あひるなんちゃら「父親がずっと新聞を読んでいる家庭の風景」の麻薬的効能
7月3日、サンモールスタジオにてあひるなんちゃら「父親がずっと新聞を読んでいる家庭の風景」初日を見てきました。あいかわらずのあひるワールドにどっぷりひたって・・・。たっぷりくすくす笑いをして、ゆっくりとコンテンツから滲むものにいろんなことを考えてしまいました。
(ここからネタバレがあります。ご留意ください)
まず、オープニングの音楽が大サービス、「あひるなんちゃら」の濃いテーマが惜しげもなくあんなふうに替えられてしまうなんて・・・。もうこの時点で「あひるなんちゃら」リピーターはわくわくしてしまいます。
テーブルが舞台の中央に斜めに置いてあって、その手前に古びたテレビのお尻が見えます。シンプルな装置、明転下瞬間は舞台がちょっと広すぎると思えるように思えたのですが、しかし、芝居が始まるとそこは人間くささに満たされて、不可思議な怠惰さとぬくもりがある家庭の空間へと変身します。いつものあひるなんちゃらトーンで積み重ねられるすこしずれた会話のなかで、登場人物のプロフィールが明らかになっていきます。
そこになかば理不尽に北京オリンピック聖火ランナーを目指して特訓する親戚の子供やそのコーチが現れたり、お隣さんが挨拶に来たり・・・。暗転で区切られたシーンが小気味よく連続して、観客は物語の価値観でいろんなことを観せられて・・・。気が付けばそれらが積み重なってあひるワールドに完全に染められてしまっている・・・。
チープな世界ともいえます。でもそれだけではかたずけられないような何かが観客を引き込んで離さない。そもそも、現代の縮図のような家族なのですよ・・・。年金未払いの父親にモラトリアル真っ最中の姉、横文字の肩書きをつけてテレビを見続ける引きこもりの兄、そして一人給与所得者の妹が丸抱えで支えて・・・。ドリカムが裸足で逃げ出すような年の差婚の父親と継母まで含めて、突飛な設定ではなく、ちゃんとありえる世界が描かれているのです。でもみんなどこかベクトルや価値観が違っていて、それが比較的短いシーンの中で次々とすり合わさっていくたびになんともいえない突っ込み感や不協和音がやってきて、で、不安定な感じなのになぜか動じない登場人物にふっとなごんだ笑いが湧いてくるのです。
したたかな芝居だと思います。日常生活のいろんなテイストが、当たり前の感覚と登場人物の感覚のズレをなにげにつないでいく。まるでテレビを思いっきり叩いて画像が変わるように、さまざまな変化に微妙についていけない感じがありながら、一方で、それでも日々の生活はまわっていく!!的な妙な力強さがあって・・・。なにか、ちょっとゆるい慰安がゆっくりと観客を包み込む・・・・。
芝居の本質にはすごくシニカルなトーンが内在されているのですけれど、それがスパイスになってさらに慰安が強調されていく。この作りこまれた多層的な味わいが観客をゆったりと舞台に引き込んで行くのです。
役者のこと、根津茂尚と黒岩三佳の演技がまずしっかりとしていて、初日にも関わらずタイミングが絶妙でした。相手の頬を打つ黒岩にも力感がありましたが、なんといっても黒岩のテレビの叩き方が絶品、繊細な演技にこういうパワーが加わると、もう鬼に金棒という感じがします。父親役の青木十三雄のどっしり感もなかなかのもの。何の根拠もないのですが、彼が新聞を読むことに必然性を感じてしまう。
異儀田夏葉も作りこまれた能天気さが、つっこみと絶妙の配分で・・・。コメディーにおけるボケ側をコントロールする役割をきっちりこなしていました。日栄洋祐、佐藤達はちょっとあざとい感じがよく出ていて・・・。関村俊介の居心地のわるい存在も絶品でした。ビールを飲むときの無表情さがとてもよくて、花色木綿のような表現ですが物語のトーンに丈夫な裏地を付けていたように思います。。
篠本美帆も実直ななかに人を喰ったようなつっぱりがあって好演、宮本拓也は体を張っての怪演の部類でしょうか。
役者の見事なさじ加減に笑いがやわらかく満ちる・・・。そして、笑いが溢れ出したあとにある種の真実がしっかりと残る・・・。観客は役者が揺らすぼけとつっこみの満ち干に揺られながら、ふっといろんなことを考える・・・。舞台全体の空気や流れが何気に思えるのに、実はいろいろと後を引くような厚みが観客を魅了する作品でありました。これだからあひるさん、やめられないのです。
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