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15 Minutes Madeのおいしい駅弁感

8月30日ソワレにて、6つのユニットが15分の時間でお芝居をする・・・まるでお弁当のおかずをちょこちょこつまむようなPerformance(?)を池袋シアターグリーンに見に行ってまいりました。Mrs.fictionの企画は今回が4回目だそうですが、私は初見・・・。

スタイリッシュでカラフルな舞台上に展開するさまざまな物語、15分という枠が物語のエッセンスをギュッと絞り出して、素敵なエンターティメントを堪能することができました。

(ここからはネタばれがあります。十分にご留意の上お読みくださいませ)

きびきびした客入れ、前説などもあり・・・。けっこう退屈をしないままで開演を迎えます。

1.横浜未来演劇人シアター 「市電うどん」

「ハマのメリーさん」と呼ばれていた横浜の街娼の物語。冥府への旅立ちの時を舞踏的な手法を取り入れながら表現していきます。

導入の部分の死の香りには、死の汚れを感じるのですが、持ち物の中にあった市電の切符から彼女の魂が大きく舞台に広がっていきます。

横浜市電の駅をつないでいく言いたてから、彼女が暮らしていた横浜の街が見事に現れる・・・。人数をかけてのフォーメーションに街が浮かんでいく。彼女を通り過ぎて行った人々の面影とともに、時間の長さがすっと溶けるよう。やがてロープを使って作られた線路が客席を滑走路のようにして点まで伸びるとき、何かが昇華していく・・・。

弟との関係、彼女の歩んだ道、それらがすべて凝縮されたような一杯の素うどんを食べ終えた彼女が市電に乗り込む時、彼女の時間がすっと観客の心に預けられたような・・・。

わずか15分の時間がとても長く、でもあっという間に感じられたことでした。

構成・演出:寺十吾  振付・出演:石丸だいこ

出演:今井勝法・岡野正一・櫻井麻樹・柴崎知花子・中野麻衣・中山朋文・浜田貴也・松浦玉恵・望月大成・安田亞希子・吉村公佑・若松絵里・雪港・水元汽色・日与津十子

2.青春事情 「クロヒゲ」

爆弾を前にした4人の男のドタバタ劇。15分の時間がそのまま爆弾の爆発予定時刻のような設定になっていて、物語が進むにつれて緊張感が高まっていく仕組みになっています。

4人の妙な一体感がスパイスになっていて、逃れられるすべがありながらうまくいかないところにおかしさが膨らんでいきます。

モンティパイソンなどに出てきそうな、価値観の転換がそこはかとなく機能している感じ。その場の行動の歪め方が直球勝負なので、最初はえっと思うのですが15分の後半、次第に彼らの世界に浸っていくにしたがっておもしろさが次第に積まれていく・。なんというか押し切るパワーみたいなものが役者にあるので、観ていてもまあまあ飽きがこないのです。

最後はお約束に近い落とし方でしたが、観客をそらさない15分でした。

作・演出:青春事情

出演:大野ユウジ・加賀美秀明・小門真也・本折智史

3.elePHANTMoon 「小説の形」

15分の間に、静かな演劇が見事なスプラッターホラーに変身していきました。

前半の少しずつ狂気が含まれていく感じが絶妙。物語に狂気がすうっと流れこんでくる感じ。岡田あがさの視線が狂気をじわりじわりと舞台に誘い込んでいるようにも思えて、目が離せなくなってしまう。永山智啓にも潜んだ狂気があって、二つの狂気がナチュラルな会話のなかで絡んでいく・・・。

そこから一気にはじけるような後半、、物語の様相は大きく変わっていきます。なにかがポンと飛んで、それまでの探り合うような距離感が一気に箍を外して、舞台は様相を一変させます。女は椅子に男を縛りつけてその腹を切り裂く。岡田あがさの表情がまた良いのですよ。何かに憑かれたようなどこか緩慢なしぐさに、だれにも止められないようなまっすぐな意思が感じられて・・・。

小腸を引き出してもてあそぶあたりから、何かを突き抜けた時のユーモラスな雰囲気が浮かんでくる。縄跳びを始めるところまでは想定内だったのですが、クロス跳びにはやられました。それまでは仮想世界というか、ガラスケースの中の世界のようにながめていた物語が、血しぶきを防ぐためにレインコートを着てもっさもっさ小腸でクロス跳びをする姿を眺めた瞬間に、妙に現実っぽくなってしまう。その落差というかズレが、不思議におかしくて、そのおかしさが今度は概念を離れた生々しい恐怖を導いてくるのです。

エンディングの礼までしっかりとドラマのうちに収めて・・・。

岡田あがさの演技は、これまでも空間ゼリーの舞台を中心に観てきましたが、舞台ごとに本当にいろんな可能性を感じます。15分間の血まみれ芝居の中に、彼女のコールディ・ホーンばりのコメディエンヌとしてのたぐいまれなる才能を観て、彼女の才能の多彩さを感じた事でした。

脚本・演出 マキタカズオミ

出演:永山智啓・岡田あがさ

休息(中入り)

4.あひるなんちゃら「ゴーデンノーベ」

あひるなんちゃらのテーマのさわりの部分が流れると、そこは彼らの世界。そもそも、あひるなんちゃらの役者が誰も出ないところが彼ららしいのですが、それでもあひるなんちゃらの世界がしっかりと構築されていきます。

金沢涼恵の妙な神経質さと上田楓子の鷹揚さの対比が良い意味でゆるく笑える・・・・。安定した演技が醸し出す二人のキャラクターにずるずると引き込まれていく感じ・・・。そして煮詰まりかけたところに現れる中野佳奈がその可笑しさにしっかりと輪をかけてくれる。

上田楓子の気風のよさから、趣味が相撲観戦というのはすごくナチュラルなのですが、そこから彼女のために二人が相撲をとるという展開にたどりつくのが理屈抜きにおかしくて・・・。

仲が良いという話と、劇団を作るという話をしっかり分けるところがちゃんとスパイスになって小気味よく物語のリズムが作られて・・・。

三人の女優の手練と関村俊介の才能を再確認させられた小品でありました。

脚本・演出:関村俊介

出演:金沢涼恵・上田楓子・中野架奈

5.アイサツ「クレイジー」

初見の劇団なのですが、一番カラッと笑いました。劇団の稽古場、優柔不断な演出とそれを責める助手、さらに自分のペースで動く役者たち・・・。同じルーティンがどんどん膨らんでいくというパターンなのですが、スムーズに稽古が流れない・・・。どんどんペースが崩れていくなかでさらにさらに輪をかけたシチュエーションがやってくる・・・。

で、どうしようもなくなって、稽古場が大混乱のなかで、演出は気持ちよく歌ってしまうのです。このシュールさがたまらない。そこまでの道程がとてもしたたかで・・・。

こういうことができるのってセンスだと思うのですよ。寒い内輪の茶番劇になるか、おかしさがどんどん膨らんで突き抜けていくか、紙一重の世界だと思うのですが、そこをしたたかに切り抜けていくセンスが舞台から漂ってくる感じ・・・。

派手さはないけれど、なにか引き付けられる物が埋もれている・・・。この劇団、なんか気になります。

作・演出:尾倉ケント

出演:坂口辰平・長野海・山本美緒・師岡広明・斉藤加奈子・江尻雅輝・三井翔太

6.ねじ式(未来篇)

近未来の前提が積み重ねられていく中で、物語が展開していきます。人間的なのですが妙に役に立たないロボットと、そのロボットを拾った解体屋の兄弟の話。

人間らしいともいえるロボットの人間らしさや生活との軋轢から、日々の生活にかかわるいろんな感情がにじみ出てくる・・・。

3人芝居の淡々とした会話の中に、ある種のペーソスが生まれていきます。

15分の枠のなかに、兄弟の日常の雰囲気がうまく詰め込まれていて、物語の設定を含めてうまいなと思います。挿入されるエピソードのようなものにも、心を惹かれる・・・。たとえば文鎮になりたいというロボット役の深川深雪の台詞がよくて、そこから物語に深さが生まれる・・・。

派手さはないけれど、佳作だと思います。

原案・出演:夏見隆太 作:中嶋康太 演出:生駒英徳

出演:岡野康弘・黒川深雪

6本の作品、それぞれに味わいがあっておもしろかったです。

まあ、長編の作品を作るのと、こういう作品を作り上げていくのって使う筋肉が違うのかもしれませんが、でも、短い作品ならではの創意工夫も随所に見られて・・・。

来年の春には次回のスケジュールも決まっているということで、また機会があれば見に行きたいなと思った事でした。

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柿喰う客「真説・多い日も安心」熱くなめらかにすっぽりと

ちょっと遅くなってしまいましたが、8月23日ソワレにて柿喰う客「真説・多い日も安心」を見ました。

お昼のアロッタファジャイナが本当にたっぷりで、満腹になっていたはずなのに、こちらはこちらでなんというか別腹というか・・・。

昼とあわせて80人弱の役者の演技を見せていただく。これはもう酒池肉林というか、観客としてもここまでの贅沢はいかがなものか状態。でも、それでも食べ飽きないくらい魅力を持った舞台に、我を忘れて見入ってしまいました。

(ここからはネタバレがあります。充分にご留意の上、読み進んでいただきますようお願いいたします。)

冒頭、物語の枠組みを作るシーンから・・・。舞台上方から、七味まゆ味のなにかを超越したような語りに全体が動き始めます。

物語はAV業界に君臨する女王の栄枯盛衰の物語・・・。自らをすり減らすようにして成り上がり、他を蹴落とし、王国を築き上げた女優の物語です。

とにかく、テンポがよいのです。役者一人ずつが、しっかりとしたキャラクターをもっていて、それらが定められた位置にすっぽりとはまっていく感じ。他のキャラクターとバッティングすることなく、ひとりずつの役者がしっかりとしたテンションを持って演技をしている上に、それぞれが演じる個性が他の個性を打ち消さないでどんどん物語にはめ込まれていくから、出演者の多さの分だけ舞台のパワーにつながっていく。しかも、物語の枠がシンプルだから役者のテイストを楽しむことと並行してちゃんとストーリーが観る側に入ってくる。

でも、物語に単調さはありません。まず、物語にきっちりと下味がついている・・・。中国の歴史を借景にしていると同時に、現代ビジネスのストラテジーのフレーバーもうまく盛り込まれています。ちょっと誇張をされているけれど、市場の寡占を狙う企業としては至極まっとうな戦略が物語に含まれていたり・・・。またカリスマ性満タンの女王の行動には、ワンマン社長が傲慢に会社を引っ張っていく姿を彷彿とさせるエピソードが、ある種のリアリティを持って差し入れられていたり・・・・。

まあ、AV業界のお話ですから、それなりに下世話な表現もたくさんあったりはします。けれど、芝居の勢いがいやらしさや生臭さが吹き飛ばして、下世話なりの味わいやおかしさだけが観客に供されていくのです。AV役の役名が全部生理用品のブランドだったりするのですが、それがちょっと男が立ち入れないような世界感を醸し出していたり、生理を止めるために妊娠をするという発想だって考えてみればえぐいのですが、物語の中では加熱していく中でのさもありなんと思わせるような説得力に変わっていたり・・・。

絶妙な息継ぎをしながらも、一気に走りぬけるようなものがたり・・・。やがて「サライ」が歌われて、AV業界全体に統一感が生まれて・・・。でもそこまで広げた物語が、冒頭の枠組みを作るシーンのリプライズに飲み込まれていく・・・。ドラマが積み重ねで舞台全体にまで広がった高揚感や熱が、たった一つのシーンにものの見事に吸い込まれていくのです。

役者のこと、なんといっても深谷由梨香の体当たりの演技にまずやられました。舞台をぐいぐいと引っぱっていく力もさることながら、清濁合わせのむようなキャラクターにぶれがないのです。観客が彼女を軸にドラマを観ていくことへの安心感・・・・。他の役者たちの演技を受けきる力量にぐいぐいと惹かれていく。七味まゆ味もよかったですね。特に最後のシーンの語りっぷり・・・。時代を俯瞰したような視線で、ゆっくりと舞台全体を取り込んでいくような大きさがあって、一方でその大きさにぼけないだけのしなやかなテンションがある。物語の中盤に彼女の過去が吐露されるセリフがありますが、それにしてもゆっくりとした一つのセリフで彼女の世界観を舞台が一気に染めてしまう・・。彼女の演技の切れのよさと演技の懐の深さを感じた事でした。佐藤みゆきも前回の「俺を縛れ」に続いて大好演でした。演技の目鼻立ちのくっきりしたところが、演じるキャラクターのしたたかさを際立たせていました。玉置玲央も演技のキレをそのままに、舞台を支える力に一層の磨きがかかった感じ。演技も前回と比較して骨太になった印象があります。

他の役者たちにもはずれがない・・・。前述のとおりその場に染まるテンションのコントロールが見事になされていて、なおかつ一人ずつの演じる世界がちゃんとある・・・。まるで魔法を見ているみたいにすら思えます。

その役者たちを、私自身のメモも兼ねさせていただいて・・・、

村上誠基、石橋宙男、村上俊哉、迫律聖、松本隆志、永島敬三、斉藤マッチュ、野上真友美、高木エルム、中林舞、矢鋪あい、八木奈々花、浅利ねこ、舞香、伊佐美由紀、色城絶、佐野功、須貝英、伊藤淳二、大石憲、高橋戦車、丸山紘毅、今永大樹、小川貴大、野田裕貴、半澤敦史、花戸祐介、出来本泰史、石黒淳士、武藤心平、加藤諒、佐野木雄太、浅見臣樹、川村紗也

七味まゆ味の最後の語りからにじみ出る達観した艶のようなものに押されて、舞台をはけていく役者たちの流れを見ながら・・・、ふっと自分の立っている足元に揺らぎを感じて・・・。それは、自分の過ごしている時間のはかなさが、冷んやりした風のように吹き込んできて・・・。

終幕の暗のひととき、作・演出の中屋敷法仁が据えた物語の視座の秀逸さに息をのんだことでした。

柿喰う客としての本公演は一年お休みだそうですが、企画公演はいくつかあるみたい・・・。なにか麻薬のような成分が含まれていて、ついつい惹かれてしまうこの世界、次もとても楽しみです。

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アロッタファジャイナ「ルドンの黙示」に秘められた真理の重さ

8月23日、マチネにてアロッタファジャイナの第9回公演、「ルドンの黙示」を観ました。新国立劇場小劇場進出の記念すべき作品。作・演出の松枝佳紀渾身の力作は、質感をしっかり持ったスケールの大きなものとなりました。

(ここからはネタバレがあります。ご留意の上読み進まれますようお願いいたします。)

客電が残ったまま、舞台に役者があらわれ、舞台上のナチュラルな時間は音楽に彩られ・・・、ドラマが始まります。当初は2つの次元の物語がミルフィーユのように積み重ねらて・・・・「はるか未来」と呼ばれる時代と、「世界の終り」と呼ばれる時代。二つの世界は、シーンの間を見事につなぐ語り部によって導かれながら、何層にも物語を積み上げられていきます、

物語が進むうちに、観客が「はるかな未来」はルドンという登場人物の少年が紡ぐ物語として、「世界の終り」のなかで描かれた物語であることを知ります。それは、大国とその属国、さらには属国に虐げられた部族とそれぞれに生きる人々の物語・・・・。一方「世界の終り」のなかでルドンの書くものはは黙示であるとされる・・・。その物語が暗示するものが、「世界の終わり」での予言になると・・・・。

ルドンの描く「はるか未来」の物語は、まさに人類の歴史の具象化です。支配されるものが戦うための正義、同じ人間として同等にあるべきだという理想、よしんばそれが戦いを導いたとしても、彼らには振りかざすべき正義がある・・・。しかし、歴史がそうであるようにルドンの物語は支配される者だけの正義の物語ではないのです。一方で支配する者が平和を維持するための正義・・・。支配する側にも正義はあるのです。秩序を守りカタストロフから世界を守ること・・・。それが悪魔に魂を売るような醜悪さに満ちた手段であっても、支配される者たちの血の代償をともなったとしても、よしんば支配する側の血が流れ、あるいは血を分けたものを自らの手にかけることになったとしても、彼らの正義は守られなければならないのです。

そして、物語は歴史の必然の先にある今の世界を想起させます。昨今の中国の民族問題しかり、グルジアの問題もしかり・・・・。二つの正義はその旗をたなびかせるに十分な正義でありながら、決して相容れることがない理想であって・・・。そもそも、すべての人間が同じだなどということは幻想だし、二つの正義が一つの色に染まることなどありえない。そのありえなさが物語の中で明快に述べられていきます。物語に真理の心棒がしっかりと貫かれて、正義が重なり合う刹那に、2つの正義を両手に持つことのできない人間の悲劇、人間が持つ原罪の影が見事に浮かび上がっていきます。

一方、「世界の終わり」のなかではルドン自身の世界も次第に追い詰められていきます。戦場の病院の物語は、ルドンの物語の行く末を求める一人の男(兵士)の登場によって、病院から患者や医師たちが強制的に避難を強いられる物語へと発展していきます、森の中の彷徨、不安のなかでも怪我をした少女のためにさらに紡がれる物語、やがてたどり着いた市場でルドンは医師たちともはぐれ・・・。さらに追い詰められて、ルドンの黙示は再びであった医師などの運命を暗示します。何度も繰り返される物語の結末・・・。

閉塞感につつまれた物語にはさらに外側があります。「世界の終り」も一人の女性が書いた小説の世界のなかの出来事、それは、彼女が自らの息子を殺され、裁判所でその犯人を刺し殺し、そして気が触れたなかで作り上げた物語。何度も書かれた行き場のない、同じ結末の物語・・・。人の持つ原罪のようなものが3つの次元を一つに貫いて・・・。

しかし、ラストにちかいシーン、ふっと彼女は正気に戻る・・、そして、紡がれる物語も結末を変えて・・・・。彼女に理性が生まれたことで、「はるか未来」の物語に光が差し込む・・・。虐げられた民は迫害を逃れるのです。

両方から挟まれるような舞台に、次々と現れる役者たち、そのよどみない動きに、物語は清流のごとく流れていきます。美しいライティングは高さをもった空間を見事に制御し、Psalmが奏でる二十五弦琴の響きは、琴の範疇を大きく超えて空間の色をさらに鮮やかにしていきます。そして貴族たちの赤を基調とした衣装と民の白の衣裳の対比の美しさ・・・・。一方「世界の終り」ユニットが醸し出す絶望の香りがする重さも、舞台はしっかりと支え切ります。

30人以上の役者たちの演技は驚くほど安定していて、しかも一人ずつの演技がしっかり切れをもって空間に厚みを作っていく。役者が全体のなかのパーツになるのではなく、個が積み重なって一つの世界を作り上げていく感じ。しかも出来上がった世界には驚くほどに鮮やかな色や雰囲気が存在している。

満島ひかりが支配する側の正義を身につけていく姿に、観客は理性に抗って余りある強い高揚感すら覚えるし、安川結花の民を守ろうとする強い意思には、白く輝くような気高さがあって観客をひきつけていきます。篠田光亮の演技からは気品と冷徹さが艶やかにあふれて、柳浩太郎の存在感はまるで重しのように観客の心を縛っていく・・・・。ナカヤマミチコの狂気には息をのむような実存感があり、前島健一の兵士には、底知れない何かが宿っていて・・・。

舞台と演技が物語に奥行を生み、その奥行きが演技をさらに深くして観客を取り込んでいきます。

そして、最後のシーン、「はるかな未来」の舞台上から虐げられた民がのがれていくシーンに3つの世界の色が重なって、ふと正気であることの危うさと、その危うさのなかで生きていくことを正気と呼ばざるをえない「人」というもののサガ、その中で生きていく人々の儚さと強さまでが観客にしっかりと伝わってきます。ぎりぎりの中庸のなかに存在する正気の世界に身をおく自らの姿がゆっくりと浮かんでくるのです。

まさに松枝佳紀渾身の力作、新国立劇場の品格やすぐれた設備を生かした演劇空間を創出し、観客を舞台の色に染めて見せました。

上記以外の役者は以下のとおり、

川口覚、玉井夕海、かりん、原田健二、植木紀世彦、三元雅芸、野上智加、江口ビロミ、岡村麻純、立花彩野、新津勇樹、乃木太郎、峰尾晶、近石博昭、中島康善、ほしのラディン、山本律磨、青木ナナ、井川千尋、金子優子、加藤沙織、角田菜穂、吉田佳代、藤村あさみ、若宮亮、竹内勇人、木田友和、、元吉庸泰、太田守信、磯村智彦

アロッタファジャイナ、Le Decoでやるような手づくり作品にも魅力がありますが、「1999.9年の夏休み」といい、今回の作品といい、大きな作品を作り上げる力にも常ならぬものがあって・・・。

今後の作品からも目が離せないし、既存の演劇表現を凌駕していくような、なにか新しい波を生んでくれそうな気もします。

この作品は遠くない時期に再演されるべきだし、次の公演も本当に楽しみになりました。

R-Club

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庭劇団ペニノ 「星影のJr.(ジュニア)」に見る作者の不思議な自己肯定

8月17日マチネにて、庭劇団ペニノ「星影のJr.」を観ました。前回の「苛々する大人の絵本」も主宰のタニノクロウの世界観がとても印象深かったのですが、今回は別の意味で作者の内面が見事にスケッチされた作品となりました。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意の上お読みくださいませ)

スーツを身につけた男女の姿から物語が始まります。教育者を連想させる姿、互いに小声で話しながら、何かを始める準備をしているよう・・・。そこに一人の子供がやってきます。そして、物語が始まります。

時間割のように区切られていくシーン、 1限目・社会の時間「大人とふれ合おう」、2限目・家庭科の時間「食べ物を大切にしよう」、3限目・体育の時間「心と体をきたえよう」、4限目・道徳の時間「自由な心を持とう」(正確ではない・・・)。

胡瓜やナスを育てる気持ち、両親のどこか気まずい関係、父親の仕事を手伝っている人のこと、その中で何かをしたいと思う心、彼だけに見える妖精のようなもの・・・。食事中にテレビを見たい気持ち・・・。母親が買物で留守にしている時にやってくる屋根裏に住むおばあさん・・・。

ちょっとレトロな感じの普通の家庭に子供の想像力が加わったような風景。。

でも、それが時限を追うごとに少しずつ崩壊していきます。

2限目の終わりあたりから明らかに父親の歯車が狂い始めて、イメージが混濁し現実と想像が交差し始めて・・・

母親の欲望が父親を縛っている光景、逆に父親が母親を犬に変えて浮気をしていること、えさや水をやっての犬との意志の疎通、母親をないがしろにする父親に対する水鉄砲での攻撃・・・。

父親が連れ込んだ女性とのこと。愛情の欠けた家庭。父親によって育てたキュウリやナスは荒らされて・・・。そんな中での花火・・・花火の思い出、父親と母親の顔も花火に照らされて、線香花火を見つめる家族の時間があって・・・。父親が心を奪われた女性の半裸の姿への攻撃があって。

4限目が終わって、いくつもの思い出がヘタウマな絵で表示されます。そこにあるのは、ありふれた子供の思い出の風景・・・。4つのシーンで語られた幾つものエピソードが次々に現れて。

そして最後のシーン。舞台上には天に伸びながら花をいっぱいつけた樹が舞台の中央に現れます。再び正装で現れる登場人物たち。現れた子供はその真ん中に自分の武器を置きます。ほとんどの登場人物たちがゆっくりと舞台を去る中、。ただひとり残ってそれを見つめる父親がいて・・・。瞬間、時間のベクトルが逆転して、父親がは記憶の中での様々な出来事が咲かせた花をゆっくりと眺めているようにも思えます。

先回の「苛々する大人の絵本」のときにも同じようなことを感じたのですが、タニノクロウには自らの内面に浮かんだ風景をあからさまにスケッチするような表現力があって、よしんば、それが通常の感覚からはデフォルメされたものであっても、生々しさというかみずみずしさが非常に強く観る者の心を浸潤していきます。

教条的な教えも理想論もなければ、目を覆うような現実を隠すこともない・・・。見て、思い、感じて、記憶していくこと、それらは育ち、色とりどりに咲いていく・・・。

記憶を重ねているようにも、記憶を遡っているようにも思える感覚の中で、作者が描き上げた、成長していく時間の感覚がやわらかく舞い降りてくるのです。

出演者は以下のとおり

久保井研・飯田一期・五十嵐操・熊谷美香・ラヴェルヌ拓海・瀬口タエコ・矢島健・タニノクロウ・ マメ山田

タニノクロウの内なるものを描写する力に今回も瞠目させられて・・・。次回公演は来年の2月だそうだけれど、今からとても楽しみです。

R-Club

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王子落語会納涼寄席 都んぼ師匠の切れで暑気払い

8月15日、王子小劇場での落語会を聞いてまいりました。この劇場の番組構成ってやっぱりすごいとおもうのですよ。佐藤佐吉演劇祭の間隙をついたこの企画、こういう発想の柔らかさをもつ劇場というのはほんとに魅力的です。

先日、「空想組曲」の世界にどっぷりと浸らせていただいた同じ場所が、キャパ100弱のすてきな寄席空間に変わっていて・・・。

早めに劇場についたこともあって、前から2列目、センターブロックの席をゲット。口座から5メートルぐらい・・??しかも高座に高さを感じない場所。

夏の宵、極上な時間を過ごすことができました。

・開口一番 瀧川鯉八 「犬の目」

前座さんということで、語り口は基本に忠実な感じ・・・。でも、ここそこにぐっと前に出るような表現があって、客を離さない部分がありました。

目をはめるときのくすぐりも、繰り返しの中に微妙に力加減がかわっていて、一本調子になっていない。

実直さとノリが良い具合に混ざり合った噺だったと思います。

・桂 まん我 「胴切り」

上方風のフレンドリーなつかみで、場を和ませます。枕から噺に入るとぐっと語り口に脂がのってくる感じなのですが、その中にある穏やかさというか明るさのようなものがいいんですよ。いたって気楽な男というところに説得力がある・・・。主人公の気楽さがしっかりと演じられているので、胴を切られても、ぼーっとしているところに無理がない。それで噺がストレスなく進んでいきます。一つ間違えば陰惨な話になる辻斬りを、登場人物のだれもが受け入れてしまう部分に絶妙な自然さがあるのです。

前提ができてしまえば、あとはまん我師匠の手のうち・・・。上方落語の明るさが心地よく笑いを誘って・・。押していくようなノリがあるから、設定の突飛さもまったく感じられない。

充実の高座を拝見させていただきました。

・桂 都んぼ 「餅屋問答」

江戸落語だと「蒟蒻問答」ですね。しばらく前に小三治師匠のものを見たことがあるのですが、その時には問答に対応する時の緊張感や問答の中味がぐっと強調されておちの笑いを誘っていく感じだったような記憶があります。まあ、そのメリハリはすごかったですけれどね・・・。それに対して、都んぼ師匠のものは、登場人物個々の人物描写で噺全体のテンションを上げていく感じ・・・。餅屋のおやじにしても寺を任された男にしても、寺男にしても、どこかに伝法な感じがあって生き生きとしている。登場人物にピントがびしっと当たっているというかその人物の雰囲気が観客にビジュアルで伝わってくる。

一番感心したのは、諸国行脚の僧、沙弥卓然の表現・・・。僧の持つ一途さ、若さ、問答に負けた時の狼狽などが繊細な表現からしっかりと観客に伝わってくる・・・。その表現は落語というよりは演劇に近いかも・・・。その表現があるから、問答のおかしさというより、餅屋のおっさんの勘違いした怒りのおかしさが生きるのです。

都んぼ師匠も主任ということで、自分の落語を誰気兼ねすることなく、気持ちよく演じている感じ・・・グルーブ感を持った噺の進み方に場内は一気に虜にされて・・・。

聴いている側にも充実感あふれる高座でありました。

中入り

・瀧川 鯉昇 「佃祭」

リサイクル関連の枕から、地道な芸風が伝わってきます。当たりがとても柔らかくてすっと観客に染み込んでいくよう・・・。笑いもゆったりとしていて、でも心地よい・・。多少ばれ話も入りましたが、厭味がなくふっと笑える・・・。江戸落語の粋がさりげなく詰まっている感じ・・・

噺にはいってからも、物語をゆっくりと積み上げていく感じ・・・。伏線にあたる部分が一つずつ積み重なって物語がすこしずつ重さを持ってくる。佃島からの仕舞舟に乗り遅れたシーンから墨絵のように淡々と語られ、その後の物語も静かに少しずつ膨らんでいきます。乗り遅れた舟がひっくりかえって誰も助からなかったという話も、大仰にならず淡々とした色のままに語られていく。そこに運命の不思議さや縁のつながりというか物語に潜んでいた因果がすかし絵のように浮かび上がってくる・・・。「情けは人のためならず」なのです。

後半、仕舞舟に乗って命を落としたと勘違いした主人公の家の、弔いの準備風景には滑稽さがいっぱい・・・。前半のトーンとの対象でその滑稽さが一層浮き立ちます。

噺にゆっくり包まれてひとしきり笑ってすっと落とされる・・・。聴く側に負担がなく噺の良さだけがのこる・・・。江戸落語の良い部分をしっかり感じることができました。

・桂 都んぼ 「相撲場風景」

枕で、さらっと短くということでこのネタを選んだとの説明がありましたが、どうしてどうして・・・、熱がこもった高座となりました。まあ、ゆうてみればオムニバス形式の話を重ねていくうちに相撲場全体の熱気が伝わってくるような趣向の噺なのですが、都んぼ師匠がすると、個々の人物描写のエッジがしっかりと描かれていて相撲場の雰囲気がくっきりと見えるよな気がします。

観客の概念を使うだけでなく、高座からのリアリティでそれぞれのシーンの解像度を上げている感じ・・。握り飯を振り回すときなど、本当に勢いというかライブ感があって、握り飯がチャンと見えるし、それが無くなった時のこっけいさが雑音なく伝わってくる。

一方で、我慢できなくなった男が酒瓶に排泄するシーンになると、すっと解像度を落として・・・。でも、酔っ払いが目が覚めたあとの表現にリアリティが戻ってしまうのですけれどね・・・。

定番のネタなのですけれど、聞いていてそこに相撲場があるように思えた瞬間に、そこに描かれる人間描写がぐっと浮き立ってくる・・・。で、知った噺がものすごく新鮮に思えてくるのです。

これだけの高座をみせていただけると、蒸し暑い中、足を運んだ甲斐があるというもの。

終演後、都んぼ師匠ともお話をさせていただけて、満ち足りた夏休みの夕べとなりました。

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閑話休題 銀座の海 7月に観た 「日々」路上ライブなど  

ずっとお芝居や落語の話が続いたので、たまには気分転換ということで・・。

で、涼しげな写真なども貼り付けて・・・。数寄屋橋の超ミニ水族館@ソニービルをパチリ・・・。。

・「のだめカンタービレ」の新刊が出ましたね・・・。#21、あの柳家喬太郎師匠もお勤めになっていらっしゃたという福家書店で発見して即購入。帰り道で一気に読んでしまいました。

音楽が絵でちゃんと伝わってくるところがこの作品のすごいところ。のだめや千秋の心理描写も細かくてぐいぐいと引っ張られる。いい歳をして電車でほげっとコミックにひたるというのもいかがなものかとは思うのですが、仕事疲れの頭には小難しい本よりも絶対コミックのほうがよいのですよ。

先日、「医龍」#18を発売日買いしたのときも思ったのですが、最近のコミックって本当に次が楽しみになるものが多いですよね・・・。

こういう風にコミック本を読んでいると、コミックというのは日本が世界に誇れる文化なのだなって思います。これだけオンデマンドでダイレクトに物語が伝わってくることってほかの手段ではそうはないのではと・・・。

なんか、日本に生まれてよかった。

・先日たまたま、BSでフォークソングの特番をやっているのを見て、歌の力をまざまざと感じてしまいました。いわゆる70年代の懐かしのメロディーなのですが、このころの歌って、その中にドラマが隠れているものが多い・・・。六文銭の小室等さんが「雨が空から降れば」を歌っていましたが、この作詞は別役実さん・・・。「スパイ物語」というお芝居の中で使われていたような記憶があります。(昔、青山円形劇場でこのお芝居を観て、歌の秀逸性を再認識したことが・・・)まあ、芝居用に作られたのだから、あたりまえといえばあたりまえなのですが、雨の日のどうしようもなさが、舞台の一シーンを眺めるように伝わってくる。

裏に戯曲がなくても、たとえば尾崎亜美さんが歌う「オリビアを聴きながら」とかBOROが歌う「大阪で生まれた女」を聴いていると、そのドラマの背景が鮮やかに浮かんでくる・・・。極めつけは岡林信康さんの「チューリップのアップリケ」・・・。少女の暮らし、家族の境遇、そのなかで少女が家族を思う気持ち・・・。ふわっと広がっていく。歌の向こうに世界があって、ふっと瞳を閉じるだけでその世界に包まれることができる・・・。

山本順子さん(赤い鳥ーハイファイセット)の声は「中央フリーウェイ」をすごくおしゃれにしてくれるのですが、そのおしゃれさが、今では考えられないほどシンプルで愛おしかったり・・・。

歌っていいなと久しぶりに思った事でした。

あ、そうそう、歌といえば先日(7月下旬)下北沢の路上で、滅茶苦茶よいライブを聴いてしまいました。「日々」という3pcのバンドなのですが、しっかりとした演奏技術とボーカルの秀でた歌唱力に加えて、歌に不思議な説得力があて・・・。立ちんぼうのまま何曲も聴いてしまいました。コアにしっかりとした世界があるというか、彼らの歌を聴いている限りは彼らの世界に身をゆだねられる感じ・・・。なんか、この人たち化けるかもと思わせる何かがありました。なんか、いいもの見つけたと思います。お勧めということで・・・。

そんなこんなで、ちょっとのんびり夏休み・・・。

こんな風に休んでしまうと、週末はブルーになってしまうのだろうけれど、今はふらふら・うきうき・・・。ではそろそろまた、惰眠をむさぼるとしましょうか・・・。

うとうと、うとうと 夏休み。

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岡崎藝術座 「三月の5日間」原作の意に忠実な寄席でのお芝居

一週間遅れの書き込みになりますが、8月4日に岡崎藝術座、「三月の5日間」を観てきました。 チェルフィッチュ版の「三月の5日間」は再演を見ているのですが、今回の岡崎藝術座はかなり独特の演出とのことで、興味が湧いての観劇です。

会場はお江戸上野広小路亭。要は寄席の小屋です。開演直前にはすごい長蛇の列になっていて・・・。通る人がこそこそと「誰か有名な人がでるのかな・・?」「小三治あたりがでるんじゃないか・・?」などと話をしながら通り過ぎていくのもおもしろくて・・・。

(ここからはネタばれがあります。ご留意の上お読みくださいませ)

ただ、外で仕事をして直帰だったので、個人的には劇場に着いたのがすごく早かったのですよ。10番以内くらいの入場だったので、席は半強制的に出来るだけ前を指定されて。でも一番前の列に、一風変わった人たちがすでに座っている・・・。上野ということか、パンダのぬいぐるみを着ている人までいて・・。あと、大衆演劇がお好きそうな町工場の従業員のようなおばさんがいたり・・・。うつむいて弁当を食べている人がいたり・・一瞬劇場を間違えたのかと思いましたが、しばらくすると、それが観客を演じている役者さんだと気づきました。

6~7人の役者さんたち、現業系の小さな会社がレクリエーションで団体観劇に来たと言う設定のよう。パンダの格好をした人が社長でその隣で弁当を食べているのが部長という具合に、それぞれにキャラを作って従業員を演じつづけているのを開演前の30分、50cmの距離でたっぷりと鑑賞させていただきました。挙句の果てには、私も世話好きのオバサンキャラを演じている役者さんから歌舞伎揚げをもらってしまったり。 客入れ中ずっとへたらずに演技を貫き通すそのすごさ、その会話も下世話でおかしくて・・・。ここは特等席かもしれないと・・・。.

。そして、観客役の中二人が舞台に上がりこんでしまうところからお芝居が始まります。芝居が始まって役者が舞台に上がりだしてからも、終盤まで客席1列目の設定って変わらず、客席から舞台への声がけや1列目内部での空気を読まない小声の突っ込みがまた笑えて・・・。 同じシーンが重ねて演じられる場面で 「さっきやったんじゃないか、これ」と突っ込む部長役。それに対して小声で 「こういう技法なんだよ」と諭す若い従業員役の女性・・・。 ちょっとちがうけれど、山手事情社がやっていた弁論大会を思い出したり。

最近の小劇場演劇って環境がすごく改善されていて、ほとんどが椅子席・・・。めったにないたたみにあぐらの体勢はすごく苦しかったのですが、前の役者さんたちの何気なくじんわり効いてくるお芝居にその辛さも忘れるほど・・・。

舞台上、首にレイをかけた、いかにも場末の芸人といった風情の役者が出てくるので、最初はチェルフィッチュ的なお芝居へのアンチテーゼかなとすら思ったのですが、実はチェルフィッチュどうのこうのというよりも、戯曲をいかに自らの世界で演じるかの工夫の積み重ねであることが次第に伝わってきます。事実、開演前から始まり舞台上でも行われた様々な試みによって、戯曲に封じ込められた普遍性のようなものが、手品のように舞台から伝わってくるのです。

舞台上で演じられる演芸のようなお芝居、スタイルはチェルフィッチュの演技とは極めて異なるものながら、戯曲の骨子は、きちんと演じられていきます。チェルフィッチュ版に登場する若者達と行動や雰囲気は違っていても、イラク戦争が始まったときの日本に存在した時間の肌ざわりは、ゆっくりと確実に観客を浸潤していく。クラシック音楽が流れる中で語られていく物語、その音楽の終わりごとに舞台や一番前の列の役者達が凝視するもの・・・。やっぱり溢れてとめどなくなってしまうミッフィーちゃんの感情、デモの緩さ・・・。カップルたちのエピソード・・・。よしんば、それが演芸のスタイルを入り口にしていても、登場人物の雰囲気が違っていても、その時、その時間を支配していたものは、チェルフィッチュが作り上げていたものと同じ色をしている。

一つ間違えば悪ふざけにも思えるような趣向なのですが、戯曲に対する真摯さが根本にあるから、一連の表現に崩れるような危うさがなく、どこかに凛とした雰囲気すら感じられる。そして、ある種の滑稽さに引き込まれた心に、戯曲の持つ世界がすっと染み入って・・・、あの3月の日々の断片が鮮やかに浮かんでくるのです。

私自身の記録も兼ねて出演者のお名前などを・・・

武谷公雄・中村早春・尾原仁士・春日井一平・佐々木透・宇田川千珠子・冨川純一・西田夏奈子・砂生雅美・影山直文・タカハシカナコ

見終わったあとはしっかり感動していて・・・。でも、そこはやっぱり寄席で・・・。観終わったのは寄席で演じられていた物語で・・・。演出の神里雄大の才に、ちょっと震えがやってきたことでした。

この公演、上野の前に新百合ヶ丘でもあったそうで、しかも演出が違っていたという・・・。マジで両方見たかったです。再演はないですかねぇ・・・。

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双数姉妹「サナギネ」(通し)の俯瞰する力

8月2日ソワレ&8月3日マチネで双数姉妹「サナギネ」を通しで観ました。通しっていうのもちょっと違うのかもしれませんが、青山円形劇場を真ん中で仕切って、一人の女性を幼生サイドと成体サイドという2面から同時進行で演じようというお芝居・・・。

片方だけを見てもOKで、2002年の初演時、私は成体サイドだけを見ました。でも、その時おもったのですよ・・・。これはこれで面白いけれど、両方のサイドを観たら2倍以上おもしろいのではないかって・・・。

予想通りでございました。

(ここからはネタバレがあります。十分ご留意の上お読みください)

舞台のつくりなどは前回とほぼ同じ・・・・。真ん中に区切りのスペースがあることから、半円というよりは三日月に近いちょっと狭い感じの舞台ではありますが、その分役者が近くて迫力があります。もう一方の音もいろいろと聞こえてきて、馴染むまでは大丈夫かとも思うのですが、慣れてくるとそれらが舞台の外側というか世間の音に聞こえてくるのも不思議なところ・・・。

先に見た成体サイドの中盤まではちょっとコミカルな部分を持った結婚詐欺の話、太宰治の「走れメロス」が下敷きになっているようで、詐欺がばれて捕まった主人公の幼馴染が友人を警察に突き出されないために、ふるさとに送ったお金を取り戻そうと3日間走る物語。被害者もお金を返してもらえないと住むところがなくなってしまうのです。その間に被害者の友人達や妹が絡んだり、別の被害者が借金の肩代わりを申し込んだり・・・。

後攻で観た幼生サイドは14歳の解体屋の娘が、夢を抱いて孤児の幼馴染とともに生まれ育った島を出る話。口うるさい母親や、自分を守ってくれている従業員たち。姉や友人たちのこと。家を飛び出してしまった父親が戻ってきて、一方そのときの母親の態度がトリガーになって主人公は島を出る。そして月日は流れ、成体サイドで友人を救うために走りつづけた幼馴染が島に戻ってきて・・・

双方のサイドが重なり合ったところで、中央のカーテンが開かれて、二つの物語が一つに結びつき、それぞれのサイドがもうひとつのサイドを見ることができるようになります。成体サイドからはなんとなく主人公とその生い立ちが見えるし、幼生サイドからは島を出た主人公の行く末が見える・・・。他のサイドで起こったことが全て見えるわけではない。どちらのサイドからももうひとつのサイドには距離感があって、でも、つながった物語に主人公たちの人生がそれぞれの色でふっと浮かび上がってきて・・・・。主人公とその幼馴染が歩んできた道がそれぞれのサイドの色にすっと映えて、劇場全体が時間を俯瞰する場所に置かれるのです。成体サイドは時間の終点から始点を眺める感じ、幼生サイドは時間の始点から終点を見上げる感じ・・・。綿密につながったシーンたちが一枚の織物に仕上げられて、見る色こそサイドによって異なるけれど、同じ感触の感動が劇場を包み込むのです。小池竹見の発想が役者の力で具現化され、作劇の仕組みに乗って一気に広がっていきます。それぞれの立っている位置から近くに見えるもの、遠くに感じるもの・・・。時間の中のそれぞれの位置に染められながら、観客は10年単位の時間を向こう側のサイドに観るのです

役者の演技も派手さはないのですが、しっかりと地についていました。

成体サイド、客演の神農幸は初見ですが切れのよい縁起が魅力的、この人はまだまだ伸びるような感じがします。今林久弥の熟達した演技にも埋もれることのない強さもありました。今林の演技には相変わらず厚みがあって、観ているものに安心感を与えます。中村靖、青戸昭憲のふたりはつぼをしっかりと押さえた演技で安心感がありました、小林至は抑えた演技でしたが、存在感がしっかりとありました。苅部園子田中桂子はダブルキャスト、お二人とも旗揚げ当時から双数姉妹に関わってきたとのことでしたが、演技にゆとりを感じました。辻沢綾香も自分の色をしっかりと作って好演でした。

吉田麻紀子は両方のサイドをつなぐ大車輪の活躍でした。骨太の演技に艶がついてきたような・・・。ナイロン100℃で松永玲子さんを見るときなどにも思うことですが、見るたびに引き出しがどんどんと広がっていくような女優さんっていらっしゃって、彼女にも同じようなもの感じます。

幼生サイドでは浅田よりこが大健闘・・・。成体サイドの神農が演じたキャラクターの少女期を演じるのですが、表現する想いに細やかさと深さがありました。井上貴子は貫禄の演技、五味祐司宮田慎一郎には演技にぶれがなく、狂言回しとしての力量も十分だったと思います。熊懐大介の繊細さは両サイドを観るものにとっては今林を結ぶトリガーになっていて・・・。河野直樹の女形には意外な効果がありました。幼少期に主人公が暮らした島の雰囲気がなんとなく浮かんできたような・・・。佐藤拓之の独特の力の抜き方も良い工夫だし、その演技は彼ならではのものでした。

客演の二人も本当に好演でした。大倉マヤのナチュラルな演技は幼生サイドの舞台となった家庭に実存間を与えていました。小さな台詞のひとつずつが、家庭の微妙な香りを作っていくというか、日々の時間に血を通わせていくような・・・・。父親役のいけだしんの生き様には、彼だからできるような大きさがありました。度量のなかに繊細さが隠されていて、観ていても不思議な魅力があって・・・。

いやあ、おもしろかったし、柔らかく強い感動も一杯の終演後でした。

もしこの芝居が再演されるとしたら、無理しても片方でなく両方見ることをお勧めしたい。両方のサイトを見ることで物語により強い立体感が生まれ、やってくる感動は2倍でなくさらにその倍になります。私は幼生サイドを観終わって、なにか宿願を果たしたような気持ちになりました。

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クロムモリブデン「血が出て幸せ」の幸せ度

少し遅くなりましたが・・・、8月1日ソワレでクロムモリブデン「血が出て幸せ」を観ました。初見だったのですがこの劇団はやばい。一発で好きになってしまった・・・。

私の根源的な好みに近いというか・・・・。とにかく惹かれまくった2時間でした。

(ここからネタバレがあります。公演期間は終わっておりますが、ご留意の上お読みください)

ポップな雰囲気ののファミレスから物語は始まります。自称童話作家の女性、東京に出てきて童話を書き始めるけれど、なんとなく上手くいかず・・・、そこに次々にやってくる客達・・・。、みんな一風変わっていて・・・。で舞台が満ちるとなんとなく破綻する。でリセットされて、カノンを聴くように同じようなシーンがバリエーションを少し変えてまた現れて、段々深みにはまっていく感じ。

でも、そこにテンポとグルーブ感があって冗長さがないのです。ルーズな時事ネタやシュールな設定も含まれて、理屈ではなく感性にひきずられるように舞台に取り込まれてしまいます。それらの物語を望むのは女王様、嘘を望むのですが、飽きっぽい。やがてドリンクバーに毒を入れたりとかいう話まで混ざって・・・・。社会的な風刺なども含まれていて、混沌としていながら、どこか現実につながらる根を持っている感じで、観客を揺さぶっていきます。

中盤以降になると、現実に昨今で起こっている大量殺人の背景とオーバラップしていくのですが、その視点も非常にしたたかです。前半のとりちらかった様々な事象がすうっと統一されたのイメージに収束していくような感覚があります。世間に伝わってくる、昨今の無差別殺人犯達の言動の軽さが、舞台上のある種の感覚とすっと無抵抗に統合されていく感じ・・・。そう、ある種の色が同じに染まってすっと一つに繋がる感じ。

ものすごく緻密にはちゃめちゃをやっているというか、現実へのトリガーがしっかりあって、飛んでいるような所作や仕草には、冷徹な現実分析がふくまれていて・・・。それらが一つにまとまる終盤ではっとさせられる・・・。前半の混沌の意味が終盤にはまるで魔法のように浮き上がってくるのです。これってなにげにすごい。

役者も本当に個性派ぞろい・・・。出演者全員に目が行ってしまう・・・。

出演者の皆様を列挙すると・・・・。

森下亮、板橋薔薇之介、久保貫太郎、岩倉チヒロ奥田ワレタ、木村美月、渡邊とかげ、金沢涼恵、伊東沙保

書きながら、ドラマのカオスに負けない一人ずつの個性が強烈に脳裏をかすめる・・・。色の異なる本当に強いインパクトを出演者全員がもっているのです。物語の裏側にある冷徹な洞察力が観客にとって重く感じられないのは、役者の切れのなせる技。大上段に振りかぶるのではなく、さらっと感覚を積み上げて殺戮に至る心情を観客に見せてしまう力には、ぞくっとする。

今までこの劇団を観なかったことを後悔しつつ、帰りに前回作のDVDとサイン入りの写真集を購入してしまいました。(余談ですが写真集の渡邊とかげさんのページには私のペットであるモルモットの写真がいっぱい。あまりメジャーとはいえないこの生き物とあそんでいる彼女の姿は、、私にとって天使のように思えました)。

今回の公演を見せられて、次回公演をはずすわけにはいきません。なにか秋がとんでもなく忙しくなってきたような・・・。

なんか実りの秋を予感させる夏の一夜でありました。

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空想組曲「僕らの声の届かない場所」キャンバスに封じ込められた物語の豊潤さ

8月2日、マチネにて空想組曲「僕らの声の届かない場所」を観ました。佐藤佐吉演劇祭2008@王子劇場参加作品。昨年冬の新宿村の市に続いて、ほさかよう氏の世界を十分に堪能することができました

(ここから先にはたっぷりとネタバレがあります。十分留意の上お読みください。)

舞台はキャンパスの上です。正確にいうと外れかけた額縁と少し傾いたキャンパスを模した舞台。絵のアトリエだというその場所を訪れる一人の女性と、そこに待つ一人の男、アトリエのオーナーであるその男は彼女と旧知の仲のよう・・・。オーナーは彼女に見せたいものがあるという・・・。そこから回想のように彼女とアトリエのかかわりが明かされていきます。

アトリエには何人かの若い画家が絵を鍛錬しています。そのなかの一人の画家が主人公、偏屈で人付き合いが悪く、入選して展示された絵を美術館からもって帰ってしまうほど。その絵がまだ未完成だからというのです。彼の描く絵には完成したものがないという・・・・。その彼のいくつもの習作(スケッチ)の世界がモノクロームというか、ドライでなおかつウィットに満ちた表現で観客に伝えられていきます。

そんな中現れた冒頭の女性、アトリエのメンバーの幼馴染なのですが、ただ一人美術館から持ち帰られたその絵が、実際に未完成であることを見抜きます。その絵に潜んでいるのは夜虫、作者の分身。彼はとても醜くて、何度か人に近づいては傷つき、今は光をさえぎって夜の世界で生きている。その夜虫は、彼女の言葉で唯一彼のことを理解してくれる人を見つけるのです。一方彼女は絵を早く完成させてくれることを願います。彼女は病に冒されていて、その視力はもうすぐ失われてしまうのです・・・。

画家は彼女の病気のことを知らずに、夜虫の物語を絵に書き加えていきます。その間に挟まれるいくつものエピソード、才能のないものや自らの才能に飽き足らないものの姿、さらに適度の才能を持ちながらも、完成していく絵からあふれ出す才能に嫉妬する他の画家のすがた。それらが時間軸ともなり、主人公の孤独や画家の才能、さらに絵の完成度への指標ともなって観客に伝わっていきます。

そして、主人公は絵を完成させます。でも、それを見ようとしたとき、彼女の視力は完全に失われて・・・・。

物語の骨格はそれほど斬新なものではありません。物語に挟まれたエピソードだって驚くほどユニークなものではない。たとえば絵画に対する才能のことだって画家の間での嫉妬のことだって、それこそ「コンフィダント」(三谷幸喜の戯曲)などでも語られているような、絵画の世界では多分ありふれた話なのです。しかし、この舞台には、そのありふれたものを観客の心に浸潤させていく魔法が隠されています。舞台に織り込まれた独特の洗練というか、センスのようなものが観客の心を深く揺り動かしていくのです。せりふや動きの一つずつが的確に描いていく登場人物の心情、劇中劇のようなテイストで見せる主人公の画家の感性・・・。絵に潜む夜虫との物語が、自らの視野が闇に閉ざされていく少女へとキャンパスを介して伝わっていく姿は、ピュアでけれんがなく、自然と観客の心を満たし目を潤ませていくのです。

エピローグで冒頭のリプライズに至り、狂言回し役のアトリエのオーナーは、物語を締めくくる長台詞を残して客席側に去っていきます。あとに残るのは舞台のように横たわったキャンパス上で、画家が渡してくれと残していった絵を眺める女性の姿・・・。すべては一枚の絵に収まって・・・。その、一枚の絵の顛末からやってくる透き通った切なさに、ふたたび心が震えてしまうのです。

役者のこと、主役を演じた狩野和馬、そのキャンパス上での分身を演じた松崎史也、いずれも想いやいらだち、とまどいからおびえまでしっかり伝わる演技でした。狩野からは才能をもてるだけの人間くささがしっかりと伝わってきたし、松崎の所作には静かさのなかに強い意志がふくまれていました。いずれも好演だったと想います。加賀丈史を彷彿とするよなアトリエのオーナーを演じた中田顕史郎の台詞からは、「運命」というか「達観」のようなものがしっかりと伝わってきました。また演技そのものも流暢で、舞台を煮詰まらせないような味がありました。アトリエの絵描きたちを演じた齋藤陽介、牧島進一、田口治らも、キャラクターのなかにそれぞれの個性を生かしていました。

藤田美歌子はちょっと不思議な女優さんで、凛とした部分がありながら裏側にある下世話な暮らしが垣間見えるような演技。洗練とチープさの出し入れが自由に出来るというか、演技のユーティリティに広さを感じました。石澤美和にはキャラクターをキープするための柔軟さがあって、上手くいえないのですが、表面だけを見せるような演技と内側までを晒すようなお芝居がその場に応じて使い分けられている感じ・・・。柴村朋子は絶妙な存在感で場の雰囲気を何気にコントロールしていました。コーヒーなどを持って舞台に加わっていくなかで、その場の空気を作るような役回り・・・。ほんとうに上手く機能していて、ドラマにリズムを与えていたと思います。

牛水里美は、やや抑えた演技のなかで、キャラクターの持つ心をきめ細かく表現して見せました。彼女にはいろんな想いをすっと一つの台詞や所作に籠めるような力があって、想いの比率の変化で舞台上の色合いを微妙に変えていきます。観客にはまず彼女が作り出した色がやってきて、通り過ぎた瞬間にその色が透明感をもったテイストに変化していく。過去にも体験したことがあるにも関わらず、その表現の豊かさに驚き、次の瞬間には引き込まれてしまいました。たとえば夜虫の戸惑いが彼女と一つのキャンバスに重なる時間のなんて豊潤なこと・・・。そして、完成した絵を手に取ったとき、それを見つめることができない彼女から溢れる色の強さ・・・。重ねられていくシーンのなかで、稀有な力を持つというか、常ならぬ魅力を持った女優さんであることを再認識させられたことでした。

お芝居が終わって、もういちどキャンパスと額縁を模した舞台を眺めて・・・・。ほさかようが用意した物語の舞台に改めて瞠目しました。所詮はキャンバスの上での物語・・・・、でもキャンバスの上に描かれた世界だからこそ、眺めることができ、受け取ることができ、心惹かれるものもあるのです。美術館などにいって、たまにその絵の前から離れられなくなることがある・・・。ちょうど、そのときの感覚と同じ感覚を、ほさかようはこの舞台に閉じ込めたのです。

劇場の外には、まだむっとするような暑さが日差しが残っていて、めまいがするような日差しが肌を射す・・・。でもその感覚よりも強い印象がずっと心の中に留まっていたことでした。

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「なんせんす」あんぽんたん組合の時代の描き方

7月最後の日、赤坂レッドシアターであんぽんたん組合の「なんせんす」を観てきました。

ちょっと毛色の変わった70年初頭を舞台にしたお芝居、描き方も秀逸で、いろんなことを考えさせるふくらみをたっぷり持ったお芝居でありました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意の上お読みくださいませ)

舞台は北海道、大阪で万国博覧会が開かれ、岡本太郎デザインの太陽の塔の目玉に男が篭城したころの話・・・。歳がばれますが、私から見るとワンジェネレーション上の世代のお話になります。作・演出は方南ぐみの樫田正剛

一見、平和な公務員の寮、そこに一人の男が入寮してきます。実は彼は公安の捜査官・・・。彼の潜入捜査から様々な人間模様が浮かび上がってきます。学生運動の過去を持っていたり、今も思想を露骨に出すもの、さらに過激な思想で仲間をオルグしていくもの、そして逆に仲間に入れられて戸惑うもの・・・。さらには思想に興味を示さないもの。そこに管理人やその息子、さらには姉を学生運動の末に失ったものや地元の住民も加わって・・・。

様々な温度差の思想信条を持つ人々の姿が公安の登場から次第に浮かび上がってきます。

この国に高度成長がもたらした豊かさの光と以前の貧しさの影がアラベスクのように残っていた時代、その中で描く理想の温度差、現実と理想のギャップの大きさ・・・。自らの望むものが満たされない当惑、そしてその気持ちの行く先・・・。前半のやや淡々とした物語のトーンがその時代の持つ香りなら、後半の舞台が持つ熱はその時代をすごした人々がそれぞれに秘めた想いの表れ。終盤の、公安側の人々の心情の発露や、思想を持つ人々の「熱」が革命という麻薬のような思想の箍から開放されていく姿が圧巻で、でもこれもまたひとつの時代の細密な描写のようにも思えます。

そして、この作品の秀逸さは時代の空気を表現する力だけではなく、さらにその向こう側にもあって・・・。

それぞれの世代や時代で形は違っても、トレンドのなかで人が心に持つ「熱」の普遍性、そして個々の熱が、様々な色の熱を持つ人々との関係のなかで円熟していく姿・・・。一つ間違えば教条的な色に染まりそうな世界なのですが、登場人物の個性がしっかりと演じられていくので、結果的にコアの部分がごまかしを持たずに伝わってくるのです。完成品として観客に押し付けられるのではなく、素材として観客に渡される道標のようなものがこの舞台にはあるのです。

役者の出来もすごくよかった・・・。近江谷太朗の表現の強烈さ、大森美紀子のフォーカスがビチっと決まった演技、朝倉伸二の存在感・・・。それらがしっかりと柱になっているから、他の役者の個性もみごとに浮かび上がってくる。平賀正臣、西ノ園達大、朝倉真二、菊池均也・・・いずれの芝居も脂が乗り切っている感じ。佐藤仁志、福沢重文にも舞台を支える色がありました。野沢剣人も高まる心の行き場のなさをしっかり抱いた演技に説得力がありました。

女優陣にも力がありました。野口かおるは双数姉妹の舞台などでの秀逸な演技を何度も観た事があるのですが、今回はさらにしたたかになった印象をうけました。昂ぶらないナチュラルさと女性としての生々しさを表現する底力にあいまいさのヴェールがふわっとかかっているようで、結果として彼女が演じるキャラクターに見事な立体感がうまれていました。高野志穂の凜とした雰囲気と力強さはとても魅力的、エッジがしっかりと見える演技なのですが、同時に近江谷とのシーンをヴィヴィドにみせるしなやかさも持ち合わせていてキャラクターの幅を広げていました。田実陽子には奥行きがありました。特に後半に見せるコアの強さには一瞬の葛藤もあり見応えがありました。斎藤ナツ子は空間ゼリーでの秀逸な演技に何度も瞠目させられた女優さんですが、今回は、これまでの演技とは違った表現の強さがありました。しかもその一方で細かい部分の表現にもしたたかさがあって・・・。終盤に田実陽子に従うようにシュプレキコールのようなものを叫ぶシーンがあって、田実が揺れる心を支えるような表現にも見ごたえがあったのですが、重ねた斎藤のシュプレキコールに含まれた微かな「とまどい」も実に秀逸で・・・。そこに生まれた田実と斎藤の台詞の色の差に、物語が描くものを時代から個人に持っていくような力がありました。

帰り道、いろんなことを考えました。芝居に気づかされた普遍性に、週刊誌の中吊り広告の今を重ねると、はっとすることがいくつもあって・・。

こういう形で時代を俯瞰するような力をもったお芝居、久しぶりに見たような気がします。

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大銀座落語祭4 ほろりの会2&喬太郎と上方落語2

さてさて、遅くなりましたが、大銀座落語祭は最終日の記録などを・・・。17日から5日間の大銀座落語祭も21日が最終日、正直私もすこしよれよれになっておりました。それでもがんばって、JUJIYAホールへ・・・。エレベーターが一台しかないのでビルの入り口にはけっこう長蛇の列・・・。よいものを聴くための道のりは平坦ではないのかも・・・。

(ここから先は噺家さんのもろもろについてネタバレがございます。十分留意の上男進みくださいませ。)

・ほろりの会2 @ JUJIYAホール

☆瀧川鯉斗 「動物園」

開口一番、エレベーターの関係で遅れてくる客も多い中での高座、しかし落ち着きがありました。「動物園」というネタ、上方のアレンジとはちょっと違うのですがテンポがよく、すらっと聴けました。なにか底力を感じた高座でもありました。

大銀座落語祭の前座さんってどうも只者でない方が多いような・・・。数年後の落語界ってすごい底上げがなされているかも。

☆桂しん吉 「だんじり狸」

勢いのある、江戸前だといなせなんていうのでしょうか・・・。河内音頭のきこえてきそうな語り口。ほろりの会だからといって、じんわりやる必要などないということなのかもしれません。吉朝師匠のお弟子さんということで、ぐいぐい押していく中にもある種の繊細さがあって、関西人にはじつに耳さわりがよくて・・・。

はめものも力があって、どこかに心が躍るものがある。物語は比較的シンプルなのですが、リズムを持ってきっちりと形をつくって物語を流してくれるから、観客がすっとその世界に乗せられて行く。びっくりするほどの派手さはないのですが、しっかりと伝えられた物語に演者の力を感じることができました。

☆柳家喬太郎 「ハワイの雪」

前回のYEBISU亭で聴いて、今回は2回目。ライティングなど、会場の環境などは恵比寿のほうが上かも。また時間的にもYEBISU亭のほうが自由が利いたのかもしれません。YEBISU亭の高座がしっかりと作りこまれた感じだったのに比べて、今回は全体にやや手作り感の強い「ハワイの雪」になりました。しかし、噺が手のひらにしっかり載っていて、本当に登場人物が生き生きと見えるところは前回変わりません。

ほんと、登場人物に味があるのですよ。純情日記などの恋人どうしより、おじいさんと孫のほうが一層ヴィヴィドにできているというか、師匠自体が解放されて演じているいる感じ・・・。そのゆとりで、ふっと思い出した大阪のハワイ旅行の超ベタな看板(ハワイのことならワイXXX)についておじいさんに言わせて・・・。そこに無理がないのがすごい。終盤につなげるという線が崩れないことを前提に、その場の雰囲気をうまく取り入れなら噺を膨らませる喬太郎師匠の技量が観客にとってもすごく心地よい。

そして、逆メリハリを聞かせて一気にトーンを変える鮮やかさ。小拍子のような仕組みで変えるのではなく全身のオーラで色を変えてしまうような・・・・。終盤、ライトが落ちて、幼馴染が逝くところに立ち会うくだりは染み入るように観客のこころを震わせて・・・。

中入りの声が響いても、しばらくは会場に余韻が残っていたことでした。

中入り

☆桂都んぼ 「おなつ観音」

左甚五郎が主人公ではあるのですが、人情噺とはちょっとちがう・・・。ほろっとくる噺というよりは、都んぼ師匠の人物描写を楽しむところが醍醐味と感じました。演者が持つ個性が最初から最後までしっかりと出ていて、それが噺のトーンを強く前に押し出していきます。喬太郎師匠のあとですが、関西弁の強さを露払いにしてちゃんと自分の色に会場を染めきるところが都んぼ師匠の非凡なところ・・・。師匠独特のリズムで会場を自分に引き寄せると、独特の強めの語り口で濃淡をつけながら物語を展開していきます。

何よりも甚五郎という人物が太い線で書かれていてわかりやすい。彼の人となりは歴史上の事実を借景にしながらも、物語に通じるここ一番の表現は、きちんと都んぼ流に作りこんでます。噺の流れには若干の荒さも感じるのですが、甚五郎という人物の芯はブレずに噺が進んでいく。そこがしっかりしているからおなつの存在や個性もすうっと観客に伝わっていく。

最後まで微妙な力加減で噺の重さを調整しきるところに都んぼ師匠のセンスを感じました。

☆桂梅團治 「切符」

まくらで、「主催者がなにか勘違いをしてはる。切符はそんなほろりとするような噺じゃないです」、みたいな事をおっしゃっておられましたが、まあ、確かにほろりではなかったです。会の趣旨に合わせて人情噺的な要素を入れたともおっしゃっていましたが、その効果もあまりなかったように思います。しかし、それを補ってあまりあるしっかりとした芸のボリューム感が高座にありました。

登場人物の表情や鍛え上げられた声色での表現から、絡まれた相手方の駅員さんの慇懃さや律儀さが見事に浮びあがる。その浮び上がった雰囲気に沿って、自然に師匠の得意技へと導かれていく感じ・・・。鉄道マニアを自負する師匠の、東海道線各駅の言い立てが始まると、最初はのほんと聴いていた観客の体が前にでてくる・・・。どこまで行くのやろという不安と期待が入り混じったような感じが会場を支配します。

特に名古屋を過ぎてからの言い立てのタイミングが絶妙で、浜松をすぎるあたりになると、もう観客は引っ張られっぱなし。時刻表を読み上げているという設定なのに、観客にしてみると、自分があたかも電車で旅をしているような気がしてくる。大船を過ぎたあたりからは、首都圏に住んでいる人間にとっては自分の家に戻ってきたような感覚になってきます。

要はリズムだとおもうのですよ・・・。一定のようで微妙に変化をつけている。この駅で一旦一休みみたいな部分も観客の感性と見事にはまっている・・・。観客に向かって演じているというよりは、観客とおなじベクトルで駅を言い立てていく感じ・・・。芸というのはこういうものなのだと思います。

さげも冷静に考えたら、ちょっとずるいのですが、観客にとってはその前の大旅行があるからしっかりと効きました。

なにか、不思議な充実感に満たされた高座を聞かせていただいたように思います。

「ほろりの会2」、終演後は貰ったうちわをばたばたさせながら、暑い屋外の階段を下っていくことになりましたが、なんかそれもまた楽しみたいな気分になれて・・・。東西の様々なトーンの落語が博覧会のように並んで、びっくりするような派手さはないけれど、たっぷりと楽しめる会でありました。

・柳家喬太郎と上方落語2@博品館ホール

さてさて、昼間の会をご一緒した友人とお茶を飲んで、急で申し訳なかったのですが、mixiの力にすがって、急にキャンセルになった別の友人の代わりの方にお付き合いいただいて、この落語ウィーク最後の会に参戦です。

☆三遊亭かっ好 「日和違い」

この5日間に聴いたいろんな開口一番のなかで、一番前座さんらしい話だったかもしれません。まっすぐに実直に噺をしていて、それはそれで好感触。変に小器用な部分がないから、観客が素の噺の魅力を感じることができる・・・。好みはあるのでしょうけれど、私は素直によい前座さんだとおもいました。だからこそ、喬太郎師匠がくすぐりに開口一番のネタをちょこっと使ったのでしょうし・・・。

☆ 桂都丸 「読書の時間

都丸師匠、高座に座った瞬間、どんと落ち着いた感じがします。場の視線を一瞬で手のひらに載せてしまうような座りのよさというか・・・。真っ赤なとばがいやみにならない・・・。貫禄というのはそういうものなのかもしれません。

年季の入った感じの語り口から、語られるのは父親が表紙だけ「竜馬がゆく」に摺り返られたエロ本を息子が学校に持っていって授業で読むというもの・・・。要点がしっかり抑えられていて、一方で無駄が見事に省かれいる噺のもっていき方に、観客は安心して身をゆだねられる・・・。文学作品の読み違えのくすぐりでしっかりと場を暖めて、場内を教室の雰囲気に染め上げておいて、エロ本の朗読場面、喘ぎ声を読み上げる部分の滑稽さがもうたまりません。たとえばコメディなどでもそうなのですが、淡々とナチュラルな色で演じられていくからおかしさ100倍・・・。

重鎮の芸であれをやられると、良い意味で逃げ場がない・・・。でも、抜群の安定感があり、読むほうとそれを聴く先生の表情がなにげにすごく磨かれているから、笑いがチープにならない。

材料をしっかりと吟味して、一流のシェフが腕を振るった豪華なラーメンの味わいとでも申しましょうか・・・。たかがバレ噺、されどバレ噺・・・。聴いてもたれないし嫌味がない。冷静に考えると結構ひどい噺なのですが、そこに不思議な品格があるから、下卑になるぎりぎりのところから噺が落ちず、カラッと笑える。芸の底力ってこういう部分にあらわれるのかと感心したことでした。

☆ 柳家喬太郎 「擬宝珠」

出てくるなりボヤキから・・・。前日の福笑師匠の「もれちゃう」でいきなり高座につっぷすと、都丸師匠のねたについてもひとくさり・・・。こういう番組は小朝師匠のイジメかみたいな・・・なんてくすぐりが入ります。しかし、喬太郎師匠の前に、上方の一番脂の乗っている師匠方がこういうねたを持ってくるというのは、もしかしたら、喬太郎師匠へ対抗心とか喬太郎師匠ならこれのあとでもうけてくれるやろみたいな信頼感が、微妙に手伝っているのかもしれません。

さて「擬宝珠」です。この噺は喬太郎師匠で以前にYEBISU亭でも聴きました。考えてみれば、私は以前YEBISU亭で聴いた喬太郎師匠の噺2席をおさらいしたことになります。

枕で十分に客席を自分の色に染めておいて、噺にはいります。今回も、若旦那が気の病を患うくだりから「崇徳院」のさわりを想像させておいて病気の原因を聞くところから、噺のハンドルを「擬宝珠」に切ります。おまけで、みかんをちらつかせておいて「千両みかん」を消すところなどはわかっていても大爆笑・・・。

前回、この噺を聴いたとき、いちばんぞくっときたのが、金物の味を愛する若旦那に潜んだ狂気の表現だったのですが、そのあたりは今回も顕在。噺の運びが実に安定してるので、旦那と奥方の金物をめぐる思い出話が直球で観客を巻き込みさらに噺にグルーブ感を与えます。狂気の世界での価値観の逆転がきめ細かいタッチで観客に伝わっていきます。

重すぎず、かといって凡庸にならないこの噺、喬太郎師匠にとっては、使いやすい武器なのかもしれません。何度聴いても飽きないであろう魅力も随所にあって、中入り前、たっぷりと楽しませていただきました。

中入り

☆桂雀々 「さくらんぼ」

江戸前では「あたま山」とい呼ばれる噺だと思うのですが、上方落語では初見。枝雀師匠も時々かけられていたようですが、まあ、ここまで力いっぱい演じられると観るほうにも気合がはいります。

元々がシュールな噺なのですよ。普通に演じられても、自分の頭に生えた桜を、人が集まるからといって引っこ抜いて、それでも後にできた池に集まる人の煩さに耐え切れず自分がその池にが身をなげるってな噺ですから・・・・。わけがわからない部分がある。その不条理が障りにならず、噺をくぐった先に見えてくる世界観の表現に繋がるよう、雀々師匠は自分の頭に生えた桜に集まる人々の狂騒を鳴り物を巻き込んでアクセル全開で演じていきます。

当然に、はめものもキャパ一杯という感じで思いっきり鳴らす・・・。小拍子くらいで止められてたまるかいみたいな勢いのすざましさ。しかも小拍子で噺を区切ってもそこで噺に間を作らない。むしろ小拍子にかぶるように次のシーンが語られ、観客の息が詰まるくらいにどんどんと噺が進んでいく・・・・。

そこに、主人公の静寂をもとめる気持ちが鮮やかに浮かび上がるのです。オーバーヒートする噺のなかに主人公の戸惑いがいらだちに変わり、なんとも追い詰められたような心や安らぎを求める気持ちが見事に現出する・・・。しかも、その心情は噺が終わってもちゃんと後まで残っている。これはすごい。

その繊細な心の表現を力技でなしていくには、その力技のレベルがぶれなくある種の領域を突き抜けていなければいけないわけで、ただ騒げばできるというものではない・・・。その境地に至った雀々師匠の芸が見事に生きた高座でありました。

☆柳家喬太郎 「宮戸川」(通し)

さて、最後は喬太郎師匠の宮戸川です。恥ずかしながら通しで聴くのは初めて・・・。前半と後半でガラッと色の変わるお話で、通しでやるとそこの変わり目が難しそう。まったく違った色にそまった同一人物を演じなければならないのですから・・・。

喬太郎師匠は前半の表現をすごく平凡な若旦那にあつらえます。遊ぶといったってちょっとしたこと、締め出しを食うほどのものではない。まあ、ちょっと遊びすきなくらいにとどめておく。それがおじさんの家で結ばれるシーンや後半の息が詰まるような舟のシーンに結びつき噺の深さをぐっと高めていくのです。

前半を比較的軽い調子流していく。それゆえ吸い込まれるような後半の舟でのシーンは圧巻でした。酔っ払いの問わずがたり、それを聴く主人公の反応がよいのですよ・・・。ぐっと抑えた感情の中に押さえ切れない思いが微かな声の震えにのって・・・。それでぞくっとくる。

また、さげに至る夢からの目覚めの悪い感じにものすごいリアリティがある・・・。一つの噺のなかにいろんな表情が積み重なっていくのですが、それらがみな精緻であるからこそ現出する世界がある・・・。

納得のオチで大銀座落語祭を綺麗に閉めていただきました。

というわけで、5日間の落語三昧もお開き、正直疲れました。しかしその疲れが心地よくも感じます。とにかく見た高座は当たり連発で、駄高座がひとつもありませんでしたから・・・。それは演者の力量の差はありました。もあり、噺の性質もあり、高座のクオリティには優劣が間違いなくあった。でもね、甲には甲の乙には乙の味がちゃんとあって・・・。なによりも感心したのは、これだけの高座を見て、手を抜いたというような感じのものはただのひとつもなかったこと。それは、よしんば前座さんの高座であってもそう・・・。

帰ったらすぐコテンと寝てしまったけれど、こういう疲れからの眠りは決して悪いものではないです。まあ、銀座落語祭、来年がないのが残念ではありますが、その分一生物のよい時間をすごさせていただいたと思います。

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