさが厳然と舞台を支配して・・・。
作品上に設定された架空の試みがしっかりと鮮やかに生きてくるのです。
出演:松崎映子 菊池豪 内海絢 内海詩野 岡田梨那 小河慶子 加藤芙実子 三瓶大介 島田雅之 土田裕之 山崎雅志 山森信太郎
松崎映子の演技には良い意味での硬さがあって、それが今回は凄く生きていたように思います。逆にいうと、彼女が折れないだけの演技を喰らいつくように最後までつらぬいたから、この芝居が成り立ったような・・・。他の役者も個々のベクトルを大切にした演技で物語の骨格をしっかりと支えていました。
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マシンガンデニーロは今回の公演で無期限の活動休止だそう・・・。
部外者が唐突に申し上げることではないのかもしれませんが、間・松崎・菊地の3人が作り上げる世界には、きちんとした個性があって、そのまま止まるには惜しいような気がします。正直申し上げて、飛びぬけて洗練されていたとは思わないのですが、観るものが目をそらせないような何かが彼らの創作物には必ずあって・・・。
特にLe Decoでの「美しきファーム」の公演などを観たものにとっては、休止をするのではなく、夫々が独立して活動の場を広げながらも、ユニットとしての「なにかを作り上げる意思の継続」は残しておいて欲しいところ。今回のような大きな公演ばかりでなくいろんな形状の作品をもっといろいろ観たいなと感じるのです。もちろん、観客のたわごとではあるのですが、よしんば活動を休止するにしても、生真面目にがっつり休止をするのではなく、いろんな胎動をもったずるい休止であってほしいなと、ひそかに願ったりもするのです。
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