「すご、くない」(切れなかった14才❤りたーんず、コントロールできない楽しさ
4月26日マチネ(14時の回)にて、切れなかった14才シリーズより「すご、くない」を観てきました。振付・構成・演出は白神ももこ。
会場はこまばアゴラ劇場。雨がけっこくすごくて・・・、ちょっと憂鬱な気分で降りた駒場東大前の駅。でも、観終わった後にも雨は降っていたのに、けっこううきうきと帰れた・・・。で、あまりに後をひくので28日のソワレにて再度鑑賞・・・。この作品の瑞々しさ・・・・。やっぱりすごい。
(ここからはネタばれがあります。十分にご留意ください)
26日のこと、雨が階段の半分にまで振り込んでいて、それを避けるように劇場に上がると、本当に飾りのない舞台。ほぼ中央の席をゲットしてちらしを観ていると、白神さんとおぼしき声が流れてきます。
開演10分前になると、時間までのお楽しみにラジオというかPod-Castのような放送が場内にながれます。これがすばらしくゆるいのですよ。役者の方がコーナーごとに俳句やなぞなぞ、クイズにポエムなどをつないでいくのですが・・・。「ブルーハーツ、尾崎を聴いてXXXXX」みたいな・・・。そのあとのなぞなぞがけっこう生真面目なのもおかしい・・・。白神さんの仕切りの強引さは、ちょっとYEBISU亭のまあくまさこさん風にも思えて。
やがてラジオが終わり、開演時間が近ずくと前説に白神ももこさんが登場します。で、扇をもって本人の声での前説放送に合わせて、振りを決めるのです。立ち姿も美しく動きの一つずつが小気味よく決まるわけですよ・・・。それと流れてくる本人のぐだぐたの説明の差異がどうしようもなくおかしい・・・。目の前で演じていただいているので頑張ってこらえていたのですが、こらえきれなくでふいてしまいました。
この前説、観るほうをリラックスさせるための準備運動がわりだったのかも・・・。
構成・振付・演出:白神ももこ
冒頭に女性が舞台の奥を下手から上手に歩いていきます。そこから実に創意にあふれたパフォーマンスが始まる・・・。
暗転後ひとりの男が立っています。精悍な感じ・・・、それが女性っぽく座るところから舞台が展開を始めます。一人の男が「自分がすごくないので、すごいと思う人の名前を言う」と・・・ぐだぐだに名前を挙げていく。ふくよかな男がやじろべえのような形で舞台を徘徊し始めたり・・・。さらに「重岡君」を捕まえて褒めようとするのですが、そこにいろんなものが歩きまわる・・・。少女の前転や側転をサポートしたり、ばさっと翼を広げる想いを止めたり・・・、その間に重岡君も徘徊を始める・・・。その混乱も、あるいはコントロールしようとするドタバタのおかしさも、たとえば少女の心の移ろいにも思えてすごく瑞々しいのです。少女がスナック菓子を食べるのをとめると、精悍な男が叫びをあげたり二人が倒れた一人を助け上げようとすると、別の一人が倒れたり・・・。それらはシュールリアリズムにも通じる心の風景の描写に思えて、観ている側の心もやわらかく解きほぐされ広がっていくのです。
まるで概念のサーフボードに乗るように寝そべった男の上でバランスを楽しむ少女。
サウンドオブサイレンスに浸る心の高揚や洗濯物を干す中でのパンティのキャッチボールやその後のイメージのふくらみも秀逸。
ラクビーの洗練やスクラムの激しさ、それを見つめる少女に男の子とのの感覚の違いもすっと挿入されて・・・。限りなく続くような感覚の繰り返しにも、すっと同化してしまうようななにかを感じたり。
モンシロチョウの歌も繰り返しがヴィヴィッド。
ほんと、理屈を超越してすごく良いのですよ・・・。ほんの少しのノスタルジーや幼いころの熱中、ちょっとチープなほろ苦さやいたずらっぽいウィット、さらにはふくよかに満たされた記憶の断片に洗われて、満たされて・・・。
規則性と自由さの素敵に豊かな綾織・・・。このセンス、凄い。観ているものの心をやわらかく強く共振させていく・・・。
出演:川崎香織、池田義太郎、石松太一、重岡漠、清水嘉邦、千田英史
28日に再見してしても飽きることなど一切ありませんでした。彼女の作品、もっと見たいと思う・・・。6月にはふじみで彼女の作品を観ることができるみたいですけれど、なんとか生きたいと思ったり・・。追いかけたいものがひとつ増えてしまいました。
追記:4月29日、劇場1Fにてダンサーとしてこの公演に出演中の、池田義太郎先生による「デブ学」の講義が行われました。ゆるいといえばゆるいのですが、でもきちんと筋が通っている部分もあり、何よりも彼自身の人柄の滲み方がよくて予定時間を超過しての熱演をなにげに最後まで楽しんでしまいました。
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