柿喰う客「恋人としては無理」の正当度
3月8日ソワレ、横浜STスポットにて柿喰う客「恋人としては無理」を観てきました。ビルの地下、劇場というよりはスペースという言葉の方がしっくりくるような空間で、久しぶりの柿芝居です。
(ここからネタバレがあります。充分にご留意ください)
作・演出 中屋敷法仁。
客席横の通路から修道士のようにフードをかぶった6人の役者が現れます。絞られた照明の中、輪を作り廻り・・・、その間に反対の通路からもう一人の役者が現れて舞台を横切ってどたばた袖へと消えていきます。輪の回転は止まり、ゆっくりと呼吸を整え・・・、そこから十分すぎるほどのテンションとスピードの演技が一気に立ち上がります。
イエスに従う使徒たちのエルサレム入場から復活、さらに使徒たちの布教にいたるバイブルのエピソードが描かれていく。役者に当時の人間を演じる意図はさらさら見えず、まるで現代劇のように使徒たちの行状が表現されていきます。信仰心に裏打ちされたような思いの表現などもなく教条的な匂いもない。もちものがキャラクターを定め(カサとかヘッドホンとかセンスとかセーターとか・・・。共通してピンクが使われていたりもする)その受け渡しで演じ継がれるキャラクターは複数の役者の演技にただ染まっていく。個々の役者の個性が、そのままキャラクターに広がりを与えていくのです。平面的で今様で世俗的な言葉の羅列から、多色刷りの錦絵のように浮かび上がってくるペテロやヨハネやユダの個性は、やがて言葉や仕草を吸収し、逆にアイテムを持つ舞台上の役者に憑依していきます。そして、宗教的でも教条的でもない舞台から、使徒たちのイエスへの愛の形が見えてくる・・・・。
しかもこの作品、聖書の物語の骨格を歪曲しているわけではないので、作者が筆を自在に滑らせ役者たちが表現を闊達に広げても観客が振り切られることがない・・・。背景というか物語の骨格を借景にできる部分がおおいことが、役者たちにより深い動や静の表現へのゆとりを与えているような・・・。これまで観た柿喰う客にくらべても、より多くのシーンにゆとりというか奥行が生まれて舞台の世界観が膨らみ、なおかつ、土台がしっかりとして舞台上のリズムが崩れることなく維持されていくのです。緩急の「急」の色が淡くなるわけではないし、「緩」の部分が切れを失うわけでもない。観客を浸潤するようなイエスを思う使徒たちの気持ちが、気負いも力みもなく、透明感すら感じる質感をもってあるがごとくに伝わってくる・・・。その想いからは、私がちっちゃなころ教会の日曜学校(うちの両親は一応クリスチャン)で積まれようとした宗教的な重石なんて気持ちよく抜け落ちていて、会話のコンテンツにはたっぷりと普段着の香りが盛られているけれど、下世話でナチュラルな言葉には、人の愛するものへのあるがままで普遍的な姿がしたたかに縫い込まれていて・・・。
芝居自体のクオリティを見ても場面転換のしなやかさ、使徒たちを熱狂で迎えるエルサレムがその色を一気に迫害の牙へと変化していく表現など、もう舌を巻くしかない。役者の緻密な表現の重なり合いが作る舞台の質感は相変わらず一流で、役者たちも、柿喰う客のホームでのお芝居ということで、その演技には常ならぬ伸びやかさがあって。そんなに昔から柿喰う客を見ているわけではありませんが、それでも、今回の彼らの演技には、ある種の円熟を感じてしまう。
七味まゆ味、コロ、高木エルム、柿の役者たちの演技の充実をどう表現したらよいのか・・・。以前見た柿喰う客の舞台では技量はあってもやや没個性だった役者たちが、この舞台ではしっかりとした色を持たされている・・・。様々なキャラクターに個々の色をしっかりと投影させていく感じ・・・。七味の演技の張りと柔軟さ・・・、ポケモンのようなロバにまで存在感を与える表現力は一瞬にして舞台全体を彼女に集約させるような力があって。高木の演技に垣間見える想うような時間の深さには、舞台をしっかりと下支えするような力感が伝わってくる・・・。コロから発せられる質感には観客の感情から粘度を奪うようなドライさがあって、観客の心と共鳴していく・・。
中屋敷法仁の演技にも物語の低音部をかっちり埋めるような安定感があって・・・。作家としては何度もトークショーなどで拝見したことはあったのですが、ここまでの演技を拝見したのははじめてかもしれません。物語の地色を染めるような演技だったと思います。佐賀モトキの演技には勢いと堅実さがありました。高いテンションをたもちながらも、強い個性の緩衝材となるような柔軟さがあって・・・。堀越涼の演技の切れにも何箇所かぞくっときました。薄く強く観客の感覚を切り開くような演技に、彼の力を再認識したことでした。
横浜公園のご当地ゲスト、中野茂樹も良い味を出していたと思います。他の役者たちに混じらない色を求められる役回りだと思うのですよ・・・。個性の強い役者たちに混じったとき、染まらない色使い・・・。見事だったと思います。
見終わって、しばらくぼーっとしていて・・・。トークショーを聞いて・・・。(質問を受けて中屋敷氏がさらっと実名入りでエピソードを説明した「恋人としては無理」という題名の由来には、虚実を別にして笑ってしまいました。)。で、帰り道、シェラトンホテル脇の階段を上っていると、心になんともいえない飢えがあるのです。昔、「Jesus Chirist Superstar」というミュージカルを見たときに「I don’t know how to love him」というナンバーが心を捉えたのですが、それと同じテイストの感覚が、この芝居の余韻からミュージカルとは比べ物にならないほど強くつたわってくる・・・。宗教に浸されたイエスの物語と、あるがままのイエスの世界を思うときの普遍性をもったギャップのようなもの・・・。その感覚をしらっと観客に置いていった戯曲の秀逸さを再認識し、中屋敷氏の才能に改めて瞠目したことした。
このお芝居、名古屋・大阪・福岡・札幌のツアーがあるそうな・・・。
チャンスがあれば、決して見ておいて損のないお芝居かと思います。
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地方分のチケットはまだ残っているようで・・・
ご参考までに出演者の方のブログにあったチケット予約のリンク(七味まゆ味嬢のブログ)からこそっとコピーして、・・・
愛知
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上記リンク、まずかったら即時削除しますので・・・。その節にはお叱りをいただきますように。
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