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「俺を縛れ(柿食う客)」のパワー「IdoIwant(空間ゼリー、2回目)」の成熟、

6月21日、柿喰う客「俺を縛れ」をマチネで、「IdoIwant」の2回目をソワレで観てまいりました。まったく毛色の違うお芝居でしたが、観るほうも昼夜で使う筋肉を切替えて、両方ともたっぷりと楽しませていただきました。特に空間ゼリーの今回の舞台は私にとっても記憶からきえないであろうほどの印象を受けるものになりました。

(ここからネタばれがあります。ご留意ください)

・柿喰う客 「俺を縛れ」

勢いに観客が圧倒される芝居、パワーでこれほど押し切る芝居を久々に観ました。2時間15分の上演時間全体に疾走感が充満している感じ・・・。しかし、なりふり構わずという感じではなく、そこには硬質な枠があるのです。冒頭のくすぐりのようなシーンがしっかりと後につながって物語の外枠を作っていたり、突飛な物語設定が実はしっかりとしたモチーフに裏打ちされていたり・・・・。様々な遊び心の裏にもたっぷりと観客をコントロールする根があって、スピードに目を奪われている観客のサブリミナル的な部分を搦め手からしっかりとおさえていきます。

9代将軍家重が放ったキャラクターの統制という生類哀れみの令にも匹敵するようなお達しに、翻弄される大名達、そのなかで貧困にあえぎながらも幕府に対する忠誠心溢れる小藩が、「裏切り大名」というキャラを押し付けられたことが物語を大きく動かしていきます。将軍自らに仕向けられるように始まった反乱、将軍の身近にまで迫った裏切り大名・・・、その顛末は・・・。

物語にしても、演技にしても、殺陣にしても、完成度という点ではまだ進化するスペースがあるような気がします。でも、役者達の弾けるような切れや力がそれらのゆるさを吹き飛ばすのです。振り回しているようにすら見える力にも、切先の乱れがないというか太刀筋に迷いがないく、しかも冷徹な意図がコアに内在している・・・。だから、見栄えに多少の無理や無茶があっても観客は舞台にしっかりと繋がれたままでいられる・・・。舞台上の流れにするっと入り込んで、むちゃぶりとも思える将軍のルールが引き起こす顛末にも違和感なく流されていける。レールへの信頼感を持ってジェットコースターのような物語の流れを楽しめる。中屋敷の戯曲・演出がくりだす大技/小技もしっかりはまって観客をさらに舞台に巻き込んでいきます。

物語の行き着く先は統制されるのではなく、開放されるのでもなく、暴れる素の気持ちを抑えて、抱きしめられるような中庸さの枠に閉じ込めての、フルコーラスを歌い上げるような世界。そして、それでもなおかつ残る葛藤が一刀のもとに切り捨てられる・・・。力と切れで走り抜いたような舞台が一気に色を変えて、作者のあからさまな心情が見事に浮かび上がってくるのです。

まあ、2時間を越える疾走感に身をゆだねるだけでも、エンターティメントとしての食べ応えたっぷりだし、その力がなければ表現しにくい想いがあるのも事実。

次の公演にも心惹かれるなにかが、存在する舞台でもありました。

役者のこと、堀越涼、丸川敬之の花組芝居組には芝居に懐の深さがありました。佐藤みゆきのエッジがしっかりした芝居も魅力的でした。こいけけいこの演技には落語などでいうフラがあって良い味を出していたと思います。石橋宙男、浅見臣樹、花戸祐介、さらにはの演技にも堅実さがありました。川端舞香はキャラクターを着実に演じて好演、梨澤慧以子のちょっと蓮っ葉な感じにもキャラクターの説得力がありました。梨澤が持つ華には舞台を染めるような力があって、下世話な演技との落差が良質な笑いとなっていました。森桃子は自分のペースでの仕事がしっかりできていた印象、彼女にもコメディエンヌとしての天性を感じます。村上誠基は怪演、それも突っ張りとおして観客のほうがならされてしまうような力を持ったものでした。

柿喰う客の役者達の演技は個性的でした。七味まゆ味の演技には大きさがあって、一方でなめらかさがありました。その大きさが前半と後半のキャラクターの落差をよりしっかりと見せていたと思います。コロの演技には切れのほかにちゃんと公家としての雰囲気がありました。本郷剛史もキャラクターを守る演技で舞台の色をコントロールしていました。高木エルムには朴訥とした中に潜むパワーがしっかりと観客に伝わってきて、そのキャラクターにも不思議な説得力がありました。作・演出でもある中屋敷法仁の水戸黄門はちょっとご愛嬌のような部分も・・・。

玉置玲央の演技の切れは格別です。動きの力感としたたかさを表現する力が同居するような演技、一方脆さの表現にも説得力がある・・・。切れているだけでなく観客がぐっと押されるほどの空間の支配力が彼の演技にはあるのです。

この芝居、観ている観客に快い疲れを感じさせるほどの役者の熱演があって、しかもそれが空回りすることなく機能している・・・。力技といえないこともないのですが、力技からやってくる充実感もあり、それを制御する繊細さも持ち合わせているわけで・・・。

中屋敷ワールド、たっぷりと、楽しませていただきました。

・空間ゼリー 「IdoIwant]

一週間おいて2度目の観劇。劇場にはいってちょっと驚きました。舞台の向こう側にも客席が・・・。舞台が両側から挟まれているのです。今回は劇場の奥側の客席で観覧・・・。

しかも1度目の時とくらべて役者達の位置もかなり違っていて・・・。せりふやイベントは一緒なのですが・・・。でもある種の新鮮さがあって。このような柔軟さは私のようなリピーターにとってはなにかふくらみを感じる部分もあるし、もしかしたら演じる側にも同様の効果があるのかもしれません。

芝居は、1回目の観劇時の秀逸さをそのままに、さらに役者の熟達が加わっているような・・・。前回瞠目した舞台がさらに進化していることは驚きでもありました。台本のしたたかさを同じように感じつつ、役者それぞれが満たす空間が広がっているような・・・。

私が座った位置からは、他の役者が舞台の中心にいる時にも斎藤ナツ子細田喜加の表情や感情が舞台の奥や横に垣間見え(前回は他の役者やPCでやや見切れていた)、無言であっても彼女達が舞台の空気を深く染めつづけているのが伝わってきます。舞台上の斎藤の肌理細かく、浸潤するような、絶妙な深さをもった仕草、細田の感情が積もっていく姿のしなやかなこと・・・・、しかもそれらが次の演技にシームレスに繋がっていくのです。佐藤けいこ北川裕子にしてもそう。私からはほぼ背中になる猿田瑛塚田まい子にも、ほとんど見切れてしまっている大竹甲一や、阿部イズム西田愛李も、部屋の散らかった本を整理している成川知也も・・・。単純にひとりの役者が物語を綴るのではなく、舞台にいる役者がそれぞれに色を持って空間を動かしている感じ。

この空間が安梨美羽が入ってくるシーンにも大きな説得力を与えて・・・。

一方その空間に流されない演技のテンションがシーンの中心にいる役者にはあって・・・。たとえば半田周平の凜とした演技には質量と熱があり、岡田あがさの苛立ちには舞台の空気に抗うだけの厚みとしなやかさがあって、それぞれがその空気に埋もれるのではなく、その空気に映えるだけの力を持った演技をしている。

そして、もうひとつ、役者間の思いの受け渡しも秀逸なのです。大竹甲一と塚田まい子のシーン、塚田まい子は背中で想いをしっかりと表現していて・・・、そして大竹甲一の表現の柔らかさ・・・。重さをしっかりコントロールした言葉が塚田まい子にそっと乗せられる感じ・・・。細田喜加と岡田あがさの間での成川知也が細田を支えるときの複雑な表情にもはっとするような強さとバランスがあって・・・。逆に岡田あがさとの負の思いの受け渡しまでが生々しく伝わってきます。

この舞台、良い表現が見つからないのですが・・・、観客をとりこんでいくような奥行きと深さが観客の肌にまでつたわってくるような感覚があって・・・。舞台の時間に鼓動すら感じる。作、坪田文が仕組んだドラマ構造の巧みさや演出の深寅芥の秀逸さを再確認すると共に演じる役者達の力を再び思い知った2度目の観劇となりました。

遅くなった帰りの電車のなか・・・、空間ゼリーという劇団、作者、演出、さらには客演の役者たちまで、観続けたくなるものをたくさん抱えさせてもらったことに気がついて・・・。でも、こういう感覚って芝居好きには本当に幸せなこと・・・、よい舞台を観せてもらったと思います。

☆☆☆ちょっとおまけです。21日の観劇で感じたことをもうひとつ・・・。☆☆☆

「柿喰う客」と「空間ゼリー」に共通していえること。双方とも自由席だったのですが客に対する対応がすごくよいのです。柿喰う客はキリンバズウカで好演した田中沙織さんが制作として赤のメイド服で陣頭指揮をとっていらっしゃいましたが、きびきびとした感じのスタッフは観ていても気持ちがよかったです。「空間ゼリー」も観客に対してフレンドリーな感じというかあたたかさがあり、なおかつ適切な客の誘導をしていました。良い芝居をする劇団は不思議とこういうスタッフワークもしっかりとしているようで・・・。おかげさまでとても気持ちのよい観劇ができました。

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空間ゼリー「IdoIwant」が醸す苛立ちの秀逸

6月14日、サンモールスタジオで空間ゼリー第10回公演「IdoIwant」を観ました。サンモールスタジオははじめてだったのですが、地下劇場の閉塞感がすくなく、一方で舞台に近いことでの臨場感もたっぷりと味わえる空間・・・。階段を下りていく段階ですでに、物語の片鱗を感じるディスプレーがあったり観客をしっかり芝居に導くような工夫もあって・・・。

で、静かに始まった物語は、漏斗のように観客を引き込み、その世界に観客をしっかりと浸潤させるものでした。

(ここからネタバレがあります。十分ご留意をお願いいたします。)

したたかな脚本です。様々なキャラクターが縒り糸のように織り込まれて、大学の文化祭の日、マンガ研究会の部室の風景が作られていきます。

乱雑にコミックやコミック系の雑誌・同人誌、さらにはフライヤーなどが散らかった部屋、その世界の日常を切り取ったように舞台が現れ、次第に登場人物個々の世界がクローズアップされるように観客に伝わって、物語が広がっていきます。

13人の登場人物、80分の上演時間、にも関わらず、舞台に現れるキャラクター一つずつが、息を呑むほどくっきりとした輪郭で観客に入り込んできます。ルーズに存在する先輩後輩の関係や創造や鑑賞を好むジャンル、さらには容姿や自らの心情の表し方、様々な要因が、それぞれに強度を持ちながら重なり合ってネスト(巣)のような世界が現出するのです。

微妙な空気の張り・・・・。そこは外にそれぞれのベースがある各メンバーにとって必須ではないけれど必要な場所・・・・。

その世界へのそれぞれのかかわり具合、それぞれの許容範囲、受容しうるもの、受容することができず外へと向かう想い・・・。アラベスクのようにネストに絡まる様々な感情・・。

作家の坪田文は、個々の登場人物の中にある想いをひとりとして落とすことなく、ネストにつないでいきます。価値観のカオスが存在する中で、ネストの排他性、ネスト内での確執、ネストの他の価値観を凌駕しても満たされない苛立ち、そしてメンバーたちのネストへの愛着などが、坪田の繊細な描写の元、鮮やかに浮かび上がっていきます。芝居の間口や尺の中にぎりぎりの密度にまで重ね合わせたキャラクターたちの物語が、観客の視点を釘付けにしていきます。

決してまったりと平和なだけの空間ではありません。漠然とした不快さに誰かが繰り出した刃、それを受け、自らを守った刃がそのまま相手を突き切る刃に変わる・・・。あるいは守る盾、他への無干渉、奉仕・・・。その空間は、腐女子やBLといったデカダンスに近い感覚が恒常的に語られたり、時にはネガティブな匂いもする・・・、でも描かれているもののコアはもう少し奥にあって・・・。

個々のベクトルが違っていても、苛立っていても、シニカルであっても、あがくように見えても、だからといってそのメンバーが誰一人自分がしたいことを放棄しているわけではない・・・・。それぞれが自分の意思を捨てずに過ごしている姿に、間違いなく瑞々しさが存在するのです。蛹が羽化のために、背中が割れる時も見えぬまま力を蓄えているようにもみえる。蝶がでるか蛾がでるかはわからないけれど、自らのコアの部分に対する妥協はしていない。

でも、モラトリアムにもきっと終焉があるわけで、妥協をしないままでいることへの形のない軋轢に言葉にならない苛立ちが伝わってきて・・・。

終盤の一シーン、ネストの中で卒業が見えてきた女性が男性に想いを告白します。バックに流れるのはラヴェルの「ボレロ」、止められないような高揚感を支えられたその告白の結末は気が抜けるようにコミカルなのですが、そのシーンのあと、様子を見ていた同期の二人に語る女性の言葉が、鮮やかに観客の心を掴みます。3人の女性の想いがふっと重なる中で、蛹の背中にほんの少しだけ裂け目が出来る音が聞こえたような・・・。

院生の先輩が説教をしながら片付けたコミックの山を、下級生が苛立ちの中で、自らがしたいように崩すラストシーンにさらに目を奪われて、終演の闇がやってきても、舞台から伝わってきた感覚がそのままのこって・・・

これまでに観た空間ゼりーの公演同様、ドラマの構造から瞠目するような感覚を醸成する坪田作劇の秀逸さを実感すると共に、舞台にあった様々な想いがすっと記憶に刷り込まれたような感覚から演出の深寅芥の卓越した手腕を感じたことでした。

役者のこと、細田喜加佐藤けいこの演技には、観客をすっと引き上げるような強さがありました。芝居に脂がのっているというのでしょうか、ここ一番のせりふに柔らかなグルーブ感を感じました。猿田瑛も空気にすっと入り込むような滑らかさに磨きがかかった感じ。また、北川裕子の持つ存在感には今回も目を奪われました。猿田にしても北川にしても、自らが観客の視線を集める演技ばかりでなく、それ以外の時間にも舞台の上で場を作る演技がしっかりとできていて・・・。舞台の密度をしっかりと支えていたように思います。

塚田まい子には細い線を長く描くようなデリケートさがあって・・・。その延長線でうまく終盤の秀逸な場面を演じきっていました。また、その終盤の感情表現には観客が息を呑むような臨場感がありました。西田愛李の演技には積み重ねるような実直さを感じました。その積み重ねがしっかりと最後のシーンを作ったように思います。梨美羽はまっすぐな気持ちの表現にはロールが持つ無垢なとまどいがしっかりと感じられて・・。また彼女にはすっと観客の目を惹き付けるようなある種の天性もあるような・・・。

斎藤ナツ子は冷徹な視点と自らのペースを持った女性を好演、彼女の演技には与えられたキャラクターを超える幅までをカバーするような部分があって、今回もやわらかな表情の動きから、せりふの背景が透かし彫りのように伝わってきて・・・。前回好演に続いて彼女の非凡な演技の力を、目の当たりにしたように思いました。岡田あがさも同じく出色の出来で、肌にまで感じるような苛立ちをしっかりと他の役者や客席に伝えていました。岡田が紡ぎだす、すこしくぐもったようなやり場のない感情には、デリケートな色づかいがあって、それが動作や表情やタイミングで息を呑むほど見事にコントロールされていました。

客演の男性陣も安定していましたね・・・。大竹甲一が演じるキャラクターの要領のよさには歪みがなく、観客を納得させる力がありました。安部イズムも表現すべきある種の図太さを、しっかりと演技で支えきった感じ。成川知也には落ち着きとナチュラルな感情のコントロールがあってロールが持つ曖昧さと戸惑いがとても自然に感じられました・半田周平には感情表現の硬軟を瞬時に操るような器用さがあって・・・。しかも芯には鋼のような意思を感じさせるだけの力を秘めた演技でした

前述のとおり、それぞれが演じるキャラクターが繊細な輪郭で観客に伝わってくる。そして、彼らがもつ感情も鮮やかに輪郭に乗ってくる・・・

帰り道、新宿大通りを歩いていても、舞台からの感覚がなんとなく抜けないのです。様々なベクトルを向いた感情が重なり合って醸し出す、テイストとでも言うのでしょうか・・・。

良い要素がいくつも重なり合って、空間ゼリーの第10回公演は、それほどまでに見ごたえのあるお勧め舞台でありました。

この公演、もう一度観ようとおもっています。一度の観劇じゃ、あまりにもったいないですから・・・。

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「ぐるりのこと」日々が積み重なることの豊かさ

6月13日渋谷シネマライズで橋口亮輔監督の「ぐるりのこと」を観てきました。元ポツドールの安藤玉恵やカムカムミニキーナの八嶋智人など、役者の魅力に惹かれて見に行ったのですが、ひいきの役者さんのすばらしさを堪能するだけでなく、大きな豊かさをもった作品にめぐりあう幸せを感じることになりました。

(ここからはネタばれがあります。十分ご留意をお願いいたします)

リリー・フランキーが演じる夫と木村多江が演じる妻の約10年間の物語です。

二人が結婚したばかりのころ、夫が靴修理のバイト生活から抜け出して法廷画家と絵画教室の先生で生活を始めたころから、子供を失い職場のことなどもあって妻が心を病み夫も仕事にとまどいながら毎日を暮らしていた時期、夫の生活が安定してまだ心を閉ざした妻を支えていた時期、そして妻が次第に安定を取り戻し二人がしなやかな信頼関係の中で暮らし始める日々までを、その年代と共に描いていきます。

この映画、夫婦としての描写もさることながら、二人がそれぞれに持つ生活の描写がすごくしっかりしていて、それゆえ二人のその時期ごとの関係性や心情がより明確に伝わってくる。単に夫婦の表情を描き続けるのではなく、二人の家庭の外の出来事が二人の時間に結びついていることで、夫婦の密度や想いがはっきりと観客に見えてくるのです。

数ヶ月、時には1年以上隔てたエピソードの連続、個々の時間に封じ込められた夫婦の関係やそれぞれのかかえるもの、さらには法廷画家の夫を通して伝えられる時代が、まるで断片的によみがえる記憶ように重ねられ、そのたびに時代の色も二人の関係もすこしずつ変わっていきます。時代は淡々と、でも芯にしっかりとした足音を絶やさないまま柔らかくつながる。お互いの角がぶつかりあうような新婚時代。失った子供のこと。たとえば過去に描かれた絵によって初めて相手の心情がわかったり、一方、閉じた心から抜け出せないようになった妻に対して淡々と接する夫の心情が、細かいエピソードや態度でじわりと観客に伝わってきたり・・・。仕事の苦しみ。妻の兄夫婦の生活が、主人公の生活になんとなく影響を与えたり・・・。

中盤を過ぎるころになると、それ以前に描かれた時間が観客の心に満ちていて、単なるエピソードに漣のような波紋が生じていきます。連続しているわけではないけれど、不連続ではない。エピソードを骨組みにして主人公達の歩んできた日々が観客に柔らかく積まれていく感じ・・・。気がつけば描かれない日々の重さが観客の心にゆっくりと浸潤していく。

果実のように成熟していく夫婦の関係、でも果実が成熟していく姿は決してたおやかでもなければ美しくもないのです。夫婦は簡単に熟れるわけではない。雨に打たれ日に晒される日常のなかでゆっくりと青い果実は色を変えていく・・・。繊細で細かなひとときの描写から浮かんでくるもの・・、まるで霧の中を歩いていくような日があったり薄日がさすような日があったり・・・。でもあるとき、気がつけば、妻の心にも瑞々しさがもどり、ヴィヴィットな色が溢れ始める。変わらないように思える日々の連続に、変わっていくものがある・・・。そのデフォルメされていない淡々とした十年の様々な色合いが観客の心にしっかりと積もっているから、畳に寝転んでちょっとおとなげなくじゃれたり、柔らかく指をからませる夫婦のたわいなく気恥ずかしくさえある姿が、この上もなく豊潤なものに思える・・・。それは歩んできた時代を俯瞰して同じ時代を生きた観客のこころと緩やかに共振していく。

観客は椅子の背にゆっくりともたれてエンドロールをながめ、10年に相当するような息をふうっと吐き、彼らの過ごした日々に身をゆだねるのです。

それにして木村多江の演技には瞠目しました。新婚当時のちょっと生真面目でわがままなところも、その後自分に篭る演技でも、逆に心の病から開放されていく姿にしても芯がぶれず、中に秘めた熱がさめない。しなやかに色や形は変わるのに、そこにいる翔子がどこまでも翔子のコアを失わないのです。翔子のコアがしっかりとゆるがないから、リリーフランキーのそっけないほどの演技にカナオの色がどんどん深くなってくる。リリーフランキーもしっかりと抑制された実によい演技でした。まったく派手さはないのですが、カナオが滲み出るような芝居が木村の色が変わるたびに重さを増していく。

寺島進、安藤玉恵の演じる夫婦も彼らの色をしっかりと出していました。寺島の演じるいい加減さには、どこかもう一歩ふみこめないようなキャラクターの気弱さがあって、それが安藤玉恵のすっと場に溶け込んでくるような演技と不思議に調和する。安藤は舞台同様の力と切れがあって、でもその切れが映画の色にすっと解けていくのです。

脇を固める八嶋智人、柄本明、寺田農峯村リエなどの演技も本当にしなやかで・・・。印象に残るシーンや心がふっと持っていかれるようなシーンもほんとうに多くて・・・

今は、まだ柔らかい感動が心を満たしているだけですが、時間がたつにつれて、私にとって忘れられない作品になっていくのだろうと思います。観て絶対損のない、お勧めの作品です。

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場に取り込む力、後藤ひろひと「恐竜と隣人のポルカ」、三谷幸喜「ザ・マジックアワー」

ちょっと遅くなりましたが5月31日、渋谷パルコ劇場で、「恐竜と隣人のポルカ」を観てまいりました。後藤ひろひと一流の不思議なコメディなのですが、それだけではない楽しみがいっぱい。きわめて秀逸なエンターティメントに仕上がっておりました。

それと偶々初日の夜に観ることができた三谷幸喜の映画「ザ・マジックアワー」の感想なども・・・

(ここからはネタばれがいっぱいあります。ご留意の上お読みくださいませ)

後藤ひろひと作・演出「恐竜と隣人のポルカ」

まず、劇場の入り口にK/T境界線のゲートが・・・。K/T境界線、入るときには意味がわかりませんでした。出て行くときにはしっかり理解しておりましたが・・・。K/Tが意味することと主人公家族の名前をかけた後藤ワールドの大きな枠組みがすでに劇場の入り口にできている。

場内にはいると探検隊の衣装を着た出演者の二人が客席の案内などをしている。時々ホイッスルをならして・・・。要は場を暖めている・・・。そして舞台が本番モードになるとチープなローカルテレビのスタジオから恐竜マニアのためのバラエティ番組が始まる・・・。

ちょっとアメリカっぽいテイストなのですが、でもすごくいい加減な部分があって・・・。メインキャストはかつてのアイドル石野真子(本人が演じている)・・。その司会もなんか投げやりでアバウト・・・。後藤ひろひと独特のいい加減さネタのくすぐりを笑っているうちに気がつけば物語のトーンに取り込まれています。

そこに現れるのがセミデタッチ風の2軒の家。片方は兄と妹、もう片方には夫婦が住んでいる・・・。兄と夫は幼馴染らしく、しかも石野真子の大ファン。当然に恐竜番組の視聴者でもあります。家族の描き方もどこかデフォルメされていて、なおかつ微妙にラフ・・・。観客はその世界にすっと閉じ込めてしまうような魅力に引っ張られ、しかもキャラクターを紹介するようなちょっと冗長な時間帯にも伏線が見事に埋められて・・・

で、一見冗長とすら思える二つの家族のさわりの部分に、実は伏線をしっかり詰め込んでおいて…。

で、たまたま夫が庭に花壇を作ろうとして、肥料代わりのごみを埋めるために掘り返した穴から恐竜の骨を出す・・・。しかもその骨が2軒の家にまたがって埋まっていることがわかる・・・。ここから芝居がペースを上げて突っ走り始める。

その骨をめぐって今までの2つの家のバランスが崩れ、二つの家族が争うことになります。舞台に勢いがつく中でのちょっと子供のけんか的なエスカレートぶりのおかしさ。両家にはそれぞれ大学生くらいの子供がいるのですが、それぞれの醒めた冷静な視線がおかしさに拍車をそそく。しかもローカルTV番組の流れて「石野真子」までが現場に現れて・・・。

ここまでくると、もう観客は後藤ひろひとの手のなかです。しかも、後藤さん、例によって禁じ手を平気でつかってくるのですよ。石野真子を乱発したり突然舞台に黒幕を下ろしたりするのですが、ネタがうそっぽくチープな香りがしても場内アナウンスなどがきちんとしっかり作りこまれていたり、舞台進行をポーカーフェイスというかまっとうに進めたりしてくれるから、おかしさがばかばかしさを突き抜けて・・・・、なんというか観客の底板がみごとにはずされていく・・・。

しかも、なんとなくとり散らかった物語も、最後には魔法のように観客の中に納まるのです。緻密に描かれた伏線に物語がすっとひっぱられて一つの箱に綺麗に収まる感じ・・・。そして気持ちがよいくらいに観客になにも残らない。ただ、笑って楽しんでなにかすっきりと暖かい気持ちになったという記憶が残るだけ・・。

役者も出来る人が集まった印象寺脇康文、手塚とおるともシリアスな芝居とは一味異なる筋肉で舞台の土台をしっかりと作り上げていました。彼らの抜群の安定感で観客は物語によりかかって舞台を楽しむことができました。竹内都子、水野真紀にもちゃんとその後ろの生活が見えて、舞台の風通しを良くしていたと思います。森本亮治大和田美帆とも派手さはないのですが、舞台にしっかりと馴染んでいる感じ。個性の強い役者達の間で埋もれることがありませんでした。兵動大樹も骨太な感じが石野真子のマイペースな演技をしっかりと引き立てていたと思います。

その石野真子、やっぱりだてに長年アイドルをしてはいないというか、華がありました。いいかげんな番組司会も許されてしまうような説得力があるし、市井の家庭をアイドルが訪問した雰囲気をなどもしっかりと作り出している。最後のところでアイドル衣装・アイドル振りで一曲歌う場面など、観ていてけっこうマジにときめいたり・・・。

狂言廻し役を演じた鈴木悟史藤桃子もメリハリのきいた演技で役割を十分に果たしていました。

まあ、Piperなどでの芝居もそうですが、一大エンターティメントなどと大上段に振りかぶることなく、さらっと観客を雰囲気に取り込んで、たっぷり接待したうえで満足感をおみやげに気持ちよくお帰りいただく後藤ひろひとの手腕・・・。見事というほかありません。その後ろにある絶妙な役者のタイミングや物語構成の独創性など、秀逸さを観客にはほとんど意識させず、でも裏側に仕組まれた繊細な力で観客を根こそぎ舞台上の世界に引き込んでいく。毎度のことながらもう脱帽ものです。

後藤ひろひとのPiperでの新作「ベンドラー・ベンドラー・ベンドラー」にはさらに松尾貴史という強力な爆弾も加わるそうな・・・。これは今から10月が楽しみです。

さてさて、話はかわって6月7日の夜、後藤ひろひと流の作劇とはかなり質がちがっているのですが、当代一流の戯曲家・演出家として今をときめく三谷幸喜脚本監督としての新作映画「ザ・マジックアワー」を見てきました。

三谷幸喜 脚本と監督 「ザ・マジックアワー」

三谷映画は「ラジオの時間」に始まって、「みんなの家」、「有頂天ホテル」とどこか閉塞した世界でドラマが展開するのですが、今回もその例に漏れません。さすがに前作の有頂天ホテルほどではなく、映画の撮影所や病院のシーンが少しからみますが、原則的には小さな港町での物語です。場所が限定されることによって物語には濃密さと色が生まれます。現実と三谷の描く世界の区別があいまいなままに、ギャングムービーのような世界が進行していく。今回の作品、現実の世界と三谷が築き上げるちょっとレトロな香りのする世界の距離感が観客にはとても心地よいのです。

深津絵里がいいんですよ。ストイックだったり堅物な役が多い彼女ですが、今回の歌手役には女性としての魅力が溢れていて・・・。昔のミュージカルレビューに出てくるような月に乗って歌う姿が本当に絵になっている・・・。でも、その一方でどこか今風の女性としての瑞々しい部分がちゃんと表現されているのです。その上で西田敏行が惚れることへの説得力に欠けるところがない・・・。ため息がでるほどの厚みのなかに重さをすっと消したようなタッチのすばらしさ。ほんと、見惚れてしまいました。

佐藤浩市も漫画的ではあるけれど、映画俳優というタグを付けて現実と現実離れした世界をうまくなじませる。戸田恵子にしてもそう、濃い化粧での道化のなかに人間の本音や本質を垣間見せるような演技が見事に溶け合っている・・・。妻夫木聡の少し軽くて妙に大胆なウッディアレンの映画にでてくるようなキャラクターもそう、綾瀬はるかの生真面目なところもそう・・・。この映画の登場人物はみんな昔の映画にでてくるような現実離れがあるのに、一方で今との間にしっかりとした根をもっているのです。三谷ワールドのおとぎ話のようなおもしろさと、まっとうな今が対立せずに溶け合って、それは昼と夜の間のひとときの光、タイトルとなったマジックアワーのよう・・・。「夢か現か」という言葉がありますが、映画と現実の狭間に見事な三谷幸喜ワールドがあって、その世界の外側と内側に役者達がそれぞれ足をかけて・・・。きわめて演劇的な手法でとりちがいや笑いに満ちた物語が二つの世界の行き来のなかで醸成されていく・・・。

そんな中での柳澤眞一と佐藤浩市の豊穣なシーン、観客を柔らかく揺さぶるような説得力がありました。三谷幸喜の作劇の力がもろに出ていた感じ・・・。三谷作劇が持つ、もう一つの側面がしっかり機能していた。あのシーンで観客の心が満たされるから、ラストにあるシーンも、映画を作る者へのレスペクト的な部分の嘘っぽさが、ワクワクに変わっていやみにならない・・・。観客は豊かな心持ちで劇場を後にすることができる・・・。

脇の役者達も本当に芸達者でシーンをしっかり精緻につくっていきます。映画製作のプロたちを演じる役者の生き生きとした感じ、ところどころに笑いをさらに引き立てるため、まるで西瓜へのひとつまみの塩のように、近藤芳正などのビターな演技をする役者をちりばめて・・・。ワンショットの出演者もしっかりと映画のスパイスになっているし、劇中映画の仕立てもしっかりしていて、おまけにこれでもかというくらい役者を奢っていて・・・いろんな積み重ねが三谷ワールドに展開する物語の本筋をしっかりと支えていく・・・。

最近、この映画の宣伝を兼ねて三谷幸喜や出演者がやたらテレビ等にでていますが、実際に映画を観たあとには、三谷の露出ぶりからあざといという感じは消えて、ある意味の彼の表現者としての純粋さを感じるようになりました。私には彼が単に映画の宣伝をしているというより、彼の創意に満ちた世界を楽しんでくださいとけっこう純粋な気持ちで観客を手招きしている気がして・・・・。芝居などでも感じるのですが、ある種の居心地のよさとふっと心に馴染むような高揚感が三谷の創る世界にはあって、手練というか作品に触れた観客はその感覚を共有できるような仕掛けがしっかりと構築されているのです。それは三谷が愛する豊穣な世界のおすそ分け・・・。そこには後藤ひろひとが自らの世界に観客を引き込んで楽しませるのと同じ何かがあるわけで・・・。

上手くいえないのですが、本当に観客を引き込む力のある作家兼演出家には、その力をもってできるだけたくさんの観客を自らのワールドに引き入れたいという欲望があるのかもしれません。一方、少なくとも私には、彼らの世界から香るその魅力を、跨いでとおるなどちょっと出来ない相談かと・・・。

今回、後藤ひろひと作・演出の芝居と三谷幸喜の映画を見て、彼らの手招きに誘い込まれる幸せをふつふつと感じたことでした。

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