大銀座落語祭1
7月17日スタートの大銀座落語祭、怒涛のように落語を聴きました
演者の方も、なんか気合が入っていてとてもよい。記録を兼ねて、プチ感想などを書き込んでおこうと思います。す。
(なお、新作落語のネタばれ、古典落語についても噺家さんの工夫等のネタバレが含まれています。題目についてはわからないものや不正確なものもありますのでご了承くださいませ)
・7月17日 時事通信ホール にぎやか亭オール鳴り物入りの会
大銀座落語祭の幕開け、おにぎやかにオール鳴り物入りの会ということで・・・。まあ、上方ははめものの伝統がありますが、江戸落語はどうなるのかなどと浅はかな知識をめぐらせていたのですが・・・。いや、やれば出来るものなのですね・・・。
☆桂こごろう「野崎まいり」
いきなり道中の風景が浮かぶような明るさがある高座でした。はめものもお手のもので・・・・。舟を出すときの描写が秀逸で、船頭の力の入れ方がじつに綺麗。ノイズがないというかへんな力みがなくて、慣れた仕事がうまくいかない一瞬のあせりのようなものが出ていて・・・。そこがあるから、舟を留めているほうの滑稽さにあざとさが感じられない・・・・。喧嘩の部分もよどみのない語り口で聴いていてべたべたしていない・・・。洗練の感じられる高座でありました。
☆古今亭菊之丞「法事の茶」
江戸前の落語で鳴り物をいれるとなると、噺の流れというよりはこういうセットプレイのほうがやりやすいのかもしれません。茶の湯気から現れる古今東西の有名人、自由度の高い噺を味わいたっぷりに演じて見せました。
菊之丞師匠の品のよさには惚れ惚れしました。品のよさに芸の深さが重なっているから、上品さがいやみにならない・・・。焙じたお茶を入れる仕草にも下世話な部分がなく、それでいてたいこもちと若旦那という日ごろ自分でお茶をいれることがあまりない輩の不器用さはちゃんとでているから、形態模写のリアリティも噺の内側でのお座興という建前がしっかりと成り立っていて、だから至芸やくすぐりまで心置きなく楽しむことができました。
☆桂文太「稽古屋」
上方独特のねっちりした語り口が最初すこし重く感じたのですが、噺が始まるとその重さがじわじわと効き始める・・・。面白さが上滑りをしないのです。前の面白さが消えて新しい面白さが生まれるというのではなく、ボディブローのように面白さが効いてくる。子供のお芋を主人公が食べてしまあたりなど、ある意味えげつない噺なのですが、けっこうマジ笑いをしてしまうのはそれまでのボディブローの賜物であるような・・・。厚みのある滑稽噺となりました。お囃子とのあわせ方にそこはかとない粋がある・・・。芸の力かと思います。
中入り
☆桂歌ノ助「善光寺骨寄せ」
「お血脈」は江戸前の落語で何度か聴いたことがありましたが、今回のような演出は今回が初めて・・・・。先代の歌之助師匠のねたを当代が受け継いだとのこと。お釈迦が誕生するところから噺を紐解き、そのはんこ(?)の由来を説きます。前半を長めにすることで、噺の見せ場をラストから五右衛門が賽の河原から立ち上がるところにずらすのです。
で、先代が工夫したという骨寄せのシーン。本来ならしゃれこうべがぽーんと飛んできて骨寄せのきっかけとなるのでしょうけれど、上手から飛んできたしゃれこうべがそのまま高座の下に入り込んでしまって、まあ、それはそれでご愛嬌。で、手作りの骨格標本で五右衛門の骨が立ち上がっていく・・・。たわいないといえばたわいないのですが、なにか昔の寄席ってこんな感じでお客さんを喜ばせていたのだろうなという懐かしいような雰囲気が伝わってきて・・・。
どちらかというと自然体の語り口で力を感じるわけではないのですが、さらっとしたなかに誘い込むような味がある。だからそんな仕掛けも重たくならず見ることができました。
☆柳亭市馬「掛取り」
声自慢、歌自慢の市馬師匠、ロビーでCDも売ってました。で、大晦日に取立てを好きなもので追い返そうというこの噺も市馬師匠、しっかりと自分のほうに噺を引き寄せてみせました。目鼻立ちのしっかりした話しっぷりに貫禄も備わってそれでなくても観ていて安心感がある。短歌好きとか相撲好きを追い返すあたりの語り口はそれこそ立て板に水、聴いていて心地よいこと。で十分似合った待ったところで三橋美智也好きという設定を持ってきて高座を歌謡ショーにしてしまう。また、これがちゃんと聴かせるのですよ。こういう芸にありがちな臭みが噺の枠のなかで上手く消されていて、手拍子を自然にしたくなるような・・・、なんか極楽・・・。
気持ちよく打ち出しの太鼓を聴くことができました。
・7月19日 教文館ウェンライトホール 「ラクゴリラ」
関西ではもっと開催頻度の高いらしいですけれど東京ではお江戸日本橋亭で年二回開催のラクゴリラ、今回は日本上陸!!と銘打っての特別興行です。
開場はうなぎの寝床がのように横が8席、縦が長い。で、一番前の席だったので最初こちらがちょっと緊張しました。あと高座が高く作ってあるのでその分天井が低い。演者が頭を気にしながらの高座となりました。
☆開口一番 三遊亭 歌ぶと「権助魚」
しっかりと腰がある落語、つく枝師匠もおっしゃっていましたが、ずっと定席を回っているとのことで噺の運びにぶれがない・・・。時間の長さが問われる部分がある噺だけに表現のテンポや配分が問われる噺かと思うのですが、実にこなれていて・・・。噺の流れに太さがある。お世辞抜きに噺を楽しむことができました。
☆桂 つく枝「平の蔭」
愛嬌のある高座で、場の雰囲気をすっと和ませます。文字が読めない男が手紙を読んでくれてと頼まれての悪戦苦闘、落語としてはポピュラーなパターンなのですが、その困り方のリズムがよいので、噺がどんどん深くなっていく感じ。なにげに仕込まれた緩急が効いていました。間口が大きくとられて心理描写が点ではなく空間に広がっていくような・・・。そのなかで笑いがぼこぼこっと引き出されていく感じがしました。
☆笑福亭生喬 「質屋芝居」
この噺、初めて聴くのですが、理屈抜きでおもしろかったです。芝居好きの商家の噺はほかにもあって特に珍しいパターンではないのですが、でも引き込まれました。
この噺は丁稚の芝居の所作がしっかりしていないと成り立たないとおもうのですよ。その肝になる歌舞伎の仕草、それは見事なものでした。よしんば一番前で見ていることを割り引いても迫力は抜群、演者も脂が乗り切っていてまさに一級品です。ここまで番頭の芝居で観客を上げるから、番頭がそこに取り込まれることにも、主人が呼び込みの拍子木を打つことにも無理がない。さらには商家のシーンに戻ったときの落差で笑いがどっと起こる。下座も本当に力と味があって・・・。はめものがしっかりと決まって・・・。
上方落語の特徴とも華ともなりうる「芝居を演じる」力が噺全体を何ランクも引き上げた高座、サゲもしっかりと効いて出色のものとなりました。
中入り
☆桂 こごろう「青菜」
季節的にも定番の噺。それだけに演者の工夫が高座を分けるような・・・。
こごろう師匠の植木屋さん、ほんとうにはまっているのですよ・・・。「野崎まいり」のときにも感じたのですが、噺にライトを当てるというかある種の明るさと軽さが噺を浮揚させるようなところがあって、それが植木屋さんの人物の好感度をアップさせている・・・。
それと、おかみさん、押入れにいれられて、出てきた後の描写を思い切りリアルに演じるのです。これがねぇ・・・、効くんですよ。ぜいぜい息をしているその姿に観ているほうは色がモノクロからカラーに変わったような臨場感の違いを感じる。その世界でもう一度押し入れに入っていくから、もう笑いを抑えきれない。
個人的には、すごく昔に仁鶴師匠のものを観ていて、そのイメージがずっと残っていたのですが、それがうん十年ぶりに塗り変わりました。
☆林家 花丸「幸助餅」
上方落語ではあまり聴かない人情噺、初めて気がついたのですが、関西弁での人情噺というのは、江戸物よりも情が深く入るような感じがします。言葉のもつ特性なのでしょうか・・・。
花丸師匠、最初は淡々と物語を進めていきます。そこに少しずついろんな感情が色付けされていく感じ、主人公の感情表現がやや強めでそれが噺の重さにしっかりとマッチしている・・。主人公と昔からよしみの、今は江戸の大関、雷五郎吉が実に上手く表現できていて、噺の密度をぐっと上げます。裏切りにも思える言葉が持つ破壊力のようなものがもろに観客を襲ってしっかりと観客の心情をつくる・・・。そこで、妹を郭にうった男と観客の想いがおなじベクトルを向くのです。ここがこの噺の肝、その表現が実に丁寧で、でも決して守りに入っていない・・・。だから最後に感情が解けるときに観客は大きく満たされる。
花丸師匠の色が本当に似合う噺、でもその先をしっかりと作った花丸師匠の大きさを感じたことでした。
いつものことながら大満足のラクゴリラ、本当に堪能いたしました。
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