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こゆび侍「エスカルゴ」見え方の秀逸なコントロール

3月28日ソワレにてこゆび侍第7回本公演「エスカルゴ」を観ました。場所は王子小劇場。こゆび侍は昨年の暮れにル・デコで短編集を観たのが初見。心に確実に引っ掛かる作品群を観て是非に本公演を見たく思っていた劇団・・・。わくわく楽しみにしておりました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

場内に入るとやや斜めに切られた舞台。奥には塔のようなものがそそり立っていて・・・。その上のバスタブが目を引く・・・。

場内は満席・・・。場内に流れる音楽が変わりゆっくりと闇がやってきて、物語が始まります。

作・演出 成島秀和

舞台は売れなくなった詩人の家、食卓机の上にはさまざまな請求書がいっぱい。息子はバイトで生活を支え、娘は半分ぐれている・・・。弟子は詩人にあこがれているようだが才能があるかどうかもわからない。冒頭のシーン、観客の背後から鳩時計の時を刻む音がずっと響いて、部屋全体を一つの時間に束ねていきます。

妻は自らの毒を抜くといってバスタブにずっとこもりっきり・・・。家族はお風呂やと年間契約をするような状態で日々をすごしています。時々ダンベルで体を動かしたり、時には心配そうに下を眺めたり・・・・。詩人を愛していないわけではないわけではなく、その才能をリスペクトしているようにも思えて・・・。

そこに、息子が恋人を家に連れてきて、詩人の家の様相が次第に変わっていきます。彼女は父親をあざ笑う娘を叱りつける・・・。そこから次第に彼の家庭に入り込んでいきます。詩に対する造詣の深さを見せながら次第に詩人の心をつかんでいく。テーブルクロスで机を覆い、料理を並べられるようにして・・・。さらには娘のことを、「私のかわいい妹に何かあったらただではおかない」とまでいって家族全体の心をつかんでいきます。

連載の打ち切りなどの状況が変わらない中、詩人は現在は売れっ子になっている昔の弟子との対談に応じることになる・・・。それは元弟子が企みのトリガーをひくことでもあるし、一方詩人はそんなストレスの中でさまざまな誘惑に引き込まれていきます。息子の恋人への恋慕が言葉を生みはじめ、理性が麻痺したように弟子を破門したり詩集を自費出版したり賭けごとの一部として詩人を誘惑する娘の友人の女学生を買ったり・・・

一方娘は心を開いて自らの妊娠を息子の恋人に打ち明けるようになる・・・。風呂場の水道を妻が壊してしまい、その修繕時には盗聴器までが仕掛けられて・・・。カタストロフへの準備が整っていくのです。そして・・・。

終盤まで、登場人物たちが極力詩人に映る姿で描かれることで、観客はしたたかに詩人の物語に閉じ込められることになります。詩人の視野や主観で見える姿と客観的な現実の姿を、請求書を隠すテーブルクロスや、現実を眺めるときに響く鳩時計の音がうまく仕切っていく。

息子や弟子たちの生き方や高校生(?)の性への価値観の表現も巧みで、そこから一見超然としていながらそれゆえ世俗に巻き込まれてしまう詩人の姿も浮かび上がってきて・・・。

週刊誌の暴露記事によって、詩人ひとりに現実が隠ぺいされていることが明らかになったとき、息子の恋人として彼のそばにいた娼婦が詩人に買われて刹那の慰安で彼をテーブルクロスに包み込んでしまう姿はまさに圧巻・・・。

役者のこと、妻役を演じた浅野千鶴の芝居がまず印象にのこりました。劇場の一番高いところで、しっかりと詩人から観た妻の想いを強くやわらかく演じきって・・・。その表情と、ラストシーンで娘の出産を聴いて家族が増えることを喜ぶ表情の微妙な差がとてもよいのです。

これまでも、他劇団への客演などを観ている佐藤みゆきの演技には今回も瞠目するばかり・・。次第に家族に入り込んでいく時の強さとしなやかさを兼ね備えたお芝居は、物語全体の骨組みをしっかりと築き上げていました。詩人を蠱惑しテーブルクロスに閉じ込めていく姿態にもどきどきしたし、そこに至る金額の提示や「男をコントロールしていくことが楽しい」と言い放つ時の薄く強い張りを持った軽さも強烈に観客を染めて・・・・。彼女の演技の張りと表現の厚さのフレキシブルなコントロールに見事に引き込まれてしまいました。ほんと、この人凄い・・・。

詩人の娘を演じた廣瀬友美とその友人を演じた和田奈美子はキャラクターの持つ内面を十分に浮かびあがらせるような地力があっていずれも好演、詩人の息子を演じた藤尾姦太郎は諦観の熱のようなものをうまく表現していたと思います。詩人の弟子を演じた福島崇之が醸し出す才能の限界や劣情の表現には実存感があり、才能ある元弟子を演じた井黒英明はキャラクターに適度な傲慢さと自信を与えながら詩人との関係をうまくコントロールしていたと思います。担当編集者を演じた浅見臣樹が詩人の申し出を否定するときの表情には、その場の空気をすっと引き出す力があって・・・、配管工を演じた政修二郎も工事の確実さから現実の圧倒的な姿を一瞬にして表現してみせました。詩人を演じた加藤律はまわりの演技をしっかり受けて着実に物語を進めていた感じ。ただもっと業の強さを泥臭く演じてもよかったかなという気はします

ラストシーンで初めてバスタブを出た詩人の妻が、テーブルクロスに包まれた詩人を現実に引き戻すシーンにも強く惹かれました。それまでの修羅と裏腹に、詩人の持つ業と妻の愛のしなやかさにナチュラルな温度を感じて・・・。

観終わって、ドロドロ感がまったくないのは、それだけ物語がしたたかに組み上げられているからなのでしょうね。で、人が原罪のように持つなにかがきちんと伝わってくる・・・。

良いお芝居が持つすっきり感というか淀みのなさを感じて・・・。満たされて劇場を後にしたことでした

R-Club

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山の手事情社「drill」鋼のような描写力

遅くなりましたが、3月21日ソワレにて山の手事情社「drill」を観ました。会場は下北沢・楽園。

山の手事情社を観にいくのは本当に久しぶり。見始めたのはものすごく昔からなのですけれどね・・・。まだ、清水宏さんが劇団にいらっしゃったころ弁論大会風の「檸檬(梶井基次郎の名作)」を演じたのを観たことがある・・・。それは衝撃的なものでした。あと、山の手メソッドと言われる様々な表現の紹介のような公演を観たり、さいたま芸術劇場での公演を観たり・・・。

ただ、その後、縁から見放されたようにスケジュールが合わず、ほんと、何年振りかでの観劇になりました。

(ここからネタばれがあります。ご留意ください)

今回は整理番号付き自由席、楽園前の比較的狭い舗道に列をつくります。タイトな感じが全然しないのになにかすっと物事がすすんでいく・・・。代表の安田雅弘氏が途中からさらっと列を仕切っていたのにはちょっとびっくり・・・。

番号順に場内に入ると楽園名物の大きな柱、そこを分かれ道にして両正面という左右の客席にお客さんが手際よく振り分けられていきます。役者さん中心の作業なのですが、その手際をみているだけで、なにか観客の背筋までがのびるような・・・。本当に気持ちよくて・・・。

舞台は緑を基調に赤に塗られた小道具が・・・。その中ですでに役者がひとり芝居を始めている・・・。客入れなど知らんふりにこたつで寝そべったり真っ赤な新聞を読んだり・・・。お客さんがきっちりと入りきって、いつもの開演前の諸注意があって・・・・・と思いきや、その役者が間髪をおかずに芝居に入る切れのよさにまずびっくり。観客を構えさせずに一気に舞台に引きずり込んでいく。

そこから、舞台上の部屋には、まるで脳の内側であるがごとくさまざまなイメージが去来していきます。

一つずつのシーンからやってくるイメージにはしっかりとエッジが立っていて、突飛なシチュエーションであったとしても観るものと確実に共振していく・・。その対象は、等身大であったり概念の中で理解するしかないものであったりいろいろなのですが、登場してくるものに設定された温度が微細に観客に伝わってくる例外のない安定感があるのです。温度を狂わせるものが一切そぎ落とされているようにも思える・・・。
駄弁に思えるような会話や、ルーズな人格を描くときにも、その色がクリアで明快・・・。。アナログな雰囲気を非常に細かいデジタルの集合で描いていくような鮮やかさ。拡大した部分がぼけないような安心感。細密に要素が積み重なって一つの場面が浮かびあがっていくような感じ・・・。で、デフォルメされていくものにも歪みがない・・・。

舞台上の表現は主人公の思考の去来するものにも思えるのですが、現出させる仕組みがまたよいのですよ。さまざまに訪れる来訪者たちはその部屋の主に「ただいま」と声をかける・・・。一方で部屋の主は「いらっしゃい」と応じる・・・。そのギャップが来訪者たちの自由な創造を観客に受け入れさせてしまうのです。いくつかのエピソードにはルーズな起承転結をもたせているものもあって、観客の時間感覚も損なわれないようになっていて・・・。緑と赤を基調とした空間からふっと沸き立つような思考やキャラクター間のトーンが生まれていく。

で、造り手が描写し創造したものがストレスなく観客側に伝わってくるのです。

一番印象に強かったのは、「楽屋と勘違いしている来訪者」でしょうか・・・。「身障者と介護者」の表現にも息を呑みました。「禁煙」もとても秀逸、「撮影」の風景描写にはぞくっとくるものがありました。その一方ではずれかなと思うようなものは見当たらなかった・・・。

ところどころに挿入される、山の手事情社事情社がルパムと呼んでいる表現もすごい完成度で圧倒されました。昔、代々木のガーディアンガーデンで彼らの歩行のいろんなパターンを拝見した覚えがあるのですが、その
時のメソッドが進化し、現実の表現に結びついてしっかりと観客に何かを伝えていく。ほんと、怖くなるほどノイズのない表現にまず目を奪われ、さまざまなバリエーションの動きが組み合わさっていく中で、観る側に浮かび上がってくるイメージの豊潤さにまっすぐ惹き込まれる・・・。昔の言葉で言うと「前衛的」ではあるのでしょうけれど、でも決して難解ではない・・・。

出演者等は以下のとおり。

出演 : 斉木和洋・野々下孝・久保村牧子・越谷真美・三井穂高・小栗永里子・櫻井千絵・谷口葉子・安部みはる・浦浜亜由子・下野雅史・浦弘毅・川村岳・岩淵吉能・(山本芳郎さんは川村岳さんとダブルキャストで当日拝見することができませんでした)

観終わって、その内容はたっぷり満腹なのですが、もたれ感は一切ありませんでした。暴力や人間の本質的なもののあからさまな表現に満ちてもいたのですが,そのテイストを拒絶反応なくのみ込めてしまうような浸透力がこの舞台にはあって。観客が自らの意思で再確認し納得するような今がこの舞台には満ちているのです。それはイッセー尾形の独り芝居と同じような力を持っていて・・・

この作品のフライヤーには山の手事情社の作品が、リアルー四畳半を横軸にテキストー即興を縦軸にした図にポイントされているものが掲載されているのですが、そういう捉え方が、また観客の食欲をそそったりもする・・・。このテイストももっと味わいたいし、でも彼らの表現力が作りだす他の作品も是非に観たい・・・。

山の手事情社、私的に再注目の集団になりました。

R-Club

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珍しいキノコ舞踊団×plaplax「Rainy Table」、心解かれる時間

2009年3月20日ソワレにて珍しいキノコ舞踏団「Rainy Table]を観ました。会場は三軒茶屋シアタートラム。

珍しいキノコ舞踏団の単独公演をみるのは本当に久しぶり・・・。

大入り満員で立ち見も結構出ていて・・・。

開演前、懐かしい昭和の音楽がかかる場内の雰囲気にもなにか暖かさが感じられて・・・。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

振付・構成・演出: 伊藤千絵  舞台美術・映像演出・メディアテクノロジー: plaplax

音楽: 大野由美子 衣装:AOMI

出演:井手雅子 ・ 山田郷美 ・ 篠崎芽美 ・ 茶木真由美 ・ 中川麻央 ・ 伊藤千絵

雨の音・・・、そして太い雨筋の映像が全体を覆う中、舞台が始まります。

ナチュラルで柔らかい動き・・・。人と人の絡まり方に暖かさがあって、あっという間に舞台に取り込まれます。ダンサー達は四肢を十分に使い、体を合わせることによって独創的なシェイプを生み出していきます。それはたとえば少女が過ごす雨の日の部屋の中のよう・・・。すこし散らかった感じがしなやかな体重移動から表現されていてそれも絶妙・・・。ユニゾンの動きの豊かさ・・・。下手に置かれた大きなテーブルを使った動きにも創意があふれて・・・。

背面のでこぼこの壁にも工夫があって、突然扉が現出したり・・・。そこからと広くて殺風景な部屋のイメージが生まれて・・・様々な映像が移ったり凸凹に微かに揺れたり・・・。

絶妙にコントロールされたやわらかい動きに観ていて微笑みがこぼれたり、クールでちょっとコンサバティブなダンスに一気に引き込まれたり・・・。さらには馬のイメージ・・・。馬とたわむれ、馬と一緒にちょっと遠出をするような・・・。青銅色の大きな木馬も効果的・・・。

それが正しい解釈かどうかはわからないけれど、イメージがどんどんやってきて、心に映ると次がやってきて時間がたつのを忘れてしまう・・・。

映像も、たとえばPrecogなどの公演で使われるような緻密さはないのですが、でも身体が描きだすイメージに柔らかくフィットしていく感じ。さまざまな色の馬のシルエットをのように、舞台の外側からイメージを作って行ったり、どこかファンタジックな色使いがなされていたり。。なにより映像を見ているだけでも楽しい・・・。場面をつなぐようにスクリーンいっぱいの馬に喋らせるシーンが素敵なブレイクになって・・・。後半の雨がケーキや花などに変化しながら落ちていくなかでのダンサーたちの厚みをもった動きに、なにか子供のようにわくわくしてしまって・・・。

ちょっと気取った部分に好奇心、いたずら心に緊張を持った表現・・・。いろんな場面の底流にはソリッドすぎない温かみとしなやかさが満ちていて、とにかく観ていて飽きないのです。

終盤、全員が同じ黄色の衣装で踊るナンバーもすごくよくて・・・。スチールドラムを生かしたその旋律は前半のリプライズなのですが、明るいライトの下、ダンサーたちの動きが一層舞台に映えて・・・。やわらかくのびやかな動きのなかに、日差しと風とラフでどこか不揃いの自由さと小粋な諦観のようなものを感じて・・・・。やがてやってくるユニゾンの動きがこんなにも世界を広げる・・・。そのひとときの音楽と光とちょっとファニーなダンスからこぼれだしてくる不思議な至福が、アンコールの時にもずっと心を満たし続けてくれたことでした。

音楽もとてもキャッチー、あまり耳にのこってしまったので、上演用音楽のCD(会場限定販売)を購入。これ、ほんとによい・・・。

アフタートークがあって、伊藤千枝さんと舞台美術・映像等を担当されたplaplaxの3人のお話もとても興味深かったです。珍しいキノコ舞踏団として映像を今回のように取り入れたのは初めてなのだそう・・・。映像と動きのシンクロの技術をひとつずつ手に入れていくような作業が続いたとか・・・。今回の公演での映像はPrecogやfaifaiのように内側に映像作家がいるようなカンパニーとは一味ちがったゆるやかなシンクロ感を持っていて・・・。その裏話を聞かせていただいて、観客が楽しいと感じる作品が作られる中での気の遠くなるような試みの時間や、そうして作られた作品が醸し出すものの奥深さを感じたことでした。

この先、珍しいきのこ舞踏団がどのような世界をみせてくれるのか・・・、本当に楽しみです。

R-Club

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カニクラ「おやすまなさい」、ボーダーをさまよう甘美な時間

2009年3月21日マチネにて、カニクラVol.01、「おやすまなさい」を観ました。会場は五反田アトリエヘリコプター。

カニクラは川田希と宝積有香のユニット。Vol.1と言いながら今回3度目の公演だそうです。(Vol.0とVol.0.5を経ての今回公演)。私は初見。

会場に入ると対面舞台で4列の客席が左右にそそり立つ感じ。満席というわけではなかったですが、8割以上の客席が埋まって芝居がはじまります。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作:前田司郎 演出:岩井秀人

舞台には布団、ちゃぶ台に近いようなテーブル。読み散らした雑誌雑然とした部屋・・・。

闇の中のままで開演。声がします。やがて淡い光が舞台を照らして・・・。そこから、眠ろうとする人と眠れない人の、ちょっと不毛にも思える会話が始まります。

ひとりは頭が痛いと眠ろうとする。ひとりは眠れないまま時間をさまようかんじ。目覚めさせようとする人と眠りに戻ろうとする人。駄弁ともおもえる会話がゆっくりと場内を満たし始めます。

羊の数え方のおもしろさ。キャベツを紫にするはなし・・・。そのうちに眠ろうとするものの眼も醒めてきて・・・。

海を暗示するものが部屋にはいっぱいあることに気がつく・・・。貝、ヒトデ、・・・、。

まるで、闇に眼が慣れてくるように聞こえてくるもの。二人の女性たちのとりとめない会話が時には弾み時には途切れ・・・二人の話は際限なく広がりそうで、でもどこかに吸い込まれてもいくようで・・・。

そこにみえてくるのは眠りと覚醒の境界線。そしてその間を揺れながらただよう夜の長さ・・・・。コンビニへ生を観にいくところから死のイメージまでを上下のボーダーにして浮いたり沈んだりしながら時間を漂っていくような・・・。理性がまさる時間と土にまで帰る死の領域・・・。どんどん増えていく貝は生きているような、あるいは死んでいるような・・・。外側から不思議な歪みをもって語られる光景。海の底でゆらぎたたずむようなイメージが空間全体に広がっていきます。

逃亡するサザエ・・、毒を振りまくエイのジレンマ・・・、目の前で牛乳を飲まれる牛・・・。物語全体に広がっていく話がいくつもあって。夢と現実を跨ぎながらステップを踏むようなイメージがいくつも語られて・・・・。やわらかくやってくる閉塞感と孤独感、呻き、諦観・・・・・・、そして慰安。それらは、すごく細密な未明のまどろみのスケッチのようにも思えて・・・。

役者の二人の演技にはしっかりとした技量と安定感がありました。眠れない人を演じた川田希にはさまざまなイメージを語るに足りる瑞々しさがありました。宝積有香はしなやかに影を作り、川田の演技に色を与えていく・・・。ふたりとも演技にゆとりというか広さがあって、観客が同じ感覚を包み込まれるように受け取れる感じ・・・。

彷徨しその行き着く先、眠ってほしくない時のあいさつとして芝居のタイトルが語られて・・・。溶闇する舞台にすっと静寂がやってくる・・。

ライトが明るくともったカーテンコール、すっと夢から覚めたような心持ちで拍手をしておりました。

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終演後、青年団の柴幸男氏と出演のふたりでのトークショーがありました。

舞台の説明があったり、ちょっとした裏話があったりで、観客が本編で受け取ったイメージに厚みを持たせてくれて・・・。なんでも、前田司郎の脚本ではここまで死の匂いはないのだそう。岩井秀人の演出が広げていったのだそうです。

すごく手作り感のあるトークショーだったのですが、作品の理解も一段と深まって・・・。とても実のあるアフタートークだったと思います。

ちなみに、カニクラの次回は柴幸男の作・演出とか・・・。これは楽しみです。

会場を出てみると雨がすっかりあがって気持ち良い青空。それは夢から覚めた朝のようにも思えて・・・。

春めいた風にふかれながら大崎までの道をぷらぷらと歩いたことでした。

R-Club

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阿部ノ生命VOL.1「河童のブルース」素材のよさを生かす料理人の凄腕

3月19日、空間ゼリーの阿部イズムが作・演出・出演するというコント集、「河童のブルース」を観ました。場所は昨日「mixture#1]が上演された池袋GEKIBA。同じ舞台を借りてのワンナイトショーとして開催されました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意の上お読みください)

阿部イズム氏のコントは空間ゼリーが以前クローズドで行った催しの中で観たことがあって、その時から彼のセンスには強く惹かれていました。彼の秀逸なアイデアは空間ゼリーの役者たちというものすごい武器を与えられて、ぶれや遊びのない非常に高いレベルの空間を現出させていたのです。テンションやリアリティを構築した上での巧みなずれやはずし方。パーティの座興のように演じられてはいましたが、そんな生半可なレベルではなかったです。

だから今回の公演はとても楽しみにしていましたし、旗揚げ公演としてはけっこう高いハードルを設定して観に行ったのですが・・・。公演はそんなレベル設定などたちまち粉砕してしまうほど見事なものでした。

CAST:斎藤ナツ子・佐藤けいこ・半田周平・猿田瑛・西田愛李・阿部イズム・大塚秀記

阿部作劇って笑いのメソッドにすごく忠実・・・。、そこに独創的なアイデアを積み上げていく感じ。だから、役者の確実な演技力がそのまま舞台に花開いていくのです。冒頭のコント(私は河童の女の子)でも斎藤ナツ子と西田愛李の言い争いの場面に遊びがないから、人間の世界になぞらえての河童の世界での借金とりたての奇妙な現実感が生きてくる・・・。で、その現実感が斎藤ナツ子のとんでもないカムアウトの可笑しさにつながっていきます。安定した彼女の演技は単にギャグというレベルをはるかにこえたシュールな実存感を現出させて・・・。下卑にもなりかねないネタをさらっと尖った笑いに変えてしまう。しかもその間、西田愛李が舞台をきちんと作り続けているのです・・・。西田愛李の演技力は観るたびに進化していて、前日に観た「mixture#1」でも、奥行をしっかりと持った演技に引き込まれてしまいましたが、その力が今回の舞台でもけれんなく発揮されていて・・・。だから舞台の空気が揺らいだり切れたりすることがない。その場が一発ギャグのお披露目大会となることなく、設定された世界観がどんどん膨らんで観客を巻き込んでいくのです。

空気をしっかり作るという点では佐藤けいこの力量にも瞠目しました。5人の男女が自らを妖怪だといいはるその無理さ加減がとにかく笑えるのですが(妖怪人間大集合)、そのなかで彼女は口がきけない陰気な女性をじっくり演じ続けるのです。大塚秀記の押しの強さや半田周平のわけのわからないクール感、そのなかで佐藤けいこが雰囲気をしっかりと作って舞台を守っていく。他の役者がテンションを上げればあげるほど佐藤けいこの実直な粘りが生きてくる。彼女の表現力の緻密さは風船を膨らます選手の所作でもしっかりと現れていたのですが(世界大会)、一方で場を作り上げる力もすごい。歌謡ショーのプレゼンター(副賞と致しまして)でも、デフォルメされた演技を地道につづけていくのですが、それが猿田瑛の受賞の当惑をしっかりと支えていく・・。最後におっさんがプレゼントされた時、なおもルーティンを続けていくことでおっさんのポジションみたいなものが奇妙に定まったのがまたおかしくて・・・。繰り返しという笑いの基本を忠実に守りながら、一方で破天荒にものごとをエスカレートさせていく阿部のセンスもすごいと思ったし、それを具現化させる佐藤にも常ならぬ力を感じた事でした。

阿部の才能は舞台を膨らませるだけでなく逆にスパっと世界を切り捨てるところにも表れます。子供を守ると約束していた中年男が銃を突き付けられてあっさりそれを許してしまうというネタにしても(孤独)、大塚秀記の銃を突き付けられた時のずるさやあいまいさの絶妙な表現と西田愛李演じる子供の裏切られ感をそのまま暗転で切り落として大きな笑いに変えるセンス。半田周平ががっつり作り上げる鼻につく自尊心をもった男を猿田瑛に思いっきり気持ちを作って全否定させスパっと切り落とすすごさ。(僕はクールなナイスガイ)これもまた演じる役者が最高の出来で・・・。阿部が構築したユニークな口説き言葉を一つの形にしていく半田の空気の作り方には力みがなく、それゆえ、猿田の質量をを最大にした上での全否定の言葉が波動砲のように効くのですが、そこでスパッと暗転をいれることで笑いがさらに二乗になる。暗転になってから次のシーンまでに笑いを治めることができないほど。猿田の何秒かのお芝居も光ります。それまでの彼女が明るめの演技をしっかりとこなしていただけに、このお芝居の迫力には息をのみました。


でも、阿部の才能にはさらに奥行きがあって・・・。一番ぞくっときたのが不動産屋役を彼が演じた時。そのセリフは観客を圧倒していました。(ニコニコ不動産)大塚秀記と斎藤ナツ子の新婚夫婦が醸し出す雰囲気に、ぐいぐいと切れ込んでいく阿部の切っ先が常ならぬ世界を作り出していきます。慇懃な語り口と裏腹な大塚を踏みつけるような態度や斎藤を凌辱するような言葉、そこからの大塚と阿倍のがちんこにはぞくっとするほどの見ごたえがあって・・・。斎藤も阿部の言葉を受けて二人の突き抜けるような演技に密度を与えていく。このシュールさ、尋常ではありません。この一本だけでも木戸の元を十分にとったようなもの・・・。

暗転後、夫婦のシチュエーションが繋がって斎藤ナツ子のところに大塚秀記があいさつにいくという別の作品に・・・。つなぎのみじかい芝居でもこの二人だと世界がちゃんと作れていて・・・・。で、踊る家族というギャップにつながる。(マイケルジャクソン一家)。家族の踊りを見守る大塚の当惑がすごくいいんですよ。一緒に踊ろうとして白い目で見られるところも実に笑える・・・。この人が時間をコントロールしながら作りだす世界の大きさというか広さには瞠目するばかり。

また、上記の作品以外にもはずれがないのがすごい・・。。

台本の粒がそろっていたのはもちろんなのですが、役者の動きが切れているのは見ていても本当に麗しいというか、舞台の格を上げてさえいるように思える。隅々までしっかりと演技がカバーしているので作品に破綻がない・・・。(ロックバンド)の斎藤ナツコや(マヨネーズ隊)のメンバーのように舞台が崩れないように歌い踊りきれる役者は強い。

まあ、この公演にジャンルをつければ「コントライブ」ということになるのかもしれません。でも、作品が今回のようなレベルに至ると、一般のコントというイメージを超越してしまっているようにも思えて・・・。いわゆる演劇とのボーダーはないような気すらします。たとえば、不動産屋のデフォルメされた内心には15MINUTES MADEの舞台で表現されたされた世界との差をまったく感じないのです。

空間ゼリーとして秀逸な役者を彼に与え公演をバックアップした主宰の坪田氏の慧眼も光るところ。これだけの作品を旗揚げで上程してしまった阿部イズムにとって、Vol.2の上演には広い意味での精進が求められるのかもしれませんが、でもかれにはさらなるクオリティを紡ぎだす資質は十分にあるような気がします。

よしんばコントという看板の下に今回の作品が生まれたとしても、才能にみちた作家に力をもった役者が出会えば、看板では括れないほど作品が生まれる。巡り合えた観客にとってもそれは幸せな出会いなわけで・・。

メモも兼ねて上演作品のリストを・・・。

①私は河童の女の子②副賞といたしまして③ロックバンド④はじめて⑤世界大会⑥チョコレートの精⑦マヨネーズ隊⑧孤独⑨チャンピオン婆⑩ニコニコ不動産⑪マイケルジャクソン一家⑫俺はクールなナイスガイ⑬妖怪人間大集合⑭河童白書

今後も彼の動きには注目していこうと思います。

R-Club

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mixture#1 実直な見せ方に浮かぶ差異

3月18日ソワレにて、空間ゼリーLabo Vol.4、mixture#1を観てきました。3人の作家による30分程度の短編戯曲を深寅芥が演出するという企画、場所は池袋GEKIBAです。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

前に3列ほどのベンチシート、後ろにいす席があります。場内は満席、手作り感のある舞台でのドラマの始まりを待ちます。

全作品の演出 : 深寅芥

「らくがき」 脚本 山本 了

保育所の職員室が舞台。先生と親たちの風景が描かれていきます。モンスターペアレンツの姿、保育士たちどおしの連帯感、それぞれのプライベートな部分・・・・。物語を広げるというよりは、一つずつのアイテムが順番に提示されていくような感じ。

個々のアイテムが繋がるときに観客にやわらかい物語のふくらみが伝わってきます。スムーズというわけではなく、曖昧にエピソードが引っかかっていく感じ・・・。強いインバクトがあるわけではないのですが、でもなにか残る・・・。物語の実存感からふっと枠を越えたようにやってくる個人間の関係性にやわらかく息を呑んだり、保母と母親双方の苛立ちに浮かぶ谷間のようなものや女性と保母のボーダーのあいまいさなどが、実直なトーンで積み上げられていきます。舞台全体のトーンとは裏腹に、日常のなかに何気に常態化した非日常の感覚がゆっくりと観客に降りてくるかんじに惹かれて・・。

終演後の場面転換のときには、舞台の場に居合わせた感のなかに見える登場人物の想いをそれぞれの肌ざわりで感じていた事でした。

出演: 平田暁子・西田愛李・川嵜美栄子・桜井せな・鈴木智博・宮ヶ原千絵・江賢

「2008年11月。」 脚本 今村圭佑

徹夜仕事のなかで、ふと思い出す過去。仕事にすこし煮詰まった今がすっと昔の記憶へとスライドしていく。「永遠」と「奇跡」、二つの要素が重なり合うところにある一つの風景・・・。

それは、特別な時間ではなく、まるで山のように重なり合った時間から現れたひとひら・・・。でも、男女二人の友人と共に過ごした最後の時間でもある・・・。

友人たちとの最後の思い出、どこかもてあましたような時間のトーン、3駅分も歩いた疲労感・・・、たわいない会話、会話、会話・・・。感慨もなく過ごす3人が醸し出す時間の密度が絶妙なのです。それらの時間が永遠と奇跡の重なりにあることを知らしめる二つの概念の硬質で機械的な台詞回しの秀逸さ。やわらかく広がるその時間へのいとおしさが「今」をすっと染め替えていくことに、観ていてなんの違和感もない。まさに、観客もろともにその世界に引き入れられる感じ。

でも、物語にはさらには奥があって・・・・。後輩の女性と徹夜をしている「今」もまた永遠と奇跡の交差点になりうることへの暗示から、観客の視野がすっと人生の大きさまで広がっていく。昂ぶることなく、不必要に醒めることもなく演じられていくその気付きは、絹のような質量で観客を包み込んでいく。

戯曲のすばらしさにも心を惹かれましたが、それを舞台の上に具現化していく細かい技量にも感心しました。前述の「永遠」と「奇跡」が醸し出す概念の半透明感、雨や踏切などの音の使い方のインパクト・・・。それらのひとつずつが、演じられる時間の背景に強い実存感を与えていくのです。その実存感があるから概念があいまいにならずに深く鋭く観客を捕らえる・・・。

次の作品までの舞台転換の間、ずっとその余韻に浸りきってしまいました。

出演:中村卓也・日向小陽・川添美和・岩田博之・大川智弘・大城麻衣子

「パンドラ」 坪田 文

冒頭のモノローグで語られる梅干のエピソード。味はあるのですがすっぱさがまずイメージによみがえり、さらに食べてもすっぱいというところがこの物語を暗示して・・・。

昔、学食で偶然出会って、そのまま仲間になったという6人の男女。冒頭の男がロンドンから帰ってきてみんなに話があるというので呼び集められます。場所はサービス最悪な居酒屋・・・。その雰囲気の悪さにいらだつ仲間たち。しかも男は遅れてやってくる・・・。

その男のアクの強さの表現がすごくよくて、それゆえにメンバーたちの彼への距離感がすごくナチュラルに感じられるのです。役者たちの演じる人物の内心がその男が放つ個性に照らし出されて鮮やかに浮かび上がってくる。男の持つ価値観のゆがみや偏屈さ、他の心情を省みない無神経さ・・・。それらが個々に表現されるだけでなく、ランダムに融合して男の風情が醸成されていく・・・。その表現の豊かさから、集まりから離脱していく(要は帰ってしまう)他のメンバーの心情も、「ある理由を持って」という以上に交じり合った色で伝わってくるのです。心情だけでは割り切れないような感情の色が絶妙に加味されて、メンバーそれぞれの男への想いにステレオタイプではないなにかが浮かびあがってくるのです・・・。

旨いなあと思う・・・。

最後まで残った女と、男の会話が実に秀逸。なんというか、物語の枠からさらにはみ出したようなユーモラスさすらあって・・・。居酒屋の店員の対応も後半になって物語に緩急をつけていく。

まあ、本来の空間ゼリーコンビでの作・演出ですから、演出家にもちょっと遊び心が加わったのかもしれませんが・・。作品のもつ色の鮮やかさに目を奪われたことでした。

出演:半田周平・岩田博之・成川知也・西田愛李・二川原幸恵・奥山すみ玲・江賢・平田暁子

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短編集のような演劇としては、今年だけでも4×1hProject、15MINUTES MADEと2本観ていて、どちらもとても印象の強いものでしたが、今回のmixture#1には、また別のテイストを感じました。4×1hProjectは、演出家や役者の作品の色づけの仕方というか表現に魅力があったし、15MINUTES MADEでは時間という枠に集約された表現の力に面白さが合ったのですが、今回は同じ演出家ということで、舞台に現れる戯曲のテイストの違いやそれぞれの作品に対する演出家の創意工夫の仕方が面白くて・・・・。

アフタートークでは、今回の作品を書いた3人の作家が登場。それぞれの作劇の仕方や、15MINUTES MADEの作品と今回のような30分作品の尺の違いによる作り方の違いなどの話題がでて、それも興味深かったです。

このシリーズ、mixture#2以降も実施したいとのこと、また今後の楽しみがひとつ増えました。

R-Club

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15minutes made #5 カタログなんてとんでもない

3月14日ソワレにて、mrs.fictions主催の15 MINUTES MADE Volune 5を観てきました。開場は池袋シアターグリーンBOX in BOX THEATER。

6劇団が15分のパフォーマンスを競うというこの試み・・・、前回(#4)を観てすごく面白かったので、今回もだいぶ前から楽しみにしていました。

私にとってはバランスよく、本公演を見たことのある劇団が2つ、本公演を見たことはないけれど名前はよく知っている劇団が2つ、初めてお名前を聞く団体が2つ・・・。

2列目ほぼ中央、ほんの少しだけ下手側の席に陣取って・・・。なにか開演直前まで両脇の席がずっと空いていていたのですが、開演直前に左側、休息後には両方埋まって・・・・。

(ここからネタバレがあります。十分ご留意ください)

開演の15分前に主催者側からのとても好感度の高いあいさつがあって、舞台横に置かれた15分計が動き始めるのは前回と同じ。ただし時計が前回よりこじんまりした感じがしたのですが錯覚でしょうか・・・。それと、ちょっと残念なことに前回少し見にくかった(暗かった)上手奥のスクリーンは今回も同じようかも・・・。

とはいうものの、前回とはまた違った舞台デザインに目を惹かれて、わくわく感いっぱいで開演を待ちます・・。

Mrs.fictions 「松任谷由美物語」

客電がやや残された状態でギターを持った女性がひとり立ち・・・、故郷を離れるところから物語がはじまります。それは自らの状況を松任谷由美のデビューまでの物語になぞらえた、一人の女性の話。

どこか表層的な中に、どきっとするような女性の呼吸を感じる。ステレオタイプなサクセスストーリーを仕付け糸で縫いつけるように語る中に自分の夢と現実のギャップを隠しているような、その淡々としたところが不思議にヴィヴィッドで・・・。

警官の持っているデビル槍がとても嘘っぽくてよかったり・・・。同棲中の風景に流れる「チャイニーズスープ」のまったりとした生活感もとても効果的だったと思います。それと、無音のオーディションの何十秒にとてもひきつけられて・・・。

物語の行く末はなんとなく放置されているのですが、その中途半端な行き詰まり感にこそリアリティが眠っているような感じもしました。

【作】岡野康弘

【演出】生駒英徳

【出演】岡野康弘、夏見隆太、松本隆志、大澤夏美、阿部恭子、川口聡、鈴木啓司

The end of company ジエン社 「私たちの考えた終わる会社の終わり」

全編、ある種の空気の重さに支配された舞台。死んでいく会社に対する熱のようなものが登場人物によってバラバラにずれているところに、なんともいえない雑然とした閉塞感が浮かんでくる。そこはかとない社長の甘さやそれぞれが自分の立場でしかものを考えないような姿が折り重なって。

ベクトルを失った登場人物がさまよい、全体像がつかめないような苛立ちがうまく醸成されていたとは思います。またそれぞれにすれ違う女性たちに囲まれてなすすべのない社長の周りで「竜胆湖xxx」だけがぴたっと整合するところが妙に生々しくて・・・。

ただ、しいて言えば、表現力がさらなるものを引き寄せるには、もう一味何かが足りないような気がするのです。それがないから舞台上に構築された感覚になにか不要なよどみのようなものが浮かんでしまうような・・・。まあ、そのよどみも味のうちといえばそのとおりなのですが、たまたま私にはちょっと馴染みにくいテイストだったように思います。

【作・演出】作者本介

【出演】伊藤淳二、片飛鳥、萱怜子、中舘淳一郎、本山歩 

MOKK 「case_1」

ダンスプロジェクト。ろうそくの炎が消えるシーンが最初にあって、そこからダンスが展開されていきます。鋭さを内側に折り込んだようなやわらかくしなやかない動きは、観客に対して挑むのではなく、観客のなにかを共振させるような強さを持っていて・・・。

それは、人とのつながりを具象化したものにも見える・。もたれたり、たよりあったりひっぱったり・・・。ダンサーたちの柔軟で微細な動きが、観客のイマジネーションを起こし、もみほぐし、絞り出していくような感じ。

ふたりの関係、3人の関係・・・、社会、新たに入ってくる人たち、共に時間を過ごす人たち・・・。それは15分の時間を枠組みにした窓から眺める人生の俯瞰にも思えて・・・。観ている方がぐいぐいと舞台に吸い込まれていく。

きちんと重量感があるのに刹那のようにすら感じた15分に魅了されてしまいました。

【出演】松元日奈子 手代木花野 寺杣彩 久野詠子 片ひとみ

intermission

青☆組 「恋女房」

お茶の間家庭劇かと思いきや・・・。

一夫多妻の生活の馴染み方に少々戸惑ってはみたものの、そうめん(冷麦?)が出てきた時点でその下世話さが持つ蜜のようなものに取り込まれてしまって・・・。

保険の営業マンを2代にわたって取り込み、さらにちょっと修羅場っぽくやってきた前の営業マンの奥さんまでも食虫草のように引き込んでしまうその家の雰囲気・・・・。観客にまで伝わってくる慰安の香りに、まるで甘い毒をなめるようなためらいと誘惑を感じてしまう。

なんていうのだろう・・・・、他人の家の匂いが自分の衣服につくような違和感を感じるのですが、一方でその違和感の先にあるものに取り込まれてみようとする自分を拒絶できないような感覚もあって・・・。

これ、なにげにけっこう凄いかもしれない・・・。
ぞくっと来てしまいました。

【作・演出】吉田小夏

【出演】木下祐子、藤川修二、松本享子、野中さやか、荒井志郎、中村真生

東京ネジ 「再開」(夏目漱石「夢十夜」第一夜より)

去年上演された「みみ」という作品が常ならぬほど印象に残っている劇団・・・。

冒頭の夏目漱石の「夢十夜」はものすごく昔に読んでいて記憶にもあったのですが、舞台上に描かれるとその世界をくすませていた魔法が解けたように新鮮な感覚がよみがえってきて。物語のもつ切なさをそのまま残して、ぬくもりと瑞々しさがゆっくりと客席を浸潤していきます。

時の流れに褪せない想いのようなものが、舞台から一呼吸おいて広がってくるのを感じて・・・。

それがアルゼンチンにいってしまった幼馴染を思う3人の女性のありふれたおしゃべりに重なるうちに、小説の世界と日々の風景がすっと溶けあっていく・・・。

佐々木なふみには、観ているものをすっと表現する温度に染めてしまうようなオーラがあって、東から昇り西へと沈む太陽の営みの繰り返しの下で芽生えたものへの感覚が、まるでおいしい水に渇きがいやされるごとく心に染みいってくる。

佐々木香与子、佐々木富貴子の鏡を隔てたような動きや会話も瑞々しくて・・・。

役者たちは終演のあとに、「またね」といって三方に分かれて舞台を降りるのですが、このなにげない一言にもやられた・・・。

こういう心の満たされ方って、ほんと、すごく残るのです。

【作】佐々木 なふみ

【演出】佐々木 香与子

【出演】佐々木 香与子、佐々木なふみ、佐々木 富貴子

DULL-COLORED POP「15分しかないの」

一つの人格を複数の人間が演じていくという手法は、最近いろいろなバリエーションで試みられているような気がしますが、この作品には他にないような斬新さがありました。

洗面所で鏡を観ているときに現れる自分の内心、仕事に追われぎりぎりの生活の中でわずか15分しか残されていない就寝前の自由時間・・・。

その中で自分を律しようとする想いと自分を解き放とうという想いが本人自身をはさみこんで具現化されていきます。

その15分間で何をしようかという迷い・・・、単純に想いが対立するのではなく、時にはユニゾンになったり、英会話のレッスンのように時系列に流れて行ったり・・・。意識と無意識の濃淡もしたたかにつけられて、そこに瞠目するような瑞々しいリアリティが現出していきます。くっきりとしたトーンの舞台、3人の女優たちの引き締まった芝居が3つのシグナルのように小気味よく色を発して、刹那ごとの彼女の感情から滲みを取り除いていきます。

そのデジタル画像のような解像度が元彼からの電話を受けた時に生きてくる。心の揺れや迷いが、3つの色によってあいまいさを廃して表現されていくのです。多数決のように動いていく心から、キャラクターの想いが鮮明に伝わってくる。一瞬多数決を超えた言葉から、彼女の理性を超えた感情がやってきて息を呑む。そこには驚くほどにピュアな一人の女性の内心が浮かび上がって・・・。瞠目しました。

観ている側に高揚感をあたえるほどに秀逸な作品だったと思います。 


【作・演出・音源製作】谷賢一

【出演】堀奈津美、桑島亜希、境宏子、千葉淳

アフタートークもおもしろかったです。青☆組とMOKKの主宰(吉田小夏さん)・代表者(村本すみれさん)それぞれの魅力が塩梅良く引き出されていて・・。MOKKのHPを観にいくしっかりとした動機付けにもなって、コンテンツの映像作品にもはまってしまいました。

ほんと、良い試みだと思うのですよ。全体を通して作品自体のクオリティの高さにも感心したし、本公演を逃したくないと思った劇団も複数あったし・・・。

ただ、今回のレベルを維持しそれ以上のものを作りだすのは結構大変かも。今後は単純にレベルを上げるだけではなく、きっといろんな角度でのバリエーションも考えた作り方が必要になってくるのだろうなどと、観客の分際で老婆心ながらも思ってしまった事でした。

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バナナ学園純情乙女組「ワタシだけ楽しいの」は役者が支えきる

3月14日12時30分の回で、バナナ学園純情乙女組~落としまえ公演~「アタシだけ楽しいの」を観てまいりました。場所は王子小劇場。本日3回公演ということで、当初おはぎライブのおまけがないということだったのも影響していたのでしょうか・・・、満席にはちょっと足りない感じ。でもそんな事とは関係ない役者たちのパワーに圧倒されつくしました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

バナナ学園純情乙女組初見。

作は柿喰う客の中屋敷法仁。彼の作品はつい先日横浜で柿喰う客の本公演としてみたばかり(「恋人としては無理」)。その時にはひとつのキャラクターを何人もの役者で作り上げていくような手法でしたが、今回は当て書きのように役者ひとりずつにキャラクターが割り振られていきます。出演・演出は二階堂瞳子。彼女は4×1hProjectの中屋敷演出にて、「月並みな話」のハナを怪演しているのを観ています。

で、今回の物語はというと、1年生と2年生、生徒会と風紀委員という2つの軸での対立抗争のお話。そこに、アイドル部設立をめざす勢力が加わってみたり、とんでもない先生達がからんだりみたいなな・・・。まあ、一応クエスト風の物語の幅をつくろうとしたり、策略やかけひきなども取り入れてみたり。でも一応筋は通っているというものの、ストーリーの流れで感動できるかというと正直難しい。

にもかかわらず、このお芝居、ちゃんと観客の心にのこるのです。それはシーンごとに役者が積み上げるものにしっかりとした個性とニュアンスがあるから・・・。それぞれのシーンに退屈がないというか、役者たちが表現する重さや質感などがきちんと絵図になっていて、観ていて飽きない。しかも役者の勢いに観客もテンションをもらって一緒に次のページをめくってしまうみたいな不思議なノリがこの舞台にはあって、で、気がつけば、舞台上のありえないような価値観に同化して、冷静に考えるとよくわからない物語の中で、ルールともいえないルールや「必然」に納得していたりする・・・。乗る前にはジェットコースターが楽しい理由なんて一つも思いつかなくても、おつきあいで乗せられて「乗ってしまったら楽しまなければしょうがないものね・・。」とか言っているうちに「キャアキャアいっていても本当は好きかも」みたいなことを内心に浮かばせるのと同じ魔力がこのお芝居にはあって・・・・。その魔力を目一杯役者たちが築き上げている。全部で21人、そのなかで埋もれる役者がひとりもいないのです。わずか60分強の舞台なのに・・・。

とにかく突き抜けていたのが、坂巻誉洋・・・。そのなめらかな演技は群を抜いていました。演技にグルーブ感というか舞台の世界をぐっと高揚させるような力がある・・・。とにかく舞台をぐいぐいと引っ張っていくのですが、一方でしっかりと舞台の広がりをコントロールするようなしたたかさもあって、観客が安心して身をゆだねられるのです。解き放たれた彼の力量と舞台を構築する彼の技量を一度に観たような・・・。

二階堂瞳子にもさすがと思わせる切れがありました。台詞もそうですが所作の切れがすごい・・・。コンサバティブなメソッドでもモダンダンスの躍動感でもない身体表現の武器を彼女は身につけていて、ナチュラルに安定した彼女の世界を作り上げていくのです。しかも芝居や動きに力みがなくすっと人を引き付けるところもあって、気が付けば彼女の芝居に観客が乗せられてしまってる感じ・・・。

また、前回カムヰヤッセンの公演で観た野上真友美にも存在感がありました。「レドモン」で彼女のお芝居を見た時にも思ったのですが、この人の演技の「間」とか力加減は本当に絶妙で・・・。多分天性の才能なのでしょうね。今回のような戯画的な作品でも、雰囲気をつくってしっかりと観客に伝えていく確実な力を感じた事でした。彼女のお芝居には、もっといろんな役柄を観てみたいと思わせる、なにかふしぎな魅力があります。

カムヰヤッセンの劇団員である甘粕阿紗子にも舞台にくっきりと色をつける力があって舞台のカオスを吸い取っていたような。彼女の台詞には描く世界に輪郭を立ち上げるような切れを感じました。小林史緒には内面を透かして見せるような演技のうまさがありました。ある意味地味な役まわりなのですが、周りの喧騒に左右されずしっかりと自分の演技を貫くお芝居に彼女の地力を感じた事でした。高村枝里の作る雰囲気にも境地というか個性があってなにかよい。加藤真砂美の凜とした演技も舞台の色をぐっと強めていた感じ。キャラクターの気の強いところを表面だけではなく、もっと深いところからにじませるような部分があって。

前園あかりのお芝居には無駄がなく・・・、なんというのかこの人のボディーランゲージには強い伝達力があって、表情の切れというか豊かさ、それと小さな所作などがあわさって演じるキャラクターの心情がくっきりと伝わってくるのです。一番前の席からで申し訳なかったのですが何度も彼女之演技を見つめてしまいました。

紺野タイキの持つ雰囲気には不思議な奥行きがあって、小島明之鈴木康太、さらには藤原裕樹小川貴大緑川陽介などの演技にも舞台で絵になる以上のオーラがありました。彼らの動きはよしんば静止していても観客のなかで静ではなく動と映るのです。そのテンションが舞台全体の熱を上げる大きな力になっていたように思います。

アイドル志望役の山口航太、河野愛、野口裕貴の3人もタイミングをしっかりと持った演技で好演でした。アイドルと看板を出された瞬間に突っ込みを入れたくなるような雰囲気を前面にだしておいて、ちゃんとアイドル的ななにかを内側にすかし見せている・・。しかも、ステレオタイプなキャラクター表現ではなく、まるで昔の3人組アイドルの衣装色のようにそれぞれの個性がしっかりと提示できていました。

教員役の3人にもありあまる個性がありました。梶尾咲希が描く女性のだらしなさのような部分にはラフに見えて緻密なバランス感覚を感じました。美しい肢体を晒すような衣装でやっぱり胸元に目がいってしまうのも事実なのですが、それとは別にラリっていながらふっと素にかえるような一瞬の表情で舞台をキュッと締める力も持ち合わせていて・・・。柴田薫には艶の清濁を自在に操るような力があって舞台をほどよく暖色に染める。香り立つような色香を作っておいてどこか素の部分をちらつかせる演技が舞台の勢いをより豊かにしていたように思います。野田孝之輔の非現実性もなかなかに舞台に馴染んでいたように思います。女性とか教師とかいう役の無理さをはねつけるように役に一途な感じがこれまたすごくよいのです。

そして、浅川千絵・・・。彼女の役名は□□□・・・。舞台をトランプ遊びのテーブルと考えると彼女はジョーカーのような役回りで何物にも染まらず、でも舞台を凌駕する存在になったりする。ファブリーズのようなものをさんざんに持たされたり吹きかけられたりするところも暗示的で・・・。で、彼女は物語に介在することなくそれこそ匂いを消して動き回り、一方で舞台の存在すべてを背負うのです。彼女の語るコメンタリーのような台詞がカオスにつつまれた舞台の霧を吹き払ったり熱を冷ますうまい工夫になっていたりもして・・・。飄々と演じる彼女もただものではないような・・。舞台に存在する彼女に違和感がまったくないのです。

まあ、かなり無理無理で物語は収束して・・・、でも、なにかすごく心地よい満腹感が残るのですよ。理性は困ると言っているけれど、でもまた続きがあるとうれしいみたいな・・・。

あかん、抜けられないかもしれない・・・。

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この劇団には終演後「おはぎライブ」といわれるおまけがつくことがあって、たまたま私が見た回だけは公演時間の関係でないスケジュールになっていたのですが、なんと急遽ダイジェスト版をやるという・・・。「本編よりむしろこちらを見てほしいので・・・」という二階堂瞳子嬢のお言葉(暴言にならないところがこの劇団の徳というか・・・)のあと、15分ほどのパフォーマンスを見せていただきました。

これ、すごい・・・。

全員が女生徒の制服で歌い踊るのですが、数の力に役者の動きの鋭さが加わって、しかも知らないというのは恐ろしいもので、かかってらっしゃいとばかりにたまたま最前列の比較的中央で観ていたものだから、全員が舞台狭しとシンクロで踊るのを見るだけで、もうただただ圧倒されつくして・・・。酒巻さん、弾けてました・・・。

しかも年齢層の広い観客をカバーするためか、ピンクレディーやハロプロのナンバーをオリジナルの振り付けを尊重しながら歌い踊ってみたり・・。

「アイドル振り」という言葉はもう死語なのかもしれませんが、そこには良い歳をしたおじさん(=私)までをときめかせるだけの確かな力があって・・・。しかも、役者が行うことだけにうたい踊るその表情がめちゃくちゃ良いのです。舞台上のどの一瞬を切り取ってもしっかりと絵になっている。さらには、なぜかSMでおなじみの亀甲縛りまで始まって・・・、意味がわからないけれど面白い。

まあ、このイベントの追加でそのあとの待ち合わせにちょびっと遅れたりして、友人にお昼を奢らされましたが、そんなもの屁のように(失礼)安いと感じたことでした。

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劇26・25団、108に思わず膝を・・・。

3月12日ソワレにて劇26・25団、「108」を観ました。場所はアトリエ ヘリコプター。勘が悪くてねぇ・・。タイトルのこの数字、観終わってしばらく歩いてからやっとピンと来てしまいました。といいながらそれが正しい解釈かどうかもわからないのですが。・・。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

劇場に入ると、三角に客席に張り出したような舞台。その2辺に小椅子の客席があって後ろに舞台の壁と平行にひな壇状に椅子が並べられています。

早くついたので、後ろのいす席の前から2列目、中央通路わき(下手ブロック)をゲット。座った瞬間本当に舞台が見やすい・・・。まさに良席。

私が過去に演技を拝見して瞠目した役者の方も何人かいらっしゃっていて。

そのうち、席もほぼ埋まって・・・。客電が落ちて物語が始まります。

冒頭、舞台の中央になにかが下りてくるのがわかる。それは、でかい蜘蛛・・・。舞台の隅にいた女性が驚き、その大蜘蛛をたたきつぶそうとする・・・。そこから、場面が変わってそれは夢のシーンだと判明。物語が動き出します。

舞台は保育園の職員室。保母と園長の女性がなにかを練習しているみたい・・・。どうやらその保育園を題材に映画の撮影をしたいというオファーが新進の監督からあったようなのです。

彼女達の会話の中から、体育会系の雰囲気や女性の思想信条のようなものが浮かんでくる・・・。どこかに強い偏りのにおいがして・・・。園長がしっかりとその色を作り出し、保母たちも従属している感じ・・・。また、なんらかの問題を起こして週刊誌などにも叩かれているようで・・・。でも、彼女たちの中では結束というかそのやり方を貫き通すパワーもあるみたい・・。

しかし、映画監督がやってきて彼女たちが観察の目にさらされると、自壊するようにじわじわと彼女たちの内側がさらされていきます。男女の平等といいながら、実は男性となじめなかったり、女性が固有に持つ個性を隠そうとしたり・・・。実際には世間から受け入れられていないような風情も浮かび、彼女たちの標榜する理想の裏側にあるものがにじみ出てくる。

さらには、何度もコールされるアルソックの警備員や園児たちに定期的にパフォーマンスを見せるというマジシャン、今どき珍しいほどの東北訛りをまき散らす保育園見学と称する女性の存在がからんで、それらの核にある園長のどろっとした業のようなものが舞台に広がっていきます。鎧をまとうように男勝りのイメージを貫き通しながらも、カバーしきれずに姿をさらす幼女のように稚拙で傲慢な彼女の本心。それはあるいみ純粋ではあっても、決してけがれないものではなく、むしろ異性を拒絶する心や弱いものを征服しようとするような大人になりきれなさを隠すために薄汚れ、それがために成熟しない自己中心的な欲望や残酷さもコントロールしきれずにいて・・・。その垣間見せ方が実に秀逸で、観る者を彼女の闇にぐいぐいと引き込んでいくのです。

保育所のシーン間に挿入される蜘蛛女との会話も良く工夫されていて・・・。地獄の話など、落語の「地獄八景・・・」が頭をかすめるようなユーモラスさすらあって・・・。最初、シーンの意味がよくわからず保育所を満たす緊張感の箸休めくらいのイメージで観ていたのですが、終盤、それまでのシーンで繰り返された蜘蛛女の言葉が園長の言葉にすりかわる瞬間、思わず「あっ」っと息を呑みました。本当にインパクトがあるシーンで・・・。

園長役の赤萩純瞬は演技の間口がひろいというか、強さと弱さの落差を出せる役者で、さらにキャラクターが自らを見つめるときの距離感をその場に合わせて演じかえるような器用さもあって・・・。栄養士役の林佳代と保育士の吉牟田眞奈が表現する園長との関係というか、緊張感の表現もうまいと思いました。張りつめた空気が園長がいなくなるとすっと解けるのですが、その空気の緩み方がすごくナチュラルなのです。

保育士を演じた清水那の想いの出し入れも観客を惹き込みました。映画監督に想いを寄せられるに足りる魅力をやわらかく表現しながら、一方で小さな動作やほんのすこしの言葉の感じでデリケートな想いを観客に伝えていく。なにげなく観客に入り込んで透明感を持った広がりをいしっかりと残していくような・・。微細な心の揺れを伝える感情の切っ先のコントロールに、彼女が持つしたたかな演技の手練を感じたことでした。

蜘蛛を演じた赤崎貴子も自己中心に舞台を進めている風情を作りながら、実は絶妙に赤萩との距離を見切っての安定した演技だったように思います。赤荻との時間のどこかざらつきを持ったウェット感がこの物語のコアを見事に形成していたと思います。

園児の母を演じた高橋ゆうこの流れるような演技は観ていてなにかふしぎに癒される・・・。こう、うまく言えないのですが、結果的に「演じているところ」を演じてみせた彼女の演技、あざとさを排した保育園側との距離の表現ががなんともいえずよいのです。池田ヒロユキ須藤眞澄のマジシャンが醸し出す悲哀というかというか売れない芸人の弱さやさもしさもうまいなと思いました。警備員を演じた杉元秀透の人のよさも観客にある種の安心感をあたえていたような・・・。彼の演じる普通さがボディブローのように園長の心の闇を照らしだす光になっていたように思います。

映画監督を演じた永山智啓はこの一年弱で5本のお芝居を拝見しているのですが、(15minutes:MU:競泳水着:あひるなんちゃら・・・、で今回)一度もはずれなし。彼の役どころって表だって物語の中枢を占めるわけではないのですが、動かしがたいような存在感が必ずあって・・・今回も園長を崩れさせる視線のような存在を観ているものがぞくっとくる程の力量で演じきっていました。ほんとうにこの人がいると作品が締まります。

冒頭の「108」の話の繰り返しになりますが、この数ってお正月の鐘の数とおなじだと大崎駅への帰り道、突然に気が付きました。それが園長と蜘蛛の会話にむすびついて、なにか凄く納得してしまった。人の煩悩は毎年清めてもなくなることはないもの・・・。まあ、この題名解釈が正しいかどうかはわからないのですが、根拠もなく指を鳴らしてしまったことでした。

ほんと、仕事帰りにとても良い時間を過ごせたと思います。

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柿喰う客「恋人としては無理」の正当度

3月8日ソワレ、横浜STスポットにて柿喰う客「恋人としては無理」を観てきました。ビルの地下、劇場というよりはスペースという言葉の方がしっくりくるような空間で、久しぶりの柿芝居です。

(ここからネタバレがあります。充分にご留意ください)

作・演出 中屋敷法仁

客席横の通路から修道士のようにフードをかぶった6人の役者が現れます。絞られた照明の中、輪を作り廻り・・・、その間に反対の通路からもう一人の役者が現れて舞台を横切ってどたばた袖へと消えていきます。輪の回転は止まり、ゆっくりと呼吸を整え・・・、そこから十分すぎるほどのテンションとスピードの演技が一気に立ち上がります。

イエスに従う使徒たちのエルサレム入場から復活、さらに使徒たちの布教にいたるバイブルのエピソードが描かれていく。役者に当時の人間を演じる意図はさらさら見えず、まるで現代劇のように使徒たちの行状が表現されていきます。信仰心に裏打ちされたような思いの表現などもなく教条的な匂いもない。もちものがキャラクターを定め(カサとかヘッドホンとかセンスとかセーターとか・・・。共通してピンクが使われていたりもする)その受け渡しで演じ継がれるキャラクターは複数の役者の演技にただ染まっていく。個々の役者の個性が、そのままキャラクターに広がりを与えていくのです。平面的で今様で世俗的な言葉の羅列から、多色刷りの錦絵のように浮かび上がってくるペテロやヨハネやユダの個性は、やがて言葉や仕草を吸収し、逆にアイテムを持つ舞台上の役者に憑依していきます。そして、宗教的でも教条的でもない舞台から、使徒たちのイエスへの愛の形が見えてくる・・・・。

しかもこの作品、聖書の物語の骨格を歪曲しているわけではないので、作者が筆を自在に滑らせ役者たちが表現を闊達に広げても観客が振り切られることがない・・・。背景というか物語の骨格を借景にできる部分がおおいことが、役者たちにより深い動や静の表現へのゆとりを与えているような・・・。これまで観た柿喰う客にくらべても、より多くのシーンにゆとりというか奥行が生まれて舞台の世界観が膨らみ、なおかつ、土台がしっかりとして舞台上のリズムが崩れることなく維持されていくのです。緩急の「急」の色が淡くなるわけではないし、「緩」の部分が切れを失うわけでもない。観客を浸潤するようなイエスを思う使徒たちの気持ちが、気負いも力みもなく、透明感すら感じる質感をもってあるがごとくに伝わってくる・・・。その想いからは、私がちっちゃなころ教会の日曜学校(うちの両親は一応クリスチャン)で積まれようとした宗教的な重石なんて気持ちよく抜け落ちていて、会話のコンテンツにはたっぷりと普段着の香りが盛られているけれど、下世話でナチュラルな言葉には、人の愛するものへのあるがままで普遍的な姿がしたたかに縫い込まれていて・・・。

芝居自体のクオリティを見ても場面転換のしなやかさ、使徒たちを熱狂で迎えるエルサレムがその色を一気に迫害の牙へと変化していく表現など、もう舌を巻くしかない。役者の緻密な表現の重なり合いが作る舞台の質感は相変わらず一流で、役者たちも、柿喰う客のホームでのお芝居ということで、その演技には常ならぬ伸びやかさがあって。そんなに昔から柿喰う客を見ているわけではありませんが、それでも、今回の彼らの演技には、ある種の円熟を感じてしまう。

七味まゆ味、コロ、高木エルム、柿の役者たちの演技の充実をどう表現したらよいのか・・・。以前見た柿喰う客の舞台では技量はあってもやや没個性だった役者たちが、この舞台ではしっかりとした色を持たされている・・・。様々なキャラクターに個々の色をしっかりと投影させていく感じ・・・。七味の演技の張りと柔軟さ・・・、ポケモンのようなロバにまで存在感を与える表現力は一瞬にして舞台全体を彼女に集約させるような力があって。高木の演技に垣間見える想うような時間の深さには、舞台をしっかりと下支えするような力感が伝わってくる・・・。コロから発せられる質感には観客の感情から粘度を奪うようなドライさがあって、観客の心と共鳴していく・・。

中屋敷法仁の演技にも物語の低音部をかっちり埋めるような安定感があって・・・。作家としては何度もトークショーなどで拝見したことはあったのですが、ここまでの演技を拝見したのははじめてかもしれません。物語の地色を染めるような演技だったと思います。佐賀モトキの演技には勢いと堅実さがありました。高いテンションをたもちながらも、強い個性の緩衝材となるような柔軟さがあって・・・。堀越涼の演技の切れにも何箇所かぞくっときました。薄く強く観客の感覚を切り開くような演技に、彼の力を再認識したことでした。

横浜公園のご当地ゲスト、中野茂樹も良い味を出していたと思います。他の役者たちに混じらない色を求められる役回りだと思うのですよ・・・。個性の強い役者たちに混じったとき、染まらない色使い・・・。見事だったと思います。

見終わって、しばらくぼーっとしていて・・・。トークショーを聞いて・・・。(質問を受けて中屋敷氏がさらっと実名入りでエピソードを説明した「恋人としては無理」という題名の由来には、虚実を別にして笑ってしまいました。)。で、帰り道、シェラトンホテル脇の階段を上っていると、心になんともいえない飢えがあるのです。昔、「Jesus Chirist Superstar」というミュージカルを見たときに「I don’t know how to love him」というナンバーが心を捉えたのですが、それと同じテイストの感覚が、この芝居の余韻からミュージカルとは比べ物にならないほど強くつたわってくる・・・。宗教に浸されたイエスの物語と、あるがままのイエスの世界を思うときの普遍性をもったギャップのようなもの・・・。その感覚をしらっと観客に置いていった戯曲の秀逸さを再認識し、中屋敷氏の才能に改めて瞠目したことした。

このお芝居、名古屋・大阪・福岡・札幌のツアーがあるそうな・・・。

チャンスがあれば、決して見ておいて損のないお芝居かと思います。

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地方分のチケットはまだ残っているようで・・・

ご参考までに出演者の方のブログにあったチケット予約のリンク(七味まゆ味嬢のブログ)からこそっとコピーして、・・・

愛知
http://ticket.corich.jp/apply/12019/003/

福岡
http://ticket.corich.jp/apply/12020/003/

大阪
http://ticket.corich.jp/apply/12021/003/

札幌
http://ticket.corich.jp/apply/12022/003/

公演ブログ
http://kkk-jt.seesaa.net/

上記リンク、まずかったら即時削除しますので・・・。その節にはお叱りをいただきますように。

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faifai「MY NAME IS I LOVE YOU」言葉の表現力>語学力

3/8 マチネにてfaifai「MY NAME IS I LOVE YOU」を観ました。会場はGOTANDA SONIC.五反田から歩いて5分ぐらいのところにあるビルの一回です。

建物の前で受付をしてもらい、閉ざされたシャッターの前で並びます。ありそうでなさそうな開場待ち時間・・・。曇り空だったのですがなにかほんわりうきうきとした感じがする。外国人の方もちらほら、この公演のリピータをされている方もいらっしゃるみたい・・・。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意の上お読みください)

開場時間になるとシャッターがあがっていきます。ウィンドウにはハート型の折り紙がたくさん飾ってあって、その一つをとって下さいと言われる。それが公演のパンフレットになっているのです。なにかとてもキュートな感じ。

場内のベンチシートもなにか手作り感があって。場内のディスプレイにもポップな感性が満ちていて・・。ステージを2方向から囲むような客席。舞台の背後には大きなレンガを組み上げたような壁、よくみると段ボールの箱を白っぽく塗ったものが積み上げられています。

しばらくの間は客入れタイム。フレンドリーな感じでスタッフが観客を誘導していきます。英語と日本語が適度に混じったりして・・・。なにか雰囲気が良いのです。そして舞台が始まる前の前説が始まります。今回のパフォーマンスは英語がメインになるということで、日本人に対して基本的な内容を説明するという。これがすてきにぐだぐだで・・・。英語がたどたどしかったり、説明にあやうさがあったり・・・。それと伝えようという意志のギャップが空気を作る。スムーズではないし英語的にはちょっと違っていても方向性に狂いがないみたいな、自由度の高さというか居心地のよいルーズさ・・・。それは言葉ではなくパフォーマンスだから作れる雰囲気でもあるような・・・。

やがてライトが落ちて本編が始まります。作:北川陽子、演出:篠田千明

テクノカットにしようと美容室に行こうと思った青年のモノローグ。9.11並みのすごい衝撃をうけたという。怪我をした鳩を見た話・・・、脳が割れてピンクのものが半分見えているけれど、それでも鳩は生きている。そこから渋谷の街の出来事へと導かれて・・・。全てロボットのダッチワイフや半分人間のダッチワイフ、さらには風俗を生業とする男によって、性と愛情と金銭のバリエーションが語られていきます。さらには未来からやってきた人間の女性の感覚までが織り込まれて・・・。それらのダッチワイフを操る男は未来にいって渋谷に大学を作るという・・・。冒頭の青年は愛と性を結び付けられないまま、男から女性を買おうとしたり・・・。

女性がボイスチェンジャーを使いながらひとりでク・ナウカよろしく男女のセリフを英語で語り上げて、それが物語の表層や骨格を作り上げていく。そこにコラージュされていく役者たちの身体表現や日本語でのつぶやき、さらには叫びまでが、次第に英語で語られていく物語のコアを包み隠すように厚みを持ちはじめて・・。その中に男女間の想いのすれ違いやギャップ、半分人間の少女の満たされなさまでもが次々にすかし絵のように現れていきます。英語で語られるセリフと役者が語る日本語の乖離から生まれるニュアンスの生々しさ。登場人物の具象化する世界が次第に瑞々しさを増していく。

終盤、半分ロボットで半分人間の女性の想いが語られようとします。でも、そのたびに雑踏のようなノイズに言葉が削られていく。観客は女性の想いを半分抱いたままそのノイズと映像に弾き飛ばされて次第に街の光景を俯瞰するようになります。そして、性のロボットと性を売り買いする男、未来から来た女性、さらには主人公ともいえるロボットの性と人の心を持つ女性の感情が無数に埋もれた街の景色を想い、ダッチワイフの感情の普遍性に目を見開くことになるのです。

役者のこと、まず「半分人間のダッチワイフ」を演じた大道寺梨乃が圧倒的。身体的な切れのなかに織り込まれた想いの出し入れがとてもしなやか。表面的な表情を安定して作りながら内側に宿るせつなさで観客の心を浸潤していました。また、「ロボットのダッチワイフ」を演じた野上絹代の身体表現には大道寺の切なさを際立たせるようなドライさがありました。「未来から来た大学生役」の中林舞には表現の厚みがあって、キャラクターの持つ愛情を十分に表現していたよう思います。

「テクノの好きな大学生」を演じた天野史郎の滑らかな身体にも瞠目、身体をかたげることによって現れてくるニュアンスがしっかりとあって。「風俗で生計を立てている男」を演じた山崎皓司のパワーはロボットや女性をコントロールする秩序にしっかりとした裏付けを与えていたように思います。またVoice(英語での語り)を演じたOlga NAGIの演技はクールかつ着実で、舞台の骨組を安定して支えていました。

舞台美術もよかったです。前述のとおり、ダンボールを白っぽく塗りレンガのブロック然と積み上げたその壁面の荒さというかルーズさのようなものから、役者たちの演じる世界のあやうさを感じられる。、その積み上げ方やひとつだけ箱を塗り残しているあたりが、物語の香りしたたかに醸成していて・・・。また、大きく描かれている2匹のハチ公にも程よいインパクトがあって。佐々木文美氏は先日の4×1Hourやキリンバズウカの美術も担当していた舞台美術家、彼女の才能は一つの境地を築きあげつつあるように思います。衣装や映像にも安定した秀逸さがありました。

終演後ボーナストラックがあったのですが、その表現もほんとうにヴィヴィッド・・・。篠田千明の台詞にのせた想いが、天野、山崎の身体の表現で大きく広がり、それが観客に下りてくるようで。

faifaiはこの夏、ハンガリーで公演があるそうです。言葉に頼らない今回のような作品はボーダレスに世界に受け入れられるような気がするし、このクオリティは今回のような言葉の使い方でも、いや今回のように言語をあやつるからこそ大きな広がりとして海外でも受け入れられるような気がする。

本編終演後Bonus Trackまでの間に何度も出演者の歓声が上がって、なにかよいニュースが快快にもたらされたよう・・・。(どこかに招聘された?)

フードコーナーのサングリアもびっくりするほど極上の味がして、このパフォーマンスも将来語り草になるような予感がして・・・。

本当にすごいものって今回のようにさりげなくやってきて、大きな何かをこそっとのこしていくのかも。たとえばこのパフォーマンスのように・・・。

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王子落語会 「艶」や「華」の醸成

3月6日、王子小劇場にて・・・。

まあ、この空間で新進気鋭の若手落語家の良いところをたっぶり聴ける贅沢・・。味わってまいりました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意の上お読みください)

雨がそれなりに降る中、劇場に到着・・・。場内にはゆったりと席が設えてあって、劇場自慢の金屏風が置かれていて・・・。これで戒名をかけるやつがあったら完ぺきなのですけれどね・・・。

王子小劇場のスタッフの対応ってどの劇団の公演でも本当によい・・・。劇場づきのスタッフがしっかりしてらっしゃるのかも。なにか場内全体によい雰囲気が漂っていて、こうゆったりと話が聞ける感じ・・・。お囃子の笛にも切れがあってやわらかい緊張感を醸し出す中、開演となります。

・柳亭市丸 「饅頭怖い」

初見の噺家さん。枕の部分は正直ちょっと硬かったです。段どりだけで噺を持っていくような感じがあって大丈夫かと思った。それが、噺の本筋にとびっくりするほど流暢になる・・。前座さん独特の話をこなしていくような雰囲気を途中で芸の滑らかさが追い越していくような・・。

キャラクターの描き分けなどにはちょっと段差の少なさを感じたりはするのですが、個々の表現には説得力があって・・・。饅頭が本当においしそう・・・。

お茶のほしさを観客にきっちり伝えておりました。

・三遊亭王楽 「鮑のし」

王楽師匠、前回王子寄席で拝見した時よりも、なんというか角が取れた感じ・・・。客席に向かって凛と立つような雰囲気が前回はあったのですが、今回はその空気を締めるような雰囲気が消えて、客席を招きいれるようなやわらかさが場内を包む・・・。

「鮑のし」、上方だとたしか「祝いのし」というお題だったと思います。上方落語だと、口上や開きなおったあとの言い回しのパニックの部分を前面に押し出して演じられることが多い話だったような・・・。でも、王楽師匠は噺が本来持つ構造を大切に世界を作っていきます。それがなんともいえない品を生む・・・。下世話な感じが薄らいで登場人物に親しみというか暖かさが生まれてくるのです。鮑を突っ返されたことに対する反論にしても、言い間違い方がさらっとしていて、それが主人公になんともいえない愛嬌をもたらす・・・。

まあ、小さなよどみや瞬き半分ほどの間の違和感、そこからふっと現出する高座と観客の温度差のようなものはあるのですが、それは、さらにこの噺を演じていくうちに霧散していくたぐいのものでしょうし・・・。落語界のサラブレットと言われているのは血筋だけではないことを、さらっと証明してみせるような、上品な「鮑のし」でありました。

・桂 都んぼ 「佐々木裁き」

あとの「坊主茶屋」もそうなのですが、都んぼ師匠は噺のなかに風景を織り込むすべを身につけたような気がします。

子供の裁きの風景なども、そこにちゃんと浜の風が吹いているような感じがする。小さな仕草や語り口に細かい工夫があるのだと思います。

長屋の情景なども、上方落語のちょっと大きめの表現に加えて細かいところまで神経がいきとどいている感じがあって・・・。桶屋の仕事ぶり、市井の人々の生活の雰囲気。さらには奉行所の内部の凛とした、きちんとその場の色を語りあるいは演じるから、空気がきっちりと緩み、また締まっていく・・・。

四郎吉の天真爛漫さと父親のおろおろぶりもとてもいい塩梅で・・・。また、奉行の表情も物語に映える・・・。

聴いていて本当に面白いのに飽きがこないのは、噺の持っていきかたにすごく繊細な制御がされているからかと・・・。

最後に奉行が見せた威厳が話をきっちり締めて・・・、最後まで神経のいきとどいた高座でありました。

中入

・桂 都んぼ 「坊主茶屋」

まあ、王子小劇場は演劇がメインですから、照明のコントロールはお手の物・・。

で、新世界界隈の安~いお店をネタにした枕が終わると、鐘が陰気になって照明が落ちて・・・。リハーサルが不足していたのかパーフェクトな闇が作れないところがちょっと残念だったけれど、雰囲気はきちんと作られて・・・。そこからライティングやはめものを加えて、男性にとってはちょっと陰惨とも思える、安いお茶屋に上がった職人達が悪夢から覚めるような風景が描かれていきます。枕の部分がこの部分のえげつなさのうまい下地になっている・・・。ここでも、都んぼ師匠は、それこそ饐えた臭いのするような場所の雰囲気をうまく客席に伝えていくのです。

夜の出来事がそこまでブラックに作ってあるから、朝になってのシーンの当り前の会話がいちいち滑稽で・・・。ライティングも素に戻って坊主にされた女郎たちのどこか間の抜けた明るさがおかしみとなってやってくる。

色の付け方の難しい噺だとおもうのですよ・・・。でも都んぼ師匠の持っている資質がうまく生かせる噺でもあるような。噺の外側でもっと緻密なけれんを使えば、さらなる境地が生まれそうな感じもしたことでした。

そうそう、下座の小池彩さん、三味線に合わせての唄がすごくよい。素人が聴いても聞き惚れるような魅力があって・・・。こういう芸が添えられると噺に艶が生まれる・・・。ええもんを聴いたなと思います。

・三遊亭王楽 「柳田格之進」

枕もそこそこに噺に入っていく。

地の部分がしっかりと張りを持って語られて・・・。

キャラクターの明確な演じ分けが観ていて気持ち良い・・・。番頭がよいのですよ。ちょっと下世話な感じのなかに商人のプライドの良い部分も悪い部分も浮かび上がってくる・・。首を差し上げようというときの慇懃無礼なしぐさがもう絶品。そこから冒頭ではステレオタイプに思えた柳田格之進の武士としてのプライドにも血が通い雰囲気も鮮やかに引き出されていく。

また、王楽師匠の演じる女性には歌舞伎の女形に通じるような気品があって・・・。格之進の娘に容姿を超えた美しさが見えるのです。貧乏長屋のシーンであることを忘れてしまうほどに、はきだめに鶴といった風情がしっかりと伝わってくる。50両に値する女性を生みだす表現力が王楽師匠にはあって・・・。

終盤の部分の噺の密度もたいしたもの、いやあ聴きごたえがありました。

都んぼ・王楽2人会、ちょっと意外な感じもするのですが、とても相性がよい・・・。両方の良い部分をたくさん感じられる組み合わせであるような気がします。

次回の王子寄席は6月19日だそうです。でもそれを、ちょっと人に教えたくなくなるような充実の高座でありました

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角角ストロガのフ「人間園」スーパーリアリズムっぽい抽象画

2月28日ソワレにて角角ストロガのフ「人間園」を観ました。場所は王子小劇場。ちょっとルーズな椅子の並べ方で満席という感じ・・・。

なによりもここの仮チラシ、インパクトがありすぎで・・・。そこから前回公演についてのいろんな評判を思い出し、劇場に足を運ぶこととなりました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出は角田ルミ。劇団初見。役者としては、elephant moonの菊地奈緒、空間ゼリーで好演した塚田まい子、柿喰う客の本郷剛史の演技は過去に拝見したことがあって。またJACROW主宰の中村暢明は今回役者ですが、演出家としての彼の作品は強く印象に残っていて・・・。

劇場に入るとセットが高く積み上げられている感じ・・・。オフィスのような部分と明らかに教室のような部分が下方に、家庭と思しき部分とよくわからない部分(折込パンフから産婦人科と判明)が上部にしつらあえてあります。早めに劇場について席の選択の自由は十分にあったのですが、どこに座ってよいのか結構迷う・・・。で、とにかく上下が均等に見える席を確保。

ディズニー映画のサントラのような音楽が流れるなか、お決まりの携帯電話・飲食の注意についてのちょっと遊び心溢れるアナウンスがあって、女性主宰の劇団らしいなとか心和ませながら聴いて油断をしていたら、開演と同時にとんでもない激流にながされることになりました。

冒頭、パンを食べるシーン、そこは監獄とも教室ともとれる空間・・・、パンを強制されるようにむさぼる人々・・・。そのパンの味を覚えるように命令されてその味を覚えると解放される。その暗示的なシーンにはじまって、幾つものイメージが舞台に展開していきます。最初はどうということのないエピソードが積み重なっていくのですが、人間が根源的に持っている刺激や嗜好への欲求が少しずつ常態の箍を緩めていく・・・。おいしいジャムを求める気持ち・・・。箍は箍として存在しながらも、そこに束ねられているものがだんだん外れるように物語が進んでいきます。宗教的理想やまっとうな世界が教室に存在する一方、いじめを強要する先生が現れる・・・。それらがドミノだおしのように舞台に拡散していって・・・。教室は荒れ、強姦から女生徒の自殺にまで至ります。職員室の中でもいじめや担任争いのようなものが発生して・・・一方、産婦人科の先生も、鎖が外れたようにマザコンが露呈し女性の汚物に対する偏愛が次第にエスカレートしていって・・・・

しかも、それらのエピソードが順番にひとつずつ演じられていくのではなく、しばしば舞台のあちらこちらで同時進行的に進んでいくのです。どこかのシーンに目を取られていると他のシーンの起承転結がよくわからなくなったり、結果だけを観てえっと思ったり・・・。

後半になると、舞台上は様々な欲望が解放されうごめくカオスのような状態になっていきます。生理的にちょっとつらいような狂気もあるのですが、しかし、観客はその混沌とした舞台から目がはなせない。強く惹かれる何かが舞台全体からやってくる。様々なシーンを追いかけて、個々の世界の行く先を眺めようとしてしまう。狂気にも因果があって舞台が観客を放さないのです。

個々のシーンが、よしんば突飛であったりモラルハザードであったり犯罪であったとしても、その存在はきちんと前後をもった世界として描かれていく・・・。箍から外れかけた部分も、完全に外れて打ち捨てられるのではなく、外れた中での箍へのぶら下がり方が表現されていく感じ。教室のいじめのシーンも、教師からのいじめの強要で歪んだものをそのままに、物語が展開していきます。それは職員室のエピソードでも、家の話でも、産婦人科のエピソードであっても同じ。

そして、役者たちには物語の広がりや狂気を十分に支え切る力があって・・・産婦人科の医師の嗜好などちょっと吐き気をもよおすほどにえぐいものですが、。森久憲生の秀逸な演技はそんな産婦人科の医師に鮮やかな存在感を持たせるし、その母親が狂気に充ち溢れた存在であっても、菊地奈緒の手練の演技はその母親の筋の通し方に説得力を与えていきます。

学校の職員室にしてもそう、津田湘子が演じる教師のエスカレートしていく狂気は、彼女のクラス担任を持ちたいという嗜好の中ではがっつりとつながる。立浪伸一にしても高倉大輔にしても中村暢明にしてもその狂気をしなやかに貫くしたたかさがあり、キャラクターを舞台に生かしていくのです。一方橋本恵一郎はその中で通常の価値観を守るような役回りを演じきり、栗原瞳も倫理を標榜することによってある種の欲求をコントロールしていきます。

いじめの強要から作られていく教室の狂気のふくらみにも息を呑みました。本郷剛史岡本篤が演じる学生がそのベクトルに染まっていく姿にはぞくっとくるような怖さがあって・・・。また犬塚征男が抑えたように演じる男子生徒内面の怒りや自己中心さにも同じくらいの凄味がありました。菊地奈緒が二役で演じる中学生にはその年代の空気がしっかりと醸成されているし、塚田まい子の教室での抑えた演技はしたたかにその後監禁されるときの開き直りの力となり、鈴木聖奈の存在も終盤に物語の骨格になっていく。個々のシーンだけではなく繋がりのなかで演技をコントロールする力が役者たちにはあるのです。

それぞれのベクトルは、ファンタジーにくるまれたり地色をむき出しにして、時には偽善を語り、あるいはインモラルなシーンを醸成しながら人間の本性をむき出しにしていく

舞台の同時進行にしても、慣れてくると、そこにリアリティを感じたり・・・。。職員室と教室との関係、さらには産婦人科や家庭の出来事など、実は同時に進行しているほうが自然だったりして、またそこから生まれてくるニュアンスもあって。

角田ルミの人間の本質を切り取る才気の稀有さと、その果実をしっかりと表現する技量をもった役者たち。舞台の構成全体がひずんでみえても、個々のシーンは角田ルミの本質を見極めるような才に裏打ちされていて、それがまるで、ダリの描く抽象画のように観客のある部分を共鳴させていくのです。

まあ、観る人によってこの作品のメソッドに好き嫌いが出るのは当然だろうし、ひどく観客を消耗させるところのある表現であったことも事実・・・。でも、角角ストロガのフ、私は次の公演もきっと観に行くとおもうのですよ・・・。それは怖いもの見たさに近い感覚なのかもしれませんが、角田ルミの世界には抗しがたいというか中毒的な魔力が潜んでいて・・・。

次の作品も、なにかおいしい味がするジャムであるような気がしてしまうのです。

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終演後、アフタートークがありました。はらペこペンギン主宰の白坂英晃氏ガゲスト。まあ、ふつうであれば、上演作品の劇団の主宰がゲストを相手に作品のことから話を膨らませていくという感じなのでしょうけれど、ここのトークショーは一味ちがう・・・。白坂氏も一人では太刀打ちができないと思ったか、出演中のはらぺこペンギンの役者さん(立浪伸一)と二人で角田さんに対応。

当の角田さん、もう素敵に傍若無人で・・・。残った観客が少ないと、人数を指差しで数えだそうとするのを立浪さんに何度も止められている姿がおかしくて・・・。しかも、そのあとの話もけっこうぶっとんでいて、出演している役者を選んだ理由がびっくりするようだったり、白坂氏の質問もたまたま客席にいた役者さんに振ったり・・・。客席でサクラしている役者さん達がそろって当惑しているところもなにか面白くて・・・。

そのうちにトークの流れは白坂氏の作品に対する大突っ込み大会になって・・・。一生懸命我慢していたのですが、最後には声が出るほどに吹いてしまいました。3人とも立ち上がってボケ突っ込みを始めて・・・。トークショーでこんなに笑ったのは初めてかもしれません。でも、そんな会話のなかから白坂氏は、この作品の本質の説明をちゃんと角田さんから引き出してきて、これはこれで見事な展開。

角田さん、きわめて個性的な受け応えだったけれど、今回のような視点を持った作品を作るためには、彼女から溢れ出してくるようなとびぬけた発想も必要なのかもしれません。まあ、次回作、客席までをオムレツにしたいなどと言われるとちょっとどうしてよいのかわからないけれど、でも、いろんな意味で楽しむことができたトークショーでありました。

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くろいぬパレード「春よ、来ない」スムーズな社会派の乗り心地

2月28日マチネにて、くろいぬパレード「春よ、来ない」を観ました。久しぶりの中野ポケット。

この劇団は初見なのですが、割としっかりとファンが付いているようで・・・。折込のぱんふを見ながら、前回公演のお話をされていたり・・・。指定席ということあってゆっくりと客席が満ちて、5分押しの開演時にはほぼ満席になりました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出はイケタニマサオ

物語は漁師になった男の少年時代の回想シーンからはじまります。その子は父親の船にプライドを持って・・・・。そうして、親子船から兄弟船へと漁師の生活を続けていきたいと。

そして、現実の物語。漁業は転換期にさしかかり、それに昨今の不況が重なって派遣切りにあったという男たちが漁船の乗組員としてやってくる。船長の長男が市役所に勤めていて自分の父と弟が乗る船用に斡旋したというのです。応募者の中には女性が一人混じっていて、別の船に拾われたり、・・・。派遣で生活していた人と漁師の間の感覚というか温度のずれが巧みに表現されていきます

そこから話がすすんで、漁業が立ちゆかなくなってきていること、大資本が漁業に入り込んできたりしていくなかで、漁村のさまざまなことが浮き彫りになっていきます。時代の流れと古い因習が重なり合った今をエピソードを重ねて描いていく・・。その表現にデフォルメはあっても背延びがなく、観客は等身大の芝居から溢れる個々の想いにそのまま身を寄せることができるのです。

道学先生の「ザブザブ波止場」などでも描かれていた漁村の大らかで陰湿な開放感のようなものがこのお芝居にも表現されていて、しかも都会の派遣切りの寒風と乖離しているあたりが絶妙で・・・。でも、登場人物たちの中途半端さや愚かさを描くその緻密さが独り歩きをしていない。その漁村全体を揺らし押しつぶすような今という時代が肌~染みいるように舞台から伝わってくるのです。

まず、客演陣が抜群によくて・・・。JACROWの蒻崎今日子の演技からやってくる人物のふくらみなどもう惚れぼれするばかり。あちらこちらの舞台で観るたびに彼女がつくる世界にはいつも瞠目するのですが、今回は彼女のお芝居の丁寧さが、特に物語にしっかりとはまっていたように感じました。力まずによいところがまっすぐに出ていて・・・。凛と立つ強さがあって、一方で浮足立った男への距離を計るような雰囲気の内側にあたたかさが滲み、さらには女性としての業のようなものもしっかりと伝わってきます。船のマストが揺れるシーンがしなやかで物語を薄っぺらくしていないのは、ひたすら彼女の芝居の奥行きの深さによるものかと・・・。しっかりとした一人の女性の実存感がそこにあって、さらに描かれていない景色や時間や周りの人の心情までが、瑞々しく観客の心に浮かび上がってくるのです。決して力で押しているわけではないのに、そのしなやかさで舞台の空気を密にする手練、本当に見入ってしまいました。

小林至の演技も秀逸でした。蒻崎同様舞台の色をやわらかく染めるような演技で、物語の要の部分をしっかりと押さえていたように思います。芝居の立ち上がりにすっと観客を取り込むような絶妙な間があって、それがそのまま舞台での存在感に変わっていく。一瞬にして観客の視点を引き付けると、内心にある時代への怒りやあせりさらには諦観までがこまやかに観客に伝わってくる。

江戸川卍丸松岡努などもそのトーンを生かしながら自らの個性を物語に当てはめていきます。江戸川には芯の純粋さにナチュラルな感覚があり、松岡のヒールぶりからはそのずるさと小心さのさらに奥にある彼の人生に対するいらだちのようなものが伝わってくる。

客演陣が人物を強く描いているのに対して、くろいぬパレードの役者たちはどちらかというと物語の枠組みを固める演技を実直につみかさねていく感じ。長谷川恵一郎にしても岩淵敏司にしても、どこか恣意的に人物の表面の色を強くしているようなところがあって、それが物語を明確にしていきます。島崎裕気のパワーと才気の表現の見事さ、加味修の表現する人物のスマートさに潜んだいかがわしさにも説得力があって・・・。柳井洋子は観客側にイメージを膨らませるトリガーの少ない難しいキャラクターを集中力でしっかりとカバーしていたような・・・。田辺千春が演じる普通さには周りの色をうまく出し入れするような繊細さがあってこれも好演だったと思います。安保匠、山本大鉄、原朋之それぞれの演技にも、それぞれのキャラクターを形骸化させない表現力を感じました。

そんなに複雑な物語ではない・・・。冷静に考えれば、今の時代ではありがちな話にも思える・・・。でも、そのありがちな日々に内包された悲喜劇が、人物の緻密な描写で語られるとき、観客には今へのどきっとするような視野が与えられるのです。

良い芝居を観たとき特有のやわらかい高揚感がゆっくりと訪れて、そのあとに芝居が残した時代が抱える重さが下りてくる。

作・演出の力と役者の表現力が見事に融合して、ひたすら舞台に引きこまれた2時間弱でした。

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