« これだけの個性は贅沢の極み、でも溶け合って良いお味に「ガンまげ」 | トップページ | 場に取り込む力、後藤ひろひと「恐竜と隣人のポルカ」、三谷幸喜「ザ・マジックアワー」 »

太字の輪郭で描いた人をごつごつと当てていく「誰ソ彼」ジェットラグ

5月30日、ジェットラグプロデュース、「誰ソ彼」を観ました。作は吉本のお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹。ピースは南海キャンディーズなどと同期の世代だそう・・・。そして演出は先日の空間ゼリー公演で、繊細な感情表現を見事に作品に積み上げていった深寅芥

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

又吉が描いたのは、ある意味シンプルでわかりやすい物語・・・。しかし、人間の根源に巣食う真理をしっかりと内包していました。世の中には才能を持った人間とそうではない人間がいるということ。才能を持った人間が特に意識することもなく生み出していく果実が、その才能のない人間にとってはどうしても手の届かないものになる。それは、あがいても泣いても手にはいるものではない・・。作品を作り上げることもしかり、人の心を掴むことも然り・・・。たくさんの夢があるなかですべてが満たされるわけではない。自らの才能の中での折り合いをつけるしかない現実。でも満たされない苦しさは自らが満たされている領域すら侵食していく・・・。すぐ隣に現実として実っている理想と自分の手の中にある現実の差異への困惑、苦悩、自らへの欺瞞、あるいは逃避、そして溢れ出でる感情・・・。又吉が綴る物語は、ぞっとするほど冷徹な視点をもって、東京のアパートに暮らす男女の、すべてが満たされることがない日々の顛末を描いていきます。

演出の深寅芥は、又吉が作り上げた登場人物たちを努めて太い線でがっちりと表現していきます。役者たちは、キャラクターが持つ個性を前面に押し出すようにして、広がったスペースで心の動きを演じていくような感じ。線の太さは役者が表現する心の微細な動きをそのまま観客席に浸潤させるのでなく、まるで半透明の殻のようになって、キャラクターの外に現れる姿を強調していきます。ちょっと飛躍しているかもしれないけれど、輪郭線がしっかりとしたエゴン シーレの人物像を想起させるような・・・。実際のところ、これまでの深寅作品で観たような、登場人物の気持ちを丹念に積み上げるなかで鳥瞰するように世界を構築していく手法とはかなり異なった感じがしました。

しかし、舞台上ではこのやり方が見事に機能していきます。登場人物たちの、時にはガチガチと音を立てるようなぶつかり合いのなかに、一対一の関係性がベタとも思えるほどシンプルかつ強く提示され、その中からそれぞれの登場人物のキャラクターが瞠目するほど鮮やかに浮かびあがってくるのです。キャラクターの内側には又吉が描きあげたキャラクター達のそれぞれが抱えた逃げ場のない必然がはっきりと見えてきます。

前半のすこし居心地の悪い調和が空洞化していくなかで、後半、いずれの役者の演技も鎖から解き放たれたように個性の輝きを増していく・・・。溶け合う空気で観客を引き込むのではなく、建前や強がりや見栄を前面に押し出したキャラクターを観客のなかに打ち込むような感じで観客を縛っていく。その背景には妥協の余地がない現実がしっかりと構築されていて、殻の中で、それぞれの役者が自らの演じるキャラクターの感情を膨らませていくのが、鼓動のように生々しく観客に伝わってくる。小説家志望で、それを亡くなった母に報告する男性も、芸術を隠れ蓑に欲望を映画を撮り続ける男性も、才能に恵まれたミュージシャンも才能が降りてこないミュージシャンも、女達の気を引く男も男を愛する女性達も・・・。

やがて殻が感情のふくらみや他の殻との衝突に耐えられなくなって破れる時が来て・・・。それぞれのキャラクターのカタストロフから、キャラクターが抱えていた真実が生々しく観客に流れ込んできます。強弱の抑制を失ったようにすら思えるそれらの表現が次々と観客を浸潤していく。又吉の冷徹な視点に晒された原色に近い想いが観客を少しずつ押し流していく。自分を支えきれないことと癒されること、時代に流されていく愚、自分の欲望に身をゆだね、あるいは自分の内側に逃げ込む中からほどばしる狂気・・・。

そして、叫びがやってきます。聴いた瞬間にある種の生理的な嫌悪があり、なのに、心情を直接揺さぶられるようで耳を塞げない叫び。開演冒頭の叫びを伏線に、後半あれだけ唐突でありながら違和感のない叫びを浴びて、観客は又吉の慧眼とそれを具現化した深寅のしたたかな才をガッツリと思い知ることになるのです。

役者のこと、個性的ではありましたが、癖がなく自分に与えられたキャラクターを愚直なほどまっすぐかつ真摯に追っていける感じの方が多かったような・・・。

玉置玲央の演じる弱さと妙なずるさには必要な表現のもう一つ外側まで演じきるよな力を感じました。この芝居のキモを観客にはっきりと見せるための原動力になっていたと思います。鹿谷弥生が演じる童話作家の卵も印象に残りました。彼女の素直さに潜んだ無意識の残酷さには鮮烈なものがありました。

西山宗佑は、与えられたキャラクターを淡々と演じきって舞台の潤滑油に徹していた感じ。彼の演技の安定がそのまま、後半観客に伝えられる真実の純度を上げていたように思います。津留崎夏子の演技にも同様に安定感があって、物語の外側をしなやかに支えていました。この人は小さな仕草にも豊かなニュアンスを籠めることができる・・・。布団を叩くところなど何箇所かに目をすっと奪われるような部分がありました。

私にとってはほとんどが初見の役者さんの中で、岡田あがさのみが例外。で、彼女にとって、今回はこれまでと違ったニュアンスでのはまり役で、過去観た何作かで一番伸びやかに演じられていた印象・・・。演技の隅々にまでもてる力をストイックにぶつけるのではなく、自分のサイズにあった服をすっとまとうようなしなやかさがありました。キシモトマイ演じる中国人の女性に抱きしめられるまでの、岡田の心の揺れ方の瑞々しいこと・・・、観客が息をふっと止めてしまうほど豊潤なものがあって強く印象にのこりました。。一方のキシモトマイの演技にも岡田あがさを受け止めるだけの奥行きの積み重ねがあって・・・。その他のシーンでも自分のペースをしっかりと守りながら舞台に色をつけていくようなゆとりがあって好演だったと思います。

森陽太、西川康太郎は、ちゃんと裏打ちのある軽さを演じて見せました。どこかにすっと抜けたような明るさがだせていることで、逆にある影の部分もちゃんと表現できていたような・・・。

また、半田周平、岩井太郎が演じる狂気にも何かを凌駕するような力がありました。彼らの狂気には積み重ねがあるのですが、それがすごく丁寧にできていたから、後半のインパクトが実に強くなった。シュールささえ感じる演技が観客をしっかりと捕らえていました。また奥山雄太も、出番こそ少なかったですけれどインパクトは強かったです。しっかりと存在意義が伝わってきました。

まあ、中盤がやや冗長だったり、2日目でちょっとせりふに噛みがあったりとこまかい修正部分はあるのだと思います。しかし、終わってみればいろんな意味で印象がしっかり残るお芝居であり・・・。

雨のなか小さな折り畳み傘をさしての帰り道となりましたが、そんなことがちっとも苦痛ではなかった・・・。観てよかったと思います。

R-Club

PS:おまけのトークショーけっこう楽しめました。ピースの二人とキシモトマイの吉本風仕切りが心地よくて・・・。肩の凝らないエンタ^-ティメントに仕上がっておりました。吉本の芸人さん、力がありますよね・・。

|

« これだけの個性は贅沢の極み、でも溶け合って良いお味に「ガンまげ」 | トップページ | 場に取り込む力、後藤ひろひと「恐竜と隣人のポルカ」、三谷幸喜「ザ・マジックアワー」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 太字の輪郭で描いた人をごつごつと当てていく「誰ソ彼」ジェットラグ:

« これだけの個性は贅沢の極み、でも溶け合って良いお味に「ガンまげ」 | トップページ | 場に取り込む力、後藤ひろひと「恐竜と隣人のポルカ」、三谷幸喜「ザ・マジックアワー」 »