野田地図「パイパー」松に宮沢にアンサンブル
1月24日、ソワレにてNODAMAP「パイパー」を観ました。場所はシアターコクーン・・・。作・演出は野田秀樹。
入場するとロビーは人で溢れていて・・・。まさに盛況。いくらするのだろうかと、どきどきしながらパンフレットを買いにいくと1000円とこの手の公演にしてはリーズナブルでにっこり。
野田地図の公演が持つ一種のテンションがやわらかく場内に満ちるのを待っていたかのように、客電が落ちて・・・・。
(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)
どこか荒んだ雰囲気のストアと呼ばれる場所に唐突に主人公の姉妹が現れて始まる物語。その場所と家族の構成と状況が観客に伝えられていきます。父親と二人の姉妹、そこにやってくる別の母子・・・。父親はその母子をそこに住まわせようという・・・。
温度差はありながらも愛人に反発する姉妹・・・、なんとなく曖昧に彼らを居続けさせようとする父親。そんな中、父親は連れてきた子供に歴史を見せようとします。父が集めたというたくさんのおはじき。それは人の鎖骨に埋め込まれて、その人が見たことを記録するおはじき。その人が死んでもおはじきは記録として残る・・・。鎖骨にそのおはじきを当てると死んだ人が観たものが他の人間にも見えるというのです。しかも鎖骨におはじきを当てた人と手をつなげば、骨伝導でその場の人間すべてが同時にみることができる・・・。
実際に子供が当ててみると、遺伝子を想起させるような白黒の映像の果てに、火星の歴史の一こまが舞台に広がります。最初の移民たちが最初に火星に着いた時の姿が舞台に現れる。喜びを持って火星上に降り立つ人たち。姉妹の先祖と思われる給食係のふたり・・・。パイパーと呼ばれるロボットに近い何か、住民たちの幸福度を示すデジタルの数値・・・。777の幸福値がやがて四つの無限が立ちあがる8888に至ることを目指すと施政者は言います。しかし、火星最初の子供が生まれた日に殺人が起こり施政者は殺されてしまうのです。
そこから、舞台上で火星の現実と歴史が行きかいます。荒んだ世界と外で暴れるパイパーたち。その過去には人々の幸福値が上がりつづける日々。しかし、歴史の中に浮かび上がってくる人々の生活や対立、戦争、破壊の裏側が次々と明らかになっていくその中で、ストアのものを他人と分かち合おうとする妹とストアのものを守りながら恋人を待つ姉。
火星の黎明期のおはじきを見るように子供をしつけても、火星史の中世を見たおはじきが発見されると今度はそれを隠そうとする父親・・・。そこに争いの歴史やパイパーが歴史をリワインドしようとするきっかけが納められていて、少しずつ火星が荒廃する経緯が明らかになっていく。
さらに男がたどり着き、外の状況が緊迫の度を深め・・・
妹は相手がわからないままに妊娠し、さらには家を出て行こうとする。その時、姉が妹に見せたおはじき・・・。それは姉がずっと持っていた、彼女たちの母親に埋め込まれていたもの。そこには姉が4歳の時に起こった火星崩壊の最後のアスペクトが記憶されていて・・
とにかく宮沢りえ と松たか子の二人がよいのですよ。松たか子が演じる女性のどこか一途な部分と宮沢りえの演じる女性の突っ張ったような部分が見事に共鳴しあって・・・。松たか子の演技力は以前から重々承知していましたが、宮沢りえもロープの時と比べて圧倒的に良くなっていて・・・。キャラクターが太くはっきり表現され、感情の色がパステルではなく、濃い輪郭と深い中間色として観客にやってくる・・・。しかもその二人の演技がぶつかり合うのではなく相乗効果を持って舞台上に広がるのです。松たか子の突き抜けるような感情の持ち方には、いまどきの秀逸な女優たちとも一味違った相手役に対する親和性のようなものが同居していて、宮沢の演技をさらに際立たせていく。一方宮沢もしなやかに演技のパワーをコントロールして松の力を受け止めていく。後半、おはじきのコンテンツとして松が母親を、宮沢が娘を演じるシーンがあるのですが、このときの宮沢が醸し出す幼子の切なさと松の演じる女性の強さの表現には思わず息を呑みました。二人の演技のテイスト、すごく食い合わせがいい。
父親役の橋爪功も二人の演技をしっかりと受け取って、そのなかで自らの役柄をしたたかに作っていきます。野田秀樹が自演してもよいキャラクターかもと思うのですが、野田は自らの色がもつある種の軽さを嫌ったのかもしれません。橋爪の演技には軽さを汚して透明感を消すような手練があって・・・。
父親にかくまわれる母子役の二人の安定感も舞台をしっかりと締めていました。子供役の大倉孝二が表現する無垢な知性が、物語の広がりが持ち込みかねないカオスを吸い取るように抑えていく・・・。一方の母親役、佐藤江梨子からは巧妙な平板さと、その内側にある強さのようなものが伝わってきて・・・。ケラ作品の彼女とはまた違う演技に、彼女が持つ演技のやわらかさと底堅さを感じた事でした。
火星の歴史に登場する、北村有起哉の芝居も深みのある辛さが魅力的。その中にキャラクターが持つ融通のなさがくっきりと浮かび上がってくる。田中哲司の柔らかさを持った芝居や小松和重から伝わる心情の振れも、一見何気ない演技から的確に物語の道筋を客席に伝えていきます。・・・。比較的大きな劇場でありながら近くで観ていても(XB列=前から2列目)演技に力みや誇張がまったくなく、しかも場内全体につたわるであろうその芝居の手練には驚くばかり・・・。
コンドルズ(近藤良平・藤田善宏・山本光二郎・鎌倉道彦・橋爪利博、オクダサトシ)が演じ続けるパイパーにも力がありました。物語にリズムを作る動きがあり、同時に力技でもある・・・。で、パイパーの想い(?)までもが伝わってくるような・・・。贅沢な配役だと思います
そして、アンサンブルの役者たち・・・。その力には目を見張りました。50名程なのですが、集団でなにかを作り上げていくというよりは一人ずつの演技が束ねられた先にひとつの世界が沸き立つ感じ・・・。前方で観ていたから特にそう感じるのかもしれませんが、火星到着のシーンでも、生活や闘争のシーンでも、一人ずつの役者としての演技がキャラクターとしてしっかりと舞台に存在している・・・。セリフなどはほとんどないのですが、そのしぐさや表情が生きているから、彼らの醸し出す空気や複雑に乱れる世界の色が実にリアルな肌触りで観客に届く。野田演出は彼らの演技を一つの色として舞台に塗り込めるのではなくそれぞれの色をしっかりと出させて点描のように世界を作っていくのです
なにせ、アンサンブルとはいっても自分の劇団に戻れば主役を張って二時間観客を引きずりまわせるような役者ばかり・・・。たとえば七味まゆ味の表情や切れのある仕草から演じられるニュアンスはもはや舞台上の風景という範疇ではない。ひとりずつが舞台を支配して彼らの物語を表現する姿には思わず息を呑むばかり・・・。そして、振付の近藤良平の群集処理の見事なこと・・・。個々のキャラクターの居場所を作り、その上で全体を包括する世界観を作り上げていく・・・。
私自身のメモも兼ねて、多分演劇史上、最強の部類に属するであろうアンサンブルの役者たちの名前を・・・。
浅野涼・飯塚のり子・池田美千瑠・石原晶子・泉田奈津美・井出みな子・伊藤衆人・いとうめぐみ・大石貴也・大谷由梨佳・川本亜貴代・清原愛・清原舞子・坂井梨歩・塩崎こうせい・重本由人・七味まゆ味・下司尚美・鈴木美穂・高田淳・高橋紗也佳・高橋真弓・竹島由華・竹田靖・竹村彩子・田尻亜希・立島明奈・谷口綾・田山仁・土田祐太・徳永真弓・長尾純子・永野雅仁・中平良夫・新見聡一・野上絹代・野村昇史・長谷川寧・深谷由梨香・古河耕史・星利枝・前野未来・毎ようこ・松島千秋・村上結花・森由香・山田英美・渡邉淳
彼らからは野田秀樹の演技すらかすむほどの厚みが舞台に生まれて、観客を圧倒。もう息をつくのも忘れて彼らの作り出す空間を見つめたことでした。
それにつけても、今回の野田秀樹の作品、なにか鎖が外れたような自由闊達さがあります。
数字万能の世界を嘲笑し、施政者と市民の感覚の違いをさらっと表現し、中盤あたりからは今の世界の様々な事象を引き込んで物語を広げていく。いくつもの台詞から、地球環境にかかわるようなニュアンスや人々のエゴに対しての風刺が感じられたり・・・・。終盤の火星人たちの服装からは、人さらいを平気でするような某国の国旗をイメージできたり・・・。
歴史を覚え込ませたあと、都合の悪いおはじきを捨てて、自分たちに都合の悪い歴史を廃棄して美しい歴史だけを子供に語らせようとする父親の姿には、現代の国家史観が重なって見えてくるような。
さらにパイパーの存在が、現代の文明が抱える発展の矛盾をぞくっとするほど見事に投影しているようで・・・・。
で、ですね・・・。うまくいえないのですが、ちょっとなつかしい感じがするのです。昨今の野田秀樹の作品は、現実(原作)やその中の人間の本質が終点にあって、物語がそれにマージというか一体化していくようなものが多かったのですが(The Beeやロープ、The Diverなども含めて)、久しぶりに夢の遊眠社のころのように自らの内側に想像された物語が現実を呑み込んでやがて観客が俯瞰できる世界まで観客を導くような新作を見たような気がします。それは、最近の作品が悪いということではまったくなく、こういう野田秀樹作品も失われていないことがわかってうれしかったというニュアンスで・・・。
箱の中のおはじきをゆすぶる音を聞くと海の音がする・・・というシーンがあって。姉妹の母親はその海を見るために放浪したという・・・。まあ、バブル期前後とちがってこういう時代の作品ですから、その旅の果てから娘たちが見晴らせるのは花一輪ほどの光なのですが・・・・。900年の火星の歴史の先に咲いた花や帰ってきた恋人には、かすかにでも、指数が0になった火星の復光を感じることができるのです。
今回は非常に席にも恵まれまして、手にとるように役者を観ることが出来る席でした。それはそれで大満足だったのですが、でも、贅沢にも立ち見でも良いから舞台全体が見える場所でもう一度見たいような気もして・・・。戯曲の掲載されている新潮を買って、余韻を一杯に感じながら劇場を後にしたことでした。
9500円を本当に安いと感じる舞台、ありそうでそうそうあるものではありません。「パイパー」、よしんば当日券の立ち見でも是非にお勧めの一作です。
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