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庭劇団ペニノ 「苛々する大人の童話」、精緻さと創造力の恐るべき凝縮

渋谷、青山劇場に程近いマンションの一室を劇場にしての公演。一公演20名強の限定公演・・・。チケットが取れただけでかなりわくわくどきどきものなのですが、実際に観劇した作品は、そのときめきを十分に凌駕するものでした

(ここからネタばれがあります。公演中につき十分にご留意の上お読みください。特にこれから観劇予定の方は読まれぬようお願いいたします)

言葉は悪いのですが、ちょっと場末のストリップ劇場を想起させるような「はこぶね」の客席、そのちょっと固めの座席に座って、紅いビロードのような幕にあたるスポットライトを観ているだけでふっと現実から隔離されたような錯覚に陥ります。

物語がはじまり、少し遅れて電光掲示板に物語の枠組みが明示されます。その物語はゆるやかで、童話と呼ぶにふさわしい単純さとウィットを含有しながら、ゆっくりと演じられていきます。登場人物は豚と羊・・・、物語が進むにつれてその世界は次第に明らかになっていく・・・。しかし具体的な物語はなく、暗示的なシーンが積み重ねられていく感じ・・・。

やがて二幕目に入ると物語は大きく展開をします。精緻な舞台装置にガリバーの物語を想起させるシーンにて登場した学生服姿の男は羊と豚の住む世界に入り込んできて・・・。

後半の不思議な男女の結びつきもさまざまな暗示に満ちています。この小さな劇場には豊潤な想像力を何かに集約させる魔法がかけられているような・・・。寸断された2本の木、床の下の世界。創意の溢れ方がただ噴出すのではなく、一定の緻密さのなかで緩やかに渦をまくような感じ。シンプルなキーワードに、与えられたイメージが日和見に膨らんでいくと、時間の流れるスピードまでが一定さを失うようで・・・・。しかも、そこには確固たるバランスが存在している・・・

もうずいぶん前に見た「Mrs.P.P.overeem」において主演(というか一人芝居だった)の安藤玉恵が一人の女性の一生を時間の尺度を変えて演じたように(非常に印象に残る演技だった)、今回の作品にも人生を俯瞰するような空間と時間のデフォルメがあって、まるで騙し絵に隠されたものが突然浮かんでくるように、舞台に仕組まれた意図が観客の感覚を呼び覚ましていく。そして舞台の感覚に共鳴し覚醒した観客は、舞台の創意に流されながら舞台から伝わってくるものに戯れることができるのです。戯れることによって感じる瑞々しさ・・・。時には匂いまでついて舞台から静かに溢れてくるイメージに全身を包まれるような感覚。

言葉や小道具や役者達の冗長すら感じさせるようにコントロールされた動きは、渋く豊かな色使いで空間を油彩のように染め上げて、精密な箱庭の世界の頭上世界で妙に生々しい夢を醸成するのです。それはブルーチーズのような豊潤さを観客に与え、そのテイストは幕が下りても淡く消えずに観客を支配していく・・・。

役者(島田桃依、瀬口タエコ山田伊久磨)は抑制された動きの中にベクトルの異なる想いがしっかりとこめられていて、非常に好演でした。また、舞台装置はまさに一見の価値あり・・・。

このプチ空間「はこぶね」公演はたぶんこれが最後とのこと・・・・。とても残念に思えてなりません。明確なイメージで描ききった「野鴨」などの作品の秀逸性も庭劇団ペニノの魅力なら、今回のような抽象画的な舞台のテイストもペニノの魅力・・・。

舞台装置の秀逸さや舞台の創作への熱意を感じるにつけてタニノクロウの才には惚れ惚れするばかりです。その力がこの先なにを作り上げていくのか・・・・。まさに目が離せません。

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