赤堤ビンケ「四日目」丁寧さに魅せられて・・・
1月11日ソワレで赤堤ビンケ「四日目」を観てまいりました。場所は下北沢オフオフシアター・・・。ビルの階段を上ってみると人がいっぱい。貼りチラシを見ると関西の若手実力派として人気の高いジャルジャルが1日限りの東京ライブをお隣の駅前劇場で行うとのこと・・・・。で、女性客が列をなしていて・・・。それもすごくマナーのよい観客の方々できっちりと階段に2列を作り、粛々と開場を待っている・・・。噺家さんでもそうですけれど、こういうファンがついている芸人さんって枕ことばだけではない実力派が多い。ファンとのよい関係を作るだけの力があって、また、その力を見抜くセンスを持った良いファンが集まるのでしょうね・・・。気がつけば、赤堤ビンケのスタッフもプロの技で観客整理に協力していて・・・。ちょっと早めに着いてしまったのですが、すごく気持ちよく開場を待つことができました。
(ここからネタバレがあります。十分ご留意の上お読みくださいませ)
場内は満席、場内の音楽がすっと変わると本当にゆっくりと客電が落とされていきます。物語の世界に観客をじわっと導いていく感じ・・・。
冒頭提示されるシーンが意味深で、男をひきとめて引き倒し刃物を振りおろそうとする男、それをおろおろと止める男・・・、さらにはその横で倒れたままぞくっとするような微笑みを浮かべて人をそそのかす女性、後ろにはかぶり物の男性が二人・・・。
客電の落とし方が効いているから、観客はその世界を十分に印象にとどめて置ける・・・。刃物を振り上げた瞬間に暗転、そのあとちょっとかっちょいいタイトルロールがあって一日目の物語が始まります。
とにかく物語の語り口が丁寧な舞台で、その一方で無駄なく物語の骨格の部分が描かれていきます。土台をゆっくりと固めていくなかで観客には物語のキーになる概念がしっかりと刷り込まれていく。異夫兄弟どおしや兄とケースワーカーの会話から必要な情報が自然体で観客に提示されるなか、目に見えるような伏線と物語を背後から支えるような伏線がそれぞれしたたかに張られていきます。母の失踪、兄弟たちの困窮・・・、冒頭に観た光景とのつながりは異父兄弟の姿だけ・・・。でもそのトリガーがあるから、観客は多少冗長にも思えるふたりの会話に集中をしていくことができる・・・。この時点ですでに作・演出の鈴木優之の術中にはまってしまっていて・・・。
二日目になると弟の友人がからんで物語が膨らんでいきます。また、一日目では兄の視点で表現されていたような弟にも別の視点からのキャラクターの広がりが織り込まれていく。友人たちと兄がうまく一つの空間に織り込まれて共通の根のようなものが自然に生まれていきます。土台の固まった物語からしっかりとした芽が噴き出して成長を始めるのです。兄弟たちのどろどろとした家族構成と、友人の高校生たちのどこか歯止めを失ったような感覚がお互いのキャラクターの色をあざやかに見せあっていく。兄にはお金持ちのおじがいることがわかったり、完全犯罪の言葉が物語に差し込まれたり、物語にベースの部分が加えられふくらんでいきます。母親との回想シーンがあって、母と兄のきずなもふっと浮かんでくる。でも冒頭のシーンとの結びつきはまだ謎のまま。淡々とした舞台の語り口にも関わらず観客はどこか前がかりな気持ちでさらに舞台に引き込まれていきます。
三日目になると同じトーンのなかで物語が大きく動き始めて・・。おじの愛人の登場で物語が一気にクライムの色を帯びていく。薄っぺらいはずの完全犯罪の言葉に生々しいリアリティを持った動機が息を吹きかけられて、思惑の異なる4人が兄のおじを殺すことで同じ方向を向いていきます。ありえないような非日常が、舞台のトーンを変えることなく語られていくなかで、観客はやってくるクライムの必然を見せられて・・・。
そして四日目、息をのむような展開に観客が翻弄される中、冒頭のシーンにたどりつくのです。
役者の演技には実存感があって、舞台にきちんとした呼吸を生みだしていきます。野本光一郎の演じる兄には持つ絶妙の責任感と神経質さがあり、彼が揺らぐときのインパクトがそのまま舞台を動かす力になっていて・・・。弟役の駒木根隆介が表現する才能を底辺に秘めた不器用さが物語の核を見事に作れば、ケースワーカーを演じる大竹篤は淡々とした感じで物語の枠を固めていく。その中で弟の友人役を演じる土屋壮や奥野瑛太が兄弟とは全く異なる軽さでドライに狂気を物語に持ち込んで・・・。おじを演じた秋山敏也がも実に好演、甥に借金を強いようとするときの段取りに抜群の切れがあって、愛人や兄の殺意にもしなやかなリアリティを持たせていく。
母親役の大内涼子は出番こそ少なめでしたが、母親のリアルな姿を実に巧みに演じて見せました。自堕落な部分に子供への愛情をちゃんと透かして見せて、観客に対して兄が母に対して持つのと同じ感覚をしっかりと与えてくれます。回想シーンで勤めに出るために上着を羽織るときの雰囲気に何か生活のリズムがあって、兄弟が母親と過ごした時間がすっと浮かんでくるようで・・・。終盤のワンシーンにも目を見張るような切れがありました。
そして、牛水里美です。今回の芝居にはいつも以上に観客を支配する力があって・・・。三日目のシーン、登場の瞬間に空気を作り、低い声と抑えた演技で空間を支配すると、兄を蠱惑する場面ではその妖しさに甘美な毒をしたたかに含ませて観客の息まで留めさせてしまう。四日目のシーン、無言で表現する殺意には動けなくなるような深淵を感じ、その感情が解き放たれる一瞬には閃光さえ見える気がする・・・。そして冒頭のシーンのリプライズで見せる微笑みの裏側に含まれた色合いの複雑さには、常人では演じえない何かを感じます。しかも、これらの凄まじい演技力が、瞠目するほどに芝居を生かすのです。彼女が自らの演技に場内を釘づけにしても、物語から観客の目がそらさせることはない。彼女の演技が舞台を支配すればするほど、彼女が主役でないはずの物語のコアが鮮やかに浮き立っていく・・・。今更ながらですが、牛水里美さん、ただものではありません。
物語は、2日後のシーンで収束するところに収束して、あとに兄弟の母親の本当の姿がやわらかに浮かび上がって・・・。兄と弟、それぞれが何かから解放されて・・・。弟が鼻をたらすシーンがここで見事に生かされて、なにか救われたような気分がやってくる・・・。そして3年後のシーンが挿入されて暗転、終幕します。
客電がともった時に、なんというか、家族の縁のことをぼんやりと考えていました。それと大内涼子さんが演じた母親のことがなにか心に刻まれていて・・・。
心に不思議な重さが残った舞台・・・、言葉にならない力に惹きつけられて・・・。こういう実直な面白さをもった舞台ってあとをひくのです。
表現のしようのない、でもいやじゃない満たされかたに心を奪われながら、同じ下北沢で別の芝居を見ていた友人との待ち合わせ場所に足を運んだ事でした。
R-Club
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント