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「A Midsummer Night’s Dream」シェークスピアは本来こんな風に楽しいのか!

6月29日、雨の日曜日、池袋の東京芸術劇場中ホールに北九州芸術劇場プレゼンツ「A Midsummer Night’s Dream~TheじゃなくてAなのが素敵~」を観てきました。

昔々、サードステージプロデュースの「真夏の夜の夢」を見たことがあって、それは当時としてはとても革新的だった印象があるのですが、今回はそれよりも数段チャレンジング。でも、芯をしっかりとらえた極めてまっとうな作品でもあったような。

楽日でしたが若干の空席がもったいない感じ・・・。G2さんやるじゃん!と声をかけたくなる誠実さと斬新さがこの作品にはありました。

(ここからネタばれがあります。ご承知置きのうえお読みください)

話の筋はまさに「真夏の夜の夢」です。シェークスピア独特の美しい修飾に満ちた言葉もそのまま・・・。しかし’60Sを思わせるようなポップな衣装、役者達のシェークスピアの時代とは異なる今様な演技、原作者の名前など観客の頭から3分で飛んでいってしまいます。

2組の男女の顛末、役者達の演技のヴィヴィットなこと・・・。ファッションもそうですけれど、心情や言葉に形式ばったところがまったくない・・・。妖精のいたずらで、心変わりしてしまう男達にたいしての、女性達のキレ方など、もう半端ではなく今の時代のテイストで、なのに、シェークスピアの言葉が無理なくはまっていく・・・。演技からやってくる感覚は完全な現代劇・・・。大爆笑という感じではないけれど、物語の顛末でしっかりと今風の笑いが取れているというか、観ていてあきない。妖精達の戯れもなぜかキュートで、道化っぽい仕草も古びた感じがまったくなく洗練すらあって・・・。

で、観客はシェークスピアを観ていることなんて忘れてしまうのですが、シェークスピアの構造のなかで真摯に物語は進んでいくのです。観客は台詞の響きの美しさに耳をそばだて、台詞たちから垣間見える人の思いにうなずきながら、紡がれていく今感覚の物語の味わいを楽しむという趣向、シェークスピアの物語が、21世紀の質感のまま観客の脳裏に積み重なっていくのです。

「恋に落ちたシェークスピア」という映画を観て以来、シェークスピアの演劇というのは、初演の当時からそんなに高貴なものではなく、当時としては現代的な感覚をもった作品だったのだろうと素人なりに考えていたのですが、今回のお芝居は「ああ、その当時の観客はこんな感覚で彼の演劇を楽しんでいたのね」と、その考え方を妙に後押ししてくれたような・・・。

で、納得したとたんに、豊潤な面白さがジュワっと滲み出してくる。丁寧に埃やカビを払えばシェークスピアの世界からはピカピカの普遍性が輝き始めるのです。畏敬の念を持ったり形式に囚われたりするといきなり魅力が半減するけれど、G2のような物語の磨き方をすれば、普段着のままの観客を強く魅了する力が一気に現れる。まあ、G2は、ひたすら実直にシェークスピアの世界を表現しただけなのかもしれませんけれど・・・・。

終わり近くのの素人芝居の部分だけは、ちょっとシェークスピアの呪縛から逃れそこなったようで、それまでの物語の流れからちょっと浮いてしまった感もありましたが、最後のパックの口上も気負いなくしっくりとはまって・・・・。4世紀ほども延々と演じ続けられてきた戯曲とはとても思えない、洒脱でどこかソリッドな世界をたっぷりと楽しんで・・・。関西弁の瑞々しさのようなものが、スパイシーに舞台の味わいを深めて、あっという間に2時間少々が過ぎていく感じでした。

役者達も期待を大きく上回る出来で・・・。一番驚いたのは神田沙也加、舞台度胸がよく、見ていてぐいぐいと押していくような気持ちよさがあるし、演技の線がしっかりと太い。で、なによりも演技に安定感があるのです。キャパ一杯でやっているのではなく演技に十分なゆとりが感じられて・・・。彼女の芝居でこの舞台の奥行きがずいぶんと広がった感じがします。

宝塚出身の樹里咲穂も非常に魅力的でした。スレンダーな肢体とポップな衣装を色香と共に着こなす一方で、関西風コメディエンヌのセンスも持ち合わせている。可憐な雰囲気を持ち合わせながら、歌も芝居もゴング桑田の濃い色に負けていない。

それから出口結美子もよかったです。その実直な演技を自分の色でナチュラルに演じている感じ。演技にしなやかさがあってそれも魅力。

ゴング桑田、Piperの山内圭哉、竹下宏太郎といったところは、自分の味を渋くじっくりと出した感じ・・・。物語としての要所をしっかりと締めながら、大阪弁の勢いが何かを解放している感じがまたよいのです。竹下のさりげないダンサーとしての動きや山内のギターも力がありました。マジでかっちょいいのですよ。陰山泰の渋さにも言い知れないよさがある・・・。楽日ということで多分山内にいじられていたと思うのですが、それを味にもっていくような渋さが演技にあるのです。植本潤のはじけ方はちょっと硬質な感じがするのですが、彼の芸というか技も、周りの自由闊達な演技を守り立てるように生きて・・・。アドリブもあったのではと思うのですが、そういう遊びをすっと浸潤させるような大きさが彼の演技力にはありました。

職人チーム兼妖精チームはどちらかというと原作寄りというか型のなかで動くような演技も多かったのですが、でも彼らの足腰の据わった演技は他の出演者達のキャラクターを動かすスペースというかトーンを作っていたような・・・。それは、藤田紀新谷真弓といった役者達の手堅い演技の果実なのかもしれませんが、なんとなく、はちゃめちゃなことをやっているように見えても、実は舞台をちゃんと安定させているのです。意外だったのは、もっとはっちゃけるかと思っていた葉月チョビ、彼女の演技の実直なこと。要所を後方からぐっと締めるような・・・。、目立つのではなく舞台のベースを築くような感じの演技には浮いたところなど皆無で、それどころか舞台全体を見据えたような貫禄を感じました・・・。歌も秀逸で、舞台をやわらかく染めるような歌もあって、この人はやはり只者ではないと感じたことでした。権藤昌弘は初見ですが、彼も演技はとても誠実で・・・。小松利昌などはその安定を充分に生かして自分のペースでの芝居をしていたと思います。

「地獄八景浮世百景」のときにも感じたこと、G2演出の舞台にはどこか透き通ったトーンがあって、そのトーンが物語のもたもた感をすっと軽くしていくような力を持つのですが、今回はその効果がより鮮やかになっているような印象・・・。

なにか、こういうシェークスピアだったら、胃にもたれず肩も凝らず、いくらでも楽しめそうな・・・・。次あたり、このトーンで「じゃじゃ馬ならし」でもやってもらえませんかねぇ・・。

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