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toi「4色の色鉛筆があれば」心の窓から眺めた時間のリアリティ

1月27日ソワレでtoi「4色の色鉛筆があれば」を観ました。場所はシアタートラム。

toi初見、作・演出の柴幸男作品初見、主宰の黒川深雪初見。でもなにか良い匂いを発散したフライヤーに惹かれ、何人かの役者さんのお名前に惹かれ予約。

当日は立ち見が出る大盛況にも関わらず(上演中に役者が客席に下りる場面があって振り向いたところ、鈴なりの立ち見客の方でびっくり)、前から2列目の中央という天罰が下りそうな良席で、出色の4作品を拝見いたしました。

(ここからはネタばれがあります。充分にご留意ください)

大道具はほとんどなし、素明かりに照らされたような舞台。いまさらのようにトラムの天井の高さと奥行きの広さに息を呑んで・・・。

舞台の隅に靴箱が用意されていたりして、なんとなく稽古場のような感じもする。

役者が出てきて、ロール状のシートを舞台中央下手から上手に敷いて・・・。

子供たちが遊びをはじめるように芝居がはじまります。

☆あゆみ

記憶の断片が次々に浮かんでくるように、子供のころの思い出や今の生活が舞台上に設定された一本の帯の上での事象として描かれていきます。家出の記憶、友人の家で遊んだこと、久しぶりに出会ったこと、働く今・・・。照明が当たる部分にあわられれる連続した意識の裏側で、いろんなことが循環していく。

歩いて月までどのくらいでいけるか。遠くまで歩いていく少女と友人の道程がヴィヴィッド。内気な部分。外回りからの小さな放浪・・・概念ではなく、まるでスケッチのように、女性の意識と無意識の領域が描かれていく感じ・・・。

歩いていくリズム、最後の言葉が次に受け継がれるタイミング・・・。その言葉・・・。足音がする場所。足音が消える闇・・・。

彼女の心に浮かぶもの・・・。

そこには彼女の心に映る今があって・・・。3人が互いに回っていくうちに一枚に書けない女性のいろんな心の表情が浮かんでくるようで・・・。他の作品もそうなのですが、事象でなく、事象が映しだされた心がさりげなくスケッチされているような感じ・・・。

観つづけていくうちに、その女性の記憶や感情が自分の中にあるような錯覚に囚われていました。遠くまで歩いたときの街の匂いや、ぱいなっぷると遊ぶときのちょっと楽しい感じ・・・、それらを外から眺めるのではなく、自分の感覚と見つめる感覚が不思議。そして、その時間が終わるとき、その人から離れることに後ろ髪を引かれるような想いが宿っていて。

本当に不思議な感覚・・・。

出演:内山ちひろ・黒川深雪・中島佳子 

☆ハイパーリンくん

自分の立ち位置から、ミクロとマクロの世界観が広がっていく。そしてその中心にいる自らの浮遊感が観客にやわらかく降りてくる・・・。そんな作品でした

最初は知識の羅列から始まります。あちらこちらにライトがつくように、先生と生徒の間で知識が語られる。それが満ちる頃、円周率に至りどこまでも微細化していく円周の値がリズムを持ちラップが生まれて高揚と熱狂に至ります。

その高揚が覚めると、ベクトルは極大に向かう。熱狂は醒め、地球を出て太陽系の半径を凌駕し、さらにその外側へと広がり人間の手の届く範囲を超えた宇宙空間へと至ります。そのイメージはやがて銀河をも出づるまでに広がり・・・。すでに舞台は宇宙の闇に包まれ、劇場空間全体をつかったその広がりの表現に浸潤するような浮遊感がやってきます。

形容矛盾ですけれどシンプルで細密な曼荼羅の中に身を置いたような気持ち。ラップのリズムでミクロの世界に入り込んでいく時のときめき。規則正しい数の拡散によって宇宙の果てまで広がる想い。そして、重なるように生徒が先生となり、思索が受け継がれていく時間軸があって・・・。

青と赤の中間でほんのひと時緑に見える緑色の空、その空を眺める静のひとときに想いをよせて、・・・・。

役者たちの精緻で切れのよい演技が光りました。というより、役者たちの技量がなければ成立しえない空間だったように思います。過去に芝居をしっかりと拝見したことのある役者さんは佐藤みゆきさんだけでしたが、彼女の心地よく通る声と凛とした動きは舞台全体にすごく心地よいテンションを作り出していて・・・。中林舞さんも吾妻橋ダンスクロッシングで拝見したことがあったと思うのですが、やはり切れのある動きが印象的。他の役者も、それぞれの個性を失うことなく、力を持った動きで極大と極小の深淵まで観客を運びきりました。

それにしてもこのトリップ感はすごい。でも、その知識を持ってしてもめったに出会えないものがある。その感覚があるから、フラッシュグリーンの話がすっと生きる。めぐり合った小さな奇跡への疑問がとてもいとおしく思えるのです。

そこに美しい空があったら、多分この芝居を思い出して、一瞬でも空を眺めてしまうような・・・・

出演:青木宏幸・ゴウタケヒロ・斎藤淳子・佐藤みゆき・永井若葉・中野架奈・中林舞・二反田幸平・平原テツ・三浦知之

☆反復かつ連続

朝の風景。同じ時間を繰り返す中で、まるで多色刷りの版画のように4人姉妹と母親の朝の時間を一人ずつ重ねてられていきます。(前のシーンの音が重ねられ繰り返される・・・)。そこに生まれた朝の喧騒のなんと瑞々しいことか・・・。下世話な日常の風景がおもしろく、残像とからむお芝居にどんどんと空間の実存感が膨らんでいきます。

ズームイン朝を見る場面での音楽による調和に吹き出しながらも、不思議な家族のきずなを感じて・・・。

5人の登場人物が描かれたあとに音だけの反復があり、観客は心に持った残像だけを見せられて・・・。その中、一人の老婆が現れる・・・。

宴がおわったような空間のその先にあるものに心を締め付けられました。最後にお茶を飲む老婆の存在が秀逸。その姿に彼女が過ごした日常の積み重ねというか人生の道程が垣間見えて・・・。

舞台上に現れたのは同じ時間をすごす家族を重ねた絵なのか、あるいは一人の女性が同じ家で過ごした時間を重ねた絵なのか・・・。ある朝の家族の風景へのいとおしさと彼女の過ごした時間への畏敬のようなものを同時に感じて・・・。

内山ちひろは無理なデフォルメを行なうことなく、ナチュラルに姉妹や母親を演じ分けていて・・・。その有無を言わさぬような自然さが観客をその世界に閉じ込めてしまう・・。

出演:内山ちひろ

☆純粋記憶再生装置

キャスト総動員で紙が床に敷き詰められます。黒い床が白に塗りつぶされます。そしてこの物語の役者だけが残されて・・・。

別れから出会いのころにさかのぼっていく記憶の緻密な描写。ク・ナウカのように語り手と演じ手がシンクロして作り出す世界に、心に浮かぶ風景の細密な描写があって・・・・。役者の動きは観客に記憶の移ろいを感じさせるほどにしなやかで動作と声の主の分離に記憶と現実のやわらかな乖離があって・・・。

演じる法則が時間をさかのぼるに従って崩れていくなかで、記憶のあいまいさがふくらむ。無意識に為される自らの記憶への干渉を感じたりもして・・・。

強い言葉や表現はすっと埋もれて、やわらかい言葉や仕草が雪につけた足跡のように心に残ります。淡雪のような微笑や一瞬の当惑、行き場がちぎれたような焦燥や揮発性をもった諦観・・・、個々の役者はそれぞれのしぐさや言葉で観客に印象を与えていくのですが、それは床に敷き詰められた白紙に走り書きされた言葉のようにも思えて・・・・・。取り上げられ読み捨てられてはまた紙の羅列に埋もれてしまう・・・。

やがて舞台の法則性が崩れていきます。言葉の所在があいまいになり、記憶の断片が不確かに浮かび上がり、想いと事実がデリケートに混濁していく。その先にはもはや時間の所在さえ切り離された雪遊びのイメージが浮かび上がって・・・。

実存したはずの楽しい時間に踊る雪、まき散らされる雪に見立てた白紙に、たまらないほどの愛しさがやってきて・・・。ひたすらにその世界に引き込まれ、その透明感をもった切なさに言葉を失いました。

出演:岡田あがさ・黒川深雪・武谷公雄・山本雅幸

岡田あがさは観るたびに進化しています。内側に虚数を抱いたような今回の演技には、これまでの強い演技とは全く異質の白磁器のような滑らかさがありました。深川美雪は初見ですが内側にぬくもりを感じるお芝居・・・。武谷公雄の細密な感情の表わし方や山本雅幸の揮発性をもった諦観の表現にも瞠目しました。

ちょっとお芝居からは外れるのですが、人はその命が尽きるとき、パノラマのように人生を眺めるのだとか・・・。そのイメージって案外こんな感じなのかもって・・・。終演後のトークショーを観ながら作品のイメージを反芻したり・・・。ちょっと忘れがたい力を持った作品でありました。

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それにしても秀逸な作品群です。見終わった後心が満たされて、しかもその世界がさらに大きくふくらみつづけるような力を持っていて。

明転(言葉が正しいかどうかはわかりませんが)で物語をつないでいくやり方もうまいと思った。一つの作品の余韻が次の作品へうまく渡されるようなつなぎ方だったと思います。

4つの作品に共通しているのは、心の窓からながめた時間の流れで作品が編まれていること。その流れは絶対的な時間の概念で観ると、ダリのふにゃっとした時計を想起させたりもするのですが、でも、心に去来するものの描写としては精緻でしなやかなリアリティを持っていて、芝居が観ているものの心にストレスなく共振していく。

シュールリアリズムというのは言葉の使い方が違うのかもしれませんが、現代絵画に通じるような鮮やかな時間の切り口と、その発想をささえる精緻な演技にひたすら瞠目。作・演出の柴幸男には事象の解析力は言うに及ばず、イメージの解体と再構築に独特の才能があって、またそれを支えるだけの表現のスタンダードをきちんと身につけているのだと思います。アフタートークで彼の話にはサンプリングという話がありましたが、その素材の選択と構築には彼自身の冷徹な事象への分析力が裏打ちされているわけで、その力は今後いろんな手法で作られる作品に必ず反映されるはず。また彼の役者たちへの厳しさがやんわりと話題になっていましたが、それは彼の表現の技量の高さの裏返しでもあるのでしょうし・・・。

toiの活動はもちろんのこと、今後の柴幸男の作品、大注目です。

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