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東京デスロック「その人を知らず」変わらないことの功罪について

さて、新年最初の観劇は東京デスロック「その人を知らず」です。作は没後50年を迎える三好十郎。場所はアゴラ劇場。休憩10分をはさんで3時間の芝居には新春のおとそ気分を吹き払うような凜とした強さと目を見開くような強さがありました。

かなり遅れての書き込みになってしまいましたが、1月2日ソワレの観劇、新年から本当に懐の深いお芝居でいろんなことを考えさせられてしまいました。

ここからネタばれをします。十分ご留意の上お読みくださいませ)

幕が上がると十字架に縛りつけられたような主人公、その上には日の丸が映写されています。主人公はキリスト教者だという。舞台は太平洋戦争中の日本、「一億玉砕」などという時代がかった事を国民がみんな結構本気で叫んでいた時代です。にもかかわらず、彼はイエス様の教えにしたがえば人を殺すことができないという理由で徴兵拒否をする。当時は天皇が神格化されていたこともあり、また国威高揚の観点からみても、徴兵拒否など許されるわけがない。本人も罰せられるし当然周りも巻き込まれる・・・。家族達は迫害を受け、さらに彼にキリスト教を授けた牧師までが、日の丸の下、国からの強い圧力を受け、転向して彼の徴兵拒否に反対するようになります。それでも彼は貫き通すのです。

それらのことは小さな学校の机の上に窮屈に座り込んでいる役者たちの演技の積み重ねによって明らかになっていきます。狭い机の上に肩をよせあうようにして支えあいながら演技を続ける役者たち。それらは家族であり、集団であり、単純であからさまな日本という国家の表現でもあるのですが、すぐにはその意図がわからない。しかし役者たちのメリハリの利いた台詞が積み上げられ物語が観客の中で形を為してくると、ある瞬間に、すっと焦点が合うように、演出の意図が観客のなかに実体化します。突然、戯曲に描かれ舞台で演じられた主人公を取り巻く人々の国や家族や彼に対する想いが息を呑むほど鮮明に浮かび上がってくるのです。一つ間違えばべたであざとい表現方法ではあるのですが、光や音の洗練が役者たちの演技の真摯さとともに言葉を発し、演じられている時代のタイトな雰囲気が鮮明に観客に伝わっていく。主人公の姿が軸となって登場人物たちの立ち居振舞いが音や光に生を受けたように観客を舞台上の世界に引きずり込んでゆきます。

国の運命も国民達の思いも机といくつかの小道具だけで見事に具現化してしまうその手並みの鮮やかさ。本土空襲となった時の表現もすごくわかりやすい。机が形を変えたり離散したり・・・。赤いボールやキットカットのようなものが投げられて、戦争末期のまとまりを欠いた悲惨な雰囲気がかもし出される。そして終戦時の表現も斬新です。終戦がとまどうように確定して、崩れるように舞台がとりちらかっていく。いったん混乱に陥るととどめるものとてなく机がひっくり返され床がはがされていく・・・。その狂乱に終戦の混乱期の騒乱と高揚が手に取るように感じられて・・・。

要は表現する側のセンスだと思うのです。戯曲が持つ強固な骨組みを利用して、大胆に世界を舞台上に広げていく力が舞台に漲っていているから、そのセンスが魔法のように生きる。

休憩が明けた2部も見ごたえがありました。.戯曲が描く価値観の変遷が言葉ではなく体感として観客に伝わってきます。世情の変化、労働争議が多発し女性たちが身を落とす姿に舞台の空気は必然を与える。戦前の重苦しい雰囲気が根底から崩れて、自由っぽい光が国を照らした時、彼の周りは解放されるとともに影をひきずることになります。モラルが崩れ、労働争議が生まれる。、そして兵役拒否をした主人公もいやおうなしにその時代にとり込まれていく。

でも、戦中戦後を通じて徴兵拒否をした彼がぶれることがないのです。神の教えを守りよい職人として仕事をしたいというそれだけ・・・。駆け抜ける濁流のような時代の真中に立てられた杭のような彼の存在は、まわりに渦を起こし近しい人々を次々と巻き込んでいく。主人公を清廉と見るか傲慢と見るかあるいは愚鈍とみるかは人それぞれなのでしょうけれど、舞台が終わったとき、主人公の存在を心に残す力が舞台にあって・・・、いろんなことを考えてしまうのです。たとえば一番神の声を聞いているはずの主人公が実は一番神の声を聴くことが無かった人なのではないかと思えてしまう。終盤の彼の悔いに彼の人生を思ってしまう。

そして、さらには彼が信じる神のことなども・・・。戦中戦後を通じて、周りの人々が神を信じる主人公が作る渦に巻き込まれても、神はなにもしないのです。周りがどうなろうと神にそむくことの無かった主人公が、まるで遠藤周作の「沈黙」の裏側として神の沈黙を見せているようにすら思えて・・・・。

それらを周到に戯曲に仕込んだ作者の力量と、それを息をのむほどの創意で舞台に表した演出、さらにその色を演じきった役者の実直な演技にひたすら感服。カーテンコールでは自然に拍手を続けていました。

自分の記録のため、チラシからクレジットを抜粋・・・。

作:三好十郎

演出:多田淳之助

出演:夏目慎也・佐山和泉・猪俣俊明・山村崇子・佐藤誠・村上聡一・坂本絇・征矢かおる・桜町元・山田裕子・笠井里美・折原アキラ

いずれも、けれんのないくっきりとした演技で物語を表現し尽くしていました。それぞれの役者がもつ演技のまっすぐさのようなものが、戯曲を観客が抱えきれるぎりぎりまで強く太く表していたと思います。

東京デスロックはこの公演後当面は東京公演を中止し埼玉県(キラリ富士見)に活動の拠点を移すとのこと・・・。これは追いかけなければなりますまい・・・。

新年早々に、なにか棒にたっぷりと当たったような犬になったような気分で、劇場を後にしたことでした。

R-Club

PS:終演後にお正月イベントで男優陣による書初めを拝見・・・。お芝居とは打って変わったぐたぐた感にお正月だな・・・っとなにか心たおやかになったり・・・。

それとは別に、イベント中の舞台がすごく広く感じられて、本編の舞台のタイトな感じがいかに見事に作り上げられていたかを改めて悟ったことでした。

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