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岡崎藝術座「リズム三兄妹」脈絡が繋がりきらなくとも見えるものがある

11月1日マチネで岡崎藝術座の「リズム三兄妹」を見に行きました。場所はアゴラ劇場。ゆっくりと刺激的な舞台に心惹かれてしまいました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

舞台はほとんど大道具がなく、そでのエレベーターまでがむき出しになっています。ある意味最大限に空間を活用しているともいえる。

そこにエレベーターから一人の男が現れます。舞台の中央に立つと「ソファーを演じます」と宣言して本当にソファーを演じてみせる。そこにはソファーがあるのです。不思議な静寂のなかで観客はソファーと対峙することになります。

十分な時間を持って現れたのが、三兄妹の長女(まんなか)、自己紹介やはり自己紹介をして「今準備をしています」と簡単に舞台を整え始めます。そしてソファーを中心に緩慢になごんで音楽を聴き始めます。

「ABC」、(ジャクソン5?)の軽快なメロディを、微妙にシンクロするソファーとの演技に重ねて、観客を彼らの世界に引きづり込んでいく。さらに同居人の女性が現れて、ゆっくりと二人&ソファの時間が流れていきます。食べるとか、テレビを見るとか、入浴をするとか、排泄をするとかいうことが、重なったり離れたりしながら同じ空間を重ね合わせのようにして支配していく。最初は淀んでいるようにすら見えた時間が、空間の重ね合わせのずれのような感覚を重ねていくうちに、不思議な立体感を帯びてくる。それは時に揺らぎながらも形状記憶のような力をもっていて・・・。その空間ではそんな風に時間が流れているのだろうと思う。役者の空間への出入りのシュールさ、途切れた時間の集まり方、露骨に見えるエレベーター・・・。観客の常なるイメージをやわらかく崩していきます。二人、そして兄の登場するころにはなにか抽象画を眺めるような感覚がやってくる・・・。

巣恋歌の登場でさらに舞台に奥行が生まれます。ちょっとレトロな彼女の歌には世界を俯瞰するような言葉が織り込まれていて・・・。そこに登場人物の座標が不思議に定まる感じ・・・。

その感覚は末っ子の夢子と友人(?)のショウコの時間間隔の違いにもやってきます。ソファーを演じた役者に恋を告白しようとするショウコの歌を聴いてリズム感のなさを指摘する夢子。お手本として、あざやかにリズムに乗せてラップっぽく歌ってみせる・・・。でもそれはショウコのリズムではなくて・・・。

いろんな空間やリズム感覚が重なるにつれて空間が膨らんでいく・・・。そのたびに自分のリズムのなかで人は踏ん張って、まるで船がバランスを戻すように重なり合っている周りの空間が少しずつ揺らぐような感覚が訪れる・・・。

ラストに近い部分で夢子の台詞を実感をもって聴くことができたのは、それらの空間の重なりが、なにげなく観客側に侵潤していたからだと思います、空間がいくつも重なるデリケートな部分に観客が物語を俯瞰するだけの足場をもらっていたような。バランスが少しずつ崩れるような感覚と同じだけバランスが戻るような慰安の感覚がそこにあるのです。だからこそ、夢子が「All That」という風に指し示す役者とショウコの姿に、不思議な癒しを感じることができたのだと思います。。

役者のこと、西田夏奈子のバイオリンと歌は、大時代的な風情の中に大きな視野を感じて惹かれてしまいました。なにか貫くようなスタイルがあって、それが舞台のパワーを膨らませていたように思います。白神美央の演技にも力がありました。彼女のキャラクターを力で支え切っていました。怠惰な印象を残したままで強さを出せるところに彼女の演技の秀逸さを感じました。それまでの彼女の演技の盤石さがあったから、排泄の時のコインの音(財布からにコイン落とす音で排泄を表現する)に彼女が生きていることの生々しさがしっかりと伝わってきたのだと思います。

召田実子の不器用さの表現も印象が強かったです。すごくデフォルメされているのですが、一方で実存感があり、そのなかに実直な姿を感じる。秘められたもの深さも強く感じたことでした。坂倉奈津子のナチュラルな表現も魅力的。彼女の表現する時間はとても細かい粒子のように舞台の色を作っていました。髪を洗うときのしなやかさと自己主張で二人の関係がすっと浮かんでくるような・・・。

鷲尾英彰は相手の色をしっかりと受け止めた演技。坂倉や内山との会話がデフォルメされた世界と観客をつないでいたように思います。億土点のソファーもすごかったですね・・・。冒頭のシーンでいきなり観客をつかんでいましたから。単純に具象化するのではなく、ニュアンスをしっかりと表現している。前半のシーンではアンプのように舞台の細かな印象を拡散していたような・・・。とても見ごたえがありました。

内田慈の滑らかさも魅力的でした。ラップのようなリズムの取り方もすごくうまく機能していたし、最後のシーンの仕草がすごく効果的。なにか舞台の上で縛られていたものがすっとほどけた感じがしました。

帰りがけに上演台本を購入。作・演出である神里雄大の意図がぎっしり詰まっていて読み応えがありました。すっきりしなかったいくつかのことを納得したりして・・・。たとえば、白神と坂倉が演じていたキャラクターのベースにある関係性とか・・・。でも、それを上演中感じ切れていなかったことも事実で、戯曲を知るというのは、観た舞台のフォーカスをさらに絞ってくれるものなのだなと妙に感心した事でした。

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