黒色奇譚カナリア派「義弟の井戸」世俗の垢を浮き出させる箍(ちょこっと改訂)
4月12日ソワレにて、黒色奇譚カナリア派、「義弟の井戸」を見ました。会場はシアタートラム。昼間にアロッタファジャイナを見て三軒茶屋でご飯を食べて・・・。夕暮れ時の街、散策道には犬とお散歩に連れ出した人たちがひっきりなしにとおるなか・・・、座り込んで風の心地よさを感じながら本を読んでいる間に、一瞬転寝をしてしまったり・・・。(足元に鳩が来て目が覚めた)
夕焼けに空が染まり始める頃、ゆっくりと立ち上がり、劇場へと向かいました。
(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください)
トラムの大きな舞台を利用して、しっかりとした建て込みがなされています。なにか狭い坂道のようなものも舞台にあって・・・。鞍馬天狗のような頭巾をまとった子供たちや通行人たちが、どこか懐かしい風情を醸し出すなか、舞台がはじまります。
比較的豊かな家庭の長男坊、現在は15年続く引きこもりの真っ最中。そんなとき妹に求婚にきた男が、卒業式のときに便所の横の穴に埋めたりと長男坊をいじめた輩。自分の引きこもりの原因になったような男をマザコンっぽい長男坊は許しません。門前払いで追い返してしまう。そこから男の日参と長男の門前払いが繰りかえされていきます。
今だったら、妹はそんな長男を見限ってさっさと男と一緒になってしまうのでしょうけれど、冒頭の街の描写から浮かび上がってくる時代では、長男の理不尽がまかり通ってしまうのです。放埓だけれど世間体を気にする母は知らんふりのマイペース。仲立ちをしようとする妹の女友達も兄を懐柔することはできなくて・・・。長男といえは陰湿に男が生業にしている材木商の商売事情を絡めて男を追い詰めていく。材木商の仲間たちも最初は同情し憤り男を応援するのですが・・・。
物語の構造はそんなに複雑なものではないし、階層間の摩擦のようなものは、形こそ変われど今だって日常のごとく存在しているのだと思います。ただ、そこに作・演出の赤澤ムックが彼女好みの時代を箍としてはめることによって、昨今めったに見られない日本人的喜怒哀楽が、そりゃ見事に浮かび上がってくるのです。上流階級と中産階級のまんなかに位置をしめるようなクラスの家には、山の手風の世間体とか見得が強く生きていたり、庶民に近い材木商には伝法とか気風なんてものを色濃く背負った男たちがいたりする。それらのう肌合いや匂いが実在感をもって瑞々しく伝わって、物語に不思議な色合いを醸し出していきます。
途中、少しだけだれた感じもするのですが、貧しくていじめられている少女と男が出会うあたりから、俄然物語に奥行きが生まれて観客をひきつけていく。貧しい少女と男の井戸端での会話、さらに冥府にまでつながる物語から浮世に人が抱えたり背負ったりしているものが鮮やかに浮かび上がってきて・・・。
また、役者達がそれらの世界を見事に具現化するのですよ・・・。材木商側の男たちの勢いや雰囲気をがっつりと作り出す男優たちの力。また、ホワイトカラー系の家庭のプライドや胡散臭さも筒井真理子がしっかりと表現して・・・。奇声を発するがごとき笑いの奥に垣間見せるコアにすごい存在感がある。大沢健や犬飼淳治の演技にもその所業にきちんと根を持たせるだけの強さがありました。
少女たちのリーダーといじめられっ娘は牛水里美と升ノゾミのWキャストですが、私が見た回は牛水里美がいじめられっ娘役。仲間といるとき、男と話すとき、さらには井戸をくぐったあとの透明感の色合いにしたたかな演じ分けがあって、今回も彼女にはひたすら瞠目させられるばかり・・・。一方の升ノゾミのいじめっ娘にも、笑顔の奥にぞくっとするような粘度があってこちらも好演でした。逆バージョンも魅力的に感じがして、拝見できないのがちょっと残念な気がしたりもして。
柿丸美智恵も出番は少なめですが、ものすごい実存感で舞台をさらうようなところがあって、渋いうまさがいっぱい・・・。中里順子の凛とした部分も舞台の色をしなやかに引き締めて好演だったと思います。中村真季子のさりげない上品さも目をひきました。
さらには山下恵 芝原弘 眞藤ヒロシ 伊藤新 沖田乱 數間優一 馬場巧 屋根真樹 大島朋恵 片桐はづき、いずれも夫々に舞台に風情を与えうるお芝居で・・・。手練の役者達、がっつりと赤澤ムックの世界を具現化しておりました。
そうそう、頭巾をかぶっている役者は物語から離れて、街の風景や雰囲気を作るという舞台上のルールなのですが、頭巾組は時として、シーンを隈取するようなデフォルメを堂々とやってのけるのですよ。筒井真理子演じるその家の奥様が登場の際に、「・・・・の御成り」みたいな声が頭巾の男優からかかる。街の色だけではなく場の空気までが、その一声でスキッと作り上げられるのです。一瞬掟破りにも感じるのですが、終わってみるとこういう外連、うまいなぁって思う。
終盤、長男の悪意が少女たちに新たないじめられっ娘を導き出すところにも、なにかぞくっときて・・・。
赤澤ムックの世界観にどっぷりと浸り、彼女風の洒脱さで現わされた人間の素の部分に見入ってしまう。彼女の世界にたっぷりと染められて劇場を後にしたことでありました。
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