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YEBISU亭 大きな才能のエンジンは噺を歪ませない

遅れてしまいましたが、3月29日、恵比寿ガーデンプレイスにて第25回YEBISU亭を観ました。YEBISU亭はスケジュールが合わずしばらくご無沙汰だったのですが、久しぶりにうまく時間がとれて・・・。

今回のゲストはサッカー選手の永井秀樹選手。オープニングの吉弥師のサッカーユニホーム、ちょっと体格にあっていなくて、それもまたご愛敬。

・桂吉弥「住吉駕籠」

ちょっと遠慮気味の枕・・・。すこしずつ探りをいれながら、懐に観客を呼び込んですっと噺に入ります。

時間ををしっかりもらっていることもあるかとは思うのですが、噺にゆとりがある・・・。で、緩急が大きくつけられるからメリハリが生きる・・・。噺に安定感があるからゆったりと演じても酔っ払いの下りも焦りがないので駕籠屋の所在なさがきっちりと伝わってくるのです。同じ話も3度目になると聴いているほうまでがなにかいらっとしてくる・・・。でそのいらだちがおかしさにゆっくりと変わっていくところがよいのですよ。

以前聴いた時には端正な感じが強い高座だったように覚えているのですが、今回は・・・、なんというか渋みが良い具合に聴いていて・・・。後半の駕籠の二人乗りのあたりからのテンポもほんと頃合いで・・・。こう噺に貫禄がついてきたように思います。

・今夜踊ろう

まあくまさこさん、今回も絶好調・・・。相手がスポーツ選手でも容赦はしません。喬太郎師匠ははなからあきらめ顔だし・・・・、吉弥さんもここはおとなしくしていようという感じ・・・。でも、結局我慢しきれなくなって突っ込み大会がはじまってしまう・・・。

挙句の果てには永井選手からの突っ込みのジャブが飛んだりもしたのですが、意に解せぬ風・・・。しっかりと仕切りきる・・・。すごく不思議なことなのですが、拝見するごとにだんだん彼女の芸風(?)に惹かれている自分がいたりして・・・。

終盤の「お勉強になりましたね・・・」でこちらのお腹もよじれてしまいました。

・柳家喬太郎 「おせつ徳三郎」(通し)

この噺を通しで聴いたのは2回目、はじめてきたのはもうずいぶん昔のことになります。(そのときの噺家さんも思い出せない)それとは別に後半部分の「刀屋」の部分だけをやっぱり昔どこかで聴いた覚えがあります。ちなみに前半は「花見小僧」という噺になるのだそう・・・・。

後半の喬太郎師匠、枕もそこそこに噺にすっと入っていきます。

前半の花見小僧の部分、噺がほわっとやわらかく膨らんでいく・・・。主人の話の引き出し方のあこぎさが絶妙で・・・。お灸の描写にほんの少しサディスティックな狂気を混ぜるのが喬太郎風・・・。飴と鞭の飴が少しだけ手慣れないようにみえるのも主人の性格をうまく引き出していきます。その条件に心が揺れる丁稚がまた絶品、あざといほどにうまい。うまくデフォルメされていて、おびえと期待の間の心の動きがしっかりと観客に伝わってくる。その狭間で語られる花見の様子からまるですりガラスの向こうのシルエットを観るようにおせつと徳三郎の姿が浮かんできます。二人から醸し出される初々しい雰囲気が観客の心をすっと開く。その一方で最後の主人の小僧に対する理不尽な仕打ちに、二人のおかれた運命が暗示されて・・・。

後半の「刀屋」に入ると前半のぬくもりが見事に熱に変わっていきます。おせつの婚礼の話を聴いた徳三郎の恋心、抑え込もうとするたびに噴き出すような一途さが鼓動のごとく観客を揺らしていく。前後の見境がつかない中、友人の話としてかろうじて語る徳三郎の想いの表現には観ているほうが息苦しくなるほどの強さがあって・・・。前半の華やいだ二人の逢瀬をしっかりと刷り込まれているから、この徳三郎の想いの切っ先が一層研ぎ澄まされているように感じる・・・。

その行き場のない気持ちを大きく受ける刀屋の枯れた軽さがまたよいのですよ。熱くたぎった徳三郎の想いをすっと醒まして、そのあとにゆったりと時間をかけて徳三郎の想いの行き場を指し示めそうとする・・・。押し込めるような強引さではなく、その思いを両側から流していくような洒脱さが刀屋にあって、その先にいる観客をも諭すような力もしっかりと内包されていて。徳三郎の心に寄り添うようような部分では、刀屋の若いころまでがすっと浮かんでくるようにも感じます。刀屋と徳三郎が重ねる心情のバランスの繊細さに会場全体が息を詰めるころ合いを見計らって、周りの騒がしさの描写で噺を前にすすめるタイミングがまた絶妙で・・・。

噺の結末は、昔聴いたものとは正反対でした。橋から身を投げるまでの二人の心の表現の淡泊さに互いの想いの固さがうかぶ。刀屋で徳三郎の想いが観客を浸潤し尽くしているので、それ以上はいらないのです。下に筏があってそこに落ちて助かるという昔聴いた終わりは、前段で表現された徳三郎の想いには安易すぎる・・・。このおちは刀屋での場面をここまで昇華させたからこそなしえた喬太郎師匠の選択なのだと思います。二人を死なせてやろうという選択に喬太郎師匠一流のセンスと芸の奥行きをを感じるのです。

長講を感じさせないのも喬太郎師匠がが持つ芸の純度の賜物なのでしょうね、満腹感なくたっぷり満たされる50分でありました。

終演後、余韻に浸りながらご一緒いただいたた方とお話をするなかで思ったこと。その方が作り出すものって大好きで、同時に瞠目させられていたのですが、改めてお話をさせていただくと、その方自身の芯にある柔軟なセンスの持ち方に無理がないことが伝わってくるのです。それは喬太郎師匠の噺の洗練にあざとさを感じないのと同じような感覚だったりして・・・。

もちろん、喬太郎師匠の芸の磨き方もきっと半端ではないのだろうし、その方もなにかを具現化する時には大変な努力をされているに違いありません。秀でた表現というはそんなにポロっと生まれてくるものではないと思う・・・。でもね、大きな才の器をもつ方から生まれてくるものって、その苦しみや努力が表現をゆがめたり曇らせたり偏らせたりしていないようにおもうのです。観客として喬太郎師匠の噺にはずれを感じたことが一度もないのも、その方の話を聞いていてこの人が紡ぎだすものに一生飽きることはないだろうなと思うのも、彼らが授けられたコアに十分な大きさがあるからかと・・・・。

恵比寿駅で埼京線を待ちながら、昼間観た写真展を含めていくつもの才に触れた高揚感を感じつつ、そんなことをぼんやり考えておりました。

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