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カムヰヤッセン「レドモン」板倉チヒロを生かすさまざまな要素

またもや、ちょっと遅くなりましたが・・・。1月18日ソワレにてカムヰヤッセン「レドモン」を観ました。劇団初見、正直にいうと劇団に対する予備知識もあまりなく、ただフライヤーがちょっと気になっていたのと、Co-richの紹介記事になんとなく引かれて、王子だったら近いからまあ良いかということで見に行ったのが本当のところ・・・。

良いお芝居との出会いってそんなものかも・・・。

作・演出は北川大輔、まるで不意打ちを食らったような心持で、不思議なくらい心に残るお芝居を見せていただきました。

(ここからネタバレがあります。十分ご留意くださいませ)

王子小劇場内はちょっと変わった座席のレイアウト。入口を入るとL字4段くらいに座席が作られていて・・・。舞台に当たる部分の中央には斜めに白線が敷かれていています。舞台奥には棚のようなものがしつらえられていて・・・。。開演前、出演者が時々出てきては、ちょっとしたゲームを始めます。それに気を取られているうちに会場は満席。ふっと上を見たら2階席にも若干客が入っていて。

物語は人形劇から始まります。そこで物語の前提が面白おかしく説明される・・・。レドモンについての教育をするための教材という設定で・・・、。

宇宙からやってきたレドモンは地球人とそっくりで、しばらくは仲良く暮らしていたのですが、地球人との交配で異常が起こることから本国に帰すことになった・・・。法律ができてレドモンはやんどころない事情がない限り自分の星に帰らなければならない。地球人はかくまってもいけない。

でも、レドモンがすごく厳しく取り締まられるわけではなく、なんとなくルーズに存在している・・・。ちょっと不法就労の外国人を思い出させるような・・・。

その人形劇をしている男は厚生労働省の役人でレドモンの排斥に関する政府広報のようなことを生業にしているのですが、でも家にはレドオンの妻がいてレドモンの子供までがいる・・・。レドモンは大人になると赤い尻尾が生えてくるのだけれど、その息子は少し早く尻尾を生えはじめていて・・・。学校でちょっとませた女の子にいじめられている。

差別するものとされる者の差、その原因となる要素は本人の意思とかかわらず厳然と存在していて、その因を持った人間は十字架を背負わされているようなもので・・・。でも、そのことがすぐ0/100で何かを分けるわけではない・・・。水から浮かび上がるとはじけるから浮かび上がることをしない泡もたくさんあって。でもそれらの泡もジワリジワリと真綿を締めるように排除されていく

一つずつのシーンが比較的シンプルでくっきりと仕切られていて、それが積み重ねられていくうちに物語の輪郭がはっきりしていきます。とはいうものの、積み重なっていくシーンのそれぞれが実に細かい創意にあふれているのです。役人が中学校(?)にレドモンの説明授業にいくシーンがあるのですが、もうとにかく生き生きとしていて・・・。かと思えば家族のシーンにはこの上ないリアリティを感じる・・・。息子がレドモンだとのいじめていた子が宇宙に帰されてしまうことを知ったクラスメイトの抱擁。官僚の仕事に対する姿勢・・・。軽いタッチのシーンだから伝わることと、観客を浸潤するに足りる十分に作りこまれたシーンが伝えること・・・。それらがバランスよく組み合わされ積み重ねられていくうちに、舞台上の仮想の時間にリアリティが生まれて観客を引き込んでいく。その先に今という時間の質感がすっと浮かび上がってくるのです。

板倉チヒロが大好演。キャラクターが持つ芯の揺らぎというか、いい加減さがすごくよい。何度か観たクロムモロブデンなどでの彼に比べてものびのびと本領を発揮している感じ。にもかかわらず彼が最後に出す結論に唐突さがないのは、シーンごとに積み重ねられていく家族への愛情や仕事へのこだわりにしっかりとした重さがあるから。キャラクターのラフな部分を支えるベースが実に真摯に演じられているのです。

役所の同僚たちを演じた小島明之の繊細さや北川大輔のどこか割り切った態度にもそれぞれに不思議な実存感がありました。小島が演じる達観にはすっと心に何かを置かれるような強い印象があって・・・。遠藤友香理の後半のお芝居も舞台に一つのトーンを与えていたように思います。表面的なイメージをかっちり作る一方で内側にちゃんと想いを透かしてみせるような部分に惹かれました。

甘粕亜紗子が作る日常にはレドモンを超越したぬくもりがあって・・・。垣間見える微妙に非日常な部分の表現がしっかりとドラマに織り込まれていく。それは金沢啓太が表現する少年も同じ。ある意味この舞台一番の勘どころを二人はそれぞれの表現でしなやかに背負って見せました。

野上真友美の演技にも強い印象がありました。ちょっとヒールっぽい部分もある役柄なのですが、芯にある無垢さというか暖色系の感覚が演技にナチュラルに編み込まれていて・・・。そこから後半のどうしようもないほどに切ないシーンを導いて見せました。

松下仁の醸し出す包容力、中野和哉原田賢治が持つちょっとハードボイルドな部分に芝居のエッジを生みだして。

竹下礼奈の孤独には肌理の細かさがありました。前述のどうしようもないほどに切ないシーンで野上の無邪気さを受け取る時ににじみ出てくるぬくもりを持った深い静かさ。そしてこの芝居のラストシーンの小さなうなずき。その仕草から彼女が抱えるものが観客にやわらかく降りてくるのです。

戯画的な部分もある物語なのですが、終わってしばらくはいろんなことが心に残って、重さは感じないのですが、揮発していかない透明感が何か残る。何かが私自身が浸っている今と共鳴しているようで・・・。余韻を引きずったまま家路をたどった事でした。

個々の表現要素がさりげなく深く秀逸だったというのもあるのでしょうけれど、それだけではない何かがこのお芝居には潜んでいるようで・・・。次回がものすごく楽しみな劇団に、また出会ってしまいました。

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