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キリンバズウカ「飛ぶ痛み」単なる東西融合を凌駕する新しい世界

遅れましたが、4月28日、王子小劇場でキリンバズウカ「飛ぶ痛み」を観ました。主宰の登米祐一は関西出身ですが、今回は東京の役者を集めての東京旗揚げ公演。良い役者が集まり王子に秀逸な演劇空間を作りあげてみせました。

(ここからネタバレがあります。十分ご留意ください) 

とあるホスピス、そこは他の人に痛みを飛ばすという新しい療法の実験が秘密裏に行われていて・・・。

冒頭の、頭の体操にでてくるパズルの具現化のような、渡し舟の乗り場のシーンがまず秀逸、しっかりと物語へ観客を導きます。最初は静かな演劇のような雰囲気、それが小さな笑いの重なりのなかで、次第に複雑な愛憎劇の様相を呈していきます。最初のちょっと冗長にさえ思える空気が、それぞれの因果が明らかになるにしたがって、少しずつ緊迫感のある舞台特有のひりひり感へと変わっていく。痛みを与えるものと受けるもの、その痛みを与えるものが自らを傷つけることに無神経になってゆき、一方で苦痛を与えられるものは与えるものに対して寛容をうしなって・・・・。

それは、サマライズすれば、浮世の人間関係のさまざまな形態についての秀逸な表現ということになるのでしょうが、目に見える現実の模倣ではなく、表面的な形態からは見えない、痛みを与えるものと受け取るものの複雑な感情や感覚の交差が醸し出す空気の密度のようなものであらわしていくところに、この芝居のしたたかさがあります。

関心だけでなく無関心の表現、他人の生や死、さらには客観視された自分の痛みや死に対する驚くほどの軽さ。自分が背負う痛みと与える痛みの著しい不均衡・・・・。

それらが淡々と演じられ、観客は次第にそのどろどろとした感覚に埋まっていくようなどうしようもなさに支配されていきます。

作・演出の登米裕一は、なんというか関西テイストな人間の距離感や笑いを織り込みながら物語を構築していきます。そこに役者達の強いメリハリ表現がつくとキャラクターが舞台上で具象化していくような仕組みがちゃんと準備されている・・・。

しかし、演出としての登米は自らの物語に関西風の押し出しではなく別のテイストを与えます。今回選ばれた役者のうち、関西的な芝居をするのは緒方晋の一人だけ(それも抑えて演技するような指示だったそうです)、のこりの役者たちには、関西的な誇張とは異なる、ナチュラルな感情の表現を演出していくのです。結果、役者達の演技は物語の拡大を観客に感じさせるのではなく、内側にある密度の濃淡に観客を引き込んでいく・・・。旨くいえないのですが、物語の本質が時間の経過とともに拡大するのではなく、同じ大きさや感覚の物語の内側が染まってていくような感じになる・・・。縛られて逃げられないのではなく、立ちすくんで逃げ方を忘れたような感覚・・・。しかも、後述のとおり、役者が本当に良く、登場人物たちそれぞれが演じる想いの不定形かつ斬新な断片が、切れをもって舞台から観客の空間を浸潤していくのです。痛みのやりとりから派生するものが一様でないことから生まれる影達の不可思議なシェイプに瞠目しつつ、最後のシーン、田中沙織の冷たく乾いた笑い声を聴いたときには、ぞくっと鳥肌が立ちました。

役者のこと、黒岩三佳の演技には相変わらず引き込まれます。彼女の存在で芝居全体の流れが走ることなくうまくコントロールされていたような気がします。また、彼女の引き出す笑いには関西でいうボケの部分が絶妙な分量で含まれており、形容矛盾ですけれど物語に乾いた潤いを与えていました。彼女が舞台にいるだけで、場にふくらみができるのです。

柿食う客からの二人もそれぞれに力を発揮していました。前述の田中沙織は人間の深い部分にあるずるさのようなものを見事に演じきっていたとし、七味まゆ味のクールで目鼻立ちのはっきりした演技も舞台の空気をしっかりと締めていました。この人は色や艶を演技に縫いこめることができる良い役者です。七味の切れ味のよさがそのまま舞台後半のしなやかなテンションにつながっていたように感じたことでした。

女優でいえば、佐藤みゆき の演技にも実在感というか良い意味での生々しさがありました。芯の強さをすりガラス越しに観客に感じさせることができる女優さんだと思います。

男優も、物語を形作る熟達を感じる演技でした。齋藤陽介の硬質な部分を残した演技に久保貫太郎本井博之折原アキラといった面々が旨くからんで・・・。緒方晋にしても板倉チヒロにしてもアクの強さはあるのですが、それがかえって舞台の安定感を高めるように働いて、観客はなぜか安心して身をゆだねられる・・・・。

今回の登米さんは、本当に役者に恵まれたと思います。というより、集める役者の力量やテイストについて、彼はたぶん妥協をしないのでしょうね・・・。物語の骨格は関西風に演出してもして違和感がないのに、関西の役者も含めて、あえて役者の演じ方を関西風には染めない。そして言葉では表現しがたいような独特の境地を作るのが、彼のセンスであり非凡さ・・・・。そんな演出に耐えうる役者をしっかりと集め、その果実として、どこか効しがたい軽さと関西チックなあからさまな感覚をもった、えもいわれぬ魅力を持った演劇空間を舞台上に現出させることに成功したということなのだと思います。。

キリンバズウカ、東京旗揚げとのことですが、今後の作品が楽しみ・・・。登米作品、もっといろんな作品を観たい・・・。そんな気にさせる、魅力を十分すぎるほどもった作品でした。

PS:

公演後、登米裕一、緒方晋両氏にゲストとして桂都んぼ師匠を交えたトークショーがありました。関西人3人だけに中盤から話が一気にはずんで・・・。20分という時間が非常に短く感じられました。

驚いたのは、登米氏が上京した理由が「関西の演劇は下手っていてあかんから、東京に来て演劇をやろうと思った」という話。都んぼ師匠も「関西は劇場が減っていくし・・・」みたいな相槌をうっていらっしゃいました。

まあ、今回のように東西の演劇文化がそれぞれに進化して、その中で良い部分がうまくかみ合って新しい境地のお芝居ができるのであればこんなに良いことはないのですが・・・、関西の演劇が衰退しつつあるがゆえにこのような作品ができるのだとしたらそれは喜ばしいこととはいえないわけで・・・・。

落語などにしてもそうですが、関西の独自文化というのは、東京文化と交わっても、輝きをますことこそあれ衰退するというイメージはなかったので・・・。

でも、劇場が減ったりトークショーなどでも今回のように人がたくさん残ったりしないのだそうで・・・。なんか逆のような気がするのですけれどねぇ・・・・。

いずれにしても、作り手側の人間を行き詰ったと思わせる要因が関西演劇にあるということ、首都圏に住んでいてもかなり気になった話題でありました。

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