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コマツ企画「DOUTEN(動転)」の突き抜けた2重構造

いきなりこういう言い方をするのもなんなのですが、よくしっかりとここまで作ったという感じがします・・・,コマツ企画「DOUTEN]。10月5日マチネにて観て参りました。

評判はいろいろと聞いたり読んだりしていたコマツ企画の最新作は、事前に想像しえないような、突き抜けた才能にあふれかえっていました。

(ここからネタバレがあります。公演期間は終了しておりますが、ご留意の上お読みくださいませ)

一見学芸会かと思うようなこじんまりと安っぽい感じの舞台装置、最前列にはプロジェクター・・・・・。このシンプルな空間で何が起こるのだろう・・・・。

客入れまでは特になにも思わなかったのですが、開演直前あたりからそのたくらみは始まっていました。劇場の扉が閉まるぎりぎりに入ってきた客がいきなり携帯を鳴らす・・・。で、なんとその電話に出る!。かとおもえば、前説中に大道具が舞台に入ってきて装置を直し始める・・・。それまで整然と進んでいた開演を待つ時間がが突然ぐだぐだになっていく・・・。加えていきなり大道具が脚立を持って入ってきたときには、さすがにこれは企んでいるなと・・・・。

昔のサンシャインボーイズの「Show must go on」や最近上演された「ガンマゲ」のようにバックステージの話かとも思ったのですが、幕があくと普通に素の芝居が始まる・・・。そもそもこれまでに私が観たバックステージものにはメインステージはでてこなかった。舞台が上手の奥側の設定になっていたり、ほんのちょっと前方でステージののさわりが演じられたり舞台上段で仮想の舞台の様子を露出させていただけ・・・、それがこの作品では舞台が中央にどーんもろにある・・・・。

あれっと思っている間もなく、ぐたぐたはどんどんエスカレートしていきます。幕があいて、いきなりのかみ合わない演技、しばらくすると段取りを間違える役者がでたり、それまでの役柄を鬘とエプロンだけで変える役者が出てくる。行き詰まった役者が突然切れたり・・・・。一人の役者が物語を進行させようとするとそれを押しとどめる役者がでてきたり・・・。本来禁じ手であるはずの主宰というか演出家が舞台上に登場してきて混乱が収まるかと思いきや、さらに混乱は増していくばかり・・・・。気がつけば、観客は舞台の裏側や表を交互にみるのですらなく、舞台裏がもろに透けた家族劇風の芝居をみているのです。しかも、観客はある程度時間がたつまで、出演者たちが役者を演じるのではなく素で家族劇と関わっていると錯覚してしまっているので、家族劇を追いかけようとする感覚から抜けられない・・・。作者の作ったトラップにはめられてしまったようなもので、途中で芝居が止まろうが役者が言い争いを始めようが、すべて舞台上の物語の一部として頭に入ってきてしまう・・・。

しかも、作者は観客が罠に落ちたとみるや、どんどんと混乱の要素を広げていきます。舞台に乱入した演出家の指導力のなさや制作側と役者の感覚の差を巧妙に描いたかと思うと、劇団内の恋愛から公演を降りた役者のこと、さらにはやめた役者から役者の親戚の生態まで、虚々実々、ボーダーラインぎりぎりというか演劇界のタブーを恣意的に蹴とばしては舞台に取り込んでいく・・・。舞台袖の幕が外されて舞台の上手・下手までがさらされる頃になるとそのやりたい放題はさらに力を増していきます。その場しのぎに稽古をしていない役者が舞台にあがる、台本をちぎった紙切れ一枚分で役者が舞台に上がる、ほとんど素人が舞台に上がる、芝居のなかでこくる、歌が出る、安っぽい映像のエフェクトが来る、上演中の写真撮影がでる、家族の差し入れが入る・・・

役者達は、舞台の内外が混然一体とした空間の中で、家族劇の人物に加えて演じている役者の素にあたる部分も舞台に表現するという2階建のような演技を強いられていきます。しかも話は個々の役者が演じるキャラクターをこれとこれみたいに数えられるほど単純ではないのです。作者は、登場する役者ごとに演じるキャラクターのバックグラウンドをしっかりと用意して、その上で家族劇上のキャラクターや劇団運営の役割の中に、役者としての演劇観や価値観、さらには恋愛感情や、金銭にかかわるちょっとしゃれにならないような話までもしっかりと織り込んでいく・・・。挙句の果てには役者の実話とみまごうような話までもからんできて・・・・。結果として、観客は個々の役者の2階と1階部分だけではなく、1~2階の踊り場の部分や演じている役者の話にマージされたプライバシーというかB1や半地下の部分までもひとつの空間で同時に観ることになります。

作・演出のこまつみちるは役者たちの必死さやタブーを犯す当惑までを糧にして、いろんなニュアンスを実にヴィヴィッドに浮かび上がらせていきます。その手練手管には目をみはるばかり・・・・。でも、場あたり的に表現を重ねているわけではない。随所に伏線を張りキャラクターを見事に役者に背負わせて、大小を問わずひとりずつ繊細かつしたたかに役者たちを配置し動かしていくのです。しかもこの人は小劇場界の色やにおいを絶妙に切り取ったり本質にかかわるような部分までも見透かす非凡な力も兼ね備えていて・・・・。虚実のすれすれまで(時には確信犯的に踏み越えて)それらのネタを織り込みながら舞台の内外を表現して、そこには極上の喜劇を現出させます。下世話さをうまく盛り込んだり秀逸な比喩を使ったり小さなネタを捨てずに膨らませていったり・・・・。ひとつずつのシーンに常ならぬ才能があふれかえっている・・・。それに、時には土足で踏み込むような表現をしたかと思うと、隠し味のようにゆっくり利いてくる表現があったり・・・。そのバランス感覚というかセンスも独特かつ秀逸・・・。なによりもこれだけのことを90分に取り込んで、なおかつ芝居の手綱がしっかりとコントロールされていることのすごさ!!

役者たちも本当に真摯にこの舞台に立ち向かっていました。光が当たる部分でも陰になっている部分でも与えられたキャラクターを演じきっていて、ボディブローの連打のように観客を巻き込んでいく。役者たちがシリアスでないと喜劇は成り立たないのです。役者たちの自らの役を実直に全うしようという意思がこの芝居の喜劇性をしっかり支えていたと思います。

役者のこと、七味まゆ味はやっぱりよいです。舞台上での発色というか立ち上がりが鋭く彼女の切れが舞台にしっかりとリズムを作っていく・・・。しかも芝居が表面的ではなく、しっかりと奥ゆきを持っているのです。高羽彩の演技も舞台を支えていました。骨格がしっかりしている上に滑らかに鋭い狂気を演じることができる・・・。

舞台を支えたという意味では成川知也の貢献も大でした。彼の貫くような演技が物語の心棒のひとつになっていたような気がします。この人には存在で舞台の底を固くするような力があります。浦井大輔、川島潤哉、本井博之もそれぞれに突き抜けたキャラクターを崩れることなく支え切っていました。

それ以外の役者たちも個性がしっかりと立っていて、一人ずつの芝居がちゃんと舞台に色を与えていました。松本美奈子、伊藤淳二、斎田智恵子、平間美貴、宮本奈津美、鈴木燦、清水穂奈美、相馬加奈子、それぞれの役者が舞台上でキャラクタの個性を存分に歩かせていました。名前を羅列してしまいましたが、ひとりずつの演技が埋もれていない。どの役者が抜けても芝居の色合いが変わってしまうような・・・。それだけの力が役者ひとりひとりにあったしそこまでの密度をがしっかりと醸成された芝居でもありました。

最後に最近流行のアフタートークのシーンがあるのですが、これもある意味すごい・・・。世の中にはよいアフタートークと企画倒れのアフタートーク(これが結構多い)があるのですが、後者の胡散臭さが見事に表現されていました。この慧眼と表現のセンスにはけっこうぞくっときた。最後に舞台には「主義主張」がばらまかれて・・・。もう恐れ入りましたと言うしかない・・・。

こまつみちるさんの作品、しばらくはがんばって見続けていきたいと思った事でした。

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