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「すご、くない」(切れなかった14才❤りたーんず、コントロールできない楽しさ

4月26日マチネ(14時の回)にて、切れなかった14才シリーズより「すご、くない」を観てきました。振付・構成・演出は白神ももこ。

会場はこまばアゴラ劇場。雨がけっこくすごくて・・・、ちょっと憂鬱な気分で降りた駒場東大前の駅。でも、観終わった後にも雨は降っていたのに、けっこううきうきと帰れた・・・。で、あまりに後をひくので28日のソワレにて再度鑑賞・・・。この作品の瑞々しさ・・・・。やっぱりすごい。

(ここからはネタばれがあります。十分にご留意ください)

26日のこと、雨が階段の半分にまで振り込んでいて、それを避けるように劇場に上がると、本当に飾りのない舞台。ほぼ中央の席をゲットしてちらしを観ていると、白神さんとおぼしき声が流れてきます。

開演10分前になると、時間までのお楽しみにラジオというかPod-Castのような放送が場内にながれます。これがすばらしくゆるいのですよ。役者の方がコーナーごとに俳句やなぞなぞ、クイズにポエムなどをつないでいくのですが・・・。「ブルーハーツ、尾崎を聴いてXXXXX」みたいな・・・。そのあとのなぞなぞがけっこう生真面目なのもおかしい・・・。白神さんの仕切りの強引さは、ちょっとYEBISU亭のまあくまさこさん風にも思えて。

やがてラジオが終わり、開演時間が近ずくと前説に白神ももこさんが登場します。で、扇をもって本人の声での前説放送に合わせて、振りを決めるのです。立ち姿も美しく動きの一つずつが小気味よく決まるわけですよ・・・。それと流れてくる本人のぐだぐたの説明の差異がどうしようもなくおかしい・・・。目の前で演じていただいているので頑張ってこらえていたのですが、こらえきれなくでふいてしまいました。

この前説、観るほうをリラックスさせるための準備運動がわりだったのかも・・・。

構成・振付・演出:白神ももこ

冒頭に女性が舞台の奥を下手から上手に歩いていきます。そこから実に創意にあふれたパフォーマンスが始まる・・・。

暗転後ひとりの男が立っています。精悍な感じ・・・、それが女性っぽく座るところから舞台が展開を始めます。一人の男が「自分がすごくないので、すごいと思う人の名前を言う」と・・・ぐだぐだに名前を挙げていく。ふくよかな男がやじろべえのような形で舞台を徘徊し始めたり・・・。さらに「重岡君」を捕まえて褒めようとするのですが、そこにいろんなものが歩きまわる・・・。少女の前転や側転をサポートしたり、ばさっと翼を広げる想いを止めたり・・・、その間に重岡君も徘徊を始める・・・。その混乱も、あるいはコントロールしようとするドタバタのおかしさも、たとえば少女の心の移ろいにも思えてすごく瑞々しいのです。少女がスナック菓子を食べるのをとめると、精悍な男が叫びをあげたり二人が倒れた一人を助け上げようとすると、別の一人が倒れたり・・・。それらはシュールリアリズムにも通じる心の風景の描写に思えて、観ている側の心もやわらかく解きほぐされ広がっていくのです。

まるで概念のサーフボードに乗るように寝そべった男の上でバランスを楽しむ少女。

サウンドオブサイレンスに浸る心の高揚や洗濯物を干す中でのパンティのキャッチボールやその後のイメージのふくらみも秀逸。

ラクビーの洗練やスクラムの激しさ、それを見つめる少女に男の子とのの感覚の違いもすっと挿入されて・・・。限りなく続くような感覚の繰り返しにも、すっと同化してしまうようななにかを感じたり。

モンシロチョウの歌も繰り返しがヴィヴィッド。

ほんと、理屈を超越してすごく良いのですよ・・・。ほんの少しのノスタルジーや幼いころの熱中、ちょっとチープなほろ苦さやいたずらっぽいウィット、さらにはふくよかに満たされた記憶の断片に洗われて、満たされて・・・。

規則性と自由さの素敵に豊かな綾織・・・。このセンス、凄い。観ているものの心をやわらかく強く共振させていく・・・。

出演:川崎香織、池田義太郎、石松太一、重岡漠、清水嘉邦、千田英史

28日に再見してしても飽きることなど一切ありませんでした。彼女の作品、もっと見たいと思う・・・。6月にはふじみで彼女の作品を観ることができるみたいですけれど、なんとか生きたいと思ったり・・。追いかけたいものがひとつ増えてしまいました。

追記:4月29日、劇場1Fにてダンサーとしてこの公演に出演中の、池田義太郎先生による「デブ学」の講義が行われました。ゆるいといえばゆるいのですが、でもきちんと筋が通っている部分もあり、何よりも彼自身の人柄の滲み方がよくて予定時間を超過しての熱演をなにげに最後まで楽しんでしまいました。

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カスガイ「リビング」風通しのよい情念

2009年4月26日、カスガイ「リビング」を観ました。この作品、3月末にワークインプログレスを拝見させていただいています。

で、その時と物語の骨格は変わっていないのですが、終演後の印象にはかなり違いがありました。WIP時は物語を外から眺めていたのが、本番では、特に後半、物語の内側に封じこめられてしまったような。

Img012

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

舞台はとあるマンションのLDK。下手がリビング、上手にしっかりとしたキッチンとダイニングスペースがしつらえてあります。しっかりと作り込まれた舞台装置。天井のボードの並べかたがちょっと個性的で・・・。部屋の両端の曲線が、舞台にに心地よい閉塞感を与えています。太い板が乱雑にせり出してくるような天井も目を引く。でも、なんというすきっと居心地がよさそうな空間。

開場された時、すでに舞台上では住人たちがモノポリーに興じています。客入れ中に舞台中央奥FAX電話が鳴るのですが、留守応答のメッセージが開演前の諸注意になっているくすぐりがなんとなく心地よい。

ひきこもりになった女性とその弟の家、弟が姉のケアのためにとある組織から女性を派遣してもらうところから物語が始まります。すでにそこには、姉に拾われたり姉を慕う男性二人と弟の恋人と称する女性が同居していて・・・。

開演前の雰囲気を生かした冒頭のシーンから、チョロQを走らせるようにちょっと時間を引き戻す工夫も旨いと思う。大きな枠を作っておいてそこに登場人物たちそれぞれの位置のようなものを積み上げていく感じ・・・。ひとりずつに事情があって、主人公となる姉弟の生活に入り込んでいく。

暗転が小気味よく挿入されて物語が研ぎ澄まされていく。物語の区切り方、うまいと思うのです。それぞれのシーンのつながりに無駄がなく、異なる色や密度が積み重ねられ厚みが生まれていく・・・。ひとつのシーンが他のシーンへの確実な質量になって、登場人物たち個々の事情が立体的に色を帯びていきます。そこから小さなエピソードや言葉が絡まり合い、登場人物たちの間に複雑な密度が醸成されていく。当初は姉弟が他の住人たちに侵食されていたように思えていたのが、次第に姉弟に彼らが吸い寄せられたようなイメージに変って・・・。さらには、登場人物が抱えているものが明確になるにつれ、絡まりあうそれぞれの重さからにじみ出してくるような真実が、そのまま姉弟への重さとなって二人にのしかかっていく。そしてなにかが満ちた時、カオスのように奇妙な同居生活のバランスがコップから水があふれるように崩壊していくのです。

終盤、同居人たちが出て行ったあとの姉弟二人の時間。同居人たちの重力に彼らが守っていた距離感というか枠が失われ、それぞれから流れ出たコアが混じり合っていきます。相手を思う心と自分の抱えるものの間でボーダレスに溶けていくような姉弟の関係、お互いに絡まり合い、愛情とリヒドーの引けない線上で発する熱が強く深く観客を惹き込んでいきます。

二人が出した結論。そのマンションをたたんで二人はそれぞれに暮らし始める。理性で閉じ込めたものが、姉と別れた瞬間に弟へのしかかる・・・。叫び・・・。そのなかでリヒドーが解放されて・・・、終幕。

カーテンコールで拍手をしながら、素に戻った劇場の雰囲気と裏腹に、姉弟を中心に登場人物たちがそれぞれに抱えたものの重さはさらに深く心に広がっていった事でした。

役者のこと、弟役を演じた須貝英が圧倒的・・・。終盤の感情の露出にも息を呑みましたが、それまでの姉や周りとの距離感の作り方もすごく秀逸で・・・。内心に隠して自分を守ろうとする気持ちとエゴの混在が、他の人物とのかかわり方の中でけれんなく伝わってくるのです。姉役の渡邉安理の演技にも秀逸な質感がありました。それぞれの登場人物にぶつける感情の色が彼女の心の空洞のようなものを浮き上がらせていく。強さを持って内心を隠そうとする演技のこまやかさが、そのままキャラクターを晒す密度につながっているように感じました。

川村紗也の演技にはしっかりとした芯のようなものがあって、ぶれない存在感が特に後半での物語のフレームを支えていました。また、演じるキャラクターにすっと艶を与えて姉弟との関わりの構図に説得力を与え、さらには姉弟との距離の作り方で二人の父親への感情をしなやかに引き出していたようにも思います。深谷由梨香の硬質な演技にも惹かれた・・・。凜とした切れ味のある演技で表面を強く支える一方で、渡邉との演技などではすこし表皮を薄くして生々しいキャラクターのコアを垣間見せる・・。その質感の違いで他のキャラクターの色を引き出すような部分もあって演技の奥行のようなものに舌を巻きました。

姉に引き入れられた男を演じた加藤敦の存在にも不思議な説得力がありました。怪しいキャラクターを概念を超えて空気として表現しながら、そのバックボーンにある葛藤にも実存感を作り上げていて・・・。玉置玲央の演技にはいつもながらの切れがありました。その切れをしなやかさに変えて一瞬に空気を作ってしまう力量はいつものことながらすごいと思う。

姉を慕ってやってきた害虫駆除業者を演じた村上誠基の作り上げるキャラクターにはぶれがありませんでした。実直な想いの表わし方はそのままに観客に伝わってくるし、一方で舞台にリズムを作るような演技も着実にこなして・・・。後半に深谷演じる心理療法士の言われるままに用意した買春代の5万円をばらまいてしまうシーンがあって、WIPの時にはその浅ましさが滑稽に思えて噴き出してしまったのですが、今回は笑うことができませんでした。村上の演技はキャラクターの内心をすっと浮かび上がらせ、さらには彼の抱えるカオスまでも伝えきって・・・、WIP時には外側を見せていたキャラクターの内側に観客を引きずり込んでしまうのです。そこまでに芝居を昇華させる村上の力量にも感心してしまったことでした。

それにしても、良く作り込まれた舞台だと思います。玉置玲央演出に構築された舞台の芯にぶれがないというか、お芝居にバミのようなものがなく、精度を持った透明感が舞台を貫いている。そのクリアさのなかで人物間の温度が明確に観客に伝えてられていくのです。

また登米裕一の脚本もしたたかだと思うのですよ。シチュエーションや会話にウィットがありシーンの一つずつには際立った重さがないので、観ているほうも気持ちよく物語に取り込まれてしまう。でも、その口当たりの軽さとは異なり、重なり合っていく物語からは魔法のようにさまざまな色が浮かび上がっていくのです。発想の広さにあざとさがなく、よしんば虫のかぶり物を出しても、それをさらに物語の色に変えていくような手練があって。しかもその先にある彼の世界には個々のシーンを凌駕して強く惹きつけられるものが生まれ、確実に観客を捉えていく。
アフタートークで聴かせていただいた、作者と演出家のせめぎ合いのお話も興味深く、でもお芝居の感覚はそのままに、言葉にできないようなものを心に溶かしながら家路をたどった事でした。

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切れなかった14才❤リターンズ「少年B」心に映るもののリアリティ

4月19日ソワレにて「少年B」を観ました。場所はアゴラ劇場。切れなかった14才❤りたーんずシリーズの2本目の観劇になります。作・演出:柴幸男

(ここからネタばれがあります。十分にご留意くださいませ)

ちょっととりちらかった感じの舞台。入場するとすでに役者がひとり舞台の中央に立っています。とり散らかっているように見えるのはたくさんの服のため。床だけではなく、舞台奥の鉄パイプにひっかかっているものがあったり・・・。

開演前から男はなにかを演じている。客席側ではそんなことお構いなしという感じで客入れがすすんでいく・・・。そのうちに他の役者も現れて・・・。客入れが終わるとそのまま居続けの男のセリフで舞台が始まります。「僕の話をしよう」と彼は言うのです

服がひとつのキーワード、前半は少年の一日が服であらわされる時間をベースに表現されていきます。パジャマから学生服、放課後の私服・・・。同級生との漫才、女子とのふれあい・・・。ルールが明らかになっていくにつれ、舞台に宿る世界のバリエーションが広がっていきます。親友、自分の才能にかかわる自尊心、同級生の女子に対して本当にしたかったこと、自分をバシリに使うような別の同級生のこと・・・・。とても変わった同級生とのかかわり、現実に起こったことに、爆発するような内心の気持ちが混ざって表現されたり・・・。夜の思索が闇の言葉としてやってきたり。

それは、男の心のスクリーンに投影される学生時代の、息が詰まるほどに忠実な描写・・・・。現実と想いの境界線が取り払われて、包括して浮かび上がってくる時間の断片・・・。宇宙人をやっつけるような幻想も、合唱コンクールの指揮者に祭り上げられてクビになりその日学校を休んた現実も、男の脳裡に去来するのと同質の風景として観客に伝わってくるのです。

さらに世界は「今」とリンクしていきます。友人やいじめっ子の服が変わり、記憶の風景が30代後半の「今」に塗り変わっていく・・・。親友はラーメン屋になった。コンビニのオーナーとして昔の高飛車な雰囲気が一転してしまった腰の低いいじめっ子もかなり鮮烈、変わった友人は刑務所の塀の中・・・。そのなかで、同級生の女の子がずっと制服姿のままであることにも、内心の描写としてのリアリティを感じる。

彼だけが参加しなかった合唱コンクールとクラスメイト達の今、クラスメイトがそれぞれに大人の道を歩いていく中、ひとり少年の時と同じように役者としての夢を追っている彼自身の現実と、どこかオーバーラップしているようにも思えて。

不安が色濃く舞台を包む中、30代中盤の彼の葛藤が、同級生の女の子との会話や独白のような少年の彼への語りかけから溢れてきます。何とか自分を支えている彼・・・。登場人物が全員で合唱曲を歌い始めます。今度は彼もいっしょに歌う。一人ずつその場を去り彼一人が残されて・・・。

暗転の中、さらに役者を続ける彼の心の内が、深くやわらかい痛みのようなものを伴ってやってくるのです。カーテンコールの拍手をするうちに、主人公の重さをそのまま渡されたような感じが次第に広がっていく。

役者は以下のとおり。

井上みなみ、大柿友哉、岡部たかし、玉井勝教、山田宏平

アフタートークで井上みなみの年齢を知ってびっくり。10代中盤にしてこの演技の安定感とは末恐ろしくも楽しみな・・・。他の役者も細部まできっちりとした表現がなされていて、作品の解像度をがっつり維持していたと思います。

それにしても、柴幸男の才・・・。先日のtoiを観た時にも感じたのですが、彼の作品には独自の切り口や視点からくっきり浮かび上がってくる情景があって・・・。その視る力というか発想と描写力にはひたすら瞠目するばかり。今回も、最初は戸惑いながら舞台上の世界と対峙していたのに、終わってみれば作品の精緻さとリアリティにひたすら心を奪われてしまっていました。

toiの作品群にしても今回の作品にしても、観るたびにその視座や表現の切り口のフレキシビリティに凌駕され続けていて、今後の柴作品も腰を据えて追いかけたい気持になりました。

R-Club

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MCR「シド・アンドウ・ナンシー」受け身の洗練

4月24日ソワレにて、MCR「シド・アンドウ・ナンシー」を観ました。場所は下北沢駅前劇場。作・演出:櫻井智也

予約していたチケットを受け取って入場しようとすると、奥の入口からといわれて・・・。今回は対面舞台なのです。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

劇場の中央に設えられた舞台はモノトーンを基調にして両端にシドっぽい男性と戦前のムービークイーンのようなナンシーの絵が大きく描かれています。おしゃれっぽい雰囲気と中央に敷かれた畳に布団のミスマッチ。パンクっぽい客入れの音楽・・・。

開演すると舞台には安藤が寝ている。そのそばに女性・・・。安藤はやくざらしい。その横に座っていた女は、安藤に危ない仕事をするなと言います。そして、安藤が持っていたチャカで安藤を脅したりもする・・・。ロシアンルーレットもどきのことがはじまったりもします。そこにでっぷりと太った女性が現れ、さらにたっちゃんと呼ばれる安藤の学生時代の友人、辰巳が現れて・・・。彼は毎日300g太る奇病にかかり、もうすぐ死ぬだろうと医者にも匙をなげられたという・・。彼は、昔話していたバンドをやろうというのです。

そこから安藤の学生時代と今が交互に舞台を行きかいます。学生の頃からどこかやる気のなかった安藤と、自分のスタイルを貫いていたたっちゃん、そこに別の友人たちを加えてエピソードが語られていきます。一方今のシーンでは、たっちゃんたちに彼を慕う男も加わって、さらにはやくざ事務所での組長や兄貴分とのエピソードも挿入されて物語が膨らんでいきます。

ひとつずつのエピソードは時折気持ちよくゆるいのですが、一方でMCRらしいトーンや密度があって、観客はすんなりと舞台にひきつけていく。絶妙なフォーカスの当て方やはずし方、唯我独尊的な登場人物の行動や、奇抜なぼけに輪をかけて膨らますようなつっこみ、でもそれらが重なり合う中で、登場人物たちの生まれついての色が浮かび上がって・・・。

なんというか登場人物たちには学生時代から定められた色とか運命のようなものがあって、いろんな出来事があっても、彼らはなるがまま、彼らの色のままにそれらを受け入れていくのです。そこには、無気力とは違うなにかが漂っていて・・・。組体操の熱と「先が見えないし、何もない先がずっとつづいているような絶望」の間で揺れ動くような時間がの感触がすっと伝わってくる。

幸の薄さを絵にかいたような女性や妙な突っ張り方をする組長の描き方から、やわらからな笑いが導かれ、物語の広さが生まれていきます。学生時代の友人たちが、再びそれぞれの人生をよぎるタイミングや姿にもどうしようもない実存感があって・・・。心地よく笑い、ストーリを楽しみ・・・。でも終わってみれば人生の流れの中で自然にやってきてしまうものと、それを0ではない程度の邂逅とともに受け入れる感覚が鮮やかに観る者の心に残存しているのです。そこに内包されているぞくっとくるような軽さに、櫻井作劇の秀逸さをあらためて実感したことでした。

役者のこと、中川智明が「安藤」はキャラクターを十分に作り込んでいて大好演、舞台の屋台骨をしっかりと支えていました。「たっちゃん」を演じた辰巳智秋には理屈を超越したような強さがあり、その若いころを演じた小野紀亮にはも辰巳の演技を納得させるような芯があって・・。「安藤」の彼女を演じた上田楓子の微妙な突き抜け具合も絶妙だったと思います。たっちゃんの彼女を演じた石澤美和は、体躯を生かした演技を前面に出しながら裏で微妙なニュアンスを込めるような感じがあって・・・。櫻井智也の突っ込みも相変わらず切れがあり、観ていてわくわくしてしまいました。

友人たちを演じた江見昭嘉、渡辺裕樹のお芝居には安定感がありました。江見の中庸な部分は舞台の色を安定させていたし、渡辺が終盤女房を借金のかたに差し出すときの表情に込められた一瞬の卑しさもうまいなあと思います。福井喜朗のマイペースにも不思議な説得力があって・・・。不思議な説得力といえば、北島広貴の暴力団組長にも表現できないようななにかを感じました。否定できない嘘っぽさというか。おがわじゅんやの子分が作りだすずるさのリアリティともうまくかみ合って、やくざの世界をしっかりと薄っぺらくしていく。それが「安藤」の内面を浮かび上がらせていくような感じがあって妙に感心してしまったことでした。

幸薄い女「伊達」を演じた伊達香苗がつくる負の力も見事でした。弱さを演じるわけではないのです。負を引き込むような力をしたたかに演じ上げていく。それが倖の薄さとしてやわらかく舞台の色になるのです。

舞台装置の工夫や、伏線の組み方のうまさ・・・。まあ、ほんの数か所、台詞のタイミングのかぶったような部分はあったものの、良質な役者の演技に1時間40分の上演時間、すこし切なくでどこか研ぎ澄まされたような世界にドップリひたりこむことができて・・・。

派手でも重くもないけれど、あとに何かが静かに残るMCRのお芝居、今回も堪能させていただきました。

***  *** ***

終演後にトークショーがあり、櫻井氏が質問に答えるという形で今回の芝居について説明。櫻井節で、主宰者としての作劇意図や想いがわかりやすく説明されていたと思います。おがわじゅんやさんとのやりとりにMCRが普段持っている雰囲気がそこはかとなく伝わってきて。シンプルですがよいイベントだったと思います。

R−Club

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東京ネジ「遡上」余韻より深いなにか

2009年4月20日、東京ねじ「遡上」を観ました。場所は阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロン。この場所は初めてです。古い喫茶店、蓄音機を彷彿とさせるラッパ状のスピーカーがあったり・・・。入って席に着くとその場の空気がやわらかく包んでくれる。開演前に流れてくるジャズが本当に心地よくて・・・。

(ここからネタバレがあります。充分にご留意の上お読みくださいませ)

この公演はワンドリンク付。喫茶店ということもあってちゃんと陶器のカップやグラスで供されます。客入れをしながら役者の方も、なにげに飲み物のオーダーを取ったり運んだり・・。開演前の雰囲気が次第に物語の時間にすりかわっていきます。

開演時間になって、役者の方から声を掛けていただき飲み終わったグラスを下げていただくと、そこからシームレスにお芝居が始まる。ちょっと出かけてくると店を出て行くお店の人、残った女性も電話でお客様にお店の場所を案内したり・・・・。地名や街の雰囲気が語られる中で、観客たちのいる場所が、そのまま東北の地方都市の喫茶に塗り変わっていく・・・。やがて臨月の女性が店に入ってきて、物語が動き始めます。

香川からきたというその女性、お店の女性とのどこか食い違った会話に、彼女が暮らす場所からの距離が実感として伝わってきて・・・。その女性は、母親や姉妹を訪ねてきたといいます。彼女の父親がなくなる前にそう教えてくれたという・・・・。尋ねてきた女性と話しを聞いて当惑する女性を前に、お店をしている年嵩の女性から本当の話が明かされていきます。

回想での、彼女たちの母親真砂子とちえのシーンが実に秀逸・・・。酔っ払った34才の母親を演じる八日市屋美保からいくつもの想いや揺らぎが包み込むような密度でやってくる。11歳年下の男への想い、その娘を捨ててきた過去、もうひとりの娘を妹と偽る今、彼女からは観ることができなかった現実も・・・・。それらを包括するような彼女の色・・・。

想いが、抱えているものの重さと一緒に観客に降りてきます。この場所での出来事を観ているという感じが、いつしか女性の過ごしてきた時間のなかにあるこの場所にいるような感覚へと染め変えられていく・・・。彼女の抱えきれないものの質感や、それでも流れを進もうとする気持ちに観客は深くやわらかく浸潤されていきます。その話を同じ場所で聴く二人の娘たちと同じように・・・・。

時が満ちたことを悟り、凜としてその話を語る佐々木なふみ(ちえ役)の実存感が同じ場所でのふたつの時間の枠をしっかりと支えます。受け入れる娘たちを演じる佐々木香与子と佐々木富貴子にも、この喫茶店での時間から広がる過去と今が密度をもって深く醸成されていく。この場所に生まれ、時が満ちてこの場所に重なり合うこと。・・・。

何気なく交わされる会話や前後に流されるラジオ番組のようなもので語られる、遡上した鮭の末路。鱗がはがれ骨まで見えて、鳥たちについばまれて・・・。でも、それは嬉しいことだという。さらには痛みや熱などに耐えられなくなったときに母を呼ぶ気持ちも語られて・・・。それらが物語に重ねられていくなかで、深いところで長くやわらかい共振のようなものがやってくるのです。「余韻」よりもっと温度と弾力をもった感じ・・・。

この公演のクレジットは以下のとおり。

作・出演:佐々木なふみ 演出・出演:佐々木香与子 出演:佐々木富貴子 八日市屋美保

東京ネジを観るのは15minutes made内の作品を含めてこれが3作目。で、拝見するたびに、自分でも触れられないようなところに何かが残されて、揺れ続けるのですよ・・・・。

これは、なんなのでしょうね。何かに惹かれているようにも思えるのですが、単純に魅力を感じているというのともすこし違う感じがするのです。この感覚に導かれて、次の公演もきっと観に行くと思います。

あと、ちょっと余談になりますが、会場のこの喫茶店、もう、感動するほど居心地がよいのですよ。古びてないといえば嘘になるのですが、血が通っているというか生きている場所。言葉では表せないようなぬくもりがあるのです。終演後、コーヒーをオーダーさせていただいたのですが、ほんと、おいしかった。さらには、劇団の方などともお話をさせていただいて、とても満たされて。

作品からやってきた感覚を深いところに抱きながら家路についたことでした。

R-Club

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「アントン・猫・クリ」断片が再び形になるとき

2009年4月16日、こまばアゴラ劇場にて「アントン・猫・クリ」を観ました。仕事を切り上げて劇場に急行。4月下旬から5月上旬にかけて6作品が上演される「切れなかった14才❤リターンズ」シリーズの初日。場内は満席でした。

劇場の1Fにもシリーズに関わるいろんなディスプレーがあって、観ているだけでも楽しい・・・。新しいシリーズが始まる日ということなのでしょうか、開場を待つ人がたむろする劇場周りの雰囲気にもちょっとわくわく感が漂います。篠田さんの本棚には舞台の精緻なモックアップがあったりして、思わず見入ってしまったり。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください。)

場内は総ベンチシート、満席です。舞台背面には鉄パイプが格子状に組まれていて、ところどころ重なりがあって・・・。そこに長方形の白布がつるされています。舞台全面上部はたしかに篠田さんの本棚にあったのと同じ感じ・・・。

客電が灯った状態で女性が登場。舞台正面中央で言葉がならべられていきます。まるでスケッチブックに素描画が描かれるように街のパーツがひとつずつ姿を見せる。気が付けば街の姿から洗濯のシーン、料理の仕草・・・。後方の白布がスクリーンとなって、その光景のタイムスタンプが表示されて・・・。ランダムに現れる時間、4月から6月にかけてのひとときが切り取られ重なりあっていきます。通りの風景から家があらわれ街が浮かび上がり、やがてその世界に男性が加わって、時に二人の世界が重なる。断片的な言葉と動作の素描がコラージュされて街の広さや二人の生活、さらに彼らの半径にある街の様子が瑞々しく観客につたわりはじめます。自転車にから見える街並みには光や風も感じられるくらい力があって・・・。

日々の暮らしにしても、言葉や動きにリズムがあって、断片的なシーンを埋めていく時間がしっかりと存在する。背景の映像も実に秀逸で、文字のシェイプや動きの表現がすごく豊か。・・・。文字がしっかりとニュアンスを作り街を構成する。分割された言葉の間を満たすように文字から生まれた街の空気が入り込んでくるよう。夜の帳が下りてくるシーンには実際の日暮れを包括したような力があって・・・。

一方で白布に隠されたように鉄パイプの格子が2重になっているところもうまい工夫で、女性が上に登るとアパートのペランダのようなイメージが具体性をもって観客に届きます。そこから派生するイメージの具体性が、舞台に満たされた時間の中でなかですっと浮かび上がる。

アパートに餌を貰いにやってくる猫の話。いくつもの名前で呼ばれる猫の動線に束ねられるがごとく繋がっていく街。猫にカニカマを与える時間の和らぎや猫嫌いのおばさん、さらにはアントンとかクリとか呼ばれる猫を紐にしてネットワークのようなものも生まれていて・・・。

終盤、動けなくなった猫を結び目に、さまざまな記憶がパッケージされ詰め込まれていくような感覚にも体がぐっと取り込まれる感じがしました。

まあ、初日だし、その日のお昼のゲネプロが初めての通しだったとかいう話もトークショーでは出ていましたので、今後何度か上演されるうちに色合いが円熟していくのだと思います。でも、そうでなくても、個人的にはこの作品、べたな言い方になりますが、すごく好きです。猫の動線につながるように現れる日々の断片の瑞々しさが、すっと見る側を浸潤していく。観終わった後、登場人物たちのその街に暮らすという普段さがしっかり残っていて、そこに生きていることへの飾らないいとしさにじわっと包み込まれるような感じがするのです。

作・演出 :篠田千明 出演:カワムラアツノリ 中村真生

映像:天野史朗 舞台美術:佐々木文美

この作品が今後どう熟していくのか、かなり見たい・・・。連休中になんとかもう一度観に行けるとよいのですけれどね・・・。

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前述のとおり終演後、トークショーがありました。ひとつのメソッドを確定させていく大変さのようなものが伝わってきて、すごく興味深かったです。

また、会場では、リターンズという雑誌と称するパンフレットの親玉のようなものが販売されています。戯曲も入って読み応えがすごいです。付録のようについているミニサイズの絵本、けっこう好きかも・・・。

R-Club

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黒色奇譚カナリア派「義弟の井戸」世俗の垢を浮き出させる箍(ちょこっと改訂)

4月12日ソワレにて、黒色奇譚カナリア派、「義弟の井戸」を見ました。会場はシアタートラム。昼間にアロッタファジャイナを見て三軒茶屋でご飯を食べて・・・。夕暮れ時の街、散策道には犬とお散歩に連れ出した人たちがひっきりなしにとおるなか・・・、座り込んで風の心地よさを感じながら本を読んでいる間に、一瞬転寝をしてしまったり・・・。(足元に鳩が来て目が覚めた)

夕焼けに空が染まり始める頃、ゆっくりと立ち上がり、劇場へと向かいました。

(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください)

トラムの大きな舞台を利用して、しっかりとした建て込みがなされています。なにか狭い坂道のようなものも舞台にあって・・・。鞍馬天狗のような頭巾をまとった子供たちや通行人たちが、どこか懐かしい風情を醸し出すなか、舞台がはじまります。

比較的豊かな家庭の長男坊、現在は15年続く引きこもりの真っ最中。そんなとき妹に求婚にきた男が、卒業式のときに便所の横の穴に埋めたりと長男坊をいじめた輩。自分の引きこもりの原因になったような男をマザコンっぽい長男坊は許しません。門前払いで追い返してしまう。そこから男の日参と長男の門前払いが繰りかえされていきます。

今だったら、妹はそんな長男を見限ってさっさと男と一緒になってしまうのでしょうけれど、冒頭の街の描写から浮かび上がってくる時代では、長男の理不尽がまかり通ってしまうのです。放埓だけれど世間体を気にする母は知らんふりのマイペース。仲立ちをしようとする妹の女友達も兄を懐柔することはできなくて・・・。長男といえは陰湿に男が生業にしている材木商の商売事情を絡めて男を追い詰めていく。材木商の仲間たちも最初は同情し憤り男を応援するのですが・・・。

物語の構造はそんなに複雑なものではないし、階層間の摩擦のようなものは、形こそ変われど今だって日常のごとく存在しているのだと思います。ただ、そこに作・演出の赤澤ムックが彼女好みの時代を箍としてはめることによって、昨今めったに見られない日本人的喜怒哀楽が、そりゃ見事に浮かび上がってくるのです。上流階級と中産階級のまんなかに位置をしめるようなクラスの家には、山の手風の世間体とか見得が強く生きていたり、庶民に近い材木商には伝法とか気風なんてものを色濃く背負った男たちがいたりする。それらのう肌合いや匂いが実在感をもって瑞々しく伝わって、物語に不思議な色合いを醸し出していきます。

途中、少しだけだれた感じもするのですが、貧しくていじめられている少女と男が出会うあたりから、俄然物語に奥行きが生まれて観客をひきつけていく。貧しい少女と男の井戸端での会話、さらに冥府にまでつながる物語から浮世に人が抱えたり背負ったりしているものが鮮やかに浮かび上がってきて・・・。

また、役者達がそれらの世界を見事に具現化するのですよ・・・。材木商側の男たちの勢いや雰囲気をがっつりと作り出す男優たちの力。また、ホワイトカラー系の家庭のプライドや胡散臭さも筒井真理子がしっかりと表現して・・・。奇声を発するがごとき笑いの奥に垣間見せるコアにすごい存在感がある。大沢健犬飼淳治の演技にもその所業にきちんと根を持たせるだけの強さがありました。

少女たちのリーダーといじめられっ娘は牛水里美升ノゾミのWキャストですが、私が見た回は牛水里美がいじめられっ娘役。仲間といるとき、男と話すとき、さらには井戸をくぐったあとの透明感の色合いにしたたかな演じ分けがあって、今回も彼女にはひたすら瞠目させられるばかり・・・。一方の升ノゾミのいじめっ娘にも、笑顔の奥にぞくっとするような粘度があってこちらも好演でした。逆バージョンも魅力的に感じがして、拝見できないのがちょっと残念な気がしたりもして。

柿丸美智恵も出番は少なめですが、ものすごい実存感で舞台をさらうようなところがあって、渋いうまさがいっぱい・・・。中里順子の凛とした部分も舞台の色をしなやかに引き締めて好演だったと思います。中村真季子のさりげない上品さも目をひきました。

さらには山下恵 芝原弘 眞藤ヒロシ 伊藤新 沖田乱 數間優一 馬場巧 屋根真樹 大島朋恵 片桐はづき、いずれも夫々に舞台に風情を与えうるお芝居で・・・。手練の役者達、がっつりと赤澤ムックの世界を具現化しておりました。

そうそう、頭巾をかぶっている役者は物語から離れて、街の風景や雰囲気を作るという舞台上のルールなのですが、頭巾組は時として、シーンを隈取するようなデフォルメを堂々とやってのけるのですよ。筒井真理子演じるその家の奥様が登場の際に、「・・・・の御成り」みたいな声が頭巾の男優からかかる。街の色だけではなく場の空気までが、その一声でスキッと作り上げられるのです。一瞬掟破りにも感じるのですが、終わってみるとこういう外連、うまいなぁって思う。

終盤、長男の悪意が少女たちに新たないじめられっ娘を導き出すところにも、なにかぞくっときて・・・。

赤澤ムックの世界観にどっぷりと浸り、彼女風の洒脱さで現わされた人間の素の部分に見入ってしまう。彼女の世界にたっぷりと染められて劇場を後にしたことでありました。

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マシンガンデニーロ 逆転をささえきる中盤の力

ちょっと書込みが遅くなりましたが、4月10日、中野ポケットにてマシンガンデニーロ、第6回公演、キラーパスを観ました。

昔、中野に住んでいたことがあるのですよ・・・。
ちょっと早く駅についたので昔通っていたラーメン屋で簡単に食事をして・・。若い頃口に馴染んだものってどうしてこう美味しく感じるのでしょうかねぇ。

マシンガンデニーロは第3回公演から観ている劇団。今回で一旦活動を休止するとのことで少しさびしい気もして。

(ここからネタバレがあります。十分ご留意の上お読みください)

劇場に入るとそこにはパイプで組上げた汎用性のありそうな舞台装置。上手側には、なにか滑り台のようなものも見える。ちょっとわくわくしているうちに場内もほぼ埋まり、舞台の幕があきます。

導入部に要領よく物語の前提をつみ上げてサクサクと物語を進める・・・。現実にも多発している無差別殺人と、物語の前提となる近未来の終身刑(流刑)の概念が浮かんできます。死刑廃止後の極刑にあたるという流刑・・・。その中で被害者の姉の復讐劇が始まる・・・。被害者の親族が加害者に対して抱く復讐心に配慮した新しい制度のテストケースが実施されるというのです。作・演出の間拓哉は、受刑者の記憶を消し地雷撤去や核施設の清掃などの仕事をボランティアとして実施させるという設定の中で復讐者と加害者の心情の変化を丁寧に描いていきます。

中盤の物語の作り方がすごくしっかりとしていて、その分観客は物語にぐいぐいと引き込まれていく。地雷撤去作業での緊張感の作り方のうまさ、逃亡の中での被害者と加害者それぞれの想いの表現には観客を無意識のうちに感情移入力されるだけの力があって、気がつけば主人公の葛藤がどんどん観る側に積み重なっていく・・・。

そのなか、国家として復讐が承認され、一定の条件を満たせば公的に復讐が許されるという制度が正式に採択されます。一方で記憶を消された受刑者には彼らの犯した罪が再び示されて・・・。

以前のマシンガンデニーロ本公演品に見られたような外側の世界への視点の拡散がこの芝居では少なくて、そのぶん登場人物たちの感覚や熱がそのまま観客に伝わってきます。いったん伝わった感覚には物語の展開のなかでさらに深い視点を観客に与えていく粘り強さがあって、問題の本質や個々の当事者の感覚がねじ込まれるように客席にやってくる。それは、これまでにもあった裁判員制度や人が人を裁くことをテーマにした芝居や映画と、異なった実感を与えてくれて・・・。

罪を悔いることや償うことの重さに関して、終盤のどんでん返し後の登場人物の心情を、美しき理想の姿と感じさせないシビアさが厳然と舞台を支配して・・・。
作品上に設定された架空の試みがしっかりと鮮やかに生きてくるのです。

出演:松崎映子 菊池豪 内海絢 内海詩野  岡田梨那 小河慶子 加藤芙実子 三瓶大介 島田雅之 土田裕之 山崎雅志 山森信太郎

松崎映子の演技には良い意味での硬さがあって、それが今回は凄く生きていたように思います。逆にいうと、彼女が折れないだけの演技を喰らいつくように最後までつらぬいたから、この芝居が成り立ったような・・・。他の役者も個々のベクトルを大切にした演技で物語の骨格をしっかりと支えていました。

***   ***   ***

マシンガンデニーロは今回の公演で無期限の活動休止だそう・・・。

部外者が唐突に申し上げることではないのかもしれませんが、間・松崎・菊地の3人が作り上げる世界には、きちんとした個性があって、そのまま止まるには惜しいような気がします。正直申し上げて、飛びぬけて洗練されていたとは思わないのですが、観るものが目をそらせないような何かが彼らの創作物には必ずあって・・・。

特にLe Decoでの「美しきファーム」の公演などを観たものにとっては、休止をするのではなく、夫々が独立して活動の場を広げながらも、ユニットとしての「なにかを作り上げる意思の継続」は残しておいて欲しいところ。今回のような大きな公演ばかりでなくいろんな形状の作品をもっといろいろ観たいなと感じるのです。もちろん、観客のたわごとではあるのですが、よしんば活動を休止するにしても、生真面目にがっつり休止をするのではなく、いろんな胎動をもったずるい休止であってほしいなと、ひそかに願ったりもするのです。

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アロッタファジャイナ「偽伝、ジャンヌ・ダルク」圧倒的な高揚感とさらなる余地

4月12日マチネ(3回公演の1回目)にてアロッタファジャイナ「偽伝、ジャンヌ・ダルク」を観ました。場所は池袋、シアターグリーン・ベースシアター。シアターグリーンには何度も足を運んでいますが、1Fのこの劇場ははじめて・・・。

今回のアロッタファジャイナはホワイトチームとブルーチームの2バージョンでの公演。ひとつのチームの公演には他のチームが客入れや前説を行なうという流れのようです。ただ、共通キャストとして出演している役者も3名います。

で、私は、ブルーチームを観ました。客入れ等々、びしっとすごく気持ちよく・・・。ちょっとぐたぐたの前説もご愛嬌

(ここからネタバレがあります。充分にご留意ください)

プレーンな舞台、いくつかのボックスと椅子など。中央には15世紀当時のフランスの状況が古地図っぽく描かれたものが掛けられています。

舞台上では、単にジャンヌ・ダルクの物語だけではなく、その背景にある世界が丁寧に説明され、演じられていきます。まだ、フランスに絶対王政がひかれる前の話。当時のフランスの状況、王家の雰囲気、さらにはジャンヌ・ダルクに運命を翻弄されるという2人の登場人物・・・。

それらのエピソードを挟みながら、創意をこらして、ジャンヌ・ダルクが神の言葉を聞き、軍を率い、王をその座へと導き、やがて火刑に処せられるまでの姿が描かれていきます。

地を語るというか語り部を何人かの役者が交互に努めながらドラマを紡ぎ、ジャンヌ・ダルクが登場し悲劇にいたるまでの物語を導くいうやり方がとてもうまく機能していて、観客は主人公の背景にあるものを理解しながらその行く末を見つめる感じ。安川結花が演じるジャンヌ・ダルクからは、清冽な色と微かな揺らぎを凌駕して強い高揚感が溢れ、観るものを圧倒していきます。兵士たちに紛れた王を選ぶときの清楚さと気高さ、戦いに兵士を導くときのカリスマ性までもがまっすぐに舞台からやってきて、観客を凌駕していきます。

他の役者たちも様々な役を着々とこなしていきます。ナカヤマミチコの語りには強い説得力があり観客にシチュエーションを刷り込んでいくし、青木ナナも着実な芝居で様々なキャラクターに実存感を与えていきます。この人のお芝居にはしなやかな安定感があって、よしんばいろいろな人物を演じたとしても、個々の人物が重なり合ったりぶれたりしないのです。菅野貴夫も人間臭さをしっかりと観客に伝える演技でシーンをガッツリ支えていたし、斉藤新平にしても井川千尋にしても、シーンを動かすに足りる演技で物語を前に進めます。竹内勇人はキャラクターが持つ不安定に実在感を与えていたし、白木あゆみ は若干線が細い感じなのですが、不思議なテイストを持った女優さんで、安定感をもった揺れのないお芝居を見せていきます。

それと、この作品の音楽の使い方も非常によかったです。まるで役者がもう一枚衣装をまとうように演技と音が相互に舞台を高めておりました。

また、ひとりの役者が何かを演じるとき、舞台に乗っている他の役者のめだたないお芝居がすごくしっかりしていて・・・。舞台の上に語られるシーンの温度や見晴らしや想いを観客に浸潤させていきます。特に今回のような劇場では、役者個々の小さな動きが舞台の密度を作る力へとつながっていく。終幕後の拍手をしながら、心にはジャンヌダルクの想いがちゃんと残っていて・・・。観ていて、観客が心満たされるレベルを持った作品だったと思います。

ただ・・・、

そうはいっても、この作品、もっとよくなる感じがしたのも事実。たとえば、ジャンヌ・ダルクを取り巻く歴史や人物のエピソードとジャンヌダルクの行動や想いの積み上げ方には、まだ工夫の余地があるように思うのです。ひとつずつのエピソードには含蓄があるのですが、それらとジャンヌ・ダルクの想いの交差には、もっと物語全体を染めるようなやり方があるように感じました。。それはエピソードの順番だったり、語りと演技で見せることの比率の問題にも思えるのですが・・・・。作品自体にも役者たちの芝居にも、かすかにですが、こなれていないなにかを感じてしまうのです。
アロッタファジャイナに関しては、過去に物語を大きく構築するテクニック持った作品を観ているので、特にそう感じるのかもしれませんけれど。

この作品、今回の公演を礎としてさらに醸成されて再演されればよいのにと、ふっと思い浮かんだことでした。一発ボンでは終わりにならないような懐の深さをこの作品には感じるのです。

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ラクゴリラ 情もテイスト

遅くなりましたが、2009年4月5日、半年に一度東京にやってくるラクゴリラを見ました。場所はいつものお江戸日本橋亭。この会ももう4回目。だんだんに観客が増えているようで、なにかうれしい。臨界点まではもうすこしありそうですけれど、ある日突然チケットがプラチナ化する会になる予感かずっとしていて、またその世界に一歩近づいたような・・・。

・ 桂さん都  「つる」

前座の位置とはいえ、それなりの経験を積んだ噺家さんではあるわけで、枕も落ち着いて場をしっかりと作ります。芯がぶれないから、聴いていてものびやかな感じがします。

噺をぐっと加速させるようなギャグっぽいくすぐりがあって。悪い試みではないとおもうのですが、きちんとそのくすぐりを受けるというか突っ張りきるような噺の構成まで手が回ると噺の格がもう一段あがるように感じました。

でも、座を温めるだけではない力は間違いなくあって、会全体のクオリティにしっかりと貢献した高座だったと思います。

・ 笑福亭生喬  「隣の桜」

この噺は初めて聴きました。家の境界線問題では「たけのこ」ってなネタもありましたが、こちらのほうがはめものなども聴いて噺が膨らむ感じ。

生喬師匠が持つ硬質な語り口が、噺にでてくる主人と小僧の関係や隣家との付き合い度のようなものをくっきりと浮き立たせます。噺にピントがしっかりとあっている感じ。だから、隣の武士が宴会の風景を節穴から覗こうとしたり塀越しに見ようとしたりする風情に違和感がないのです。武士の人間臭さが観客に客観的に伝わってくる・・・。

笑福亭一門のちょっと泥臭い感じが、小粋なよいスパイスにすら思えて・・・。噺がもつウィットのようなものをたっぷりと楽しませていただきました。

・桂つく枝 「親子酒」

間もなく襲名を迎えるつく枝師匠・・・。高座にあがってこれまでのことを振り返るなかでしばし言葉を詰まらせていらっしゃいました。弟子入りのころのエピソードを語る時、師匠との思い出がよみがえられたのでしょうね・・・。新しい名前に変わるにあたってのいろんな想いが率直に伝わってきて、これは聴いているこちらもあきませんでした。こういう情っていうのはほんまにまっすぐに涙腺にやってくる・・・。

噺に入って・・・。枕があとをひいたのか、つく枝師匠の「親子酒」としては100%ではなかったと思います。本当にまっすぐな力が出た時のつく枝師匠の高座であればもっと突き抜けるようなノリを持った噺になったのではと思う・・・。うまく言えないのですがちょっとくぐもりのようなものが噺に混じっていたような。

ただ、そのくぐもりが「親子酒」に別のテイストを与えていたようにも感じました。平素はカラッと揚げてだしていただく魚を西京焼でいただくようなおいしさがあって・・・。

これも間違いなく「親子酒」の味と得心させる力を持った高座でありました。

仲入り

・桂こごろう 「書割盗人」

こころう師匠も襲名が決まったということで、こごろうという名前についてのよもやま話を高座でひとくさり。仲入りが入っているとはいえ、つく枝師匠の作った色はけっこう大変なものかとおもうのですが、おなじように昔話を使いながら、自らの人柄をすっと滲ませてうまいこと場の空気をひっくり返していきます。この辺にもこごろう師匠の底力を感じる・・・。

まあ、噺自体は何度も聴いたことがあるのですが、とにかくリズムがよい。なにか次々に描かれていく家財道具を聴いていくだけで不思議にこころが浮き立っていくようなグルーブ感があるのです。

貧乏を突き抜けたような骨の太さが登場人物たちにあって、その世界に観客もすらっと引き込まれてしまう。全然関係ないのですが、「あんなこといいな、できたらいいな♪」みたいなノリが心に響いてさえ来て・・・。

突っ切るような噺の勢いがすごくよくて・・・。魅了されてしまいました。

・林家花丸 「天神山」

本日のトリ役は花丸師匠、こちらも端正な語り口に一門の飲み会の雰囲気のネタで前の師匠たちをちくっと刺してみせる・・。で、ひっぱることなくすっと噺に入っていきます。こごろう師匠の空気に逆らうのではなくうまく利用しているような感じがなんか粋で・・・。

この噺も私は初めて聴きました。物語の導入部分は野ざらし(上方で言う骨釣り)のような感じなのですが、その色もしっかりと借景にして噺が進んでいく。中盤のきつねを買い取るところの描き方がなんともいえず暖かい・・・。なけなしのお金できつねを買い取るその情の出し方も一方売る側の欲と情の天秤にもなんとも言い難い味があるのです。なにげに聴いていましたが、多分分銅を1gおきちがえただけで噺のニュアンスがかわってしまうような場面、繊細ななかにやわらかく熱を与えていくような語りの運びで、薫り立つようなリアリティをその場に浮かび上がらせて・・・・・。

ここできっちりと噺に引き込まれているから、終盤の語りが実に深い余韻をのこしてくれるのです。

上方には人情話が少ないといわれますが、これは心にすっと重さをのこすネタでありました。

************************

ラクゴリラ(お江戸へ出没Version)の次回は10月、文三襲名の口上もよていされているそうな・・・。

夏を飛び越えて秋が楽しみになるお話でありました。

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ポかリン記憶舎「humming3」 自然な時間をささえる力

4月5日ソワレ、祖師ヶ谷大蔵のカフェ、MURIWUIにてポかリン記憶舎「humming 3」を観ました。

劇団初見、名前は時々小耳にはさんでいたのですが・・・。

会場はビルの屋上に建てられた本物のカフェ。その壁に張り付くように座って様子を観る感じ。2列の客席に桟敷と立ち見、みんな壁によりそって・・・。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

入場するとすでに、役者が演技を始めています・・・。窓際でパソコンを観ている男、壁で本を読んで時間を過ごしている女性・・・。作・演出の明神慈さんが着物姿で明るい客入れを・・・・。フレンドリーな感じで場を仕切っていきます。そして、観客が収まったところでお芝居が始まる・・・。

別にカフェの照明が変わるわけでもなく観客のいる場所の明かりが落ちるわけでもない・・・。まるで観客がその場に居合わせただけという風情で現実と等質の時間が流れ始めます。

カフェの女主人が頼まれていたケーキを駅前のお蕎麦屋さんにとどけるということで、常連と思えるパソコンの男性に留守番を頼む。留守番の間にやってくる客やかかってくる電話・・・、それらがが時間に模様をつけていきます。

ミュージシャンの男を連れてきたそのカフェでライブをさせたい恋人、お互いの想いのずれが観客の目をひく。周りからわかってもその女性には見えないこと、その姿が空気を作る。そばやの息子と留守番の会話のナチュラルさ・・・。女主人に呼ばれたというミュージシャンと常連客の会話からやわらかく浮かび上がるその店に流れ続けている時間の長さ・・・。

たとえば、ミュージシャンの恋人が置きチラシを頼むシーンや、帰ってきた女主人がなにげに持っている特売のティッシュを下げて帰ってくるところ、ちいさなトリガーに染まった空気の色が淡く強く場内に拡散していきます。要はそんな時間の数知れない積み重ね・・・。その場所に宿った刹那、そして積みあがった時間、知らぬ間にコップ一杯にまで満ちたような日々。最後の一滴を落としたような終盤の女主人のカムアウトにあふれ出すものが観客の心を絶妙に揺らす・・・。

常連の客にとって何の前触れもなくそれまでの色が不可避に変わって行く瞬間、でも一呼吸おいてきちんとした必然が添えられて、積み重なった日々へのいとおしさが観客へもじんわりと伝わってくるのです。

役者のこと板倉チヒロのナチュラルさがとてもよい。彼が作る空気には空間全体を染めるようなオーラがあって、そのコントロールが絶妙。女主人を演じた中島美紀には時間をしっかりとまとうような包容力があって、物語にしたたかな実存感をあたえていました。恋人たちを演じた小杉美也子に内包されている一途な想いと政井卓実が演じる彼女への想いのギャップもうまくその場の色にマッチしていて,それぞれに好演だったと思います。日下部そうのとまどいにもきちんと女主人との時間を浮かび上がらせるだけの力があり、そば屋の息子を演じた比佐仁や最初のシーンで日常のカフェの色をつくった女性(太田みち/石山裕子のダブルキャスト)にも気負わないよさがあって。

やわらかく自然に流れる時間を支える秀逸なセンスやパワーが作品全体に満たされていて、演じられた時間から過去と未来にひろがる登場人物たちの世界に心を惹かれてしまうのです。

終演後、駅までの帰り道がまだ舞台の続きに思えたりして・・・。こういう現実と距離感のないお芝居って、なにかあとをひくのですよね・・・。ちょっとせつないけれどどこかに心地よさを秘めた世界・・・。で、間違いなく何かが心に沁みた。悪いことではないのですけれど。

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「第1回生喬の亀戸でまるかじり」手作り感

4月4日夜、亀戸カメリアホールの6Fにある和室にて笑福亭生喬ひとり3席の「第1回生喬の亀戸でまるかじり」を観てまいりました。

観客は30人強というかんじ、大きめの和室の後方にいす席が10席ほどで前方にはざぶとんがゆったりと敷いてある。こう適度なゆとりがあってリラックスして噺を聴けるような感じがする・・・。

穏やかな空気が会場を支配する中、師匠が登場、高座が始まります。

初っ端、ちょっと高揚感に言葉が上ずる場面も・・・。観ているほうにもその感情がダイレクトにつたわってきて、なにか一体感が場内生まれるのが心地よくて・・・。今回の開催の経緯のような話から最初の演目を意識した病院関係のねたふり、そして小噺をいい塩梅の時間配分で続けていく。小噺の切れ味がよくて場内が一気に温まっていきます。

・犬の眼

オーソドックスな演じ方ですけれど、人物描写がとても丁寧。人物を小さく描くのではなく細かく演じていく感じがとてもよくて・・・。ひとつずつの場面にあざとくならない程度のメリハリがついていて、観る者を噺の内側にしっかりとつなぎとめていく。そりゃ、何度も聴いたことのある話ですし、三席やっていただけるなかの最初ですから、気楽に聞き流そうかくらいで観ているのですが、気がつけば体が椅子の背から離れて前に引きだされている・・・。

医者の人の喰い具合の匙加減というのでしょうかねぇ・・・、妙に律義なところがちゃんと残っているのがいいスパイスになっていて・・・。

気持ちよくたっぷりと聞かせていただきました

***  ***  ***

一席目が終わって師匠は高座に居続け・・・。「犬の眼」が一番最初に稽古した話であることから一門の話、落語の稽古の仕方へとまくらが広がっていきます。福笑師匠の稽古の付け方には笑った・・・。目に浮かぶようですから・・・。

染丸師匠の稽古の話からさらには浄瑠璃の話へと移って・・・。まあ、芸談の範疇なのですが聞いていて本当に楽しい・・。観客を豊かな気持ちにする力が語りにある・・・。

さらには小拍子や張扇の説明とか結構定番の浄瑠璃の笑いの実演が挟まってその勢いで「豊竹屋」に入ります。

・豊竹屋

この噺は落語のなかの芸事のテクニックが生命線、即興浄瑠璃と口三味線のコラボの出来がすべてかと・・・。

枕で浄瑠璃の説明がしっかりされているから、その芸風にすいっと入っていける。ぐいぐいと熱が上がっていくようなグルーブ感があるのですよ・・・。場内全体がその調子の渦に巻き込まれるような感じ・・・。高座と客席にすごくいい相互連携のような雰囲気が醸成されていて・・・。

観客が生喬師匠の芸にしっかりと寄りかかることができるから成り立つ世界なのでしょうけれど・・・、すごい贅沢な高座を見たように思います

仲入り

・ねずみ

豊竹屋から変わって今度は物語を聴かせる噺、人情噺というのとはちょっと装いがちがうとおもうのですが、私的には大好きな噺です。

ねずみ屋発祥の由来を主人が甚五郎に聴かせるところが物語のメインディッシュかと思うのですが、その部分の語りにしっかりとしたボリューム感があるというかこまやかな厚みがある・・・。主人が追い出されていく物語からその人の好さがけれんなく浮かび上がってきます。子供の無垢な健気さに厭味がない・・・。甚五郎がねずみを彫ることに必然をもった噺の色がつくられていく・・・。

ここまでが十分な密度で語れているから、後半の顛末が瑞々しく生きるのです。オチもすきっと聞こえる・・・生喬師匠の噺のくみ上げが見事に生きたねずみの一言だったと思います。

この会、次回は10月10日だそう・・・。あまりによすぎて人様に教えたくないほど・・・。

今から秋が楽しみになりました。

R-Club

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YEBISU亭 大きな才能のエンジンは噺を歪ませない

遅れてしまいましたが、3月29日、恵比寿ガーデンプレイスにて第25回YEBISU亭を観ました。YEBISU亭はスケジュールが合わずしばらくご無沙汰だったのですが、久しぶりにうまく時間がとれて・・・。

今回のゲストはサッカー選手の永井秀樹選手。オープニングの吉弥師のサッカーユニホーム、ちょっと体格にあっていなくて、それもまたご愛敬。

・桂吉弥「住吉駕籠」

ちょっと遠慮気味の枕・・・。すこしずつ探りをいれながら、懐に観客を呼び込んですっと噺に入ります。

時間ををしっかりもらっていることもあるかとは思うのですが、噺にゆとりがある・・・。で、緩急が大きくつけられるからメリハリが生きる・・・。噺に安定感があるからゆったりと演じても酔っ払いの下りも焦りがないので駕籠屋の所在なさがきっちりと伝わってくるのです。同じ話も3度目になると聴いているほうまでがなにかいらっとしてくる・・・。でそのいらだちがおかしさにゆっくりと変わっていくところがよいのですよ。

以前聴いた時には端正な感じが強い高座だったように覚えているのですが、今回は・・・、なんというか渋みが良い具合に聴いていて・・・。後半の駕籠の二人乗りのあたりからのテンポもほんと頃合いで・・・。こう噺に貫禄がついてきたように思います。

・今夜踊ろう

まあくまさこさん、今回も絶好調・・・。相手がスポーツ選手でも容赦はしません。喬太郎師匠ははなからあきらめ顔だし・・・・、吉弥さんもここはおとなしくしていようという感じ・・・。でも、結局我慢しきれなくなって突っ込み大会がはじまってしまう・・・。

挙句の果てには永井選手からの突っ込みのジャブが飛んだりもしたのですが、意に解せぬ風・・・。しっかりと仕切りきる・・・。すごく不思議なことなのですが、拝見するごとにだんだん彼女の芸風(?)に惹かれている自分がいたりして・・・。

終盤の「お勉強になりましたね・・・」でこちらのお腹もよじれてしまいました。

・柳家喬太郎 「おせつ徳三郎」(通し)

この噺を通しで聴いたのは2回目、はじめてきたのはもうずいぶん昔のことになります。(そのときの噺家さんも思い出せない)それとは別に後半部分の「刀屋」の部分だけをやっぱり昔どこかで聴いた覚えがあります。ちなみに前半は「花見小僧」という噺になるのだそう・・・・。

後半の喬太郎師匠、枕もそこそこに噺にすっと入っていきます。

前半の花見小僧の部分、噺がほわっとやわらかく膨らんでいく・・・。主人の話の引き出し方のあこぎさが絶妙で・・・。お灸の描写にほんの少しサディスティックな狂気を混ぜるのが喬太郎風・・・。飴と鞭の飴が少しだけ手慣れないようにみえるのも主人の性格をうまく引き出していきます。その条件に心が揺れる丁稚がまた絶品、あざといほどにうまい。うまくデフォルメされていて、おびえと期待の間の心の動きがしっかりと観客に伝わってくる。その狭間で語られる花見の様子からまるですりガラスの向こうのシルエットを観るようにおせつと徳三郎の姿が浮かんできます。二人から醸し出される初々しい雰囲気が観客の心をすっと開く。その一方で最後の主人の小僧に対する理不尽な仕打ちに、二人のおかれた運命が暗示されて・・・。

後半の「刀屋」に入ると前半のぬくもりが見事に熱に変わっていきます。おせつの婚礼の話を聴いた徳三郎の恋心、抑え込もうとするたびに噴き出すような一途さが鼓動のごとく観客を揺らしていく。前後の見境がつかない中、友人の話としてかろうじて語る徳三郎の想いの表現には観ているほうが息苦しくなるほどの強さがあって・・・。前半の華やいだ二人の逢瀬をしっかりと刷り込まれているから、この徳三郎の想いの切っ先が一層研ぎ澄まされているように感じる・・・。

その行き場のない気持ちを大きく受ける刀屋の枯れた軽さがまたよいのですよ。熱くたぎった徳三郎の想いをすっと醒まして、そのあとにゆったりと時間をかけて徳三郎の想いの行き場を指し示めそうとする・・・。押し込めるような強引さではなく、その思いを両側から流していくような洒脱さが刀屋にあって、その先にいる観客をも諭すような力もしっかりと内包されていて。徳三郎の心に寄り添うようような部分では、刀屋の若いころまでがすっと浮かんでくるようにも感じます。刀屋と徳三郎が重ねる心情のバランスの繊細さに会場全体が息を詰めるころ合いを見計らって、周りの騒がしさの描写で噺を前にすすめるタイミングがまた絶妙で・・・。

噺の結末は、昔聴いたものとは正反対でした。橋から身を投げるまでの二人の心の表現の淡泊さに互いの想いの固さがうかぶ。刀屋で徳三郎の想いが観客を浸潤し尽くしているので、それ以上はいらないのです。下に筏があってそこに落ちて助かるという昔聴いた終わりは、前段で表現された徳三郎の想いには安易すぎる・・・。このおちは刀屋での場面をここまで昇華させたからこそなしえた喬太郎師匠の選択なのだと思います。二人を死なせてやろうという選択に喬太郎師匠一流のセンスと芸の奥行きをを感じるのです。

長講を感じさせないのも喬太郎師匠がが持つ芸の純度の賜物なのでしょうね、満腹感なくたっぷり満たされる50分でありました。

終演後、余韻に浸りながらご一緒いただいたた方とお話をするなかで思ったこと。その方が作り出すものって大好きで、同時に瞠目させられていたのですが、改めてお話をさせていただくと、その方自身の芯にある柔軟なセンスの持ち方に無理がないことが伝わってくるのです。それは喬太郎師匠の噺の洗練にあざとさを感じないのと同じような感覚だったりして・・・。

もちろん、喬太郎師匠の芸の磨き方もきっと半端ではないのだろうし、その方もなにかを具現化する時には大変な努力をされているに違いありません。秀でた表現というはそんなにポロっと生まれてくるものではないと思う・・・。でもね、大きな才の器をもつ方から生まれてくるものって、その苦しみや努力が表現をゆがめたり曇らせたり偏らせたりしていないようにおもうのです。観客として喬太郎師匠の噺にはずれを感じたことが一度もないのも、その方の話を聞いていてこの人が紡ぎだすものに一生飽きることはないだろうなと思うのも、彼らが授けられたコアに十分な大きさがあるからかと・・・・。

恵比寿駅で埼京線を待ちながら、昼間観た写真展を含めていくつもの才に触れた高揚感を感じつつ、そんなことをぼんやり考えておりました。

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カスガイ「リビング」ワークインプログレス・「えほんをよむ」・劇団コラソン・やなぎみわ「マイ・グランドマザー」など・・・

先週末からなにかいろんなものを観ています。

エスカルゴ(こゆみ侍)などのお芝居らしいお芝居も楽しいけれど、それ以外にもかなり素敵な表現に出会ったので、ご紹介。喬太郎・吉弥両師匠のYEBISU亭も非常におもしろかったのですが、これは別に書こうかなと・・・

★カスガイ「リビング」~ワークインプログレス~

3月31日、王子小劇場にて4月下旬にあるカスガイの旗揚げ公演「リビング」のWIP(ワークインプログレス)を観てまいりました。

会社でほんの少しトラブルがあって予定を15分遅れて飛び出して・・・・、それでも前半の稽古のパートを半分以上拝見することができました。初めて観ることばかりで非常に興味深かったです。二人一組の稽古の姿から伝わってくる空気の密度のようなものがあって、観ていても熱を感じたりして。役者の方にとっては日常の光景なのかもしれませんが、見ていてちょっと感動してしまいました。

30分の休憩のあと、後半のパートで「リビング」を通して拝見させていただいて・・・。

お芝居の内容は書きませんけれど、脚本がよくできているなとおもった。そこから浮かび上がってくるものがすっと伝わってくる感じが観ていて気持ちよくて・・・。

でも、コンテンツがというかテーマには「気持ちよい」などとは全く違う色が滴るほどに含まれていて、作り上げられた芝居では、その色が「気持ちよい」という感覚をまといつつ、裏腹に観客を強く染めて上げていくのだろうなと思ったり・・・。

ところどころで台本を持った役者の演技にもかかわらず、気がつけば舞台の世界に取り込まれて時間を忘れて観入ってしまったし、突き抜けた部分が肌にまで伝わってくるような感覚にも襲われたり・・・。初日3週間前に明るい客席で見てもこれだけのものがやってくるのだから、本番は・・・・・どうなるのだろう。

いろんな意味ですごく期待が高まりました。これはお勧めの一作かと思います。

作:登米裕一 原案・演出・出演:玉置玲央

出演:須貝英・加藤敦・川村紗也・深谷由梨香・村上誠基・渡邉安理

★「えほんをよむ」

2009年3月28日、ラゾーナ川崎プラザソルにて「えほんをよむ」というイベントを観てきました。

絵本の画像を壁に映しながら、プロの役者や声優を中心に朗読をするという試み・・・。これはまさに「百聞は一見にしかず」の世界でした。

15時の回に伺ったのですが親子連れが圧倒的に多くて大人一人では入りづらいくらい・・・。

入り口から奥側に6段程度のひな壇に椅子がならべられた客席がしつらえられています、上手に大きく絵を写すスクリーンがおかれ、下手半分弱に演者たちの舞台が設定されていて・・・。6本の役者用マイクの後ろにはどらやパーカッションがならべられていて、楽器がきらきら光っている・・・・。

始まる前は、どこかの公民館での紙芝居大会のような雰囲気で、司会者のかたもそういうのりだったのですが・・・。始まった瞬間にそのクオリティの高さに度肝を抜かれました。

ひとつの絵がスクリーンに現れるたびに場内を包み込む役者達の表現の豊かさ・・・。声だけではなく表情や動作にもいろんなメッセージがこめられていて・・・。なんというか、絵に音をつけているのではなく、絵を大道具にして舞台から客席に、臨場感を溢れさせているような感じ・・・。音や演者の表現を補足するように絵が変わっていく・・・。

音響効果がまたいいんですよ。楽器の音だけではなく、棒状の風船を廻す音やシングルモルトウイスキーのパッケージ(筒状の入れ物)を使ったパーカッションに、なにか手品師の帽子から何がでてくるのか待っているようなワクワク感があって・・・。さらには役者達も音作りのお手伝いをするのですがそれも楽しい・・・。ライティング・・・。光の作り方も凄くセンスがあって、さらにはミラーボールまで登場する表現には観客を魅了する力があって・・・。

私のようなちょっといい歳したおじさんが、午前中からの用事でちょっと疲れて観ても、物語が始まるととにかく理屈抜きに楽しいのです。気が付けば大人の自分が子供の目線で物語あわせて心配顔や笑顔になっている・・・。

これを見た子供たちって、きっと舞台で演じられるものを観る楽しさを忘れないと思うのですよ。大人だって、お母さんだって、舞台をそれなりに観ているおじさんだって、目の前で演じられるものを観ることの楽しさを再認識してしまうわけで・・・。

しかも入場料はカンパ制。いろんな人がこれだけのクオリティのものに敷居なく気軽に触れることができるのがとてもよいなと思いました。

6月にも同じ場所で公演があるそうなので時間が許せば是非にいってみようと思います。
潤色/構成/演出:ささぼう
演奏:栗木健
出演:yukino 梶原航 小山裕嗣 小林美奈 夏目真紀子 鈴木千賀子 渡辺克己 大塚秀記 南雲りえ

★やなぎみわ「マイ・グランドマザーズ」

3月29日、東京都写真美術館2Fにて開催中の写真展を観にいってきました。YEBISU亭を観る前に時間があったので少し時間つぶしの意図もあって入ったのですが、その作品たちの力に魅入られてしまいました

会場に入ると、大きな写真がゆったりと並んでいます。込み合っている感じはなくて、ひとつずつの世界に向き合える感じ・・・。

写真の横にモデルになった女性の名前と写真の背景になる言葉が掲示されています。作品によって長いものもあればほんの数行の散文のようなものもある・・・。50年後の自分をイメージしてスタッフとモデルが話し合いながら世界を作っていったという写真。老け化粧をした女性が物語の中心にいて、言葉と溶け合いながらその世界で確かな呼吸をしています。年齢を超越したようにアクティブに働く女性の言葉は彼女のキャリアを伝え、書画骨董に埋没する女性は、その境地にある率直な心情を言葉にして・・・。すこし飽き飽きしたような態度で子供たちのたいくつな人生を占う老女のシニカルな言葉、一生を芸にささげて言葉に芸の心得を書き込んだ4人の老妓に漂うなんともいえないコミカルさ・・・。女性二人でゆっくり住もうと終の棲家買ったのに、パーティづけになってしまった二人の女性の表情・・・。

写真を眺めて、言葉に触れて、もう一度写真を見るとそこに吸い込まれるようなドラマがあって・・・。ドラマに取り込まれてその世界から今をみると、言葉の原点にある多分20~30代の女性の感覚が瑞々しくやってくる。明るいもの、暗いもの、希望、諦観・・・。写真を移動するたびに様々な感覚が観る者に押し寄せてくるのです。

ひととおり作品を観終わって帰ろうともう一度作品を飾ってある二つの部屋をぼんやり眺めていて不思議な気持ちになりました。なんていうのだろう・・・、その大きな部屋がいろんな女性の未来への旅の待合室のように思えて・・・。しばらく立ち去りがたく、じっと部屋の空気に浸りきっていた事でした。

★劇団コラソン 「SUPPORTER’s」

劇団初見、コレドシアター初見。

三虎タイガーこと空間セリーの深寅芥氏の作・演出作品。お芝居というよりはショーレビュー的な要素が結構強い作品でした。

(ここからネタばれがあります)

前半は特にショーレビュー的な感覚が強くて、3人組アイドルのいわゆるアイドル振りやファンの動きはそれだけで力があって・・・。配られたライトを振っているだけでなにか舞台との一体感が得られるのにもびっくり。

テーマは秋葉原ということで、その雑多な色がコンパクトに演じられていきます。メイド喫茶やSMテイスト、詩の朗読・・・、POPだったりディープだったりするいろんな色がしたたかにミックスされて・・・・。軽さや透明感や雑多さが満員の場内に広がっていきます。

で、新手のエンターティメントかと思っていると、そのファンのオタぶりが一瞬に変質していく。その切れ味がぞくっとするほど鋭く、シーンに実存感があって・・・。

観客に残すものを残して、終盤は格闘技の世界でうまく物語に形をつくって・・・・。物語をしっかりと重箱に治めた作・演出の三虎タイガーのしたたかさ、さすがだなと感心したことでした。

役者も多少の優劣はありましたが、それぞれに舞台を充分に支えきって・・・。

作・演出 : 三虎タイガー

出演:八木ひろあき・ハカセ・美波陽・屋良学・松中みなみ・加藤のどか・渡部真希・松田麗・彩音凛、ゲストあり

こういうエンターティメント、ありだとおもいます。

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ほんと、ばてばてになってしまったけれど、楽しい週末・週初めでした。

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