« 庭劇団ペニノ 「苛々する大人の童話」、精緻さと創造力の恐るべき凝縮 | トップページ | 北京蝶々「あなたの部品」ひりっとくる空気の切れ味 »

ラクゴリラ@お江戸日本橋亭 チャレンジする心

4月26日、お江戸日本橋亭でラクゴリラを観てまいりました。去年の10月に初めて観て、そのレベルの高さに舌を巻いた会、今回も見ごたえ十分の会となりました

(ネタばれということではないのですが、噺家さんのくすぐりなども出てまいります。ご了解いただけるかただけ、読み進んでいただきますようお願いいたします)

「江戸荒物」笑福亭瓶成

昨年の大銀座落語会で初めて観た噺家さん、そのときの語り口のきれいさというか切れのよさが印象に残っていました。

まずは枕がよかったです。その手馴れた感じに客もふっと起こされる感じ。嫌味がなく馴染みやすいのですがつぼをばっちり押さえている・・・・。「おうこ」とか「きりわら」などの言葉の解説(昔の関西の言葉が噺にでてくるとのことで)後本編が始まりますが、ここにも淀みがない。

まあ、この噺、笑福亭福笑師匠のをちょっと前に聴いているのですが、福笑師匠が比較的こてこてに演じられるのに比べて、すっと流れていく感じ・・・・。だから噺の輪郭はすごくわかりやすいし、開口一番で聞いていももたれない。芸が澄んでいる感じがします。最後のつるべ縄がらみの描き方などにも噺家としての非凡さがうかがえます。

ただ、いろんな意味でまだ良くなる感じはしました。なんていうのでしょうか、この噺に関してはまだ巻き込むようななにかが足りないような・・・。福笑師匠だと案外おかみさんがエピソード間の笑いの雰囲気ををつないでいくような感じになっているのですが、今回はおかみさんが完全に旦那を放置してしまっているような・・・・。もちろん福笑師匠と比較するのは端から無理があるというか滅茶苦茶酷なのですが・・・。

ちょっとまだふくらみがほしい感があったのも事実。ただし失望ではなく楽しみが増えた感じの高座でした。

「いらちの愛宕詣り」林家花丸

花丸師匠の語り口には清楚な暖かさを感じます。明るさがあるから、いらちの旦那もからっとしている。しかも描写に細やかさがある。だから聴いていても安定感を感じました。

しかしこの噺に限っていえば丁寧さより勢いをもう少し前面に押し出した語り口のほうが良かったかもしれません。客を置き去りにして客が必死についていくような勢いがあったほうがこの噺は楽しめるのにと思いました。お賽銭の場面でも、深く客に考えさせるのではなく、いらちからくる良識のなさをもっと勢いをつけて笑わせて貰えればと・・・。そうすると良いことも悪いこともごっちゃ混ぜにいらちの旦那の風貌がもっとリアルに浮かび上がってくるとおもうのです。それが、ひとつづつのシーンの完成があるものだから、逆に疾走するようなおかしさがいまひとつ伝わってこない。

また、愛宕詣りから帰ってきてからお風呂にいくところで噺がなんとなくいったん切れてしまう。ふたつの別の噺を聴いているようなもったいなさがあります。ちなみに家に帰ってからの噺にはある種のグルーブ感がありました。単に子供を逆さに風呂に入れるという滑稽さだではなく、そのあたりの一連の流れにひきづられるような感じがあって・・・

もし、花丸師匠の描写力に全編のグルーブ感が重なったら、すごい愛宕詣でが出来上がると思うのですが・・・。

「七度狐」桂つく枝

噺を止めて師匠自身もおっしゃっていたように、これはやっぱり「七度狸」かと・・・。石を当てられた狐がたたりを宣言する場面、どう贔屓目に見ても・・・・、狐ではない。凛とした語り口にきっとした顔をつくっていらっしゃるのですが・・・、最後にポンとお腹をたたいて怒れる狸が浮かんでしまう・・・。

しかも、皮肉なことにこれを狸のたたりとして観るとすごく味わいのある高座で、これまで感じたことのない新しい七度XXを聴くことができました。べちょたれ雑炊を食べせる尼さんのポーカーフェイスになんともいえぬ愛嬌が滲んでそれが得もいえぬ滑稽さを呼び寄せる感じ・・・・。騙すほうにも陰湿さがないから、騙されるほうもカラっと騙されていて、それが観客を笑いに集中させてくれる・・・・。

へんにべたべたした感じがないので、聴いていてもたれないのです。

レポーティングダイエットのちょっと自虐的な枕との対比で、噺に加えた明るさがますます浮き立って、理屈を超えた生理的楽しさのある高座となりました。

中入り

「辻占茶屋」笑福亭生喬

ドラマ「ちりとてちん」一躍注目を集めた噺です。その関連も含めて何人かの高座をテレビなどで観ましたが、それぞれに個性がでるものですね・・・。逆に言うと噺家の個性を引き出す要素がこの噺には盛り込まれているという気もします。

生喬師匠の噺は生真面目さがあって、さらにそれを突き抜けた向こうに人間の性根のおかしさが横たわっている感じ・・・。梅乃の色香というか艶になんともいえないずぶとさがあって、それが源やんの単純さとしっくりとあっている。ふたりのどうじようもない性根のバランスから、なんともいえないおかしさが湧いてくるのです。よく練られた人物描写だと思うし、その中にちゃんと生喬師匠のトーンが生きている。枕でつく枝師匠のダイエット法をみごとにこき下ろしたような冷徹な視点が、辻占茶屋の男女のおろかさをすっと浮かび上がらせていく。

すっと見えてくる人物像、卓越した女性の演じ方、下座との掛け合いにも聴きごたえがあって、噺のもつ奥行きをたっぷりと楽しませていただきました。

「茶の湯」桂 こごろう

江戸前でやると、本来噺が持つおもしろさが前面にでて、演者がそれを引き出すかで噺の優劣がきまるみたいなところを感じるのですが、上方だと、縁者の個性が勝った噺になる・・・。柳家小三治師匠の正統派を聴いて、春風亭昇太師匠のデフォルメ版にそれぞれの噺の構造の秀逸さを感じたのですが、桂こごろう版を聴くと、さらに演者の個性によって噺の趣がこれほどまでに変わるかとびっくり・・・。「辻占茶屋」にしてもそうなのですが、よい噺というのは演者に引き立てられて演者を引き立てるのだということがよくわかりました。

江戸版の「茶の湯」だとしっかりとした茶道のしきたりが前提に存在していて、それが崩れていくところに面白さがあるのですが、こごろう師匠の噺にでははなから崩れた滑稽さが前面に押し出されていて・・・・。ぐんぐんと押していく滑稽さの中でさらに茶の湯が持つ威厳にすがる無知なる人々のあがきをここそこにちらつかせて、笑いを膨らませていきます。同じ構造を持つ噺でありながら、終わってみれば東とは似て非なる充実感に溢れた印象の「茶の湯」が現出していました。

誰にでも出来る芸ではないのだと思います。その滑稽さにクオリティを持ったあざといベタさと、それを噺の中でやり通す芸力があって初めて生まれてくる世界であるような・・・。

破天荒とまでは言いませんが、独自のトーンを作り上げて突っ張りとおす。その中で笑いを醸成していくこごろう師匠の力、ほれぼれするばかりです。

この「ラクゴリラ」、木戸銭をはるかに超えるクオリティで・・・。本当に楽しませていただきました。確かな芸力を持ちながら、さらに新しい境地へチャレンジする噺家さんの気概を感じるような会。落語が好きならこれを聴かないとあほです。

本当、ところどころにある空席がもったいない・・・。

東京は次回9月だそうですが、その間に臨時のサプライズの可能性もあるとのこと・・・。いまからすごく楽しみです。

R-Club

|

« 庭劇団ペニノ 「苛々する大人の童話」、精緻さと創造力の恐るべき凝縮 | トップページ | 北京蝶々「あなたの部品」ひりっとくる空気の切れ味 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ラクゴリラ@お江戸日本橋亭 チャレンジする心:

« 庭劇団ペニノ 「苛々する大人の童話」、精緻さと創造力の恐るべき凝縮 | トップページ | 北京蝶々「あなたの部品」ひりっとくる空気の切れ味 »