青山円形劇場を生かす黒色綺譚カナリヤ派「葦ノ籠」とインナーチャイルド「(紙の上の)ユグドラシル」
ここのところかなり忙しくて、あまりに印象に残った空間ゼリー以外の感想がかけていませんでした。で、過去1ヶ月の観劇記録をメモを兼ねて・・・。
まずは先月末から月初にかけてなぜか青山円形劇場の公演がつづきましたのでそのご報告。
3月22日マチネで、黒色綺譚カナリヤ派「葦の籠」を観ました。黒色綺譚カナリヤ派は初見。ただ、劇団員の牛水里美さんは昨年末の新宿村の市で演技を見ています。空想空間での彼女の演技はとても印象的でした。
もうひとつは4月5日のインナーチャイルド「(紙の上の)ユグドラシル」、インナーチャイルドは昨年吉祥寺シアターで「アメノクニ ヤマトブミ」を観てとても強い印象を受けた劇団です。
(ここからねたばれがあります。ご留意の上お読みください)
ー黒色綺譚カナリヤ派「葦の籠」ー
かなり時間がたった感想で申し訳ありません。
物語は昭和のある時期、川に息子を流した男は妄想の果てに、河原に住む老婆と男娼の少年を家族と勘違いしてしまう。
勘違いした男には仲間の河原のこじきまで群がる…。河原の葦に囲まれたその場所は、河原乞食達の生活の場所、男娼は金持ちにも雇われていて・・・。金持ちは生活と引き換えに男娼を支配しようとする・…。去勢をして、自分に従順なしもべに教育をして・・・・。
さらに金持ちの娘や、街の支配層の子供たち、たくさんのエゴと制御されない支配への欲望が舞台からばらまかれて…。
舞台に流れる物語は原稿用紙数枚のプロットにすぎません。特に深いわけでもなく、珍しくもたいした意味があるわけでもない。しかし、その行間から漏れ出してくる圧倒的な風景に目をうばわれるのです。河原に溢れるたくさんの老婆たちの演技、一人ずつにしっかりとした個性があって、それらが重なって舞台の世界を広げていく。主役たちと肩をならべ、あるいは凌駕するほど・・・。舞台上の乞食を演じる役者の技と群集処理の秀逸さが光ります。
また、この舞台は感覚の借景の連続・・・。高貴で排他的な富、去勢によって少年を自らの僕に置こうとする傲慢、親の権力をかさに着た少年達、それらの借景に下卑なところがなく、むしろ洗練すら思えるところにこの芝居の完成度を感じます。
それらの借景の中で、男娼や金持ちの少女がなんと生き生きと動いていることか・・・。升ノゾミや牛水里美の動きは、まるで物語の血液のように舞台全体の鼓動を作り上げていきます。牛水里美は、稀有の品格をまとう才能に恵まれていて、観客にとってはまさに眼福、升の演技には役柄が持つ芯の熱さがしっかりと表現されており、一方で病院へいってしまうことへの十分な説得力もありました。
また、大沢健が描く中庸さ、下総源太朗の軽妙なあくどさにも大きく惹かれました。 河原の風すら感じるような舞台美術も見事だったと思います。
ここの芝居、美しい昇華と人を取り込んでしまうような退廃のイメージが随所にほとばしって次第に観客が劇場にいることを忘れさせるような力があります。赤澤ムックの芯に織り込まれた耽美な香りに魅せられてしまったのかもしれませんが・・・。舞台美術の秀逸さも加わって、現実から切り離された甘美でどこかおどろおどろした世界に遊ぶことができました。Irresistableってやつですね・…。ほんと、葦ならぬ足をすっと浮かされて自由を奪われたように、心惹かれるお芝居でした。
ーinnerchild「(紙の上の)ユグドラシル」
大きな木の根元、家族で過ごす時間スケッチから、やがて歴史をこえて、神々の成り立ちから坂之上田村麻呂の物語,さらに再び現代にまで至る大きな視点を持ったものがたり。。血塗られた歴史とそれをはぐくむ人々の想いは、現代の世界と重なり合って、青山円形劇場の空間に見上げるほどの大きさを持った世界を作り上げました。小手伸也の才能には感服するばかりです。
いくつかの時代をまたがってやってくる物語・・・時代によって色は変わるのですが、それぞれに美しい透明感があって。しかも単に物語が重なっていくだけではなく、まるで果てしなく続く回廊の前後を眺めるような感覚を観客に与えていきます。樹が神を語り、神が人を導き、人が樹を祭り・・・。そのなかで育ち繁りやがて焼かれおち、やがて再生のときを待つ樹とそれを守る人々・・・。
細かい部分の見せ方が本当に上手です。たとえば台詞のテンポ、役者の動きの柔らかさ、役者の配置・・・、それらがまるで描画の点をひとつずつ描いていくように舞台に色や質量をつけていきます。役者達もシーンのカラーにきちんと統一された演技で、観るものを包み込むように物語に誘い込んでいく。役者のここ一番の切れが舞台のソリッドな統一感を与えて・・・・。役者それぞれの異なるテンポが、まるでレンズのフォーカスが合うようにすっとひとつのシーンを浮かび上がらせる。
冒頭のスケッチブックから地球を覆うような樹を広げていく芝居の力量、現実を点にしてそこから広がる時間軸を鳥瞰するような浮遊感と物語の不思議な実存感。シームレスに演じられる現世と神々の世界の混在には圧倒されるばかり・・・。
しかも、この舞台無駄がないのです。血塗られた話でもあるのに、ある種物語の純粋さが劇場全体を浄化するような・・・。
美術や照明も秀逸、巨大な樹が生い茂ったり焼かれたりする姿が、役者の演技のなかでしっかりと見える感じ・・・。その役者自体もけれんなくしっかりと精度高く世界を演じている・・・。
ほんと、言葉に出来ないような不思議な力を舞台から感じ、魅力に浸りこんだ2時間でありました。
青山円形劇場って不思議な空間ですよね・・・。秋には双数姉妹が「サナギネ」の再演をするようですし・・・(この作品にもすごく衝撃をうけた)、いろんな世界があの空間に浮かんでは消えて・・・。劇場がすばらしい芝居を呼ぶのか、すばらしい芝居が劇場を求めるのか・…。今回のような芝居たちを見に行くたびに、渋谷から坂の登りおりが楽しく思えるのです。
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