空間ゼリー「IdoIwant」が醸す苛立ちの秀逸
6月14日、サンモールスタジオで空間ゼリー第10回公演「IdoIwant」を観ました。サンモールスタジオははじめてだったのですが、地下劇場の閉塞感がすくなく、一方で舞台に近いことでの臨場感もたっぷりと味わえる空間・・・。階段を下りていく段階ですでに、物語の片鱗を感じるディスプレーがあったり観客をしっかり芝居に導くような工夫もあって・・・。
で、静かに始まった物語は、漏斗のように観客を引き込み、その世界に観客をしっかりと浸潤させるものでした。
(ここからネタバレがあります。十分ご留意をお願いいたします。)
したたかな脚本です。様々なキャラクターが縒り糸のように織り込まれて、大学の文化祭の日、マンガ研究会の部室の風景が作られていきます。
乱雑にコミックやコミック系の雑誌・同人誌、さらにはフライヤーなどが散らかった部屋、その世界の日常を切り取ったように舞台が現れ、次第に登場人物個々の世界がクローズアップされるように観客に伝わって、物語が広がっていきます。
13人の登場人物、80分の上演時間、にも関わらず、舞台に現れるキャラクター一つずつが、息を呑むほどくっきりとした輪郭で観客に入り込んできます。ルーズに存在する先輩後輩の関係や創造や鑑賞を好むジャンル、さらには容姿や自らの心情の表し方、様々な要因が、それぞれに強度を持ちながら重なり合ってネスト(巣)のような世界が現出するのです。
微妙な空気の張り・・・・。そこは外にそれぞれのベースがある各メンバーにとって必須ではないけれど必要な場所・・・・。
その世界へのそれぞれのかかわり具合、それぞれの許容範囲、受容しうるもの、受容することができず外へと向かう想い・・・。アラベスクのようにネストに絡まる様々な感情・・。
作家の坪田文は、個々の登場人物の中にある想いをひとりとして落とすことなく、ネストにつないでいきます。価値観のカオスが存在する中で、ネストの排他性、ネスト内での確執、ネストの他の価値観を凌駕しても満たされない苛立ち、そしてメンバーたちのネストへの愛着などが、坪田の繊細な描写の元、鮮やかに浮かび上がっていきます。芝居の間口や尺の中にぎりぎりの密度にまで重ね合わせたキャラクターたちの物語が、観客の視点を釘付けにしていきます。
決してまったりと平和なだけの空間ではありません。漠然とした不快さに誰かが繰り出した刃、それを受け、自らを守った刃がそのまま相手を突き切る刃に変わる・・・。あるいは守る盾、他への無干渉、奉仕・・・。その空間は、腐女子やBLといったデカダンスに近い感覚が恒常的に語られたり、時にはネガティブな匂いもする・・・、でも描かれているもののコアはもう少し奥にあって・・・。
個々のベクトルが違っていても、苛立っていても、シニカルであっても、あがくように見えても、だからといってそのメンバーが誰一人自分がしたいことを放棄しているわけではない・・・・。それぞれが自分の意思を捨てずに過ごしている姿に、間違いなく瑞々しさが存在するのです。蛹が羽化のために、背中が割れる時も見えぬまま力を蓄えているようにもみえる。蝶がでるか蛾がでるかはわからないけれど、自らのコアの部分に対する妥協はしていない。
でも、モラトリアムにもきっと終焉があるわけで、妥協をしないままでいることへの形のない軋轢に言葉にならない苛立ちが伝わってきて・・・。
終盤の一シーン、ネストの中で卒業が見えてきた女性が男性に想いを告白します。バックに流れるのはラヴェルの「ボレロ」、止められないような高揚感を支えられたその告白の結末は気が抜けるようにコミカルなのですが、そのシーンのあと、様子を見ていた同期の二人に語る女性の言葉が、鮮やかに観客の心を掴みます。3人の女性の想いがふっと重なる中で、蛹の背中にほんの少しだけ裂け目が出来る音が聞こえたような・・・。
院生の先輩が説教をしながら片付けたコミックの山を、下級生が苛立ちの中で、自らがしたいように崩すラストシーンにさらに目を奪われて、終演の闇がやってきても、舞台から伝わってきた感覚がそのままのこって・・・
これまでに観た空間ゼりーの公演同様、ドラマの構造から瞠目するような感覚を醸成する坪田作劇の秀逸さを実感すると共に、舞台にあった様々な想いがすっと記憶に刷り込まれたような感覚から演出の深寅芥の卓越した手腕を感じたことでした。
役者のこと、細田喜加や佐藤けいこの演技には、観客をすっと引き上げるような強さがありました。芝居に脂がのっているというのでしょうか、ここ一番のせりふに柔らかなグルーブ感を感じました。猿田瑛も空気にすっと入り込むような滑らかさに磨きがかかった感じ。また、北川裕子の持つ存在感には今回も目を奪われました。猿田にしても北川にしても、自らが観客の視線を集める演技ばかりでなく、それ以外の時間にも舞台の上で場を作る演技がしっかりとできていて・・・。舞台の密度をしっかりと支えていたように思います。
塚田まい子には細い線を長く描くようなデリケートさがあって・・・。その延長線でうまく終盤の秀逸な場面を演じきっていました。また、その終盤の感情表現には観客が息を呑むような臨場感がありました。西田愛李の演技には積み重ねるような実直さを感じました。その積み重ねがしっかりと最後のシーンを作ったように思います。安梨美羽はまっすぐな気持ちの表現にはロールが持つ無垢なとまどいがしっかりと感じられて・・。また彼女にはすっと観客の目を惹き付けるようなある種の天性もあるような・・・。
斎藤ナツ子は冷徹な視点と自らのペースを持った女性を好演、彼女の演技には与えられたキャラクターを超える幅までをカバーするような部分があって、今回もやわらかな表情の動きから、せりふの背景が透かし彫りのように伝わってきて・・・。前回好演に続いて彼女の非凡な演技の力を、目の当たりにしたように思いました。岡田あがさも同じく出色の出来で、肌にまで感じるような苛立ちをしっかりと他の役者や客席に伝えていました。岡田が紡ぎだす、すこしくぐもったようなやり場のない感情には、デリケートな色づかいがあって、それが動作や表情やタイミングで息を呑むほど見事にコントロールされていました。
客演の男性陣も安定していましたね・・・。大竹甲一が演じるキャラクターの要領のよさには歪みがなく、観客を納得させる力がありました。安部イズムも表現すべきある種の図太さを、しっかりと演技で支えきった感じ。成川知也には落ち着きとナチュラルな感情のコントロールがあってロールが持つ曖昧さと戸惑いがとても自然に感じられました・半田周平には感情表現の硬軟を瞬時に操るような器用さがあって・・・。しかも芯には鋼のような意思を感じさせるだけの力を秘めた演技でした
前述のとおり、それぞれが演じるキャラクターが繊細な輪郭で観客に伝わってくる。そして、彼らがもつ感情も鮮やかに輪郭に乗ってくる・・・
帰り道、新宿大通りを歩いていても、舞台からの感覚がなんとなく抜けないのです。様々なベクトルを向いた感情が重なり合って醸し出す、テイストとでも言うのでしょうか・・・。
良い要素がいくつも重なり合って、空間ゼリーの第10回公演は、それほどまでに見ごたえのあるお勧め舞台でありました。
この公演、もう一度観ようとおもっています。一度の観劇じゃ、あまりにもったいないですから・・・。
R-Club
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