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「God No Name」死との距離感

2009年2月15日 駅前劇場にてタカハ劇団。「God No Name」を観ました。

タカハ劇団は初見。主宰の方はコマツ企画の「動転」で拝見した記憶があります。もっとも今回はご出演なしでしたが・・・。

どんな劇団なのかもあまりしらないまま、なんとなくよいという噂でチケットを購入したという経緯があるのですが・・・。噂もたまには信じてみるものなのですね・・・。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

テレビの画面だけを明かり代わりにして、男の独白から物語が始まります。人間の生理的な居心地の悪さに直接訴えてくるような・・・。でも、どこかで耳をそばだててしまうような・・・。

シーンが変われば、どこか村の集会所のような場所。。田舎の村を彷彿とさせる会話に、そこが樹海のそばの村のお寺の離れのような場所で、自殺志願者の社会復帰活動とと命の電話サービスが行なわれているということがわかってきます。中には実際に自殺を思いとどまった人間もいて・・・。さらにはその場所を取材に来ている男がいたり警察官が立ち寄ったり・・・。

で、みんなが同じベクトルにむかって力を合わせていると思いきや、実は個々に自分の問題をかかえた同床異夢の人々が集まっていることが物語の進行とともに分かってきます。

死の誘いから遠い人や近い人・・・。自殺の深淵のずっと内側に魅入られた人や真摯に自殺を止めようとする人、志はあっても自殺を概念でひとくくりにすることしか出来ない人や自殺すら私利に組み込む人、さらに死の向こう側からの幻影までもが具象化されて・・・。・・・。もうすぐ村で開催されるという自殺防止のフェスティバルの準備を巧みに背景に織り込みながら描かれるキャラクター達の死への距離感・・・・。それぞれのキャラクターが持つ死や生への感覚の相違が次第に観客を呑みこんでいきます。

死に対するデリカシーが薄い人の妙に健康な姿や、自分に余力がなくなると差し出していた手を無意識に手をこぶしに変えてしまう女性などにも有無を言わせぬリアリティがあって・・・一方で死に魅入られた人々の感覚、肯定も否定もせずに細密に彼らが醸し出す空気を描く力の凄さ。またそれを演じきる役者の力・・。自殺防止の歌を作ったり(人員削減をしている企業名を羅列しろみたいなセリフがその空気をまさに象徴していて笑えた)、フェスティバルをしたりするなかでの死とは全く異なる感覚がそこにはあって・・・。それは甘美でどこか軽く、口当たりがよくて・・・人々を捕らえる・・・。

一方で前述の肉体を物理的に切り裂く感覚の描写(言葉)が冒頭にあったり、肉を砕いてミンチを作る生々しさが妙に印象に残ったり(音だけでミンチ作りを表現するやり方がとても秀逸)・・・・。エピソードが不規則にゆさぶられ、積み重なって、生の明るさと死の軽さがアラベスクのように物語から染み出してきます。

デリケートな死の感覚が舞台を覆うとに、他の村と対立や命の電話活動の裏に隠された不正などがひどく陳腐な茶番にも思えてしまう。でも、逆方向から見ると、死の淵でバランスを何とか取ろうとしている自殺志願者の癒しや救いのありようが、死から遠い人々の生きていく汚く逞しい姿との対比、死の清廉かつ甘美な世界への安易な陶酔や依存で成り立っているようにも感じられて。

生きようとするものと死に蠱惑されるもの、双方の清濁が浮かびあがるなかで、舞台上に降りてくるどうしようもない死への誘いの香りに震えました。さらにはラストシーン、電話の鳴動音に取り囲まれた時、充満する死の近さとそれに対する自らの無頓着さにも気がついて、・・・。

まず初音映梨子にぞくっときました。彼女から広がる空気の色にはいくつもの層があって・・・。舞台の舞台の価値観の標準になるような存在感を持ち、なおかつ死との対話を続ける時の安定した危うさが舞台のトーンをしっかりと染めてしまう。その色の落差に観客が抗えないなにかが感じられて・・・。柿丸美智恵の表現にも、死から遠い人間の価値観を動かしがたいもののように見せるだけの力がありました。渡邉とかげの健康な普通さとキャラクターが直面する問題への対応にも強い説得力があって・・・。微かな希望を手に入れた自殺未遂者を無頓着に突き放す演技にも力がありました。クロムモリブデンの役者さんはほんとどこで観ても(あひるなんちゃらでもコマツ企画でも鹿殺しでも・・・)安定した力を発揮します。

男優たちにはそれぞれに骨の太さの違いがあって、舞台の色を絶妙に塗り分けていました。多根周作のしなやかな繊細さからは浸潤をとめられないような粒子の細かさがやってきて、舞台上に鉄骨立ての存在感を作り出す有馬自由野本光一郎が描くキャラクターの骨太さとの対比を際立たせていました。有馬や野本が足を踏ん張ればふんばるほど、多根の芝居が生きてくるような・・・。その中間の強さを演じる岸潤一郎、山田伊久麿、三浦竜一、迫田孝也からはキャラクターの妥当性が本当に自然な色で伝わってくる・・・。観客が普段着のテンションで接すること出来る空気が舞台にしたたかに醸成されていく感じ。

キャスティングの良い芝居は、それだけで多くのものを伝える力を有していることを改めて実感して。

終盤の電話が乱れ鳴るシーンは劇場を出てからも頭から離れませんでした。ありふれた死への誘惑が当たり前のように潜んでいることを想い、下北沢の駅前の雑踏に隠れている何かがふっと垣間見えた気がして・・・。一瞬立ちすくんで振り返って・・・。

この感覚、この先もう少し私を悩ませるかもしれません

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コメント

りいちろと、セリフも防止したかも。
それでりいちろと、バランスとか存在したかったの♪

投稿: BlogPetのr-rabi(ららびー) | 2009/02/20 16:47

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