« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

「猫目倶楽部」シンプルだけれどきちんとしていて・・・、たのしい

11月29日お昼公演で「猫目倶楽部」を観ました。作:坪田文、演出:深寅芥の空間ゼリーコンビに劇団員の参加もあって・・・。どんな作品ができるのか、ちょっとわくわくしながら午前中からのお出かけで観てまいりました。

(ここからネタばれがあります。ご留意の上お読みください)

まずびっくりしたこと・・・。開演で会場が闇に包まれたとたんに拍手が起こりました。落語が始まるのかと思ってしまいました。

さて、細田喜加の厚みを持った演技から物語が始まります。

物語の骨格はとてもシンプルでした。というよりもわかりやすい。ちょっとテレビ的な部分があって演劇に慣れていなくてもこれならストーリが追えないということはまずない。でも作家の坪田文は、構造はシンプルにしても子供だましはしない・・・。物語の骨格に男女間や女性どうしの想いや心の変化を織り込んでちゃんと役者に仕事をさせる脚本を作り上げます。骨格がシンプルな分、個々の登場人物の心情をしっかりと描いていくのです、主人公の猫目倶楽部が活躍すれば物語が進むように仕組みを組み立てて、物語の流れを担保したうえで、男が陥りやすいずるさや男性を振り向かせたい女性の想いを冷徹に描いていきます。骨組がシンプルなので、テーマが重く感じられない。遊び心やマンガチックな部分もところどころに織り込んで・・・。老若男女が楽しめて、琴線に触れる部分が仕込まれた、ボリューム感と心地よいテイストをもった物語が舞台上を流れていきます。

演出の深寅芥もシンプルなつなぎで物語に流れを作っていく。暗転にたよらず、必要な要素をサクサクと提示していきます。シーンごとの重さの振り方が絶妙で、捨てシーンもなく役者たちに決して演技を端折らせていない。よしんば日替わりゲストの時間でも物語の尺と合わせた構成になっているので観客の中で物語が切れることがない。アイドル振りの歌も物語と乖離することなく、全体として統一感をもった1時間20分の舞台を楽しむことができました。

それはまあ、大人のエンターティメントとはちょっと言いにくい部分があることも事実。でも大人が口にしても甘ったるい感じはしない。ビターなテイストがまっとうに練り込まれていて・・・。観客の間口を大きくもった佳作となりました。

役者のこと、主役(猫目倶楽部)の3人のなかでは椎名法子の演技が一番目を引きました。筋金がはいったような強さが芝居にあって観ている側がリラックスして身を任せられる感じ・・・。関西弁のよさを生かした押しと明るさが舞台の輝度を上げていたように思います。弥香もくっきりと目鼻立ちのわかりやすい演技。アンドロイド役とでしたが、生まれてくる感情に繊細さがあって大好演でした。三好絵梨香は一番重い役どころ。強い演技は無難にこなしていました。ただ、弱く継続していくような演技がところどころで途切れてしまう・・・。想いを内に秘めるような演技でふっと感情の流れが空白になってしまうのです。とても魅力的な演技も多いだけにちょっと惜しいなと感じました。

龍弥の演技には切れがありました。また、力みなく想いの表現がすごく安定しているのです。共演者をすっと引き出すようなゆとりもあって観ていてすごく安心感がある・・・。TAKERUには感情の切り替えのうまさがありました。ただ、演技が強くなると台詞が若干不安定になるような。場数を踏めば改善されることなのかもしれませんが・・・。岡崎和寛の感情の出し入れや会話のスムーズさは観ていて気持ちがよかったです。ただ、もっとシーンの空気を広げられるだけのキャパが彼にはあるような気がします。たとえば、彼を挟んだふたりの女性の心の動きが際立つような空気をつくる力を彼には感じます。

つつみかよこの演技には先生としての奥行きのようなものがふくよかにありました。青山玲子の心の動きも客席にしっかりと伝わってきました。ふたりとも観ていてセリフに想いの重さがちゃんと載っていて物語をしっかりと支えていました。

空間ゼリーからの3人はさすがにうまい。細田喜加の切なさはダイレクトに客席を席捲します。また、相手の演技をしっかりと受けてそれが映えるように返していく。彼女が舞台にいるとそれだけで空間の密度が上がる感じ。猿田瑛に心情にふくらみがあって好演。台詞の大きさを超えて伝わってくる想いがある。前回空間ゼリーで観た公演よりもさらに大きく想いが客席に伝わっているように感じました

阿部イズムは狂言まわしのような役割でしたが、テンションが安定していて物語がきちんと観客につたわっていました。彼のリズムが舞台のリズムを作っている感じ・・・。舞台の屋台骨を支え切る気概のようなものも伝わってきて、見ごたえがありました。

物語も楽しめて、アイドル振りの魅力も久しぶりに体験できて・・・。

たまにはこんな舞台を見るのも悪くないとすら思わせてくれる。坪田ー深寅の底力、恐るべしです。

PS:私が観た会の日替わりゲストは保田圭岡田唯。舞台あしらいも上手、観客をしっかりとひっぱりこむ技量もあって・・・。ただねぇ、怒られるかもしれませんがその魅力は・・・・色物のもの。一応褒め言葉として追記いたします。

それともう一つびっくりしたこと、その日は3回公演(私が観たのは1回目)だったのですが、公演が終わるとすぐに以降の公演のチケット売り場に列ができていた・・・。なにか底知れぬパワーに圧倒されてしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

MU「死んだ赤鬼/戦争に行ってきた(反転)」の描く脆さの秀逸

11月29日ソワレにてMU「死んだ赤鬼/戦争に行ってきた(反転)」を観ました。場所は渋谷のギャラリー「LeDeco」、役者の息遣いまでもが伝わってくるスペースで両A面と銘打ったハセガワアユムの短編2作、やわらかく強く印象に残るお芝居でございました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

☆戦争へいってきた(反転)

作品の中に潜む質感のようなものにやられました。

導入部の女性3人の会話の部分がまず秀逸、スムーズに流れる芝居のなかに、女性たちが個々に持つごつごつしたものがとても自然に伝わってくるのです。それぞれが相容れない本音がありながら、それらを繋ぐ共通のずるさのようなものが・・・。戦場で人質になった被害者が反戦を唱えるという必然を身にまといつつ、一方で自らが根本にもっている反戦とは異なる欲望が、そこやここに顔を出し始める。それぞれが個人として持つ本当の価値観と共通の反戦・平和という言葉のギャップ、その差異からやってくるざらつくような違和感・・・・。表層の体面が表層の言葉を生み、そこから逸脱した言葉があふれても彼女たちの罪の意識など感じられない。女優達の手連の演技は体面と本音の間の揺らぐような空気を醸成し、彼女たちの纏っているものに絶妙なフェイクのにおいを与えます。

そこに現れるミュージシャンのマネージャー達のキャラクターが物語をさらに広げます。女性たちの意に染まないような反戦ソングを作って、その打ち合わせを行うという・・・・。口当たりのよい感覚や善良さのイメージに潜んだ何かがじわりじわりと露出してきます。きれいに整えられた表面の裏側にあるすべてのものに距離を置くような視点。二人のミュージシャンは言葉数を少なくして、それなりの体面を作ってはいるのですが、台詞や仕草が幾重にも重なる中でキャラクターの裏側の空洞というかなにかが欠落したような軽さがゆっくりと浮かんできます。問題の本質に対する自らの興味のなさを裏返しにして押しつけるようなシニカルでざらっとした感覚。マネージャーの微妙に底が割れた慇懃さが、ミュージシャンたちのコアにある感覚を間接照明のように照らし出していきます。

きれいごとと裏腹に、武器にあこがれたり富をまとうことを喜びと。金銭や嗜好を背景にグロい写真を撮り続けながら反戦を語る女性たち。また、そんな彼女たちを醒めた目で眺めるミュージシャン・・・。お互いに被っていた猫の毛皮が冷徹な言葉のやりとりのなかではがされていく・・・。

しかし、物語は、反戦や平和の取り繕われた表面が崩れ、その内側にあるものがさらけ出されただけでは終わらないのです。彼らが見ていると自負していた戦争や暴力の本質も、とあるきっかけでやくざとかかわったことからあれよと言う間に瓦解していきます。

反戦平和という名で磨かれた御影石に亀裂が走り水の浸食を受けてボロボロと砕けていくよう。作・演出のアセガワアユムが紡ぎだす醒めた視点からのセリフが役者たちから発せられるなかで、次第に姿を露出させた登場人物たち自らが本質だと信じていたものも、物事の核心にあるものではない・・・。

戦争のグロい写真を撮影した女性は、不条理な暴力が自らにやってくることになって、写真に写された暴力の残骸のさらに内側にとりこまれた本質を知る。そして、ミュージシャンを鼓舞して立ち向かおうとする・・・。

終幕前の衣装の大きなシミにカメラマンの女性がなにかを跨ぎ超えたことが見事にあらわされて・・・・。作者の常ならぬ表現の秀逸さに舌を巻いたことでした。

★死んだ赤鬼

最初の「戦争へいってきた」の色が自分をとりまく外側の暴力への葛藤だとすれば、この作品には登場人物の内側への葛藤が強く感じられました。

恋人との別れ話を持ち出された警察官、こともあろうに彼女の新しい恋人を撲殺してしまいます。撲殺された男も彼女も赤鬼相談所というコミュニケーション障害の人たちが通う福祉施設のようなところに通っていて・・・。彼が下に観ていたはずの人間。赤鬼相談所の所長と副署長は夫婦で、次回の市議会選挙を狙っていてトラブルが起こることを好まない・・・・。

警察官を救おうと考える同僚。その同僚には友人もいて彼も赤鬼相談所に通っていて、刑務所にあこがれている。

葛藤の末。自首を決意した警官に対して、同僚は刑務所にあこがれる友人に罪を背負ってもらって彼を救おうとする。しかし、結局は彼を山に埋めに行くことになって・・・。

権威を得ることで自らを保とうとするものと弱さに逃げ込んで自らを守ろうとするもの・・・。よしんば形態が真逆であっても、その根源にある人間自体が抱える脆さの不変性のようなものが現れてきます。強い粘度を持った行き場のなさに観客は引きずり込まれていく。逃避するように恋人の靴のにおいをかぐ警察官。福祉施設を運営する夫婦のいらだち、うまくいかないと万引きを繰り返してしまう恋人、自立の目標と裏腹に誰かに自らをゆだねることを渇望する福祉施設の利用者たち・・・・。慰安の姿がちがっていても強者と弱者の根底にある脆さは同じ匂いがする。

その脆さの鈍いオーラに私自身のコアが共鳴するような感覚があって、奇妙な生々しさを感じてしまうのです。決して感じたいものではないのですが、だからといって目を離すことができないようななにか。単に脆さへの恐怖だけではなく、脆い中に居場所を見つけてしまうような追い詰められたなかでの居心地のよさまでが伝わってきて・・・。奇妙に心を捕らえられてしまったことでした。

*******************************

役者のこと、男優5人、女優3人いずれも色を強く持っていて、LeDecoのようなスペースで彼らの演技を観ると本当に圧倒されてしまいます。

足利彩は初見、「戦争へ・・」のカメラマンが持つ質感にはやられました。ドライな雰囲気の内側にかすかにウェットなしなやかさがあって・・・。そのしなやかな感じが物語の終末に対する違和感を観客から見事に消し去ってしまいました。「赤鬼・・・」でのどこかでまとまりのつかないような危うさにもしたたかさを必要な分だけ底に残して・・・。やはり最後のシーンに説得力を与えて見せました。こまつみちるは前回の「コマツ企画」が初見でしたが今回も芯の太い演技で舞台を支えました。彼女の存在感が他の役者が表現しようとするデリケートな何かををしっかりと際立たせていたように感じました。しかも強さはあるのですが、心のいらだちや襞を細密に演じきるなかで強度を出していく感じなので、他の役者の世界と交わっても浮かないのです。岡田あがさの感情の立ち上がりの切れにも瞠目。モーションなしに重い剛速球がやってくる感じ。以前のように感情を全方位に開いて舞台をすべて染めてしまうようなお芝居から、強さを増してピンポイントで狙いの場所を打ち抜くような演技に変わっていて・・・。やわらかい演技の懐も一段と深まった中で、フォーカスが定まった瞬間の常ならぬ破壊力には息を呑むしかありませんでした。

永山智啓は以前にも短編での2人芝居を観たことがあって、その時も静かさを表現する力のようなものを感じたのですが、今回も舞台上の感情の起伏をすっと吸い取るような感じがあって見入ってしまいました。「赤鬼」の同僚警官の冷静さは狂気の中でぶれない正気の物差しにもなっていたような・・・。川本喬介の「戦争へ・・・」での軽さや「赤鬼」でのいらだちもとてもよかった。演技の柔軟性を感じました。

太田守信には場をさらう瞬発力があって「戦争に・・・」でもその切れが十分に生かされていました。「赤鬼・・・」での懲役にあこがれるという部分でも彼が演じると妙に納得してしまう。底知れないものがさりげなく表現されていて・・・。よい意味で観客にとって気になるお芝居だったと思います。成川知也の芝居には安定感と厚みがありました。お芝居の色を定めるようなボリューム感。前述のとおり「戦争に・・・」の中では熟達した慇懃さやそつのなさの表現が物語全体の多重構造をカオスにせずくっきりと浮かび上がらせていたような。「赤鬼・・」での新しい恋人役にも不思議な存在感がありました。池田ヒロユキの強面も舞台を厚くしていました。「戦争・・・」での無言の演技も迫力満点。「赤鬼・・・」での警察官、自分の持つ業のようなものを無理に内に収めるような演技が絶妙で、この芝居全体をまさに機関車のように引っ張っていたと思います。汽笛のように、強い印象が一呼吸おいて包み込むようにやってくる・・・。そのなかにキャラクターがどうしてもぬけ出せない何かが存在していて観客の心を捉えるのです。

役者を奢った贅沢な芝居だと思います。でも、確かに彼らを必要とするお芝居でもありました。この役者たちでなければ得られなかったであろう感触というか質量が間違いなくある・・・。

戯曲のクオリティと役者の力が見事に噛み合った2作に大満足で渋谷の新南口へと向かった事でした。

R-Club

| | コメント (0) | トラックバック (0)

柿喰う客企画公演2本立て、七味・玉置が醸成する高揚感のここちよさ

11月24日マチネにて柿喰う客企画公演、「いきなりベットシーン」と「いまさらキスシーン」を観て参りました。七味まゆ味玉置玲央が演じるパワーに満ちた2本の独り芝居。たっぷりと堪能してまいりました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意の上お読み下さい)

2本のお芝居、別々の公演なのですが、内容的にどこかリンクしています。女子高生の生活を切り取ったような・・・・。「いきなりベットシーン」は何でも積極的にやろうとした主人公が、周りからいじめられて清水寺の舞台から身を投げるに至るおはなし。一方の「いまさらキスシーン」は高校生活を欲張って生きようとした才能あふれる女子高校生が虻蜂取らずになってしまうような物語。柿喰う客メソッドともいうべき降り注ぐようなセリフ回しが今回もたっぷりで、大量な言葉が小気味よく舞台から客席に撃ち込まれていきます。

どちらの舞台も観て聴いているだけである種の快感がやってきます。演技に観客のドーパミンを搾り出すようなリズムがあって、ぐいぐいと引き込まれていく。「清水の舞台から飛び降りてみました」とか「背筋をぴんと伸ばして脇をキュッと締めて」とかいう動作付きの台詞が冒頭や節目ごとにしっかりと決められて・・・。マシンガンのように発せられるセリフに舞台は熱を持ちトップギアで疾走をはじめます。語呂のよい台詞が転がるように膨らんで、台詞の遊び心がまき散らされ、リズムをしっかりと拡大する切れの良い動作とともに観客を席捲していきます。

それは猥雑な女子高生の妄想の世界にも思えるのですが、役者が語る支離滅裂な世界の向こう側には観客を納得させるほどにあっけんからんとした現実味が垣間見える。現実味は質感を生み、質感は役者の動作で次第に舞台の世界を具体化していく・・・。

とにかく役者のパワーに圧倒されます。七味まゆ味の演技には勢いと繊細さが絶妙の匙加減で共存していて、あふれ出すイメージも実にカラフルで豊潤。でもその彩りをコントロールするパワーもすごくて、彼女が客席に投げ続ける台詞が魔法のようにつながり制御されて観客を絡めとっていきます。

玉置玲央の演技にもひたすら息を呑むばかり。ジェンダーを超越したような骨格があって、その骨格に艶があるのです。艶が骨格の強さだけを良いとこどりして内に秘めた武骨さをやわらかく隠している感じ・・・。観客がその艶に気を許して誘われるように台詞の流れに身をゆだねると、すごい馬力で引きずられてあれよあれよと物語に巻き込まれてしまう。よい意味で観客に逃げ場を与えない演技がシームレスにシーンをつないでいく・・・。

芝居のスピードが縦横無尽に変化します。テンションを替えるときの鋭い切れ。でも決して勢いに任せただけの演技ではない・・・。アクセルを全開にしても沈黙や静寂にまでテンションを落としても舞台の密度が落ちないのは、彼らの芝居が口先だけの言い立てではなく、演じる世界の根にしっかりとつながってたっぷり熟した果実のようなものだから。彼らの演技には表層的な華やかさの下に、がっちりと作りこまれた描写が存在するのです。

早回しの講談のように物語のト書きの部分が語られて、落語のような会話が挿入されて・・・。言葉が言葉を呼び込んで、和風ラップのように言葉が踊って・・・。

でもただ走り終えてそれで大団円ににならないところが柿喰う客芝居の真骨頂。作・演出の中屋敷法仁は最後にそれぞれの物語の喧騒を、実在感をもったキャラクターに飲み込ませてしまいます。何行かの台詞や表情などで、観客を乗せたジェットコースターの終着駅に、空想の世界をもてあそぶ、七味や玉置にしか演じえない女子高生の覚醒した素顔を浮かび上がらせるのです。

夢落ちや妄想落ちの常習犯である中屋敷の面目躍如、ゆっくりやってくる暗転。観客側にも走り抜けた充実感のようなものが湧き上がる。中屋敷ワールドを確たる説得力をもって演じきった七味まゆ味や玉置玲央の演じる力のしなやかさにひたすら魅せられたことでした。大人数の「柿喰う客」にも強烈な魅力がありますが、一人芝居の「柿喰う客」にも麻薬のような魅力があって・・・。客出しをしていた七味まゆ味嬢の赤いコートも美しく、満足感一杯で王子小劇場の階段を上がらせていただきました。

R-Club

PS:ちなみにこの公演、「いきなりベットシーン」が12月1日、「いまさらキスシーン」が11月27~30日に大阪でもあるようです。どちらのお芝居も関西だと、さらにうけるかも・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Studio Salt「中嶋正人」その質量に思うこと

11月23日ソワレにてStudio Saltの10周年記念公演「中嶋正人」を観ました。相鉄本多劇場は初めて・・・。休日の夕刻、あの界隈のにぎわいってすごいのですね・・・。でも新宿などと違って、繁華街のぬくもりがある街。川を渡るとき、カモメ(?)が川岸にならんで止まっていているのを発見。ちょっとびっくり。

劇場のビルはすぐわかりました。エスカレーターを上がり映画待ちの女性たちをくぐりぬけ、相鉄本多劇場に到着。ベンチシートに置かれたクッションのふかふか感にちょっと感動・・・。前説の方の実直さがなにかとても好感触。

(ここからはネタばれがあります。十分にご留意ください)

法務大臣が死刑執行のニュースを観ているところから物語が始まります。粛々と職務を遂行するストレスを解消するかのようにいとこの秘書とショートケーキを食べる・・・。

続いて新たにに配属になった刑務官、そして同僚たち、さらには死刑囚の日々が次々と演じられていきます。死刑囚には教誨師がやってきて・・・・。

執行を命じる大臣の意識、死刑囚の罪への実感の欠如、刑務官の刑執行への感覚、さらには教誨師の死刑囚への接し方・・・。

その先にある死を誰もが意識しているのに、粛々と進む日々の奇妙な軽さが舞台から伝わってきます。時にはユーモラスですらある一つずつのエピソード、それらが積み重なっていくなかでも、確たる重さがやってこない。しかし、その重さが観客を満たさないからこそ透明な水底から浮かび上がるようにみえてくるものがあるのです。

命の重さを言いながら、命を奪う感覚を法律や規則で隠す大臣や刑務官、命の重さを伝える技術に長けた教誨師。その中で、命の重さにたいする意識の萌芽を抱えたまま刑に処される死刑囚・・・・。

正しさがなくて人の命を奪うことなどできないのは当たり前・・・。では、正当な理由があれば命を奪っていいのか。命の尊厳を理由に命を奪うという矛盾、でもその矛盾を重さどおりに表現した瞬間に、きっと問題の本質は隠れてしまうのです。大上段に問題を振り回すとすべてがカオスに濁ってしまう。そのシステムが稼働していく音を遠くで聴きながら、放置するように日々の生活に費やされていく時間、その軽さを感じるからこそ悟る、本質の重さがあるのです。

作・演出の椎名泉水は、洋菓子やパン、鉢植えの植物や蟷螂などを巧みに使いながら、軽さを一種の透明感に変えて作品を織り上げていきます。新任の刑務官が苦悩を経て自らの正しさを自らに与えるなかで、おりあがった布に包まれた矛盾が舞台から観客に渡される。その重さがゆっくりと観客に伝わってきます。

演じる役者たちの演技も着実、まっすぐでなおかつしたたかでした。死刑囚を演じた山ノ井史の表現にはやわらかくて強い印象がありました。想いを露出させるのではなく、くぐもりが解けていくようなタッチで表現されるその心情の変化には息を呑むような切実さがありました。新人の刑務官を演じた高野ユウジの葛藤の強さや執行作業を受け入れていく心の変化の表現も秀逸で山ノ井の演技としなやかに絡み合っていました。

教誨師の麻生0児の下世話さと職務への割り切りにも説得力がありました。ビートルズナンバーを歌いあげるなかで死刑囚に示した人間臭さや、死刑囚を掌に載せながら一線を画すような距離の取り方が極めてナチュラルに表現されていました。

同僚の刑務官の二人も実に好演、木下智巳の下世話さは、少しデフォルメされたような軽さがあって・・・。しかし、その中に刑務官としての強い実存感がありました。一方の大塚秀記の演技からはナチュラルな人間臭さの内側にある刑務官としての鉛のような感覚がしなやかにみえてくる。その表現に力みやあざとさがないから、刑執行のリハーサルのような部分での没頭の先に、鉛の重さが驚くほど鮮やかに伝わってきます。手順の連呼の熱から、刑務官が振り払う苦悩のようなものが観客を包み込む。その感覚の具体性に思わず息を呑みました。

法務大臣役の東享司と秘書役の鷲尾良太郎はともにデフォルメされた役柄の演じ方でしたが、キャラクターの視点や感覚には冷徹なほどにリアリティがありました。被害者の父親を演じた水上武も無機質に思えるほどステレオタイプな被害者側や世間の感覚をしっかりと演じていました。

べたな言い方ですけれど、本当に良い芝居だと思いました。昨今の裁判員制度の話題などもあり、芝居のアウトラインだけを聞くと重たい社会派の演劇を想像してしまうのですが、実際に観た作品には前述のとおり意外なほどの軽さがあり時間を忘れて引き込まれてしまいます。教条的な部分がまったくないことも作品を生かしていました。でも、見終わって、一呼吸置いてからその軽さがふっと恐ろしくなる。タッチの軽さに隠れた、瞠目するような懐の深さがこの芝居にはあるのです。

そうそう、作品を観た後、チラシの写真を見てさらなる作品の広がりを感じるのですよ。俯瞰するように浮かんでくる世界があって・・・。作品の秀逸さをあらためて思ったことでした。

11月30日まで上演とのこと。派手さはないけれど、この秋お勧めの一作です。

R-Club

| | コメント (0) | トラックバック (0)

劇団スカッシュ「MOON」展開を切り開く女優陣の底力

11月22日ソワレにて劇団スカッシュ第12回公演、「MOON」を観ました。

場所は中野Westend Studio。ほんわりソリッドな中に瑞々しい思いをたたえた群像劇を楽しんでまいりました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

最近は少なくなったダンスがあって、物語が始まります。タイトルロール的な映像も見ていて楽しい。一時は小劇場演劇の象徴のごとく揶揄されたダンスですが、集団をモチーフにしたお芝居にはけっこう効果があります。

映像作家の元にかつての仲間がやってくる。彼は解散した映画作製チームの復活を願う・・・・。で、不治の病だからというのです。そこから離れ離れになったチームのベクトルがひとつに定まる・・・。しかし、映画作りは難航し始める・・・。

一度は集まったものの、徐々に想いのベクトルが異なっていく仲間たち。シーンごとにつづられる風景が積み重なっていくうちに、それぞれの想いの食い違いというか一つにならないいらだちのようなものが浮かび上がっていく。滑らかではないのですが、だんだんとモザイクを描く画素が細かくなっていくような・・・。

そして、登場人物が内に秘めていることがあちらこちらから噴出してくる。いろんなトラブルや行き違いが次第に集団を侵食していく。

MCRのようなタッチで場面が小刻みに展開していきます。ポップな音楽でドライに切り変わっていく場面、擬暗転する中その場の登場人物がポジションに立ち必要に応じてそこに座りこんで場が始まる。最後の瞬間に必要に音楽を変えてちょっとウェットに場をつなぐこともあったり。

ただ、このようなような手法をとっている他の劇団のお芝居とくらべると、いろんな意味で真正直な感じがします。暗転で区切られたユニットの内側にけれんがないというか、物語が素材のままにスライスされて伝えられていく。このことには功罪があって、暗転間の質量にかなりのばらつきが生まれているような・・・。すごく重いシーンがあったかと思うと、一方で中身がほとんどないシーンもあるのですが、その差に必然が感じられないのです。結果、中盤までの物語の展開がなんとなくぎくしゃくと感じられるのです。サクサク感はかなり出ているので観客がリズムを持って観ることはできているのですけれど、前半部分はは何かが模糊としている・・・。

しかし、中盤以降のふたりの女優たちの演技が一気に物語を進めます。彼女たちには閉塞した空気を切り裂くようなパワーがあって・・・・。

石沢美和の存在感は氷山が崩れるようにやってきます。抱えているものが次第に溶け出してあれよあれよというまに大量の想いになって舞台にあるものを流し出す感じ・・・。しかも感情の出し入れにゆがみがないので、観ているほうは彼女からやってくる感覚にすっと乗せられてしまう。彼女の視点で舞台が切り取られた瞬間、他の役者たちの芝居に不思議な存在感が生まれます。

牛水里美は刹那に細密な想いを表現できて、しかもその強さや質量を幾重にもコントロールできる役者さん。そんなに昔から拝見していたわけではないのですが、今年に入ってから続けさまに彼女の秀逸な演技を見て、その抑制された内側から伝わってくるさまざまに重ねられたような色の鮮やかさには目を奪われていました。とは言うものの、今回ほど、直情的に想いを解放した彼女の演技を観たのは初めて。

後半、特に終盤での力感のすごさには瞠目するばかり・・・。でも、箍が外れたような感情の露出の中でも、彼女の表現が持ち合わせているノーブルな色が濁ることはなく、感情のベクトルに寸分のぶれもでない。彼女の感情を解き放ったような演技がまっすぐに切り裂いたあとの舞台には、驚くほどそぎ落とされた登場人物たちの感情が浮かんできます

ひとつのまとまりと個々の想い、終わってみれば男優たちが重ねた演技がちゃんと舞台上に残っている・・・。前川健二、大塚裕也、藤原健一、大塚辰也、中田大地、亀岡孝洋、土屋壮、藤代知己、一人ひとりの演じる想いが女優陣の演技のあとにすっとそこにある。それぞれの立場や抱えているものがしっかりと可視化されているのです。

芝居の作りにラフな部分があったり前述のバランスの問題があるとはいえ、カーテンコール後の映像の作りもよくて、温かさのなかにどこか切なさの残る群像劇の終幕を体験することができました。

しかし、それにつけても牛水さん・・・、あのパワーってどこに潜んでいるのでしょうね。単純な演技の強さではないのです。滑らかな質感や籠りと抜けの絶妙なバランス、どこまでもくすむことなく下卑に落ちることがない色あい・・・、天から与えられた才能も人並みはずれてあるのでしょうけれど、それだけではなく、そう見せるための息をのむほどに緻密で地道な積み重ねを彼女の演技の裏側に感じるのです。それらをおくびにも出さず舞台上に存在させ続ける彼女の芝居力のようなものには驚嘆するしかない。来年の6月くらいまでずっと舞台の予定が詰まっていらっしゃるようですが、チケットが取れる限り彼女のお芝居を是非に追いかけてみたくなりました。

R-Club

| | コメント (0) | トラックバック (0)

瀧川鯉昇・柳家喬太郎 二人会 ~古典こもり~脂がのって

11月17日 亀有リリオホールへ瀧川鯉昇、柳家喬太郎の二人会を聴きにいきました。喬太郎師匠も枕でぼやいていたように、電車がちょっとだけ複雑で・・・。路線図を見ると西日暮里からは「JR-東京メトローJR」という良くわからない線のつながり・・・。新橋から不安を感じながら行ってみると、西日暮里で1度乗換えがあるだけなのですが・・・。ちょっとびびった。

ほぼ時間どおりに到着して、着席すると待っていたかのようにお囃子が鳴り出して、前座さんもあわせて5席をたっぷりとうかがってまいりました。

(枕などのネタバレがあります。十分にご留意いただきますようお願いいたします。)

春風亭正太郎 「転失気」

春風亭昇太師匠のお弟子さんとのこと。枕から噺の入り方はちょっとぶっきらぼうな印象でしたが、噺を語る上でのバランスというか力配分がいい。前半を我慢して一生懸命突っ張って、後半転失気が何かを観客に開示したところから、順番に果実を積んでいく感じ・・・。観客に起こる笑いに無理がない。

前座のころから、噺の中でこういう我慢ができる噺家さんって、花が開くとそこからの伸びが早いような気がします。喬太郎師匠なんかにもかわいがられているよう・・・。そんなに遠くない将来が楽しみです。

瀧川鯉昇 「千早振る」

相変わらずのふわっとした枕・・・。軽いのですが、枯れているというわけではない。艶というか色気は十分にあるのですよ。全てを捨てたわけではなく、余分な重さをすっと落としたような感じ。無理してそぎ落とした感じじゃないところがポイントかも・・・。ただ、その重さの落とし方が芸術的なのですよ。このまま行くと浮くような感じで座布団がいらなくなるなどとおっしゃっているのが、なまじ冗談に思えない・・・。さらにはそのうち高座に電線が2本張られてその上にとまっているかもなんておっしゃってましたが、なにかあるかもしれないと思わせるすごさ。感心してしまいました。

でね、噺に入っても、その肌ざわりは変わらないのですよ。にもかかわらず、物語に芯がちゃんと出来ている・・・。それは、王子落語会で、「佃祭り」を聴いたときにも感じたこと・・・。肌ざわりのよさとメリハリが同居していて、しかも観客に噺が食いこんでくる。

まあ、この噺、福笑師匠で何度も聴いていて・・・・。正直なところ、笑いのインパクトという点では福笑師匠のほうが上かなとも思います。福笑流の「千早振る」には客を一気に巻き込んでいくようなパワーがありますから。しかし鯉昇師匠の噺の小気味よさも捨てがたい。なにせ、子供に業平の歌の意味を聞かれて、わからないといえずにトイレにたてこもり、あげく下の小窓を抜け出して走りこんできたという設定ですから、聴き手ももっちゃりときいているわけにいかない。ある種のテンポにすっと乗せられる感じが噺に別の色を与えていく。

観客の笑いを全て搾り出さずに、観客の内側にすこし残したようなあと口も、それはそれで心地よく、福笑師匠とはまったく違う噺を聴いているようにおもえたことでした。

柳家喬太郎 「禁酒番屋」

会場の亀有をよいしょするようなふりをして、チクチクいじる枕から入って客を沸かせます。少しずつ自分の温度に会場を温めていく感じ・・・。いくつかの節目を作りながら、うけるとさらにパワーを上げていくような演出に会場もなにか乗せられてたりして・・・。

噺に入ると、語り口が締まって・・・。禁酒番屋の由来の部分が凜として、そのあとちょっとゆとりを持った感じで演じる近藤さんの酒の飲み方の豪胆さと酔い方が観ていてすごくゆったりと感じられる・・・。そのおおらかさのようなものが、ワンクッションおいて酒屋に無茶をやらせることを観客を納得させてしまう・・・。噺の持っていき方がいちいち理にかなっているから、くすぐりや入れ子のアドリブがあっても噺の屋台がゆらがないのです。

さて、番屋の侍の戦いが始まる。水カステラを奪って飲む番屋の侍の酔い方がよくてねぇ・・・。酒に対する意地汚さの表現が実に巧みなのです。建前の薄皮に潜む酒への執着が酔いとともに少しずつ染みでてくる感じ・・。姑息な商人を上から目線であざ笑うような雰囲気もいかにもなのですが、なにより武士の自尊心や自己弁護に満ちた表情の中に喬太郎師匠が一滴だけ恣意的に垂らした狂気が、役人の本性を強烈に伝えて世界を広げている。ここまで、侍を表現してもらえれば、そのあとの酒屋の尾籠なリベンジにも緊張感が生まれるし、怒りの持って行き場を失う役人観ていて実に小気味よいのです。

それにつけても、いつもながらではありますが、さりげなく演じられたそれぞれの場面が次のシーンにしっかりと食い込んでは噺の間口をぐいぐいと広げていく、喬太郎師匠の盤石な噺の持っていきかたには惚れ惚れしてしまいます

中入り

柳家喬太郎 「松竹梅」

通好みの枕です。若い頃三木助師匠に連れられて女の子のいるお店に遊びにいって・・。そこの世間知らずの若い娘に「初心者用」の小噺を教えてとねだられて、見事な語り口で「文七元結」をいきなり教え始めるという・・・。しかも、さわりを演じた演目を慇懃に紹介するついでに、「牡丹灯籠」まで勇み足のような口調でさらっと仕込んでしまい、お勘定を見たその三木助師匠に「いい値段だね」と言わせて、「えんちょう」と落とす。喬太郎師匠一流の、客層というかお客様のレベルを冷徹に問うたくすぐりに、まず瞠目させられます。

で、始まったのが「松竹梅」自体は前座噺に近いような軽めのネタなのでしょうし、すっと流せばあっという間に終わってしまうので軽く勤めるのかとおもいきや、喬太郎師匠は、噺の軽さに逆らうように、実に丁寧にひとつずつのシーンを膨らませていくきます。明らかに大ネタを演じるときとは異なる噺の広げ方をする・・・。物語の単調な筋道に見せどころをどんどんぶら下げていく感じ・・・。義太夫の芸を見せたりアドリブに近い台詞を切れ味良く挟んだり・・・。なんとなく物語を聴いているうちに、土台の小さな噺の奥行きがどんどん広がっていく。庶民のペーソスなんていう表現はいまどき流行らないのでしょうけれど、気が付けば日頃人前に出たことのない松竹梅3人の出たとこ勝負のようないい加減さや、祝儀を述べるときの緊張、動揺などが絵ではなく体温や息遣いとして魔法のように高座から伝わってくる・・。「亡者になられた」という噺の滑稽さなどスパイスに過ぎなくなって、人物達が一瞬見せる不思議な存在感にこそ観客は取り込まれてしまいます。

そのレベルまで噺の質が持ち上げられているから、最後を忌み言葉(亡者になられた)で落とさずにその騒動の顛末まで少し伸ばしているような・・・。観客が余韻を楽しむ時間を求めていることを喬太郎師匠は熟知していて、それゆえ松と竹を宴会から逃げ帰らせているようにも思えます。噺全体を俯瞰して演じていく、師匠の卓越した才能がしっかり伝わってくる高座でありました。

瀧川鯉昇 「宿屋の富」

短い枕から、力まずに噺に入って、文無しの宿屋の亭主への金持ち自慢がまず聞かせます。破天荒を通り越して眉唾物の金持ち自慢なのですが、鯉昇師匠の軽い語り口だと、それが観客の負担にならない。にこにこと楽しめてしまうのです。観客が聴くぞ!と意気込んでいるとその嘘っぽさとぶつかって不協和音ができるのでしょうけれど、ふっと気合を抜かれて噺を聞かされるものだから、嘘っぽければ嘘っぽいほど微笑みがこみ上げてきてしまう。見栄で買わされる一分の富くじに、ちょっとした感傷がこもっているのも、なにか微妙に哀愁があってよい味なのですよ。

富くじの抽選を待つ人々の描写が軽くて深い・・・。人々の下世話な欲望が湿っていないというか抜けたような陽気さがある・・・。語り口の洗練に観客は多少過ぎた誇張も受け入れてしまうのです。最後の数字で番号を外す人の描写が観客をうまく巻き込んで、笑いを呼びながら一方で見事な臨場感を作り出す。なんというかあれよと話しに乗せられてしまう・・・。

そのトーンで慣らされた後だから、主人公が当たりを確認する場面というのが凄く緻密に感じられます。心に去来するものが、ぐぐっとフォーカスされるような感じ。噺自体の作りも良く出来ているのですが、その噺を演じきる鯉昇師匠の力がまたすごい。どちらかというと華奢なその体躯のどこからそんな想いを凝縮するパワーがやってくるのだろうと思うほど・・・。さらに、当たれば半分もらえるという約束の、宿屋の旦那の驚きがかぶさって、本当の僥倖が降ってきた時の人間の滑稽さがなんともいえず伝わってくる。

正直をいうとですね、「高津の富」とか「宿屋の富」とかいう噺って、これまで別段好きではなかったのですよ。というより、面白さがあんまりわからなかった。でも、鯉昇師匠の「宿屋の富」は本当に面白かったです。「太陽と北風」の童話ではありませんが、鯉昇師匠の芸風には、間違いなく観客の思い込みや先入観念を解いてくれるような知恵が存在しているような・・・。

月曜日から、ちょっと贅沢な2時間半を過ごさせていただきました

R-Club

| | コメント (0) | トラックバック (0)

劇団道学先生「ザブザブ波止場」の豊かでおおらかな猥雑さ

11月15日マチネで劇団道学先生の「ザブザブ波止場」を観ました。1974年、九州の港町の物語・・・、正統派の喜劇をたっぷりと楽しんでまいりました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意の上お読みください)

バブルが始まる前、高度経済成長が一段落して、でもパソコンや携帯電話などはまったく普及していなかった時代・・・、宮崎・油津の漁業協同組合を舞台にしたお話です。前説で宮崎弁の解説があって、実際の演技も方言丸出し・・・。そんな雰囲気の中、役者たちの厚みのある演技で漁師の男たちの気風やある種の純情さ、都会でのさらにはその時代の女性の恋愛や結婚への感覚などが生き生きと描かれていきます。

物語のあっけんからんさがよいのですよ。落語の「三枚起請」が裸足で逃げ出すようなエピソードがあったり、都会の今とはちょっとちがった性のモラルとおおらかさがあって・・・。そのなかで。地元の名士といわれる人種のアクの強さや厚顔無恥さ、さらには清濁合わせて飲み込むような部分が面白おかしく描かれていたり、田舎の警察の体質がユーモラスに表現されていたり・・。最初は距離を持って見ていた観客も気がつけばその世界に馴染んで物語を追っている。

作者の中島淳彦と演出の青山勝は、漁協事務所に流れる時間で劇場全体を満たしておいて、要所にゆったりとした伏線を入れ込んだり、事件を起こしたりと絶妙の緩急で舞台に厚みをつけていきます。小さな笑いなども積み重ねながら男のほほえましいような浅ましさや、女性の唸るようなしたたかさなども実にうまく織り込んで、シアタートップスの舞台に極上の娯楽作品を現出させました

また、それらを演じる役者が本当によいのですよ・・・。まず男優たちの力量のすごさ、そんなに派手な芝居をしているようには感じないのですが、ひとりひとりが醸し出す世界に体温と厚みがある。観客になにかを押し出して、その勢いで観客をすっと引き込むような・・・。一人ずつの芝居に十分な質量があって、しかも集団で舞台に立つ場面でも一人ずつの演技が紛れない・・・。齋藤志郎、青山勝、井之上隆志、福島勝美、海堂亙、中野英樹、山口森広といった漁師や警官(警部)を演じる役者たちの骨太の演技には、腰の据わった強さと深さがありながら、芝居をうさんくさくするようなノイズがしっかりとそぎ落とされているのです。荒っぽい演技に驚くほどの熟練ときめ細かさがあって観客のシンパシーをうまく取り込んでいく。また、東京のかおりを知る二人、沢井雅棋が演じる大学卒の漁協職員から伝わるある種の弱さと繊細さや、同じく東京の大学を出て今はスーパーの若社長役の草野徹が演じる都会の香りの薄っぺらさが漁師たちと実によい温度差を持っていて・・・。双方が双方引き立てている感じ。

女優陣も実に好演でした。かんのひとみの演技には安定感と実存感があり、ステレオタイプなおばさんではなく女性らしさを芯に蓄えた女性の姿がすごくナチュラルに伝わってきました。人物像にゆがみがないので、最後にある、どんでん返しのシーンにも奇異な感じがしないのです。またつっこみ的なセリフの間も抜群で温かい上質な笑いを何度も呼び込んでいました・。雨蘭咲木子の不可思議な色気もなかなかできない表現かと・・・。男性をひきつける微妙なだらしなさをしたたかに内包させながらも、一方である種のデリケートを持った女性の姿を見事に観客に伝えていました。斎藤ナツ子の演技も舞台の色をしっかりと作っていたように思います。どこかシャイな部分を持ったキャラクターの演じ方も秀逸で、その向こうにある意志の強さもきちんと伝わってくる。最後にジャケットを男性に着せようと取り上げるところがあるのですが、そこから伝わってくる想いの豊潤さに、彼女の演じる力の深さを痛感した事でした。しかも、彼女には、単にキャラクターをシンプルに演じるだけではなく、舞台のニュアンスをなにげにコントロールしているようなところも・・・。男優たちの勢いが増した時にも、彼女の存在がその箍をさらっと締めたり、逆にちょっとした間にやわらかく熱を与えたり・・・。空間ゼリーなどの舞台でも発揮した彼女の力が、この舞台でもしっかりと生かされていたように思います。

そうそう、青江三奈の「恍惚のブルース」がオープニングから随所に使われているのですが、場のニュアンスを要所でしたたかに伝えていて、本当にうまいと思いました。でも、それよりもうまいと思ったのが、りりィの「私は泣いています」の使い方・・・。歳がばれてしまいますが、あの歌が流行った頃、私は十分すぎるほど物心が付いていてりりィというアーティストにはきわめて都会的な香りを感じていました、「私は泣いています」という歌の舞台は大都会の片隅というイメージが強かった。それが漁師たちの酒瓶を叩いて歌う宴会に持ってこられると、なんと歌の持っているニュアンスが物語に驚くほどにはまるのです。瞠目しました。こういう曲の使い方ってまさに作り手側のセンスなのでしょうね・・・。なにか日本人の持っているコアの部分を見せられたようで息をのみました。

上演時間は2時間、観終わって心地よい充実感があって、カーテンコールでとても気持ちよく拍手ができる・・・。そして客電がともると良質な芝居を見た時のほわっとした感動がやってきます。こういう満たされ方が喜劇を観るだいご味の一つ。公演は11月19日まで、もしチケットが手に入るなら・・・。是非におすすめでございます。

R-Club

| | コメント (0) | トラックバック (1)

クロムモリブデン「テキサス芝刈り機」焦点が定まって息をのむ

かなり遅くなってしまったのですが(アップをし忘れていた)、11月8日ソワレでクロムモリブデン「テキサス芝刈り機」を観ました。前回の公演でかなり惹かれて、ちょっと心待ちにしていた作品・・・。次第に収束していく物語に息をのみました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

前回もそうであったように、導入部分の話は痴漢のエトセトラ・・・。電車通勤のなかでの冤罪の話や、男女それぞれの痴漢に関するニュアンスなどを罪もないというかたわいなく演じていく感じ・・・。切れのある軽快な感じでぐるぐると回っていく話にはリズムがあって、なにかほほえましくて・・・

しかし、痴漢に間違われたふたりがその場所に入ったとき事態は大きく変わっていきます・・・。そこは閉塞された出口のない世界・・・。チェーンソーで切られた鉄骨上のものが大きくそらへぶっとび、比喩に満ちた物語が展開していきます。

観客は最初、目の前の物語を追っていくだけ。唐突に現れる様々な事情をありのままに受け入れながら、刹那の面白さに心を奪われていくうちに、バラけて個々におもしろかったものがすっと一つの点に結びついてくる。ルーズに思えた閉塞感や意味のない繋がれ方、ゾンビの意味、携帯で話す内容。それらがバラバラであればあるほど、一点に集約したときのリアリティが増してくる。

サラリーマン、学生、OL・・・。さまざまな職業の人、みんな職業の仮面をかぶって、電車に乗り合わせているわけで・・・。それぞれの個性が押し込められたなかでカタストロフがやってくるという表現には、息をのむようなリアリティがあって・・・。

福知山線の駅名が告げられ、置き石という仮設が登場し、さらに、バラけた鉄骨上のものが、段階的にその場に迫ってくる。激しく揺さぶられる舞台の上で、修羅場がゆっくりと降りてくるのです。それが、あの夏の日、電車がマンションに突っ込むという前代未聞の事故現場に重なるとき・・・。正面の壁が開いてまぶしいライトの中にチェーンソーを持った救助隊の姿が浮かび上がる瞬間・・・・。より合わされてそこで切断された多くの人生の糸と、そこで奇跡的に切れることなく繋がった糸からみえる事故の重さに、自らの日々の生活のなにげない一瞬の軽さとはかなさがふっと浮かんでしまうのです。

作・演出 青木秀樹出演:板橋薔薇之介、金沢涼恵、久保貫太郎、幸田尚子、奥田ワレタ、渡邉とかげ、木村美月、森下亮、板倉チヒロ

前回同様、役者たちの芸達者には目をみはるばかり。幸田尚子が新加入とのことでしたが、宝塚ばりにしっかりと歌えるところがけっこうすごく、その個性がぶれないところがもっとすごい。こういう人が加わるとクロロモリブデンにとっては鬼に金棒かも・・・。また、そんな彼女が浮かずに物語に吸収されるところにこの劇団の底力が感じられます。彼女の個性が羽根を一杯に広げるだけのできるだけの広さがこの劇団の舞台にはあって・・・。その大きさで表現するから、あの大事故が吸い込まれるように舞台に取り込まれていく。一直線ではなく、彼らの作品の全体的なふくらみからあふれだすテイストでしか表現しえないものが間違いなくあるのです。

前回のトップスほどの緻密さはなかったけれど、逆に青山円形の良さも十分に生かして、終わってみればずいぶんと見ごたえのある作品でありました。

R-Club

| | コメント (0) | トラックバック (0)

それはさておき、「成分分析」の進化って・・・

明け方、ふっと目が醒めて
妙に目が冴えて眠れなくなってしまいました。

で、インターネットであちらこちら見ていて
久しぶりに成分分析のページに行き着いた・・・。
バファリンとか呼ばれていた、あれです。

なつかしくて、自分の名前や会社の上司の名前など分析して
遊んでいたのですが、
ふっとそのページに「成分分析を作ろう!」とのリンクが・・・

作ろう!???

で、リンクから跳ぶと100個までの項目を入れるページが出てきて
思いつくままにそれっぽいものを入れると
(明け方で半分ボケている方が単語ってかえって思いつくみたい)
あっけなく成分分析ができてしまいました。

それがこれ・・・

Playトレンドアナライザー 

まあ、おもろいかどうかは、その方の感性次第。
変な結果がでても、恨みっこなしということで
おひまでしたらお試しを。

ちなみに、わたしのHNを分析したら

りいちろの45%はキャビアで出来ています
りいちろの30%はスターで出来ています
りいちろの19%は独立心で出来ています
りいちろの6%はわるだくみで出来ています


自分で作っといて言うのもなんですが・・・、なんで成分の半分近くがキャビアなのか・・・

不思議です

| | コメント (0) | トラックバック (0)

三遊亭白鳥「生みたて卵独演会」、借りる力と理詰めの破壊力

11月10日、なかの芸能小劇場にて、三遊亭白鳥「生みたて卵独演会」を観てまいりました。ほんの少し雨空の午後、場内は落語好きの方でほぼ満席というかんじ。

そんななか、ホームグラウンドでの白鳥師匠を、たっぷりと楽しんでまいりました。

(ここからは新作落語のネタバレがたっぷりとあります。十分ご留意の上お読みくださませ)

サッチモっぽいミュージカルのスタンダードが場内の雰囲気をやわらかくして・・・。出囃子の代わりに「東京ブギウギ」のバリエーションがかかる趣向。おなじ「東京ブギウギ」がかかるのではなく今様にアレンジされたバージョン、笠置シヅ子の正統派バージョン、そして「上海ブギウギ」と使い分けているところがなかなか細かい心配り・・・。

前座もスケもなくひとり3席、パワフルな高座の連続に舌を巻きました。

******** ********

・野ざらし

思いついて練習もしていないという前ふりがあっての「野ざらし」。ネタおろしといえばそうなのでしょうけれど、、むしろフリージャズの雰囲気を持たせて話し込んでいくところが、聴いていて実に心地よい。古典からの改築は手慣れたもの、サイサイ節を否定して、釣りを途中で投げ捨てて・・・、さりげなく振っておいたご隠居のさらに一軒となりのおじいさんを大活躍させる・・・。

語り口がくっきりしているので、噺が多少脱線しても観客が本線を見失うことがない・・・。

この噺、関西では「骨釣り」ですよね・・・。そちらを最初に聴いていて、その後「野ざらし」を知ったのですが、そのさらに進化系を聴いたような・・・。伏線をさらに増やしたり、グルーブ感をもたせたりで、聴く方は結構新作を聴くようにわくわくしました。師匠自身が枕で触れていたように、この噺の持つ柔軟さをうまくとりこんで、破綻なくまとめ上げる・・・。それはみごとなものでした。

・ギロチン初めて物語(お題は確実ではないです)

清水宏氏が原作との前置き・・・。清水宏氏って、昔山の手事情社にいた??梶井基次郎の弁論大会風「檸檬」を演じきった??帰ってYahooで調べたら、どうやらそうみたい・・・。最近はナイロン100℃への客演などという側面を維持しながらネタっぽい舞台も多々こなしていらっしゃるそうなので、別に不自然ではないのですが・・・。芝居好きからするとちょっとびっくり。

で、噺といえば、古典の借景を織り込んでいくのですが、これがおもしろすぎる・・・・。フランスの噺を座布団のうえでするのが、そもそもすごいのですが。その流れで登場のアップルパイ屋という無理を押し通しておいて、時そばのさわりを組み入れて、さらに初天神の団子屋にどっぷりと漬ける・・・。おんぶにだっこの借景が気持ちよいほど突き抜ける・・・。

たとえば柳家喬太郎師匠なども、こういう入れものをしらっとやってのけることは多々あるのですが、どちらかというと、路地の奥に手招きをされて、こそっと見せられる感じ。それにくらべて、白鳥師匠のそれには堂々と店のショウウインドウに飾り立てて売りさばくようなすごさがある・・・。古典の語り口がしっかりしているからこそ成り立つ絶品の芸に、手を叩いて笑いこけてしまいました

・新作(ねたおろし)

すみません。お題がわからなかったです。

白鳥師匠、人情話をやってみたいとのことで・・・。その時点で場内からはなぜか笑いが・・・。いやぁ、白鳥師匠に「文七元結」なんぞをやっていただいたら、さぞかしいい味だと思うのですけれどねぇ・・・。素というか、噺をまっすぐに演じていただけたら、それは骨太で力のある人情噺を聞かせていただけると思うのです。でも、師匠の高座を何度か拝見していると、まともには終わらないかもしれないなあと思う・・・。白鳥師匠はそれだけの方ではない。きっと噺にその上の世界がある・・・。むしろまともにしっかりと聞かせていただいたら、それはそれで残念感をかんじてしまう。そう思うのは私だけではないようで・・・・。で、場内に笑いがやってくる。

噺が横道にそれましたが、この新作は・・、人情噺とはちょっと違うと思います。人情噺風といったところでしょうか。滑稽話に人情噺のエキスを振りかけたという感じ・・・。

よくできた噺ではあるのすよ・・・。特に伏線の張り方。前半の伏線の張り方に強引さがなくて、それが後半にことごとく生きていく見事さには何度も唸らされてしまいました。理詰めでしっかりと噺を進めてくるので、奇想天外な話の成り行きも全然気にならない・・・。むしろここまで作り込んでもらわなくても大丈夫だよと、声をかけたくなってしまうほど。仕掛けの多彩さ、それも一つずつがすっきりとよくできているだけに、かえって噺のふくらみが小さくなってしまったのではと感じるほどでした。

まあ、今回はネタおろしですからね・・・。、今後語り方の工夫があると、仕掛けの数や質がさらなるパワーに結びついて、噺全体のふくらみの起爆装置になっていくような。

ちなみに不発弾についた青カビの話がが出てきたあたりで、人情噺は吹っ飛んでしまったような気がします。人情話にするならば、子供を救うところに主人公達が持つもっと深い根が必要かと・・・。とはいうものの、この噺、良い部分がてんこ盛りだけに、人情噺へのこだわりも今後どう化けていくか、すごく楽しみに思えたことでした。

******* ********

白鳥師匠の高座、着実な表現力と地力を再確認。次回の生みたて卵の会、いつかは存じませんが、ちょっと外せない感じです。

R-Club

| | コメント (0) | トラックバック (0)

劇団鹿殺し「電車は血で走る」手作りからほとばしる不思議な郷愁(ちょっと改訂)

遅くなりましたが、11月2日ソワレで劇団鹿殺し「電車は血で走る」を観ました。阪急宝塚沿線は私が幼稚園から高校までを過ごしたところで、いろんな想いが残るところ・・・。庄内には友人もいたしね・・・。

そんな場所を舞台にした物語は私にとって格別、心に染みるものになりました。

(ここからネタばれがあります。ご注意ください)

感想が遅れてしまったのは、舞台を観おわって、あとに残った感覚を表す言葉がうまく見つからなかったから・・・。なにか言葉の外にあるような感覚が、渾然となってやってきて・・・。青山円形劇場全体が、自分を投影する大きな脳の中のように思えました。

いろんな想いがおもちゃ箱のように詰まった作品。それは、私も知っている世界、阪急宝塚線沿線のにおいがしている・・・。鉄彦でなくても3000系とか6000系というと、マルーンブラウンと呼ばれた色の車に比較的大きく貼り付けられた車体番号を思い出す。新しい電車に乗れた時にはなんとなくついているような気がしたり・・・。

舞台に向かってやってくる電車・・・。管楽器の安定した演奏にますます沿線の光景がうかんでくる。円形の中央に白線で描かれた線路を電車が走ると、その時代が現実に交差していきます。

宝塚奇人歌劇団のパフォーマンスが絶妙、昔の新感線を思わせるけれど、かっこいいとかだけでなく、普通というか突き抜けきれない若者のかぶき方がすごくうまく表現されていて・・・。そもそも劇団名の付け方からして、昔の阪急宝塚線沿線に住んでいた人間には、ある種の感覚をもたらしてくれる・・・。阪急電車のつり広告に常にあった宝塚歌劇のイメージが子供のいたずら心でデフォルメされたような・・・。

織田信長のエピソードにも似た葬式のシーンや、地場のマスメディアへの憧れなどその町につながれた中でのどこかチープで泥臭い世界・・・。ド派手な衣装でのパフォーマンスに歌詞までパンフレットに記載して、破綻をものともせず突っ張って観客をひきつける物語の裏側に、すごくピュアな気持ちの表現がしっかり織り込まれているのです。電車事故の話や、さらにその向こうにある悦びや悔いのような感情に沈むような透明感があって、そのテイストが、主人公の思い出に染まりながら劇場全体に広がっていきます。

劇団の名前やポスター、フライヤーなどから弾けた感じや強いのりのイメージがある劇団鹿殺しですが、しっかりと切れている身体や、観客が共鳴するだけの深さと大きさもった感傷が作り出す色こそが真骨頂・・・・。醒めた視点で、現実のテイストをごまかすことなく取り込むデッサン力がベースにあって、その上に想いや遊びやこだわりをちりばめる・・・。新しい役者たちも前回公演から一気に安定感を増して、ちょっと言葉で表現しえない彼らの色を見事に支えていた事でした。

役者は以下のとおり、作・出演 丸尾丸一郎演出・出演葉月チョビ、出演、今奈良孝行・オレノグラフィティ・山岸門人、谷山知宏、橘輝、傳田うに、坂本けこ美、丸山チカ、高橋戦車、菅野家獏、木村和彦、神保良介、山本正平、山口加菜、木村知貴、緑川陽介。

大道具の移動から、楽団の音まで、手作りの温かみがたっぷり・・・、こういう姿勢で作られた舞台って、あとの印象もふわっとやわらかい・・・。その肌ざわりの良さのようなものが、一週間たってもまだ消えないのです。

作り手からあふれる真摯さって、ひたすら観客に伝わる力なのだと感じ入ったことでした。

R-Club

| | コメント (0) | トラックバック (0)

JACROW「紅き野良犬」瞠目する時代劇

11月3日ソワレにてJACROW#11、「紅き野良犬」を観ました。会場はサンモールスタジオ。今回の公演が時代劇ときいたときにはちょっとびっくり。というのは前回観た作品は抜群の切れをもったサイコサスペンス。そもそもサンモールスタジオで時代劇なんて、想像できなくて・・・。しかし、そこにはびっくりするほど引込まれる、リアリティを持ったサスペンステイストの時代劇がありました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

導入部分、一人の百姓が殺されているところから物語が始まります。ある種の緊張感がすっと劇場全体を覆って・・・。そして、舞台に現れた役者たちに目を見張ることになります。

まず、関心を奪われたのは言葉・・・・。いかにもその時代の百姓といったアクセントの言葉がたちまち舞台に満ちる。悲嘆にくれる泣き声や怒りの声、相手をうかがうような声、それらは土を耕して生きてきた人々のもの・・・。役者たちの言葉に心が傾くと今度は百姓の所作がそれに見事に重なっていく・・・。少し栄養失調を思わせる緩慢な動き、全体に低く腰をかがめたなかでの足の運びや仕草、すばやさと臆病さ、さらには頑固さのようなもの、個々の役者の頭からつま先まで行き届いた演技に観客はタイムマシンに乗った自覚もなく見事にタイムスリップさせられてしまうのです。

単純に体を土で汚すだけの演技ではない・・・。体の芯から百姓を演じる役者たちの演技にどっぶりと浸されて・・・。昔の時代劇映画のイメージなども借景に使われて、気がつけば舞台に対する感覚が自然と時代劇の世界に書き換えられている・・・。たとえば迫害を逃れた村の人間たちの生きざまが、そのまま違和感なく観客の心を浸潤していきます。ムラのない百姓の演技があるから、物語が進んでいく中での侍や町人の姿も生きてくる・・・。登場する者すべてがその時代の風景にしなやかに溶け込んであるがままに動いていく感じ・・・

そこまで空間を時代に染めておいて・・・、作・演出の中村暢明の物語の繰り出しかたが本当にうまいのですよ・・・。少しずつ明らかになっていく物語の展開にノイズがない。場面ごとのメリハリがあって、目を奪われ気を取られている中ですうっとストーリーの展開が染み込んでくるような・・・。次第に明らかにされていく事実に、霧が晴れていくような印象があって、現れてきた物語の輪郭からさらにその向こうにあるものに興味を繋がれていく・・・。しかも役者たちの演技に十分なテンションがあるから物語が展開していく中で安っぽさがない。しっかりとした舞台の質量に惹かれて、観客はさらなる展開に心を躍らせるのです。

ここ一番の立ち回りの迫力も十分で、その臨場感に息をのむこともしばしば・・・。絶妙に膨らんだ物語が最後にはきれいに繋がって、大満足でカーテンコールの拍手をさせていただいたことでした。

記録も兼ねて、出演者は以下のとおり

三浦知之、祥野獣一、成川知也、平山寛人、菊地未来、長岡初奈、ヤナカケイスケ、蒻崎今日子、爺隠才蔵、前田彩子、椎谷陽一、湯田昌次、小安光海、岩☆ロック、

ナレーション:今里真

終演後、作者や役者の方とお話をさせていただいたのですが、時代劇のリアリティを作るための演技の構築には相当の苦労があったよう・・・。また、小道具などを作るのにもプロの技を取り入れる一方で実直な努力をされたそうです。草鞋なども自分たちで綯われたそうで・・・。そうしたて作り手側の積み重ねが、この舞台の肌理というか肌ざわりをさらに上質なものにしていたのだなと感じいったことでした。

また、立ち回りの激しい動きの中でやはり怪我などもあったとのこと。その体を張った演技は観客に熱として確実に伝わっていた・・・。

手を抜かない舞台って粒子の滑らかさや空気の濃さが違う・・・。こういう五感を超えた感覚というのは、作り手側が当たり前のようにする努力以上のなにかがないと得られないものなのかもしれません。JACROWの芝居作りのスタンスに心を惹かれ、次回作もとても楽しみになりました。

ちなみにこの公演は11月9日まで・・・。もちろんお勧めの一作でございます。

R−Club

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「幸せ最高ありがとうまじで!」本谷有希子の喜劇作家としての才能

11月2日マチネで、本谷有希子作・演出の「幸せ最高ありがとうマジで!」を見ました。永作博美に加えて、梶原善、広岡由里子などの芸達者にも恵まれて、とてもエキサイティングな舞台となりました。しかも、あの本谷さんにして(失礼!)、パルコ劇場の持つ洗練にとても似合った作品でもありました。

(ここからはネタバレがあります。充分にご留意の上お読みください)

舞台は新聞販売店。それぞれに連れ子を持った夫婦と住み込みの従業員で運営されています。そこに現れた一人の女性、自らを明るい人格障害という彼女は突然愛人と名乗ってその販売店に入り込みます。かき回された側から漏れ出すさまざまな事実は混乱に混乱を巻き込んで・・・。本谷流の舞台が炸裂していきます。

なによりも登場人物ひとりずつの描き方が丁寧で、しかもキャラクターに無茶をさせても理論武装のようなものが設定されているから、物語が崩壊しない。観ていて安定感があるのです。大胆な台詞が飛び交い、突飛な行動に唖然とさせられても、行動を裏付ける因果というか周到な前後関係が構築されているので、狂気に破綻がない。間違いなくなにかがずれている感じはするのですが・・・。、そのずれの巧妙さにすっと引き込まれていく感じ・・・。

物語を追いかけて行く中で、個々の登場人物の行動にしっかりとした説得力があって、それが現実と乖離するところに実に良質な笑いが生まれる・・・。そこにはこれまでの本谷作劇から一段と昇華したシニカルで上質なコメディが現出していきます。

リストカットを「トレンドを過ぎたやり方」と小馬鹿にしたり、「明るい人格障害」を宣言したりする闖入者もすごいけれど、そのリストカットの常習者である従業員と不倫する夫や盗聴する妻の仮面のような微笑にもぞくっとくる。さらには、連れ子の妹が血のつながっていない兄のどうしようもない不幸さ加減を癒すためにパンツを見せたりなど被害者側も闖入者の想定を外れるほどに盛りだくさん。いくつもの要因が重なり合って生まれるわけのわからない優越感やプライド、さらにはそれらの優劣の逆転・・・・。ここまでやってくれるから悲惨さをとおりこして滑稽さがうまれる。自分の人生がうまくいかない言い訳について「あなたは王様で私は乞食」というような、重石をつけて沈めるみたいな台詞が次々と湧きあがっていく後半の舞台にはもう釘付けで。2時間弱の上演時間、見ていてまったく飽きませんでした。

本谷作品としては「遭難」や「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の系譜なのでしょうけれど、しかし単純にそれぞれの要素を持った作品という印象はなく、彼女の持つシニカルなセンスが昇華してこれまでを突き抜けた極上のコメディがうまれたような感じを持ちました。真摯な人間を動かすことによって作り上げられる良質なコメディの手法を本谷は自分のものにしたように思われます。それは三谷幸喜や後藤ひろひとにも通じるような手法なのですが、彼女の持つブラックな視点がさらにそれをスパイシーにしているように思える・・・。ちょっと病みつきになるようなテイストがこの舞台にはあります。少なくとも、私が観た本谷作品の中では最高の出来なのではと思います。

物語の収束も見事でした。どれほどの騒動になっても、新聞販売店にはその生活があり、闖入者が癒されるわけでは決して無い・・・。あたりまえの現実がそこにあって、最後に物語がきゅっと締まるのです。本谷のセンスには瞠目するばかりです・・・・。

役者のこと。永作博美がつける演技の陰陽のすばらしさにまず瞠目。高揚感にちかい感覚や勢いに歯止めが効かないような部分にしっかりと彼女の闇が表現されていたと思います。広岡由里子のやわらかい表現とそのなかにある情念の色の深さにも引き込まれました。梶原善近藤公園のなさけなさもとてもよい味で・・・。吉本菜穂子の不器用さというか限界を超える感じもぞくっとするほど説得力があり、前田亜季のもつかすかな狂気もうまく舞台に乗っていたと思います。

本谷さん、また一段と腕を上げましたね・・・。というのが観終わったあとの一番の感想。それとうれしかったのは本谷さんのコメディ作家としての本格的な才能の目覚め。もちろんコメディを創作する高い才能も新たに開花したということであってそれだけの方でないことは言うまでもないことですが・・・。

彼女のこれからの作品がますます楽しみになりました。

R-Club

続きを読む "「幸せ最高ありがとうまじで!」本谷有希子の喜劇作家としての才能"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

岡崎藝術座「リズム三兄妹」脈絡が繋がりきらなくとも見えるものがある

11月1日マチネで岡崎藝術座の「リズム三兄妹」を見に行きました。場所はアゴラ劇場。ゆっくりと刺激的な舞台に心惹かれてしまいました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

舞台はほとんど大道具がなく、そでのエレベーターまでがむき出しになっています。ある意味最大限に空間を活用しているともいえる。

そこにエレベーターから一人の男が現れます。舞台の中央に立つと「ソファーを演じます」と宣言して本当にソファーを演じてみせる。そこにはソファーがあるのです。不思議な静寂のなかで観客はソファーと対峙することになります。

十分な時間を持って現れたのが、三兄妹の長女(まんなか)、自己紹介やはり自己紹介をして「今準備をしています」と簡単に舞台を整え始めます。そしてソファーを中心に緩慢になごんで音楽を聴き始めます。

「ABC」、(ジャクソン5?)の軽快なメロディを、微妙にシンクロするソファーとの演技に重ねて、観客を彼らの世界に引きづり込んでいく。さらに同居人の女性が現れて、ゆっくりと二人&ソファの時間が流れていきます。食べるとか、テレビを見るとか、入浴をするとか、排泄をするとかいうことが、重なったり離れたりしながら同じ空間を重ね合わせのようにして支配していく。最初は淀んでいるようにすら見えた時間が、空間の重ね合わせのずれのような感覚を重ねていくうちに、不思議な立体感を帯びてくる。それは時に揺らぎながらも形状記憶のような力をもっていて・・・。その空間ではそんな風に時間が流れているのだろうと思う。役者の空間への出入りのシュールさ、途切れた時間の集まり方、露骨に見えるエレベーター・・・。観客の常なるイメージをやわらかく崩していきます。二人、そして兄の登場するころにはなにか抽象画を眺めるような感覚がやってくる・・・。

巣恋歌の登場でさらに舞台に奥行が生まれます。ちょっとレトロな彼女の歌には世界を俯瞰するような言葉が織り込まれていて・・・。そこに登場人物の座標が不思議に定まる感じ・・・。

その感覚は末っ子の夢子と友人(?)のショウコの時間間隔の違いにもやってきます。ソファーを演じた役者に恋を告白しようとするショウコの歌を聴いてリズム感のなさを指摘する夢子。お手本として、あざやかにリズムに乗せてラップっぽく歌ってみせる・・・。でもそれはショウコのリズムではなくて・・・。

いろんな空間やリズム感覚が重なるにつれて空間が膨らんでいく・・・。そのたびに自分のリズムのなかで人は踏ん張って、まるで船がバランスを戻すように重なり合っている周りの空間が少しずつ揺らぐような感覚が訪れる・・・。

ラストに近い部分で夢子の台詞を実感をもって聴くことができたのは、それらの空間の重なりが、なにげなく観客側に侵潤していたからだと思います、空間がいくつも重なるデリケートな部分に観客が物語を俯瞰するだけの足場をもらっていたような。バランスが少しずつ崩れるような感覚と同じだけバランスが戻るような慰安の感覚がそこにあるのです。だからこそ、夢子が「All That」という風に指し示す役者とショウコの姿に、不思議な癒しを感じることができたのだと思います。。

役者のこと、西田夏奈子のバイオリンと歌は、大時代的な風情の中に大きな視野を感じて惹かれてしまいました。なにか貫くようなスタイルがあって、それが舞台のパワーを膨らませていたように思います。白神美央の演技にも力がありました。彼女のキャラクターを力で支え切っていました。怠惰な印象を残したままで強さを出せるところに彼女の演技の秀逸さを感じました。それまでの彼女の演技の盤石さがあったから、排泄の時のコインの音(財布からにコイン落とす音で排泄を表現する)に彼女が生きていることの生々しさがしっかりと伝わってきたのだと思います。

召田実子の不器用さの表現も印象が強かったです。すごくデフォルメされているのですが、一方で実存感があり、そのなかに実直な姿を感じる。秘められたもの深さも強く感じたことでした。坂倉奈津子のナチュラルな表現も魅力的。彼女の表現する時間はとても細かい粒子のように舞台の色を作っていました。髪を洗うときのしなやかさと自己主張で二人の関係がすっと浮かんでくるような・・・。

鷲尾英彰は相手の色をしっかりと受け止めた演技。坂倉や内山との会話がデフォルメされた世界と観客をつないでいたように思います。億土点のソファーもすごかったですね・・・。冒頭のシーンでいきなり観客をつかんでいましたから。単純に具象化するのではなく、ニュアンスをしっかりと表現している。前半のシーンではアンプのように舞台の細かな印象を拡散していたような・・・。とても見ごたえがありました。

内田慈の滑らかさも魅力的でした。ラップのようなリズムの取り方もすごくうまく機能していたし、最後のシーンの仕草がすごく効果的。なにか舞台の上で縛られていたものがすっとほどけた感じがしました。

帰りがけに上演台本を購入。作・演出である神里雄大の意図がぎっしり詰まっていて読み応えがありました。すっきりしなかったいくつかのことを納得したりして・・・。たとえば、白神と坂倉が演じていたキャラクターのベースにある関係性とか・・・。でも、それを上演中感じ切れていなかったことも事実で、戯曲を知るというのは、観た舞台のフォーカスをさらに絞ってくれるものなのだなと妙に感心した事でした。

R-Club

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »