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北京蝶々「日本語がなくなる日」理詰めをしなやかにするに足りる力

2008年最後の観劇、12月28日ソワレにて北京蝶々「日本語がなくなる日」を観ました。場所は下北沢OFFOFFシアター。てきぱきとした客入れは大隈講堂裏での公演時から変わらず本当に気持ちよくて。

客席は満員、オフオフシアターって後方の椅子がとても座りやすい。すっと集中ができたところで舞台が始まります。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

舞台は近未来の南極基地、漠然とした緊張感と穏やかな雰囲気が混在した始まり・・・。閉塞的な環境の雰囲気を女医と調理人、そして報道担当に新任の生物学者・・・。さらには海上自衛隊が駐屯していて隊員がやってくる・・・。どうやら新型のインフルエンザが世界中に蔓延しているらしい・・・。ある種の緊迫感と緩やかな閉塞感が基地の人間を包み込みます。

一方で、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読む先生と生徒たち・・・。日本語の勉強をしているようですが、言葉がほとんど通じていない・・・。多重通訳が必要なその読み合わせには奇妙なおかしさに柔らかいいらだちが感じられて・・・。

ひとしきり南極基地の雰囲気が観客に伝わったところで、日本語教育を受けていた生物学者たちがやってきます。生物学の研究者とアシスタントとしての妹、さらにはアシスタントがもう一人と通訳にメイドまでついて・・・。生物学者の父親が日本での英語の公用語化を推進している議員で、彼らは日本語に接する機会をほとんど与えられないというのです。それどころか生物学者の妹の少女は、海外でひきこもりになってしまい日本語も英語も話せなくなってしまっていて・・・。

クリスマスの南極基地でのドラマが大きく動き出します。

観客に与えられる情報の出し入れがとてもしたたか。舞台上の情報の多くが何かから派生する形で巧みに舞台上に提示されていきます。冒頭提示される近未来という設定にしても、本の貸し借りから村上春樹や唐十郎についての会話を介して年代を特定したり、インフルエンザにしても、日本の家族と連絡をとったりするという会話の中で深刻な事態が語られていく。間接照明のようにやわらかく明らかになっていく舞台上の状況に取り込まれ、舞台上の基地の閉塞感がそのまま観客にとっての閉塞感へと置き換わっていく・・・。クリスマスパーティ用のチキンや肉が失われたりする事実が、じわっと空気を締めつけていく。基地の近くで動物が新型インフルエンザで死んだことも観客には見えずで緊張感だけが不確かに高まっていく。

そして、重い質量と奇妙な日常感がまじりあった雰囲気の中で、ついにインフルエンザの発病者が現れて・・・。

感染が進むにつれて文化や言語の隔たりや情報の不整合からくる不安や無知、さらには、予想外のトラブルがドミノのように噴き出してきます・・・。物語の主題が次々と立ち上がっていく時の舞台の密度に思わず息を呑む。緻密に描かれたそれぞれの人物の価値観や立場が交差して、物語が織り上げられていく。絶望と諦観の入り混じった中でも文化の違いが埋まることはなくて・・・。ラストシーンに浮かぶその結末は、穏やかな舞台の色と氷のような孤独感で観客を立ちすくませます。

作・演出の大塩哲史はこれまでの作風に一層の磨きをかけたよう。近未来に漂う不安や文化の違いをうまく織り込みながら、一方で登場人物達のキャラクターを丁寧に描いていきます。舞台上では日本語に加えて英語・中国語・??語(台本上も多分指定されていない言語)が飛び交います。大塩は確信犯的にすべてのセリフが観客に伝わらないことを前提に、物語のスキームや役者たちのしぐさを絶妙にコントロールし、いくつかのデフォルメされたトレンドを一つの物語により合わせていきます。文化とか価値観の差異を現す手腕が確実で、でも、差異を構成するキャラクターに柔軟性とぬくもりを与えているというか、きちんと血を通わせている。フェアで厳然とした視点を持ちながらステレオタイプに物語を観客におしつけない・・・。観客は、台詞の意味を一部隠された状態にありながら、揺らがないけれど縛らない大塩の語り口によって視野を大きく与えられるのです。

役者もよかったです。他劇団のクレジットがある3人がまず秀逸。小林至が演じる調理人のプライドや個人的度量には実存感があって、舞台の色をキュッと締めていたように思います・・・。こまつみちるの女医、演技に奥行と柔軟さがあって見入ってしまいました。彼女の芝居には強いパワーがあるのですが、共演者を押しのけないしなやかさも兼ね備えていて・・・。彼女と他の役者がからむと、相手の役者がくっきりと見えて、そのことがさらにこまつのディテールを浮き立たせていきます。舞台を包括して演じている感じ・・・。前回MUで観た彼女の演技も秀逸でしたが、今回のほうが彼女の個性がさらに生かされているようにも感じました。通訳役の尾倉ケントの透明感を持った芝居もよかった。すっと引き込まれる何かを湛えている役者さんで、凛とした台詞には説得力がありました。

他の役者たちにも力を感じました。森田祐吏の演技には安定感があり舞台全体を包括するようなパワーも持ち合わせていて・・・。垣内勇輝の中庸な演技も舞台に厚みを与えていたと思います。田渕彰展のキャラクターへの徹し方も観ていて気持ちよかった。鈴木幸一郎は繊細の中に筋がきちんと通ったお芝居で物語を支えていました。

女優陣も見ごたえがありました。日本語の台詞がまったくない白井妙美から伝わる奔放さというかピュアな感じには観客の視点を揺さぶるだけの説得力がありました。鈴木麻美は中国語のセリフだけ、でも彼女の表現はちゃんと伝わってくる。台詞が通じなくても想いを伝えきるだけの手練があり、しかもその想いは観客の深い部分までしっかり刺さってくるのです。観客に痛みをしっかり与える演技力が彼女にはあって・・・知ってはいるのですが、やっぱりその力には感心してしまう。

帯金ゆかりは演技の切れがまた一段と増した感じ・・・。前回「あなたの部品」を観た時にもすごいと思った感情の立ち上がりが今回ますますスムーズになっている。舞台上での彼女の心の揺れや感情の高まりが、観客には一瞬に炎を浴びるように伝わってくるのです。懐の深さもある彼女の演技はこの先どこまで進化するのか・・・。

冒頭に書いたとおり今年最後の観劇でしたが、本当に良いものを観たという満足感と心の高まりを持ったまま下北沢の駅へ・・・。込み合った駅前の人ごみをみて、一瞬インフルエンザを思い出してしまった。芝居の感覚が劇場を出てもなにか抜けない感じで・・・。よい芝居を観た時の高揚感を持ったまま家路に就いたことでした。

北京蝶々の次回公演は5月下旬に再び下北沢オフオフシアターとのこと・・・。来年の楽しみがまたひとつ増えてしまいました。

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カブ・牛乳や「革命前夜」スキームが見えた瞬間に・・・

12月27日ソワレにてカブ・牛乳や「革命前夜」を観てきました。劇団初見。役者もJACROWの蒻崎今日子以外はたぶん初見、それと南阿佐ヶ谷のシアターシャインも初めて・・・。作・演出の牧山佑大氏の作品も初見です。

劇場がわかりにくいと劇団のHPにあったのですが、地下鉄の駅からは意外に簡単に到着できました。三列の客席でステージがすごく近い・・・。満員の客席がゆっくりと暗くなり物語が始まります。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

結婚式を翌日に控えたカップルのいちゃいちゃしたピロートークが最初のシーン、まあ下世話な言い方をすればアツアツのふたりがパジャマ姿でごろごろとしている・・・。で、翌日の結婚式で眠れないと言っていた新婦が無邪気な口調でとんでもないことを言い出します。彼女は小学生のころ、学校の先生の肉奴隷だったと・・・。何人かの成績の悪い女の子たちといっしょに先生の性のはけ口にされていたと・・・。

釈然としないながらも、翌日彼は式場に向かうため駅へと向かいます。電車の改札を抜けて、携帯電話を忘れたことに気がついて・・、一瞬の動揺から駅の階段を踏み外してしまう・・。そして意識は何十年か先の戦場へと・・。男女間の戦争が勃発していてそこは男性を監禁する捕虜収容所だというのです。彼が付き合ってきた女性の話は戦功として鉄格子のなかの男たちに伝わっていきます。その話に驚嘆するさまざまな個性の捕虜たち、職業と階級がそれぞれにつけられて・・・、新夫は影の実力者ということになってしまう・・・・。その場の状況もどかしいほどゆっくりと観客に提示されていきます。

そして尋問、女性たちの尋問は屈辱的で耐えられるものではないという・・・。やがて、女性たちによる尋問のシーンが始まって・・・。

この辺りまでは、正直、どうなることやらと思いました。女性の尋問というのがかなり露骨で、男性側から観た性への欲望が裏返しか具現化されている感じ・・・。しかも手練の役者さん達がしっかりとまっとうにそれを演じるから、どきっとするほど生々しい・・・。物語の枠組みがよくわからないままのシーンというのは位置づけのしようがなくて・・。なんとなくその場の筋を追えるとはいえ観客は不安にすらなる・・・。それでも物語は積みあがっていく・・。

しかし、回想シーンっぽく、冒頭の新夫がまだ恋人として付き合っているころに新婦に嘘をついて浮気をするシーンが挿入されて・・。夫と妻の電話でのやりとりから、物語の枠組みがすっと浮かんできて・・・。

{あっ・・・・、掴めた。}

その瞬間、それまで唐突に感じていたシーン達が驚愕するほどリアルに馴染んで見えてきます。時には良識が眉をひそめるような自由奔放な欲望、そして欲望の抑制に対して辛さ・・・・、赤裸々とも思える作り手側のイメージが、観る側で枠を持った瞬間に現実感とひろがりを持って伝わってきます。それまでは猥雑で、ときには稚拙とも思えた表現から、精緻な作り手の内面の描写が次々と現れ出てくるのです。

「ロミオとジュリエット」の謀りごとが、ちょっと見だと嘘っぽく、でも実はしたたかに挿入されていたり。「涼宮はるひの憂鬱」などもなにげに借景に使われていて・・・。なにか霧が晴れたような感じで、一つずつのシーンが具現化するものに、作者のしっかりとした意図を感じることができるようになる。そうするとこの芝居自体にもぞくっとするような興味が湧いてくる。

終盤、男は失っていた意識を回復します。結婚式はキャンセル。新妻に謝る新夫に妻は子供が授かったことを知らせて・・・・。同時に、忘れてきた携帯電話のメールを妻に見られてしまった事を夫は知る。そのあと場面は戦場の世界へと戻って、「ロミオとジュリエット」もどきのたくらみの最後のシーン、ジュリエットの毒薬はわずか30分で醒めて・・・・。そしてロミオの毒薬瓶を発見する・・・。口にいれることなくパラパラと床に落とされる薬の音がとても印象的で・・・。耳にずっと残るのです。

役者は以下のとおり、

廿浦裕介、田中まこと、祥野獣一、蒻崎今日子、平野卓、井上麻由子、佐久間大器、島津わかな、八敷勝、小野綾子、牧山祐大、世理

いずれもしっかりした演技で、しかもそれぞれに魅力的・・・。前半部分、物語がよく見えない中でも観客を引っ張っていけたのは、ひたすら役者の力量の賜物かと。男女ともいろんな個性のの役者たちがバランスよく集められた感じで・・・。それぞれのカラーが絶妙に舞台をふくらましていたように感じました。

まあ、万人にとってわかりやすいタイプの芝居ではないかと思います。難解というほどではないのですが、観る側にも舞台鑑賞のちょっとしたスキルがないと理解しずらい作品かと・・・。現に私が観た回については終演時の拍手にもなんとなく戸惑いが感じられたり・・・

でも、一旦味を覚えるとすごく豊潤な感覚を得ることができるお芝居でもあるかと思います。一度はまるとけっこう癖になるような色を、わずか一作を見ただけとはいえこの劇団からは感じるのです。

余談ですが、帰りの電車で差し込まれたパンフレットの表紙に書かれた文書を読み返して唖然。

「結婚式前夜、男と女は悩んでいた?僕は私は本当に、結婚していいのだろうか、と。男は戦争にたどりつき、女は、帰りを待っている。男は純愛に遭遇し、女は秘密に気づいてしまった。二人は幸せな結婚ができるのか?」そして、戦時下の愛はハッピーエンドを迎えることができるのだろうか

開演前にはさらっと読み流してしまったこの文章、観終わって読んでみると、芝居のコンテンツそのままなのです。当たり前といえばあたりまえなのですけれどね・・・。でもそれって、喬太郎師匠や福笑師匠が「時そば/時うどん」を演じるときにサゲを最初に言ってしまうというのとおんなじことをしているような・・・。それを面白くするのが演者の腕と、枕の中で両師匠は見栄を切るわけですが・・・。

このお芝居も、前出しをして、それに耐えうるだけの内容をしっかりと内包していたことを、改めて悟った事でした。

                                                      

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KERAMAP「あれから」ふわっと包む

12月23日 KERA MAP「あれから」を観ました。作・演出ともケラリーノ・サンドロヴィッチ

場所は世田谷パブリックシアター、意外なことに1階席にも空席が・・・。まあ、これまでのケラマップと比べるとお高くはなっているし、ナイロン本公演と比較して外部の役者の比率が圧倒的に高いし・・・。何よりもこういうご時世だし・・・。

でも、それって本当にもったいない気がするのです。まさに出色の舞台でしたから・・・。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意くださいませ)

物語はふた組の夫婦を軸に展開していきます。妻同士が同級生。同じ先生にあこがれていたふたりがケーキ屋さんで出会うところから物語が始まり、その夫たち、子供達、さらには、夫婦それぞれの浮気相手が絡み合って・・・。そして、今のエピソードに差しはさまれるように妻同士たちの学生時代、先生や同級生たちのその後などが描かれていく中でケラ風の肌触りを持った時間が浮かび上がってきます。

その風合いがものすごくよいのです。最初のシーンとて主人公の一人がケーキ屋で他人の子供の頭をひっぱたいて騒ぎになるなかでのもう一人の主人公との何十年振りかの再開だし、童話の翻訳をしている彼女の仕事場のとなりは壁が薄くて音が筒抜けのカウンセリングルームだったり・・・。さらには、夫たちの職業もどこか嘘っぽいところがあって・・・。でも、それってけっこうこの時代を生きた人間にとっては現実的だったりする。実直なようでどこか不純でポップな部分がある生活の積み重ね・・・。現実感がなくても現実離れをしてはいない微妙な設定。小粋な誇張、妙にリアルな心のスケッチ・・・。それらの醸し出す時間の軽さが観客のいる場所にすっとフィットする感じ・・・。

学生時代の描写も秀逸で、どこかいい加減で赤面するような未熟さや若さと、将来への純粋な希望のようなものが笑いのなかでしっかりと観客に伝わってきます。ケラ流のちょっと痛さを含んだ笑いが主人公たちの学生時代の想いを一層生き生きと感じさせて・・・。最後に明かされる学生時代の親友がその後疎遠になる理由もあっさりとしていて、でも人生の曲折を端的にあらわしているようで、ウィット豊かな表現にすっとガードを下げた観客の心がチクっと染みる。

最後には二つの夫婦が絡まり合った形で物語が収束していきます。心離れていた二つの夫婦のおさまりどころが、なんだかなぁと思いつつもいとおしいくらいにほほえましい・・・。それをハッピーエンドと呼ぶかはかなり微妙なのですが、でもそこにある今と学生時代の「あれから」の間に横たわる時間が、ふっとやさしい重さで観客に舞い降りて、不思議に満ち足りた気持ちがそのあとに訪れるのです。高橋克実がかんだ鼻水を見せようとしたとき嫌がるでもなく、さらっと受け流す高橋ひとみの淡々とした仕草には溜息がでるほど・・・。そこに時間がある・・・。渡辺いっけいの神経質さと余貴美子のちょっと天然な部分も最後に温かく噛み合って・・・。支離滅裂というかカタストロフが醸し出す殺伐感が極まったその先で、なにか心が暖まる居場所が現出するのです。

まあ、それにつけても豪華な出演者・・・、「これでKERA MAPかい?」って突っ込みを入れたくなるほど・・・。

余貴美子、高橋ひとみ、萩原聖人、岩佐真悠子、江本佑、金井勇太、赤堀雅秋、村上大樹、三上真史、植木夏十、山西惇、渡辺いっけい、高橋克実

中でも余貴美子の演技の厚さには、もう惚れぼれ・・・・。それに負けない他の役者たちの味わいにもいまさらながらに瞠目・・・。植木夏十が見るたびによい役者になっていく・・・。

偶然なのかもしれませんが、三谷幸喜の「グッドナイト・スリープタイト」も夫婦の30年間を描く作品・・・。ふたつを比較してみるとけっこう面白い。愛情を持ち、正直で、どこかで真摯にお互いを思いやりながら、振り子の振幅が少しずつ大きくなってやがて振り切れたように別れていく「グット・・」の夫婦、一方どこかで夢を捨てきれず、ごまかし、自分に甘く正直になり、やがては若い男女にうつつをぬかし、お互いに心が離れながらも、結局は振り子が戻って何事もなかったように暮しはじめる「それから」の夫婦達・・・それぞれが色をつける長い時間、やわらかく確実に浮かんでくるところは一緒なのですが、味わえば味わうほどに肌ざわりが違っていて・・・・。メランコリーなオプティミストのケラさんとハイテンションなペシミストの三谷さん、それぞれの個性なのでしょうね・・・。

世間は大変な年の暮ですが、こういう芝居を見ると、来年がかなり楽しみになるのです。

帰り道、寒さもさほど気にならず・・・。そんな暖かさを持ったお芝居でありました。

ケラさん、来年はどんな芝居をみせてくれるのでしょうね・・・。

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虚構の劇団『リアリティ・ショー」おかえりなさい、鴻上さん

ちょっと遅くなりましたが、12月17日、紀伊国屋ホールにて、虚構の劇団公演「リアリティショウ」を観ました。作・演出は鴻上尚史

前回池袋での公演に、劇団としての勢いというか何かの萌芽を感じて、偶然スケジュールが空いたので観賞。当日券Web予約のシステムがとても便利。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

導入部分の客電の落とし方から物語の切り出し方、昔を彷彿とさせる鴻上演出の香りが場内を包み込みます。くっきりとした役者の演技、シチュエーションの説明が要領よくなされていく。舞台となる家の内と外に人を配することで小気味よく舞台の状況が観客に伝えられていきます。

ある劇団の4週間にわたる強制合宿、そのすべてをインターネットTVに晒す代わりにアクセス数が一定数を超えればその劇団に大きな特典があるという企画。大衆という視点を一番外に置いて、その中での個々を動かし、さらに一人ずつの登場人物が抱えるものが、インターネットTVからの要求という必然の中で作られた仕組みにのせて巧妙に開示していきます。

劇団が演じるのは「ロミオとジュリエット」。その物語に名前しか登場しないはずの人物に狂言回しをさせて、彼らが演じるものと彼らが直面するものを撚糸のように一体化させていく・・・・。物語を構築していく手腕が実に鮮やか。鴻上はバックボーンになるシェークスピアをうまく使って、幾層にも渡る劇団員たちが直面しているものが次第に露出させていきます。

中盤あたりからはさらにインターネットTVのルールが付け加えられて、劇団員が秘めている内側がさらに浮かんできます。劇団の運営に始まって、恋愛感情、宗教によるマインドコントロールやジェンダーの不一致など・・・。それらを見せる仕組みにあざとさを感じないといえば嘘なるけれど、晒されたものには虚飾を感じさせない現実味があって・・・。

宗教にマインドコントロールされたキャラクターに与えられたのは、「こうやって宗教から抜けました」という美談ではなくやはり宗教の枠から抜けることのできない現実だし、性同一性障害に悩んだキャラクターはジェンダーを変えてもやはり過去のジェンダーに縛られる。宗教にしても性にしても、個々が抱える問題に関して裏側やディープな部分を知るキャラクターを配することで、苦悩するキャラクターの現実がさらに照らし出されていきます。

一時期の鴻上演劇だと、舞台上に晒されたものと現実の感覚の乖離を感じることが部分がけっこうあり、さらにはずれた現実への救済を舞台上に表したりもしていたのですが、そういうものは、幕が下りた時点でたちまち腐敗を始めていた・・・。しかし、今回の鴻上尚史は非常にドライかつクールにキャラクターを舞台におきます。救いがなくてもそこにあるしかないキャラクターの現実を冷徹に描いていく。よしんば、テーマが多少言い古されたり陳腐化したものであっても、その慧眼と自らの理想に舞台を彩る誘惑を律する冷徹さで作られたものは観客に残るのです。

あくまでも推測ではあるのですが、それは彼が非常に若い役者たちと芝居を作っていることの一番の成果なのかもしれないと思います。まあ、最近の秀逸なお芝居などとの比較になると、感じることはいくつかあります。個々のキャラクターを描く画素が多少荒いように思えたり・・・・。しかし、一方で手練のテクニックも随所に見られて。中盤のダンスで現す時間の経過やそれぞれの思いの表現などには今のお芝居が忘れていたような表現のメソッドがあってぞくっときたり・・・・。プラスマイナスいろいろとあるのですが、でも、鴻上の良さが出た芝居には底知れぬ力を感じるのです。

役者達は夏の公演時より一段とクオリティが上がったような・・・。一番目を引いたのは小沢道成で軽さのある表現からその内側に刻み込まれた重さがくっきり伝わってきました。渡辺芳博の押しの強さも舞台の質量を高めていたと思います。大久保綾乃は前回の公演の切れに円熟が加わったような・・・。強さがあって滑らかな演技に惹かれました。小野川晶の芝居もキャラクターに忠実な粘度が感じられて、ちょっと難しいキャラクターでありながらきちんと実存感を出していました。・・・。山崎雄介には演きちんと心の揺れを表現できるしなやかさが物語の芯を支える感じ。三上陽永は舞台にトーンを作ってうまく全体を後ろからまとめていたような・・・。高橋奈津季にはのびやかさがありました。なにか大きなキャパの中で演技をしている。杉浦一輝には切れがあり観ていて気持ちよい。小名木美里の勢いに流されない軸をしっかり持ったお芝居も魅力的でした。

しばらく芝居の余韻に浸った後会場を出ようとすると、役者たちが満足げな表情で客出しをするなか、鴻上さんそれを見守るように立っていました。迷惑かなって思ったのですが、それより先に「よかったですよ」と声をかけてしまった。そのあと余計な事かとは思ったのですが「戻られたような気がします」という言葉が自然と続いてしまいました。失礼なことをしたよう気がして、階段を降りながら反省をしたのですが、でもそれが偽らざる気持ちであったことも事実。

作品からもらった高揚感のようなものとは別に、なにか本当にうれしかったのです。無くなったものが帰ってきたようで・・・。

で、出てきた独り言。「お帰りなさい。鴻上さん。」

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仏団観音びらき「KWANNON CABARET」腰折れしない役者の基礎体力

ちょっと書き込みが遅くなりましたが、12月16日、新宿2丁目タイニーアリスにて仏団観音びらき「KWANNON CABARET」を観ました。仏団観音びらきは関西の香がいっぱいの劇団、前回、比較的ストレートプレイに近い「蓮池極楽ランド」という作品でかなり興味をひかれ今回の観劇となりました。また、今まさに伸び盛りの上方落語家、桂都んぼさんもご出演ということでさらに興味をひかれた公演でもありました。

(ここからネタバレがあります。十分のご留意の上お読みください)

会場に入った瞬間から、なにか特別の世界に迷い込んだような・・・。すごくディープな雰囲気。出演者が会場を巡って猥雑な雰囲気をまき散らします。関西弁とディープな客、この段階でなにか凄いものを観ているような・・・。

また、出演者が客入れがてらに、お客さんをいじるのなんの・・・。開場してすぐ入ったのでその時間が約30分・・・。そうこうしているうちに客席は満席に・・・。

なんというか始まる前からけっこう楽しめてしまっているのです。で、パフォーマンスが始まると当然にもっとすごい。
ボフフォッシーの映画「Cabaret」のパロディが舞台のオープニングなのですが、あの映画の雰囲気をステージに具現化するだけの力が役者たちにあって・・・。腰折れも違和感もなく、映画の世界がちゃんとそこに存在する・・・。あのゆるい猥雑客入れの世界から、あれよあれよという間にキットカットクラブの混沌と粋がそこに現出する・・・。

Butsu2

あとは怒涛のネタオンパレード。オープニング後の「ほし柿隊」も笑えるし、男運の悪さを嘆く宝塚歌劇のパロディ「ダメンズカ」歌劇団もひたすらおかしい。登場するふたりがチャンと歌えるから、そのぶん観客は笑う方に専念できる。ほんまに心底笑えるのです。そこからさらにMCでうまくつないで男二人でモンスター(ピンクレディー)でのダンスになるのですが、これがパンツを脱いでいくストリップに代わって・・・。お下劣であってもショーとしてのクオリティは抜群に高い。

Butsu4

トイレのお掃除おばさん3人がパフュームのパロディを演じる「ポリバケツ」もおばさん達がPerfurmばりに踊れるところからして笑えるし、歌詞からもじわじわとおかしさが膨らんでいきます。しかもそこからの勢いというか盛り上がりがすばらしい・・・。とんでもない落ちまでついていて・・。

そのあとホモネタ、合コンネタ(これも大爆笑)、すごくゆるいキャラクターで押すネタがあったり電車の痴漢ネタから、けっこうマジなダンスナンバーに発展するものがあったり・・・。

とにかく観客を休ませない、ルーズなネタの繋がりがあったりある一線を片足だけ踏み越えたようなネタの連続。しかも歌といい踊りといい、妥協がない。びっくりするほど切れが良いのです。さりげないネタにみえてもすごく練ってあるし・・・。ちょっと見た目にはお下劣だったりくだらないなと思うようなネタにも、すごい深さがあって、笑いに広がりがある・・・。これはテレビなどでは決して味わえない世界・・・。終わって帰り道、あの木戸であれだけのサービスをみせていただくなんてめちゃくちゃ贅沢をした気になりましたもの・・・。

言葉で説明するのはとても難しい・・・。でもその一方、観たら確実にはまる・・・。なんというかちょっと禁忌のカオリがするようなしないような・・・。

今回の出演者は以下のとおり

・ケヨリ ショジョビッチ (本木香吏)

・無頼安 (水津安希央)

・びふりんこ(東口善計)

・キムコ (金明玉)

・グッピー (藤原求実子)

・ギャラン☆DO (小林徹)

・トンボリン (桂都んぼ)

・ベッキー (ベッカム木下)

・珍太郎 (藤原新太郎)

& ゲスト 濱崎右近 宮奥雅子

どうやら「仏団観音びらき」としての東京公演は来年も予定されているよう・・・。どこかでブームに火がついたらたちまち全国的に超プラチナチケットになるような気もするし・・・。

そう考えると、来年また東京公演の噂を聞いたら、絶対に即買いです。

こんな贅沢、なかなか体験できるものではありません。

PS:この公演は写真撮影も自由というサービス付でちょっとびっくり。添付の写真はルール内。中には携帯でなくちゃんとまっとうなカメラを準備されていた方もいらっしゃっいました。

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「空の定義」その世代の時間を切り取るのは・・・

12月20日マチネにて俳優座劇場プロデュース公演、「空の定義」を見ました。会場は六本木俳優座劇場、。本当に来たのが久し振りで、殆ど中を忘れていたのですが、ちょっと古ぼけた階段を上がっていくと、そこにはゆったりとした舞台の間口をもった劇場。お客様はいい年食った私が前掛けの小僧に見えるような年配の方がとても多くて・・・。昔から演劇を愛し続けられた方もたくさんいらっしゃるよう。何かそういう方たちに支えられて、長い時間をかけてその場所にお芝居を観る居心地の良さが作られたような・・・。

そんななか、ピアノがクラシックを奏で始めて、物語が始まります。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。)

物語はちょっと古びた画廊喫茶、ご近所の不動産屋さんのおくさんとマスターの娘婿の会話から始まります。小学生の算数、集合の話しなどをランチメニューを書き出すホワイトボードを使って・・・・。商店街の知り合いがお客さんのようなお店。マスターの娘もその婿もお医者さん・・・。マツターの妻は2歳の時に家を出て、どうやらどこかで服役をしているらしい・・・。娘は母の顔も覚えていないのです。

壁には一枚の抽象画、砂浜に錆びた大きな碇が晒されて、大きな空の下で少女がそれを蹴っている。それが母が出て行く前に残した絵・・・・。

娘が妊娠をし、でも同時にアメリカに研究に行きたいと思っていること。娘婿は子供のことを考えて妻が妊婦のまま渡米するのに反対であること。場のシチュエーションが順番に舞台に書き加えられていきます。中近東返りの顔見知りなども加わって場の空気が次第に膨らんでいく。間の長さやちょっとしたくすぐりが会話にあって、物語はゆったりとした流れに乗って進んでいきます。

物語がしっかりと動き始めるのはマスターが一人の女性と再婚をするというところから。戸惑いながらも、一旦はそのことを受け入れようとする娘夫婦・・・。しかし、浅間山荘事件が起こった時代に生まれた娘とその当時学生だった客との会話から、学生運動最盛期のころが舞台の話題上るようになり、さらにはその客が父親の再婚相手に援助を求めようとした旧全共闘の一員であったことが明らかになって・・・。父親が再婚するというその相手は、実は娘が2歳の時に出ていった母であることが明らかになるのです。娘にとっての自分の母への想い、革命のこと、さらには娘の家庭の外側にある世界のことなどが舞台から湧き上がってきて・・・。

ドラマにはしっかりと書き込まれていて、登場人物の心情も着実に観客に伝わってきました。算数の集合や無限などの話、具象的な絵画と抽象的な絵画の話、さらに美術館の学芸員と偽って娘の前に姿を現した母が自らが出て行く時に描いた絵を評するあたりなど、しっかりと観客を取り込んでいくようなエピソードがいくつもあって・・・。おもしろいかつまらないかと問われれば間違いなくおもしろかった。

でも、ひとつずつの伏線やエピソードは秀逸なのに、それらが観る側にとってもうひとつ連携してこない。登場人物間の想いの重なりが十分に観る側に積み上がってこないのです。足し算が掛け算にならないようなもどかしさがこの舞台にはある・・・。終盤、松永玲子演じる娘の思いが切っ先鋭く母親役の塩屋洋子に突き刺さり、一方母親役の塩屋洋子が娘が正しいとしてその場を出て行ってしまうシーンがあって、その部分は二人の演技にぞくっとくるような見ごたえがありましたが、それがふくらみとして観客にとどまる受け皿がドラマの中に十分仕込まれていないような・・・。

二人の表現する思いには息をのんでも、それが物語全体に完全にスムーズにシンクロしていかないのです。最後に娘が夫に言うお礼も、ある意味物語を包括してくれるのですが、その心情を浮き立たせる背景がどこか散漫に思えてしまう。ひとりずつの役者達のあらわす思いのクオリティはため息がでるほど高く見事に舞台上にあるのに・・・。

観客にとっては、その淡白な感じこそが今という時代から見た1970年という団塊の世代が過ごした時代の見え方なのかもしれないし、ラストの場面の密度こそがその時代を切り取ったリアルなすがたなのかもしれませんが・・・。理由はともあれ、この舞台には人間がいるのに、なにか熱が行き場をうしなっているような感じがするのです

まあ、役者を見に行くだけでも元をとったような舞台で・・・。名取幸政の達観したような雰囲気・・・、舞台にすぅーっと広がってくる。中嶋しゅうのさりげない演技にはちゃんと必要なだけ裏が透けて見えて、その見え方の適切さが舞台の起承転結を支えて・・・。津田真澄のおばさん的な雰囲気も場にしっかりとはまる。杉山文雄の演じるキャラクターのどこかいい加減な雰囲気に数学者であるというオチがしっかりとはまる凄さ。演技の深度のなせる技なのでしょうね・・・。夫役の浅野雅博は会話を受ける部分が多いなかで、演じる者の心境の変化をしっかり伝えて、しかも観客になんとなく納得をさせてしまう。

塩屋洋子の凛とした演技、役柄の年齢と元全共闘の意思の強さのバランスが絶妙で・・・溜息がでるほど。

その中でも、松永玲子はしっかりとキャラクターを舞台の一番前に押し出していました。心の揺れや不安定さ、さらにかコアにある思いが空気として観客に伝わってくる・・・。デフォルメを感じない演技の中で、ナチュラルな地のキャラクターと内側に宿る思いを見事に振り分けて見せて・・・。

芝居の品質には何の不満もないのですが・・・、でも何なのでしょうね・・・。

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Hula-Hooper『鱈。』の(は)・・・菊川朝子は見せ方を知っている

12月20日ソワレにてHula-Hooper『鱈。』の(は)を観ました。観たというより楽しんだ。開場の渋谷O-West 7thをフルに使った公演は観客をたっぷりと楽しませてくれました。

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(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

Hula-Hooper初見、脚本・演出・出演の菊川朝子については「双魚」(七里ガ浜オールスターズ)以来。「双魚」の時の彼女の秀逸な演技はかなり強く印象に残っています。今回は彼女の作・演出によるちょっとしたミュージカル仕様のお芝居、彼女自身もドラムとグロッケンを叩きます。

会場正面のステージ部分は勿論、観客が飲み食いをしているフロアー全体をステージのように使って物語を進めていきます。とにかく観ていて楽しい。物語自身は確信犯的にちょっとチープで波乱万丈・・・。一時期の大映テレビような日本人の琴線に触れる香りをちゃんと残して・・・。でも、単純にパロディを見せて楽しませるというよりは、そのテイストを物語の枠組みにして観客と世界を共有している感じ。これなら作り手が多少の無茶をやっても観客側がついてこれるし、音楽やダンスも絡ませやすそう。開演前からうまく雰囲気を作って観客をすうーと世界に引き込んで・・

ミュージカル風の作品では、舞台と観客の枠組みの共有ってすごく大切な要素なのだと思います。昔々観たオフオフブロードウェイのミュージカルなどでも、観て面白いものにはしっかりとしたコンセプトというか枠組みがあったような・・・。現にこの舞台でも、物語トーンというか枠組みが観客になじんだ時点で、菊川が用意したさまざまなコンテンツが一気に真価を発揮しはじめます。

観客が作り手の世界にまで引き入れられたら、あとは造り手の腕次第。通路的なスペースが舞台になるから、役者の近いこと。本当に数十センチのところで芝居やダンスが演じられていきます。これだけ近いと観客のほうが役者と目が合って気押されてしまうことがしばしば。ヴィヴィドなダンスも表情から指先の動きまで観ることができる・・・。役者たちの持つ個性や魅力が直撃弾のようにもろにやってくる。しかも役者達が例外なくすごくいいんですよ。なにか貫きとおす気概のようなものがそれぞれの役者から伝わってくる。、それを観客が押されて引くことなく、しっかりと受け止めて極上のものとして楽しむことができるのも、菊川がしたたかに作り上げた枠組みのおかげ・・・。上枝鞠生、畔上千春などの役者としての間口の広さというか柔軟さには惚れぼれするほど。バルコニーを使ったり観客をいじったりするやり方にもウィットがあって厭味がない。

音楽の聴かせ方もすごく巧み・・・。物語の構成によって観せるところと聴かせるところをきっちり使い分けでバンドの構成を変化させる・・・。役者たちがうまくバンドに入り込んで物語を進めていく一方、高度な技術を持ったメンバーをしっかりと用意してここ一番を聴かせる・・・。音楽のクオリティ平均点ではとても高くて、物語を離れて演奏を聴いているだけでもすごく楽しい。たとえば菊川朝子のドラムはしっかり切れていたしクロッケンなどグルーブ感すら感じさせる・・・。上枝鞠生のキーボードもしっかりと機能していて・・・。

なかでも安田奈加 のピアノとボーカルにはしびれました。やや硬質の声質が曲によって見事にコントロールされていて、時にのびやかで、情緒があって、時にちょっぴりコミカルで・・・。バンド全体を底辺で支える力もすごいし、話やシーンをつないだり物語のトーンを構築するボーカルにはもう聴き惚れるだけ・・・。こういう人が入っているとミュージカルとしてのクオリオティが格段に向上します。そして観客の悦楽を何倍にも拡大するのです。

今回の出演者は、以下のとおり。

何か雰囲気があるので、劇団のインフォメーションをそのままに・・・・。

部長(脚本・演出)菊川朝子(Hula-Hooperとハイバイ)

副部長(音楽) 安田奈加

マネージャー 上枝鞠生(Hula-Hooper)

       畔上千春(ボーダビッチ)

書記     宮沢紗恵子

会計     堀井秀子※8月のみ

美化係   森山夕子(動物電気)※12月のみ

キャプテン  服部弘敏(IDENTITIEZ)※12月のみ

主将     ベース/まーちゃん(MUSTANG'78)

給食係    ギター/岡野直史(SGT)

レクリエーション係 ドラム/カワサキプロ(ナショヲナル)

顧問     ムックリ/西岡慈円※12月のみ

バルーン部員  板子マコト(ニオウダチ) ※12月のみ

with

日替わり部員(バンド)

12月20日 キャプテンクーコッチ

個人的なお話ですが、ゲストミュージシャンのキャフテンクーコッチ、なにかおじさんになった私が忘れていたライブハウスの楽しさを思い出させてくれたような・・・。

入場の時に劇団初めての客は部員証明書というものを頂けて、もらった時には何だこれはと思ったのですが・・・。帰り道ではそれを持っていることがなにかとてもうれしく感じられる・・・。

そこまでに菊川たちが築き上げた世界には魅力があって・・・。単に一つの作品というだけのことではなく、このようなパフォーマンスを創りえる素地というかベース全体の豊穣を感じるのです。

これは・・・、目の離せない世界がまたひとつ増えてしまいました。

R-Club Annex

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劇団競泳水着「プリンで乾杯」乾杯という分岐点

12月14日ソワレにて劇団競泳水着「プリンで乾杯」を観ました。場所は王子小劇場・・・。

いきなりですが、余談をすこし・・・。先週末から本当によい舞台がてんこ盛りで、スケジュールを詰めても観れないほど・・・。10日ソワレで会社から渋谷に走り(こゆび侍)11日に終電までかかって溜まった仕事を片付けて12日のソワレ(アロッタファジャイナ)をたっぷり・・・。13日のマチソワ(ろりえ・喬太郎師匠)を経て14日マチネ(真夏の夜の夢)後にこの劇団競泳水着の観劇となったわけです。一週間に1+5連荘!途中にインフルエンザの予防接種と床屋(いずれも13日午前中)付・・・・。

筋金入りのえんげきマニアの方なら「べらぼうめ、へっちゃらだい!」てなものでしょうけれど、こちらはへたれの芝居好きですから、さすがにバテておりました。ペース配分などできるはずもなく、お昼の「真夏の夜の夢」もしっかりと入りこんで観てしまいましたしね・・・。王子小劇場に少し早くついて受付から開場までの時間、劇場のロビーには椅子もあったのですが、とりあえず寝込まないように立って待つ・・・。やばい・・・。強い睡魔が周期的に降りてくる・・・。目覚ましがてらちょっと外へ出てメールのチェック・・・。自分では気付かなかったですけれど、実は何分かこっくりこっくりと立ち寝をしていたかもしれません。

開場したのであわてて良席を確保・・・。座った時点ですっと睡魔がやってくる。しかし、しばらくして、私の右隣の席に来られた女性二人連れを見てびっくりしました。そこには、今年観たなかでも、私的にまちがいなく表彰台というお芝居の主演女優の方が・・・。フラッシュバックのようにそのお芝居が脳裏によみがえり、次の瞬間に訳のわからない緊張が降りてきました。なにか見つめてしまいそうで固まったというか・・・。客席では同じ観客の立場なのですから、緊張する方がおかしいですし、ミーハーな気持ちは全くないのですが、そのときの舞台の印象がよみがえる瞬間にすっと緊張に包まれる感じ・・・。秀逸な舞台に立つ女優の方のオーラのようなものなのでしょうね・・・。舞台が始まるまでその緊張は解けませんでした。こんなことは初めて・・・。

でも、おかげで、一気に目が覚めましたし、集中力を持ってお芝居に取り込まれることができました。もしかしたら彼女にはお芝居の神様が宿っているのかもしれません。

(ここからネタバレがあります。充分にご留意ください)

トレンディドラマ3部作の第3部とのこと。20代前半の男女が一つの家をルームシェアした約3年間を小気味よいテンポで綴っていきます。

物語は旅立ちのシーンから始まります。複数の男女が発展的に別れていく・・・・。もうすぐ取り壊されるその家で、タイトルどおりプリンで乾杯をするのです。

このシーンが冒頭にあることで、観客は様々なシーンを冒頭のシーンとの距離で見つめていくことになります。シーンは時々前後に揺らぎながらも、柔らかな時系列のなかですこしずつつみあがっていく。登場人物それぞれのエピソードがゆるく絡み合いながら、現在と過去を行き来するような感じ。

ふとしたことで別れた後に同じ屋根の下でルームシェアをすることになった男女を軸に、パリにいくことになる別の女性、子供ができて音楽をあきらめる男、就職をして北海道へ行くことになる男。さらには、主人公の親族や隣に住む女性、同居している家の近所のバーのマスターとバイトなどのエピソードが絡み合って・・・

登場人物たちのドラマが軽いタッチで小気味よく語られて、その家を中心に流れる時間が着実に観客に伝わっていく。

気がつけば、会場全体が時間の流れに浸されている。不思議なドラマとの一体感、まるで自分もその世界の内側で時間をシェアしているような感覚がやってきます。ドラスティックな変化ではなくても、少しずついろんなことが変わっていく。主人公の男は学生から就職して転職のチャンスをつかむ。女性は不倫に敗れそれでも立ちなおり始める。舞台上に流れる時間の軽さと重さ、そして歩いてきた時間とこれから歩いていくであろう時間の肌触りが不思議なくらいに生き生きと観客に伝わってくるのです。パリで暮らし始めた女性が、日本人の旅行者と話すうちにその頃の自分の時間の意味を確認するようなシーンも挿入されて・・。

舞台の世界、登場人物や主人公が行ったバーまでが、まるで自分の思い出のようにいとおしく思えてくるのです。時にはビターであるときにはコミカルなエピソードの積み重ね・・・。そのルーズなつながりにどきっとするようなリアリティがあって・・・。舞台のキャラクターと観客である自らの想いの間の垣根が、いつのまにか取り払われてしまっているような・・・。

役者もナチュラルな演技で観客の隣人のようにエピソードをつなぎます。主人公役の川村紗也のちょっと意地っ張りなところや、同じく主人公格を演じた澤田慎二のすこし不器用なところがすごく自然に観客をとらえていく。佐野功のバンドマンが持つ心根のあたたかさ、その妻になる堀奈津美の戸惑いと幸せの表現、さいとう篤史の強さともろさ、和知龍範境宏子須貝英の実存感。渡邉とかげの実直さも観客を世界に取り込みます。細野今日子の細さやちょっとずれたような生真面目さもとても魅力的。澤田との距離の表現も実にうまいとおもう。

大川翔子は4x1hproject「いそうろう」での鮮烈な演技が印象に残っている女優さん。今回も非常に懐の深い演技だったと思います。台詞の一言ずつがすごく丁寧に伝えられてくる感じ・・・。一方で言葉の重さを絶妙にコントロールするような部分もあって、それがまた溜息がでるほど自然なのです。

バーのバイト役、辻沢綾香は双数姉妹でのお芝居を何本か観ていますが、これまではそれほど強い印象を持っていませんでした。でも、今回、初めて彼女の真の力を見せつけられた気がします。地の強さを持った演技なのですが、それをコミカルにもプレーンにも出し入れができる。天性のものがあるのでしょうね・・・。今回のように両面を演じる役がしっかりはまる・・・。なかなかいそうでいないタイプというか貴重なバイプレーヤなのではないでしょうか・・・

マスター役の永山智明は、15minutesやMUなどでも好演でしたが、今回もそれらに負けない落ち着いた芝居で辻沢との絶妙のコンビを演じきりました。不思議な役者さんで、相手役の個性をを引き立てる力があって、でも演技が続くなかで自らの個性を魔法のように観客に伝えることもする。静かな演技のクオリティが高いというか・・・。一方でとても間口のひろい演技ができる役者さんだとも感じました。

終演後、しばらく舞台の世界への共感が残っていて・・・。派手さはないのですが、心に残る・・・。新しいタイプの静かな演劇という感じもして・・・。

第十回の公演にして初めて知った劇団・・・、もっと早く知っておけばというような出遅れ感まで感じてしまったことでした。。

R-Club

ところで、実は・・・。冒頭の余談には続きがありまして・・・。帰りの埼京線、寝過してしまいました。たっぷり5駅も乗り越し・・・しかも、面倒臭くなって終点までいってまた戻ってくるというていたらく。おまけに翌朝起きるとすごく体がだるい。特に熱もなかったので会社の仕事をだらだらとこなして、夜知り合いのお医者さんに診てもらったら、なんと「過労」とのこと・・・。点滴のお世話になりました。点滴を打ってもらうとすっと辛さが抜けます。それにしても芝居の観すぎで過労って・・・。

芝居って座って観ているだけかと思いきや、観るほうも精神的にはけっこう過酷な労働をしているのだそうで・・・・。実はちょっと甘いものや水分をとるのも大事なのだそう

冬休みはすこし体を鍛えようと心に誓った事でした。

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空間ゼリーの「真夏の夜の夢」の洗練

12月14日、池袋芸術劇場にて劇団たいしゅう小説家プレゼンツ「真夏の夜の夢」を観ました。脚本:坪田文、演出:深寅芥の空間ゼリーコンビ。そこには和の世界に築き上げられた、洗練された「真夏の夜の夢」の世界がありました。

(ここからネタバレします。十分にご留意の上お読みください)

会場にはいると、舞台上の遊郭のセットがまず目にはいります。朱色の柱が鮮やか。舞台の色使いに艶があって、なにかわくわくする・・・。

客電が落ちると狂言回しのいきなりの口上がはじまります。凛と通るその台詞に観客は一気に物語の世界へと引き入れられます。

物語は、ほぼシェークスピアの戯曲にそって進んでいきます。ただ、江戸時代の世界に置き換える中で、物語の骨格は取り込んでも原典の言葉はトリガーになるようなもの以外そぎ落としてしまうような潔さもあって・・・、結果脚本のセリフに物語のスピード感とわかりやすさが生まれていきます。原典が舞台を縛るのではなく、原点の骨組みによって物語が安定して広がる感じ。物語が希薄にならないぎりぎりの質量で舞台が軽やかに動いていく。教条的な部分を廃し、今様の価値観を織り込んで、さらには江戸の遊郭の世界の雰囲気をそのままに・・・。坪田文の描く物語の流れに揺るぎがなく統一感があるので、いくつかの世界や価値観が安定的に同居できる・・・。その流れの先に観客が成り行きを追いたくなるような一夜の物語が現出します。

演出の深寅芥も物語の骨格をくっきり浮き立たせるように、舞台を動かしていきます。個々にはシンプルなシーンが多いのですが、淡泊にならない工夫が随所にあって、遊び心あふれるシーンの引き入れ方も絶妙・・・。衣装や音楽、さらにセリフ回しや役者の動きを見事に構成し、観ているものを飽きさせません、ここ一番の役者の動きに彩を与え、時には可憐さを強調させる。場面の色や大きさに合わせてナチュラルな演技と原典から導いたけれんを切れよく組み合わせて舞台を進めていきます。猫目倶楽部の時にも思ったのですが、彼の作る舞台にはその座組みで作りうる、背伸びをしないもっとも効果的な質感が存在する・・・。衣装の美しさや、キャラクターの個性に合わせた台詞使いが、物語の進み方にしっかりと鮮やかな色をつけて・・・・。観客の目を美しく豊かな舞台にひきつけていきます。

終盤、物語は、一旦シェークスピアからやわらかく離脱して、坪田が独自に描く世界へと走り出します。そこには恋する心が発するピュアな熱があって・・・。真冬の「真夏の夜の夢」、でも坪田流の物語の終息は、観客の心をしっかりと満たして、季節の違和感までやわらかく消し去って・・・。しかも物語を閉じる直前に再びシェークスピアの色を戻すところにも、物語を貫くような洗練を感じます。そして洗練は上演中だけではなく上演後も、観客を強くやわらかく物語に浸していくのです。

役者もよかったです。

原作ではパックの役回りとなる浅利陽介の演技には見栄えと底力がありました。ぐっと物語全体を受け止めるような力を感じる。ふた組のカップルも好演、斎藤ナツ子は舞台にしっかりと深さや密度を作る演技、中盤の彼女の演技は舞台全体のトーンを形成していました。比較的広い会場に彼女の心の動きをしっかりと浸潤させて・・・。舞台のスムーズな流れの内側から溢れ出すように現れる彼女の想いから十分すぎる熱が伝わってきました。三津谷葉子のまっすぐな感情の出し方にもよどみがなく、特に前半の舞台を引っ張っていました。佐野大樹の演技も観ていて気持ちがいい。彼の演技には硬質な切れがあって・・・。一方渡部紘士ののびやかさも舞台のトーンをしっかりとコントロールしていたように思います。遊郭の主人を演じた小野剛民の気弱さと強欲な部分もしっかりと舞台になじんでいました

婚礼を行う大名役の宮原将護の台詞回しも物語の貴重なアクセント、身受けされる花魁役の清水ゆみ のセリフにも静かな説得力がありました。もののけの王役を演じたジェームス小野田には豪胆さに加えて人の良さがしっかりと出ていて、その部分が妻役の大林素子にうまくマッチしていて・・・。大林の背丈は、今回の舞台にとって一つの財産、もののけの女王としての威厳というか存在感がありました。二人とも十分に及第点の演技だったと思います。また、王に使える鳥のもののけを演じた竹下明希の細強い演技にも魅力があり、妻に使える花・風・月のもののけを演じた竹中里美、五十嵐れな、一戸恵梨子にはしなやかさがありました。可憐さを持ちながら、それぞれのセリフのタイミングがすごくよくて・・・。 眼福でもあり・・・。

道化役を演じていた高佐一慈尾関高文は演技力もしっかりと持ち合わせていて、なにより舞台のテンポを作り上げていたように思います。あの劇中コントは日替わりなのでしょうかねえ・・・。舞台上の他の役者たちのナチュラルな笑いが劇場全体のぬくもりをさらに上げていたような・・・。

同じく道化役の駒谷仁美には不思議な実存感がありました。べたな言い方ですが観客の目をすっと引き寄せるような天性のものがあるように感じました。

この舞台、しいて言えば、ダンスが少し弱いかも知れません。しかし、それを補ってあまりあるものがこの舞台にはあると思います。

途中のThe Geeseのコントも、唐突さがなく、観客を舞台にひきつけるだけの力があって・・・。吉田摩奈美の衣装もポップでありながらキャラクターを現す舞台衣装としての機能をしっかり維持していて秀逸・・・・。見所がある芝居は観ていて楽しい・・・。

21日までの公演とのこと。エンターティメントとしてお勧めの一作です。

R-Club

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ろりえ「キミは癌」のわくわくする混沌

2008年12月13日、ろりえ「キミは癌」を観ました。場所は早稲田大学の学生会館、B203教室。けっこうタフで興味深い舞台でありました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

冒頭のダンスが突き抜けています。いきなりフルスロットルで走り出す感じ。女性たちのバワーが観客を一気に引きずっていきます。独特のリズムが観客を凌駕していく。ステージが華奢にみえる。繰り返しがどんどん押し寄せてくる。リプトンが耳に残る・・・。まずこの部分が非常に秀逸でした。

しかし、そこからのドラマは不思議に落ち着いたトーンのなかで立ち上がっていきます。断片的に映像で示される情報。最初は理解しがたかった舞台上のルールが次第にまとまっていく。まるでカタログのようなさまざまなタイプの女性たちがお父さんとよばれる男性とすごす「平和」と銘打たれた静かな時間の流れ。一方で奴隷と呼ばれる男たちの存在もあって・・・。ちょっと不可思議な共同生活。その空間に、男女が共にすごすありふれた世界のデフォルメされた姿がふっと浮かびあがってくるような・・・。千石イエスを彷彿とさせる部分もあるのですが、それだけではない。依存と制圧、所有と非所有、独占と共有・・・。作者によってデフォルメされたさまざまな要素・・・。それらの均衡が静寂を生んでいるような。でも、「平和・終わり」という状態に陥って均衡が崩れた時・・・、混乱が世界を支配するのです。混乱には苦悶がある・・・。苦悶の時間は収束しそうでしない・・・。

で、混乱の極みから舞台はまわって(本当に回ってびっくり)なんとお風呂へと・・・。

正直いって物語を追いかけるのはむずかしかったです。でも、カオスに至るような舞台から不思議につたわってくるものがある・・・。なにか抜けられないような感覚や癒し、それらが観ているものにとってのどこかに共鳴しているのです。

それよりなにより、舞台上の刹那ごとにあるものが、観ていてわくわくするほどおもしろい。間違いなく惹きつけられている・・・。作者が意図した表現すべきものが混沌の中にしっかりと感じられる・・・。

役者もそれぞれに勢いがありました。

梅舟惟永、斎藤加奈子、志水衿子、徳橋みのり、岡田あがさ、清水穂奈美、谷若菜、本山歩、岡野康弘、横山翔一、松原一郎、高木健、奥山雄太

岡田あがさ以外は初見。岡田あがささん、今回も気持ちがよいほどに切れておりました。他の役者もびっくりするほど力があった・・・。登場人物たちのかかえるものが舞台上で個々にちゃんと見えていました。混乱の中でも演技が安定していて、それぞれのシーンに色がちゃんとついていく・・・。

言葉の範囲で表現できない魅力がこの劇団にはあるのですよ・・・。

そう・・・、多分・・・・、この劇団、次回も観ると思います。

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アロッタファジャイナ「今日も、ふつう」小さな積み重ねの大きなパワー

12月12日、シアターモリエールでアロッタファジャイナ「今日も、ふつう」を観ました。前回と同じく対面に客席がしつらえられて、中央に赤の舞台・・・。

やわらかい緊張感がただよう場内・・・。良質の雰囲気が場内を包みます。そのなかで、物語が幕を開けます。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意の上お読みいただきますようお願いいたします)

女子高生たちの、快活な会話シーンからはじまって、断片のような物語のかけらが積み上げられ始めます。

アロッタメソッドともいえるような半暗転でつないでいくシーン転換のなめらかさ、いくつもの物語が次々と現出して、次の物語にかさなって・・・。映画のカット割に近いようなシーン構成に最初はとまどいを感じたのですが、慣れてみるとそこに身をゆだねていくことが心地よくさえ思える。観客を緊張感とリラックスの絶妙なバランスの上において物語がすすんでいくのです。

バラバラに進んでいるように思えたエピソードによこのつながりが現出し始めると、物語は一気にふくらんでいきます。前半、観客に積み重なったものが崩れながら、いっぽうで真実が膨らんでいくような感覚。ありふれた日々が揺すぶられて、突然につけを払うような時間がやってくる・・・。日常が重ねられる中に差し込まれた非日常のカード・・・、一見唐突な設定にも違和感を感じさせないだけのふくらみが物語に用意されていて・・・。

物語全体を見渡すことができるまでにシーンが積み重なったとき、観客にやってくる人間のいくつもの業の生々しさ。そこには肌に染みいってくるような不可避の力があるのです。

後日談、耳慣れた音楽、その日常のナチュラルな雰囲気やたおやかさやに、人が抱えている非日常の色が再び呼び戻されて・・・。

作・演出の松枝佳紀が見つめる、繰り返しの日常に内包された、悲劇の構造が観客にやわらかく浸潤していくのです。

シーン中のディテールには、まだよくなるのだろうなと思う部分あったのも事実。役者の視線の位置や台詞の強さなどでふっとひっかかりを感じることがある。でも、それらも十分に許容範囲というか、シーンの意味を伝えようとする意図が役者から伝わってくるので、物語を損するものではなく・・・。

物語の流れに心を奪われる感覚をたっぷり味わうことができました。

役者のこと、要所に配された役者たちの地力のようなものにまず瞠目・・・。ナカヤマミチコの人を喰ったようなずぶとさと力感、青木ナナの清濁をさらっとのみほすような大人の深さ、三坂知絵子のずぶとさの内側にある繊細さ。彼女たちのキャパの大きな演技がそのまま舞台の安定感につながっていたように思います。その中で、井川千尋加藤沙織がキャラクターを鮮明にした演技を見せる。山本律磨乃木太郎の芝居には、表層と過去との対比に実存感があって見ごたえ十分。

阪田瑞穂、山川紗弥、清浦夏実も大健闘・・・。ヴィヴィドなだけでなくそれぞれの演じるキャラクターがしっかりと舞台になじんでいて、物語の横糸として十分すぎるほど。中間色のようなキャラクターたちのかかえるニュアンスまで、ダイレクトに観客に伝わってきました。橋本愛実の貫くような気持ちも観客を強く引き寄せる・・・。演技に太いしなやかさがあって物語のふくらみを支えていました。三元雅芸のストイックさにも力があって、終盤の物語に強いテンションを与えて・・・。峯尾晶の演じるある種の不安定さや竹内勇人が演じるキャラクターからにじむ野心、形は違っても斉藤新平木田友和からやってくるある種のまっすぐさ・・・。貞方邦介はキャラクターの色を舞台に染めるのに長け、キャラクターの雰囲気をしっかりと作っていました

それらの演技を背負って物語のコアを作ったのが菅野貴夫安川結花の二人・・・。菅野は隠すものとさらすもののメリハリがしっかりしていて、演技に歯ごたえがあるのです。それが、安川からあふれ出す想いをしっかりと受け止めていて・・・。一方の安川も感情がひたすらあふれ出すようなこれまでの演技ではなく、やわらかく染み出して高めていくような演技で、物語の時間軸をしっかりと表現していて・・・。そのなかでその奥に揮発性がなく逃げることができない主人公の想いをしっかりと観客に伝えていく・・・。

まあ、カーテンコールの安川さんのぐだぐださは相変わらずでしたが、でもそれもまたご愛敬。物語の余韻をもったまま、ゆっくりとモリエールの階段を降りた事でした。

で、ですね・・・、帰りの埼京線も座れて、ずっと物語を反芻していたわけですよ・・。買ったパンプレットをめくりながら・・・。で、青木さんのプロフィールを読ませていただいているうちに、前売りの予約時に劇団のブログに書いてあった前売り特典のことを突然思い出して・・・。忘れていた・・・。安川さんの最後の演技に記憶がすべて飛ばされていたようで・・。無意識の領域にも満足感が十分あったお芝居だったというか・・・。

まあ、芝居の満足感だけでも十分元はとっているわけなのですが、ちょっとだけしまったと我にかえったことでした。

R-Club

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こゆび侍「飴をあげる」素の魅力

12月10日、ギャラリールデコにてこゆび侍の「飴をあげる」を観ました。3作の短編と1編の超短編・・・・。素材を生かしたお芝居を堪能いたしました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

ルデコの場内の奥側にふつうに作られた舞台。観客は30名くらいでもう超満員。途中休憩時用のアイテムを入口で配られて・・・。

☆亡骸をめぐる冒険

恋人の死に接した女性の感覚が、あからさまに描かれていきます。体温とともに沈んでいく感覚。そして死の原点に想いを馳せる・・・。

ミルフィーユのように重ねられていく氷の国と原始のシーンは、そのまま、亡骸によりそう女性の心をを去来するものに見えます。深い意味合いの提示や論理の積み上げもなく、ただ、女性の感性がそのまま舞台上に形として現れていく・・・。

原始人たちの死を見つめる感覚、氷の国での死の表現・・・。その脈絡のなさに死を受け入れることの本質が浮かび上がってくる・・・

最後のシーンの、ありふれた光景にこの短編の真価を感じた事でした。

・幕間

ちょっと小粋な男女の会話劇。深く考えないで、チョコレートの小粒を口の中で溶かすように楽しむのがよいかも・・・。

男と女の思惑がちょっとだけ交わるところで、なんともいえない可笑しさがやってきて・・・。

浅野千鶴と高木エルムのどこか人を喰ったようなゆとりと内側のどろっとした感じがが物語を豊潤に膨らませていました。

わずか数分の作品なのですけれど、その世界にどっぷりと浸り込めるようななにかがあって・・・。

個人的には大好きなひと品でございました。

飴をあげる

メルヘン・・・・。なのだと思います。登場するものが「カラス」に「猫」に「ゴミのネット」・・・。そのちょっと不思議な設定だけで、すでに物語が観客を舞台に引き寄せていく。佐藤みゆきの言いたてがいいんですよ。柿喰う客的な雰囲気を背負ってカラスの独りよがりで高揚感を持った恋心を描写していきます。カラスの価値観には居場所があって、それを冷静に見つめるおばさんキャラのゴミネットにも味わいがあり、クールな割にどこか温かさも感じる猫も舞台の色を引き締めて・・・。

異なる世界に住むカラスと男が同じゴミ捨て場で接点を持ち、恋をしたカラスが一歩足を踏み出したその先にあるもの・・・。カラスの盲目さと男の捨てた指輪をゴミ袋から漁るような器量の狭さが、なんともいえないペーソスを醸し出していきます・・・・。

擬人化したカラスから、理性の衣をかぶった理性に縛られない恋心が鮮烈に香り立つような・・・。また、シニカルというか苦甘いな結末で、物語のテイストをすっと観客側に収めてしまうところもすごくいい。

・うつせみ

モチーフ自体はそれほど目新しいものではない・・・・、でも、食べなれたものの味わいに改めて驚きを感じるというか・・・。

蝉(幼虫)の世界から人間界への概念の転換がすごくうまいのだと思います。革命はそのまま東南アジアやアフリカなどで実際に起きたことの末路を連想させて・・・。また、それはモラトリアムの放棄のその果てをも暗示するようで・・・。

その秀逸さを土台にして日々の実感が演じられていく。舞台上に世界観があるからその中で演じられる表層的な日常にも実存感が感じられる。新しいと思ったものは陳腐化し、変化への欲望を果たしたものは得たものを守ろうとする。その中で、根柢のシステムまでが次第に崩れ去っていく時、そこにある日常の味わい・・・。

音楽とダンスがすごく効果的にその世界を表現してみせます。硬直化していく世界のなかでの日々の暮らしや退屈さが、それらによってすっと浮かびあがってくる。

なんというか、物語に込められたさまざまなニュアンスがしっかりと味をもってやってくるのです。感覚が頭のなかで翻訳されることなくそのまま伝わってくるというか・・・・。一番感心したのは、1時間の上演時間のなかで作りだされた革命の顛末からやってくる時間感・・・。最後のスポットライトのショットに照らされたものに含有される物語の大きさと流れた時が重さを持って心に残っている。

ほんと、作品の色は違っても、それぞれに本質がいきなりあからさまにやってくるようなクオリティがあって・・・。食べ飽きないような満足感があとからじわっとやってくるのです。

役者達も、この観客数じゃあまりにもったいないと感じさせる充実ぶり。

廣瀬友美・佐藤みゆき・川連太陽・加藤律・福島崇之・浅野千鶴・小杉美香・高木エルム・中川鳶・丹波文子

ブレイクタイム用に配られたアイテムはよく意味がわからなかったのですが、なにか懐かしくてちょっとうれしかったりして・・・

こういうテイストの舞台、私は大好きです。

本公演は来年の3月とのこと・・・。来年の楽しみがまたひとつ増えました。

R-Club

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笑福亭福笑独演会は師弟そろってのグルーブ感

2008年12月6日、横浜にぎわい亭で笑福亭福笑師匠の独演会を観ました。かなり早めに家をでて、中華街にてご飯を食べて・・・・。

2階席まで埋まったにぎわい亭で至芸をたっぷり楽しんでまいりました。

(ここからはネタバレがあります。ご留意の上お読みください)

・笑福亭たま 「くっしゃみ講釈」」」

観るたびにおなじみのショート落語なのですが、今回はびっくりするほど切れがよくなっていました。ほんとうに微妙な間がしっかりと観客をつかんでいく。観客がすっと乗せられるような感じ・・・。場内の笑いも一通りではなくいろんなバリエーションがあって・・・。なにか急に引出が増えた感じ・・・。

本編の「くっしゃみ講釈」も抜群の出来でした。のぞきからくりの部分だけでも十分に笑わせてもらえる・・・。瞬発力のある芸で会場にドッと網を投げ込んで有象無象をいっきにさらっていくような力があって・・・・。その強さがありながら、以前あったような芸のむらが見事に消えている・・・。

しかも、講釈の見事の見事さには目を見張るほど・・・。張り扇と小拍子のリズムにのせて、一気に語り始めるその姿の凜としていること。丁寧な演じ方が芸を小さくしていない。足をしっかりと地につけて語り上げていく感じ。講談だけでも十分に見ごたえがあるのです。ここで観客をうならせるから、トウガラシの煙を吸った時の語りとの落差がしっかりと出る。しかも、観客をいったんツボにはめるとそこからは上方落語のしつこさがたっぷりと出て、観客がアリ地獄に吸い込まれるように笑いにはまっていく。

福笑師匠の独演会であることがぽーんと頭から飛ぶほどそれはみごとな高座でありました。

・笑福亭福笑 「時うどん」

「時そば」とか「時うどん」というのは、古典なのでこういう言い方をするのもおかしいのかもしれませんが、丁寧にカットを施しデザインし磨けばとんでもない光を放つ宝石のようなネタなのかもしれません。先日、柳家喬太郎師匠の「時そば」をDVDで観てこれはすごいと唸ったのですが、この「時うどん」も勝るとも劣らぬ高座でした。

実は、福笑師匠の「時うどん」は、、天満天神繁盛亭のインターネットライブで一度拝見しているのですが、その時ともだいぶ印象が違う・・・。生であるか否かという部分ももちろんあるのでしょうけれど、それだけではない。たとえばインターネットライブのときは、噺に入っての冒頭に主人公の二人が都々逸の話しをしながら色街の冷やかしから帰るシーンがあったような気がするのですが、今回はその部分がそっくりカットされていて・・・。うどんやと主人公たちのやりとりだけにピンスポットを当てるように噺を運んでいるような印象。

だからといって素うどんで客を帰すようなことを福笑師匠がするはずがありません。被害者になるうどんやとのやりとりで助走をつけて、うどんの食べ方で噺を一気にはじけさせます。形容矛盾みたいな表現で申し訳ないのですが、一杯のうどんをめぐる、あんなにナチュラルにデフォルメされたバトルを観たことがない・・・。理屈とかすっとばした人間が根源にもっているような笑いがぐわっと湧いてくる・・・。肝心の支払いの部分をさらっと済ませておきながら、揺り戻しというかとどめをさすようなギャグで、観客を最後にもうひと煮立ちさせて・・・。

お手本の部分の仕込みがここまでしっかりとされているから、あほが昨夜どおりに事を運ぼうという部分で、その熱が少しも冷めないのですよ・・・。うどんのひどさでもう一度温められた観客は汁を飲むしぐさでさらなる笑いに突き落される・・・。冷静に考えたらあかんやろ・・・というようなまずいうどんやが、あほの背景色のように使われて常識人に思えるところが一段とおかしくて・・・。

最初にオチの詳細についての説明があるというとんでもない高座でもあったのですが、そこにも全く違和感がない。観客にはオチで噺のよさを気付かせるのではなく、そこまでに散々笑い疲れた客を噺の世界から救出するためにオチが仕込まれているような・・・あの江戸時代の時間の数え方教育はその段取りがすっと働くための仕込というか救命胴衣のようなものだったかと・・・。

「時うどん」というネタ、これまで特に聴きたいというような噺ではなかったのですが、がぜん好きになりました。

(中入り)

・松元ヒロ「一人コント」

松元ヒロさんの芸を生で観るのは2回目。前回も福笑師匠の独演会で・・・。

体の動きから質量が感じられないのですよ。最初にお面をモチーフにした、顔だけを固めて体が動く至芸、歴代の総理を演じる時にも、その表層的な部分がしっかりと生きていました。よしんば尊き方のお話であってもそこに重さがないから、すっと流せる・・・。しっかりとした印象や形はあるのですが、それが根をはやさないから観ているほうにもたれがないのです。

でも質量と切れは全く別物。まるで、一本の毛を2本裂くような芸の切れが随所にあって・・・。

最後、たまさんの疑似アナウンスで天気予報のマイムを見せたのですが、これはすごかった。なにかを通り越してもうおかしくて・・・。

こういう芸人さんって、観飽きません。

楽しませていただきました。

・笑福亭福笑 「はははぁ家族」

不眠をテーマにした新作落語。この噺、すごいんですよ。ある種のリズムがあって聴いているとなんとなく気持ちよーーく眠くなってくる。笑いこけながら眠くなってくる落語って初めて聴きました。

精神科でのやりとりがおけら参りの火縄のようになって、主人公が家に帰ってからの噺にやわらかく火をつける。眠るという作業に絡む妻や父・・・。派手に噺がふくらむというわけではなく、じわっとギャクが花を開いていく感じ・・。福笑師匠の毒がゆっくりと回ってくるような。完全燃焼系のネタではないのですが噺の芯の部分からゆっくりとおかしさが全体に広がっていくような高座に、福笑師匠のけれんない実直な芸の世界が垣間見えるのです。

すこしずつ笑いが積みあがっていくなかで、膨らんでいくというよりは密度が濃くなっていくような空間が現出して・・・。なにかふしぎな満足感がオチとともにやってくる。

どぎつさや大向こうを唸らせるようなけれんはないけれど、ええ噺やと思います。

福笑師匠、今回の独演会もほんとうに充実していました。にぎわい亭と福笑師匠の相性、すごくよかった。これからも半年に一度は福笑一門会を関東の地でお願いしたいものです。

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「Good Night Sleep Tight」冷徹さを包み込む絶品の表現力

11月29日、パルコ劇場にて三谷幸喜作・演出の「Good Night Sleep Tight」を観ました。会場は三谷幸喜のホームグラウンドともいえる渋谷パルコ劇場。当然に大入り満員の劇場で、期待にたがわぬ2人芝居が繰り広げられました。

(ここからはネタバレがあります。十分にご留意くださいませ)

場内に入ると舞台を覆うような半円柱のものがまず目に入ります。お芝居のタイトルがかかれた緞帳代わりのような大きな壁、ブロードウェイ風の文字が目をひきます。別に本谷有希子さんに刺激されたわけではないのでしょうけれど、三谷幸喜氏自らが開始前の諸注意を。品のよいジョークでゆっくりと観客を物語に引き込んでいく。ある意味後藤ひろひとなどと同じ手法でありやり方に目新しさはないのですが、彼一流の語り口にはとても魅力があって、観客の心がすっと舞台に向いていく。

物語は、離婚が決まった夫婦の風景から始まります。出ていく妻が荷物をまとめ終わって・・・。最後に残った荷物からの二人の会話。一冊の本から昔の海外旅行のあいまいな記憶が紡ぎだされていく・・。舞台上手側の上部に電光掲示板があって、夫婦が過ごした日数が表示される。なんとなくそれを365日で割って年数を出している間に二人が過ごした時間の重さに実感が生まれたり・・・。シーンごとに廻り舞台上のベットの距離が変化して二人の関係を暗示して・・・。

夫婦の過ごしてきた、熱く、あたたかく、冷たく、時には滑稽ですらある時間。さまざまな場面での二人の時間が電光掲示板の動作音とともに行っては戻ります。若いころのVividな時間は観客をときめかせ、熟した時間からはそれぞれを思いやる気持ちがじわっと観客に伝わって・・・。でも、個々のシーンに思い出がいっぱい詰まっていても、そのシーンに笑い転げたとしても、観客には二人の間で時とともに風化していったなにかが透けて見える。

若いころには試行錯誤を繰り返しながらも人生を渡るうちにだんだんと成功の道を見つけていく妻と、若いころの輝く才能と自信が次第に枯渇していく夫。シーンが変わるたびに衣装や雰囲気が変っていく妻と、その妻に着換えろと言われない限り着替えることも少なく、どちらかというとそのままの風貌で妻に対峙する夫。丸いステージは夫の心でそこでのドラマは夫の胸に宿る追憶のようにも思えて・・・。

戸田恵子中井貴一もキャラクターが内包する魅力を実に細密に演じていきます。まさに盤石の演技で、観客は魔法にでもかかったように二人が次々と演じる時間の雰囲気に導びかれていく。しかもそこには仕掛けがあって、ふたりの演技のなかに占める「時間とともに変化するもの」と「変わらないもの」の配分が意図的に変えてあるような・・・・。戸田恵子が妻の精神的な成熟や変化を絶妙なバランスで表現していくのに対して、中井喜一は時間や場が変わっても変わらない夫のコアをしっかり演じきっていく・・・。その差がベットの距離とともに二人の間に広がる溝や離婚の核心部分を観客に伝えていきます。怒りや憎しみや後悔では語り尽くせない、二人の関係に内在する離別の必然が、物語の進行とともにくっきりと浮かび上がっていきます。

ポラロイド写真のように色褪せていく記憶をたどる中で突然リアルによみがえる苦笑いと懐かしさがほどよく混じり合ったエピソードたち。三谷幸喜が仕掛けた複線たちが、ふたりが共有した日々に不思議なリアリティとふくらみを醸し出して・・・。やがてそれらは戻ることのできないものへのいとしさへと変わる。そのいとしさが、今度は揺り戻しのように10000を超える日々の重さを観客に伝えていきます。三谷幸喜のしたたかな脚本は、次々に現れては消えていくランダムな思い出の中で、透明感と軽さを持った二人の別れの質量を、結晶を育てるように形にしていくのです。。

でも、この作品の一番素晴らしい部分は、夫婦の関係にそこまでの表現を編みこみながら、単純に夫婦間の別れをテーマにした悲劇だと観客に感じさせないこと。前述の舞台装置からはじまって、荻野清子達の出しゃばらないウィットに溢れた音楽や効果音、舞台の内外の絶妙な使い分け、観客の心にやわらかく満ちる戸田恵子のボーカルやピリっとスパイスの効いたふたりのダンス、そしてもちろん三谷幸喜一流の洒脱で軽妙な会話とそれを舞台上に紡ぎあげる二人の時間。厳然と表現されたビターな別れを包み込む二人が過ごした一万を超える日々への控え目で豊潤な賛歌こそがまさにこの舞台の真骨頂。

これほどのお芝居だと、よかったという一言では表現できない。とても笑ってちょっとしんみりして深く満たされて、しばらくしてから感動が大きなうねりのようにやってくる。言葉では言えないやわらかく溢れだすようななにかがこの舞台にはあるのです。戸田恵子や中井貴一、そして三谷幸喜にとっても代表作のひとつとなるのだろうし、なによりも観客である私にとって生涯忘れえぬ作品となりました。

私自身への記録もかねて・・・・。

作・演出 : 三谷幸喜

出演   : 中井貴一/戸田恵子

作曲&演奏: 荻野清子(ピアノ)

       高桑英世(フルート)

       庄司知史(オーボエ)

       山根公男(クラリネット)

その他  : 亀のタローも好演・・

廻り舞台の使い方やシンプルな舞台美術もとてもよかった・・・。

東京公演は12月20日まで、年が明けた1月6日~20日に大阪での公演もあるようです。前売りは売り切れているだろうし当日券がでるのかもわかりませんが、とにかくお勧めの一作です。

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