「THE DIVER」演劇でしか表現できないこと
10月4日ソワレで野田秀樹作・演出の「THE DIVER」を観ました。世田谷パブリックシアター 現代能楽集Ⅳとして上演されたもの。「The Bee」と同様ロンドンのソーホーシアターにて初演され大きな評判を得たそうです。
(ここからネタばれがあります。十分ご留意の上、お読みください)
物語は一人の男が読書をしているところから始まります。彼は精神分析医、殺人を犯した女性の判断能力を調べるように警察から依頼されているのです。
彼女の物語へ踏み込んでいく精神科医、それは彼女に向き合う中から彼女の心に映るものを読み解く作業・・・・。彼女と手をとり精神世界へと溶け込む中に、能の世界や源氏物語の世界が現れる。愛人となっていく経緯を夕顔の世界になぞらえ、そこから出ずる修羅の感覚を能の「葵上」になぞらえて。
取り調べをする検察官や刑事は、彼女が自らをなぞらえる名前でなく、彼女の現実につけられた名前だけを求めていきます。罪を認めて罰を与える、それを正義の勝利という・・・。しかし、精神分析医は彼女が語るいくつかの名前の奥にある彼女を翻弄したものを、ともに能の世界に沈むなかで理解していきます。
現実の新聞に現れた陰惨な事実に源氏物語の夕顔の世界が重なり、さらに葵上の物語がすっと一つの図柄に重なった時、葵上の物語に現実がのりうつる。扇が刃物に変わり、股間を突いてそのあと引き出される赤い布から、むせるような胎児のにおいが湧き上がる・・・。その先にある般若の心、六条が牛車の車合わせで受けた屈辱への恨みをそのままに、殺人の現場へと導かれていくその過程は、もはや文字では足りず映像では過ぎる、まさに舞台空間でしか表現しえない世界・・・。やがて、物語と現実が渾然と混ざり合う世界の中に、悲劇の悲劇たる構図がひとつの真理として浮かび上がる・・・
昔風に言えば本妻と愛人・・・、葵上の物語に合わせて牛車のさや当てから、本妻の嫉妬、そして愛人を攻め立てる気持ち・・・・。現実と能の世界がより糸のように絡まりながら、その先にある必然的な結末が導かれていきます。
よしんば法が彼女の人生を奪っても、そこに女性が内包する不変の心情心理が残ることを精神分析医は知ることになる・・・。デリバリーピザをむさぼり喰いながら精神分析医はためらいそれゆえに検察官はいらだつ。 内なる物語は法の外側へ押しやられ、法の枠組みは検察や警察の意向を定めて彼女の人生を殺してしまう。
定められた法の世界と観た世界がしっくりとなじまないことに精神科医は困惑するのですが、法の世界の絶対は精神分析医が沈んで観た物事を見ようとはしないのです・・・。
彼女の刑が確定した後も、困惑は精神分析医はとらえて離さず、その心は古の物語に再び沈んでいく・・・。
暗転して物語が終わった後、そこには鮮やかな女性のどうしようもない心情が行き場を失ったようにそこにのこる・・・・。鉛のような重さがあるわけでもなく、油絵のように塗りつぶされるわけでもなく、透明な空気でやわらかく押し入って観客の心をその色にそめるように・・・・、そこに女性たちと男の想いが残る・・・。
出演は、野田秀樹に加えて、「The Bee」でも共演したキャサリン・ハンター、彼女の演技には一歩一歩しっかりと築き上げる部分と、それらを踏み台にして一気に物語を深みに沈めるような力があって、観る者を引きずり込むように能の世界にいざない、現実へと差し戻します。その他グリング・ブリチャード、ハリー、ゴストロワが出演・・・・。
囃子方は囃子が田中傅左衛門、笛が福原友裕、その音は物語のエッジをしっかりと研ぎ澄まし、物語に立体感を与えていました。
帰りの田園都市線で購入したパンフレットを読んでいて、その造りのおしゃれさに気がつく・・・。袋とじの外側の文字と内側の舞台写真に、物語が持つ構造の秀逸さを思い起こした事でした。
上演時間は90分、立ち見でも見る価値がある一作かと思います。
なお、ベース都なった事件の詳細は
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/hino-ol.htm
観劇前後jに読むのも一興、読まずにおくのも一興かと・・・。
あとおまけというか余談ですが、扇のピザの食べっぷり・・・、ああいう遊び心もすごいしそれを成り立たせる細かい所作もすごいなと別な意味で感動したことでした。
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