南光・こごろう親子会 脂がのってまんなぁ・・・
2月27日、南光・こごろう親子会を観てまいりました。東京芸術劇場の小ホールはほぼ満員・・・。前回の吉弥師匠独演会でしっかりとチケットをゲットしておいて本当によかった・・・。
なにせ4列目のセンターやや上手寄り・・・。脂の乗り切ったお二人の芸をしっかりと堪能してまいりました。
桂ちょうば「時うどん」
着々と勢いがある高座でした。明るいのだけれど浮き足立ったところがない・・・。高座に落ち着きがあるから勧進の部分に観客も集中できる。もたつきがないから観客も身をゆだねやすかったです。
うどんやの汁を温める仕草やうどんをとりあうところなど、本当に実直に演じている感じで、でも実直な中でもこっけいさがちゃんと浮き出るよな工夫がされていて・・・。米朝一門のよいところがしっかり感じられる噺家さんでした。
桂こごろう 「動物園」
師匠自らが十八番と自認する噺とのことでしたが、、桂南光一門にとって東京はアウェイ・・・、前半は緊張感が強かったのでしょうか、自在流のすっと肩のちからが抜けたような芸風が多少影をひそめてしまいました。こう、なんていうのですか、噺に乗らずに噺を引っ張っていく感じ・・・。サーフィンでいうといきなり立ち上がらず、バドリングっていうのでしょうか、一生懸命ボードをいい波に持っていくまでの時間がけっこうあったように思います。
それでも手馴れた噺というだけあって、後半からは師匠一流のノリが随所に現れて、観客が前がかり気味に身をゆだねられる高座となりました。「KYK(関東地区は池袋にお持帰り店が一店舗だけ)が東京では通じない」とぼやくあたりが変わり目でしょうか・・・、いったん波に乗れば、あとはしっかりとした語り口とどこか飄々とした部分のある話のもっていき方がすっと会場を包み、に移動動物園のチープな感じと主人公のずぼらさとまどいがすっとはまって、観客がぐぐっと噺に引き寄せられる・・・。
まあ、ホームというか関西などでやられたら、もっとボリューム感がある高座になるのかもしれませんが、それでも、開口一番などでも使われる噺が、磨かれた見事な一品料理に変身しておりました。
桂南光 「初天神」
南光師匠、雰囲気や声質だけを見ると、関西一流の脂っこさが前面に出た噺家さんの印象があるのですが、その風貌とは裏腹(!?)な実に繊細かつ緻密な描写に裏打ちされた「初天神」を聞かせていただきました。人物描写などでも、雰囲気の形態だけでで多くを表すことをせず、小さな言葉遣いや描写を重ねていくなかで、観客側に登場人物の人となりを積み重ねていく感じ・・・。
奥さんがおとっさんの羽織を出すくだりにしても、単純な勢いではなく夫婦の機微が横糸にきっちり織り込まれていたり、向かいのおっちゃんが夫婦の営みを聞きだそうとする場面でも、ただのスケベ心だけではなくおっちゃんのかすかな罪悪感のようなものがちゃんと裏に透けて見える。
露店の飴屋やみたらし団子屋もまたしかり・・・。その場の登場人物がお互いに鏡になりながら双方の人物像が骨太に浮き上がってきます。
こうなると「初天神」はもうお正月恒例の季節噺ではありません。豊かな、聴かせどころ満載の落語の名品に色を変えて・・・。
時間的にはそれほどの長さでもなかったのですが、中身の詰まった量感ののある高座となりました。
仲入り
桂こごろう 「阿弥陀池」
噺の色と噺家の相性が抜群、こういうテンポが必要な噺をしているときのこごろう師匠は水を得た魚です。ぐいぐいと噺を広げていく。噺に入ると不要な重さを排しながら、一方で張りがあるので、観客が一気に噺に惹き入れられていきます。
最初に主人公がだまされるところがまず絶品、嘘のつき方に凜としたところがあるので、噺を知っていても私自身がどこかでだまされてしまう。この切れが噺の生命線で、尼寺の話にしても米屋の話にしてもそこだけで存在感のあるひとつの世界をきっちり作り上げる力量があるから、最後が生きる・・・。あほから話を聞かされてマジになる隣町の知り合いもまた凜として存在感があるから、あほの動揺がいっそう強調されて、笑いをどんどん広げていく。切れが観客の噺に対する知識を追い越して笑いをそれとばかりに引き込んでくる感じ。
味わいは軽やかなのですが、うらでは芸の力でぐいぐいと押していく・・・。その加速感が実にスムーズなのです。別の噺家の方でも何度か聴いた演目ですが、噺自体のイメージを変えるほどの力を感じた高座でした。
桂南光 「素人浄瑠璃」
噺としては「寝床」の落ちが流れたような構成でしたが、南光師匠の高座だったら確かに小僧が泣くサゲまでもっていくのは確かにもったりしてしまうかもしれません。
この高座、もう旦那の人物描写に尽きます。浄瑠璃の会に町内や店の者が参加できない言い訳自体でもう爆笑なのですが、それを聞いているうちにしだいに理性をなくす旦那の、その変化が実に見事で・・・。手代の久七が人を喰ったように語る言い訳のひとつずつで起こる観客の笑いが、そのまま旦那の表情の変化にリンクしていく・・。南光師匠の繊細な演技のひとつずつが旦那の性格や感情を見事に浮かび上がらせていきます。ロビーで売っていた枝雀師匠の「寝床」のDVDを買って観たのですが、枝雀師匠が噺の仕組みを師匠の世界に昇華させて蒸留酒のような味わいできりっと魅せているのに対して、南光師匠は実直にリアルな描写を積み上げて脂ののった旦那に仕上げている感じ・・・。久七の感じについては南光師匠も枝雀師匠のものを踏襲しているので、その差はますます鮮やかに・・・。
当然気分が落ち込んだ後、観客が来て機嫌が戻る部分も南光師匠は一歩ずつしっかりと演じあげていきます。この旦那がまた絶品!久七の嘘の上塗りも爆笑ものなのですが、それにあわせての旦那の変化、旦那の照れというか面映さ・・・、厚みがあって複雑で・・・。味わいぶかいっていうのはこういうときに使う表現なのでしょうね・・・。
で、最後は寝床と違って、旦那の殺人浄瑠璃を前にして、必死に耐える聴き手の宴会風景の場面でぽーんと切ってしまいます。時間の関係というよりも、旦那を表現しつくして最後にもう一度旦那を奈落に突き落とすのは噺が重くなりすぎるということなのかもしれませんが、これはこれでよいやり方かと・・・。
うまいこといえないのですが、枝雀師匠の「寝床」は、素材自体が「鯛」の上品なところを手練の技で品とこくのある一品に仕立てた感じ、それに対して南光師匠のは鰤の脂の乗り切った厚い切り身を、脂の旨さを殺さずにしっかりと焼き上げたよう・・・。南光落語の力量を堪能いたしました。
いやあ、2時間ちょっと、ものすごい長演を聴いたわけではないのですが、充実感は一杯。
枝雀師匠の香りを残しながらも、南光師匠とその一門(=こごろう師匠)の看板がしっかりと立ったよい会だった思います。
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Comments
通りすがりですが一言だけ言わせてくれ
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音 が う る さ す ぎ
ユニクロの時計だかなんだかしりませんが、あっても百害あって一利なしだと思いますよ。
実際読みたい記事あったけどうるさすぎて読めませんでした。
音いちいち消すまでもうるさい。
Posted by: メテム | March 08, 2008 at 09:59 PM
メテム様
いつも音を消してパソコンを使っているので自分では全然気がつきませんでした。
確かに音が大きすぎますね・・・。申し訳ありませんでした。
デフォルトでの音の設定方法がわからなかったので、とりあえず、自分のプロフィールページに時計は移しましたので・・・。
(このユニクロの時計自体は、ダンスがたのしいので気に入っています)
アドバイスありがとうございました。
今後ともご贔屓にお願いいたします。
Posted by: りいちろ | March 08, 2008 at 11:10 PM