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toi「4色の色鉛筆があれば」心の窓から眺めた時間のリアリティ

1月27日ソワレでtoi「4色の色鉛筆があれば」を観ました。場所はシアタートラム。

toi初見、作・演出の柴幸男作品初見、主宰の黒川深雪初見。でもなにか良い匂いを発散したフライヤーに惹かれ、何人かの役者さんのお名前に惹かれ予約。

当日は立ち見が出る大盛況にも関わらず(上演中に役者が客席に下りる場面があって振り向いたところ、鈴なりの立ち見客の方でびっくり)、前から2列目の中央という天罰が下りそうな良席で、出色の4作品を拝見いたしました。

(ここからはネタばれがあります。充分にご留意ください)

大道具はほとんどなし、素明かりに照らされたような舞台。いまさらのようにトラムの天井の高さと奥行きの広さに息を呑んで・・・。

舞台の隅に靴箱が用意されていたりして、なんとなく稽古場のような感じもする。

役者が出てきて、ロール状のシートを舞台中央下手から上手に敷いて・・・。

子供たちが遊びをはじめるように芝居がはじまります。

☆あゆみ

記憶の断片が次々に浮かんでくるように、子供のころの思い出や今の生活が舞台上に設定された一本の帯の上での事象として描かれていきます。家出の記憶、友人の家で遊んだこと、久しぶりに出会ったこと、働く今・・・。照明が当たる部分にあわられれる連続した意識の裏側で、いろんなことが循環していく。

歩いて月までどのくらいでいけるか。遠くまで歩いていく少女と友人の道程がヴィヴィッド。内気な部分。外回りからの小さな放浪・・・概念ではなく、まるでスケッチのように、女性の意識と無意識の領域が描かれていく感じ・・・。

歩いていくリズム、最後の言葉が次に受け継がれるタイミング・・・。その言葉・・・。足音がする場所。足音が消える闇・・・。

彼女の心に浮かぶもの・・・。

そこには彼女の心に映る今があって・・・。3人が互いに回っていくうちに一枚に書けない女性のいろんな心の表情が浮かんでくるようで・・・。他の作品もそうなのですが、事象でなく、事象が映しだされた心がさりげなくスケッチされているような感じ・・・。

観つづけていくうちに、その女性の記憶や感情が自分の中にあるような錯覚に囚われていました。遠くまで歩いたときの街の匂いや、ぱいなっぷると遊ぶときのちょっと楽しい感じ・・・、それらを外から眺めるのではなく、自分の感覚と見つめる感覚が不思議。そして、その時間が終わるとき、その人から離れることに後ろ髪を引かれるような想いが宿っていて。

本当に不思議な感覚・・・。

出演:内山ちひろ・黒川深雪・中島佳子 

☆ハイパーリンくん

自分の立ち位置から、ミクロとマクロの世界観が広がっていく。そしてその中心にいる自らの浮遊感が観客にやわらかく降りてくる・・・。そんな作品でした

最初は知識の羅列から始まります。あちらこちらにライトがつくように、先生と生徒の間で知識が語られる。それが満ちる頃、円周率に至りどこまでも微細化していく円周の値がリズムを持ちラップが生まれて高揚と熱狂に至ります。

その高揚が覚めると、ベクトルは極大に向かう。熱狂は醒め、地球を出て太陽系の半径を凌駕し、さらにその外側へと広がり人間の手の届く範囲を超えた宇宙空間へと至ります。そのイメージはやがて銀河をも出づるまでに広がり・・・。すでに舞台は宇宙の闇に包まれ、劇場空間全体をつかったその広がりの表現に浸潤するような浮遊感がやってきます。

形容矛盾ですけれどシンプルで細密な曼荼羅の中に身を置いたような気持ち。ラップのリズムでミクロの世界に入り込んでいく時のときめき。規則正しい数の拡散によって宇宙の果てまで広がる想い。そして、重なるように生徒が先生となり、思索が受け継がれていく時間軸があって・・・。

青と赤の中間でほんのひと時緑に見える緑色の空、その空を眺める静のひとときに想いをよせて、・・・・。

役者たちの精緻で切れのよい演技が光りました。というより、役者たちの技量がなければ成立しえない空間だったように思います。過去に芝居をしっかりと拝見したことのある役者さんは佐藤みゆきさんだけでしたが、彼女の心地よく通る声と凛とした動きは舞台全体にすごく心地よいテンションを作り出していて・・・。中林舞さんも吾妻橋ダンスクロッシングで拝見したことがあったと思うのですが、やはり切れのある動きが印象的。他の役者も、それぞれの個性を失うことなく、力を持った動きで極大と極小の深淵まで観客を運びきりました。

それにしてもこのトリップ感はすごい。でも、その知識を持ってしてもめったに出会えないものがある。その感覚があるから、フラッシュグリーンの話がすっと生きる。めぐり合った小さな奇跡への疑問がとてもいとおしく思えるのです。

そこに美しい空があったら、多分この芝居を思い出して、一瞬でも空を眺めてしまうような・・・・

出演:青木宏幸・ゴウタケヒロ・斎藤淳子・佐藤みゆき・永井若葉・中野架奈・中林舞・二反田幸平・平原テツ・三浦知之

☆反復かつ連続

朝の風景。同じ時間を繰り返す中で、まるで多色刷りの版画のように4人姉妹と母親の朝の時間を一人ずつ重ねてられていきます。(前のシーンの音が重ねられ繰り返される・・・)。そこに生まれた朝の喧騒のなんと瑞々しいことか・・・。下世話な日常の風景がおもしろく、残像とからむお芝居にどんどんと空間の実存感が膨らんでいきます。

ズームイン朝を見る場面での音楽による調和に吹き出しながらも、不思議な家族のきずなを感じて・・・。

5人の登場人物が描かれたあとに音だけの反復があり、観客は心に持った残像だけを見せられて・・・。その中、一人の老婆が現れる・・・。

宴がおわったような空間のその先にあるものに心を締め付けられました。最後にお茶を飲む老婆の存在が秀逸。その姿に彼女が過ごした日常の積み重ねというか人生の道程が垣間見えて・・・。

舞台上に現れたのは同じ時間をすごす家族を重ねた絵なのか、あるいは一人の女性が同じ家で過ごした時間を重ねた絵なのか・・・。ある朝の家族の風景へのいとおしさと彼女の過ごした時間への畏敬のようなものを同時に感じて・・・。

内山ちひろは無理なデフォルメを行なうことなく、ナチュラルに姉妹や母親を演じ分けていて・・・。その有無を言わさぬような自然さが観客をその世界に閉じ込めてしまう・・。

出演:内山ちひろ

☆純粋記憶再生装置

キャスト総動員で紙が床に敷き詰められます。黒い床が白に塗りつぶされます。そしてこの物語の役者だけが残されて・・・。

別れから出会いのころにさかのぼっていく記憶の緻密な描写。ク・ナウカのように語り手と演じ手がシンクロして作り出す世界に、心に浮かぶ風景の細密な描写があって・・・・。役者の動きは観客に記憶の移ろいを感じさせるほどにしなやかで動作と声の主の分離に記憶と現実のやわらかな乖離があって・・・。

演じる法則が時間をさかのぼるに従って崩れていくなかで、記憶のあいまいさがふくらむ。無意識に為される自らの記憶への干渉を感じたりもして・・・。

強い言葉や表現はすっと埋もれて、やわらかい言葉や仕草が雪につけた足跡のように心に残ります。淡雪のような微笑や一瞬の当惑、行き場がちぎれたような焦燥や揮発性をもった諦観・・・、個々の役者はそれぞれのしぐさや言葉で観客に印象を与えていくのですが、それは床に敷き詰められた白紙に走り書きされた言葉のようにも思えて・・・・・。取り上げられ読み捨てられてはまた紙の羅列に埋もれてしまう・・・。

やがて舞台の法則性が崩れていきます。言葉の所在があいまいになり、記憶の断片が不確かに浮かび上がり、想いと事実がデリケートに混濁していく。その先にはもはや時間の所在さえ切り離された雪遊びのイメージが浮かび上がって・・・。

実存したはずの楽しい時間に踊る雪、まき散らされる雪に見立てた白紙に、たまらないほどの愛しさがやってきて・・・。ひたすらにその世界に引き込まれ、その透明感をもった切なさに言葉を失いました。

出演:岡田あがさ・黒川深雪・武谷公雄・山本雅幸

岡田あがさは観るたびに進化しています。内側に虚数を抱いたような今回の演技には、これまでの強い演技とは全く異質の白磁器のような滑らかさがありました。深川美雪は初見ですが内側にぬくもりを感じるお芝居・・・。武谷公雄の細密な感情の表わし方や山本雅幸の揮発性をもった諦観の表現にも瞠目しました。

ちょっとお芝居からは外れるのですが、人はその命が尽きるとき、パノラマのように人生を眺めるのだとか・・・。そのイメージって案外こんな感じなのかもって・・・。終演後のトークショーを観ながら作品のイメージを反芻したり・・・。ちょっと忘れがたい力を持った作品でありました。

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それにしても秀逸な作品群です。見終わった後心が満たされて、しかもその世界がさらに大きくふくらみつづけるような力を持っていて。

明転(言葉が正しいかどうかはわかりませんが)で物語をつないでいくやり方もうまいと思った。一つの作品の余韻が次の作品へうまく渡されるようなつなぎ方だったと思います。

4つの作品に共通しているのは、心の窓からながめた時間の流れで作品が編まれていること。その流れは絶対的な時間の概念で観ると、ダリのふにゃっとした時計を想起させたりもするのですが、でも、心に去来するものの描写としては精緻でしなやかなリアリティを持っていて、芝居が観ているものの心にストレスなく共振していく。

シュールリアリズムというのは言葉の使い方が違うのかもしれませんが、現代絵画に通じるような鮮やかな時間の切り口と、その発想をささえる精緻な演技にひたすら瞠目。作・演出の柴幸男には事象の解析力は言うに及ばず、イメージの解体と再構築に独特の才能があって、またそれを支えるだけの表現のスタンダードをきちんと身につけているのだと思います。アフタートークで彼の話にはサンプリングという話がありましたが、その素材の選択と構築には彼自身の冷徹な事象への分析力が裏打ちされているわけで、その力は今後いろんな手法で作られる作品に必ず反映されるはず。また彼の役者たちへの厳しさがやんわりと話題になっていましたが、それは彼の表現の技量の高さの裏返しでもあるのでしょうし・・・。

toiの活動はもちろんのこと、今後の柴幸男の作品、大注目です。

R-Club

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4×1hProject #2作り手側の真摯さと熱と

1月25日ソワレにて、4×1hProject #2を観てまいりました。演目は「月並みなはなし」と「ソヴァージュばあさん」。

場所は新宿シアターミラクル、100席弱の劇場です。先日ワークインプログレスを観た黒澤演出の「ソヴァージュばあさん」と、どうなるのだろうとわくわくの中屋敷演出による「月並みなはなし」の豪華2本立て。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

開演前にちょっとした工夫があります。役者とおぼしき人が冬の木立を連想させるような舞台にパネルを張っていく。木立の裏側には人影があって、なにか舞台を覗き見ているようにも見えて・・・。やがてその場はパネルに囲まれて近未来のある場所に姿を変えて・・。

☆月並みなはなし

作:黒澤世莉 演出:中屋敷法仁

ハンデをもらったというわけではないのですが、過去にこの戯曲の上演を観たことがあります。・・・(空ゼLabo 深寅芥演出)。それがずいぶんとこの芝居の理解を助けてくれました。

正直言うと、フライヤーのキャストを観た時にあれっと思ったのですよ。私が観たものよりキャストが明らかに多い。最初はダブルキャストかなとも思ったのですが、そんな記述はどこにもないし。とすれば、新しい役がてんこもりで増えているのか・・・。

まさか、多くのキャラクター二人ずつ同時に舞台で演じられていく仕組みだとはおもってもみませんでした。こういうのはなんて言うんでしょうね・・・、ツインキャスト???

近未来、初めての月への移民に応募してNGだった人たちの残念会、次々に現れるメンバーたち・・・。姉の結納に来て部屋を間違えたという女性(ミミ)がなぜかそこにいて・・・。

冒頭少しの間、舞台上に起こっていることの意味がわからなかったです。中屋敷メソッドで物語が語られ始める。メンバーが集まってくる情景、メンバーの一人の恋人が妊娠していること。ストーリーは予備知識の助けもあって入ってくるのですが、何故に舞台に現れた二人が同時に同じセリフを話すのかが理解できなかった・・・。

しかし、ミミの姉という移民局のスタッフ、ハナがブーイングを受けながら現れ、月への移住候補者に欠員ができたからチームから一人を月に行く代表者として選ぶようにと告げる場面あたりで、突然ルールというか舞台上にある秩序がすっと頭に入ってきて、ユニゾンで強調される物語のエッセンスに広がりと驚きが一度にやってきました。

役者が身につけた印というか記号がしっかりと機能します。キャラクターごとに、バンダナとかスカーフとか眼帯とかスカートとかは赤と黄色の色違いが一対づつ・・・。同じ記号をつけた役者たちどおしシンクロした演技で戯曲を伝えていく。観客を引きずり込むような硬質で早口のことばたち、身体の切れをもってデフォルメされた所作・・・、それらが二人同時に動くことでキャラクターの想いが強調される。

中央に位置するミミの存在も舞台の鍵のひとつ、ふたつのグループの中央に位置して前方と後方を行きかいながら耳を立て目を見開き、やがてグループの意思決定の投票にまで両手を上げて(ふたつのグループ両方に対しての挙手だから)関与していきます。そんな彼女に二つのクループが巧みにコントロールされているようにもみえて・・・。

後半になると、赤と黄色の間のシンメントリーな動きに乱れが生じてきます。時として赤と黄色の会話のタイミングがずれ始め、混乱すると赤と黄色が混じったりもする。でも、すべてはミミがしたたかにコントロールする枠の内側に収束して。駆け抜けるように代表が選ばれ、ハナが登場して選ばれた代表以外が移民として選定される。そしてあっけなく代表に選ばれた者だけが移民候補に選ばれ物語が終息していく。

終幕、拍手をしながら、中屋敷演劇に接したときにいつもやってくる駆け抜けたような充実感を感じて。で、気がつくと個々のキャラクターがしっかりと刻まれている。ます。なにか極上のキュビズムの絵を見たよう。

さらにそのあと、赤と黄色が同じようにたどり着いた結末に、この物語が、特別なものではないことに思いあたり・・・。 私がひねくれているだけなのかもしれませんが、登場人物たちにとっては特別な、移民に加わるための白熱した話し合いも、外側から見ると「月並みな」出来事だよという、中屋敷一流の鋭く醒めた感覚を感じ、やわらかくぞくっとしたり・・・。

役者は以下のとおり

浅見臣樹・石澤サトシ・江原大介・太田幸絵・大竹悠子・乙黒史誠・熊川ふみ・佐野功・猿田モンキー・椎名豊丸・二階堂瞳子・林佳代・星野奈穂子・緑川陽介・百花亜希・山本真由美

息を乱すことなくキャラクターを十分に表現した役者の方々はまさに猛者ぞろい・・。描かれるキャラクターの線の太さみたいなものがペアでしっかりとそろっていて・・・、それも躊躇しながら揃えているのではく攻めながらそろう感じがすごい。

中でもひと組だけツインカップルでないミミとハナの姉妹役を演じた百花亜希と二階堂瞳子の二人。オレンジの記号を背負うふたりは、なみいる役者たちの中でもひときわ目を引きました。百花の視線の強さ、まっすぐさ、さらには両手で耳を作るときの可憐さなどには常ならぬものがあって、でもその中にちょっと意地悪っぽい雰囲気をしっかり持たせて・・・。1×4hの前回で彼女が見せたいちこの演技も秀逸でしたが、それとは違った色で演じきる彼女の力にも舌を巻きました。二階堂瞳子は初見ですが、演技の懐がとてつもなくありそう。なにか底知れない力を感じた事でした。

それにつけても・・・、中屋敷氏の才、感嘆するばかりです。

☆ソヴァージュばあさん

作:谷賢人 演出:黒澤世履

21日のWIP(ワークインプログレス)にて拝見した作品です。

開演前には音楽が流れ、客電が落ちて最初は闇からのスタート。WIPのときより少しだけテンションを落とした語り口で物語が始まります。それはWIPのパフォーマンスから物語の視点を少しだけ変えてくれる・・・。一人の兵士の記憶として語られる北仏の風景が観客にも広がって、3人の兵士と一人の寡婦の物語が始まります。

物語の流れはWIPの時とまったく変わらないのですが、役者たちの演技はさらに豊潤に感じられます。役者たちの演技の肌理がさらに細かくなった感じ・・・。さらにLe Decoで体験した舞台に床の色、背景、照明、さらには兵士たちの衣裳が加わると、観ている側は役者の言葉を追うのに使っていた力をすこしだけ緩めることができて・・・、すると不思議なことに役者たちのせりふや動作がより深く観ている側に入り込んできます。

背景の映像が次第に舞台の時間を囲い込みます。少しずつ書き加えられていく部屋の風景の完成度が兵士たちとソヴァージュばあさんの関係の熟度とやわらかくシンクロして・・・。メトロノームの音がその時間に厳然とした実在感を加えて・・・。

上野友之はWIPのときよりも緩急をつけた演技で、舞台にしなやかなテンションを与えます。凛とした声や体の動きに物語の枠組みがしっかりと支えられて。坂巻誉洋からしなやかに伝わってくる兵士の素の人柄、短い台詞とさまざまな仕草から伝わってくるソヴァージュばあさんへの気持ちの変化が瞠目するほどにナチュラルで・・・。坂口辰平の表現する兵士のどこか愚直なところからも、兵士の占領した家での日々の感覚がすっと香り立つ。坂口が演じる兵士の心情の変化は、坂巻とも微妙に違う色にコントロールされていて・・・。

そこにソヴァージュばあさん役の菊池美里が表現するぶっきらぼうな暖かさが重なります。言葉、仕草・・・、いくつかのエピソード。菊池には兵士達の雰囲気が変化していくなかで、そのキャラクターの雰囲気をしっかり守り続けるような強さがあって。それは兵士たちに訪れた慰安の色を引き立てていたし、息子の訃報を聞いた時のかりそめの冷静さに大きな説得力を与えて・・・。終盤、台詞によって積み重ねられていくソヴァージュばあさんの心の色・・・。淡々とした口調に少しずつ質量を加え、やがては炎を導くに至る演技の秀逸さ・・、ほんとうに息を呑みました。

炎のあとの兵士のセリフのリプライズ・・・。冒頭のテンションの微妙なコントロールがここで生きて、縫物をする兵士とソバージュばあさんがその日々の記憶からやわらかく紡ぎだされて・・・。

WIPの時にも観終わって深い余韻が残っていたのですが、今回は、さらに奥行きのある余韻に浸り込んでしまいました。

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ちなみにこの公演は飲食自由ということでビールなどもロビーで売られていました。飲み物を飲みながらお芝居を楽しめる空間というのが今回のプロデューサーの菊地奈緒さんのこだわりなのだそう・・・。さすがに「月並みなはなし」の間に何かを嗜むというのは無理がありそうだけれど、今回のように休憩のあるお芝居などではその間に軽めのアルコールでブレイクというのもおしゃれな楽しみ方だなと思います。ブロードウェイやウェストエンドの劇場ってバーカウンターがあるところが多いですものね・・・。息をつめてストイックに舞台を凝視するだけが演劇の楽しみ方ではないはずだし・・・

造り手側がお芝居を楽しませるセンスや志を持った公演というのは、やっぱり魅力があるし良い作品がきちんと用意されている。今回の公演がよい証明なのだと思います。

R-Club

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métro「陰獣」もっと膨らむはず、きっと

1月23日ソワレにて観てまいりました。会場は神楽坂ディプラッツ。

métroは元宝塚の月船さららと元無名塾の出口結美子のユニット。今回が旗揚げ公演だそうで・・・。

客入れの口調などもどこか手作りでアットホーム。劇中のトイレはここを通ってと舞台の隅を指示された時には思わず吹いてしまいました。もしかしたら初日あたりにアクシデントがあったのかも・・・(そんなことはないか・・・)。

作は江戸川乱歩。演出・台本は映画監督として名高い天願大介

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

対面式の客席。後で知ったのですが、たまたまこの回はは俳優の佐野史郎氏をゲストにアフタートークが組まれていて、ちょうど舞台の向こうに座っていらっしゃいました。

冒頭の暗示的な部分があって、物語が始まります。ひとりの小説家の話と殺人の物語が並行にすすんでいくような感じ・・・。シャフルされたとも思える繋がりにくいシーンがやわらかめの暗転でつながれていきます。

一つずつのシーンでは役者たちにも力があってなかなか面白い部分もあるのですが、シーンがややぶっきらぼうに並べられているようにもみえて・・・。すこし乱雑にくり重ねられたカードを一枚ずつ見せられているような感じ・・・。

それでもエピソードがいくつかの塊になり始めると舞台には惹きつけられては来るのですが・・・。そこまでが以外に長い道のりで・・・。アフタートークで佐野氏がこちら側(私が座っている側の座席)で最高6人が寝ていたとおっしゃっていましたが、私も一瞬うつらうつらしてしまったかもしれません。記憶は全く飛んでいないつもりなのですが・・・。すっと別の世界に入りかけた時間があったかも・・・。

別に、時系列をきっちり守れとは言わないしランダムにシーンが並べられても構わない。一つの空間で二つの物語が進行していても驚かないのですが、個々のシーンの定義がわかりにくいのがちょいと辛い・・・。小劇場などでも最近は電光掲示板や映像すら使ったりするわけで、せめて一番外側の骨格だけでも観客側にしっかりと提示されていると、こちらも別の世界を垣間見なくてすんだかもしれません。特に背景がない今回のような対面式の舞台では、もう少し工夫があってもよかったかも・・・。

中盤、並行して描かれているように見えた二人の女性が、喪服をはだけ鞭に打たれるシーンひとりの女性として重なります。淫美の「美」が「淫」に侵食されていくようなそのシーン自体も圧巻、見ごたえがありました。ただ、その場面が持つ力がやや唐突に感じられるのが惜しい。というかこのシーンにいたるまでの積み重ねがもっと豊潤なものならば・・・。観客が思わず息をのむこの場面は、単なるお客様感謝のサービスシーンなどではなく観客が物語の本質を読み解くための鍵になるようなシーンであるわけで、その鍵を差し込むドアというか、そこに至るまでの舞台の密度がもっとあってもよいと思うのです。

後半、謎解きの部分になると、それまでの場面たちが撚り糸のようになって、物語が開けてきます。そうなると演じられている場所だけを温めていた役者たちの力が舞台全体にいきわたるようになる・・・。一旦謎解きにたどりついたあとの長い暗転とどんでんがえしは観客の心をぐぐっと舞台に引き入れていたように思います。でも、そこまでの一つずつのシーンが持つ質感という芝居を通しての密度が安定していないから、終幕の中で感じる「陰獣」の気配にはなにか飼いならされてしまっているようなものを感じてしまって・・。作品の内容からからすると、人の心のうちに潜むその獣はもっと猛々しく場内全体を凌駕するような力があってもよいような気がするのです。

役者のこと、丸山厚人の演技には胸板の厚さのようなものがあって、舞台の屋台骨をしっかりと支え切っていました。線の太い演技にも繊細な心の動きが観客に伝わってくるのです。細かくしなやかな演技の筋力のようなものを感じました。池下重大も好演、良い意味でフレキシビリティのある役者さんで、一見強さが先に立つような演技なのですが、そこにちゃんと華がある・・・。説明的になるような部分でも観客に押し付けるのではなく観客をちゃんと引き込んで物語を浸潤させるような力がありました。鴇巣直樹は舞台がほとんど初めてに近いとのことでしたがその存在感は抜群、舞台にしっかりと色をつけていました。

métroのふたりも、力があります。出口結美子は女性の表面上の美しさと内面の修羅をぶれなく演じて見せました。鋼のようというか演技の足腰がしっかりしているというか、感情を細線で緻密に表現する力に凛とした筋が通っていて観客を捉えるのです。その先には観客側にすっと浮かんでくるような実存感があって・・・。思わず見入ってしまう。一方の月船さららの演技には包み込むような柔らかさと内側の熱のようなものを感じます。今回、かなり多くの役を演じて見せましたが、その一つずつにしっかりと世界をつくる器用さがあって・・・。その一方で演技に華があって・・・。この二人ならさまざまな作品に取り組めるはず・・・。ニールサイモンあたりを演じても面白いだろうなとか、後藤ひろひとあたりの喜劇でも彼女たちは秀逸にこなしていけそうな・・・。

天願演出については、やはり映像的なアプローチが多いのだろうなと思います。トークショーなどのお話をうかがっていても、江戸川乱歩への造詣の深さが際立っていて舞台上のアイデアにもその裏打ちが感じられる。それを映像として表現するときには、非常にディープな雰囲気がスクリーン全体からあふれだすのだと思います。でも、舞台においては、役者の作る空気が観客を揺らさなければ伝わらないものがある・・・、その物語の息遣いのようなものが舞台から十分に感じ取れない。空気をもったままのシーンの移動など試みはわかるのですが、どうしても観客側でイメージが十分に膨らみ切れないのです。切れのよいシーンや妖艶な時間に思わず身を乗り出すことも何度かあり、描くものの深さも感じるのですが、それは肌に伝わるのではなく頭で作り出すこと。役者と同じ空間だからこそ感じるなにかとかどこか異質な気がするのです。

とはいうものの、きらっと光る宝石がいくつも埋もれているようなmétro、これからの展開が楽しみになる舞台ではありました。

R-Club

PS:アフタートークの佐野史郎氏、たっぷりのお話で、非常に興味深かったです。それと出演の役者たちへの絶妙な突っ込み・・・。役者たちや演出の素の部分をうまく引き出して・・・。これだけでも十分な聴きごたえがありました。

あ、それからパンプレットもよく作り込まれていて・・・。購入してしまいました。おまけのカレンダーがもうけもの。写真がおしゃれでよしんばお二人のファンでなくても十分に使用に耐えます。その上になにかたっぷりの色香が・・・。部屋に置いておくとちょっと目を惹きます。

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ワークインプログレス 「ソヴァージュばあさん」 が導いてくれるもの

(この記事にはネタばれがあります。充分にご留意ください。)

1月21日夜、渋谷Le Decoにて ワークインプログレスとして、4×1h Project Play#2のうち「ソヴァージュばあさん」を拝見させていただきました。ワークインプログレスというのは、私にとって初めての経験。

そもそも、お芝居の制作現場というものを私はほとんど知らないわけで、何度も来たことのあるLe Decoなのに最初はなじみの薄い空間に足を踏み入れたようでなにかどきどき・・・。場内に満ちるやわらかいテンションを感じながら、席について・・・。演出や美術の方とお話をさせていただいたり、役者の方たちの動きや発声を見せていただきながら、やっとその場の空気に慣れてきたころ、役者の方たちがスタンバイ。

緊張感がすっと満ちるように高まり「ソヴァージュばあさん」が始まります。

舞台装置などはほとんどなし。途中から投射される画像以外は打ちっぱなしの床と壁。しかし、役者たちの秀逸な表現力は台詞と動きでたちまちそこに情景を作っていきます。それは魔法に近い・・・、冒頭の何行かの台詞を追っているだけで空気の匂いや温度までがフランスの田舎町へと塗り変わったように感られ、そこに登場人物たちが入り込む・・・。シンプルで豊かな表現から家が現れ登場人物たちが浮かび上がって。占領した家に暮らし始める3人の兵士と同じくらいの息子を戦場に送り出した1人の寡婦。

最初はぎくしゃくしていた兵士と寡婦。緊張が少しゆるみ、さらに時間の経過にしたがって登場人物間の空気が絶妙に変化していきます。動作、言葉、音・音・音・・・。ふんわりと積み重ねられていくエピソード。食べ物のこと、暮らしのこと、言葉のこと・・・。よしんば北仏でロケをした映画でもこの空気や温度は伝わってはこない・・・。観ていて物語に閉じ込められて、しかも、そのことにすら気が付かないほど惹きこまれる・・・、この人たち、凄い・・。

物語には伏線がシンプルに張られていて・・・、時が至り正確に機能します。トリガーが引かれて、淡々とした雰囲気に現れる物語の成り行きに息を呑む・・・。さらにソバージュばあさんの内なる想いが言葉としてやってきたとき、その感情の質感と、さらに奥に垣間見えた不可避で普遍的な部分に、観ている方までが行き場を失うような感覚に包まれて・・。

そりゃ、ほんの少しだけスムーズに追えない所や台詞の重なりはありましたが、それは演者も気付かれていたみたいだし、きっと本番までに修正されること。これに、舞台美術や照明などがはいり、なおかつ客席に闇が与えられると考えると・・・、これは本当に楽しみ。

このレベルの舞台になると、ただ物語を追うことだけが観客の楽しみではないのですよ。その物語に身をゆだね浸潤されることこそが演劇の場にいる客としての醍醐味。セコな芝居には観客がゆだねる部分がないけれど、この舞台には観るごとに膨らむような豊潤な世界がしっかりと広がっていて・・・。

原作:ギ・ド・モーパッサン 作:谷賢一 演出:黒澤世莉

出演 :上野友之 ・ 菊池美里 ・ 坂口辰平 ・ 坂巻誉洋

終演後、役者の方やプロデューサー・演出・美術・衣装などのスタッフ方とお話をさせていただいたのですが、これも観客にとってはとてもありがたく、また目から何枚か鱗が落ちたり・・・。本当に力のある方ってたおやかでしなやかなのですね。また、役者の上野友之氏が、実は先日拝見した「プリンに乾杯」の作・演出をされた方と知って思わず頭が下がったり(すごく印象に残っていたので・・・)

観る側にとって、このワークインプログレスは、作り手から作品を受け取るための、十分すぎるほどのコンテンツ・・・。

まあ、観客がそこまでのものをいただきながら、作り手側の方に少しでもメリットを差し上げられたかといわれるとその心当たりがまったくなかったりはするのですが・・・。おまけに、帰りにビール代を支払うのを忘れて帰ってしまったことに家に着いてから気がつく体たらくで・・・。申し訳ありません。本番を観にいったときに必ずお支払いしますので・・・。

べたな言い方だけれど、凄く良い体験をさせていただいたと思います。少なくとも一人の観客が本番でこの作品を従前よりずっと深く観ることができるようになったかと・・・。

ほんと、公演のある週末が半端でなく楽しみになりました。

R-Club

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カムヰヤッセン「レドモン」板倉チヒロを生かすさまざまな要素

またもや、ちょっと遅くなりましたが・・・。1月18日ソワレにてカムヰヤッセン「レドモン」を観ました。劇団初見、正直にいうと劇団に対する予備知識もあまりなく、ただフライヤーがちょっと気になっていたのと、Co-richの紹介記事になんとなく引かれて、王子だったら近いからまあ良いかということで見に行ったのが本当のところ・・・。

良いお芝居との出会いってそんなものかも・・・。

作・演出は北川大輔、まるで不意打ちを食らったような心持で、不思議なくらい心に残るお芝居を見せていただきました。

(ここからネタバレがあります。十分ご留意くださいませ)

王子小劇場内はちょっと変わった座席のレイアウト。入口を入るとL字4段くらいに座席が作られていて・・・。舞台に当たる部分の中央には斜めに白線が敷かれていています。舞台奥には棚のようなものがしつらえられていて・・・。。開演前、出演者が時々出てきては、ちょっとしたゲームを始めます。それに気を取られているうちに会場は満席。ふっと上を見たら2階席にも若干客が入っていて。

物語は人形劇から始まります。そこで物語の前提が面白おかしく説明される・・・。レドモンについての教育をするための教材という設定で・・・、。

宇宙からやってきたレドモンは地球人とそっくりで、しばらくは仲良く暮らしていたのですが、地球人との交配で異常が起こることから本国に帰すことになった・・・。法律ができてレドモンはやんどころない事情がない限り自分の星に帰らなければならない。地球人はかくまってもいけない。

でも、レドモンがすごく厳しく取り締まられるわけではなく、なんとなくルーズに存在している・・・。ちょっと不法就労の外国人を思い出させるような・・・。

その人形劇をしている男は厚生労働省の役人でレドモンの排斥に関する政府広報のようなことを生業にしているのですが、でも家にはレドオンの妻がいてレドモンの子供までがいる・・・。レドモンは大人になると赤い尻尾が生えてくるのだけれど、その息子は少し早く尻尾を生えはじめていて・・・。学校でちょっとませた女の子にいじめられている。

差別するものとされる者の差、その原因となる要素は本人の意思とかかわらず厳然と存在していて、その因を持った人間は十字架を背負わされているようなもので・・・。でも、そのことがすぐ0/100で何かを分けるわけではない・・・。水から浮かび上がるとはじけるから浮かび上がることをしない泡もたくさんあって。でもそれらの泡もジワリジワリと真綿を締めるように排除されていく

一つずつのシーンが比較的シンプルでくっきりと仕切られていて、それが積み重ねられていくうちに物語の輪郭がはっきりしていきます。とはいうものの、積み重なっていくシーンのそれぞれが実に細かい創意にあふれているのです。役人が中学校(?)にレドモンの説明授業にいくシーンがあるのですが、もうとにかく生き生きとしていて・・・。かと思えば家族のシーンにはこの上ないリアリティを感じる・・・。息子がレドモンだとのいじめていた子が宇宙に帰されてしまうことを知ったクラスメイトの抱擁。官僚の仕事に対する姿勢・・・。軽いタッチのシーンだから伝わることと、観客を浸潤するに足りる十分に作りこまれたシーンが伝えること・・・。それらがバランスよく組み合わされ積み重ねられていくうちに、舞台上の仮想の時間にリアリティが生まれて観客を引き込んでいく。その先に今という時間の質感がすっと浮かび上がってくるのです。

板倉チヒロが大好演。キャラクターが持つ芯の揺らぎというか、いい加減さがすごくよい。何度か観たクロムモロブデンなどでの彼に比べてものびのびと本領を発揮している感じ。にもかかわらず彼が最後に出す結論に唐突さがないのは、シーンごとに積み重ねられていく家族への愛情や仕事へのこだわりにしっかりとした重さがあるから。キャラクターのラフな部分を支えるベースが実に真摯に演じられているのです。

役所の同僚たちを演じた小島明之の繊細さや北川大輔のどこか割り切った態度にもそれぞれに不思議な実存感がありました。小島が演じる達観にはすっと心に何かを置かれるような強い印象があって・・・。遠藤友香理の後半のお芝居も舞台に一つのトーンを与えていたように思います。表面的なイメージをかっちり作る一方で内側にちゃんと想いを透かしてみせるような部分に惹かれました。

甘粕亜紗子が作る日常にはレドモンを超越したぬくもりがあって・・・。垣間見える微妙に非日常な部分の表現がしっかりとドラマに織り込まれていく。それは金沢啓太が表現する少年も同じ。ある意味この舞台一番の勘どころを二人はそれぞれの表現でしなやかに背負って見せました。

野上真友美の演技にも強い印象がありました。ちょっとヒールっぽい部分もある役柄なのですが、芯にある無垢さというか暖色系の感覚が演技にナチュラルに編み込まれていて・・・。そこから後半のどうしようもないほどに切ないシーンを導いて見せました。

松下仁の醸し出す包容力、中野和哉原田賢治が持つちょっとハードボイルドな部分に芝居のエッジを生みだして。

竹下礼奈の孤独には肌理の細かさがありました。前述のどうしようもないほどに切ないシーンで野上の無邪気さを受け取る時ににじみ出てくるぬくもりを持った深い静かさ。そしてこの芝居のラストシーンの小さなうなずき。その仕草から彼女が抱えるものが観客にやわらかく降りてくるのです。

戯画的な部分もある物語なのですが、終わってしばらくはいろんなことが心に残って、重さは感じないのですが、揮発していかない透明感が何か残る。何かが私自身が浸っている今と共鳴しているようで・・・。余韻を引きずったまま家路をたどった事でした。

個々の表現要素がさりげなく深く秀逸だったというのもあるのでしょうけれど、それだけではない何かがこのお芝居には潜んでいるようで・・・。次回がものすごく楽しみな劇団に、また出会ってしまいました。

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野田地図「パイパー」松に宮沢にアンサンブル

1月24日、ソワレにてNODAMAP「パイパー」を観ました。場所はシアターコクーン・・・。作・演出は野田秀樹

入場するとロビーは人で溢れていて・・・。まさに盛況。いくらするのだろうかと、どきどきしながらパンフレットを買いにいくと1000円とこの手の公演にしてはリーズナブルでにっこり。

野田地図の公演が持つ一種のテンションがやわらかく場内に満ちるのを待っていたかのように、客電が落ちて・・・・。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

どこか荒んだ雰囲気のストアと呼ばれる場所に唐突に主人公の姉妹が現れて始まる物語。その場所と家族の構成と状況が観客に伝えられていきます。父親と二人の姉妹、そこにやってくる別の母子・・・。父親はその母子をそこに住まわせようという・・・。

温度差はありながらも愛人に反発する姉妹・・・、なんとなく曖昧に彼らを居続けさせようとする父親。そんな中、父親は連れてきた子供に歴史を見せようとします。父が集めたというたくさんのおはじき。それは人の鎖骨に埋め込まれて、その人が見たことを記録するおはじき。その人が死んでもおはじきは記録として残る・・・。鎖骨にそのおはじきを当てると死んだ人が観たものが他の人間にも見えるというのです。しかも鎖骨におはじきを当てた人と手をつなげば、骨伝導でその場の人間すべてが同時にみることができる・・・。

実際に子供が当ててみると、遺伝子を想起させるような白黒の映像の果てに、火星の歴史の一こまが舞台に広がります。最初の移民たちが最初に火星に着いた時の姿が舞台に現れる。喜びを持って火星上に降り立つ人たち。姉妹の先祖と思われる給食係のふたり・・・。パイパーと呼ばれるロボットに近い何か、住民たちの幸福度を示すデジタルの数値・・・。777の幸福値がやがて四つの無限が立ちあがる8888に至ることを目指すと施政者は言います。しかし、火星最初の子供が生まれた日に殺人が起こり施政者は殺されてしまうのです。

そこから、舞台上で火星の現実と歴史が行きかいます。荒んだ世界と外で暴れるパイパーたち。その過去には人々の幸福値が上がりつづける日々。しかし、歴史の中に浮かび上がってくる人々の生活や対立、戦争、破壊の裏側が次々と明らかになっていくその中で、ストアのものを他人と分かち合おうとする妹とストアのものを守りながら恋人を待つ姉。

火星の黎明期のおはじきを見るように子供をしつけても、火星史の中世を見たおはじきが発見されると今度はそれを隠そうとする父親・・・。そこに争いの歴史やパイパーが歴史をリワインドしようとするきっかけが納められていて、少しずつ火星が荒廃する経緯が明らかになっていく。

さらに男がたどり着き、外の状況が緊迫の度を深め・・・

妹は相手がわからないままに妊娠し、さらには家を出て行こうとする。その時、姉が妹に見せたおはじき・・・。それは姉がずっと持っていた、彼女たちの母親に埋め込まれていたもの。そこには姉が4歳の時に起こった火星崩壊の最後のアスペクトが記憶されていて・・

とにかく宮沢りえ 松たか子の二人がよいのですよ。松たか子が演じる女性のどこか一途な部分と宮沢りえの演じる女性の突っ張ったような部分が見事に共鳴しあって・・・。松たか子の演技力は以前から重々承知していましたが、宮沢りえもロープの時と比べて圧倒的に良くなっていて・・・。キャラクターが太くはっきり表現され、感情の色がパステルではなく、濃い輪郭と深い中間色として観客にやってくる・・・。しかもその二人の演技がぶつかり合うのではなく相乗効果を持って舞台上に広がるのです。松たか子の突き抜けるような感情の持ち方には、いまどきの秀逸な女優たちとも一味違った相手役に対する親和性のようなものが同居していて、宮沢の演技をさらに際立たせていく。一方宮沢もしなやかに演技のパワーをコントロールして松の力を受け止めていく。後半、おはじきのコンテンツとして松が母親を、宮沢が娘を演じるシーンがあるのですが、このときの宮沢が醸し出す幼子の切なさと松の演じる女性の強さの表現には思わず息を呑みました。二人の演技のテイスト、すごく食い合わせがいい。

父親役の橋爪功も二人の演技をしっかりと受け取って、そのなかで自らの役柄をしたたかに作っていきます。野田秀樹が自演してもよいキャラクターかもと思うのですが、野田は自らの色がもつある種の軽さを嫌ったのかもしれません。橋爪の演技には軽さを汚して透明感を消すような手練があって・・・。

父親にかくまわれる母子役の二人の安定感も舞台をしっかりと締めていました。子供役の大倉孝二が表現する無垢な知性が、物語の広がりが持ち込みかねないカオスを吸い取るように抑えていく・・・。一方の母親役、佐藤江梨子からは巧妙な平板さと、その内側にある強さのようなものが伝わってきて・・・。ケラ作品の彼女とはまた違う演技に、彼女が持つ演技のやわらかさと底堅さを感じた事でした。

火星の歴史に登場する、北村有起哉の芝居も深みのある辛さが魅力的。その中にキャラクターが持つ融通のなさがくっきりと浮かび上がってくる。田中哲司の柔らかさを持った芝居や小松和重から伝わる心情の振れも、一見何気ない演技から的確に物語の道筋を客席に伝えていきます。・・・。比較的大きな劇場でありながら近くで観ていても(XB列=前から2列目)演技に力みや誇張がまったくなく、しかも場内全体につたわるであろうその芝居の手練には驚くばかり・・・。

コンドルズ近藤良平・藤田善宏・山本光二郎・鎌倉道彦・橋爪利博、オクダサトシが演じ続けるパイパーにも力がありました。物語にリズムを作る動きがあり、同時に力技でもある・・・。で、パイパーの想い(?)までもが伝わってくるような・・・。贅沢な配役だと思います

そして、アンサンブルの役者たち・・・。その力には目を見張りました。50名程なのですが、集団でなにかを作り上げていくというよりは一人ずつの演技が束ねられた先にひとつの世界が沸き立つ感じ・・・。前方で観ていたから特にそう感じるのかもしれませんが、火星到着のシーンでも、生活や闘争のシーンでも、一人ずつの役者としての演技がキャラクターとしてしっかりと舞台に存在している・・・。セリフなどはほとんどないのですが、そのしぐさや表情が生きているから、彼らの醸し出す空気や複雑に乱れる世界の色が実にリアルな肌触りで観客に届く。野田演出は彼らの演技を一つの色として舞台に塗り込めるのではなくそれぞれの色をしっかりと出させて点描のように世界を作っていくのです

なにせ、アンサンブルとはいっても自分の劇団に戻れば主役を張って二時間観客を引きずりまわせるような役者ばかり・・・。たとえば七味まゆ味の表情や切れのある仕草から演じられるニュアンスはもはや舞台上の風景という範疇ではない。ひとりずつが舞台を支配して彼らの物語を表現する姿には思わず息を呑むばかり・・・。そして、振付の近藤良平の群集処理の見事なこと・・・。個々のキャラクターの居場所を作り、その上で全体を包括する世界観を作り上げていく・・・。

私自身のメモも兼ねて、多分演劇史上、最強の部類に属するであろうアンサンブルの役者たちの名前を・・・。

浅野涼・飯塚のり子・池田美千瑠・石原晶子・泉田奈津美・井出みな子・伊藤衆人・いとうめぐみ・大石貴也・大谷由梨佳・川本亜貴代・清原愛・清原舞子・坂井梨歩・塩崎こうせい・重本由人・七味まゆ味・下司尚美・鈴木美穂・高田淳・高橋紗也佳・高橋真弓・竹島由華・竹田靖・竹村彩子・田尻亜希・立島明奈・谷口綾・田山仁・土田祐太・徳永真弓・長尾純子・永野雅仁・中平良夫・新見聡一・野上絹代・野村昇史・長谷川寧・深谷由梨香・古河耕史・星利枝・前野未来・毎ようこ・松島千秋・村上結花・森由香・山田英美・渡邉淳

彼らからは野田秀樹の演技すらかすむほどの厚みが舞台に生まれて、観客を圧倒。もう息をつくのも忘れて彼らの作り出す空間を見つめたことでした。

それにつけても、今回の野田秀樹の作品、なにか鎖が外れたような自由闊達さがあります。

数字万能の世界を嘲笑し、施政者と市民の感覚の違いをさらっと表現し、中盤あたりからは今の世界の様々な事象を引き込んで物語を広げていく。いくつもの台詞から、地球環境にかかわるようなニュアンスや人々のエゴに対しての風刺が感じられたり・・・・。終盤の火星人たちの服装からは、人さらいを平気でするような某国の国旗をイメージできたり・・・。

歴史を覚え込ませたあと、都合の悪いおはじきを捨てて、自分たちに都合の悪い歴史を廃棄して美しい歴史だけを子供に語らせようとする父親の姿には、現代の国家史観が重なって見えてくるような。

さらにパイパーの存在が、現代の文明が抱える発展の矛盾をぞくっとするほど見事に投影しているようで・・・・。

で、ですね・・・。うまくいえないのですが、ちょっとなつかしい感じがするのです。昨今の野田秀樹の作品は、現実(原作)やその中の人間の本質が終点にあって、物語がそれにマージというか一体化していくようなものが多かったのですが(The Beeやロープ、The Diverなども含めて)、久しぶりに夢の遊眠社のころのように自らの内側に想像された物語が現実を呑み込んでやがて観客が俯瞰できる世界まで観客を導くような新作を見たような気がします。それは、最近の作品が悪いということではまったくなく、こういう野田秀樹作品も失われていないことがわかってうれしかったというニュアンスで・・・。

箱の中のおはじきをゆすぶる音を聞くと海の音がする・・・というシーンがあって。姉妹の母親はその海を見るために放浪したという・・・。まあ、バブル期前後とちがってこういう時代の作品ですから、その旅の果てから娘たちが見晴らせるのは花一輪ほどの光なのですが・・・・。900年の火星の歴史の先に咲いた花や帰ってきた恋人には、かすかにでも、指数が0になった火星の復光を感じることができるのです。

今回は非常に席にも恵まれまして、手にとるように役者を観ることが出来る席でした。それはそれで大満足だったのですが、でも、贅沢にも立ち見でも良いから舞台全体が見える場所でもう一度見たいような気もして・・・。戯曲の掲載されている新潮を買って、余韻を一杯に感じながら劇場を後にしたことでした。

9500円を本当に安いと感じる舞台、ありそうでそうそうあるものではありません。「パイパー」、よしんば当日券の立ち見でも是非にお勧めの一作です。

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赤堤ビンケ「四日目」丁寧さに魅せられて・・・

1月11日ソワレで赤堤ビンケ「四日目」を観てまいりました。場所は下北沢オフオフシアター・・・。ビルの階段を上ってみると人がいっぱい。貼りチラシを見ると関西の若手実力派として人気の高いジャルジャルが1日限りの東京ライブをお隣の駅前劇場で行うとのこと・・・・。で、女性客が列をなしていて・・・。それもすごくマナーのよい観客の方々できっちりと階段に2列を作り、粛々と開場を待っている・・・。噺家さんでもそうですけれど、こういうファンがついている芸人さんって枕ことばだけではない実力派が多い。ファンとのよい関係を作るだけの力があって、また、その力を見抜くセンスを持った良いファンが集まるのでしょうね・・・。気がつけば、赤堤ビンケのスタッフもプロの技で観客整理に協力していて・・・。ちょっと早めに着いてしまったのですが、すごく気持ちよく開場を待つことができました。

(ここからネタバレがあります。十分ご留意の上お読みくださいませ)

場内は満席、場内の音楽がすっと変わると本当にゆっくりと客電が落とされていきます。物語の世界に観客をじわっと導いていく感じ・・・。

冒頭提示されるシーンが意味深で、男をひきとめて引き倒し刃物を振りおろそうとする男、それをおろおろと止める男・・・、さらにはその横で倒れたままぞくっとするような微笑みを浮かべて人をそそのかす女性、後ろにはかぶり物の男性が二人・・・。

客電の落とし方が効いているから、観客はその世界を十分に印象にとどめて置ける・・・。刃物を振り上げた瞬間に暗転、そのあとちょっとかっちょいいタイトルロールがあって一日目の物語が始まります。

とにかく物語の語り口が丁寧な舞台で、その一方で無駄なく物語の骨格の部分が描かれていきます。土台をゆっくりと固めていくなかで観客には物語のキーになる概念がしっかりと刷り込まれていく。異夫兄弟どおしや兄とケースワーカーの会話から必要な情報が自然体で観客に提示されるなか、目に見えるような伏線と物語を背後から支えるような伏線がそれぞれしたたかに張られていきます。母の失踪、兄弟たちの困窮・・・、冒頭に観た光景とのつながりは異父兄弟の姿だけ・・・。でもそのトリガーがあるから、観客は多少冗長にも思えるふたりの会話に集中をしていくことができる・・・。この時点ですでに作・演出の鈴木優之の術中にはまってしまっていて・・・。

二日目になると弟の友人がからんで物語が膨らんでいきます。また、一日目では兄の視点で表現されていたような弟にも別の視点からのキャラクターの広がりが織り込まれていく。友人たちと兄がうまく一つの空間に織り込まれて共通の根のようなものが自然に生まれていきます。土台の固まった物語からしっかりとした芽が噴き出して成長を始めるのです。兄弟たちのどろどろとした家族構成と、友人の高校生たちのどこか歯止めを失ったような感覚がお互いのキャラクターの色をあざやかに見せあっていく。兄にはお金持ちのおじがいることがわかったり、完全犯罪の言葉が物語に差し込まれたり、物語にベースの部分が加えられふくらんでいきます。母親との回想シーンがあって、母と兄のきずなもふっと浮かんでくる。でも冒頭のシーンとの結びつきはまだ謎のまま。淡々とした舞台の語り口にも関わらず観客はどこか前がかりな気持ちでさらに舞台に引き込まれていきます。

三日目になると同じトーンのなかで物語が大きく動き始めて・・。おじの愛人の登場で物語が一気にクライムの色を帯びていく。薄っぺらいはずの完全犯罪の言葉に生々しいリアリティを持った動機が息を吹きかけられて、思惑の異なる4人が兄のおじを殺すことで同じ方向を向いていきます。ありえないような非日常が、舞台のトーンを変えることなく語られていくなかで、観客はやってくるクライムの必然を見せられて・・・。

そして四日目、息をのむような展開に観客が翻弄される中、冒頭のシーンにたどりつくのです。

役者の演技には実存感があって、舞台にきちんとした呼吸を生みだしていきます。野本光一郎の演じる兄には持つ絶妙の責任感と神経質さがあり、彼が揺らぐときのインパクトがそのまま舞台を動かす力になっていて・・・。弟役の駒木根隆介が表現する才能を底辺に秘めた不器用さが物語の核を見事に作れば、ケースワーカーを演じる大竹篤は淡々とした感じで物語の枠を固めていく。その中で弟の友人役を演じる土屋壮奥野瑛太が兄弟とは全く異なる軽さでドライに狂気を物語に持ち込んで・・・。おじを演じた秋山敏也がも実に好演、甥に借金を強いようとするときの段取りに抜群の切れがあって、愛人や兄の殺意にもしなやかなリアリティを持たせていく。

母親役の大内涼子は出番こそ少なめでしたが、母親のリアルな姿を実に巧みに演じて見せました。自堕落な部分に子供への愛情をちゃんと透かして見せて、観客に対して兄が母に対して持つのと同じ感覚をしっかりと与えてくれます。回想シーンで勤めに出るために上着を羽織るときの雰囲気に何か生活のリズムがあって、兄弟が母親と過ごした時間がすっと浮かんでくるようで・・・。終盤のワンシーンにも目を見張るような切れがありました。

そして、牛水里美です。今回の芝居にはいつも以上に観客を支配する力があって・・・。三日目のシーン、登場の瞬間に空気を作り、低い声と抑えた演技で空間を支配すると、兄を蠱惑する場面ではその妖しさに甘美な毒をしたたかに含ませて観客の息まで留めさせてしまう。四日目のシーン、無言で表現する殺意には動けなくなるような深淵を感じ、その感情が解き放たれる一瞬には閃光さえ見える気がする・・・。そして冒頭のシーンのリプライズで見せる微笑みの裏側に含まれた色合いの複雑さには、常人では演じえない何かを感じます。しかも、これらの凄まじい演技力が、瞠目するほどに芝居を生かすのです。彼女が自らの演技に場内を釘づけにしても、物語から観客の目がそらさせることはない。彼女の演技が舞台を支配すればするほど、彼女が主役でないはずの物語のコアが鮮やかに浮き立っていく・・・。今更ながらですが、牛水里美さん、ただものではありません。

物語は、2日後のシーンで収束するところに収束して、あとに兄弟の母親の本当の姿がやわらかに浮かび上がって・・・。兄と弟、それぞれが何かから解放されて・・・。弟が鼻をたらすシーンがここで見事に生かされて、なにか救われたような気分がやってくる・・・。そして3年後のシーンが挿入されて暗転、終幕します。

客電がともった時に、なんというか、家族の縁のことをぼんやりと考えていました。それと大内涼子さんが演じた母親のことがなにか心に刻まれていて・・・。

心に不思議な重さが残った舞台・・・、言葉にならない力に惹きつけられて・・・。こういう実直な面白さをもった舞台ってあとをひくのです。

表現のしようのない、でもいやじゃない満たされかたに心を奪われながら、同じ下北沢で別の芝居を見ていた友人との待ち合わせ場所に足を運んだ事でした。

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閑話休題2 お芝居の優劣のことなど・・・

ずっとお芝居の感想jばかりが続いたので、ちょっとそれ以外のことも・・・。

・冬の景色・・・

なにか年があけて急に寒さが増してきたような・・・。地球温暖化ということもあって、今年は暖かいかなと思ったのですが、そういうわけでもなかったようで・・・。もっとも首都圏に住んでいて、寒いとかぶつぶついった時点ですでに傲慢なのかもしれませんが・・・。(大雪の日本海側の皆様の苦労を思うと・・・)。


今朝、季節を寿ぐという気持ちがあれば寒さもまた楽しいと、某ラジオでDJの方が話していて・・・。
添付の写真はちょっとラブリーな夢見る雪だるま・・・。冬の寒さの中でなにかを見つめて楽しそう・・・。
なにか彼の表情に、遠い春を見つめる視線が宿っていて・・・。(まあ、春がきた時点で彼は溶けてしまうのですけれどね、)心惹かれます。なんかよい・・・目がハート

この写真の撮影場所はというと・・・、
中央区銀座ソニービル前・・・。北海道の雪を運んできての展示でありました。これを撮影したのは1月8日・・・。彼、もう溶けてしまっているかも知れませんけれど・・・。まあ、街のど真ん中での冬の素敵なほほえみとの出会い、一期一会ということで。

印象に残る彼の表情をまずは一枚パシャリいたしました。ウインク

Co-rich舞台芸術アワードの投票

2日の晩に事始めの代わりに実施。

正直言ってなめてました。これめちゃくちゃ難しかったです。10作品を選んで順番付けて・・・・、こんなの簡単じゃん!などと思っていたのですが・・・・、とんでもない。

当たり前なのですが、お芝居ってそもそもすべてが同じ土俵に乗っているわけではない・・・。だから、実際にやってみると良さの比較って本当にむずかしいのです。スペイン料理と韓国料理を並べられてどちらがおいしいかといわれてもすごく困る・・・。

でも、これも修行だとおもってトライさせていただきました。まず評価の軸が明らかにちがうようなものは別にさせていただいて・・・。観た本数的にはストレートプレイの範疇が一番多いので、ダンス系とミュージカル系の舞台は凄く申し訳なかったのですが評価から外させていただいて・・・。ミュージカル系の「Janis」とか「鱈の(は)」とか・・・、舞踏系では「アリス」とか「チビルダミチルダ」とか「スモールアイランド」、仏団観音開きなど、すごく印象に残っているものもたくさんあったのですけれど・・・。

それと私がCo-Richに評価を入れなかった作品もあって、選択できなかったものも・・・。あひるなんちゃらとかMCRとか「15minutes・・・」とか、インナーチャイルドとか鹿殺しとか、サンプルとか、「グットナイトスリープタイト」とか・・・他にも残念に思った作品がいくつかありました。

そうそう、過去に観たことのある作品の再演は外しました。双数姉妹とか・・・。公演自体は初演より良かったと思うのですが・・・。

あと、ランキングという形で評価してよいのだろうかと躊躇してしまった作品、それは決してネガティブな意味でなく、言い換えれば別の切り口で作品を評価したいと思った公演や劇団もたくさんあって・・・。コマツ企画とか、ろりえとか、劇団コブロチカとか、MUとか、こゆび侍とか、カブ・牛乳やとか、・・・。彼らの作品は私が今回ランクインさせた作品たちとの差がなかったどころか、上回っていた部分もたくさんあったのですが、そこは、今回、私が決めた切り口で評価してはいけないような気がして・・・。

で、よれよれになりつつ心を鬼にして10作品を選んだら、これに今度は順番をつけろという・・・。しかも、1位と10位ではポイントの差がうん十倍で・・・。もう、これはもう深く考えても無理・・・。

1~4位までは私の内側のある種の感覚に強く触れた順位で選びました。他の作品については、今後もさらに大きく伸びてほしい(あるいは行き詰らないでほしい)という願いの順で・・・・。だから完成度が高い劇団やよくできていたお芝居が後ろに来ていたりする・・・。

私にとって、昨今の多くのお芝居は、もうどちらが上位とかいう感覚はあまりないです。もちろん色の好き嫌いみたいなものはあるのですが、でも嫌いな色だから観たくないとか感動しないというわけでは決してない。好きな色というだけでいえばPiperなど一番に入るのですが、でもこのランキングには、なにかがなじまない感じがしてランキングからは外させていただいたり・・・。逆に観ていてつらい芝居でも心に残る芝居はたくさんあったし実際に選択した芝居もあったし・・・。

でも、この投票、チャレンジさせていただいてよかったと思います。なんとなくではありますが、昨年一年間、惰性でむさぼり喰って心の中で野放しにしていたお芝居達が、私の中で少しは整理され、その価値を再確認できた・・・。そして、一年間観たお芝居に投じられた作り手側の才能や苦労の膨大さを思うだけで気が遠くなりそうになって・・・。よいお芝居を観ることの贅沢さを再認識。作り手側の思いが詰まった芝居を見ることの幸せな気分がもう一度リフレッシュされたように思います。

ちょっと背筋を伸ばした気分で今年のお芝居を観始めることができるようになりました

・新年早々の目覚まし時計

昨年末JR東日本からメールをいただきまして・・・。溜っていたSuicaのポイントのうち古い分が08年末で消えてしまうとのこと。そこで、選んだのが山手線駅メロ2という目覚まし時計・・・。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、要は60分で一回りする山手線の駅がぐるっと文字盤に書き込まれているという趣向でありまして・・・。

しかも、景品ではあるものの、しっかりと電波時計だったりする・・。で、目ざまし音はご想像通り、あの山手線の発車音楽・・・。

いやあ、それほど深く考えないでもらっちゃったのですけれどね、この目覚ましの音、朝には絶大な効果があって・・・。寝ていてもとりあえずこの音楽を聴くと飛び起きてしまう・・。私はパブロフの犬かと思ったりもするのですが、まあ、その習性があるから電車での乗り過ごしもあまりなく毎日暮らしていけるわけで・・・。

でも、毎日この目覚ましで起きるのはちょっと悲しいので、ここ一番の時の秘密兵器にしようかと思っております。

三連休もあっという間に、半分が過ぎて・・・。さてそろそろ下北沢にでかけよっと・・・。

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謹賀新年、で「新年工場見学会09~少女のニセモノ~」

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

ちょっと観劇の順番は変わりますが、まずは新年ということでアトリエヘリコプターでの「新年工場見学会09」の感想などを・・・。こういうおせちみたいな番組って個人的に結構だいすきだったりします。

人身事故で山手線がストップしてしまいちょっとびっくり。開演が10分遅れに・・・。でもスタッフの対応が明確で状況の説明も丁寧にしていただいて新年からとても好感触。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意の上お読みくださいませ)

オムニバスのように4つの出し物、途中休憩をはさんでの2時間半。その間を3人の男優の逃げ場を失ったような会話でつないで・・・。

*むらさき☆こんぷれっくす

パンフレットに「役落として的にこういう芝居をしておくことで、考えすぎた芝居を作らないように自分を戒めるしだいです」と書かれていた前田司郎氏、その目的は十分すぎるほど達成されたかも・・・。

「少女漫画のニセモノをします」ということで、その意図がけっこう生真面目に貫かれている・・・・。骨格は素敵なご都合主義でちゃんと作られているのです。そこにいろんなスタイルの役者の演技が絡むのがいちいちおかしくて・・・。最初からニセモノトーンで器用に物語を演じていく役者、ナチュラルな演技で微妙なリアリティを醸し出す役者、ふっと素を見せる役者・・・。戸惑う役者・・・それらがごった煮になって少女漫画の嘘っぽさや猥雑さがずるずると続いていきます。

クレジットは以下のとおり

作・演出・出演: 前田司郎

出演: 大山雄二・木引優子・内田慈・菊川朝子・高井大介・黒田大輔・安部健太郎・椎橋彩那・立蔵葉子・坊薗初奈・佐藤沙恵・齊藤庸介・中川幸子・西田麻耶・兵藤公美

まあ、台詞があやしかったり、役者の緊張が切れたりというような部分もあったりしましたが、そのあたりがかえってお正月気分を作り出していて・・・。災い転じてというか、確信犯なのかといぶかったりもして・・・。おかしさはあっても不快な感じがまったくしなかったのは、よしんばぐだぐだな部分があってもそれぞれの役者の素の力がきちんとにじみ出ていたからと・・・。

そんななか、内田慈や坊薗初奈の演技の強さというか太さはやっぱりすごい。木引優子の自然な表現も目を引きました。菊川朝子の素の部分にも不思議な魅力があって・・・。高井大介の飄々としたところ、黒田大輔の押しの強さも目を引きました。大山雄二もひとつまちがえば豆腐のようになりかねない舞台をうまく支え切ったと思います。

なんというか、死語ではありますが「へたうま」の芝居をみせていただいたような・・・。どこかでいかんいかんと思いつつ、なにか妙に満足してしまいました。

*ザ・ノーバディーズ(ライブ)

ゆるげなサウンドなのですが、マイクなしで作り上げていくその手作り的な音には強くひきつけられました。パーカッションやピアニカがものすごくしたたかで効果的。それをベースとギターがしっかりと支えます。肥田知浩のボーカルにはのびやかさと心地よさがあって・・・。歌詞にもメロディーラインにもすっと心をひかれる。

しいて言えば「たま」のサウンドが一番近いですかねぇ・・・。ただ、他とは比較できないような個性がこのグループにはあって・・・。一発でファンになってしまいました。

鍵盤  : 宮部純子

太鼓  : 浅井”わっしょい”浩介

ギター : 犬飼”ハウス”勝哉

ベース : 肥田知浩

合わせて演じられたダンスも切れがあって観ていて眼福、すっと音楽を抜けだすような動きにグルーブ感があって瞠目した事でした。(ごめんなさい。ダンサーの方のお名前がわかりません)

~休息10分~

ホットワインがふるまわれました。スパイシーでとても美味しゅうございました

*紅牛会

日本舞踊と獅子舞のコラボレーション。手作り風楽器が後方でサポートします。

日本舞踊の足さばき、観ていてほれぼれしてしまいました。華やかさのなかにすがすがしさがあって・・・。別に悩ましい脱力感をもったMC(?)たちに影響されたわけでなく日本人に生まれてよかったと思ってしまいました。

しかも、そこに登場する獅子舞の手作り獅子頭が・・・、一転してすごくうそっぽいのですがなんかよいのですよ・・・。お世辞でもなんでもなく、観ているほうがおもわずにこっとしてしまう。ウィットというか暖かさがある獅子頭でありました。獅子舞もここ一番の動きがしっかりと抑えられていてなおかつ遊び心もあって・・・。、お正月にも丑年にも通じたよい出し物だったと思います

演者 :内田慈・榎戸源胤・中川幸子・西田麻耶・兵藤公美

奏者 :安部健太郎・佐藤沙恵・佐藤貴子・坊薗初奈

*チャゲ&飛鳥のニセモノ

前半チャゲ&飛鳥の成り立ち部分があってそのスピード感にまず引き込まれます。でも見せ場は後半の新チャゲオーディションの場面・・・。チャゲという概念がすっと独り立ちしてそこに虚実すれすれのようないろんな個人的なカムアウトが絡んでいく・・・。さらにはオーディションを受けているもの通しの対立があったり・・・。

チャゲの数値化や価値観の独歩に懐の深さがあって一気にはまってしまいました。一人ずつの発言には丁寧な奥行きが作られていて、そのなかから、「チャゲ」という概念がしっかりと醸成されていく・・・。役者たちがキャラクターの心の動きを真摯に演じきっていて、気がつけば舞台にちゃんと質量が生まれていて、ここまでくるとお正月のお遊びというよりきわめて上質なコメディに接しているような。しかも物語の収束にも無理がなく、ウィットすら感じさせる。さりげなく岩井秀人の才を見せつけられたような・・・、ほんとうに恐るべしです。

作・演出 : 岩井秀人

出演   : 中島美紀・平原テツ・墨井鯨子・上田遥・師岡広明・坂口辰平

役者はほとんど初見ですが、上田遥には目をひかれました、ちょっと硬質な部分を持った芝居なのですが、舞台全体を強引に染め変えるような力が彼女にはあって・・・。強烈な個性を感じるのですが、オーディションの雰囲気にもすっと入り込めるような柔らかさもある。

坂口辰平の演技のタイミングのよさも舞台をうまく膨らませていました。墨井鯨子の醸し出す雰囲気もうまいなと思った。中島美紀の絶妙な力加減も絶妙で・・、平山テツや師岡広明も舞台上での絶妙なバランスをうまくコントロールしていたと思います。

*新年工房見学会

終演後、六尺堂を見学。木工工場を思わせるその場所からはなんと年間200程度の舞台美術が生まれているのだそうです。実際に作りかけの大道具も展示されていて、柱の後ろ側の空洞部分に舞台の嘘とその嘘から生まれる真実に勝る想像の力を思って・・・。

昨年六尺堂がかかわったという作品のリストを観てまたびっくり・・・。良いなと思った舞台の多くが含まれていて・・・。

ほぼ毎週のように舞台を見続けているとその贅沢さを忘れてしまうのですが、殺風景とも思える天井の高い雑然としたこの場所から、さまざまな人々の才能が組み合わさって作りだされる舞台空間の秀逸さを思い出して、一観客がこういうことを言うのもおこがましいのですが、なにか舞台の作り手側の方々への敬意を新たにしたことでした。

終わってみれば外はもう暗い・・・。

友人との新年会に向かう道すがら、世間はいろいろと大変だけれど、今年もなにか良いものをたくさん観ることができそうな・・・、そんな予感に満たされた事でした。

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東京デスロック「その人を知らず」変わらないことの功罪について

さて、新年最初の観劇は東京デスロック「その人を知らず」です。作は没後50年を迎える三好十郎。場所はアゴラ劇場。休憩10分をはさんで3時間の芝居には新春のおとそ気分を吹き払うような凜とした強さと目を見開くような強さがありました。

かなり遅れての書き込みになってしまいましたが、1月2日ソワレの観劇、新年から本当に懐の深いお芝居でいろんなことを考えさせられてしまいました。

ここからネタばれをします。十分ご留意の上お読みくださいませ)

幕が上がると十字架に縛りつけられたような主人公、その上には日の丸が映写されています。主人公はキリスト教者だという。舞台は太平洋戦争中の日本、「一億玉砕」などという時代がかった事を国民がみんな結構本気で叫んでいた時代です。にもかかわらず、彼はイエス様の教えにしたがえば人を殺すことができないという理由で徴兵拒否をする。当時は天皇が神格化されていたこともあり、また国威高揚の観点からみても、徴兵拒否など許されるわけがない。本人も罰せられるし当然周りも巻き込まれる・・・。家族達は迫害を受け、さらに彼にキリスト教を授けた牧師までが、日の丸の下、国からの強い圧力を受け、転向して彼の徴兵拒否に反対するようになります。それでも彼は貫き通すのです。

それらのことは小さな学校の机の上に窮屈に座り込んでいる役者たちの演技の積み重ねによって明らかになっていきます。狭い机の上に肩をよせあうようにして支えあいながら演技を続ける役者たち。それらは家族であり、集団であり、単純であからさまな日本という国家の表現でもあるのですが、すぐにはその意図がわからない。しかし役者たちのメリハリの利いた台詞が積み上げられ物語が観客の中で形を為してくると、ある瞬間に、すっと焦点が合うように、演出の意図が観客のなかに実体化します。突然、戯曲に描かれ舞台で演じられた主人公を取り巻く人々の国や家族や彼に対する想いが息を呑むほど鮮明に浮かび上がってくるのです。一つ間違えばべたであざとい表現方法ではあるのですが、光や音の洗練が役者たちの演技の真摯さとともに言葉を発し、演じられている時代のタイトな雰囲気が鮮明に観客に伝わっていく。主人公の姿が軸となって登場人物たちの立ち居振舞いが音や光に生を受けたように観客を舞台上の世界に引きずり込んでゆきます。

国の運命も国民達の思いも机といくつかの小道具だけで見事に具現化してしまうその手並みの鮮やかさ。本土空襲となった時の表現もすごくわかりやすい。机が形を変えたり離散したり・・・。赤いボールやキットカットのようなものが投げられて、戦争末期のまとまりを欠いた悲惨な雰囲気がかもし出される。そして終戦時の表現も斬新です。終戦がとまどうように確定して、崩れるように舞台がとりちらかっていく。いったん混乱に陥るととどめるものとてなく机がひっくり返され床がはがされていく・・・。その狂乱に終戦の混乱期の騒乱と高揚が手に取るように感じられて・・・。

要は表現する側のセンスだと思うのです。戯曲が持つ強固な骨組みを利用して、大胆に世界を舞台上に広げていく力が舞台に漲っていているから、そのセンスが魔法のように生きる。

休憩が明けた2部も見ごたえがありました。.戯曲が描く価値観の変遷が言葉ではなく体感として観客に伝わってきます。世情の変化、労働争議が多発し女性たちが身を落とす姿に舞台の空気は必然を与える。戦前の重苦しい雰囲気が根底から崩れて、自由っぽい光が国を照らした時、彼の周りは解放されるとともに影をひきずることになります。モラルが崩れ、労働争議が生まれる。、そして兵役拒否をした主人公もいやおうなしにその時代にとり込まれていく。

でも、戦中戦後を通じて徴兵拒否をした彼がぶれることがないのです。神の教えを守りよい職人として仕事をしたいというそれだけ・・・。駆け抜ける濁流のような時代の真中に立てられた杭のような彼の存在は、まわりに渦を起こし近しい人々を次々と巻き込んでいく。主人公を清廉と見るか傲慢と見るかあるいは愚鈍とみるかは人それぞれなのでしょうけれど、舞台が終わったとき、主人公の存在を心に残す力が舞台にあって・・・、いろんなことを考えてしまうのです。たとえば一番神の声を聞いているはずの主人公が実は一番神の声を聴くことが無かった人なのではないかと思えてしまう。終盤の彼の悔いに彼の人生を思ってしまう。

そして、さらには彼が信じる神のことなども・・・。戦中戦後を通じて、周りの人々が神を信じる主人公が作る渦に巻き込まれても、神はなにもしないのです。周りがどうなろうと神にそむくことの無かった主人公が、まるで遠藤周作の「沈黙」の裏側として神の沈黙を見せているようにすら思えて・・・・。

それらを周到に戯曲に仕込んだ作者の力量と、それを息をのむほどの創意で舞台に表した演出、さらにその色を演じきった役者の実直な演技にひたすら感服。カーテンコールでは自然に拍手を続けていました。

自分の記録のため、チラシからクレジットを抜粋・・・。

作:三好十郎

演出:多田淳之助

出演:夏目慎也・佐山和泉・猪俣俊明・山村崇子・佐藤誠・村上聡一・坂本絇・征矢かおる・桜町元・山田裕子・笠井里美・折原アキラ

いずれも、けれんのないくっきりとした演技で物語を表現し尽くしていました。それぞれの役者がもつ演技のまっすぐさのようなものが、戯曲を観客が抱えきれるぎりぎりまで強く太く表していたと思います。

東京デスロックはこの公演後当面は東京公演を中止し埼玉県(キラリ富士見)に活動の拠点を移すとのこと・・・。これは追いかけなければなりますまい・・・。

新年早々に、なにか棒にたっぷりと当たったような犬になったような気分で、劇場を後にしたことでした。

R-Club

PS:終演後にお正月イベントで男優陣による書初めを拝見・・・。お芝居とは打って変わったぐたぐた感にお正月だな・・・っとなにか心たおやかになったり・・・。

それとは別に、イベント中の舞台がすごく広く感じられて、本編の舞台のタイトな感じがいかに見事に作り上げられていたかを改めて悟ったことでした。

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コロブチカ「proof」ざらつきの秀逸さ

ちょっと遅くなりましたが2008年12月27日マチネにて、コロブチカ第一回公演、「Proof]を観ました。

コロブチカは柿喰う客のコロさんの立ち上げた企画ユニット。作:ディビット・オーバーン、訳:谷賢一。演出は黒澤世莉

休憩が入った2幕の芝居は見ごたえ十分・・・。たっぷり堪能してまいりました。

(ここからはネタばれがあります。十分にご留意の上お読みください)

。深夜、数学者の父親が亡くなった晩の幻想シーンから物語が始まります。乾いたタッチの父娘の会話に秘められたウェットな想いがいきなり観客を取り込みます。スムースでもなく感情のベクトルがはっきりしているわけでもない・・・。むしろ二人の関係が少しノイズというかざらつきのあるトーンで語られていきます。

そのトーンは、主人公キャサリンのいる空間に常に存在しています。数学者の父親ロバートの弟子であるハルとの絡みのなかでも、信頼と不信の間を揺れながらキャサリンの色がそこにある。それは姉クレアとの関係でも同じ・・・。

物語が進むうちに、キャサリンの精神的な飢えのようなものが次第に生々しく舞台に広がっていきます。それはキャサリンのぶっきらぼうとも思える仕草や自らを守ろうとする態度が強くなるごとに深くなっていく。自尊心や相手を思いやる心を傷つかないようにまわりと接することができない・・・。自らと同じ資質を持つ父への愛憎や自らと異なる色を持つ姉への想いが絡まり合いながら、キャサリンの抱えきれないようななにかが観客に積み重なっていく・・・。

キャサリン自らの才能が、結果的に信頼しかけていた相手へ開いた心を再び閉じさせる中盤部分、息を詰めるようにして見入ってしまいました。キャサリンが冒頭に作り上げたざらつきのようなものが、観ているものに中盤の彼女の想いをスルーさせてくれない。痛みと一言で表現しきれない複雑ななにかがあちらこちらから観る者の心を浸潤していく・・・。

その高まりが、終盤の彼女の選択に説得力を与えます。再び心を開く彼女のナチュラルでちょっとだけ好奇心にハイになっている雰囲気に、すっと縛られていたものがほどけていく感じ・・・。終幕の暗転の中で、彼女が抱えていたであろうもの、才能というもの、さまざまなコンテンツがすっと俯瞰されて・・・、もう一度彼女の想いが深く強く観る者に戻ってくるのです。

黒澤演出にひたすら瞠目・・・。

出演は、鈴木浩司(ロバート=父)、コロ(キャサリン)、小谷真一(ハル)、こいけけいこ(クレア)。

鈴木浩司が演じる父からは崩れていく部分と崩れない想いがしっかりと伝わってきました。奥にある彼の想いが強弱をランダムにつけながら現れてくる感じ。そこから現れるいびつな感じにものすごい説得力があるのです。

ハルを演じた小谷真一は、キャラクターが持つ適度な実直さとある種の硬質な内側をしっかりと表現していました。ステレオタイプな良い人ではないところが舞台全体を深くしていたように思います。

姉のクレアを演じたクレアはキャサリンとの精神的シェイプの違いをパワーをうまくコントロールしながら演じていたように思います。金融アナリストという職業の匂いをあからさまにならないように表現していく・・・。見栄えをうまく利用しつつ、自らに与えられた才能への自負と数学の深遠さに入り込めない諦観をさらっと織り交ぜたその演技からは、キャサリンと異質な世界が浮かび上がってきます。他の演者同様にいびつというか凹凸のある表現が姉妹のつながりをやわらかく引き出してもいました。

キャサリンを演じたコロは主人公の抱えるものを見事に背負い切りました。舞台上で両足を踏ん張ってキャラクターが支えるものを一緒になって支えた感じ・・・。流れるような器用な演技ではなかったと思います。舞台のざらざら感は彼女が自らの内側のリズムで演じたことによるある種のバラツキから来ているのかも・・・。でもそのバラツキがないと、おそらくキャラクターの心のうちにある殻のようなものを観客は理解できなかったような気がします。伝わってくるキャサリンの内心のみずみずしさにコロの演ずる意志が生み出した何かを超越するような熱のようなものを感じた事でした。

訳の谷賢一が紡ぐ言葉のナチュラルさもよかったです。台詞のひとつずつにやわらかいニュアンスがあって・・・。役者の想いを乗せる言葉がちゃんと広がりを持っている感じ・・・。

もう、大満足の年の瀬観劇でございました。

R-Club

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