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角角ストロガのフ「人間園」スーパーリアリズムっぽい抽象画

2月28日ソワレにて角角ストロガのフ「人間園」を観ました。場所は王子小劇場。ちょっとルーズな椅子の並べ方で満席という感じ・・・。

なによりもここの仮チラシ、インパクトがありすぎで・・・。そこから前回公演についてのいろんな評判を思い出し、劇場に足を運ぶこととなりました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出は角田ルミ。劇団初見。役者としては、elephant moonの菊地奈緒、空間ゼリーで好演した塚田まい子、柿喰う客の本郷剛史の演技は過去に拝見したことがあって。またJACROW主宰の中村暢明は今回役者ですが、演出家としての彼の作品は強く印象に残っていて・・・。

劇場に入るとセットが高く積み上げられている感じ・・・。オフィスのような部分と明らかに教室のような部分が下方に、家庭と思しき部分とよくわからない部分(折込パンフから産婦人科と判明)が上部にしつらあえてあります。早めに劇場について席の選択の自由は十分にあったのですが、どこに座ってよいのか結構迷う・・・。で、とにかく上下が均等に見える席を確保。

ディズニー映画のサントラのような音楽が流れるなか、お決まりの携帯電話・飲食の注意についてのちょっと遊び心溢れるアナウンスがあって、女性主宰の劇団らしいなとか心和ませながら聴いて油断をしていたら、開演と同時にとんでもない激流にながされることになりました。

冒頭、パンを食べるシーン、そこは監獄とも教室ともとれる空間・・・、パンを強制されるようにむさぼる人々・・・。そのパンの味を覚えるように命令されてその味を覚えると解放される。その暗示的なシーンにはじまって、幾つものイメージが舞台に展開していきます。最初はどうということのないエピソードが積み重なっていくのですが、人間が根源的に持っている刺激や嗜好への欲求が少しずつ常態の箍を緩めていく・・・。おいしいジャムを求める気持ち・・・。箍は箍として存在しながらも、そこに束ねられているものがだんだん外れるように物語が進んでいきます。宗教的理想やまっとうな世界が教室に存在する一方、いじめを強要する先生が現れる・・・。それらがドミノだおしのように舞台に拡散していって・・・。教室は荒れ、強姦から女生徒の自殺にまで至ります。職員室の中でもいじめや担任争いのようなものが発生して・・・一方、産婦人科の先生も、鎖が外れたようにマザコンが露呈し女性の汚物に対する偏愛が次第にエスカレートしていって・・・・

しかも、それらのエピソードが順番にひとつずつ演じられていくのではなく、しばしば舞台のあちらこちらで同時進行的に進んでいくのです。どこかのシーンに目を取られていると他のシーンの起承転結がよくわからなくなったり、結果だけを観てえっと思ったり・・・。

後半になると、舞台上は様々な欲望が解放されうごめくカオスのような状態になっていきます。生理的にちょっとつらいような狂気もあるのですが、しかし、観客はその混沌とした舞台から目がはなせない。強く惹かれる何かが舞台全体からやってくる。様々なシーンを追いかけて、個々の世界の行く先を眺めようとしてしまう。狂気にも因果があって舞台が観客を放さないのです。

個々のシーンが、よしんば突飛であったりモラルハザードであったり犯罪であったとしても、その存在はきちんと前後をもった世界として描かれていく・・・。箍から外れかけた部分も、完全に外れて打ち捨てられるのではなく、外れた中での箍へのぶら下がり方が表現されていく感じ。教室のいじめのシーンも、教師からのいじめの強要で歪んだものをそのままに、物語が展開していきます。それは職員室のエピソードでも、家の話でも、産婦人科のエピソードであっても同じ。

そして、役者たちには物語の広がりや狂気を十分に支え切る力があって・・・産婦人科の医師の嗜好などちょっと吐き気をもよおすほどにえぐいものですが、。森久憲生の秀逸な演技はそんな産婦人科の医師に鮮やかな存在感を持たせるし、その母親が狂気に充ち溢れた存在であっても、菊地奈緒の手練の演技はその母親の筋の通し方に説得力を与えていきます。

学校の職員室にしてもそう、津田湘子が演じる教師のエスカレートしていく狂気は、彼女のクラス担任を持ちたいという嗜好の中ではがっつりとつながる。立浪伸一にしても高倉大輔にしても中村暢明にしてもその狂気をしなやかに貫くしたたかさがあり、キャラクターを舞台に生かしていくのです。一方橋本恵一郎はその中で通常の価値観を守るような役回りを演じきり、栗原瞳も倫理を標榜することによってある種の欲求をコントロールしていきます。

いじめの強要から作られていく教室の狂気のふくらみにも息を呑みました。本郷剛史岡本篤が演じる学生がそのベクトルに染まっていく姿にはぞくっとくるような怖さがあって・・・。また犬塚征男が抑えたように演じる男子生徒内面の怒りや自己中心さにも同じくらいの凄味がありました。菊地奈緒が二役で演じる中学生にはその年代の空気がしっかりと醸成されているし、塚田まい子の教室での抑えた演技はしたたかにその後監禁されるときの開き直りの力となり、鈴木聖奈の存在も終盤に物語の骨格になっていく。個々のシーンだけではなく繋がりのなかで演技をコントロールする力が役者たちにはあるのです。

それぞれのベクトルは、ファンタジーにくるまれたり地色をむき出しにして、時には偽善を語り、あるいはインモラルなシーンを醸成しながら人間の本性をむき出しにしていく

舞台の同時進行にしても、慣れてくると、そこにリアリティを感じたり・・・。。職員室と教室との関係、さらには産婦人科や家庭の出来事など、実は同時に進行しているほうが自然だったりして、またそこから生まれてくるニュアンスもあって。

角田ルミの人間の本質を切り取る才気の稀有さと、その果実をしっかりと表現する技量をもった役者たち。舞台の構成全体がひずんでみえても、個々のシーンは角田ルミの本質を見極めるような才に裏打ちされていて、それがまるで、ダリの描く抽象画のように観客のある部分を共鳴させていくのです。

まあ、観る人によってこの作品のメソッドに好き嫌いが出るのは当然だろうし、ひどく観客を消耗させるところのある表現であったことも事実・・・。でも、角角ストロガのフ、私は次の公演もきっと観に行くとおもうのですよ・・・。それは怖いもの見たさに近い感覚なのかもしれませんが、角田ルミの世界には抗しがたいというか中毒的な魔力が潜んでいて・・・。

次の作品も、なにかおいしい味がするジャムであるような気がしてしまうのです。

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終演後、アフタートークがありました。はらペこペンギン主宰の白坂英晃氏ガゲスト。まあ、ふつうであれば、上演作品の劇団の主宰がゲストを相手に作品のことから話を膨らませていくという感じなのでしょうけれど、ここのトークショーは一味ちがう・・・。白坂氏も一人では太刀打ちができないと思ったか、出演中のはらぺこペンギンの役者さん(立浪伸一)と二人で角田さんに対応。

当の角田さん、もう素敵に傍若無人で・・・。残った観客が少ないと、人数を指差しで数えだそうとするのを立浪さんに何度も止められている姿がおかしくて・・・。しかも、そのあとの話もけっこうぶっとんでいて、出演している役者を選んだ理由がびっくりするようだったり、白坂氏の質問もたまたま客席にいた役者さんに振ったり・・・。客席でサクラしている役者さん達がそろって当惑しているところもなにか面白くて・・・。

そのうちにトークの流れは白坂氏の作品に対する大突っ込み大会になって・・・。一生懸命我慢していたのですが、最後には声が出るほどに吹いてしまいました。3人とも立ち上がってボケ突っ込みを始めて・・・。トークショーでこんなに笑ったのは初めてかもしれません。でも、そんな会話のなかから白坂氏は、この作品の本質の説明をちゃんと角田さんから引き出してきて、これはこれで見事な展開。

角田さん、きわめて個性的な受け応えだったけれど、今回のような視点を持った作品を作るためには、彼女から溢れ出してくるようなとびぬけた発想も必要なのかもしれません。まあ、次回作、客席までをオムレツにしたいなどと言われるとちょっとどうしてよいのかわからないけれど、でも、いろんな意味で楽しむことができたトークショーでありました。

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