「ぐるりのこと」日々が積み重なることの豊かさ
6月13日渋谷シネマライズで橋口亮輔監督の「ぐるりのこと」を観てきました。元ポツドールの安藤玉恵やカムカムミニキーナの八嶋智人など、役者の魅力に惹かれて見に行ったのですが、ひいきの役者さんのすばらしさを堪能するだけでなく、大きな豊かさをもった作品にめぐりあう幸せを感じることになりました。
(ここからはネタばれがあります。十分ご留意をお願いいたします)
リリー・フランキーが演じる夫と木村多江が演じる妻の約10年間の物語です。
二人が結婚したばかりのころ、夫が靴修理のバイト生活から抜け出して法廷画家と絵画教室の先生で生活を始めたころから、子供を失い職場のことなどもあって妻が心を病み夫も仕事にとまどいながら毎日を暮らしていた時期、夫の生活が安定してまだ心を閉ざした妻を支えていた時期、そして妻が次第に安定を取り戻し二人がしなやかな信頼関係の中で暮らし始める日々までを、その年代と共に描いていきます。
この映画、夫婦としての描写もさることながら、二人がそれぞれに持つ生活の描写がすごくしっかりしていて、それゆえ二人のその時期ごとの関係性や心情がより明確に伝わってくる。単に夫婦の表情を描き続けるのではなく、二人の家庭の外の出来事が二人の時間に結びついていることで、夫婦の密度や想いがはっきりと観客に見えてくるのです。
数ヶ月、時には1年以上隔てたエピソードの連続、個々の時間に封じ込められた夫婦の関係やそれぞれのかかえるもの、さらには法廷画家の夫を通して伝えられる時代が、まるで断片的によみがえる記憶ように重ねられ、そのたびに時代の色も二人の関係もすこしずつ変わっていきます。時代は淡々と、でも芯にしっかりとした足音を絶やさないまま柔らかくつながる。お互いの角がぶつかりあうような新婚時代。失った子供のこと。たとえば過去に描かれた絵によって初めて相手の心情がわかったり、一方、閉じた心から抜け出せないようになった妻に対して淡々と接する夫の心情が、細かいエピソードや態度でじわりと観客に伝わってきたり・・・。仕事の苦しみ。妻の兄夫婦の生活が、主人公の生活になんとなく影響を与えたり・・・。
中盤を過ぎるころになると、それ以前に描かれた時間が観客の心に満ちていて、単なるエピソードに漣のような波紋が生じていきます。連続しているわけではないけれど、不連続ではない。エピソードを骨組みにして主人公達の歩んできた日々が観客に柔らかく積まれていく感じ・・・。気がつけば描かれない日々の重さが観客の心にゆっくりと浸潤していく。
果実のように成熟していく夫婦の関係、でも果実が成熟していく姿は決してたおやかでもなければ美しくもないのです。夫婦は簡単に熟れるわけではない。雨に打たれ日に晒される日常のなかでゆっくりと青い果実は色を変えていく・・・。繊細で細かなひとときの描写から浮かんでくるもの・・、まるで霧の中を歩いていくような日があったり薄日がさすような日があったり・・・。でもあるとき、気がつけば、妻の心にも瑞々しさがもどり、ヴィヴィットな色が溢れ始める。変わらないように思える日々の連続に、変わっていくものがある・・・。そのデフォルメされていない淡々とした十年の様々な色合いが観客の心にしっかりと積もっているから、畳に寝転んでちょっとおとなげなくじゃれたり、柔らかく指をからませる夫婦のたわいなく気恥ずかしくさえある姿が、この上もなく豊潤なものに思える・・・。それは歩んできた時代を俯瞰して同じ時代を生きた観客のこころと緩やかに共振していく。
観客は椅子の背にゆっくりともたれてエンドロールをながめ、10年に相当するような息をふうっと吐き、彼らの過ごした日々に身をゆだねるのです。
それにして木村多江の演技には瞠目しました。新婚当時のちょっと生真面目でわがままなところも、その後自分に篭る演技でも、逆に心の病から開放されていく姿にしても芯がぶれず、中に秘めた熱がさめない。しなやかに色や形は変わるのに、そこにいる翔子がどこまでも翔子のコアを失わないのです。翔子のコアがしっかりとゆるがないから、リリーフランキーのそっけないほどの演技にカナオの色がどんどん深くなってくる。リリーフランキーもしっかりと抑制された実によい演技でした。まったく派手さはないのですが、カナオが滲み出るような芝居が木村の色が変わるたびに重さを増していく。
寺島進、安藤玉恵の演じる夫婦も彼らの色をしっかりと出していました。寺島の演じるいい加減さには、どこかもう一歩ふみこめないようなキャラクターの気弱さがあって、それが安藤玉恵のすっと場に溶け込んでくるような演技と不思議に調和する。安藤は舞台同様の力と切れがあって、でもその切れが映画の色にすっと解けていくのです。
脇を固める八嶋智人、柄本明、寺田農、峯村リエなどの演技も本当にしなやかで・・・。印象に残るシーンや心がふっと持っていかれるようなシーンもほんとうに多くて・・・
今は、まだ柔らかい感動が心を満たしているだけですが、時間がたつにつれて、私にとって忘れられない作品になっていくのだろうと思います。観て絶対損のない、お勧めの作品です。
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