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岡崎藝術座 「三月の5日間」原作の意に忠実な寄席でのお芝居

一週間遅れの書き込みになりますが、8月4日に岡崎藝術座、「三月の5日間」を観てきました。 チェルフィッチュ版の「三月の5日間」は再演を見ているのですが、今回の岡崎藝術座はかなり独特の演出とのことで、興味が湧いての観劇です。

会場はお江戸上野広小路亭。要は寄席の小屋です。開演直前にはすごい長蛇の列になっていて・・・。通る人がこそこそと「誰か有名な人がでるのかな・・?」「小三治あたりがでるんじゃないか・・?」などと話をしながら通り過ぎていくのもおもしろくて・・・。

(ここからはネタばれがあります。ご留意の上お読みくださいませ)

ただ、外で仕事をして直帰だったので、個人的には劇場に着いたのがすごく早かったのですよ。10番以内くらいの入場だったので、席は半強制的に出来るだけ前を指定されて。でも一番前の列に、一風変わった人たちがすでに座っている・・・。上野ということか、パンダのぬいぐるみを着ている人までいて・・。あと、大衆演劇がお好きそうな町工場の従業員のようなおばさんがいたり・・・。うつむいて弁当を食べている人がいたり・・一瞬劇場を間違えたのかと思いましたが、しばらくすると、それが観客を演じている役者さんだと気づきました。

6~7人の役者さんたち、現業系の小さな会社がレクリエーションで団体観劇に来たと言う設定のよう。パンダの格好をした人が社長でその隣で弁当を食べているのが部長という具合に、それぞれにキャラを作って従業員を演じつづけているのを開演前の30分、50cmの距離でたっぷりと鑑賞させていただきました。挙句の果てには、私も世話好きのオバサンキャラを演じている役者さんから歌舞伎揚げをもらってしまったり。 客入れ中ずっとへたらずに演技を貫き通すそのすごさ、その会話も下世話でおかしくて・・・。ここは特等席かもしれないと・・・。.

。そして、観客役の中二人が舞台に上がりこんでしまうところからお芝居が始まります。芝居が始まって役者が舞台に上がりだしてからも、終盤まで客席1列目の設定って変わらず、客席から舞台への声がけや1列目内部での空気を読まない小声の突っ込みがまた笑えて・・・。 同じシーンが重ねて演じられる場面で 「さっきやったんじゃないか、これ」と突っ込む部長役。それに対して小声で 「こういう技法なんだよ」と諭す若い従業員役の女性・・・。 ちょっとちがうけれど、山手事情社がやっていた弁論大会を思い出したり。

最近の小劇場演劇って環境がすごく改善されていて、ほとんどが椅子席・・・。めったにないたたみにあぐらの体勢はすごく苦しかったのですが、前の役者さんたちの何気なくじんわり効いてくるお芝居にその辛さも忘れるほど・・・。

舞台上、首にレイをかけた、いかにも場末の芸人といった風情の役者が出てくるので、最初はチェルフィッチュ的なお芝居へのアンチテーゼかなとすら思ったのですが、実はチェルフィッチュどうのこうのというよりも、戯曲をいかに自らの世界で演じるかの工夫の積み重ねであることが次第に伝わってきます。事実、開演前から始まり舞台上でも行われた様々な試みによって、戯曲に封じ込められた普遍性のようなものが、手品のように舞台から伝わってくるのです。

舞台上で演じられる演芸のようなお芝居、スタイルはチェルフィッチュの演技とは極めて異なるものながら、戯曲の骨子は、きちんと演じられていきます。チェルフィッチュ版に登場する若者達と行動や雰囲気は違っていても、イラク戦争が始まったときの日本に存在した時間の肌ざわりは、ゆっくりと確実に観客を浸潤していく。クラシック音楽が流れる中で語られていく物語、その音楽の終わりごとに舞台や一番前の列の役者達が凝視するもの・・・。やっぱり溢れてとめどなくなってしまうミッフィーちゃんの感情、デモの緩さ・・・。カップルたちのエピソード・・・。よしんば、それが演芸のスタイルを入り口にしていても、登場人物の雰囲気が違っていても、その時、その時間を支配していたものは、チェルフィッチュが作り上げていたものと同じ色をしている。

一つ間違えば悪ふざけにも思えるような趣向なのですが、戯曲に対する真摯さが根本にあるから、一連の表現に崩れるような危うさがなく、どこかに凛とした雰囲気すら感じられる。そして、ある種の滑稽さに引き込まれた心に、戯曲の持つ世界がすっと染み入って・・・、あの3月の日々の断片が鮮やかに浮かんでくるのです。

私自身の記録も兼ねて出演者のお名前などを・・・

武谷公雄・中村早春・尾原仁士・春日井一平・佐々木透・宇田川千珠子・冨川純一・西田夏奈子・砂生雅美・影山直文・タカハシカナコ

見終わったあとはしっかり感動していて・・・。でも、そこはやっぱり寄席で・・・。観終わったのは寄席で演じられていた物語で・・・。演出の神里雄大の才に、ちょっと震えがやってきたことでした。

この公演、上野の前に新百合ヶ丘でもあったそうで、しかも演出が違っていたという・・・。マジで両方見たかったです。再演はないですかねぇ・・・。

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