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「み み」東京ネジが重ねていくシーンの先は・・・

7月11日ソワレで東京ネジ第10回公演「み み」を観ました。東京ネジ初見、劇場のアトリエヘリコプターもはじめて・・・。町工場の匂いをそこはかとなく残したこの劇場は、階段をあがっていくだけで機械の音がしてきそう・・・。でも実際には広さがしっかりと確保されたナカナカ魅力的なスペース。

その広さのなかで演じられたお芝居には、ちょっと不思議なテイストと展開がありました

(ここからネタバレがあります。十分にご留意の上お読みください)

比較的静かに芝居が始まります。ソファーで耳かきをしてもらう中年の男と耳がすこし不自由そうな女性。女性がすこし不安定な感じで、ふっと幻想のようなものが現れて・・・。。続いて彼女を取材する男と女性の会話。さらにやってくる幻想の世界は彼女の幼いころの思い出。男が勤めている会社の会長とその妻、不倫相手・・・。すすっと観客を引き入れた舞台では、ルーズに関係する断片のようなシーンがゆるい関係性のなかで積み上げられていきます。おとぎ話のような過去の世界もあれば少し前の話や現実の世界も・・・。ただ、それぞれの場面には繊細な中に柔らかな透過性を持っていて、シーンの重なりに少しずつ厚みが増していくたびに、観客には個々のシーンでは見えない絵柄が浮かんでくるのです。中盤までの一つずつのシーンには深い感情移入もなく、どちらかといえば淡白なのに、観客は柔らかく質量を増していく舞台の世界から目が話せない。

いくつも色や図柄の重なりによって作られた絵柄は、中盤をすぎるころには次第に2次元から3次元の感覚に姿を変えて観客に伝わっていき、3次元の世界には光の濃淡や時間軸が生まれて観客の心を女性の想いに塗り替えていきます。小さいころの思い出、名前でいじめられたこと、初恋、耳をほめられたこと、勤めていた会社での現実、不倫、うわさ・・・・。心を閉ざしたこと・・・。電池が切れるほどのコールをしてでも相手のことは何も聞いていない彼女のクライアントのエピソード・・・。彼女の内側が瑞々しく観客の内側に同化していくうちに、底知れぬ不安や自分を支えきれないような感覚が透き通ったミストのように観客に伝わっていきます。一見無表情に重ねられたシーンに潜んでいた精緻なたくらみに観客はすっぽりと引き入れられてしまう・・・。

彼女の感覚がそこまで伝わっているから、取材する男がラスト近くで彼女に書き綴る幻想の続きにあざとさがないのです。彼の言葉が彼女にかかった呪縛を解くのと同じようにそのまま観客を解放していきます。透き通った一つの空間として存在する断片的に語られた多くのシーンに、自然光がすっと差し込むような感じ。そして舞台が残す余韻に柔らかい癒しが残って・・・・。

暗転して終演となり、彼女の過去と今を俯瞰しながら、観客もふっと彼女と同じ旅をしてきたような気持ちで拍手をすることになるのです。なんとなく心の中に彼女の世界に触れたときの感触を残したままで、観客は家路をたどることになるのです。

役者のこと、まず佐々木なふみの作り出す色が絶妙、物語の基調は彼女のトーンでしっかりと支えられていました。間の取り方や言葉を飲み込むときの時間の置き方が本当に見事・・・。ため息が出るほどでした。佐々木富貴子は一見押し出すような演技でしたが、一方で佐々木なふみとの因果をしっかりと見せるような繊細さがありました。ある種の伏線になるような心の動きが実に丁寧に演じられて、物語の背骨を作り上げていました。窪田道聡の演技も佐々木なふみの演技にすっと馴染むような抑制があって、それがラストちかくのシーンに説得力を生み出すことになりました、好演だったと思います。彼が、綴った物語を読む声もすごくよかった・・・。

堀越涼は、先月の柿喰う客の公演でも抜群の安定感がありましたが、今回も演技にクールさと加えて艶を持った滑らかさがあって、役のキャラクターをしっかりと見せていました。両角葉の演技の芯の太さも物語にぞくっとするようなリアリティを与えていました。彼女の芝居はボディブローのように重く鈍く観客に響く・・・。彼女の台詞から、気がつくとちょっとエスカルゴが食べにくくなっているような・・・。

中村真季子の演技には生々しい実存感がありました。キャラクターに与えられた概念をそばにいる息遣いに変えるような力・・・。ひとつずつのシーンでの心の表現の丁寧さが、彼女の最後のシーンのしっかりとした重さに繋がっていました。

実存感という意味では太田みちにも鮮やかなリアリティがありました。人を喰ったような態度に力みがないし、キャラクターがすっと立つ。2日目ということでしょうか、すこしだけ演技に硬い部分もありましたが、それは回を追って良さへとかわっていくような感じがしました。

一方デフォルメされたキャラクターを見事に演じきったのが清水那保印宮伸二。清水は現実をしっかり見通すような知性をモラトリアム少女の容姿に上手く編みこんでみせました。彼女の猫っぽい言葉は男性にとって生理的に心地よく、そのずるさがしっかりと役柄が持つべき魅力に変換されていました。一方、印宮には男が持つかりそめの知性のもろさをナチュラルに表現する力がありました。追われる立場から追う立場への変わり目にも見ごたえがありました。

大塚秀記空間ゼリーの「私わからぬ」のときが初見で、その時は斉藤ナツ子嬢との豊潤なやり取りに息をのんだのですが、今回の演技でもその力は遺憾なく発揮されていました。佐々木なふみとの会話のなかでは彼女の繊細さをしっかり浮かび上がらせ、清水那保とのシーンでは家庭の色をすっと作り上げる。さらに中村真季子との短い絡みで彼女をドアの内側への追いやるシーンでは、一瞬にして彼女の立場を観客に想起させる・・・。しかも彼の演技は単純に一つのシーンでの空気を染めるだけでなく、積み重なっていくシーン間のばりのようなものをすっと消していくのです。また、幻想の中での犬としての演技では他の演技で見せていた背後の広がりをすっと消してキャラクターの色のみを押しだし、その存在感で佐々木富貴子の芝居をしっかりと受けて見せる。彼の芝居の間口の広さ、そして芝居全体を生かしていく力の確かさには瞠目するばかりです。

こういう作りのお芝居は、全体像が見えるまでの観客の引っ張り方が勝負なのかもしれませんが、役者達の演技はその関門を十分にクリアするものでした。

あと、ちょっと余談になりますが、20時の開演時間もサラリーマンにはうれしい限り・・・。仕事帰りのちょっと疲れた観客にとって、この芝居から浮かんでくる繊細さやはかなさは、あせって劇場に駆け込むだけでも減じてしまうのですが、この時間的余裕は観客に作品と向き合うゆとりを与えてくれます。まあ、その分終演後がちょっとあわただしかったですが、劇場でうだうだしているよりはちょっと長めの駅までの帰り道を歩きながらのほうがお芝居への感動も膨らもうというもの・・・。

目を見張るほどの鮮烈なインパクトがあるわけでもなく、息を呑むほどの強い印象をうけるわけでもない・・・。でも、主人公の気持ちが観客にしばらく残ったままのこのお芝居。10回目から観始めてなんなのですが、この劇団がほかにどんなお芝居をされているのか、興味を感じるような舞台でありました。

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コメント

このたびはご来場ありがとうございます。
感想もありがとうございました。
ぜひ、みみブログにリンクを貼らせていただきたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

投稿: 東京ネジ | 2008/07/14 09:28

東京ネジ様

貴ブログへのリンクを賜りましてありがとうございます。

強くと言うより深く印象に残る舞台で・・・。本当に時間があっという間でした。

次回以降の公演もすごく楽しみにしております。

りいちろ

投稿: りいちろ | 2008/07/14 22:38

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