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大銀座落語祭3 柳家喬太郎と上方落語1

土曜日のお昼は久しぶりの落語オフ,。そこでたっぷりと休息をとって夕方から銀座に出張り、喬太郎・福笑一門というすごい取り合わせの会をを観てまいりました。

暑かったですけれど、劇場に入って噺を聴き始めると、そんなことはどっかへ飛んでいってしまいました。

(ここから新作落語の内容に入る部分があります。ご留意の上読み進んでいただきますようお願いいたします)

.・柳家喬太郎と上方落語1

☆ 立川こはる 「真田小僧」

この方初見です。正直言いますが、最初出てきたときには、なにか華奢でボーイッシュで、大丈夫かなと思ったのですよ。しかし、噺が始まってびっくりしました。切れがよい。語り口がよい。まっすぐに噺がやってくる。最初の部分はちょっと型どおりの感じだったのが、噺があったまるにつれて、物語の時間が舞台からどんどん広がって場内を取り込んでいく・・・。後で調べたら立川談春師匠に入門して2年半、まだ20代中盤の女性なのですが、いや、ジェンダーなど端から凌駕し、修行経験の浅さなどまったく感じさせない。

グイグイ物語を運んでいく力があってしかも力の出し方に無理がない・・・。だから、登場人物の言葉ひとつに本来宿っているニュアンスが噺の勢いを上げてもこぼれることなくしっかりと観客に根付いていくのです。そして積み重なり噺の世界として観客の心に広がっていく。こういう才には生まれ持ったものがあるような気がします。もちろん、談春師匠が彼女の才能をうまく引き出しているのでしょうけれど、これはすごい・・・。

まだ前座さんのレベルでしょうし、噺の切替の一瞬の不安定さとか、所作の微妙な硬さやぎこちなさとかいうのはあるのですが、それは、キャリアを積めば熟して化けていく類のものでしょうし・・・・。少なくともおまけの領域に置いておいては贅沢が過ぎて罰があたるほどの高座、近い将来、また彼女の高座にめぐり合えるのがすごく楽しみ・・・。

開口一番に彼女が出てきたことで、なにか高座のハードルが一気に上がったような気がします。

☆ 笑福亭たま 「胎児」

前座の段階ですでに観客があったまっているところへショート落語をかまして、さらに観客を馴染ませて・・・。たまさんの小噺的なさわり、聴くたびにレベルがあがっていくような気がします。2年前に聴いたときには観客に攻めかかる感じだったのが、今回は逆に観客を高座側に誘い込んで手のひらであそばせるようなゆとりを感じました。緩急の付け方が滑らかになったので、観客側にかまえるような部分がなくなったような・・・。勢いを殺すことなく客の胸襟を開かせるゆとりのようなものが出てきたように思います。

本編には工夫がいっぱい。帯をほどいて胎児のへその緒というのはご愛嬌。、逆子の形を高座でみせられたのにはちょっとびっくりしましたが、うまいことはまってました。ただ、はまり過ぎて観客が爆笑しないで納得してしまった感じ・・・。高座側はちょっとさびしい感じがしたかもしれません。

観客として高座の満足度は十分、でも、師匠的にはなにかをまだ模索中だなという感じがしたのも事実。突き抜けた噺がさらにもう一段化けるための何かをじっくり探している印象を受けました。

☆ 柳家喬太郎 「本当のこと言うと」

前日までの2日間の独演会で抜け殻になっているというつかみから始まって、さらっとお茶漬けで枕をすませるのかと思いきや、前日の独演会をしのぐような絶好調ぶり・・・。自らの銀座との縁の噺から始まって、SWAの新しいユニホームのしつけが取れていないのをこはるさんに直してもらってという話から派生して、挙句の果てにはこはるさんのいるであろう下手に向かって土下座をしてみたり・・・。

しかし、噺に入るとそこは喬太郎師匠のこと、ぐっと場を締めたうえで手練で客を追い込んでいきます。初めて彼氏の親のところに挨拶にいくカップルの噺なのですが、ホームドラマの一シーンのような胸キュン話になると思えばさにあらず、なると巻きが出てくるあたりから少しずつ噺が常軌を逸していきます。善意のトーンを元に、だんなの妹にソープ勤めを強いるまでに狂気をどんどんと醸成させいく手腕の見事さ、微妙な価値観のかけ違いを重ねて観客を噺から逃げ切れないように引きずりこんでいく。

まあ、どこまでの狂気を笑うか、どこをボーダーラインと感じるかは観客の価値観によるのでしょうが、観客全員が引いてしまうというその一歩手前ですっと引いて、ぞくっとするほどクールなさげにもっていくその手腕のあざやかさ。

そんなに長い噺ではないのですが、料理名人の手で素材にボリューム感とシュールさと軽さを与えられ、全部まとめてひとつの重箱に詰められたような・・・、古典にはない新作のよさを生かしたそれは見事な高座でした。

中入り

☆ 笑福亭福笑 「絶対絶命」

この噺は昨年の福笑師匠の独演会で聴いて驚愕した覚えがあります。福笑師匠の場合、「ちりとてちん」を演じるときにも、元祖長崎名産を食べた後で竹さんがしっかりとリバースするとこまでやられますから、少々のことがあっても驚かないのですが・・・。まさか、ここまでやりはるとは思わなかったもので・・・。

しかし、今回2回目を聴いてこの噺の秀逸さがよくわかりました。まあ、ねたをばらせば便意をこらえて悶絶する女性の話ですから、どう演じても上品にはならないのでしょうけれど、福笑師匠はその設定で下卑に笑いを取るのではなく、ある意味冷徹に演じる中で人間が持つ本質を確実に浮かび上がらせていくのです。

前半は笑いの基本を見事に織り込んて噺を組み上げていきます。錯誤、繰り返し、誇張といった手法がバランスよく使われて、笑いが次々と掘り起こされていきます。女性の排泄欲そのものから来る原始的な笑いではなく、そこから微妙にずらした周辺の事象から笑いがやってくることで、ワンショットではなく波状的な笑いが生まれるのです。

後半になると、噺が常なる世界を突き抜けて桑畑での女性の排泄までいたる。そこで表現されるのは何かを投げ出した女性のすごさというかたくましさというか・・・。羞恥の箍が外れてしまった女性は、満天の星を眺め、天の川の牽牛織女を思い、ロマンチックな気分で「月の砂漠」を歌うのです。合間に福笑師匠が客観的に表現する排泄音が響き渡り、人間が究極の状況を超えたときの姿が見事に現れる。挙句のはてに、付き添ってくれた男性に排泄をしながら求婚までしてしまいます。状況を切り離した上でロマンに身をゆだねる女性の姿、人間が精神の安定を確保するための底力のようなものを福笑師匠ある意味クールに描き切っていく、・・・。噺の好き嫌いは当然にあるのでしょうがその女性の根幹を描ききるだけの力を持った落語家自体、そうめぐり合えるものではありません。その上爆笑を取るわけですから・・・。

福笑師匠、面目躍如の高座でありました。

☆ 柳家喬太郎 「純情日記(横浜編)」

福笑師匠、喬太郎師匠へ「次をやりにくくしたる」と声をかけて高座に上がられたそう・・・。とはいうものの、喬太郎師匠もこういうやりにくさは想像されなかったのではないでしょうか・・・。

喬太郎師匠、高座に上がり一瞬言葉を止めた後、「なにを話せばよいのでしょう」。ちょっと座を弛緩させておいて、自分の間に持っていってから枕に入ります。してやったりの福笑師匠のあと、あわてずゆっくりと時間をととのえて・・・。

そして、前半よりやや抑え目の枕から、すっと「黄金餅」にはいる。語り口、私がCDで聴いた芯ん生師匠にどこか似せてあって・・・。大ネタで福笑師匠の色を消す算段かとおもいきや、これが落語研究会の男の練習風景になってしまう・・・。いやぁやられたと思いました。しかし、すかされたと思った「黄金餅」、これが噺の途中で見事に生きてきます。

たぶん喬太郎師匠が、それこそたま師匠のように、一生懸命いろんな落語のスタイルを模索していた時代の作品なのでしょうね・・・。固定電話が出てきたりと新作の中の古典の風合い・・・。バイト先の男女のちょっと昔風のデートが展開していきます。街は横浜、オシャレなスポットといってもそれほど知っているわけでもない、ちょっと甘酸っぱい雰囲気を漂わせながら横浜の街を散策するふたり・・・。

そこでふたたび姿を見せるのが冒頭の「黄金餅」、下谷から麻布絶口釜無村木蓮寺までの言い立てのパロディで二人の時間を表現していくのです。

http://d.hatena.ne.jp/foujita/20031001(「黄金餅」の言い立てはこちらに載っています)

たぶん昔からの喬太郎ファンの方には有名なくだりなのでしょうけれど、初めて聴いた私はその本家取りの鮮やかさに,マジでぞくっときました。志ん生師匠のCDにある「黄金餅」の言い立ては、葬列が歩く距離が少し長い分口調が早い印象がありましたし、少しだけ早い口調で演じれば今志ん生の世界が豊潤に広がったかも・・・。しかし、そこを抑えて噺のテイストを自分の側に残しておくところにこそ、喬太郎師匠のセンスがにじみ出ているようで。

終盤はちょっとビターなテイストもいれこんで、味わい深く会を納めていただきました。

こはるさんから始まったこの会は、本当にボリュームたっぷり・・・。高い密度をもった時間をすごしました。これだけの才能が集まると、やっぱり常ならぬ聴き応えがありますね・・・。

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喬太郎伝説と大銀座落語祭2

本当に、頭に高座が出来るのではないかと思うほど、週末は落語三昧でした。銀座だけではなく、三軒茶屋まで足を伸ばす始末・・・。年甲斐もなくというか、無節操というか・・・。でも、本当に楽しかったです。

(ここからネタの中身に触れるような記述があります。ご留意の上お読みください)

・7月19日喬太郎伝説(柳家喬太郎独演会)@世田谷パブリックシアター

いま、一番脂が乗っている噺家の一人だと思うのですよ・・・。その話術といい、噺の切れといい、はじけ方といい・・・。

まあ、大銀座のチケットが取れているんだからわざわざ世田谷くんだりまで足を伸ばさなくてもと、一時は思ったのですが、「双蝶々」という噺をかけるとのことでがんばってチケット取り、三軒茶屋まで足を伸ばしてしまいました。

☆柳亭左龍 「お菊の皿」

くっきりした語り口で、なんというかわかりやすい。妙な気取りがなく、でも相応に腰のある「お菊の皿」となりました。江戸前と上方風では笑わせるポイントがかなり違う・・・。上方落語になれているとちょっと乗りにくいような部分もありましたが、でも飽きのこない噺の進め方だったと思います。

☆柳家喬太郎 「純情日記(渋谷偏)」

枕が秀逸で・・・。ホームグラウンドの余裕というか手のひらに話しっぷりが場内を盛り上げて、それがまた師匠自身のテンションをあげていく・・・・。師匠からすると、枕からしっかりと客を掴みきっているし、逆からみると思いっきり師匠に乗せられている感じ。

本編も、良い意味で危うい感じがあって素直に楽しめました。主人公の感情のばらけかたがときどき観客と不整合を起こすような場面があって、何かが残る。しかしそれがリアリティに変わっていくところが師匠のすごいところ・・・。苦味をもって噺が本来もつ味を際立たせていくのです。たまに苦味が強すぎるところもありましたが、まあ、そういうばりがないと噺がきれいに流れすぎるのかもしれません。しっかりと茹で上げた後冷水にさっと通すようなオチも秀逸。観客の心にとりちらかった噺のエキスがすっとまとめられてしまいました。

☆林家正楽 「紙きり

これは間違いなく至芸です。

軽妙な舞台と客席の掛け合い、OHPに図柄が映し出されたときの驚き、作品の風情、ボストン美術館にそのまま飾ってあってもおかしくないような・・・。

上半身を動かしながら切っていく姿もちゃんと芸の算段に入っていて・・・。

時間があっという間でした

☆柳家喬太郎 「双蝶々(通し)」

厚みというかボリューム感を持ちながら、一方で人間の抗えない本質がすっと観客を包み込むような一席でした。生い立ちが見事に浮き立つ導入部分から、ぞくっとするような人間の暗部が垣間見える中盤の番頭殺し、そして丁稚殺し・・・。一つずつのシーンが細かい画質で描かれていきます。殺される丁稚の描写、長吉を信じている姿から、自らが殺されることを悟ったときの心の動きまでが手に取るように伝わってきます。殺す長吉に一瞬のためらいが浮かんで見えたのは錯覚でしょうか。

子別れの場面、息が詰まるような時間、淡々とした語り口がずっしりと積もっていく・・・。父親が羽織を渡してやる気持ち、見守る母親の心情、そしていとまごいをしてひとり雪の町に出た長吉の思い。ぶれがまったくない喬太郎師匠の空間の刻み方に、親子の心の重なりが舞台からダイレクトに伝わってくる・・・。

真夏の7月19日なのに、肌に冷え切った空気を感じるのは、決して冷房のせいではない・・・。その凍てつき透きとおった夜の吾妻橋、捕り方の提灯が凜と鮮やかに浮かぶ・・・。気がつけば、喬太郎師匠の芸に観客は、人の性が運ぶ顛末を俯瞰する場所へ導かれていて・・・。そして喬太郎師匠の打出しと共に景色だけがそのまま残る・・。

劇場をでても外の暑さがしばらくわからないほど、取り込まれてしまいました。

・7月19日大銀座落語祭 映画と新作落語の会@時事通信ホール

林家しん平監督の映画、残念ながら最初から観ることはできませんでした。でも、途中から観ていてもなにか懐かしかった・・・。昔の匂いがする日本映画という感じ・・・。

別に落語ファンでなくても、鑑賞に十分堪える出来だったと思います。

さて、2部は新作落語会、5人の個性派がそれぞれの色を鮮やかに出して見せました。

☆月亭遊方 「絶叫ドライブ」

びっくりするような特徴はないのですが、なにか聴いていると続きを聞きたくなるような・・・。デフォルメされているようで、実はそんなのあるなぁ・・・みたいな感じがする。不思議な親近感があるのです。高座と客席の感覚が近い落語というか、聴いていてもたれないというか。でも、肝はしっかりとつかんでいるし笑いがちゃんとくる。力みを感じないよい高座でした。

☆林家しん平 「お題不詳

仮面ライダーをはじめ昔のヒーローたちのその後を面白おかしく語っていきます。ヒーロー専門のハローワークっていうのも笑いました。微妙な哀愁がよいスパイスになっていて、噺の味わいを深めていきます。

噺もよく出来ていて、ここ一番のポイントがちゃんと作ってあって・・・。よい出来だったと思います。入り

☆福笑亭福笑 「脂肪遊戯」

良くいえば、福笑師匠の高座のシニカルな一面が強く出ていて・・・。まあ、悪く言えばうスプラッター落語ともいわれかねないネタ・・・。非常に突き抜けたブラックな笑いを呼び込んでいました。単純に肝臓や腎臓を引き出して見せて趣味の悪い笑いを誘っているわけではない。その先には安易に脂肪を抜くことで美しさを得ようとする女性のあざとさを笑う福笑師匠の冷徹な目があります。小腸を振り回す描写など尋常な笑いではありませんが、そういう紙一重の表現でジャンクすることなくで高座を保つだけの絶妙のバランス感覚が福笑師匠にはあって・・・。その、すごさに目を閉じてしまうか見開いてしまうかは観客しだい・・・。

まあ、好みは分かれるでしょうねぇ・・・。事実、終演後満座が沸騰するような感じではなかったです。

ただ、ここまで突き抜けないと表現できないものが間違いなく存在する・・・。禁断の毒の甘さとでも申しましょうか・・・。個人的には、非常に魅力的な狂気を感じることができましたし、ライブでしか接することができない噺だとは思いますし、噂にはきいていた話ですので聞けてラッキーだったと思っております。、

中入り

☆桂あやめ 「私はおじさんにならない」

あやめ師匠は女流の落語家さんの草分け的な存在、すごく昔聴いたときには女放談(吾妻ひな子師匠がやられていたような)に物語という線路を付けたような印象があったのですが、今回の円熟ぶりには瞠目しました。無理やり女性が男性の領域で落語をしてはったような昔と違って、落語のなかに女性が演じるよさが緻密に織り込まれている感じ。

ねたも良く練られていて、なおかつ洗練されている・・・・。

畳み掛けるような噺のもっていき方には、ノリとつややかさがあって、笑いが波状攻撃のようにやってきます。しっかりとコントロールされた噺も持っていき方に、観客は安心して身をゆだねられる・・・。

女流落語として一つのジャンルをしっかりと作りながら、一方で男女落語表現均等法に準拠して、芸の品質に女性だからという部分を払拭もしている。中堅落語家としての貫禄も加わって、豪胆な中に緻密さがある秀逸な噺に観客はころっと取り込まれて・・・。

いやあ、ファンになりました。

☆林家彦いち 「お題不詳」

テレビ出演の関係で、福笑師匠やあやめ師匠に気を使いながらトリ・・・。

実直な中に力があるし金とは逝かないながらも銅のような輝きもある・・・・。SWAのときにも思ったのですが、筋力がしたたかに潜んだ噺をなさる・・・。その筋力があるから多少無理な設定もまっすぐに押し切ることができる・・・。観客をぐっと捕らえる彦いちワールドというものが間違いなくあります。

怪談部というサークルの話、部員に怪談を考えろといってもろくなものが出てこない。その中で本当の妖怪が現れるのですが、サークルの指導教官は妖怪へのダメだしをはじめる・・・。ある種のパワーがかかったトーンのなかでは、妖怪へのダメだしという無茶がじつにすっきりといくのです。すっきり笑ってのお開きは見事な限り・・・。

バランスが取れたなかなか良い番組構成の新作落語会、たっぷり楽しませていただきました。

しかし、流石に3日間で4つの会はちょっとオーバーワーク・・・。でも、落語づけの日々まだまだ続くのです。

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大銀座落語祭1

7月17日スタートの大銀座落語祭、怒涛のように落語を聴きました

演者の方も、なんか気合が入っていてとてもよい。記録を兼ねて、プチ感想などを書き込んでおこうと思います。す。

(なお、新作落語のネタばれ、古典落語についても噺家さんの工夫等のネタバレが含まれています。題目についてはわからないものや不正確なものもありますのでご了承くださいませ)

・7月17日 時事通信ホール にぎやか亭オール鳴り物入りの会

大銀座落語祭の幕開け、おにぎやかにオール鳴り物入りの会ということで・・・。まあ、上方ははめものの伝統がありますが、江戸落語はどうなるのかなどと浅はかな知識をめぐらせていたのですが・・・。いや、やれば出来るものなのですね・・・。

☆桂こごろう「野崎まいり」

いきなり道中の風景が浮かぶような明るさがある高座でした。はめものもお手のもので・・・・。舟を出すときの描写が秀逸で、船頭の力の入れ方がじつに綺麗。ノイズがないというかへんな力みがなくて、慣れた仕事がうまくいかない一瞬のあせりのようなものが出ていて・・・。そこがあるから、舟を留めているほうの滑稽さにあざとさが感じられない・・・・。喧嘩の部分もよどみのない語り口で聴いていてべたべたしていない・・・。洗練の感じられる高座でありました。

☆古今亭菊之丞「法事の茶」

江戸前の落語で鳴り物をいれるとなると、噺の流れというよりはこういうセットプレイのほうがやりやすいのかもしれません。茶の湯気から現れる古今東西の有名人、自由度の高い噺を味わいたっぷりに演じて見せました。

菊之丞師匠の品のよさには惚れ惚れしました。品のよさに芸の深さが重なっているから、上品さがいやみにならない・・・。焙じたお茶を入れる仕草にも下世話な部分がなく、それでいてたいこもちと若旦那という日ごろ自分でお茶をいれることがあまりない輩の不器用さはちゃんとでているから、形態模写のリアリティも噺の内側でのお座興という建前がしっかりと成り立っていて、だから至芸やくすぐりまで心置きなく楽しむことができました。

☆桂文太「稽古屋」

上方独特のねっちりした語り口が最初すこし重く感じたのですが、噺が始まるとその重さがじわじわと効き始める・・・。面白さが上滑りをしないのです。前の面白さが消えて新しい面白さが生まれるというのではなく、ボディブローのように面白さが効いてくる。子供のお芋を主人公が食べてしまあたりなど、ある意味えげつない噺なのですが、けっこうマジ笑いをしてしまうのはそれまでのボディブローの賜物であるような・・・。厚みのある滑稽噺となりました。お囃子とのあわせ方にそこはかとない粋がある・・・。芸の力かと思います。

中入り

☆桂歌ノ助「善光寺骨寄せ」

「お血脈」は江戸前の落語で何度か聴いたことがありましたが、今回のような演出は今回が初めて・・・・。先代の歌之助師匠のねたを当代が受け継いだとのこと。お釈迦が誕生するところから噺を紐解き、そのはんこ(?)の由来を説きます。前半を長めにすることで、噺の見せ場をラストから五右衛門が賽の河原から立ち上がるところにずらすのです。

で、先代が工夫したという骨寄せのシーン。本来ならしゃれこうべがぽーんと飛んできて骨寄せのきっかけとなるのでしょうけれど、上手から飛んできたしゃれこうべがそのまま高座の下に入り込んでしまって、まあ、それはそれでご愛嬌。で、手作りの骨格標本で五右衛門の骨が立ち上がっていく・・・。たわいないといえばたわいないのですが、なにか昔の寄席ってこんな感じでお客さんを喜ばせていたのだろうなという懐かしいような雰囲気が伝わってきて・・・。

どちらかというと自然体の語り口で力を感じるわけではないのですが、さらっとしたなかに誘い込むような味がある。だからそんな仕掛けも重たくならず見ることができました。

☆柳亭市馬「掛取り」

声自慢、歌自慢の市馬師匠、ロビーでCDも売ってました。で、大晦日に取立てを好きなもので追い返そうというこの噺も市馬師匠、しっかりと自分のほうに噺を引き寄せてみせました。目鼻立ちのしっかりした話しっぷりに貫禄も備わってそれでなくても観ていて安心感がある。短歌好きとか相撲好きを追い返すあたりの語り口はそれこそ立て板に水、聴いていて心地よいこと。で十分似合った待ったところで三橋美智也好きという設定を持ってきて高座を歌謡ショーにしてしまう。また、これがちゃんと聴かせるのですよ。こういう芸にありがちな臭みが噺の枠のなかで上手く消されていて、手拍子を自然にしたくなるような・・・、なんか極楽・・・。

気持ちよく打ち出しの太鼓を聴くことができました。

・7月19日 教文館ウェンライトホール 「ラクゴリラ」

関西ではもっと開催頻度の高いらしいですけれど東京ではお江戸日本橋亭で年二回開催のラクゴリラ、今回は日本上陸!!と銘打っての特別興行です。

開場はうなぎの寝床がのように横が8席、縦が長い。で、一番前の席だったので最初こちらがちょっと緊張しました。あと高座が高く作ってあるのでその分天井が低い。演者が頭を気にしながらの高座となりました。

☆開口一番 三遊亭 歌ぶと「権助魚」

しっかりと腰がある落語、つく枝師匠もおっしゃっていましたが、ずっと定席を回っているとのことで噺の運びにぶれがない・・・。時間の長さが問われる部分がある噺だけに表現のテンポや配分が問われる噺かと思うのですが、実にこなれていて・・・。噺の流れに太さがある。お世辞抜きに噺を楽しむことができました。

☆桂 つく枝「平の蔭」

愛嬌のある高座で、場の雰囲気をすっと和ませます。文字が読めない男が手紙を読んでくれてと頼まれての悪戦苦闘、落語としてはポピュラーなパターンなのですが、その困り方のリズムがよいので、噺がどんどん深くなっていく感じ。なにげに仕込まれた緩急が効いていました。間口が大きくとられて心理描写が点ではなく空間に広がっていくような・・・。そのなかで笑いがぼこぼこっと引き出されていく感じがしました。

☆笑福亭生喬 「質屋芝居」

この噺、初めて聴くのですが、理屈抜きでおもしろかったです。芝居好きの商家の噺はほかにもあって特に珍しいパターンではないのですが、でも引き込まれました。

この噺は丁稚の芝居の所作がしっかりしていないと成り立たないとおもうのですよ。その肝になる歌舞伎の仕草、それは見事なものでした。よしんば一番前で見ていることを割り引いても迫力は抜群、演者も脂が乗り切っていてまさに一級品です。ここまで番頭の芝居で観客を上げるから、番頭がそこに取り込まれることにも、主人が呼び込みの拍子木を打つことにも無理がない。さらには商家のシーンに戻ったときの落差で笑いがどっと起こる。下座も本当に力と味があって・・・。はめものがしっかりと決まって・・・。

上方落語の特徴とも華ともなりうる「芝居を演じる」力が噺全体を何ランクも引き上げた高座、サゲもしっかりと効いて出色のものとなりました。

中入り

☆桂 こごろう「青菜

季節的にも定番の噺。それだけに演者の工夫が高座を分けるような・・・。

こごろう師匠の植木屋さん、ほんとうにはまっているのですよ・・・。「野崎まいり」のときにも感じたのですが、噺にライトを当てるというかある種の明るさと軽さが噺を浮揚させるようなところがあって、それが植木屋さんの人物の好感度をアップさせている・・・。

それと、おかみさん、押入れにいれられて、出てきた後の描写を思い切りリアルに演じるのです。これがねぇ・・・、効くんですよ。ぜいぜい息をしているその姿に観ているほうは色がモノクロからカラーに変わったような臨場感の違いを感じる。その世界でもう一度押し入れに入っていくから、もう笑いを抑えきれない。

個人的には、すごく昔に仁鶴師匠のものを観ていて、そのイメージがずっと残っていたのですが、それがうん十年ぶりに塗り変わりました。

☆林家 花丸「幸助餅」

上方落語ではあまり聴かない人情噺、初めて気がついたのですが、関西弁での人情噺というのは、江戸物よりも情が深く入るような感じがします。言葉のもつ特性なのでしょうか・・・。

花丸師匠、最初は淡々と物語を進めていきます。そこに少しずついろんな感情が色付けされていく感じ、主人公の感情表現がやや強めでそれが噺の重さにしっかりとマッチしている・・。主人公と昔からよしみの、今は江戸の大関、雷五郎吉が実に上手く表現できていて、噺の密度をぐっと上げます。裏切りにも思える言葉が持つ破壊力のようなものがもろに観客を襲ってしっかりと観客の心情をつくる・・・。そこで、妹を郭にうった男と観客の想いがおなじベクトルを向くのです。ここがこの噺の肝、その表現が実に丁寧で、でも決して守りに入っていない・・・。だから最後に感情が解けるときに観客は大きく満たされる。

花丸師匠の色が本当に似合う噺、でもその先をしっかりと作った花丸師匠の大きさを感じたことでした。

いつものことながら大満足のラクゴリラ、本当に堪能いたしました。

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「轟きのうた」の手作り感(鹿殺しオルタナティブ プチ感想)

ちょっと遅くなりましたが・・・

7月13日、ソワレで鹿殺しオルタナティブ「轟きのうた」を見てきました。劇場の楽園は2度目・・・。ただ、鹿殺し的な劇場つくりがなされていて前回より空間がずっと奥深く思えました。柱がインパクトありすぎ・・・。

坂本けこ美の個性豊かな前説放送にちょっと心を緩めていたら、実に濃密な時間に劇場全体が包まれて、いきなり圧倒されてしまいました。

(ここからネタばれがあります。公演期間は終了していますが、ご留意の上お読みください。)

神々の話からはじまります。付録つきの科学雑誌のおまけで人間が出来たというあたりから素敵に胡散臭いのですが、その胡散臭さが不思議と物語の輪郭を観客に指し示すことになります。固定化された才能を示す友人達の手の形状、時間の流れにも似た砂の舞台、エヴァンゲリオンの世界が、少年が自らの殻を打ち破る姿をアニメーションで表現したように、演劇空間でしか表現し得ない内面世界が次第に現出していきます。砂の舞台、血のにおいを感じるようなある種のデフォルメ。入り口付近に作られた小さな舞台が効果的に活用され、主人公の真理状況がまるで裏と表をひっくり返すように物語の登場人物に代位され語られていきます。

感心したのは、作り手が表現しようとする概念を具現化するための徹底したこだわり・・・。小さい劇場で砂を使ったりカーテンを利用したり、演技にも擬音をちりばめたりメリハリをしっかりと付けて、観客の目線を自分の視点に引き入れていきます。それは、小さいことの集積、たとえば松明の火をめらめらと声を出して表現することで広がる厚み、色、音、小道具達・・・。それらが溶け合いながら、主人公の内面と共鳴していきます。

昔々、同じような肌触りをもった芝居を観たことがある・・・。六本木から西麻布に向かう途中にあった自由劇場のお芝居・・・。テイストは違いますが、表現についての姿勢に同じ匂いを感じました。空間の狭さを逆手に取った、観客の五感すべてを揺らすようなお芝居・・・。

丸尾丸一郎演出の「狂人教育」の時にも感じたのですが、彼の作る芝居には感覚をダイレクトに伝えるような力があって、一方で葉月チョビの演出はその力をまっすぐに観客に伝えるためによい意味で手段を選ばないところがある・・・。それぞれのシーンに自由で創意に溢れた表現があって、観客をどんどん呼び込んでいくのです。

泥臭い部分もあるのですが、インパクトは抜群。鹿殺しパワーのなかにどっぷりと浸ることができました。

役者もよかったです。一人ひとりの役者が自由闊達に抑制されている感じ・・・。強い個性がしっかりと統制されて舞台が大きく力を蓄えていくような・・・。

しいて言えば、演出を兼ねる葉月チョビのお芝居が、ちょっと調和に気を使いすぎているような感じもしましたが・・(もっとはじけても大丈夫かと・・・)。それはそれできちんとした効果があったようにも思えるし・・・.

新生「鹿殺し」、しっかりと力をためている・・・。10月末の本公演が一層楽しみになりました。

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楽しい!「アリス」じゅんじゅんScience

7月13日 吉祥寺シアターで、じゅんじゅんScience「アリス」を観ました。1時間のパフォーマンスの楽しいこと。ダンスを見ているという感覚をはるかに超えた世界が現出して時間を忘れて見入ってしまいました。

(ここからパフォーマンスの内容が含まれます。ご留意の上お読みください。)

ヴィヴィドなシーンから始まります。たかぎまゆが舞台に現れると、それだけで広い吉祥寺シアターにぱっと花が咲いたよう・・・。彼女の特徴であるメリハリある身体の動きが観客を一気に舞台に引き寄せます。フレンチの小粋な音楽と一瞬にして溶け合うと頭からつま先までの動作が舞台装置のほとんどない空間に色を散らしていきます。動が観客を揺さぶり一瞬の静止が彼女のキャラクターを観客に印象付けていきます。

伊藤キムのウサギにもちょっとびっくり。懐中時計をしてスーツを着てあわてているウサギではなく、野生のやくざっぽくて臆病なウサギ・・・、ちょっと強面で威嚇をして見せるけれどアリスはお構いなしに追いかける・・・。たかぎまゆから溢れてくる少女の好奇心に観客はもうわくわくです。

舞台に座っていたじゅんじゅんも登場・・・。派手さはないのですが、着実な動きが観客をすっと落ち着かせます。

さらに、森川弘和が登場して、4つ巴の追いかけっこが始まるのですが、これがすごく創意に溢れていて目が離せないのです。ルーティンを細かく織り込んだり、ユニゾンを少し崩したような豊かな表現を伴った動き・・・。観客がすてきに期待を裏切られる一瞬の仕草、ルーズなユニゾンのような動きの上に、個々の表情が残像を描いて暖色の舞台を作り上げていくと、そこからさらに複雑な振付へと発展して、観客はわくわくするような高揚感のなかで舞台に巻き込まれていきます。

彼らの鍛えられた動きにはノイズがなくくすみがない・・・。ひとつひとつのシーンがすごくクリアにやってきて、彼らの身体が作り出す小さな角度や鋭さや動きの強弱がそのまま観客を魅了していきます。時に俊敏で時にやわらかく、しかもゆとりを持った動きにはウィットのようなものがあって。精緻な動きから湧き出してくるようなコミカルさに客席から笑いが溢れて・・・。しかし、時にはなにげにクール、たとえば鏡を想起させるようなシーンが持つしなやかなテンションが観客の心をさらっと引き締めたり・・・。とにかく観客を休ませない・・・。

さらに映像が合体すると、表現の幅がますます広がっていきます。椅子の使い方もすごくおもしろい。映像を絡ませたシーンの中にアリスの天真爛漫さがくっきりと浮かび上がって・・・、さらに小さな椅子と普通サイズの赤い椅子を使ったパフォーマンスでは、まる壁の節穴からスモールワールドを眺めるようなどきどきがあって・・・。また、映像と同化したダンスの精緻な動きには一部のずれもなく、映像と現実が虚実の綾織りのようになって、観ているほうが無心になって見とれてしまう・・・。

そして、なによりも最後のシーン、まるで夏休みの子供達、一列になって自分達だけの路地を抜け、柵をまたぎ、時にはすばやく、ときにはゆっくりと、自分達の遊び場を駆け巡るように更新していくのです。ダンサーたちの動きに入道雲を白く照らすような夏の日差しを感じる。心地よい風や冒険心を思い出す。いつまでも続いているような時間の感覚が広がる・・・。そう、終わらないでほしいと思うような時間がそこにあるのです。

楽しい!!。観ていてなにかが解き放たれるような・・・。

モダンダンスよりさらに緻密なシーンの表現を作り上げるじゅんじゅん流の振り付けの豊かさ、一瞬にして全身にキャラクターを宿らせるたかぎまゆの深い懐を持った表現力、俊敏でありながら質量を持った動きで空間をひろげる伊藤キムの力感、ダイナミックな動きと美しいバランス力に踊ることの根源的な迫力を感じさせる森川弘和・・・。彼らのしたたかで瞠目するような才能は誇示されるのではなく、浸潤するように彼らが織り成す世界へと観客を包み込んでいくのです。

べたな言い方ですが、立ち去りがたいような想いでアンコールの拍手を続けたカーテンコールでありました。このユニットのパフォーマンス、是非また観たい。きっと駅に向かう観客の共通した気持ちだったと思います。

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「み み」東京ネジが重ねていくシーンの先は・・・

7月11日ソワレで東京ネジ第10回公演「み み」を観ました。東京ネジ初見、劇場のアトリエヘリコプターもはじめて・・・。町工場の匂いをそこはかとなく残したこの劇場は、階段をあがっていくだけで機械の音がしてきそう・・・。でも実際には広さがしっかりと確保されたナカナカ魅力的なスペース。

その広さのなかで演じられたお芝居には、ちょっと不思議なテイストと展開がありました

(ここからネタバレがあります。十分にご留意の上お読みください)

比較的静かに芝居が始まります。ソファーで耳かきをしてもらう中年の男と耳がすこし不自由そうな女性。女性がすこし不安定な感じで、ふっと幻想のようなものが現れて・・・。。続いて彼女を取材する男と女性の会話。さらにやってくる幻想の世界は彼女の幼いころの思い出。男が勤めている会社の会長とその妻、不倫相手・・・。すすっと観客を引き入れた舞台では、ルーズに関係する断片のようなシーンがゆるい関係性のなかで積み上げられていきます。おとぎ話のような過去の世界もあれば少し前の話や現実の世界も・・・。ただ、それぞれの場面には繊細な中に柔らかな透過性を持っていて、シーンの重なりに少しずつ厚みが増していくたびに、観客には個々のシーンでは見えない絵柄が浮かんでくるのです。中盤までの一つずつのシーンには深い感情移入もなく、どちらかといえば淡白なのに、観客は柔らかく質量を増していく舞台の世界から目が話せない。

いくつも色や図柄の重なりによって作られた絵柄は、中盤をすぎるころには次第に2次元から3次元の感覚に姿を変えて観客に伝わっていき、3次元の世界には光の濃淡や時間軸が生まれて観客の心を女性の想いに塗り替えていきます。小さいころの思い出、名前でいじめられたこと、初恋、耳をほめられたこと、勤めていた会社での現実、不倫、うわさ・・・・。心を閉ざしたこと・・・。電池が切れるほどのコールをしてでも相手のことは何も聞いていない彼女のクライアントのエピソード・・・。彼女の内側が瑞々しく観客の内側に同化していくうちに、底知れぬ不安や自分を支えきれないような感覚が透き通ったミストのように観客に伝わっていきます。一見無表情に重ねられたシーンに潜んでいた精緻なたくらみに観客はすっぽりと引き入れられてしまう・・・。

彼女の感覚がそこまで伝わっているから、取材する男がラスト近くで彼女に書き綴る幻想の続きにあざとさがないのです。彼の言葉が彼女にかかった呪縛を解くのと同じようにそのまま観客を解放していきます。透き通った一つの空間として存在する断片的に語られた多くのシーンに、自然光がすっと差し込むような感じ。そして舞台が残す余韻に柔らかい癒しが残って・・・・。

暗転して終演となり、彼女の過去と今を俯瞰しながら、観客もふっと彼女と同じ旅をしてきたような気持ちで拍手をすることになるのです。なんとなく心の中に彼女の世界に触れたときの感触を残したままで、観客は家路をたどることになるのです。

役者のこと、まず佐々木なふみの作り出す色が絶妙、物語の基調は彼女のトーンでしっかりと支えられていました。間の取り方や言葉を飲み込むときの時間の置き方が本当に見事・・・。ため息が出るほどでした。佐々木富貴子は一見押し出すような演技でしたが、一方で佐々木なふみとの因果をしっかりと見せるような繊細さがありました。ある種の伏線になるような心の動きが実に丁寧に演じられて、物語の背骨を作り上げていました。窪田道聡の演技も佐々木なふみの演技にすっと馴染むような抑制があって、それがラストちかくのシーンに説得力を生み出すことになりました、好演だったと思います。彼が、綴った物語を読む声もすごくよかった・・・。

堀越涼は、先月の柿喰う客の公演でも抜群の安定感がありましたが、今回も演技にクールさと加えて艶を持った滑らかさがあって、役のキャラクターをしっかりと見せていました。両角葉の演技の芯の太さも物語にぞくっとするようなリアリティを与えていました。彼女の芝居はボディブローのように重く鈍く観客に響く・・・。彼女の台詞から、気がつくとちょっとエスカルゴが食べにくくなっているような・・・。

中村真季子の演技には生々しい実存感がありました。キャラクターに与えられた概念をそばにいる息遣いに変えるような力・・・。ひとつずつのシーンでの心の表現の丁寧さが、彼女の最後のシーンのしっかりとした重さに繋がっていました。

実存感という意味では太田みちにも鮮やかなリアリティがありました。人を喰ったような態度に力みがないし、キャラクターがすっと立つ。2日目ということでしょうか、すこしだけ演技に硬い部分もありましたが、それは回を追って良さへとかわっていくような感じがしました。

一方デフォルメされたキャラクターを見事に演じきったのが清水那保印宮伸二。清水は現実をしっかり見通すような知性をモラトリアム少女の容姿に上手く編みこんでみせました。彼女の猫っぽい言葉は男性にとって生理的に心地よく、そのずるさがしっかりと役柄が持つべき魅力に変換されていました。一方、印宮には男が持つかりそめの知性のもろさをナチュラルに表現する力がありました。追われる立場から追う立場への変わり目にも見ごたえがありました。

大塚秀記空間ゼリーの「私わからぬ」のときが初見で、その時は斉藤ナツ子嬢との豊潤なやり取りに息をのんだのですが、今回の演技でもその力は遺憾なく発揮されていました。佐々木なふみとの会話のなかでは彼女の繊細さをしっかり浮かび上がらせ、清水那保とのシーンでは家庭の色をすっと作り上げる。さらに中村真季子との短い絡みで彼女をドアの内側への追いやるシーンでは、一瞬にして彼女の立場を観客に想起させる・・・。しかも彼の演技は単純に一つのシーンでの空気を染めるだけでなく、積み重なっていくシーン間のばりのようなものをすっと消していくのです。また、幻想の中での犬としての演技では他の演技で見せていた背後の広がりをすっと消してキャラクターの色のみを押しだし、その存在感で佐々木富貴子の芝居をしっかりと受けて見せる。彼の芝居の間口の広さ、そして芝居全体を生かしていく力の確かさには瞠目するばかりです。

こういう作りのお芝居は、全体像が見えるまでの観客の引っ張り方が勝負なのかもしれませんが、役者達の演技はその関門を十分にクリアするものでした。

あと、ちょっと余談になりますが、20時の開演時間もサラリーマンにはうれしい限り・・・。仕事帰りのちょっと疲れた観客にとって、この芝居から浮かんでくる繊細さやはかなさは、あせって劇場に駆け込むだけでも減じてしまうのですが、この時間的余裕は観客に作品と向き合うゆとりを与えてくれます。まあ、その分終演後がちょっとあわただしかったですが、劇場でうだうだしているよりはちょっと長めの駅までの帰り道を歩きながらのほうがお芝居への感動も膨らもうというもの・・・。

目を見張るほどの鮮烈なインパクトがあるわけでもなく、息を呑むほどの強い印象をうけるわけでもない・・・。でも、主人公の気持ちが観客にしばらく残ったままのこのお芝居。10回目から観始めてなんなのですが、この劇団がほかにどんなお芝居をされているのか、興味を感じるような舞台でありました。

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あひるなんちゃら「父親がずっと新聞を読んでいる家庭の風景」の麻薬的効能

7月3日、サンモールスタジオにてあひるなんちゃら「父親がずっと新聞を読んでいる家庭の風景」初日を見てきました。あいかわらずのあひるワールドにどっぷりひたって・・・。たっぷりくすくす笑いをして、ゆっくりとコンテンツから滲むものにいろんなことを考えてしまいました。

(ここからネタバレがあります。ご留意ください)

まず、オープニングの音楽が大サービス、「あひるなんちゃら」の濃いテーマが惜しげもなくあんなふうに替えられてしまうなんて・・・。もうこの時点で「あひるなんちゃら」リピーターはわくわくしてしまいます。

テーブルが舞台の中央に斜めに置いてあって、その手前に古びたテレビのお尻が見えます。シンプルな装置、明転下瞬間は舞台がちょっと広すぎると思えるように思えたのですが、しかし、芝居が始まるとそこは人間くささに満たされて、不可思議な怠惰さとぬくもりがある家庭の空間へと変身します。いつものあひるなんちゃらトーンで積み重ねられるすこしずれた会話のなかで、登場人物のプロフィールが明らかになっていきます。

そこになかば理不尽に北京オリンピック聖火ランナーを目指して特訓する親戚の子供やそのコーチが現れたり、お隣さんが挨拶に来たり・・・。暗転で区切られたシーンが小気味よく連続して、観客は物語の価値観でいろんなことを観せられて・・・。気が付けばそれらが積み重なってあひるワールドに完全に染められてしまっている・・・。

チープな世界ともいえます。でもそれだけではかたずけられないような何かが観客を引き込んで離さない。そもそも、現代の縮図のような家族なのですよ・・・。年金未払いの父親にモラトリアル真っ最中の姉、横文字の肩書きをつけてテレビを見続ける引きこもりの兄、そして一人給与所得者の妹が丸抱えで支えて・・・。ドリカムが裸足で逃げ出すような年の差婚の父親と継母まで含めて、突飛な設定ではなく、ちゃんとありえる世界が描かれているのです。でもみんなどこかベクトルや価値観が違っていて、それが比較的短いシーンの中で次々とすり合わさっていくたびになんともいえない突っ込み感や不協和音がやってきて、で、不安定な感じなのになぜか動じない登場人物にふっとなごんだ笑いが湧いてくるのです。

したたかな芝居だと思います。日常生活のいろんなテイストが、当たり前の感覚と登場人物の感覚のズレをなにげにつないでいく。まるでテレビを思いっきり叩いて画像が変わるように、さまざまな変化に微妙についていけない感じがありながら、一方で、それでも日々の生活はまわっていく!!的な妙な力強さがあって・・・。なにか、ちょっとゆるい慰安がゆっくりと観客を包み込む・・・・。

芝居の本質にはすごくシニカルなトーンが内在されているのですけれど、それがスパイスになってさらに慰安が強調されていく。この作りこまれた多層的な味わいが観客をゆったりと舞台に引き込んで行くのです。

役者のこと、根津茂尚黒岩三佳の演技がまずしっかりとしていて、初日にも関わらずタイミングが絶妙でした。相手の頬を打つ黒岩にも力感がありましたが、なんといっても黒岩のテレビの叩き方が絶品、繊細な演技にこういうパワーが加わると、もう鬼に金棒という感じがします。父親役の青木十三雄のどっしり感もなかなかのもの。何の根拠もないのですが、彼が新聞を読むことに必然性を感じてしまう。

異儀田夏葉も作りこまれた能天気さが、つっこみと絶妙の配分で・・・。コメディーにおけるボケ側をコントロールする役割をきっちりこなしていました。日栄洋祐、佐藤達はちょっとあざとい感じがよく出ていて・・・。関村俊介の居心地のわるい存在も絶品でした。ビールを飲むときの無表情さがとてもよくて、花色木綿のような表現ですが物語のトーンに丈夫な裏地を付けていたように思います。。

篠本美帆も実直ななかに人を喰ったようなつっぱりがあって好演、宮本拓也は体を張っての怪演の部類でしょうか。

役者の見事なさじ加減に笑いがやわらかく満ちる・・・。そして、笑いが溢れ出したあとにある種の真実がしっかりと残る・・・。観客は役者が揺らすぼけとつっこみの満ち干に揺られながら、ふっといろんなことを考える・・・。舞台全体の空気や流れが何気に思えるのに、実はいろいろと後を引くような厚みが観客を魅了する作品でありました。これだからあひるさん、やめられないのです。

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「A Midsummer Night’s Dream」シェークスピアは本来こんな風に楽しいのか!

6月29日、雨の日曜日、池袋の東京芸術劇場中ホールに北九州芸術劇場プレゼンツ「A Midsummer Night’s Dream~TheじゃなくてAなのが素敵~」を観てきました。

昔々、サードステージプロデュースの「真夏の夜の夢」を見たことがあって、それは当時としてはとても革新的だった印象があるのですが、今回はそれよりも数段チャレンジング。でも、芯をしっかりとらえた極めてまっとうな作品でもあったような。

楽日でしたが若干の空席がもったいない感じ・・・。G2さんやるじゃん!と声をかけたくなる誠実さと斬新さがこの作品にはありました。

(ここからネタばれがあります。ご承知置きのうえお読みください)

話の筋はまさに「真夏の夜の夢」です。シェークスピア独特の美しい修飾に満ちた言葉もそのまま・・・。しかし’60Sを思わせるようなポップな衣装、役者達のシェークスピアの時代とは異なる今様な演技、原作者の名前など観客の頭から3分で飛んでいってしまいます。

2組の男女の顛末、役者達の演技のヴィヴィットなこと・・・。ファッションもそうですけれど、心情や言葉に形式ばったところがまったくない・・・。妖精のいたずらで、心変わりしてしまう男達にたいしての、女性達のキレ方など、もう半端ではなく今の時代のテイストで、なのに、シェークスピアの言葉が無理なくはまっていく・・・。演技からやってくる感覚は完全な現代劇・・・。大爆笑という感じではないけれど、物語の顛末でしっかりと今風の笑いが取れているというか、観ていてあきない。妖精達の戯れもなぜかキュートで、道化っぽい仕草も古びた感じがまったくなく洗練すらあって・・・。

で、観客はシェークスピアを観ていることなんて忘れてしまうのですが、シェークスピアの構造のなかで真摯に物語は進んでいくのです。観客は台詞の響きの美しさに耳をそばだて、台詞たちから垣間見える人の思いにうなずきながら、紡がれていく今感覚の物語の味わいを楽しむという趣向、シェークスピアの物語が、21世紀の質感のまま観客の脳裏に積み重なっていくのです。

「恋に落ちたシェークスピア」という映画を観て以来、シェークスピアの演劇というのは、初演の当時からそんなに高貴なものではなく、当時としては現代的な感覚をもった作品だったのだろうと素人なりに考えていたのですが、今回のお芝居は「ああ、その当時の観客はこんな感覚で彼の演劇を楽しんでいたのね」と、その考え方を妙に後押ししてくれたような・・・。

で、納得したとたんに、豊潤な面白さがジュワっと滲み出してくる。丁寧に埃やカビを払えばシェークスピアの世界からはピカピカの普遍性が輝き始めるのです。畏敬の念を持ったり形式に囚われたりするといきなり魅力が半減するけれど、G2のような物語の磨き方をすれば、普段着のままの観客を強く魅了する力が一気に現れる。まあ、G2は、ひたすら実直にシェークスピアの世界を表現しただけなのかもしれませんけれど・・・・。

終わり近くのの素人芝居の部分だけは、ちょっとシェークスピアの呪縛から逃れそこなったようで、それまでの物語の流れからちょっと浮いてしまった感もありましたが、最後のパックの口上も気負いなくしっくりとはまって・・・・。4世紀ほども延々と演じ続けられてきた戯曲とはとても思えない、洒脱でどこかソリッドな世界をたっぷりと楽しんで・・・。関西弁の瑞々しさのようなものが、スパイシーに舞台の味わいを深めて、あっという間に2時間少々が過ぎていく感じでした。

役者達も期待を大きく上回る出来で・・・。一番驚いたのは神田沙也加、舞台度胸がよく、見ていてぐいぐいと押していくような気持ちよさがあるし、演技の線がしっかりと太い。で、なによりも演技に安定感があるのです。キャパ一杯でやっているのではなく演技に十分なゆとりが感じられて・・・。彼女の芝居でこの舞台の奥行きがずいぶんと広がった感じがします。

宝塚出身の樹里咲穂も非常に魅力的でした。スレンダーな肢体とポップな衣装を色香と共に着こなす一方で、関西風コメディエンヌのセンスも持ち合わせている。可憐な雰囲気を持ち合わせながら、歌も芝居もゴング桑田の濃い色に負けていない。

それから出口結美子もよかったです。その実直な演技を自分の色でナチュラルに演じている感じ。演技にしなやかさがあってそれも魅力。

ゴング桑田、Piperの山内圭哉、竹下宏太郎といったところは、自分の味を渋くじっくりと出した感じ・・・。物語としての要所をしっかりと締めながら、大阪弁の勢いが何かを解放している感じがまたよいのです。竹下のさりげないダンサーとしての動きや山内のギターも力がありました。マジでかっちょいいのですよ。陰山泰の渋さにも言い知れないよさがある・・・。楽日ということで多分山内にいじられていたと思うのですが、それを味にもっていくような渋さが演技にあるのです。植本潤のはじけ方はちょっと硬質な感じがするのですが、彼の芸というか技も、周りの自由闊達な演技を守り立てるように生きて・・・。アドリブもあったのではと思うのですが、そういう遊びをすっと浸潤させるような大きさが彼の演技力にはありました。

職人チーム兼妖精チームはどちらかというと原作寄りというか型のなかで動くような演技も多かったのですが、でも彼らの足腰の据わった演技は他の出演者達のキャラクターを動かすスペースというかトーンを作っていたような・・・。それは、藤田紀新谷真弓といった役者達の手堅い演技の果実なのかもしれませんが、なんとなく、はちゃめちゃなことをやっているように見えても、実は舞台をちゃんと安定させているのです。意外だったのは、もっとはっちゃけるかと思っていた葉月チョビ、彼女の演技の実直なこと。要所を後方からぐっと締めるような・・・。、目立つのではなく舞台のベースを築くような感じの演技には浮いたところなど皆無で、それどころか舞台全体を見据えたような貫禄を感じました・・・。歌も秀逸で、舞台をやわらかく染めるような歌もあって、この人はやはり只者ではないと感じたことでした。権藤昌弘は初見ですが、彼も演技はとても誠実で・・・。小松利昌などはその安定を充分に生かして自分のペースでの芝居をしていたと思います。

「地獄八景浮世百景」のときにも感じたこと、G2演出の舞台にはどこか透き通ったトーンがあって、そのトーンが物語のもたもた感をすっと軽くしていくような力を持つのですが、今回はその効果がより鮮やかになっているような印象・・・。

なにか、こういうシェークスピアだったら、胃にもたれず肩も凝らず、いくらでも楽しめそうな・・・・。次あたり、このトーンで「じゃじゃ馬ならし」でもやってもらえませんかねぇ・・。

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