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北京蝶々「日本語がなくなる日」理詰めをしなやかにするに足りる力

2008年最後の観劇、12月28日ソワレにて北京蝶々「日本語がなくなる日」を観ました。場所は下北沢OFFOFFシアター。てきぱきとした客入れは大隈講堂裏での公演時から変わらず本当に気持ちよくて。

客席は満員、オフオフシアターって後方の椅子がとても座りやすい。すっと集中ができたところで舞台が始まります。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

舞台は近未来の南極基地、漠然とした緊張感と穏やかな雰囲気が混在した始まり・・・。閉塞的な環境の雰囲気を女医と調理人、そして報道担当に新任の生物学者・・・。さらには海上自衛隊が駐屯していて隊員がやってくる・・・。どうやら新型のインフルエンザが世界中に蔓延しているらしい・・・。ある種の緊迫感と緩やかな閉塞感が基地の人間を包み込みます。

一方で、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読む先生と生徒たち・・・。日本語の勉強をしているようですが、言葉がほとんど通じていない・・・。多重通訳が必要なその読み合わせには奇妙なおかしさに柔らかいいらだちが感じられて・・・。

ひとしきり南極基地の雰囲気が観客に伝わったところで、日本語教育を受けていた生物学者たちがやってきます。生物学の研究者とアシスタントとしての妹、さらにはアシスタントがもう一人と通訳にメイドまでついて・・・。生物学者の父親が日本での英語の公用語化を推進している議員で、彼らは日本語に接する機会をほとんど与えられないというのです。それどころか生物学者の妹の少女は、海外でひきこもりになってしまい日本語も英語も話せなくなってしまっていて・・・。

クリスマスの南極基地でのドラマが大きく動き出します。

観客に与えられる情報の出し入れがとてもしたたか。舞台上の情報の多くが何かから派生する形で巧みに舞台上に提示されていきます。冒頭提示される近未来という設定にしても、本の貸し借りから村上春樹や唐十郎についての会話を介して年代を特定したり、インフルエンザにしても、日本の家族と連絡をとったりするという会話の中で深刻な事態が語られていく。間接照明のようにやわらかく明らかになっていく舞台上の状況に取り込まれ、舞台上の基地の閉塞感がそのまま観客にとっての閉塞感へと置き換わっていく・・・。クリスマスパーティ用のチキンや肉が失われたりする事実が、じわっと空気を締めつけていく。基地の近くで動物が新型インフルエンザで死んだことも観客には見えずで緊張感だけが不確かに高まっていく。

そして、重い質量と奇妙な日常感がまじりあった雰囲気の中で、ついにインフルエンザの発病者が現れて・・・。

感染が進むにつれて文化や言語の隔たりや情報の不整合からくる不安や無知、さらには、予想外のトラブルがドミノのように噴き出してきます・・・。物語の主題が次々と立ち上がっていく時の舞台の密度に思わず息を呑む。緻密に描かれたそれぞれの人物の価値観や立場が交差して、物語が織り上げられていく。絶望と諦観の入り混じった中でも文化の違いが埋まることはなくて・・・。ラストシーンに浮かぶその結末は、穏やかな舞台の色と氷のような孤独感で観客を立ちすくませます。

作・演出の大塩哲史はこれまでの作風に一層の磨きをかけたよう。近未来に漂う不安や文化の違いをうまく織り込みながら、一方で登場人物達のキャラクターを丁寧に描いていきます。舞台上では日本語に加えて英語・中国語・??語(台本上も多分指定されていない言語)が飛び交います。大塩は確信犯的にすべてのセリフが観客に伝わらないことを前提に、物語のスキームや役者たちのしぐさを絶妙にコントロールし、いくつかのデフォルメされたトレンドを一つの物語により合わせていきます。文化とか価値観の差異を現す手腕が確実で、でも、差異を構成するキャラクターに柔軟性とぬくもりを与えているというか、きちんと血を通わせている。フェアで厳然とした視点を持ちながらステレオタイプに物語を観客におしつけない・・・。観客は、台詞の意味を一部隠された状態にありながら、揺らがないけれど縛らない大塩の語り口によって視野を大きく与えられるのです。

役者もよかったです。他劇団のクレジットがある3人がまず秀逸。小林至が演じる調理人のプライドや個人的度量には実存感があって、舞台の色をキュッと締めていたように思います・・・。こまつみちるの女医、演技に奥行と柔軟さがあって見入ってしまいました。彼女の芝居には強いパワーがあるのですが、共演者を押しのけないしなやかさも兼ね備えていて・・・。彼女と他の役者がからむと、相手の役者がくっきりと見えて、そのことがさらにこまつのディテールを浮き立たせていきます。舞台を包括して演じている感じ・・・。前回MUで観た彼女の演技も秀逸でしたが、今回のほうが彼女の個性がさらに生かされているようにも感じました。通訳役の尾倉ケントの透明感を持った芝居もよかった。すっと引き込まれる何かを湛えている役者さんで、凛とした台詞には説得力がありました。

他の役者たちにも力を感じました。森田祐吏の演技には安定感があり舞台全体を包括するようなパワーも持ち合わせていて・・・。垣内勇輝の中庸な演技も舞台に厚みを与えていたと思います。田渕彰展のキャラクターへの徹し方も観ていて気持ちよかった。鈴木幸一郎は繊細の中に筋がきちんと通ったお芝居で物語を支えていました。

女優陣も見ごたえがありました。日本語の台詞がまったくない白井妙美から伝わる奔放さというかピュアな感じには観客の視点を揺さぶるだけの説得力がありました。鈴木麻美は中国語のセリフだけ、でも彼女の表現はちゃんと伝わってくる。台詞が通じなくても想いを伝えきるだけの手練があり、しかもその想いは観客の深い部分までしっかり刺さってくるのです。観客に痛みをしっかり与える演技力が彼女にはあって・・・知ってはいるのですが、やっぱりその力には感心してしまう。

帯金ゆかりは演技の切れがまた一段と増した感じ・・・。前回「あなたの部品」を観た時にもすごいと思った感情の立ち上がりが今回ますますスムーズになっている。舞台上での彼女の心の揺れや感情の高まりが、観客には一瞬に炎を浴びるように伝わってくるのです。懐の深さもある彼女の演技はこの先どこまで進化するのか・・・。

冒頭に書いたとおり今年最後の観劇でしたが、本当に良いものを観たという満足感と心の高まりを持ったまま下北沢の駅へ・・・。込み合った駅前の人ごみをみて、一瞬インフルエンザを思い出してしまった。芝居の感覚が劇場を出てもなにか抜けない感じで・・・。よい芝居を観た時の高揚感を持ったまま家路に就いたことでした。

北京蝶々の次回公演は5月下旬に再び下北沢オフオフシアターとのこと・・・。来年の楽しみがまたひとつ増えてしまいました。

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